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近江商人日本三大商人の一つ当時世界最高水準の複式簿記を考案したり(中井源左衛門・日野商人)、契約ホテルのはしりとも言える「大当番仲間」制度を創設したり(日野商人)、現在のチェーン店の考えに近い出店・枝店を積極的に開設するなど、日本に流通革命を起こした近江商人。そんな近江商人の流れを汲むとされる企業には、高島屋 大丸 三越 西武グループ 伊藤忠商事 丸紅 トーメン ニチメン ヤンマー 三中井 日清紡 東洋紡 東レ 日本生命 ワコール 西川産業…などがあるそうです。 その近江商人の家訓に「売り手良し、買い手良し、世間良し」の「三方良し」というのがあります。私は、この「三方良し」の「売り手良し、買い手良し、世間良し」がすごいと思うのです。日本の商売を席巻したのもむべなるかなと思うのです。「売り手」が良いだけではダメなのです。「買い手」つまり 取引相手や消費者にとっても良くなくてはダメなのです。事故米を使ったり、偽装表示化なんかもってのほかだということが分かります。さらにすごいのは「世間良し」なのです。どんなに自分の側や 取引相手の側が儲かっても、世間様 つまり 周囲や社会に迷惑を空ける取引はダメなのです。社会にとっても有益な、社会に貢献するものであれと言っているのです。これは、アドラー心理学の幸福の三条件とピッタリとマッチしています。アドラー心理学の幸福の三条件1:自分のことを受け入れていて、自分のことが好きで、2:周囲の人々や人間というものを基本的に信頼していて、3:自分が周囲や社会の役に立っている 貢献していると感じているもし自分が売り手だったら(買い手であったとしても)、自分にとって良いのだから、自分のことは好きになるでしょうし取引相手や買ってくれる消費者にとって良いようにするわけですから、人間を信頼している結果でしょうし、信頼関係をさらに強化するでしょう。そして、相手だけじゃなくて、世間にとって良いことをしているのですから、社会への貢献感は高まり続けるでしょう。つまり、「三方良し」はみんなの幸せを招き寄せる方法でもあるのです。近江商人の流れの企業が繁栄したのは当然です。さあ。人生の中で、「三方良し」を実践していきましょう。自分にとって良くなることをしていきましょう。自分を犠牲にし過ぎることは良いことでも何でもありません。それは共依存です。相手にとっても良いように言動しましょう。自分を大切にするのと同じように相手も大事にするのです。自分だけ得をして相手を裏切るような行動はアウトです。そして、周囲にとって良いこと 社会に貢献できることを考えて行動していきましょう。これで、あなたの幸福は約束されたようなものです。全国からの電話カウンセリング・コーチングも受けつけています。熊本こころ相談室http://cocorosodan.jp
2009年06月29日
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「八方ふさがりのなかでも、 やれることは必ずある。」MGMの前身、「ゴールドウィン・ピクチャーズ」の創始者サミュエル・ゴールドウィン(Samuel Goldwyn、本名:シュムエル・ゲルブフィッシュ Schmuel Gelbfisz)の言葉です。どんな危機の中でもどんなに深い苦悩の中にでもやれることは必ずあります。私もそうでした…あきらめないで。やれることはあります。人は常に何かの目標に向かって進んでいます。そして、いつも「今よりも良くなりたい。」と思っています。だから、いつも現状に不満です。この現状に不満なことを劣等感と呼びます。※劣等感というのはアドラーが作った言葉です。これが本来の意味です。そして、精神的に健康な人は、建設的な方法で「今よりもよくしよう!」と行動していきます。劣等感を克服しようとするのです。精神的に不健康な人は、「現状に不満な自分」をごまかします。言い訳をしたり、何かに依存したり、神経症になったりしてごまかします。犯罪者は、破壊的な方法で目標を達成しようとします。そして、その意図とは反対に不幸になっていきます。これがアドラー心理学の基本的な考え方の一つです。だから、どんなに苦しい時にでも、あきらめないで よく眺めると、やれることはあるのです。活路はあるのです。勇気を持って進みましょう。熊本こころ相談室http://cocorosodan.jp
2009年06月28日
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「反省はしない。」 生きていくエネルギーが下がるから。「後悔しない。」 最善の判断と 最善の行動しか取っていないから「明るい未来を常にイメージする。」「自分を常に勇気づける。」 がんばっているね。そう感じるよね。「自分の感情を他人のせいにしない。」 私が娘の言動に対して怒ったのは、私のせい。私が悲しんでいるのは私の感情。私がイライラしているのは、私の責任。 「他人の感情の責任を取らない。」 誰かが怒ったり、悲しんだりしても、それは私が怒らせたんでも、悲しませたんでもない。その人が勝手に怒ったり悲しんだりしていることを理解する。 もちろん、謝罪はするけど、それは自分の責任を認めた訳じゃない。相手の心を癒すだけ。 「他人に お願い事や要求をする時に 断られたり、無視されるかもしれないことを想定して お願いする」 そして断られたりしたら あっさり機嫌良く引き下がる。 『お願いを断られたら マル! なぜなら、相手にはお願いを断る権利があるから。』 『お願いを聞いてくれたら 三重マル!!』だから、どっちにしてもマル。躊躇しないで要求しよう!(^-^)」 だれかに何かをお願いされたり、要求されたりしたら、 その人の感情なんか深読みしないで 「自分基準で その行動がしても良い行動だったらしてあげて」もちろん恩は売らない。 「したくなかったら、躊躇なく断る。」もちろん、断っても罪悪感なんか発動しない。 「私たち人間が、この世の客観的事実を知ることは不可能なこと」を肝に銘ずる。全ては主観的意見に過ぎないことを知る。 「一人一人の意見が異なることを認める。」 「違う意見の人とどううまく折り合って協力したりしていくかを日々工夫する。」 「他人と、勝負や競争をしない。」 事実争い 正解争い 正義争いもしない。 なぜなら、事実は知りようがないし、この世の正解を私たちは知りようがないし、正義ほど人を傷つけるものはないから。 それより、他人の意見をいかに理解するかを工夫する。 「他人の短所を見つけたら、それを長所だと思う。」 「日々感謝する」人にも、出来事にも。特に嫌な出来事に対して感謝する。 「うらやましい人がいたら、その人たちのことを褒め称える。」 自分もそうなるぞ! 「まあ、人生何となくうまくいくわ。」と思う。なぜなら、人生は「思った通り」になるから。
2009年06月21日
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感情爆発を伴うような、嫌なやりとりの交流、喧嘩腰の、同じようなパターンでのやりとり、のことを TA(交流分析)では「ゲーム」と言います。 交流分析によると、 人間関係における交流は、引きこもり(交流をしないで、一人で考えたりボーとしている状態)、儀式(日常の挨拶など)、暇つぶし(あまり目的もない世間話、遊びなど)、活動(何かの目的を持った活動)、ゲーム(どちらかの行動が引き金となっていさかいに発展して、感情爆発に至り、驚きや混乱の瞬間を経験し、最後には双方ともに「イヤーな後味」を深く感じて終了する「あっ、またやってしまった。」と思ってしまう同じパターンの行動形式)、親密さ(双方の本音と本物の感情をお互いに分かち合い、深い信頼関係を感じる思いやりと理性に裏付けられた交流)の六種類があります。引きこもり、儀式、暇つぶし、活動、ゲーム、親密さの六種類です。 ゲーム以外の交流は必要な交流です。 特に親密さは重要です。一番濃厚な交流だからです。本当に親密さの濃厚さと暖かさと居心地良さを知っている人はゲームをしようとはしません。 ところが、私もそうでしたが、機能不全家庭で育った人は「親密さ」を見たことも体験したこともないので、親密さを実現することが怖くてたまりません。 一番濃厚だということは一番危険だということでもあるからです。 相手への絶対的信頼感がなければできませんし、やり方自体も知っていなくてはいけません。(親密さのやり方を具体的に学べるのがスマイルです。私は、怖さを克服して、親密さのやり方を学び、親密な本音と感情のシェアリングを練習して、少しずつできるようになりました。) でも、親密さをできない機能不全家庭で育った人も濃厚な交流はしたい。 だったら同じくらい濃厚な感情を感じさせてもらえるものがあればいい。 そう。 親密さの代わりに繰り広げられるのが「ゲーム」なのです。 ゲームがもたらしてくれる濃厚さは「イヤーな後味」ですが。薄っぺらな交流しかないより、濃厚なゲームがあった方がましなのです。 ゲームの基本は、「キックミー(私を蹴って!)」と「さあ、捕まえたぞ!このやろう。」の二つの組み合わせです。 変化型としていろんな名称のゲームがありますが、どれもこの二つのゲームの変化型にすぎません。 「キックミー(私を蹴って!)」というゲームは、繰り返し繰り返し相手がやめてほしいと思う行動を続けることです。 最終的には相手から手ひどいしっぺ返し(キック)を食らって、驚きと混乱を感じて終了します。 「さあ、捕まえたぞ!このやろう。」は相手の理不尽な行動を何度も我慢しているが、最後には感情的に爆発して、その瞬間になにやら勝ち誇ったような感情を覚え、しかし、その後に混乱を感じて「あ、またやってしまった。」と終了します。 わかっていただいたと思いますが、ゲームは「キックミー」のプレイヤーと「さあ捕まえたぞ」のプレイヤーが対になって起こるのです。 ゲームをしない人は「キックミー」の罠にはまって「さあ、捕まえたぞ」をしたりはしません。「さあ、捕まえたぞ」の役を演ずる人の前に出ても「キックミー」を演じたりしません。 ほかに、「はい、でも(イエスバット)」というゲームもあります。 相談する側と相談される側があって、相談される側がどんな解決策を提案しても、 相談している側は「はいそうですね。でもできそうにありません。」とか、「なるほど良い方法ですね。でも、」と最初に「はい。」と言って必ず「でも、」「しかし、」と否定するやりとりを繰り返すゲームです。 カウンセリングの場面でよく起こるゲームです。 カウンセラーが最後に怒ってしまったら「はい、でも」のゲームの罠に引っかかったのです。これも「キックミー」の変形ですね。 怒ったカウンセラーは「さあ捕まえたぞ」をやってしまったのです。 ゲームを演じるのは、機能不全家庭でゲームが日常的に繰り広げられてきたのを体験してきた人です。 つい反応してしまうのです。癖のようなものです。 ですから、カウンセリングで他人への信頼感を回復させたり、 カウンセリングやSMILE(人間関係学習プログラム)で適切な人間関係の取り方を学ぶと、 少しずつゲームをすることが少なくなっていきます。 とにかく、ゲームに代わる「親密さ」を実現しないことには、ゲームはやめられません。電話カウンセリングの「電話こころ相談室」http://yukiduke.indent.jp「熊本こころ相談室」http://yukiduke.racms.jp
2009年06月19日
