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今年の秋は、主人の姉が上洛することで、この10、11月は毎週掃除三昧の日々でした。でも、お陰で私は怪我で腕が十分上がらなくて、力仕事は全然だめだったのですが、主人がおお張りきりで、本当に何年振りかの大掃除をしました。普段は絶対中々しない、壁の汚れ落とし(クロス壁)、キッチンの収納庫の扉や、冷蔵庫の中だけでなく、周りの扉、窓ガラスや網戸ばかりか、玄関ドアも全部はずして洗う熱の入りよう、、、そして、11月21日初めて、うちに主人のお姉さんがやって来ました。この日は、京都駅で待ち合わせしてそのまま、東福寺へ、、私もここは初めてでしたので、楽しみにしていました。本当にきれいでした。目を凝らしてみて貰うと、人の多さが解ると思います。おそらく、ここだけで何万人の人出でした。そして、お昼は自宅近くまで戻ってランチ、、、次の日は、家を8時頃出て、松で有名な吉峰寺へ、、、片岡鶴太郎さんの鯉の襖絵が去年奉納されています。この、部屋の中から目の前の山の見事な紅葉は圧巻でした。そして、一旦自宅に戻り、予約でしか拝観出来ない苔寺へここで、まず本堂で写経してから、庭へ、、、、拝観料の3000円は高いのだが、祈祷料も含まれていると思えば納得かなそして、苔寺から、松雄駅まで歩いてそこから嵐山へ、、、ここまた、全山紅葉、、、川と渡月橋と山の紅葉、、、、とてもいい感じでした。私はこの21と22日の二日間が休みでずっとお姉さんと行楽三昧、、、この日の夜、御兄さんが仕事の関係で遅れて合流、、、夕方だったので、そのまま、光明寺の夜間拝観に案内し、そして、23日の祭日には、主人が二人を連れて高尾パークウェイから、神護寺へ私はこの日、仕事だったので一緒出来なかったのですが、主人も久しぶりの観光地で、その紅葉の綺麗さに大満足でした。今回、地元に住んでいる自分たちも中々普段は、人ごみを避けて行かないので、各名所の紅葉見物に行き、自分たちも大満足でした。この各場所は京都の洛西方面に集中しているので、一回だけ京都に来た人は、時間の関係でおそらく回らない隠れ名所ばかりです。中々いいでしょう。
2006.11.24
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今日、これから宿直勤務で明日の夕方しか帰って来れないので、今か今かとポストを覗いていました。入っていました。思わず、透かして見てしまいました。それが、どう見ても「合」の字に見えなくて、まさか・・・と慌てて開けました。「仮」の字が書かれていました。2年目なので、去年の一部合格との関係でしたちょっとびっくりしました。でも、本当に嬉しいです。ようやく今の職場でも自信を持って仕事が出来ます。点数は言語33点、絵画42点でした。本当に良かったです。ほっとしました。気分は秋晴れの京都の紅葉です。やったぁ!!
2006.11.16
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今回の自分のすり傷で、サランラップ療法を試してみた報告をしたいと思います。まず、今回の傷は上腕部で、風呂に入るとかの場合、濡れない様に管理しやすい場所だったこと今の季節があせもなどの二次的苦痛が比較的出にくい寒い時期だったこと感染も、し難い季節だったこと感染の状況等を判断できる知識を持っていたこと仕事を休むことが出来、日中でも処置出来た事他に病院に通う必要がなかったこと・・・と、条件が揃っていたので挑戦したことを始めに報告しておきます受傷したのが11月5日 部位 左額部 左上腕部 左大腿部 3箇所の打撲と擦過傷受傷2日目の写真です(11月6日)この時は、滲出液が多く、ラップからすぐに滲みだしてきていました1日2回交換しながら、交換の際には傷表面を軽くぬるま湯で洗っていましたその時、こすってはいないのですが、傷表面に出来た膜様の固まりを一緒に洗って落としていたように思います。受傷5日目の写真です(11月10日)傷の深い所がはっきりとして来て表面に白い膜様の物が出来てきているのがわかりますこの日から、傷表面は水に絶対濡らさないようにして、治っている所と、テープの跡等、周辺の清潔に気を配りました。浸出液は相変わらず多くて、日に3回程取り替えては、大丈夫な皮膚はきれいに拭くようにしました。傷が日に日に小さくなっていくのがわかりました。この次の日くらいから、テープに負けて湿疹が出来始め、痒さ対策に軟膏を傷以外の所に塗り始めました。そしてテープをやめ、伸縮包帯でサランラップを固定する方法に変えましたそして今日、傷全体が乾燥しジュクジュクしていないことが確認できたので、サランラップによって傷を覆うのを止めました。今回のサランラップ療法で一番感じたことは傷表面の膜は絶対濡らしてはいけない、乾燥させてはいけないサランラップで覆い、皮膚表面を濡らさず、乾燥させないことが早く直すポイントこれが、包帯の役目をして自己免疫による皮膚再生を促しているのだと思いますもし、最初から傷表面をそのように維持できたら、今回もう少し早く治ったかもしれない一番驚いたことは、かさぶたが出来ることなくきれいに皮膚が再生されていくこと厚いかさぶたが何度か剥がれながらでないと治らなかった今までだったら、まだ、今の段階なら乾燥しただけで、まだかさぶたが出来ただけの頃ではないかと思うでも、実際今回はまだ赤みかかって変色はしているが、皮膚は硬くなってもいないのですっかり治っている状態です。ただ、他の皮膚トラブルは避けられないと思うので、清潔の管理と包帯にするなど、まだ工夫の余地がたくさんあります。そして、おそらくうちの子供もしていたけれど、ラグビーとかのすり傷は、処置始めの砂とかの除去をきれいにしておかないと、感染の心配はあり得ると思いました。参考にして、してみる時は、痒み、痛みなどは本人しか解らない所もあるので気を配ってあげて下さいね気持ちのいい写真じゃなくて済みません。目で見ると一目瞭然なので・・・
2006.11.14
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今日で自転車の転倒事故から8日目、、、額の腫れは残っているけれど、傷は治りかさぶたも取れました。青あざは、今では顎の辺りまで青くなって来て、目の周りのあざは少し範囲も縮まり、今日はメイクでやや目立たない程度までになりました。左腕のすり傷は、サランラップ治療を続け、あと1センチほどのジュクジュク部分が残っていますが、あとはかさぶたを作ることなく、新しい皮膚が出来、そして乾いていきほぼ完治しそうな所まで来ました。やはり、傷は濡らさないで、表面に出来た膜を構わないようにした方が直りが早いみたいです。ただ、やはりテープに負けて湿疹が出始めたので、サランラップはここ2日は、包帯で固定しています。湿疹部には、痒み止め軟膏を塗り、何とか頑張っています。左大腿部の青あざは、膝の辺りまで全体に広がり、見るも無残です。こんな顔のまま仕事に行き始めて2日目、、、殆どのスタッフには説明し終わり2回目の人には、この前よりましになったね。と言われ、、、今日は児童相談所の人たちとの懇談会だったので、DVと思われないように(笑)、念入りにメイクしてあざを隠すようにして参加しました。まあ、いいんだけどね。児相の児童福祉士の皆様、、、本当に大変そうです。担当人数も100人を超えている人が殆どで、非常に忙しそうです。それでも、私の担当児の担当CWと情報交換して、児童の最善の利益を目指して一緒に頑張って行きたいと、話が出来ました。頑張りましょう。そして、話は戻りますが・・・私の今回の怪我は、仕事からの帰りである為、労災が効くそうです。今日事務の人から、書類を貰いました。そして、他の人から貰った知恵で、自動車保険の方に問い合わせて見たら自分のみの自損事故だけど、障害保健が適用されるとの事です。そして、両方からの保険を貰うことが出来るとの事です。痛かったし、この顔のあざは、中々治らないとは思うのですが治療費の実費の他にも見舞金のようなものも出るみたいなので少し懐は温まるかも知れません。怪我をしないのが一番ですが、少し慰めになりました。年末の物入りの時期、助かります。保険ってこんな時に貰えるって知っていないと損ですね。気がついてよかった。
2006.11.13
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今年の春、某自動車メーカーに就職した長男、海外赴任はありえるとは聞いていたが、アメリカの工場でのトラブルで急遽行くことになったらしい。海外旅行の経験のない我が家、我子たち、こんな風にいきなり行くことになるんだね。仕事だから、滞在先とか、一人でのトラブルとかの心配は無いと思うけれど思わず、風邪薬とか、胃腸薬とか、傷判に、ホッカイロとか買い込んで来て、送ろうとしている私、、、荷物になるからと、思うのだけど買わずにいられない。この前帰って来て、ゆっくりと話して送ろうと思っていたのに私の怪我騒ぎで、ばたばたとして夕食もちゃんとした物を作ってあげられなかった後悔・・・それでも、まあまあ元気に帰って行って、一週間も経たないうちに海外出張の話、、、昨日はまだこちらに戸籍があるのでパスポート申請の為の戸籍抄本が要るとの事で市役所に行ったり、速達で間に合わないから、宅急便のタイムサービスで送りに行ったり、大変だったけれど、幸い?休み中の私、、、サングラスをかけて怪しい風情で、あっちうろうろ、こっちうろうろしました。とても寒い地域だというので心配ですが、「気をつけて頑張ってね」としか言えません。子離れしなくちゃいけませんね。そろそろ・・・この怪しい風情の私、出来るだけ知っている人に逢わないようにしています。話しかけられたら、いつものように事の顛末を延々と喋ってしまいそうです。でも、今は静養中の身、、、出来るだけ口を利かないうちに、その場を離れています。少し向こうから知り合いが「あれっ?と首をかしげながら、手を軽く挙げようとしています」思わず、目線を逸らし、気がついていない振りをしてしまいました。普通、しゃべりな私、、、、関西の乗り突っ込みで、自分の事を格好のねたにして笑い話にしてしまうことは簡単です。でも、主人曰く、今回の事は笑い話で済まん 病院に連れて行ってその時のお前の顔を見ていたら 本当に肝を冷やした、どうか、なったらどうしようかと本気で思った ひどい顔の腫れようで、普通に見ていたら笑えるけれど 本当に、こんなんで済んで良かった おまえ自身、笑い話にしてしまいたいだろうけれど それにしても、情けないし、惨めだろう? とにかく、しばらく静かにしとけ!!と、大阪の姉と電話で笑い話にしていたら、マジで怒られて すぐに電話切りました。自分自身の気持ちをずばり言い当てられて、返す言葉がありません。「しゅん」となって、反省しています。 こんな所が、やさしいんだけど、恐いんです。 普段も口悪いし、自分は私に今回の事でも、言いたい放題の事を言っているくせに 他人から言われると腹が立つみたいです。 自分勝手だと思いつつ、大事に思ってくれてはいるのかな?なんて・・・ 私もいいように解釈するように努めています。 あぁ!!でも、きっと明日の職場復帰では、喋り捲るでしょう。 我慢の限界です。 すり傷情報です。額の怪我は完全にカサブタになって、もう一皮めくれました。 腕の傷は、約半分に縮小、、、浸出液で白い膜の様なものが出来て表面を覆っています 昨日から、やはり傷は水に触れないようにしています。 風呂に入る時は、広い目にサランラップをぐるぐる巻きにして、 腕の上下の2ヶ所を輪ゴムで止めて密封し、入っていますので濡れません 前日までは、傷表面も軽く塗らして汚れを取っていましたが 今出来ている、白い膜様のものが包帯の役目をするのかな? と考えを改め、、、滲出液で、汚れた傷でない部分のみを清潔にすることにしました。 いい感じです。 明日は仕事の内容を考えてもらって、子どもを直接構わないでいい仕事なので、 抱きつかれてギャーは最低限で済みそうです。 サングラスは必需品になりそうですが・・・
2006.11.10
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昨日、体も大分落ち着いたので庭の花をスケッチしていました。田舎の義母を元気づけるものが描けたらいいなと思って、、、これから、新潟は長い冬支度に入ります。義姉はとても良くしてくれているけれど、抗がん剤治療で心も体も弱りがちな義母は、死ぬことを半ば運命として受け入れようとしています年齢的に考えて、それも無理のないことだとは思っています。主人も、覚悟はしています。でも、新潟の冬は本当に厳しいです。雪で閉ざされる真冬の期間は、心も塞ぎがちになってしまいます。同じ老人仲間とのお茶会も遠のき気味になってしまいます。ただでさえ、寂しくなりがちなのに、気の合う友達との出会いも雪で遮断されがちになってしまいます。そんな雪国だから、春を待ち続けています。あらゆる命が芽吹き、萌え出て来るエネルギーに満ちた春を待っています。義母に、せめて春を待つ気持ちを持ち続けて欲しいと願っていますそんな気持ちを込めて描きました。庭の鉢植えも、春を待っています。御母さん、治療辛いと思うけれど頑張って!!今の薬が効いて、元気になって、また、一緒にお風呂入りに行こうね!!
2006.11.08
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去る11月の5日、仕事帰りに自転車で派手に転倒、、、左顔面(額)と、左肘、左大腿部を強打してしまいました。顔面の怪我はあとがひどいですね。今日3日目ですが、ようやく腫れが引いてきたところです。でも、1日目は、見る間に額もはれて、夜には左目が塞がりハレが目の周辺に下がり、1日目は目が開きませんでした。まさに、お岩さんの状態、、幸いなことに、頭部のCTの結果も異常なく、肘も大腿もすり傷はありますが、骨折等はなくて打撲痛のみ、、救急で診てくれたDR も、これぐらいで済んで良かったね。と言ってくれました。仕事は、顔のハレが引かないと「子どもが泣きそう」なので、そして業務に支障が出そうな位なら、無理に出社しない方がいいと、主任に言われ、今日も休みです。今日は、3日目なので、ハレは殆ど引いて、でも、左目の周辺は紫色に変色しているので、ボクサーの試合後?若しくは、DVのあと?みたいな顔です。始めは家族一同、大丈夫か?と本当に真剣に心配してくれていましたが、今は、パンダみたいだと、情けなくって笑えると、言われる始末。すり傷は、せっかくなので、サランラップによる密封治療を試している最中です。額と、肘のすり傷をサランラップで覆って、テープで止め、1日一回極ぬるま湯で患部を綺麗に洗い、乾かないうちにまたサランラップで覆っています。昨日、患部を空気に曝して、乾きかけたとき、引き攣れのピリピリした痛みがあったけれど、直接患部が何かにぶつかったりしない限り殆ど痛みはありません。患部からの浸出液が出るので、サランラップから染み出すと周りを汚してしまうかもしれませんが、今回の私の傷は何とか、サランラップの中に納まっています。結構、臭いですね。(膿の臭いに似ているかな?)でも、傷自体の治りは早いように思います。今日は、薄い表面の膜がはって傷の浅い所は、茶色く変色してきています。昨日までは、目が開いていなくて前が良く見えなかったので、どこにも出ないで過ごしましたが、今日は病院へ眼帯と帽子を被って行ってきます。なんにしても、反射神経が鈍っているのと、夜勤疲れでボーっとしていたのかも知れませんが、自転車でこけるというのが年取ったなぁと、感じるしかないですね。とほほです。
2006.11.08
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今日も、いい天気です。午後から宿直勤務なのですが、思わず午前中にチューリップを勢いで植えました今年、新しく購入した球根80球、去年の球根から花が咲きそうな物、20球あまり花壇に植え込みました。毎年、チューリップが咲くまでの冬の間、淋しい花壇に何を植えておくか悩むのですが、今年はスイーットアリッサムのシロを10株、マリーゴールド、冬知らず8株、スノーポール3株、一緒に植えました春が楽しみです。花壇の花と、プランターや寄せ植えの花鉢が、それぞれ春に向けて根を張り、つぼみを蓄え、葉を増やし、温かくなった春の日差しを受けて花が綺麗に咲きます。雪国育ちなので、主人も私もチューリップが大好きです。そして、春の花壇作りには力が入ります子どもが小さい時、多くは植えられなかったけれど花を育てながら、子育てと一緒だなと思っていました花を見ながら、こんなにもやさしい気持ちになれるのだからやんちゃや、思うようにならない反抗期の時も、花を少しでもいじることで、気持ちを真っ白にして、気分をリフレッシュして、3人のやんちゃくれの子育てに向き合ってこれたかな?そんな風に、花を育てることは、私にとって必要な癒しグッズだったようです。人それぞれに、アイテムは違うけれど、「私は、これで子育てのイライラをリフレッシュしました」という、アイテムや気分転換の方法良かったら教えて下さい。先輩達の、アイデアが、今を必死な若いお母さんの役に立つかもしれないし、それもいいかも?と、真似っこ出来る方法もあるかも?どうですか?
2006.11.04
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今日は、隣の養護園と合同で、バザーです。朝から、品物をならべ、値札をつけて、準備に大忙しでした。それにしても、11月3日は晴天率がいい特異日でしょうかね?とてもいい天気で、良かった良かった。私は、喫茶部門の担当だったので、コーヒーをいれて、ドーナツ、クッキーを売って、、、なにか、懐かしい気持ちがして楽しかったです。一緒に働いたのが、高校1年生の女の子だったので色々な話が、面白かったですね。自分に女の子がいないので、年頃の女の子と話すことが少なくて会話が楽しいですね早く、我が家の息子達よ、、、彼女を連れてきて、、、
2006.11.03
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今日、職場でハロウィンの仮装パーティしました!!子ども達も、各担当者が知恵を絞り、かわいい仮装の数々、、、本当に、みんな可愛かったです。私の「緑の葉っぱお化け」すごく怖かったです。自分でも、あとでビデオを見て、こりゃ泣くわな!!と、納得です。めちゃめちゃ怖かったみたいで、今日の夜は何人もうなされて座敷わらし(うちでは、“わらこ”と呼んでいます)のように、布団から起き出して、あたりを歩き回るかも?夜勤の先生、、、ごめんなさい。でも、やっている方もとても楽しんで、パーティが出来ました。その仮装のまま、隣の養護園まで出張して踊ってきました。春までいた子とかも、すっかりお兄ちゃんお姉ちゃんになっていて、去年はビービー泣いていた子が、平気そうな顔をしているのを見ると、すごい成長って早いなと、しみじみ思ってしまいました。いろいろな行事を通して、子ども達の成長の一端を見ていけるこの仕事は、なかなか楽しいです。自分の子が幼稚園でしていた集団生活での子ども達の様子を、想像したり、、、今度の行事は、みかん狩りです。また、楽しみだぁ!!