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人間、どんな時に辛くなるのでしょうか?どうしようもないことを、どうにかしようとしている時、辛くなります。過去の嫌な出来事を思い出して、その時の嫌な感情を追体験していると、辛くなります。過去の自分の行動を後悔したり、罪悪感を感じていると辛くなります。過去は変えられません。いくら嫌な思いをしたからって、思い出して その過去が変わるわけではありません。いくら後悔しても、後悔先に立たずです。後悔しても過去の自分の行動は変えられません。(もちろん、なかなか抜け出せないトラウマ的な記憶はあるでしょう。それは、心理セラピストの手を借りて解消しましょう。)他人も、自分の思い通りにコントロールすることはできません。他人が、自分の思ったとおりに行動してくれないといって いくらイライラしても、悲しくなっても、恨んでも どうしようもありません。他人の行動をコントロールしているのは、その本人なのですから、「私」には変えられません。適切なコミュニケーションを取って、「もし良かったら、こうしてくれないかな?」とお願いすることは出来ますが、それを聞いてくれるかどうかの決定権は 相手が握っているのです。要求を聞いてくれなかったら、あきらめるしかありません。それをどうにかしたいと思うから、辛くなるのです。過去にせよ、他人にせよ、このようにどうしようもないことをどうにかしようとしていると 辛くなるのです。「どうしようもないことをどうにかしよう」と考えるって、すごく非論理的ですよね。そう。実は 人間、非論理的に考えると 辛くなって来るのです。非論理的に考えると、気分が落ち込んできます。例えば、「さっき、悪いことがあったから 今から 悪いことばっかりが 立て続けに起こるだろう。」と非論理的に 考えてしまうと気分が落ち込みます。よく論理的に考えてください。さっきあった「悪いこと」と 今から起こることとに 何の因果関係がありますか?何も、因果関係がないのに、「そうなるかもしれない。」と考えると、ますます 気分が落ち込みます。自分のその時の気分に流されて、非論理的に考えると、このように 不愉快さが倍増されるのです。論理的に考えたら、一回「悪いこと」があったとしても、その後どんなことがあるかとはまったく関係がないつまり、良いことが起こる可能性もたくさんあるしもっと、論理的に人間の認知について考えを巡らすと捉え方によって物事は変わってくるので どんな出来事でも「自分にとっての良い側面」を発見したりします。そうすると、さっきあった「悪いこと」にも 良い面はたくさんあるし今から、起こることにも必ず良い側面は存在するのです。つまり、実は、今から かなり良いことが起こってくる というのが正解なのです!!このように、論理的に考えると 気分が良くなってきます。また、こんな非論理的な考え方もあります一人の女性に告白して ひどい振られ方をしたので「俺って、女性にはもてないんだ。 世界中の女性が自分を嫌っているんだ。」とかある女性から ひどい目にあって「もう、女なんか信じられない」とかメチャクチャに 一般化してしまうのです。私も、若い時に似たような 非常に非論理的に 悲観的に 予測したものですが、こんな馬鹿なことはないですよね。今中年の私に言わせると たで食う虫も好きずきで どんな男性にも好きになってくれる女性は出てくるものです。贅沢さえいわなけりゃ。笑一人の女性がひどかったからって 女性が誰もがひどいって 他の女性に対して不平等です。ゆっくり考えれば、こんな考え方が ひどく非論理的だと分かりそうなんですが、気分の落ち込みがひどい時には、どうしても非論理的に 悲観的に考えがちです。そんな時には、カウンセラーに助けてもらいましょう!一人では抜け出せなくとも、援助してもらえば 抜け出せるものです。逆に論理的に考えると、とても気分が良くなってきます。道徳的な観念とか「こうすべきだ。」という縛り的観念に縛られて行動すると、気分は悪くなります。道徳的思いこみや、「べき」という縛り的観念は、非論理的だからです。自分の行動を律する時は、そういう思いこみに左右されるのではなく、状況を吟味して、自分で論理的に「どう行動したら、私にも、相手にも、そして周囲や社会にも良い結果を及ぼすか?」という基準で考えて決断するのです。自分にも、相手にも、そして周囲にも良い影響を及ぼす行動こそが、適切な行動なのです。論理的に 適切な行動を考えて決断していきましょう。自分で考えて自分で決断するのです。もちろん、他人の意見を参考にしてもいいのですが、最終決断は自分がします。電話カウンセリングの「電話こころ相談室」http://yukiduke.indent.jp「熊本こころ相談室」http://yukiduke.racms.jp
2009年06月18日
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私がチーフカウンセラーをしている「こころ相談室」では、全国からの電話相談を受けています。電話カウンセリング初回は30分無料(7時~19時)です。まず時間をご予約下さい。※予約電話 096-384-3181 予約受付時間:午前9時~午後7時セッション中などでつながらない時は、留守録にお残しになるか、メールhiro@yukiduke.jpでご連絡をいただけるとうれしいです。「電話こころ相談室」は16年の心理カウンセリング研究・実践の歴史を持つ勇気づけの会の電話相談室です。勇気づけの会は はじめ アダルトチルドレンや共依存で苦しむ人たちの自助グループとしてスタートしました。ですから、問題を抱えたり、悩みで苦しんでいる人たちが どれほどカウンセリングの救いの手を求めているかを 悩みや問題を克服してきた私たちだからこそ 十分に分かっているつもりです。悩んでいるのはあなただけではありません。そして、その問題は十分に解決可能かもしれません。「電話こころ相談室」の電話カウンセリングは、電話でお話ししながら、心理カウンセリングと心理セラピーを通して 様々な悩みや問題の解決に向けて ご相談にのります。あなたの悩みをご相談下さい。ていねいにお聞きします。あらゆる不安、『死にたい』気持ち、うつ状態、心の痛み、幼少期のトラウマ、失恋、恋愛の悩み、浮気,離婚、暴力、DVなど、どんな悩み・問題でも お聞かせ下さい。心理カウンセリングで解決までサポートします。他の電話カウンセリングと違い、ただ話を聞くだけ ということはありません。的確な心理カウンセリングの技術と心理セラピーで 絶望感や生きる事への迷いなど、の改善を、的確な行動変化、適切なコミュニケーションの仕方の習得などをお手伝いします。電話カウンセリングを通して 共依存の克服 アダルトチルドレンの克服 人間関係の改善 自信を取り戻すこと コミュニケーションの訓練 などもお手伝いしています。1、まずは電話カウンセリングを受けてみて下さい 電話カウンセリングは、初回30分(7時~19時)を無料で受けることができます。 まずは受けてみて下さい。カウンセラーと30分話してみて、その後 電話カウンセリングを続けるかどうかをお決め下さい。 一度話してみないと、その具体的な感触は分かりませんよね。 その具体的な感触を得ていただくために 当相談室では、初回電話カウンセリング30分を無料にしています。2、低料金で受けやすい料金体系 ○7時~19時:60分…4000円(延長15分1000円)初回30分無料 ○19時~22時:60分…6000円(延長10分1000円) ○22時~翌朝7時:応相談。前日までにご予約下さい。※電話料金はクライエント様がお支払い下さい。※振り込み口座 ・肥後銀行 松橋支店 普通1550547 ホンゴウヒロナカ ・郵貯銀行 記号番号17170-23330791勇気づけ研究会※2回目以降は、カウンセリングの前に料金をお支払い下さい。3、受ける回数、頻度は自由 受ける回数、頻度はクライエントさんが自由に設定します。 カウンセリングの主導権を握っているのは、あくまでもクライエントさんです。 そして、それなりの効果を期待する場合は、ある程度の回数のカウンセリングが必要です。例えば週に一回のペースで3ヶ月、その後1ヶ月に一回のペースで…など。 よほど軽い問題ではない限り、1,2回のカウンセリングでは改善しません。また、それほど軽い問題だったら、わざわざ電話カウンセリングを受けようとは思わないのではないですか? 解決すべき重要な問題だから よし!電話カウンセリングを受けてみよう!と思われたのではないですか? ぜひ、腰を据えて 未来を長く見通して ある程度の回数のカウンセリングを受けてみて下さい。定期的な電話カウンセリングは驚くほどの変化を約束してくれます。4、まずはご連絡下さい。 予約電話 096-384-3181(「こころ相談室」) E-メールhiro@yukiduke.jp
2009年06月17日
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「太陽は、 太陽の方へ進んでゆく人の前に、現われてくる」宗教改革で有名な マルティン・ルター の言葉です。あの巨大なバチカンの壁に挑んだルターそのルターが、まず苦しんだのが、神と人間である自分との関係 人間がどういう時に正しくなれるかという問題(『神の義』)だったといわれています。長い間考え、苦しみ続けた彼は、まさに天恵のような光のような理解に達した。と言われています。(『塔の体験』)ルターは 人間は良い行いをすることによって正しい存在になれるのではなくて、信仰によってのみ正しい存在になれるのである、つまり、人間が正しい存在になれるのは、すべて神の恵みであるという理解に達し、ようやく心の平安を得ることができた。と言われています。自らの課題に正面からぶつかり続けて、「光のような理解」を得た ルターらしい言葉ですね。あなたが望む「太陽」は どんな「太陽」ですか?あきらめずに、太陽の方向へと歩み続けませんか?遅くともいいじゃないですか?人と比べる必要はありません。きっとあなたにも「光の瞬間」はやってきます。そして、その時から、あなたには「心の平安」も訪れるのです。熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月17日
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「成功した人は、普通の人ならその困難に打ち負かされるところを、 反対に喜び勇んで体当たりしている。」 あの松下 幸之助氏の言葉です。ですよね。困難にぶち当たった時に、くじける人、逃げる人は、どんな物事もうまく行かないでしょう。逆に「喜び勇んで体当たり」する。いいですよね。さすが、松下幸之助氏。カウンセリングやコーチングでも、たまに、困難をカウンセラーやコーチに取り除いてもらおう、何とか解決してもらおうと思ってやってくる人がいます。無理です。その人の問題を、他の人が取り除いたり、解決したりは出来ません。そんな魔法は存在しません。でも、その人が、「自分で解決しよう。」と決断されたら、つまり体当たりしようと決められたら、いくらでも援助のしようがあります。全ては、本人の体当たりから始まるのです。熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月16日
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「反省は百害あって一利なし」です。私たちは反省なんかしません。「え?なんてひどいやつだ。」「反省もしないで、どうやって改善していくんだ。」などと思われたりした方。もしいらっしゃったら、誤解です。私たちは、失敗した時に何もしないわけではありません。失敗した時や不適切なことをしてしまったと気づいた時には、むしろ積極的に行動します。☆失敗や不適切な行動をした時にすること1:謝罪 周囲に迷惑を被った方々がいたら、謝罪します。謝罪は「私が悪うございました。」という意味でするわけではありません。誰が悪かったとかいうことを断罪しても、何の役にも立ちません。ましてや自分が悪かったなどと自分を責めても、前向きに行動していくためのエネルギーがそがれてしまうの逆効果です。そうではなくて、謝罪は相手の心を癒すためにやるのです。「嫌な気持ちにさせましたね。ごめんなさい。」相手の心を癒すことが主眼なのです。自分が悪いとか悪くないとか、そういうことはどうでもいいのです。反省というのは「自分が悪かったと自分を責めること」、謝罪は「相手の心を癒すこと」なのです。2:原状回復失敗や不適切な行動をして、何か破壊的な結果を残していたら、出来る限り自分の責任で元の状態にもどします。例えば、硝子を割ったら、割れたガラスを片づけて、新しい硝子を入れます。業者に頼むかもしれませんが。出来る限り、元に戻すのは自分の責任です。3:再発防止の努力次に同じような失敗を繰り返さないように、十分に再発防止策を立てて、実効させる必要があります。口で言っただけでは不十分です。反省して自分を責めただけで終わると、再発防止どころか、逆に失敗を繰り返します。ありませんか?何度も反省しているのに、「またやっちゃったよ。」ということ。反省どころか、周囲の人にその失敗を責める人がいると、この繰り返されるという現象がより強化されます。ある失敗を責めると、実はその失敗を強化して、繰り返させてしまう働きがあるのです。だから、私たちは反省もしないし、他の人の失敗も責めないのです。逆効果だから。自分を責めて、エネルギーをロスさせるよりも、高いエネルギーのまま「よし 次はこうしてうまくいかせるぞ!」と未来に向かって、うまく行っている自分をイメージするのです。さあ。どこに反省する必要がありますか?謝罪して、原状回復して、再発防止をすれば十分じゃないですか?というか、それこそが自分も周りのみんなも望んでいることでしょう?さあ、反省して自分を責めてやる気をなくしたり、他人に反省を求めて、他人のやる気をなくさせる、不思議な習慣から抜け出しましょう。熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月14日