2006.10.31
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我が家の3人の思春期の頃、反抗期も大変だったけれど、友人関係やクラブ活動の様子にも、気を配りました。今、よく報道されている、いじめの兆候にいち早く気が付くようにと・・・親として、当然ですが、いじめをする側にも、される側にもなって欲しくないその気持ちが強くありました。私は、仕事もしていたので、きっと目の届かない所もあるに違いない・・・と思っていました子供達が学校で何をしているのか?学校で変わったことはないか?クラブやクラスで何か問題となっていることはないか?子ども達は、そんなに学校での事をあれこれしゃべってくれません。特に反抗期の頃は、不機嫌オーラを背負っていますので・・・そこで、私がしたことは、回りからの情報収集・・・年の近い兄弟達から、友人として良く口にする友達の母から、同じクラスの女の子の母からそして、PTAの役員仲間から、、、折に触れ、私には見えない子ども達の様子を聞くように努めましたそして、本人達とは前にも書きましたが、遠くへの買い物などでどうしても行かなければいけない用事の時に車で一対一になり、聞き出したり・・・あと、いじめ報道があると、よく本人達に聞きました。もし、自分がいじめられたとしたら、どうする?誰に相談する?と、、、大抵の場合、「わからない、でも友達かな?」と応えていました。その時、話の終わりには、必ず私が言った言葉は「もし、死にたい位に辛いことにぶつかったら、一人で抱え込まないで、おとうさん、おかあさん、兄弟達に言うんだよ。その時は、絶対にあなたの事を守るから、必死に一緒に苦しいことでも、戦うから、、、。決してあなたは一人じゃないから。みんな家族だから。もし、何も言わずに、親にも兄弟にも解らないで死んでしまったら、死んだ者もそれだけ苦しかっただろうけれど、残された家族はそれから、長い間ずっと苦しみ続けなければいけないんだよ。死んでしまって取り返しがつかなくなって苦しむよりは、生きて、辛いけれど歯を食いしばって何とか生きていたら、いつか乗り越えられることの方がきっと多いんだよ。一緒に頑張って乗り越えたいんだよ」と・・・子どもが小さい時、けんかすると最後に言い聞かせていました。「3人ともが少しずつやさしくなったら、けんかしなくて仲良く遊べるんだよ。いつもいつもけんかばかりしていたら、世界中のみんなともけんかして、いつか戦争になってしまう。そしてみんな死んでしまうよ。」私なりに考えて言っていたのですが、今日読んだ新聞のコラムを読んで、思わず手を打ちました。私はこんな風に言いたかったんだ。と・・・それは「世界中の人がみんな、今よりもほんの少しだけ優しくなれたら 誰かのことを思えたなら、 地上にあるすべての争いはなくなる」そう、これなんです。この心が大事なんです。いじめは、大人の社会でもあります。いじめは、放っておくと連鎖してしまいます悪い連鎖を断ち切らなければならないと思います。いじめられた人も何とか必死でその時を乗り越えた後で、いじめはいけないんだと、周りの人に伝え、子どもに伝えいじめた人は、「いじめは『犯罪』である」と、早くに気付いて心から謝罪して欲しいそして、やはり周りの人に伝え、子どもに伝えて欲しいいじめに気がついた人はいじめは悪いこと「犯罪」だと、声を出して欲しいその声を出す仲間と手を繋いで、いじめられて心がつぶれそうな人に手を差し伸べて欲しいやさしさを伝えることは、本当に勇気のいることだけど、取り返しのつかない後悔よりは、その時に出さないといけない勇気だし、その小さな勇気が持つ力はかけがえのないものだから・・・私は、中学時代にいじめられていたことと、知らない内にいじめる側に加わっていた経験があります。正義感が強すぎて、男子に中1の頃、いじめられていました、本当に辛くて悲しい思いで毎日いました。でも、私には味方になってくれる兄弟や友人がいました。泣いて歯を食いしばって、何とか乗り切りました。反対に、直接関係のない私が、友人がいじめる側にいたことで、特定の子を仲間はずれにする仲間と思われてその子から「何で、関係のないあなたまで私を仲間はずれにするの?」と、直接電話で涙ながらに訴えられ、「あなたにも、気をつけないといけない所もあるんじゃない?」と応えました。、、、その時、実際には何でその子が仲間はずれにされているかさえ、わかっていませんでした。でも、その時の様子は鮮明に記憶にあります。いじめられた経験がある自分がいじめの側にいることへの罪悪感がありました。その後、時間が経ち、いつの間にか、ゲームに飽きたかのようにそのいじめは収まり、結局私は当事者じゃないので、いじめていた原因も解らず仕舞いでした。でも、その子に、ずっと持ち続けていた罪悪感を忘れることが出来ず、本当に謝れたのは、自分の子が思春期に入った頃、同窓会ででした。実に20年近く経っていた訳です。いじめは、している本人達は、その罪の大きさに気付いていないんじゃないでしょうか。手遅れにならないうちに、気付かせてあげないといけません。心からの謝罪をするように、自分の子は悪くないんじゃなくて、もしかしたら、うちの子が?と、少し疑うように、気にかけて欲しい。親はアンテナを張り巡らして欲しい。少しでも気になったら謝る勇気の大切さをしっかり教えて欲しいいじめられている子も、確かに苦しいし辛いと思います。でも、心に手を繋いで側に居るぬくもりを伝えることが出来たらきっと、頑張る気持ちと、胸の内を話す勇気も出るのではないかと思います。自分が大切にされて居るという実感があって、はじめて他人の事も気遣う優しさが育つのだといいます。今、子育て中のお母さん達、大変ですが子育てをすることで、自分の事も一人の人間として大きく育ちあっていきましょう。
2006.10.30
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今日は秋晴れ、何処かに出かけたくもなるけれど、こんな日は、春の花壇作りと、寄せ植えの花鉢を作って、カーテンを洗って窓ガラスを磨き、網戸を洗い、綺麗になった窓越に色づき始めたケヤキとイチョウの並木を見えます。大好きなコーヒーを飲みながら、のんびりとした昼過ぎの一人だけの休日の時間あぁ!!至福のひと時テレビも本を読むのも自分の勝手、、、変則勤務の一番のメリットは、自分だけの休日の時間が持てること好きなことの出来る休日この窓からの景色がいづれ紅葉の綺麗な季節になり、春に綺麗に咲く様子を想像しながら、作りました。作りながら、わくわくとして楽しいんですよね。季節も良く、通勤途中の風景も楽しい季節です。このコスモス畑も綺麗に見ごろを迎えています。
2006.10.30
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4年半の大学生活を卒業し、来春就職する次男の選らんだ職種は、営業、、、、3人の中で唯一大学の文系学部に進学し、ゴルフ部で遊びながらもキャディのバイトで、接客を学び、麻雀の腕を磨き、今また雀荘でバイトして、接客を学んでいるのだという。確かに、次男は人当たりがいい方だと思う。場の空気を読む、気配りが出来る、機転が利く、気の利いた会話が出来るあくまでも、3兄弟の中では一番という基準で、、、家では、身の回りの事に無頓着で、部屋の掃除も殆どしない位、だらしないのに、かなりハードな今のスケジュール、時間の管理に関しては一度も私に頼ったことがない朝の3時4時起きなども、自分でちゃんと逆算して起きていく。気分のむらがない、機嫌の悪さを表に出さない、そこはすごく偉いと思う。長男、3男は起こして欲しい時は、テーブルにメモを置いて何気に頼ってばかりいたものだが、、、しかも、せっかく起こしても機嫌が悪いから、起こしてもこっちの方が気分悪くなる。今日、駅まで送って欲しいという次男を乗せて、道中に色々話した。今のバイト先で、バイトの人の、勤務の割り振りなどを管理するのを任されているのだという人間関係は、上手くいっているようで、店長や常務などにも信頼されて食事などにも良く連れて行ってもらっているようだ。自分を目当てに来てくれているお客も結構居ると言う。殆ど素の自分を出した普通の接客で、雀荘に来る人に喜んで貰うのに何を気を配っているのかは、私にはわからないが長く営業を必死にしてきた私の姿を見ていた次男営業の仕事で、何が一番大事か?「自分自身の中身、人間性、誠実さ、」と私が言ったら、「商品に自信がないと売ることが出来ない。」と、次男次男「仕事になれば、自信の無い物でも売らなければならないことも出てくると思うし そんな色々な葛藤とか、考え方を考えるのにも今勉強になっている」私「それも大事だし、でも信用を得るのは大変だけど、失うのは簡単、自分だけの利益を考えた売 り方では駄目、相手のリスクもある程度言える部分は説明し、あくまでも自信のあるもので勝 負し、相手の選択に任せる姿勢が大事。その上で、選択した場合、何かあってもそれに対し て、また誠実に対応することで、個人としての信用は崩れないから、また信頼関係は築き直せ る」と、営業マンとして、苦労した14年間の私からの送る言葉、、、 営業の醍醐味もあるけれど、成績の伸びない時の心の葛藤、苦しさ、、、次男もきっと 味わうことでしょう。 その時に、私はきっと解ってあげられると思う 私も、3年前まで、その苦しみを十分に味わったから 今日、もと同僚に会い、会社に寄ったら?と言われて 「まぁ、また、、、」と、曖昧に応えた私、 辞めることになった直前の、経営陣側との微妙な関係がまだ心に引っかかっています 外部の人でも「あれっ?」と思うような、経営トップでも刃向かったのでは、 そこではいられない訳で、、、、 あの時に、思い切って辞める決断をしたからこそ、今の職場に出会えたのだから 良かったと言うことで、、、、社長は好きだったから、会いたいなと思うのだけど NO2が、、、、?好きじゃないし、、、、 次男よ!!現実は厳しいと思うけれど、頑張ってね!!