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性格は変えられます。ただ、自分を変えたくない人や、「性格や癖は変わりにくい。変わらない。」という世間一般の常識から抜けられない人は性格や癖を変えることは困難です。というか、変えられないと思っている間は 絶対に変えることは不可能です。しばらくの間、私自身がそうでした。他の心理学の本を読んだりして、環境決定論的な考えに染まっていましたので「性格は変わりにくい。」「性格は幼児期に決定される。」という世間の常識に近い考え方が抜けなかったからです。過去の経験や生まれつきに原因を求める考え方が抜けなかったので、「自分のこのいやな癖は、なにが原因だろう。」と思うばかりで「この癖はなぜ直らないんだろう。」と悩んでばかりいました。過去や生まれつきに原因を求めても解決にはまったく結びつかないのにです。だって、生まれつきも過去も変えられないじゃないですか。「人間はそんな運命のようなものに翻弄されるような弱い存在じゃない。自分の人生は自分で決定できる。」「今の自分を、生まれつきや、父母のせいや、過去の環境のせいにするのをやめよう!」と思った瞬間から、私は自分の性格を変えていきました。そう、そして同時に、自分の人生の流れを大きく変えていったのです。どんな生まれつきだろうが、どんな子ども時代を過ごそうが、そして今どんな環境に囲まれていようがそれに対して 主体的に決定して行動して変えていく力が人間にはあると信じています。「7つの習慣」で、著者のコビーが同じようなことをいっていますが、当然です。コビーがこの本の中で礼賛しているフランクルは、私と同じアドラー心理学実践者なのですから。もし、性格を変えたければ、もし、人生の流れを変えたければ、今の自分を、他のものにするのをやめましょう。もちろん、他のものの影響は受けてきたのです。特に親の影響は大きいものがありました。それは否定しません。しかし、その影響を受けて、今の自分を作ってきたのは自分です。影響は単に影響に過ぎません。決定権は自分にあるのです。私と同じように子ども時代、虐待を受けて経験のある人が、何かを恨みたくなる気持ちも分かります。しかし、人生を変えたければ、過去の恨みだけに固執するのではなく、自分の未来に目を向けましょう。「どんな自分になりたいのか?」自分の性格を変えていく、目標。方向性を決めましょう。もちろん、自分だけでは見当もつかないなら、カウンセラーや 尊敬できる人と話して決めてもいいのです。性格を変えていく方向性を決定しましょう。それが第一歩です。熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月14日
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アドラー心理学の理論3 7 使用の心理学アドラー心理学では、その人が「何を持っているか?」にはこだわりません。その人がどんな能力を持っているか、あるいは、どんな能力がないかなどということに興味がないのです。人はそれぞれ生まれたときから持っているものがあります。生まれつき足が速い人もいれば、生まれつき頭の回転が速い人もいるでしょう。そして、障害を持って生まれてきている人もいます。しかし、そんなことは問題ではないのです。というか、他人との比較の中で、自分にはどんなことが足りないとか考えても始まらないではないですか?持って生まれてきたものをいかに上手に使って幸せに生きていくか?使い方、そう「使用」が重要なのです。ましてや、人間の使っていない潜在能力のいかに多いことか。自分に「あれがない。これがない。」と嘆く前に、その使われていない「潜在能力」を活用しましょうよ!というのが我々の主張なのです。潜在能力を使い出したとき、不思議なことが次々と起こりますよ。人間とはほぼ無限の能力を持った存在なのです。そして、ライフスタイル(ライフパターン=性格)を変えるというのも、ライフスタイルの中にあるものを変えるということじゃないのです。中にあるものの使い方を変えましょうよ!というだけなのです。カウンセリングでライフスタイルを変えていく作業中に「自分が自分じゃなくなっていくような気がする。」ということをおっしゃる方が以前は、かなりいました。(最近はいらっしゃいません。私のカウンセリングが変化したのかな?)これは単なる抵抗なのです。ライフスタイルを変えていくというのは未知の世界に入っていく作業ですから、怖いのです。ですからつい抵抗してしまいます。そして「自分が自分でなくなってしまう」という感覚を使って抵抗するのです。でも、ご安心を。自分を別な「存在」に変えるわけではないのです。自分の中にあるものを違った使い方をするだけなのです。ライフスタイルとは、自分の中にある能力や様々な機能の使い方の設計図なのです。設計図を変えても自分は自分のままですよ。「あの人は子どもっぽい人だ。」ではなくて「あの人は子どもっぽい行動をよく使う人だ。」「あの人は穏やかな人だ。」ではなくて「あの人は穏やかな方法をよく使う人だ。」というのが正確な表現なのです。何を「所有」しているかが問題ではなくて、どのように「使用」しているかが重要なのだと私たちは考えます。そして、「私ってこういう人間だから。」と、自分らしさ?にこだわられる方がいらっしゃいますが、それって、自分らしさじゃなくて、単に使い慣れた「考え方」を使っているだけかもしれません。たまには、違う「考え方」「ものの見方」も使ってみませんか?何か違った世界が展開するかもしれませんよ。(^-^)熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月13日
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私たちが精神的支柱にしている、アドラー心理学アドラー心理学ってどんな心理学でしょう。アドラー心理学の理論 その2です。6 全体論アドラー心理学は正式名称個人心理学(Individual Psychology)といいます。アドラーというのはこの心理学派を創設した人の名前が、アルフレッド・アドラーと言ったからです。創始者であるアドラーは、自分の心理学のことを 全体論に則っているからという理由で個人心理学と呼びました。これには訳があって、Individual PsychologyのIndividualには「分割できない」という意味が含まれていて、フロイト精神分析の人間の精神を「イド」「エゴ」「スーパーエゴ」と機械的・構造的に分割する考え方を批判して人間は統合された個人なのだと主張するためのネーミングだったのです。人間が分裂した存在だって?そんな馬鹿な。意識と無意識が正反対のことをやっているだって?そんな馬鹿な。人間は分割できない相補的な統一された全体だ。と私たちアドレリアンは主張します。これを全体論といいます。当時は画期的な考え方だったのですが、現代では常識になりつつあるかもしれませんね。ほら、ホリスティックっていう考え方ですよ。その人が何と言おうが、どんなことを意識で考えようが、その人のやった行動そのものがその人のやりたかった行動なのだ。とアドラー心理学では考えるのです。そして、もしも、意識している考えと無意識的な行動が相反しているならば、それは「その人が相反しているように見えた方が都合がいい。」と判断した(無意識的な判断かもしれませんが)からだと私たちは解釈するのです。つまり、「学校には行きたいんだけど、どうしても行けない。」と主張する子どもがいたら、「ああ、学校には本当は行きたくなくて行かないんだな。でも、そのように率直に表明するとまずいとこの子は判断して、意識では『行きたい』と思うことにして、無意識的に行けないという症状を出しているのだな。」と解釈するのです。「行きたいけど、行けない。」というようにその子が感じているのは嘘じゃないでしょう。しかし、その子全体として下している決断は「学校に行かない!」という決断であり、行かないという行動を選択しているのです。意識と無意識的働きは、一見矛盾した働きをするように見えても、究極的には、ブレーキ役とアクセル役をしているだけで、最終的な結果に向けて協力して働いているのです。その人が何を言っているかとか意識で何を考えているかは重要ではありません。何をしているかが重要なのです。実際の行動こそ、その人が「全体」として下した決断の結果なのです。だから、アドラー心理学は精神内の葛藤を認めません。葛藤があるかのごとく感じているだけです。葛藤があると思った方が都合がいいだけだと考えます。人と人との間には葛藤は生じます。違う人間ですから当然です。しかし、一つの統一体である人間個人の内部には葛藤などありません。というふうにアドラー心理学では考えます。これは、世間一般の常識とはかけ離れているので最初は抵抗を示す人がかなりいます。私もそうでした。でも、長くというか1年くらいアドレリアンをやっていると、「あったりまえじゃん!!心の中に葛藤なんかあるわけないじゃん。」ってことになってきます。もちろん、葛藤らしき迷うような感覚を感じることはあります。その「葛藤のような迷うような感覚」を、私は何らかの目的があって使っているのです。何のためでしょう?もしかしたら、気づくかもしれません。熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月12日
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私やうち(こころ相談室)のカウンセラーのカウンセリングの理論的支柱の一つがアドラー心理学です。アドラー心理学というのは、1870年にオーストリアのウィーンに生まれた一人のユダヤ人男性によって作られた心理学で、正式名称は個人心理学と言います。くわしくは→http://yukiduke.jp/Adler__Alfred/index.htmフロイトとの色々な確執もあって、最も古い深層心理学であるフロイト精神分析のアンチテーゼとして発達しました。そのアドラー心理学の理論をちょっと書かせていただきます。難しいかもしれないので、苦手な方はパスして下さい。アドラー心理学(個人心理学)の理論1 人間主義アドラー心理学では、人間の精神作用には、人間だけに見られるユニークな法則があると思っています。フロイトが動物や機械のような一般的な法則が人間の精神にもあると思ってその理論を作り上げていったのと対照的に、アドラーは動物や機械に当てはまることが人間に当てはまるとは考えませんでした。アドラー心理学は個性記述性の心理学なのです。アドラー心理学は人間は一人一人が違うユニークな存在だと信じています。人間を知ると言うことは、人間全般に成り立つ法則を発見することではなく、一人一人を動かしている個別のその人独特の法則を知ることだと考えているのです。このように、アドラー心理学は徹底的に人間主義です。「アドラー心理学は一貫して人間学的であり、物理・化学・動物学にもとづくアナロジーを拒否する。」(H.L.アンスバッハー)2 機能主義人間の精神を知ると言うことはそのはたらき(機能)を知ることです。人間の精神の内部構造を分析することはあまり意味がないと考えています。これもフロイトが人間の心を「エゴ」「イド」「スーパーエゴ」のような各要素の構造論として展開したのと対照的です。