2006.10.25
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もし、保育士試験に合格したら、次は何に挑戦しようか?と考えています。一つはケアマネージャー資格もう一つはカウンセリング技術そして、コーチング結局は人と関わるのが好きなんだと思うのですが、コーチングの事を調べていたら、自分のタイプを調べるエニアグラムの無料診断というのを見つけましたhttp://shining.main.jp/eniatest.htmlこれによると、私はタイプ2が一番当てはまるみたいです。カラーに赤がありました。職業に看護師、カウンセラーがありました。やはり、求めているのかな?まだ、コーチングの事も調べている途中なので詳しいことはわからないんですけれど、コミュニケーション技術とかを系統立てて学べるみたいなことを書いてあり、、、今興味があります。そして、大人の塗り絵にも惹かれ、キーボードを購入して童謡が弾けるようになりたいですし運動もして痩せたいですし、、、友達とも遊びに行きたいですし、、、小説をぼーっと1日読みふけって、掃除もしなくちゃいけないし、秋ですね。色々なことに挑戦してみたくなる、そんな季節です。言っているだけでは、何も実現出来ません。取り合えず、出来る事から始めます。明日は休日、まずは髪の毛のカットに出かけて気分一新します。
2006.10.24
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今、入院している子、、、昨日病院での付き添いが仕事で、1日病院にいました。今日当たり退院出来そうなぐらい、安定して熱も下がり、点滴も外され、食欲も出てきたので、1対1で子育てしながら家にいた、自分の子育てを思い出す余裕もありました。外で遊んで、家事をして、昼寝させて、笑顔に癒されて、泣き声にはらはらして、日々の成長の様子に平凡な幸せを噛み締めていたなぁ・・・と昨日、抱っこして、窓の外の車を見ながら10分20分・・・手遊び、体を使ってスキンシップをして遊んで10分、ベットの中に居る状態で、おもちゃを使って一人遊びをして、甘えるように側に居ることを確認しては、また遊び、、、やっとつかまり立ちが出来るようになった彼は、ぐらついて柵に頭をぶつけうぇ~んと、泣いて、、、よしよしとなだめると、すぐに泣き止み自分の事を見てくれているという安心感からか?いつもよりは、長泣きしませんでしたまだ、あまりわからないけれど、膝に抱いて絵本を見せると何かしら、うにうにとしゃべり一芸をを教えようとすると、唯一自分に出来るいやいやの仕草だけを得意げにして見せる。目が合うと、こちらの顔の表情で、笑ったり不思議そうな顔をしたり、彼もあれこれと表情を変え、それを見ているだけで、時間が過ぎていきました。昼寝している時に、記録したり、職場に定時連絡したり、持ち込んだ事務仕事をしたり何処かのんびりした1日でした。一番かわいいなぁと思う瞬間は、昼寝しながら、「ふにゃ~」とうめいて、私の事を目で探し、見つけて、、、こちらが、ねんね・・・と、やさしく口真似してあげると、それだけで一回目は目をつぶり、またしばらくして、、「ふにゃ~」とうめいて、またねんねと言うんだけど少し不安そうで、、、、今度は、小さな指に私のひとさし指を絡ませて、余った他の指でとんとんとしてあげると、ゆっくりまた目を閉じます。寝入ったことを確認してから、そっと指を抜きました。次は、胸をとんとんして、、、等、いろいろな段階を経ながらも、側に居る・・・という安心感を確認してから寝入る姿に愛おしさを感じ、でもこの子の置かれている諸事情を考えた時には・・・????子どもは、どの子も愛されて当然の存在として確かに生まれてきたはずなのに、、、親を選んで生まれて来ることは出来ません。昨日の新聞の記事、生命の危険のある病気を持った子供の親が、信仰の都合で手術を拒み、ネグレクトという事で病院が児相に通告、家裁に親権停止の請求をした。「生命の安全や健全な発達の為には早期に手術をする必要がある」として、親の意思より子どもの福祉を優先するべきだと判断し、手術は施行された。その後、親に子どもを育てる姿勢が確認されたので、その後請求取り下げで親権を回復した両親の元で順調に育っているという。昔、同じように宗教上の理由で助かる命を輸血の拒否の為、死んだ子どもの話を聞いた。怪我(複雑骨折)による、手術、輸血が必要で、その子は救急隊員に「ぼく死んじゃうの?」と聞き、隊員は「骨折だから手術すれば大丈夫」と、、、でも、手術、輸血は受けられずその子は助からなかったと、でも、その両親はあの子は生まれ変わることが出来ると、、、信仰を守ったから、、、それは、違うでしょ!?死んだその子は、どうなるの?と、、、、それから、その宗教は、私はとても理解できません。そして、今日も虐待死のニュース、、、産んだ以上は、その子の幸せをちゃんと考えて欲しい。育てられないと、わかっているなら、産まないようにする選択(避妊)もちゃんと考えて欲しい。育てたいけれど、諸事情で自分で育てられない時には、まずは一番に子どもの幸せを考えて欲しい。里親等、他に心底その子の親となり子どもに愛情を注いでくれる人もいるのだから、ぎゅっと、握ってくれた小さな手が、やがて、大きくなって、しっかりと幸せを両手いっぱい掴んでくれることを心から願っています。とても、かわいいぽっちゃりとした彼の笑顔を見ながらそんなことを考えた昨日の病院での一日でした。
2006.10.23
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私の職場では、それぞれの月毎に月当番の係りがあって、大まかな年間計画に沿ってその月毎の行事計画を立案するんですが、私は10月、11月と当たっているんです。10月は運動会の他にハロウィーンを今年初めてすることにして、色々と企画を練っています。私は、2月に赤鬼に扮して子ども達を脅かしたんですが・・・・これが、楽しかった。泣きながら職員にすがりついて、それでもこわごわ覗くかわいい目、目それで、今度はハロウィーンでも、おばけをすると立候補しました。昨日の夜勤で衣装作り。。。。この前の夜勤では、髪の毛が普通では面白くないので、緑のゴミネットを元に、緑のカラーのスズランテープ?を結びつけ、獅子舞の獅子のようなカツラを作り、体全体を緑のゴミ袋を使ったお化け仕様のマントを作り、腰には同じくスズランテープで腰蓑を作り、顔は完全に隠れるように、サトイモの大きい葉っぱを使って、マスクを作る予定です。サトイモの葉っぱは散歩の途中で、家庭菜園をしていたおじさんに、その頃一枚下さい(貰っていきますね)と、既に交渉済みです。わくわく、、、お化けになりきるぞぉ!!おぉ~!!保育士や幼稚園教諭の学校へ行ったわけではないので、殆ど自己流で、、、童心に返って楽しんでいます。結構、工夫して作るの、好きなんですよね。昨日の夜勤でも、童謡をいっぱい歌って、子ども達とリズム遊びしながら過ごしました。「もう一回!!」と指一本立てて、見上げてくれる子ども達「かわいい・・・」「むぎゅー」です。しんどくて、夜勤明けはぐったり寝倒してしまいますけれど子ども達の笑顔は、癒されますね・・・だから、頑張れるんですが・・・ちなみに、昨日は同級生(同じ47歳)の主任と一緒の夜勤だったので、話が合うったら、、、あそこが痛いやら、更年期かな?とか、真剣に子どもと遊んだら息が切れるわ、、とか、そして、夜中中食べる、しゃべる(勿論真剣な仕事の話が多いけれど)、ほんまに元気な40代です。
2006.10.19
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今日、8ヶ月児が、緊急入院することになりました。私が、受診に連れて行くと、まさかと思う子が緊急入院になることが本当に多いのです。熱は、確かにあるけれど、まあまあ元気だし、大丈夫かな?でも、一応薬貰いに行こうか?位に思いながら、受診に連れて行って、血液検査して、炎症反応高いし、気管支炎か、肺炎になっているかも?と、言われ、あれよあれよという間に、点滴してルート確保して、そのまま入院手続きしましょう・・・・なんてことに何度なったでしょう。その度に、点滴につながれた子どもを膝に抱っこして、車椅子に乗せられ、病棟に運ばれるのです。これが、また照れくさい。子どもはしんどいけれど、私はとても元気な訳ですし、、、明らかに親子には見えない私が、(産んだとしたら4●才の時の子?)子どもを抱えて運ばれていく訳で、何度も経験していますが、照れくさい、、、思わず抱っこして歩きますから、、、と、言うのですが看護師さん、「まぁまぁせっかく、病棟から持ってきたのですから、、、」と言われ乗っていく訳です。そして、入院時の説明、、、ひさし振りとはいえ、何度も入院時の対応していますので看護師さんも良く知っていて、「楽だわ、、、何も説明要らないもの、、」なんて具合です。これから、インフルエンザとか、RS肺炎とか、いろいろ心配な季節になるので続かないことを祈りながら、病院の付き添いを交代して職場に戻りました。私「また、一人入院送りにしてしまい、、、すみません。私が連れて行くと 入院になる可能性が高いみたいで。。。」スタッフ「仕方ないよね、重症児だから、さざえせんせいが連れて行くことが 多いのだものね」・・そうとも言えます。病院の受診がある時に勤務していると、8割がた、私が 受診に連れて行く役目です。車を運転できて、病院を熟知していると、、、 地元人なので、いろいろと、道にも詳しいので、他にも便利だという事で・・・ 唯一、職場で役に立っていると思える仕事です。 ぐずって困ることもありますが、一対一で接することが出来るので、 尚一層子どもがかわいく感じますしね。 この、仕事が楽しい、ということが、保育士試験を受けようとした 原動力だと思います。 入院したK君は、今熱と戦って点滴を受けていることでしょう。 早く良くなってね。
2006.10.17
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昨日、ようやく実技試験終りました。この二年間の集大成として、今は結果はわかりませんがやり切ったという充実感でいっぱいです。エンカレに書き込んだんですが、実技当日の様子です。私は、絵画と言語だったのですが、10時半に絵画のテストが終った後、なんと言語のテストは、14時45分からでした。家に帰るには距離も離れているし、その労力を考えると待つしかないな・・と。でも、周りは特にショッピング出来るような場所ではなく、大学近くの本屋さんは日曜なので閉まっていました。練習すればいいのですが、それでも時間がありすぎです。早めに昼食を取り、喫茶店にでもと思っても、一人では時間を持て余します。控え室に居る人の中に、私と同じような2時過ぎの人が居ました。その人に声を掛けて、「声を出しに行きませんか?」と、誘いました。自分一人だと、本番のような声を出した練習は無理だと思っていたので、、、その人も、声を出さずに一人で居ることに不安を感じていたそうで、早速、外に出て、人通りの少ない場所を選んで、模擬試験並みに入室する所から、そして年齢指定の場面からタイムを計りながらしました。目配り、声の大きさ、表情、速さなど、交替で年齢別に2通りずつ実演しそして、率直な感想を言い合いました。外の空気の中で、そして人通りの少ない場所を選びましたが、途中通りすがりの人が来ても止めないで演じきることで、恥ずかしさを超えた、開き直りのような度胸がついたと思えました。結果はわかりませんが、本番の時もかなり落ち着いて自分なりに出来るだけの練習の成果を出せたと思います。とにかく、事前に声を出すことを改めて思いました。絵画は、当日の指定が、保育士と園児の触れ合いの場面、設定は自由、保育士1人と園児1人以上を描くこと、色鉛筆で色を塗ることだったんです。一瞬、ざわっとした空気が流れたあと、一気にエンピツを走らせる音と消しゴムをかける音、、、、緊張感が会場中から溢れている中で時間は、刻々と過ぎていきました。私も一瞬テーマに沿っているか、迷いましたが、迷っても描きあがらないと思ったので、下の絵とほぼ同じ物を時間内で描きあげました。後悔はありません、自分に出来る限りの絵に仕上がったと思っています。練習を始めて間もない頃の作品が下です少しは表現力が進歩したかな?と自分では思っているのですが、、、どうですかね?でも、自分ながら良く頑張ったと思うので後は、運を天に任せます。神様、仏様、、、なにやかや・・・
2006.10.16
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いよいよ、明日実技試検の日となりました。この2年間、資格取得という目標があったから、休日も有意義でした。何かしらすることがあるということはいいことです。子育ても終っている、私は仕事が休みの日にすることを探していました。独身の人は、遊びに行くのに忙しいだろうけれど主婦は、家事を無視することが出来ません。手抜きはするけれど、遊んでばかりもいられませんし何よりも、主人の手前があるので最低限のことはしなくては、、、があります。仕事もしているし、そこそこ収入も取っています。でも、控えめに、かなり下出に出てこその我が家の均衡が保たれます。主人を8以上立てておいて私に対して、家事を手伝う等の思いやり2が返って来ると考えていますたまにいい気になって、立てることを忘れ、手伝ってくれて当たり前じゃん!!みたいな態度を私がすると、途端に気分を害して子どもと同じですねます、すごくわかり易いんですそして、本人が自分で言います「お前も馬鹿だね。男なんて上手に褒めておだてておけば、 気分良く手伝おうと思えるのに、 せっかく、手伝ってもありがとうもなく 当たり前じゃんみたいな、態度をされたら 手伝おうという気が無くなるやろ。」私「そうだね。私が悪かったわ。助かった。ありがとう。これからもよろしくね」主人「遅いわ・・・」私「しまった。。。」 今まで、それをちゃんと意識して、やっとここまで手伝ってくれるように なったのに・・・ 子どもと一緒で、褒めておだてて、手伝って貰うことを、 増やしてきたのに、 自分も収入が増えて、夜勤とかで体もしんどくなって 本音が出てしまった。 うちの主人は、男として一家の大黒柱として、 立てて・・立てて・・尊敬して、 私がぐーっと控えめにして、 ありがとう、お父さんすごい、頑張っている、さすが、お父さんのお陰、、、 ご苦労様、 こんな言葉と、その言葉を心底言っている私の気持ちがあって 初めて、 家族思いの、やさしい、まめな、仕事一途に頑張る、気前のいい、しっかり者の、 まじめな、面白い、、、こんな形容詞の付くお父さんに変身するんです それが、私が自分本位で、 家の事もちゃんとせずに遊びほうけていたり、 愚痴や文句ばかり言っていたり、 お父さんの事をないがしろにしたり、 見下したような言い方をしたり、 口応えばかりしたり、 言葉や態度がやさしくなかったり、 いらいらしてヒステリーな言い方をしたり、 あまりにもだらしなかったり、 の私の油断すると出てくる欠点の部分が、 言葉や態度に見え隠れすると、 途端に、主人の態度も変わります 細かいことにうるさくなり、(とても几帳面) 片付いていないことに、チェックが入り(綺麗すき) 何も手伝ってくれず、 (遊んでいたんだろ?) 収入のことで言い合いになり、 子どもにも、口うるさくなり 態度がガラッと冷たくなります うちの場合、とてもわかり易いので 私が気を付ければいいことなのですが、 夫婦って、少なからずそうした、 お互いを思い遣ったり、 気遣ったり出来て、成り立っていると思います どちらか一方ばかりが、 偏った我慢ばかりを強いられるのは、 何処かで、いつか無理が利かなくなると思います 家族は血のつながりで成り立つかもしれないけれど 家庭は、お互いの協力で思う姿(あり方)に築いていくものだと思います それこそ、いびつな岩を小さいもの大きいものいろいろな形の物を 工夫して積み上げていく、、 しっかりとした土台を作り、支柱を立てて、、、 土台はしっかりとした信頼関係 大黒柱は、人生観、価値観 屋根は、愛!!??(てへっ) 壁は、生活の中で一つ一つ塗り固めていくもの 窓は、子どもだったり ふと、そんなことも思い浮かべた今日 明日の本番の前に、思いました この試験を受けるにあたっては、 主人にも、何かと協力して貰い、 子ども達にも励まして貰い 自分自身も、 何かに打ち込むことで、 充実していたな!?と・・・ 明日も、実技会場まで主人に車で送って貰う予定です 頑張っている私や子どもには、とても主人は優しいのです。 人にも厳しいけれど、自分にも厳しい主人、 色々な意味で、お互いに持ちつ持たれつですね。うちの場合・・・
2006.10.14
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うちの職場のかわいい子ども達、、、その中の9ヶ月の男の子どちらかというと・・・便秘ちゃんです。赤ちゃんの時から、2日に一回出たらいい方で、、、3日出ないこともあったので、、、最近、ハイハイをするようになって、大分出易くなってきたねぇと、喜んでいたんですが、、、、昨日、えらくいきんでいるのに、なかなか○○が出てこない、、、以前、オムツを替えている時、まだ途中・・の兆候が見えたので便器に座らせたところ、一人前のウ○○ングスタイル・・・とても、上手にいきんですっきりと出し切った彼だったので今回もトイレですっきりとさせてあげようと便器に座らせました以前に比べ、座り方も安定してきて(勿論支えていますが)上手にいきみ始めた彼、1ツ2ツ、コトンと音がしそうな、コロコロとした○○が出ましたまだ、出そうな彼、うー~んといきみながら・・・うぇ~んと、べそをかいて、そしてまた一つコロッと、最後、ソフトの先っぽのような○○を出してようやくすっきりとしたのか、にこにこっと、、、、本当に、可愛いやら、笑えるやら、、、通りかかった職員や学生さんも、ブツを見て、しんどかったねぇと、、、笑って、笑って、子ども達の笑顔に癒されて、ぷにぷにの肌に頬ずりしまくって、15日に迫った実技試験頑張ります。明日は運動会、、、今日午後から明日15時までの宿直の勤務で、ベビーちゃん達と、眠気と戦いながらナチュラルハイになって、きっとはしゃぎまわることでしょう。
2006.10.12
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ここ最近、自分の検査から色々と人生、、、というものを、考えてきていましたが、、、ここに来て、思わぬ展開を見せることになりました。私の検査結果が良性でしたと、主人の実家の義母に報告をした私、、、今、思えば少し反応が悪かったようにも思いますでもそれも、実母ではないし、、、位で、気になるほどでもありませんでしたそれから2週間後、先月の末、主人の実家の義兄から電話がありました。「実はおばあちゃん(義母)が、最近、温泉に行った時に胸にしこりがあるのに 気がついて、、、、この前のおまん(方言であなたの事)から電話が合った日に 検査に行っていて、その結果が今日出て、手術して全摘、リンパかくせい術まですることに なった。悪性ステージは2強だと言われた。10月2日に入院、4日OPの予定だと・・・」なんてこと、、、私が大丈夫だったと胸を撫で下ろした矢先に、、、おかあさんが、、、御年、目出度く80歳、、本当に病気らしい病気もせずに畑仕事を生きがいに元気に今まで来たのに、、、この年になってリンパ郭せい術までの大手術を受けることになろうとは一番初めに思ったのは、例え手術が成功してもリンパ郭せい術までしたら、あとのリハビリの大変さと、あんなに生きがいにしている畑仕事が出来なくなるいつもニコニコとして朗らかなお母さんが、生きがいをなくしてしまうのがかわいそうだと思った。やはり、主人も主人の二人の姉も同じように思ったらしい。そして、昨日急遽病院からの電話で入院が延期になり、診察に行った結果新たに判明したことそれは、逆に肝臓にまで転移があるのでリンパ郭せいも無駄で手術はしないことに、高齢なので、抗がん剤も無理、放射線治療も無理で、ホルモン療法のみの治療をすることにしたとのこと、その診断結果を、義姉と一緒に聞いた義母は、転移のことは理解したのか、わからなかったのか?「手術をしなくてもいいことを非常に喜び、嬉しそうにDrがそう言った」という事のみ 報告してくれた。詳しいことは義姉に聞いたわけだが、主人と二人「きっと、わかっていて(そんなにぼけていないし)、自分の寿命だと割り切っていると 思う。畑仕事とかを張り合いに、とことん悪くなるまでいてくれたらいいけれど・・・!?」 と・・・今まで、割といい人生だったと思う。4人の子どもに恵まれ、それぞれが家庭を持ち、そこそこ、幸せに過ごしている。これと言って不幸なことはなく、盆に皆が集まりその中でいつも朗らかに笑っている。笑顔の似合うやさしい義母で、3年前になくなった義父も84歳まで生きて金婚式も迎えられた。同居の家族も優しくしてくれているし、、、だから、最後まで、出来るだけ穏やかに、心安らかに過ごして欲しい。心から、そう願う。年齢の近い、実両親の事も同じように思う。若い時に苦労した分、老後は平穏な日々を過ごして欲しい。そして、そんな老後を私達夫婦も目指している。
2006.10.04