その人間(人間一般ではなくて)の一つ一つの行動が、その人の人生の流れの中でどのような意味があるのか?ということを考えます。そして、その人のその人独特の人生の運動法則のことを「ライフスタイル」とか「ライフパターン」と呼ぶのです。「アドラー心理学は二重の意味で預言的である。 第一には、その人の今後の人生に起こるであろうことを予見するという意味で。 第二には、今後予想される災難を回避するために、今何をすればよいかを預言するという意味において。」(アルフレッド・アドラー)私たちがライフスタイル(ライフパターン=性格)を知ろうとするのは、その人の今後の人生がよりよくなるように援助するためです。3 目的論物事には原因があります。しかし、アドラー心理学では原因を知ることをあまり重要だとは考えていません。なぜならば。何かを原因とする「こと」はすでに起こってしまったのです。そんな過去に存在する「こと」とその原因なんかを探ったって、ほとんど役に立たないと考えているからです。それに、一つの現象の原因は百も二百もありますしね。全部を知って、変えることなんかできなでしょう。と考えるのです。アドラー心理学は、人間とは自ら設定した目標(Goal)に向かって主体的に行動していく存在である考えています。あらゆる行動には目的があります。しかし、多くの人はその目的を無意識的に追求して行動しています。「どうしてこんなことをしてしまうんだろう?」と言う人がいます。自分の行動の目的を意識していないのです。(これがアドラー心理学で分析する無意識です。)人生の究極目標に向かうその人なりの道筋の設計図が「ライフスタイル(ライフパターン=性格)」です。自分の究極目標を知り、その設計図に意識的になり、個々の行動の目的に意識的になったとき、実は、人は自分の人生を大きく変える転換点に立つことになります。○今まで通りの目標に向かって、変わりばえのしない行動を繰り返して、人生を変えなくてもいいし、○目標は同じなんだけども、今までの行動よりも効果的な合理的な建設的な新しい行動をやってみるようになるってことも可能だし、○違う目標に変えて生きていく道を見つけることもできます。4 実存主義(自己決定性)人間は変えられない運命に支配されている弱い存在ではない。遺伝や環境に縛られて身動きのとれないような弱い存在ではない。人間は、あらゆることを自分で決定して、遺伝の結果や生育歴の結果をうまく使って、外部環境をも変えていく運命の創造者であると、アドラー心理学は考えています。私たちは運命の主人公なのです。今使っている性格を変えることもできますし、人生の流れを変えることもできます。自分の決断によって行動を変え、周囲の環境さえ変えていける能動的な存在なのです。あらゆることを私が決定します。末期の癌にかかっていることが分かっても、その状況の中でどのような方向に向かってどのような行動を選択していくかという決定は私がするのです。5 責任性「私の人生の中で私が行動した結果起こることの全責任は私にあります。」と言える人が精神的に健康な人だ。とアドラー心理学では考えています。自分の行動の責任を自分で取ることが大事だと考えているのです。自分のことを子どもの頃の環境や運命の犠牲者だと思っている人は、責任回避をしているだけだと我々は考えます。責任回避をする人は、自分の人生の課題に責任を持って対処することから逃げます。逃げても逃げてもそこには幸福はないのを知らないのです。勘違いしないでください。環境や運命の犠牲者だと感じる人を責めているわけではありません。人間ですから、責任回避したい気持ちになることはあるでしょう。私自身が、昔は自分のことを子ども時代の生育歴の犠牲者だと感じていましたからそう。過去の私自身が責任回避していましたから、そういう人を責める気はまったくありません。あまりにもひどい機能不全家庭で育つと、つい運命や他人を呪いたくなるものです。ただ、ずっとそのままでは幸せにはなれないのも事実なのです。過去は過去として、今どんな行動をしていけばいいのか、建設的に行動していくほか幸せになる道はないのです。責任転嫁をしやすいものに次のA~Dの四つがあります。A 過去の原因(たとえば遺伝のせい、例えば子どもの頃の環境のひどさ)に責任転嫁しても幸せはやってきません。その原因は真実でしょうけど、そのことを受け入れつつ、「今、私が幸せになるためには、何をすればよいのか。」と今の状況に建設的に対処できるのは自分だけなのです。自分の責任なのです。B 現在のひどい人的環境(例えば無理解な上司、分からず屋の配偶者、どうしようもない社会・政治)の文句を言って、責任転嫁しても何も変わりません。そのような人的環境の中でも、環境や社会をより良くしていくために自分ができることは何なのか?ということを追求していけるのです。それが自分の責任なのです。C 感情や衝動の責任にしても何も解決しません。一般的には感情や衝動は不随意だと信じられていますが、本当は、不随意だと思っているから不随意のような働きをしてみせるだけです。本当は、感情も衝動もその人の目的のために道具として使われているだけです。実は、無意識的にかもしれませんが、自分が引き起こしているのです。ある目的のために。冷静になって考えてみてください。「私はなんの目的のためにこの怒り(あるいはイライラ、あるいは悲しみ、あるいは罪悪感)を使ったのだろうか?人によって違いますが、もしかしたら、その怒りは誰かを自分の思い通りにしたいために使ったのかもしれません。もしかしたら、その罪悪感は自分の行動の責任を取りたくなくて「いい子ちゃん」でいるために使ったのかもしれません。D 超自然的な力へ責任転嫁することもできます。運命とか、神とか、悪魔とか。勘違いしないでください。信仰を持つことがおかしいと言っているのではありません。私もある種の信仰を持っています。しかし、自分の行動の責任を「神」に押しつけようとは思いません。それは卑怯かもしれませんよね。「神」は信じていますが、私の行動の全責任は私にあります。熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月11日
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よくある相談です。「私は、怒りっぽくてしょうがないんですけど、性格変えられますか?」「自分に自信がなくてしょうがないんですけど、変えられますか?」「何かについて考えると、マイナス思考で暗くなってしまうんですが、こんな自分は変えられますか?」結論から言うと、変えられます。 性格は変えられます。 性格のことを人生を生きていくための設計図人生という海路をたどっていくための海図人生という劇を上演するための脚本 と表現してもいいのですが。 その人生の脚本を変えることができます。 ところが、多くの人は性格や癖を変えるのに大変苦労します。世の中には性格や癖は変えられないという常識さえあります。 どうしてでしょう? 心理学的に正確に言うと 実は、人間の性格や癖は本当はとても変わりやすいのです。 だって、毎日毎日新しい情報が入ってくるし、新しい経験を積んでいるのですから変わらないほうがおかしいのです。 それが、実際はなかなか代わらないのはなぜでしょうか? それは、僕たちが 無意識的には「性格を変えたくない」いや「絶対性格は変えないぞ!」と決めていて、 毎日毎日、性格を変えないための努力を無意識的に行っているからだ。と言ったら、みなさん驚きますか? 人間ははその変わりやすい性格が実際に変わってしまうことに無意識的に(もしかしたら意識できる人もいるかも)恐怖を覚えます。 この「性格を変えるのは恐い」という思いは非常に強く、だから性格や癖を簡単に変える人が少ないのです。 なぜ恐いのでしょう? だって、いままで使い慣れた性格や癖なら結果がどうなるか(どんなに悪い結果でも)予想がつくのですが、変わってしまったらどんな結果になるのか分からないですから、恐いのは当たり前です。人間分からないもの予想がつかないものほど恐いものはありません。 未知のものは怖い 皆さんだって、どれくらいの深さがあるか分からない穴に、なにがあるか分からない穴の中に飛び降りるのには相当な恐怖があるのではないですか? 理性的に考えると自分の不利になるような癖でもそれを変えるのは未知だけに大きな恐怖なのです。 例えば、人から馬鹿にされたり、さげすまれたりする癖でも、それを解消するのには恐怖を覚えるのです。 だって、変えてしまったら、もっとひどい状態にならない(例えば馬鹿にもされなくなる。まったく相手にされなくなる。)とだれが保障してくれますか? それで、人間は性格や癖が変わらないように変わらないように日常励んでいます。あくまで無意識的にですよ。 この傾向は人生の中でずいぶん長い間続いているものですから、自動的な働きになっているぐらいです。 自転車の運転と同じです。子どもの頃初めて自転車に乗った頃は意識して自転車の乗り方を覚えたものです。 しかし、ベテランとなった今ではほとんど無意識に体のバランスを取って、自分の進みたい方向へ自転車を運転するのです。 同じように変わろう変わろうとする性格や癖を、僕たちはほとんど無意識に変わらないように維持しています。それで性格や癖は変わりにくいのです。 性格や癖が本当は変わろう変わろうとしていて、 人間のほうがその変わろうとする傾向を押しとどめているのだということが分かると、性格や癖は変える準備ができたことになります。 実際に変える場合にはいくつかのコツがあるのですが、それはまた後で述べます。性格は変えられるその2に続く熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月11日
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近江商人の心得に「三方良し」と言われる原則がある。「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」ということを近江の商人の方々は商売の原則にしていたのだ。さらに、複式簿記、チェーン店展開などは近江商人が生み出したと言われています。その流れから生まれて現在も活躍している企業には、三越、東レ、高島屋、西武、ワコール、大丸、伊藤忠、トーメン、丸紅、日清紡、東洋紡…などなどがあります。すごいですよね。そして、「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」という原則が何よりもすごい!自分が儲けるだけではダメなのです。商売の相手や消費者もOKじゃないとダメなのです。当然ですよね。商売の相手やサービスを買ってくれる消費が満足してこそ、末永くうまく行くのです。特筆すべきはそれだけじゃないということです。「世間良し」なのです。つまり社会にとってもよい子とじゃないとダメなのです。どんなに売る方と買う方がよくても、世間様に迷惑をかけるような取引はダメなのです。社会に貢献するような会社が伸びるのです。この「三方良し」は、アドラー心理学の原則にもピッタリとマッチしています。アドラー心理学の幸福の条件は、1:自分を受け入れて、自分のことが好きで2:周囲の人々や人間というものを基本的に信頼していて3:周囲や社会に貢献していると感じているという三つの条件をある程度満たしている時人は幸福を感じるというものです。「売り手良し」…自分のことが好きになるでしょうし、自分に自信がつくでしょう。「相手良し」…相互の信頼関係が強固になりますし、相手のことを信頼しているからこそ、相手にもよいことをするのでしょうし、さらに相手を信頼するようになるでしょう。「世間良し」…世間に迷惑をかけるようなことをすれば、社会に貢献しているどころではありません。世間にとっても良いことだからこそ、貢献感を向上させます。さあ、近江商人の心得「三方良し」を、人生の心得にしましょう。どんな人と関わるにしても、自分にとって良くなるようにしましょう。自分を必要以上に犠牲にしてはいけません。それは共依存です。相手にとっても良いようにしましょう。自分が得することばかり考えて相手に迷惑をかけてはいけません。そして、自分も、相手も良くても、そのことが周囲や社会にとっても良いことかどうかを考えましょう。これで、人生ばっちりです!!
2009年06月10日
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「人間は誰でも自分がいちばん大切なのです。 そして、そのことをほんとうに自覚した人間だけが、 自然なかたちで他人を大切に思うことができる。」小説家、五木寛之さんの言葉です。あのお釈迦様(ゴーダマ・シッタールタ)も生まれて来た時、天と地を指して、「天上天下唯我独尊」と言ったといわれています。伝説でしょうけど、仏教の教えの中心であるのには間違いありません。人は皆、自分のことが一番大切だし、そして、大切に出来た時に、他人を尊重できるようになるのです。交流分析では、このことをOK牧場(誰かのギャグじゃありません)と呼び、人の立場を牧場に例えて1:私はOK、あなたもOK2:私はOK、あなたはOKじゃない3:私はOKじゃない、あなたはOK4:私はOKじゃない、あなたもOKじゃないの四つのフィールドに分けます。1の立場の「私はOK」が本物の自己肯定で、2の立場の「私はOK」は偽物です。本当は自分に自信がないのです。だから、自分以外の人間をけなします。自分以外の人間の欠点をあげつらいます、失敗を責めます。社会の至らなさを嘆いたりまします。え?2の立場は、マスコミがよくやっているって?ええ。当然です。基本的なマインドは2の立場の人がそれだけ世の中に多いのです。だから、マスコミも商売ですから、2の立場で放送すれば、受け入れられやすいのです。だから、犯罪者を責め、政治家を責め、官僚を責め、社会の心ない人の悪行を責めるのです。そして、それを見た人は、自分はまだマシだと安心するわけです。どこかの誰かがすばらしい行為を行ったことを放送することもあります。マスコミの中にも「私はOK、あなたもOK」のスタンスの人がいるし、それを受け入れるスタンスの視聴者やスポンサーもいるのです。さて、3の立場がひどくなると、自己否定からうつになってしまいます。3の立場は、2の立場と表裏一体です。同じ自信ない同士、プラスとマイナスをやっているのです。だから、相手によって、2の立場になったり、3の立場になったりします。3の立場から抜け出すために、他人との比較、優越感を利用して、2の立場に行こうとすることは、あまりお勧めではありません。偽物の自己肯定だからです。がんばることによって、「成功者」になることによって、金持ちになることによって、優越感を感じて、2の立場に行っても、うーーん。幸せはあんまり感じませんよ。偽物の自己肯定はとてももろいものです。周囲から見て、自信満々の人が、あることをきっかけにがたがたに崩れるのはそのせいです。安定した自己肯定を手に入れるためには、自分を本当に大切にする考え方やコミュニケーション術を身につけることです。人は人との関わりの中でしか、自分自身を確立できないからです。そして、その考え方やコミュニケーション術を適切なものに代えていくのがカウンセリングであり、定期的に行うことで水準を維持するのがコーチングなのです。熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月10日
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頑張れば頑張るほどダメになることがあります。例えば、たばこをやめよう、やめようと頑張るほどダメになります。ダイエットをしよう、しようとするけど、ついつい食べて、逆に体重が増えます。勉強を頑張ろう頑張ろうと思うのに、逆に、なぜだかサボってしまい、勉強に手が着きません。つい遅刻してしまう自分を叱っても叱っても、またつい遅刻してしまいます。実は、このような「頑張れば頑張るほどダメになる」のは、精神の一般的法則なのです。この法則については、18世紀末から19世紀初頭に活躍した 自己暗示法の創始者 エミール・クーエが明らかにしています。クーエは、「ある考え(=想像)を意志の力でおさえようと努力すれば、その考えをますます強めてしまうだけである。」と表現しています。「何かをやめる」という精神の動きは、必ず、その何かをしている自分を想像して、それをやめるという二重の作業になります。そして、その一重目の作業で必ずその何かをしている自分をイメージしてしまうのです。そして、そのイメージを意識の力で押さえ込もうとすればするほど、イメージは強まって、固定してしまうのです。今の自分の、今の現状に不満な自分がいます。このこと自体は、人間の自然な傾向なのでいいのですが、その「なっていない」現状に注目して、それを改善しよう改善しようとすればするほど、改善にはほど遠し状態になってしまうのです。ですから、不満な現状に注目しないで、別なものに注目した方がいいのです。別なもの?そう、例えば、未来のある日、その不満な現状を乗り越えて、まったく気にならなくなっている自分をイメージするのです。そして、そのイメージを肯定的な表現で言葉にするのです。そして、そのイメージの状態に日々変化して行っている というような 言葉 にして不満な現状に注目しちゃった時に、注目をやめて 肯定的なイメージを想像したり や 言葉を唱えるのです。例えば、たばこをやめたいならば、新鮮な空気だけを吸っている未来の自分をイメージするのです。そのイメージの中で、例えば、自分の目に見える緑の木々をありありと見ます。例えば、小鳥のさえずりや風の音をありありと聞きます。そして、例えば、清浄な空気だけを吸っている自分の肺の気持ちよさをありありと感じるのです。そして、このイメージを言葉にします。例えば、「私はきれいな空気だけを吸っています。」と未来の自分を表現します。そして、「私は、きれいな空気だけを吸う習慣を形成しつつあります。」と、その未来に向かっている現状を言葉で表現します。そして、つい たばこを吸うのをやめたい ということに意識が行った時に、上記のイメージを想像したり、上記の二つの言葉を唱えたりするのです。例えば、恋人や配偶者がいない現状が不満で、恋人が出来ないかな。と願っている人がいるとします。「恋人が欲しい」とか「結婚したい」と言葉にしたり、思ったりするのは、逆効果です。恋人がいない状態、結婚できていない状態を強化するからです。「欲しい」「たい」という表現は、それを達成していないという現状を表す言葉だからです。「私は恋人を作る!」「私は結婚する!」と言葉にしたり、思うのです。また、他の人に恋人がいたり、配偶者がいることをうらやましく思うまではいいのですが、それに比べて相手がいない自分に思いをはせると、強力なブレーキになります。「あの人はいいなあ。私もそうなるぞ!」と思うのです。つい、相手がいない自分についていろいろと考えてしまったら、すぐさま違うことをするのです。例えば、未来のある日 自分に相手が出来て、楽しく時を過ごしているところをイメージするのです。そして、例えば、その相手と楽しく食事をしているレストランの様子を見るのです。例えば、その時に聞こえる 楽しい会話や笑い声や流れている音楽を聴くのです。例えば、その時の自分の幸せなほんわりした感覚を感じるのです。例えば、その未来のイメージを言葉にして唱えるのです。例えば、「私は素敵な人と楽しい日々を送っています。」という言葉にして、例えば、その未来に向かっている現状を「私は 日々 未来の素敵な相手を引き寄せています。」という言葉にして何回も何回も唱えるのです。唱える数が多いほど達成する可能性が高まります。みなさん、毎日頑張っているんだけど、なかなかうまく行かないことや 頑張れば頑張るほどダメになっていることってないですか?それは、クーエの法則「ある考え(=想像)を意志の力でおさえようと努力すれば、その考えをますます強めてしまうだけである。」にはまってしまっているのかもしれません。そんなときは、専門家に手伝ってもらって下さい。(自分だけでは難しいかも。)驚くほどうまく行くかもしれませんよ。熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月10日
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ストロークというのは直訳すると「なでる」という意味です。交流分析では、人が人に与えるコミュニケーションの単位を「ストローク」と呼びます。そして、人をほめたり、「好きだよ。」と言ったり、笑いかけたり、頭をなでたり、抱きしめたりするような、もらった人が快を覚える「ストローク」をプラスのストロークと呼びます。逆に、叱ったり、冷たい目で見たり、「あっち行け!」と言ったり、睨みつけたり、殴ったりするような、もらった人が不快を覚える「ストローク」をマイナスのストロークと呼びます。プラスのストロークはだんだんと自分の中にたまっていって、自己承認とか自尊意識とか自信とかにつながって生きる力や意欲になっていきます。これを「ストローク銀行にプラスのストロークが貯まる」と表現します。マイナスのストロークは 逆にこの貯まった貯金を食いつぶします。ストローク銀行にたくさん貯まっている人は、打たれ強いし、ストレスに強いし、エネルギーがあります。では、どうしたらストローク銀行に貯まるのでしょうか?まずは自分をほめましょう。何でもいいのです。自分をけなす癖がついている人は なかなか難しいのですが、がんばってほめましょう!!そして、自分の長所に注目しましょう。短所に目をやる 短所に注目する必要はありません。(というか、短所は実はそのままで長所なのですが…それは別の機会に記述します。)自分を勇気づけましょう。ほめるのは、何か良いことがあったときにしかほめられませんが、勇気づけるのは失敗したときや 何でもないときにでもできるものです。一見して失敗した時にも、「でも、がんばったじゃないか!」とか、「あの時には あんなにしかできなかったじゃないか。」と、慰めたり 勇気づけるのです。人は、その瞬間、瞬間に、ベストの選択・言動しかしないものです。過去の選択・言動は、全てベストのものだったのです。そして、たくさんプラスのストロークをくれる人のところに近づいていきましょう。そして、その人からのほめ言葉や勇気づけなどのプラスのストロークを跳ね返さないで しっかりともらいましょう。跳ね返すというのは、謙遜したり 笑ったり、聞き流したりして せっかくもらったほめ言葉や勇気づけを跳ね返すことです。謙遜したり笑ったり聞き流したり(この笑いは跳ね返すための笑いです。おかしいときや楽しいときの笑いはもちろん良いのです。)したら、せっかくのプラスのストロークを跳ね返すだけで、何の役にも立ちません。相手が、プラスのストロークをくれたら、好き嫌いをせずに、全部受け止めて、すっと自分の中に入れて、にっこり笑って「ありがとうございます。」と言いましょう。これが、相手からのプラスのストロークを自分の中に貯めるコツです。さあ。まずは、自分で自分をほめたり、勇気づけたりして、ストローク銀行に貯めましょう。他人からもらったプラスのストロークも どんどん積極的にもらって貯めましょう。熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月09日
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前回 「感情コントロール7」で、一定のパターンに入り込んでしまうと ついついそのパターンの流れに沿って行動したり そのパターンにふさわしい言葉をつい言ったりすると 述べました。そして、その一定のパターンの時に 激烈な感情を 特に怒り系の感情を覚えると「あ、またやってしまった」という感想を持つ。それで、多くの人が「自分は感情をコントロールできていない」と思ってしまう。と解説しました。それから抜け出す方法も ちょっとだけ示しました。今回は、そんな「嫌な感情パターン」に入りがちな人が よく持っているスタンスについて語ります。もちろんそれから抜け出す道も示します。嫌な感情パターンを繰り返す人で、基本的なスタンスに 次のようなスタンスを持っている人は、そのスタンスから抜け出ない限り 「嫌な感情パターン」からも抜け出ることは不可能です。1:自分の人生に明確な目標を持っていない2:自分の人生が充実していると感じていない 自分の人生を楽しんでいない3:過去の出来事に過度にとらわれている 過去の出来事を許せないと感じている4:他人のことが気になって仕方がない(親が子どもに対して とか 配偶者に対して とか)5:何かや誰かに対して強い恨みを抱いている6:達成すべき正義があって 不正義な存在に対して怒りを抱き続けているこのようなスタンスは、複数重なっている場合が多いのですが、とにかく このようなスタンスを持っている間はずっと「感情をコントロールできない」状態が続くでしょう。これらのスタンスを捨て去らないで、かつ感情もスムースにコントロールするというのは不可能です。(※このようなスタンスを持っていない人は 抜け出し方さえ知れば、「嫌な感情パターン」から抜け出すのは 簡単です。)え?このようなスタンスの捨て方ですか?まず、自分は自分の人生を生きる決意をすることです。目的地のない旅は存在しません。「生きる」のと「生かされる」のとは 雲泥の差があるのです。自分が本当にワクワクするような目標を持つことです。それは、何か明確なビジョンでもいいし自分らしい在り方でもいいのです。例えば、ビジョンを持つのが得意な人は自分がワクワクするビジョンを持てばいいのです。「10年後くらいまでに 自分のエステ店を持って、その店は広さがこれくらいで、従業員が二人ほどいて、こんな内装で、お客さんがたくさん来てくれて…」とか逆にビジョンを持つのが苦手な人は 自分らしさ、自分が譲れない理念をはっきりさせればいいのです。例えば、「私は、アウトドアで動き回りながら 数人のチームで その場で自分の仕事の貢献を感じられるようなことをしたい」という自分らしさが分かったら今後 そんな自分らしさを追求していくためにやることがはっきりしてくるはずです。自分の人生にワクワクしだし、やりたいことがたくさん出てきたら過去や他人や許せない何かや正義などにうつつを抜かしている暇はなくなります。そしたら、嫌な感情パターンに陥っている時間がもったいなくなります。自分の目標やビジョンや自分らしさを見つけてみたいと思いませんか?簡単なんですけどね。無意識を、ある方法で探ればいいだけです。一人では探れません。良いコーチを捜して下さい。熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月09日