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今年の4月に子宮癌検診を受け、6月に半日ドッグで、脳ドッグと乳房の超音波(エコー)とマンモグラフィーを受け、要精密検査となって、大きな病院に行き、改めて検査を次から次へと受けることになって、最後に確定診断の為に細胞診まで受けた。結果が良性と出たのが、奇しくも保育士試験の筆記試験の合格通知を受け取った日、、、何かしら、運命めいた物を感じないではいられなかった。この3ヶ月間、本当に長かった。いろいろな、もし?を考えた。初期なら、手術、、、転移していなければ予後はいいはずでも、あの影の大きさが、もし癌によるものなら転移の可能性もあるかも?そして、手術を受けるとしたら、家は?仕事は?術式は?本当に、考えなくてもいい位の事をああでもない、こうでもないと考えていた保育士試験は、どうする?筆記受かったとしても、もし10月なら入院の可能性もあるかも?何を自分は優先したいのか?自分の人生をどんな風に生きたいのか?もし、最悪の結果のとき、自分はどう現実を受け止めるのか?癌と戦う闘病記録をブログで、見て回り歩き、その人達の人生観、生き方に感銘して、涙が止まらなかったり、田舎の父の癌との戦いに、思いを巡らせたり情緒の不安定な、心の拠り所を探しているような、そんな、本当に色で言えばグレーな、限りなく不透明な海の中にいるような感じで何をするのも、気持ちが乗らず、心ここにあらずの状態・・・・この状態が、もし続き、確かな精神的支えもなく、更に不安材料が重なったり、絶望感に陥ることがあれば、欝かもしれない。そう思った、更年期のうつ、、、子どもも巣立ち、手がかからなくなって、体の不調にばかり気持ちが行き、気持ちの切り替えが上手くいかなければ後ろ向きな、そんな考えばかりに囚われるようになってしまう。自分はかなり精神的に強い方の人間だとばかり思っていたそれなのに、今となっては、たかがこの程度の事で気持ちのセーブも困難な程、落ち込み何も手に付かなくなるとは誤算だった。その中でやはり支えになったのが、家族、親、兄弟、友人達、不安になって、打ち消しているんだけど浮かんでくる嫌な「もし」のイメージ時には、甘えてわがままになって、優しい言葉をかけてもらうのを期待したり試しているようなことをしたり、言ったり今更ですが、ごめんなさい、そして、心からありがとう。私も、優しくならなくちゃ・・・これからもよろしくね。実技の絵画の練習途中分です。
2006.09.25
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筆記試験の合格で、言語と絵画で臨む私ですが言語の試験には下の作品でどうかな?と思っているのですが、、、3歳用に考えているのが、「あなにおちたぞう」というお話ぞう「ぼくは、この森に住んでいる 一番おお~きい ぞうなんだ でも、とても おお~きなあなに おちてしまったんだ でられないよう~~!!! だれか、 たすけてくれよぉ~~!!」さる きゃっきゃっきゃっ!! 「ぼくは、高い所もするする のぼれる、とても身軽な さる あれ? だれか? 呼んでる? きゃきゃきゃ・・・どうしたの?ぞうさん?」ぞう「やぁ、おさるくん・・・こんなおおきなあなに 落ちてしまって、出られないんだよぉ たすけてよぉ」さる「それは、たいへんだ。引っ張ってあげよう よいしょ・・・キャ~、すっと~ん 落ちちゃった でも、ぼくは だいじょうぶ こんな風に のぼっていけるよ」かば ずっし~ん、ずっし~ん、 「私は、力持ちのかばおばさん あさるさん?何を困っているの?」 ・・・・・って、感じで話は展開していきます。5才用は「りんごがたべたい ねずみくん」ねずみ「ちゅーちゅー、ぼくの大好きなりんごが いっぱい なっている木をみつけたよ たべたいなぁ でも、高い所になっているから ねずみのぼくにはとどかないや どうしたら とれるかなぁ」 ばさばさあ~と、とりさん 飛んできてとり「わたしは、自由に空を飛べるのよ あら、おいしそうな りんご・・・ひとつ たべましょ。 ぱくり」 ばさばさ~~、いってしまいましたねずみ「とりさんは 羽があっていいなぁ ぼくにも羽があったらなぁ 高い所も ひとっとびで りんごをすぐに食べられるのに」 きゃきゃと、さるくんやってきてさる「ぼくは、木登りが得意なさる きゃきゃ、こんな木はするすると 登っていけるよ。 おししそうなりんご ひとつ いただきぃ!! ぱくり」 さるくん、ぴょ~んと行ってしまいましたねずみ「さるくん、木登りじょうずだなぁ ぼくも 木登りできたらなぁ すぐにのぼって むしゃむしゃりんごを食べるのに・・・」 ・・・と、話は展開していきます言語の講習で、講師の先生がくれたアドバイスを元に原作を会話調に、シナリオ化して実技に挑むことにしました。一番強調されたことは、絵を見ないで聞いている、対象の児たちが聞きながら、場面を鮮やかにイメージ出来るような内容であるか?ということ、、、それと、必要以上のナレーションは、試験には無駄で登場する人物(動物など)は、必要最低限に絞らなければ子どもが混乱してしまう。など、自信はないのですが、練習して頑張ろうと思います。どうですかね?先輩の皆様方?
2006.09.19
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今日、今からこれからの人生に関わる結果を聞きに行こうと思った時に朝から何度も覗きに行っていた、郵便受けにこの通知が入っていました。封を開ける時のどきどき感、、、今起きてきたばかりの3男が一緒に見守ってくれていましたハサミで丁寧に封を切り開いて何処に結果が書いてあるのか?一瞬目がうろうろして探しました。右側、中央付近に「合格」の文字不覚にも、胸にこみ上げる物で一杯になり涙で声も、顔もぐしゃぐしゃになりながら側に居た3男に「やったやった、うれしい、うれしい」と言ったきりあとの言葉が出てこない。三男「すげぇ。良かった。すげぇ。」と繰り返しながら、笑っています。私は、恥ずかしいような、照れくさいような気持ちで洗面所に駆け込み、うれし涙にくちゃくちゃになった自分の顔を見ました。あと、数時間後の結果もきっと、大丈夫!!きっと、うれし涙のこんな顔が出来るはずそう信じて行ってきます。乳癌検査の最終検査細胞診の結果を聞きに行ってきます。
2006.09.14
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今日みたいな、日曜の休みは割と少ないので貴重です。朝はゆっくり起きて、近所の氏神さまへお参りに行きました。健康祈願です。いつもより、力が入りました。やっぱり、健康が一番ですよね。ということで、せっかくの休日、、、何をしようか?と思っていましたら、主人はカレーライスを作ってくれるというので、夕食作りが楽になった私。。。夏の帰省で、田舎から貰ってきたかぼちゃが、傷みそうなのでそれを使って、かぼちゃを使ってデザートを作ることに、、、何にしようか迷った挙句、かぼちゃケーキで、クリームをかぼちゃでモンブラン風に作って飾ろうと・・・・で、作りました。ジャジャジャジャ~~ン!!どうです。中々おいしそうでしょう。以前にアップした、基本のスポンジケーキをベースにして、かぼちゃのペーストを生地に練りこんで一緒に焼きます。ただ、苦労したのはレンジでチンして柔らかくしたかぼちゃをうらごししたこと。結構手間でしたが、これをしないと、クリームにした時の舌触りが良くないので頑張りました。かぼちゃペーストと、生クリームを合わせしっかりと泡立ててモンブラン風にして、飾りました。今回は、中身と飾りに白桃缶を使ったのですが、私としては、あずきを使いたかった、若しくは甘栗の缶詰めを使いたかったのですが出来栄えに自信がなかったので、経費を抑えました。おそらく、かぼちゃもタダなので、500円くらいしか、かかっていません。日曜のキッチンで主人はカレー作り、その横で私はケーキ作り、、、とても平和でのんびりとした休日でした。ちなみにうちのカレーはとても凝っています。元々凝り性の主人が作ることに目覚めた作品なので、私は完全に助手です。牛肉1kg、たまねぎ8個、じゃが芋、ニンジン、カレーのルーは、2種類をブレンドして大箱6箱使います。カレーが3日続いても子どもも文句言いません。本当においしいのです。そして、何より私が楽なのです。夜勤でいない夜も、前日が日曜とかだと、作ってくれるので家事が本当に楽になります。本人も、みんなでおだてるし、綺麗に大なべたっぷりに作ったカレーがなくなるので喜んで作ってくれます。いい事だらけのカレー作りです。
2006.09.10
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去る9月1日は、私達の結婚25周年でした。25周年って、もしかしたら銀婚式ですよね。忘れていたと言うか?気がついていませんでした。10周年の時には、今の家を購入して、20周年の時には、静岡に富士山を見に夫婦2人で旅行に行きました。25周年の今年は、何処か秋に行こうか?とか言いながら、今年の1月には久しぶりに家族5人揃った家族旅行に行き主人の母も一緒に行くことも出来たし、それはそれで良かったかな?本当に早いものです。子ども達の巣立ちも近づき、寂しさも感じないではないですが巣立った後の、夫婦二人の、あとの長い生活を思っています。仕事人間の主人が60歳頃を目処に今の自営業を辞めた時4歳違いの私は、元気ならまだ仕事をしているだろうな友人付き合いも殆どない主人は家にいるようになった時何を生きがいにするだろう?テレビを日長1日見て過ごし、もしかしたら食料を買出しし、夕食を作って待っていてくれるかも?(*^m^*)ムフッ♪主婦と主夫が立場逆転するかも?本来、几帳面でまめな主人が家事を好きになれば私なんかより、立派に主夫になると思うし、、、私は、外で稼いで、「今日は、付き合いで遅くなるわ。。。」なんてね。それに、近くの農地を借りて、野菜を作り、遠くで家を構えた息子達に送ってあげて、、、私も、定年になったら、もしかして、今の家を売って二人の実家に程近い、新潟に帰って、老後を過ごす家を建てそこでゆったりと、畑仕事や温泉めぐりをしたり、幼馴染や古い友人達と親交を深めるのもいいかな?息子達には、田舎が出来ていいかな?とかいろいろ老後の事とか考えています。この前、老後夫婦二人で80歳頃までそこそこの楽しみながら過ごすには持ち家で、ローンが終っていて現金でいくら位あればいいか?なんと3000万円Σ( ̄ ̄ ̄Д ̄ ̄ ̄lll) ガビーン大変です。結構がんばっている方だと思うのですが、まだまだ働き続けない限り届きません。遠い金婚式の頃、両方の両親が仲良く元気に迎えた様に、私達二人も、今のまま自然体で元気でいたいな。と、改めて思いました。健康が一番です。
2006.09.09