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「大通りが無理ならば、ほんの小路でもよい。 太陽が無理ならば、星になれ。 成功と失敗を分けるのは大きさではない。 何になろうとも最上のものになれ!」アメリカの牧師にして、教師であり、哲学者・思想家であったラルフ・ワルド・エマーソンの言葉です。成功というのは、その人らしい人生の目標を達成したかどうかで決まります。成功は、オーダーメイドであって、一般的な成功は存在しません。その一般的な成功という「ないもの」を追い求め、世間で言うところの「成功」を手に入れようとすると、それはむなしい作業になるでしょう。目標のないところに 成功も失敗もありません。さらに言うと、失敗とは成功に向かっていく途中の段階に過ぎません。失敗からより多くのものを学んだ者こそが 最終的な成功へ達するのです。失敗したらラッキーです。成功へと一歩近づいたからです。最終的な目標から目をはずさないことです。きっとそれは達成することが出来ます。他人と比べるのはナンセンスです。他人には他人の人生があり、その人なりの「らしさ」があるのですから。もちろん参考にすることは出来ます。しかし、生きている人生は「私」の人生です。私らしさを発揮しましょう!その私らしい目標へと至る過程そのものが幸せであり、第一目標に到達することが 第一回目の成功第二目標に達することが 第二回目の成功そして……人生が終わるまで成長し続けるその姿が幸せの表れなのです。熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月09日
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「最高だけを望んでいると、最高のものが手に入るのが、 人生のおもしろいところだ。」旅をし続けたイギリスの小説家ウィリアム・サマセット・モームの言葉です。彼は幼い時に母と父を亡くし、引き取られた家では叔父と不仲で、しかも、吃音で人間関係も苦手で、苦しい子ども時代を送りますが、その後小説家として成功し、世界中を旅行して周り、91歳で亡くなります。恵まれない子ども時代を過ごしながらも最高の人生を手に入れた彼らしい言葉です。無意識は多彩で巨大で、大きなパワーを持っています。そして、その無意識を操縦しているのが ちっぽけな「意識」なのです。「意識」で何を望むのか。どのように望むのか。それで全てが決まるのです。例えば、自分が嫌なものや、避けたいものに意識を集中していると、その嫌なものや避けたいものが実現し続けます。だから、過去にあった嫌な出来事を漫然と思い出していると、同じようなパターンの嫌な出来事が何度も何度も起こります。でも、ひどい事故などのトラウマ的体験をした人に、「忘れなさい。」と言ってもそんな容易なことではありませんよね。だから、心理セラピーが存在するのです。適切な心理セラピーを施すと、ビックリするほどトラウマ的体験の記憶の影響を消し去ることが出来ます。そして、いつのまにか その嫌な出来事を思い出さなくなるのです。そうすると、同じような嫌なパターンの出来事が起こらなくなります。そして、最高のことを望むようにするのです。最高のことを望む。そう、今自分が一番望んでいる状況を、成果をイメージするのです。その状況や成果の達成が、今の自分には「可能だ!」と思えるものがいいです。だって、「不可能だ!」と自分が感じてしまうものをいくらイメージしても、無意識さんはその達成を成し遂げてくれません。だって、不可能だって思っているんですから。その状況を達成するのに、自分はふさわしいと思えるようなものがいいです。だって、「自分にはふさわしくない。」と感じていたら、無意識さんはその状況は「ふさわしくないから」と言って 達成してくれません。「自分に可能」で「自分にふさわしい」最高のものを望みましょう!必ず叶います。まあ、他にもコツがありますけどね。あ、「不可能」や「ふさわしくない」という心理ブロックも 心理セラピーで取れることがあります。熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月08日
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「人間十人十色ではなく、 実は夢のある人とそうでない人の二種類しかいない」高橋 慶一朗夢、Dream。日本人が夢というと、叶える見込みのない夢のような願望、叶えるのがとても難しい願望を指すことが多いようです。アメリカ人がDreamと言う時は、達成可能な人生目標のことを指すことが多いそうです。ここで、高橋さんが言っているのは、後者の実現可能な人生目標のことでしょう。「夢のない人」は、日々の出来事に翻弄されます。中には「自分が何をすればいいのか分からない。」人さえいます。「何をすればいいのか」はどこにも転がっていないし、どこにも書いていないし、誰も教えてくれないのに、「何をすればいいのか」を探そうとします。中田英寿さんが、自分探しのために世界中をうろうろしていましたが、とても典型的です。いくら探しても見つからないのに。「何をすればいいのか」は、自分で独自に作るのです。どこにもないのですから、探しても見つからないのです。自分で作るしかないのです。中には探すのすらあきらめて、起こる出来事に右に行かされたり、左に行かされたり、受動的な人生を送る人さえいます。中には、自分の人生をあきらめて、子どもの人生に干渉する人もいます。子どもの人生をいちいち心配して、コントロールしようとするのです。そして「私だけがどうしてこんな目に会うんだろう?」などと悲嘆にくれる人もいます。そんな質問を無意識に投げかけたら、強大なパワーを持つ無意識はリサーチを始めます。そして、確実に「その人がひどい目に遭う」という傾向だけは確定してしまうのです。ひどい目に会っているのは、自分が「私をひどい目に遭わせなさい」と命令しているからだと言うことに気づかないで 悲嘆を繰り返します。そして、「夢」がないために周囲に振り回されたり、周囲のことを心配したりするだけの人生を送り続けるのです。でも安心して下さい。自分の人生の夢さえ持てば人生は一変します。「夢のある人」は自分の目標に向かって日々進んでいます。今現在何かをしているのは、夢の実現のために必要なことをしているのです。些細な行動にも明確な目標があります。いつも何かを学んでいます。日々起こる出来事に対して、いつも「この出来事は、私にとってどんな意味があるのだろう?」「この出来事から、私は何を学ぶことが出来るだろうか?」と問いかけています。「夢のある人」にとって過去の出来事は一瞥の価値もないことです。「過去は生ゴミ」なのです。過去について後悔したり、「あの時にああしていたら…」などと起こりえない空想をして、エネルギーを無駄に使ったりしません。絶えず、「『夢』の実現のためには、今私は何をしたらいいのだろう?」と考え、行動しています。『夢』どんな夢でもいいのです。アメリカ人がよく持つような 明確なビジョンでもいいし、日本人の多くが持つような「自分らしい価値観」を満足させるような、何となくの未来 でもいいのです。民族性の違いなのでしょうけど、多くの日本人は「夢を持て!」と言われても、明確なビジョンを持つのが苦手です。いいのです。自分らしさを表す価値観を満足させる 何となくの未来 でいいのです。「人と密接に関わり合える場で多くの人から直接感謝をされるような仕事をしている」とか「コツコツと手を使って芸術的な作品を作る仕事をしている」のような夢でいいのです。日本人の場合は こんな譲れない価値観を満足させるような「何となくの未来」を夢にした方が、エネルギーが出る人が多いようです。明確なビジョンがもてないと悩む必要はありません。自分の中にある譲れない価値観その価値観を満たしたら、こころが満たされ、ワクワクドキドキするような、豊かな気持ちになれる価値観。それを自分の中から見つけて、それを元に 自分だけの夢を創り出せばいいのです。それをお手伝いするのがコーチングです。熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月07日
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「ゲーム」(前回6で詳述しました)が一番強力ですが、「ゲーム」だけでなく 人間の言動はある一定のパターンに入ってしまうと、そこからそらしにくいものです。このパターンの反復性に 強い感情がからむと「感情をコントロールできていない」とか「感情に振り回されている」という感覚を強く持ちます。小声で言いますが、実は自分でちゃんと感情をコントロールして、一定のパターンを演じているのにもかかわらずです。反復パターンの中で一番強力な「ゲーム」ですが、人間はなぜ、つい「ゲーム」をやっちゃうのでしょうか?それは、人間が他の人間からより濃く注目されたい、より濃密な交流をしたい、より濃い感情の交流をしたい と心の奥底では願っているからです。薄っぺらな交流では満足できないようにできているのです。ところが、以前の私のように 出身家庭の中で侮辱されたり、傷つけられたりした経験を持っていたり、他の家族が心理的にあるいは暴力的に傷つけられる場面を見せつけられてきていたりするとじつはそれは本物の「親密な交流」ではなく、親的な存在が「親密な交流」が恐いがためにやっている「ゲーム」にすぎないのにそのために他者との濃い交流が恐くて いつも自分の本音をださない、いつも自分の感情を隠してださない 薄っぺらな交流をしていると満足できなくなって、とうとう、あんなに嫌っていた「ゲーム」をしてしまうのです。そう、濃密な交流をしたくて、何とも言えない嫌な感情をお互いに感じながら 「あああ、またやっちゃった。」という同じパターンの「ゲーム」を繰り返すのです。それは唯一知っている濃い交流が「ゲーム」だからです。解決策は次の通りです。1:「ゲーム」がどういうものかを知る。2:自分が「ゲーム」をしていることを自覚する。3:「ゲーム」ではない適切な本音のやりとりを通した適切な感情を使う「親密な交流」を学び、練習する。4:実践で、「ゲーム」をしていた時に「親密な交流」をするように 日常の言動を変えていく。ついつい「ゲーム」に入りつつ、ゲームの中で半自動的に出てくる感情だけを抑えようとすることは不可能に近いし抑え込んだだけでは解決しないでまた爆発してしまうのです。その8に続く熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月07日
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ここにいては自分の使命は果せないと思えば、迷うことなく違う道を進むべきです 大竹 美喜「仕事で本当に大切にしたいこと」から自分の使命とはなんでしょう。私は自分がこの世に生まれてきた意味だと思っています。今やっていることがワクワクドキドキして 自分らしいなと感じて、楽しくてたまらなかったら、それが使命だと思うのです。子どもの頃を思い出して下さい。ワクワクドキドキして 何かに熱中して没頭していた記憶はありませんか?もしあったら、それがあなたの使命の原点です。学生の頃を思い出して下さい。ワクワクドキドキして、強い充実感を感じた経験はありませんか?そしてそれは、なんだか子ども時代のワクワク体験と繋がる部分がありませんか?もしあったら、その繋がる部分が、あなたの使命、あなたがこの世を生きていく意味に直結するエッセンスかもしれません。自分らしさを発見して下さい。コーチングを受けると、そんな自分らしさ、そして、自分が何をしたらいいのかと言うことが見つかるかもしれません。熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月07日
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感情をコントロールできていない と感じてしまう例を挙げてそれがなぜ起こるかそれを起こさないためにはどうすればいいかを書いてみようと思います。Aさんという男性がいたとします。Aさんには恋人がいます。とてもその恋人のことを愛しているのですが、定期的にひどいケンカをしてしまいます。いつも同じような些細なことから始まって、お互いに相手のことを侮辱し合い、ひどく傷つけ合って終わるケンカです。今日は7時に会う約束をしていたのですが、Aさんの仕事が長引いて ちょっと遅刻してしまいました。一応連絡したものの 申し訳ないなと思いながら、待ち合わせの場所に来ると 案の定彼女はとても不満顔です。Aさんは何かと気を遣って、ご機嫌を取るのですが、彼女の機嫌はなかなか直りません。そのうちにAさんは腹が立ってきました。仕事で遅くなったのに、こんなに機嫌を取っているのに いつまでも機嫌を直さない彼女に腹が立ってきました。ついに爆発して、「なんだよ。こっちが優しくしてればつけあがって!なんだよその態度は!!」と怒鳴ってしまいました。その後は、お互いに売り言葉に買い言葉で 攻撃し合い、過去のことなども持ち出して 相手を侮辱したり ちょっとした言葉尻を捉えて 傷つけあったりしました。そして、「もういいよ。別れよう!」と言いはなって、一人で自分のアパートに帰ってきてしまいました。言い放って帰るとき 相手に決定打を与えたような やっつけたような残酷な気分を味わいます。彼女は呆然としていました。アパートに帰ってきて思いました。またやってしまいました。いつものパターンです。後悔に苛まれるような嫌な気分がしておさまりません。さあ。こんな「どちらかの行動が引き金になって いさかいに発展し感情爆発や相手を攻撃したり復讐したりする感情的なやりとりがあって驚きや混乱の瞬間を体験して 最後には双方が「いやーな後味」を深く感じて終了する「あっ、またやってしまった」「また起こった」と思ってしまう同じパターンの交流のことを交流分析では「ゲーム」と呼んでいます。この「ゲーム」は通常一回ゲームのパターンに入ってしまうと 終了するまで ついついやってしまいます。それで、この時に感じる 怒りや 攻撃的な悲しみや 恨みや 悪い興奮を 「止められない」つまり「コントロールできない」と感じがちです。だから、「ゲーム」は、ゲームの中に入り込まないのが一番の良策なのです。しかし、「ゲーム」は自分の存在意義を確かめる強力な道具になっていることがあるので、自分の存在意義を確かめるための他の道具をしっかりと自分のものにするというバイパスを造る必要があります。「ゲーム」がなぜ起こるか。次回書きます。熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月05日