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9月の4日、5日の一泊2日で、宿泊保育に引率して来ました。児3人(2歳、1歳半、1歳3ヶ月)と、職員3人の一対一の体制、、、ゆったりとした日程で、水族園を見て近くのホテルで一泊、翌日は近くの散策の後、帰途に着く。というもの、、、それでも、私以外の2人の職員は、今年入ったばかりの新人で、宿泊保育は初体験、、、子ども達のうち、2人は外でのお泊りは生まれて初めて、、、経験者は私だけで、しかも一番の年長者、事実上、この行事の責任者的立場でのこの宿泊保育は、楽しかったけれど、気の張る2日間でした。夜も、子ども達の寝返りや、寝ぐずりで、おちおち寝ていられず、熟睡感のない一夜を過ごし、2歳になっても、抱っこをせがむ子どもを抱っこしながら移動したり、電車に乗ったり、ご飯を慣れないレストランのような雰囲気の中で食べさせたり、その日常的な生活の一つ一つが、気を使うし大変でした。かつて、自分の子ども3人を(5歳、3歳、1歳)連れて一人で、約5時間電車で帰省したり、姉の家に遊びに行くのに、3人連れて電車、バスに乗って2時間余りの道中を往復したバイタリティは20代の時、、、、若かったなぁ。そんなに疲れたと思わなかったのに今回は泥のように疲れました。年を感じました。それと、今回のメンバーですが、47歳の私、30歳の先生、24歳の先生、、、3人の3歳までの子ども達のこのグループ、、、他の人には、どんな風に映っているのか?ばあちゃんと嫁、娘と孫3人?ぷっ??笑える?でも、本当に書き切れない、珍道中で疲れたけれど無事に終ったので楽しかったねぇ!!!と、一緒に行った二人の先生と反省会をしました。普段、院の中では見られない、子ども達のいろいろな表情が見られて本当に可愛かったです。どうせなら、自分の本当の孫も早く見たいものです。
2006.09.06
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先日、北海道に行っている3男からの写メールが届いた。お土産はいらないから、とにかく写真撮ってきて・・と言って、送り出した。大きくなってからは、本当に写真を撮らせてくれなくなり、最近の我子の笑っている顔の写真は皆無と言っていいほど。でも、先日富士山に登った長男の久しぶりの笑顔の写真を見てやはり、旅行で、友達が撮れば笑顔もありなのかな?と思って3男の写真も期待している訳だけど、、、、下の写真本人が映っていません。一人旅なので難しいかもしれないけれど・・・電話で聞くと、人からは「シャッター押してください」と頼まれて撮りまくりだと・・・なら、その時に「自分もお願いします」と、言えばいいだろ?「うん、大抵押しましょうか?」と言ってくる。だったら、どうして?「いいです」って断っているから。ですと・・・景色は確かにいいよ。それもそれで思い出になるには違いないよ。でも、後で証明じゃないけれど、自分が本当に行ったのかな?と淋しくなるかもよ?少し位自分も映りこんだ写真とって来いよ!!と、言うだけ言ったけれど、おそらく1枚か二枚がいいとこでしょうね。そんな三男の旅行も、今日の深夜に乗るフェリーが最後の夜になりそうです。船中泊2日、漫画喫茶泊?2日、民宿素泊まり3日の、質素なのか豪華なのか?のらしい旅行になったようです。それでも、知床は満足、満喫出来たみたいなので、良かったのではないかな?明日の深夜に帰るので、お土産話はもう少し後になりそうです。
2006.08.31
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昨日の夜中、正確に言えば、26日の夕方から深夜、明け方にかけて事件発生!!私は、土曜日その日は夜勤入り、夕方の4時頃家を出ました。遠くから雷の音、、、出掛ける前に、犬のエースの居る小屋の方を覗くと、なにかごそごそとしてはいるものの、まだまだ大丈夫な様子。一瞬、雷来るし、家のもの誰も居なくなるし、夜主人が帰るまでにきつい雷だったら吼えまくるかな?処方して貰っている、精神安定剤飲ませようかな?と、考えがよぎりましたが、もう、老犬だし、この頃あまり前みたいにきつくは吼えなくなったし心臓も弱ってきているし、出来たら飲ませたくないな・・・と、判断し出勤その1時間後位から、雨、雷が鳴り響き、仕事していても気が気じゃないけれどどうしようもありません。いつしか、忘れて仕事をこなし朝になりました。朝、9時、、、家に帰ると、エースは泥で真っ黒で、見るも無残なあわれな姿目に精彩はなく、一辺によぼよぼになったみたいな情けない顔つきで私を見ます近寄ると、エサにもまったく口をつけていない様子。家にとにかく入り、主人に聞くと主人も、昨日の雷が気になって、出来るだけ早く仕事を切り上げ夕方7時頃には帰宅したのだといいます。家の門扉は閉まっていて(この頃硬くなって開き難い程)犬小屋のほうを覗いたら、エースが居ない。鎖が切れていて(少し錆付いてきていて弱くなったみたいです)、これは、また近所に脱走したな。と思ったそうで、以前行った前科のある家の辺りで小さく名前を呼びながら探して回ったそうです。でも、返事もなく音もせず、近所を回ったけれど諦めて家に戻ったと、、、きっと、雷に怯えて脱走して何処かで震えているのだろうとまぁ帰って来るのを待つしかないかと、考えて一旦諦めたそうです。でも、夜中起きるたびに気になり覗いてはいたみたいです。夜中3時に目を覚ました時には、深夜バイトから帰った次男が居て、「おとうさん、エース居ない。」と言い、夕方から居ないこと、自分も探したことを話し、次男も自転車に乗り近所やいつもの散歩コースの公園まで足を伸ばして探して来たことを、二人で話したそうです。まぁ、どうしようもないなと言うことで寝て朝になり、家のピンポーンが鳴り、出てみると、斜め向かいのご主人と警官に連れられたうちのエースが居て「朝起きたら、玄関の横の植え込みの中でおとなしく座っているのを見つけて何処の犬か解らないので、警察に連絡して来て貰って保護して貰おうと思ったら、向かいのご主人(うちの隣のご主人)が、出てきて、隣の犬だと思う」と言って貰ったので、、、、という事情らしい。すぐに、斜め向かいの家にお礼に行ったら、留守で、、、帰ろうと思った所にご主人が帰宅してきたのでお礼を言い、改めて事情を聞き、迷惑をかけていないか確認して、深々と頭を下げてお礼を言ってきました。幸いなことに、さほど迷惑になるまでのいたずらはしていないようで、ほっとしました。斜め向かいのご主人、面識はありますが過去14年間で話したのは会釈以外では、数回程度、奥さんとは結構親しく話はさせてもらっていますし、犬の事も勿論知ってくれていますが、奥さんはどうも留守らしく、ご主人はうちの犬の事等知らなかったらしいです。犬を飼っていない家の人には、関心がないものですね。なんにしても、ドロドロのエース、今日シャンプーしました。一時間以上かかって疲れました。へとへとです。昨日、やっと北海道上陸を果たした3男にそのことを報告するとすごく心配して、でも良かったと言っていました。3男にとって一番の癒しの存在なので、留守中に何かあったら大変でした。良かったです。
2006.08.28
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今頃、3男は北海道へのフェリーの中、新潟沖位でしょうか?21時間の船旅です。一人旅ですので、時間を持て余すことでしょう。長男なら、一人旅には行かず、次男ならおばちゃん相手でも、会話が出来、3男はひたすらMDを聞いて、海をぼんやり見ているんじゃないかと思います。3人三様の性格、旅の目的から違います。同じ北海道好きでも長男の場合、パウダースノーが目的のスノーボードをする為の北海道次男の場合、競馬で見た競走馬の美しさに惚れ、牧場を見に行く北海道3男の場合、雄大な自然に触れて、癒されたい為のネイチャー目的の北海道大きくなった我が家の3兄弟、昔のように手をかけることもなくなったけれど外で社会に触れながら、すこしずつ、男らしい大人になっていく姿を感じるのが今の私の至福の幸せわざと、意地悪してみたり、あしらうとため息混じりに、大人気ないなぁみたいに、反応してくるのがまた楽しい・・・なんたって、私は我が家で唯一の守って貰うべきおんなの子ですあっ、犬のエースもめすでした嫁さんを貰うまでのしばしのひと時やんちゃくれ3人の男の子3人を育てた楽しくも大変な苦労に対してのやっと巡ってきたごほうびのひと時です。いじりたおして、それでも、母には感謝しなさいと無言の圧力、、、あぁ~~!!楽しい!!
2006.08.26
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先週に受けたMRIの検査の結果、今度は細胞診という段階に進むことになりました。まだまだ続くよ、、、検査君って感じです。今日、診察室の前で待っていたら向かい合わせに座っている人に見覚えが、、、、考えることしばし、、、見たことはあるようなんだけど、名前が思い出せない、、、、こんなことが最近本当に多い 年?しばし考えるもう一回顔を見るあっあっぁぁ!!向こうと目が合った。向こうも何となく気になっていた様子私が口真似で○○さん?と言って見た向こうも指差しながらさざえさん?と、、、、本当に久しぶり結婚当初住んでいた団地の同じ階に住んでいて何かと交流があった人同い年で、お互いに団地を引っ越してからも私の前職の関係でお客さんとして、6年程前までは親交があったでも、それから殆ど逢うこともなくましてや、この病院はお互いの住まいからはかなり離れているそれなのに、同じ乳腺外来の同じ時間帯に出会う偶然やはり、年齢的に癌検で引っかかる時期なのだろうけれどそれにしても奇遇お互いに悪性でないことを祈りながら別れたさて、私の検査はまだ続くことになり、少し開き直って来ているけれど予約を取るのが大変、仕事の関係上休み難い日もあり混んでいて先延ばしになるのも嫌やし、担当の医師の関係もあるし、次の検査は9月の始め、結果は翌週で、、、となるとこのグレーな気分とはいつになったら開放されるのか?保育士試験の実技対策もしなくてはならないしう~~~ん気分が乗らない、、、、でも、やるしかないか?ということでこんな絵を描いて練習しています。良かったら感想お願いしますね。この絵を45分で仕上げるのが今の自分には精一杯もう少し上手に描きたいのだけど、中々難しいものです。
2006.08.23
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さっきも、スーパーで近所の人なのだけど、特に付き合いのない人に声を掛けられました。「お宅のワンちゃん元気?」「はい。そちらの○○ちゃんは元気ですか?」「うちのは、13歳で死んだのよ。××ちゃんも死んだし、あそこの子も。。。 お宅のワンちゃん何歳だったかしら?」「14歳になりました」「そうなの?長生きでいいわね。それじゃ、ワンちゃんによろしくね」など、ここ最近良く交わされる会話である。ここに、引っ越してまもなくに飼い始め、近所を散歩で歩いてそこかしこでワンコを通じての顔見知りが増えて、私は「エースちゃんのおかあさん」だった知っているワンコの殆どがここ2,3年の間に死んだようだ。もしかしたら、大袈裟でなくうちのエースがここいら辺一帯のご長寿NO1かも知れない。ここまで、話してうちのエースはどんな顔?と興味も湧いたと思いますが、ヒント父がビーグルなので耳は垂れています母がハスキーなので、大きいですそして、目はブルーです。どうですか?愛嬌あるでしょ!!なかなか、いいおばあちゃんです。今年の夏はさすがに応えているみたいなんで、どうだかな?もう少し長生き頑張れ!!我が家のエース!!