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前回「感情はコントロールできる4」で、感情は ものの見方や思考の枠組みにそって、その人の意図の結果として出てくると言いました。(くわしいことは前の文章を読んでください。)ある意図の結果、その意図の目標を達成するための道具として 感情を 私たちが使うのです。感情は目標を達成するための道具です。ただしとても大事な道具です。なぜならば、目標を達成するための行動の強力な推進力となるからです。この強力な推進力があるために、多くの人に「感情が全ての大元ではないか?」と誤解させてしまうのです。誰かが、ある異性に近づきたい できれば親しくなりたいと意図したとします。するとその意図に従って 「好き」という恋愛感情が生み出されます。この「好き」という恋愛感情は、ものすごい推進力になります。普段はできないような行動を次々と取ることができるようになります。その異性の職場を調べたり 職場のそばまで行って偶然会ったふりをしたり 「いっしょにお茶を飲みましょう!と誘ったり近づいて親しくなるための行動を次々と取るのは この「好き」という恋愛感情の推進力のせいです。まあ、これは 一つの例ですが、とにかく、感情は私たちの「意図」に従って生み出され、行動の推進力となる、大事な道具なのです。通常、感情をコントロールしたいと考えるのは 不適切に使われている感情の場合です。適切に使われている感情は あった方がいいのです。親しくなるための恋愛感情(親しくなった方がいい人の場合)耐えられない出来事から心を癒すための悲しみ望みの仕事を達成させるためのワクワク感自分の身を守るための怒り未来の危険から自分を守るための恐怖系の感情などの、感情は全て適切なので、素直に感じて 素直に表現することの方が大事です。感情をコントロールして 他の感情や他の方法に変えた方がいいのは罪悪感恨み他人を自分の思い通りに操作するための(あるいは、他人が許せないという)怒り イライラ 不満他人の注目を引くための 嘆き 悲しみ相手を悪者にするための 悲劇のヒロイン悲しみ「何で俺だけこんなひどい目に会うんだ」感情などの不適切な感情です。これらの不適切な感情は使わない方が幸せです。でも、何度も言いますが フタをしちゃダメですよ。これらの感情を生み出す元凶の考え方を変えないで 感情だけにフタをすると、噴き出しますからね。長引く罪悪感は「良い子ちゃん」になるための道具です。「悪い」ことはしたけども、私は罪悪感を感じていますから、本当は良い子ちゃんですよーーー!と主張するために使う道具です。罪悪感を感じている間は「良い子ちゃん」でいられますから、「良い子ちゃん」作戦をやめない限りは、罪悪感に苛まれ続けます。適切な罪悪感は瞬間的に消え去ります。なぜならば、罪悪感を感じる行動を止めるからです。社会的にも、他人に対しても不適切なことをやろうとして、罪悪感を感じて 結局はしないという決断をします。例えば、万引きをしようとして 罪悪感を感じて しない。友だちをいじめていて、罪悪感を感じていじめをやめて親切にする。このように、不適切な行動を押しとどめ、行動を適切に変化させるというのが 適切な罪悪感の使い方です。適切に使われたときは 罪悪感は目的を達して消え去ります。それなのに、いつまでも感じているのは問題です。罪悪感を感じる行動をし続けているからです。選択は二つしかないのにです。一つ目:罪悪感を感じる行動をやめる二つ目:その行動が適切であることを明らかにして、罪悪感を感じるのをやめる親と別居して罪悪感を感じているAさんがいたとします。選択肢は二つです。親と同居するか 堂々と胸を張って別居するか どちらかです。別居していて罪悪感を感じるのはナンセンスです。別居するという「悪い子ちゃん」的行動を取っていて、「良い子ちゃん」のふりをしようとするから、罪悪感でごまかす必要が出てくるのです。※これは実は過去の私の実話なのですが、罪悪感でごまかすというのは無意識的にやっていました。ただただ、罪悪感で苦しんでいました。「良い子ちゃん」になるために罪悪感を自分で創り出して使っているとは思っていませんでした。私の場合は「親不孝の極悪非道息子」になると決めた瞬間に罪悪感が消えました。多くの人は、このような特定の感情を生み出している作戦(考え方の枠組み)を無意識的に使って、そのせいで苦しんでいます。感情をコントロールする時に カウンセラーやコーチの援助が必要なのは、自分が発動している無意識の作戦に気づくためです。今まで無意識にやっていた作戦に気づけば、その不適切な感情の使い方を変化させるのが可能になります。自分が行っている作戦はそのままにしておいて、起こってくる感情にフタをする、無視をするのは、コントロールしていることとはほど遠い状態です。いつかは爆発します。て、いうか もう爆発している?熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月05日
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感情をコントロールすることと感情にフタをすることは まったく別です。フタをされた感情はいつかは噴き出します。多くの人は、すでに起こっている感情にフタをしただけで、コントロールしたつもりになっています。周囲にはバレバレだったりします。例えば、怒りを感じているのに 怒りなんか感じていないふりをして フタをして我慢をしているといつか、とんでもないときに爆発して 数十倍ものエネルギーで爆発して ものすごい被害を及ぼします。恨みや罪悪感や悲しみや恐怖をしっかりと感じているのに それにフタをすると身体症状になって現れたり実際に病気になったりガンになったり交通事故を起こしたり喘息になったりアトピーを引き起こしたりうつ症状になったり神経症になったりします。感情に強制的にフタをしてしまうことは コントロールでも何でもありません。刃物を持っているのに持ってないふりをして 衣服の中に隠して自分の体を切り刻んでしまうようなものです。ある感情は その感情を使って目的を達成しようという 意図と ものの見方や考え方が 最初にあってその意図と ものの見方考え方にそって 目的達成のための道具としてその感情を使うのです。だから、目的を変えるか変えないならば 目的達成のための その感情以外の道具を用意するかしないと感情だけにフタをしても バイパスを用意しないでせき止めた川のように 溢れて洪水になってしまうのです。たとえば、怒りはもともと 身の危険から自分を守るための感情ですが、危険から身を守るという目的のせいで一番激烈でパワーがあります。で、よく他人を自分の思い通りにするという間違った目的のために使われます。だから、ある人の言動が「許せない」と思っている つまり正義中毒になっている場合そういうものの考え方をし続けている以上「許せない」言動を修正させたくてたまらなくなり修正させるという目的にそって 「怒り」が生み出され、ある人は怒りにまかせて 怒鳴ったり攻撃したりします。ある人はそんな行動を取る習慣はないけれど 「許せない」と思っているので 怒り系の感情は消えないで いつまでもイライラを感じたり 鬱積したマグマのような不満を感じ続けるわけですで、「あ、怒っちゃいけない。」と思った人が ある人の言動が許せない という考え方の方をまったく変えないで 怒りという感情だけにフタをすると いつかは爆発してとんでもないことになってしまうのです。○目的の変更「とんでもない言動を取っているあいつをどうにかしたい」という目的を捨てて「ま、いいや。そんな状況の中でも自分にどんな最善が尽くせるかを追求しよう」という目標に変えると とたんに怒り系の感情はまったく感じなくなるのです。目的が変わったのですから、もう怒りなんかを使って相手を操作しようとしなくてもいいのですから。○道具の変更「あの人の言動をどうにかしたい」という目的は変えないで、何とか言動を変えてもらうために 話し合いを提案して 冷静に話し合う。つまり、怒り系の感情を使う代わりに、「話し合いの技術」を使ったのです。でも、「正義は自分にある」というヒーロー幻想を持っていると 話し合いをして 人と妥協をしあって 協力していくということがしにくいので道具を変えるためには 「許せない」とか「あいつは間違っている」とかいうヒーロー幻想は他のものに代える必要があるかもしれません。感情は結果なのです。だから結果である感情のおおもとである目的や考え方を変えないことには 感情はコントロールできません。そのためには 不適切な感情の代わりに使う適切な代替案を知っていないといけません。そして、ケースバイケースで練習していく必要もありますしね。「感情はコントロールできる5」に続く熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月05日
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人生とは自転車のようなものだ。 倒れないようにするには走らなければならない。 天才物理学者アルバート・アインシュタインの言葉です。そのとおりです。人はいつも無意識的に走っています。体的に言うと、無意識が動かしている心臓は死ぬまで止まりません。脳に行く血液が 1分でも止まると致命的な影響があります。脳も24時間働いているのです。心と体は表裏一体。無意識の中にある 人生のパターン も死ぬまで止まりません。パターンを止めるわけにはいかないのです。だから、私たちが眠っている時でさえ、 人生のパターンは動き続けています。夢は人生パターンの象徴です。そして、私たちの人生は無意識のパターン通りのシナリオで進みます。他人の愚痴を言っても始まりません。社会に文句を言っても始まりません。運がないと嘆いても、天を恨んでも始まりません。あなたの人生は他人が決めているのでもないし、社会によって操作されているのでもないし運に左右されているのでもありません。天に支配されているのでもありません。あなた自身の無意識の中にある 人生パターン に支配されているのです。そして、その人生パターンは変えることができるのです。熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月04日
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さて、前回「感情はコントロールできる2」で「私は他人を自分のために操作してもよい」という信念を持っている人がその信念を実行する中で「人は他人の感情をコントロールできる」という幻想を作り上げそれが周囲に伝播していくということを書きました。操作する親から育てられた人で、感情幻想を持ってしまった人の中には、ひどい自己矛盾に苦しむ人がいるかもしれません。この人の親は「自分のために他人を操作してもかまわないのだ。」という信念を持っていたので、周囲から見れば不幸で迷惑な存在ですが、自分の中では ある種の自己完結ができています。ところが、この親の影響を受けて 感情の幻想だけは受け継いだけど「自分のために他人を操作してもかまわない」という信念を共有しなかった人は矛盾が激しいだけに 親よりも大きい苦痛を覚えてしまうかもしれません。私はそうでした。だから必死に自分を自分の感情をコントロールする道を模索したのです。幻想から抜け出したければ自分の感情を自分でコントロールしたければ、まず自分が持っている「人は他人の感情をコントロールできる」「あの人の感情の責任は自分にある」「私の感情の責任は相手にある」という思いこみが幻想だと気づくことです。「人は他人に感情をコントロールされない」「自分の感情は自分でコントロールできる」「私の感情の責任は私だけにある」「あの人の感情の責任は私にはない」というのが正解です。人は他人に感情をコントロールなんかされないのです。たとえば、人をおびえさせて 恐怖を持たせることによって 自分の言うことを聞かせようと作戦を発動した人がいたとします。仮にその人をAさんとします。Aさんのその脅しの言葉を聞いて、Aさんの険悪な態度を目にして、Aさんのその雰囲気を感じてBさんは、作戦通り 恐怖を覚えて 言うとおりになりました。ところが、Cさんは、怒ってしまって 逆にこっぴどくしっぺ返しをしました。Dさんは、馬耳東風 平気の平左で 落ち着いて冷静に「で、いったいAさんは何を言いたいわけ?」と のんびりと聞いてきました。Eさんは、ははははは。と笑い出して、まったく相手にしませんでした。Fさんは、泣き出して「どうして、Aさん そんな悲しいことを言うの?」と言って悲しがりました。ほら、人によってその人が使う感情は千差万別です。Aさんになんかコントロールされていません。Aさんは、Bさんみたいな反応を期待して作戦を発動させたんですけども、みんながみんな Bさんのような反応をするとは限りません。Aさんが「他人の感情を自分がコントロールできる」と信じていたのは、幻想だったのです。人は皆、自分の目的にあった感情を選んで使っているのです。幻想に気づき、感情の本当の意味に気づくようになったら、次は、自分の癖に気づくことです。他人の感情コントロールについ引っかかってしまう自分の心的癖に感情に翻弄されてしまって自分を保てないという癖に自分の怒りの責任が「あいつのせいだ!」とつい思ってしまう自分の癖に自分が傷ついてしまった責任が他人にあると思えてしまう癖にあの人が悲しむのは自分のせいだと思ってしまう癖に他人に対して罪悪感を抱いてしまう癖に気づくことです。全部自分が自動的にやっている癖だと気づくことです。癖だから、気づいただけでは直りません。気づいたときのその都度その都度修正していく、適切な癖に修正していく、適切に思えるように練習していく 努力が必要です。たぶん自分だけでは無理でしょう。自分だけで考えても 考えれば考えるほど 元のやり方に戻ろうとする自動プログラム(強固な認知システム)が働いて恐怖を覚えたり 癖を直さない方がいい言い訳が山のように見つかったり バカバカしくなったりと私たちが「ライフパターンの逆襲」と呼んでいる 無意識自動修復システムが稼働して 元の木阿弥に戻るからです。もう一つの理由は、「適切な癖」がどんなもので、どうしたらそれが習得できるかを知らないからです。あらゆる習い事と同じで すでにやれている人から手取り足取り習って 何度も何度も反復練習するしか感情を自在にコントロールできる自分にはなりません。ぜひ、専門家に手伝ってもらって、自分の感情を自由自在にコントロールして下さいね。(^-^)続きは4へ熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月04日
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「人はみんな、自分は自由な存在だと思っているが、そうではない。」この言葉は、全米催眠学会会長で、現代催眠の生みの親 ミルトン・エリクソンの言葉です。人間は全てを意識的操作できるわけではないのです。なぜならば、無意識的にやっている自動行動があまりにも多く、かつ多岐に渡っているからです。このことにいち早く気づき、無意識の自動的な作用のことを「ライフスタイル」(現代では誤解を避けるためにライフパターンとか パターンとか キャラクターとか呼んでいます。)と呼んで、カウンセリングや心理的治療に用いたのがアルフレッド・アドラーでした。アドラーは、その人のライフパターンは、自分のことをどんな人間だと思っているかという「自己認識」と自分が住んでいるこの世界のことをどんな世界だと思っているかということ、自分にとって他の人間というものはどんな存在であるのかという「世界観」と自分はどうあるべき、自分はどうなりたい、という願望。「自己理想」の三つをくわしく見るとよく分かると主張しました。人は無意識の中で「私ってこんな人間なんだ。」って決めてしまっているのです。同じように「私の周りの人たちはこんな感じだ。」とか「この社会はこんな社会だ。」っていうことも、無意識的に決めてしまっているのです。そして、無意識的に決めてしまっている自分像や世界像や他人像を実現しよう、実現しようと 行動しているのです。だから、意識的には、「うまくやり遂げたいな。」と思っていても無意識の中では、「私って大事な時には失敗する人なんだ。」って決めていると、無意識で決めているように失敗してしまうのです。だから、自分の人生の流れを今までと違うようにしたいと思っている人は、まず、自分の人生のパターンを知ることです。そして、そのパターンを変えるためにできることをやっていくことです。この二つの作業をする時に、カウンセラー・セラピストが必要になってきます。鏡なしに自分の顔を見ることが出来ないように、訓練されたカウンセラーがいないことには、自分のパターンを知ることは不可能です。また、本を読んだり、ネットで調べたりして、自分のパターンを変えようとするのも失敗しに終わります。なぜなら、どんなに調べても、結局は自分で考えてしまうからです。自分で考えるということは、自分のパターンで考えるということです。そうすると、自分の元のパターンに戻ろう戻ろうとするに決まっているじゃないですか?たまに、カウンセリング受ける人で「カウンセリングの先生の言うことが納得できなかったから、そのアドバイスはしませんでした。」と言う人がいるのですけど逆です。納得できないからこそやるのです。納得できたことだけをやっていたら、その人は元のパターンの中で堂々巡りをしているだけなのです。自分の考えを捨てるためにカウンセラーに会うのです。自分の考えに合うカウンセリングを探して カウンセラー渡り鳥をするのはナンセンスです。よけいな知識だけが残って、ますます変えづらくなります。複数のカウンセラーから自分の理解した知識だけを募集するので、不揃いなお互いに効果を相殺するような知識を募集してしまうのです。山の頂上を目指す道は複数あります。Aのコースを登るのであれば山頂に着くまでAを登り続けるのです。せっかく途中まで登ったAを降りて 次にBの登り口に行って、しかもAを登るための知識を振り回してBを登ったら、うまく登れません。BにはBの登り方があるのです。新しい行動のアドバイスをして変えていくのがカウンセリングで、記憶等にアプローチしてパターンそのものを変えるのが心理セラピーです。ちなみに、催眠と心理セラピーの関係ですが、うーーーん。なんて説明したらいいかなあ。エミール・クーエって人が、最初催眠やっていて、催眠が効くのは、実はその人の自己暗示の結果なんだって仮説を立てて、催眠やめて暗示だけで治療的な行為をするようになったんですね。実際、催眠で出来ることを全て暗示だけで達成して見せたんです。で、いろんな研究の結果、催眠でやれることは 全て 暗示とか 他の動機づけでやれるということが科学的に証明されました。しかも脳科学が発達してきて、催眠状態の時の脳波パターンは リラックスしている覚醒状態の時の脳波パターンとまったく一緒だっていうことが分かったんですね。つまり、実は覚醒状態と一緒なんだけど、自分自身とのお約束状態で催眠状態になっているだけだってことなんです。自分でやっていることなんですね。もちろんそれをお手伝いするのが上手な人はいるわけですけど。だから、催眠以外の方法でも、ライフパターンを直接書き換える方法があるわけです。それを一応心理セラピーと私は呼んでいます。厳密に分けると、心理セラピーという大きな枠組みの中に催眠という方法もあるというのが正しいでしょうし、催眠なのか、催眠じゃない他の動機づけなのか判別つかないようなセラピー技術もあるのです。だから、催眠にはいるのが得意な人は上手な誘導者に導かれて、催眠の中で パターンを変える暗示をすればいいし。不得意な人は、パターンを変える言葉(暗示)なりイメージなりを 自分の無意識に植え込むのをセラピストに手伝ってもらうといいのです。どっちにしろ、素直な人が変化は早いです。こだわりが多い人は変化が難しいものです。こだわっているということは、まだそんなに変わる必要性を感じていないからなのかもしれません。変化の必要性を感じていないからこだわらない方がいいものにこだわります。強い強い変化の必要性を感じる人は ほとんどのこだわりを捨てるものです。熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月03日
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お金の心理ブロック、第三弾です。○お金を使っていると気持ちいい!これは逃避、依存です。ギャンブル依存、買い物依存、贅沢依存、「飲む、打つ、買う」などに走って、経済的な破綻に陥る人がいます。自分に対する自信のなさとか、自分の人生に対する不安感を、そのことに真っ正面からぶつかることをしないで、逃げて、「お金を使っている時に気持ちの良さ」とか、刹那的な快楽にのめり込むことで忘れようとしているのです。お金は適切に使った時にだけ、その人を幸福に導くのです。刹那的な快楽のためにいくらお金を使っても、それは浪費であって、幸せには至りません。ましてや、自分が稼いだ以上に使うことは、それを適切に返していかなければ、それは社会に対する窃盗行為です。親や親戚からお金を出してもらって穴埋めしても、なんの解決にもなりません。債務整理しても、自己破産しても、「稼いだ以上に使おうとしてしまう」自分の浪費癖を、しっかりと直そうと努力しない限りは、元の木阿弥です。お金は自分が稼いだ範囲内で使いましょう。癖から抜け出せない人は、カウンセリングを受けましょう。あるビジネスで大成功している私の知人(月収200万を超えている方です。ごめんなさい桁を間違えてました。)が教えてくれました。「飲む、打つ、買うの人は、ビジネスでは絶対に成功しない。」そうでしょうね。ビジネスだけじゃないかもしれません。熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月03日
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タブーの続きです。お金の話をするのがタブーになっている。それは、多くの人の心の中にお金に関する心理ブロックがあるからだ、お話ししました。そのお金の心理ブロックの二つ目です。○「お金があれば全てうまく行く。」「お金があれば幸せになれる。」前回書いた「お金は汚い」の正反対の妄想です。お金を否定しすぎるのも異常なのですが、お金にその実情以上の期待をするのも、非論理的でおかしいですね。お金というのは、人と人が貢献を交換するために発達したものです。だから、人は社会に対して貢献をした分に応じてお金という収入をもらいます。大きな貢献をした人は、大きな収入を得ます。そしてその得た収入の中から、お金を払って他人の貢献を買います。買う貢献はものだったりサービスだったりするわけです。だから、自分が欲しい物やサービスを手に入れるという点に関しては、お金は役に立ちます。また、自分が助けたい人の欲しい物やサービスを買ってあげるという点においても、お金は役に立ちます。それ以上でも、それ以下でもありません。もちろん、生活が出来ないくらいに困窮するのは、不幸です。生活が成り立つくらいにはお金があった方がいいに決まっています。お金があると困窮しなくなるのです。それ以下でもそれ以上でもありません。お金があると言う条件だけだと、経済的困窮という事態には陥らないだけで、幸福になるとは限りません。幸福になるには、1:自分が好き。自分に自信がある。2:他人を基本的に信頼している。3:自分が社会や周りの人に貢献していると感じている。役に立っていると感じている。という三つの条件を満たす必要があります。だから、例えば、不正にお金を稼いだら、自分の中の無意識は不正をはたらいたことを知っているので、そんな自分を好きになれないでしょう。不正をはたらくということは、信頼関係を破壊する行為なのですから、他人への信頼感がないことを強化するでしょう。社会に本当に実のある貢献をすることによって収入を得るならば、正常な貢献感を得ることが出来るでしょうが、貢献をしないでお金を得たり、さらには、周囲や社会に迷惑をかけてお金を得たりしたら、貢献感は破壊されてしまうでしょう。つまり、不正にお金を稼いだら不幸への道を真っ逆さまに落ちていくのです。お金をたくさん得るという結果のみにこだわるのはナンセンスです。幸福になるには、お金を稼ぐ過程と使い道に意味があるのです。幸福を目指すお金持ちが、多額の寄付をするのは、貢献感を満足させるためなのです。なんの努力もしないで転がり込んできたお金を湯水のように自己の快楽のためだけに使ったら、それこそ、人生は湯水のように意味なく流れていくだけです。熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月03日
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この世で一番大きなタブーは セックスについての話と、お金についての話です。特にセックスに関しては、このブログには載せられませんでしたので、こちらに載せました。http://yukiduke.jp/taboo.htmlご覧下さいませ。今回は、お金についての話です。セックスやお金がなぜタブーになっているのかというとそれは、セックスやお金に関しての心理ブロック(=コンプレックス コンプレックスというのは劣等感という意味ではありません。心的複合体、つまり複雑に絡み合っていてうまく解きほぐせないもの のことです。)を持っている人がたくさんいるからです。お金に関する心理ブロックにはいろんな種類がありますが、まず代表的なものとして○「お金は汚いもの」とか「お金を欲しがるのは卑しいこと」とか「お金儲けを考えるのは汚いこと」という思いこみがあります。論理的に考えて、お金自体が汚いなどと言うことはあり得ませんし。「お金」というものは、人の貢献の現れなのです。だから、「たくさんお金が欲しい」と思うことは、「たくさん社会に貢献したい」と思っていることとイコールなのです。「お金を欲しがることは卑しいこと」なんてとんでもないことで、反対に尊いことなのです。あのマザーテレサでさえこう言いました。何が欲しいですか?と聞かれた時です。「お金です。何よりもお金が欲しい。」と。お金をたくさん稼げる人、たくさん儲けれる人は、変な罪悪感なんか持たないでどんどん稼いで下さい。どんどん儲けて下さい。そして、自分自身を満足させて、さらには、周囲の人も満足させてあげればいい。「お金なんかいらない」と言っているあなた。そんなこと言っていないで、そんなにいらないんだったら たくさん稼いだら、必要な人にあげて下さい。この世に困っている人はたくさんいます。熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp
2009年06月02日
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