2006.08.22
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大学2年の3男、、、去年はバイトづくめで遊ぶ暇が一つもなく、暑い夏の間中本当にバイクで寿司の宅配のバイトを頑張りました。去年の4月の終わりから今年の3月まで準社員だなと本当に思う位の日数で働き、一年間で100万貯金しました。バイク用品を少し買った位で、無駄使いらしい無駄な買い物はせず、、、(出来ず、、もったいなくて)今年は燃え尽き症候群で、何も手に付かず、、、殆ど家に居る夏休みというのも、前期のテスト、レポートが大変でそれに集中する為に、バイト探しは出来なかったのです。終ってからでは、思うようなものもなく、、、暇を持て余している3男に主人が「今年の夏休みくらいしか、ゆっくり出来ることないんだから何処か旅行にでも行って来い。何もしないでごろごろしていたらもったいないぞ。バイトで貯めたお金があるんだから、、、、お金っていうのは、使う時には使わないと、またバイトしなくちゃと思わないもんや。思いっきり使って来い」と、一言、、、、その言葉で、3男「そやな、じゃ北海道に行こうかな?」と、やる気になり、インターネットで調べ始めました。行きたいのは、知床とかの自然がいっぱいの所で、現地でバイクを借りるとか、ネイチャ-ツアーとか、遊覧船で海からの観光とか考えているみたいです。行きも帰りも船で行くので船中泊2泊の時間だけはたっぷりかけた、7日から10日の予定で、予算は20万位?を予定しています。本人曰く、バァッと使うのだそうです。普段のけち振りからは想像もつきません。普段は大学の学食代がもったいないからと、昼抜きで家に4時頃帰ってから食べることもあるほどです。おそらく、船内での食べるものとか、旅先での食事とか結局ちびちびケチるか、わけ解らなくなって散財の限りを尽くすかどちらかだろうと、本人も言っていますが、どうなることやら、、、、大学時代、生き生きと青春を謳歌しながらも、着々と大人に成長して欲しいと願う、父と母なのでした。ちなみに、うちは全員北海道好きです。見ていたら、うちらも行きたくなってきたねぇ!!!と、主人とネットで夢を膨らましています。行きたいよう!!
2006.08.22
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私の実家は、田舎の代名詞で使われる日本海側の米どころです。兄弟は兄、姉、私、弟の4人兄弟、実家は兄が両親と同居していて6人家族、弟は車で7分ほどの距離の所に住んでいて、姉と私は関西でそれぞれ所帯を持ち、田舎に帰れるのも1年に一回がいい所です。子どもが小さい時は、親も元気で、まだちゃんと代変わりもしていなかったので、私達も子どもを連れて3泊4泊とかしながら、海で海水浴やら、山へ行くやら里帰りをのんびりとさせて貰っていました。それでも、帰るときにはお土産、家へのお世話代として、小遣いを兄、義姉に渡し、ご飯作り等も一緒に台所に立ち、決して義姉に押し付けたりしていませんでした。これは、実家の母の教えでした(自分も若い時大変だったからと)。普通以上に実家の兄、義姉に気を使って、帰省するのに、旅費(約5万円)やお土産代(約5万円)等別に小遣い、、、と、かなりかかるので、他に殆ど旅行に行ったことがありません。それでも、両親に一年に一回位は逢いたいし、ゆっくり泊りがけでたわいもないことをしゃべりながら過ごしたいと思っていました。大きくなった孫の姿も見て欲しいしもありました。病気がちになった両親は、中々私や姉の所には来れません。それこそ一年に一回がいい所です。家から出てからは、そんな風で年に二回しか逢えない両親。経済的には、長い間、若夫婦を助けて来て、子守をして、働いている義姉の手伝いに家事一切を母がして来ています。長患いで、迷惑をかけることもなく、元気に畑仕事をして、野菜を作り、内孫達には、小遣いや各種祝い事にお金を出し、(外孫には半分以下です)、内孫の就職祝いには50万円を渡し、、、本当に両親も老後の事もあるし、嫁さんに気を使い、孫を精一杯可愛がり、長い間経済的にも助けて来ました。5年程前に父も75歳になり、兄に代を変わってから急に義姉の態度が変わりました。外に出た私と義姉ばかりか、近くで所帯を持っている弟家族でさえ、家に寄せ付けなくなったんです。田舎では当たり前のお祭り、正月、お盆に弟や外孫(ほんの近くに住む)を、実家の家に泊まらせなくなりました。遠くから、訪ねる私や姉家族でさえ、泊まっては困ると言います。部屋は、何部屋も余っていて、布団の用意などは母の仕事です。一泊分以上の土産も持ち帰りです。正直義姉に直接世話をかけていません。それなのに、世話をしなくてはいけないのが、嫌だからと、、、はぁ?って感じです。田舎の方は、今でも古いしきたりが残っていて、実家を継いだ長男(若しくは継いだもの)が、両親の扶養の義務と共に、財産の一切を家業を継ぐ為に一子相伝です。(うちは農家で山、田、畑、土地)等、一応両親を老後みて貰うのに十分な財産があります。外に出た者は、遺産放棄のハンコを付くのが普通です。でも、今回実家に泊まることを拒否され(お土産だけ受け取って)、実家なのにゆっくり寄ることも出来なかった情けなさと悲しさ、、、、年に一回の事なのに、それさえも許してくれない、義姉の心の闇!?と、その言いなりになるしかない実の兄のふがいなさに涙が溢れました。母と一緒に泣きました。母は言います。年寄りは、諦めて我慢して、それでも喧嘩をしないように一緒に居るしかない。同じ家に暮らしているのだから、、、とでも、ここ数年の義姉の態度で、そんなに怒りというものを感じない私ですが、情けなさで湧き上がってくるものがあります。権利ばかりを主張して、メリットがなくなれば切り捨てようとし、義務を果たそうとしないのであれば、私達長男以外の他の3人の同じ子どもとしての権利を主張しなくてはなりません。そして、当然の事ですが、扶養の義務も同じにしたらいいのだと思います。本当は相続の事でもめるのが一番親の苦痛なので避けたいのですが、後に残った親を守る為にも戦わなければならない時が来るかも知れません。同居しているお嫁さんの立場からすれば、言いたいこともあるでしょう。でも、お互い様の部分もあるんじゃないかと思うんです。とても、辛い帰省になってしまいました。
2006.08.16
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6月の末に、半日ドックを受け、結果が来たのが7月の末、、、オプションで受けた、乳房の超音波検査で引っかかり、マンモグラフィは異常なし、、、触診も異常なし、、、実は、超音波検査の時、検査の画面が自分からも良く見える位置にあったため、食い入るようにその画面を見ていた私右の乳房の右上部の辺り、検査技師の手がピクッとして、そしてその辺りを何度も行き来し、そしてサイズを測り始めました。明らかに、他の部位と違う映像、、、昔取った杵柄でなくても、明らかに他の部位と違うことは解っていました。なので、結果が来る1ヶ月の長かったこと、、、試験も気になるけれど、それよりも検査結果が気になって気になって、、、検査結果が来て見れば、やはりと思ったので、とにかくシロなのかクロなのかはっきりさせてよ!!という思いのままの生殺しの気分が嫌でした。そして、すぐに思う病院に乳腺外来の診察日と休みの日を合わせ、受診、、、7月の20日頃でした。でも、検査結果のデータをわざわざ借りて持って行ったにも関わらず、改めてその病院での再検査(同じ超音波検査とマンモグラフィ)が必要と言われ、検査したのが昨日、結果が今日、、、本当に休みが全部つぶれてしまいます。結果、やはり超音波検査で引っかかりました。どうも、乳腺炎の痕があるのは確かなのだけど影があるのが、中身が水なのか、袋状になっていて空気?なのかはっきり解らないので、今度はMRI検査で調べることに、、、場合によっては穿刺して組織検査をするかも?と言われ、今度こそ白黒はっきりさせてよぉ!!と、叫びたい気持ち、、、、このもやもやとした気持ちがとても気持ち悪い、、、主人もとても気にしていて、今日の検査結果を聞くのに、仕事から抜けて様子を見に病院まで来てくれました。その気持ちはとても嬉しいのだけれど、おそらく大丈夫だからと仕事に戻って貰いました。待ち時間が長すぎて、仕事が心配なので、、、結果を聞いてから、電話したら、また長いこともやもやしなくちゃならんな。。。と、本当にすっきりとした気持ちで、里帰りしたかったけれど、仕方ないので早めに切り上げて検査を受けることになりました。自分で自己検診をしていたので、しこりに気付くことはありませんでした。実際にしこりはDRも触れないらしいし、、、超音波検査を受けていなければ、気付かない症状、、、X線でも出ないと言うことは、癌の石灰化した画像は映っていないということだからおそらく悪い物ではないと私も思っているけれど、心臓はばくばくです。私の前に診察だった30代後半?のスタイルのいい綺麗な奥さんは、初診でいきなり細胞診の検査依頼していたので、急を要する明らかな所見があるということ!?私の場合は、間を空けても大丈夫な急を要しない所見だということかな?と、安直に判断しています。皆さん、30超えたら、自己検診と時にはマンモグラフィーと超音波検査を受けましょう。安心料と思えば、検診代も安いものですよ。
2006.08.09
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この頃で話題になったと言えば、パロマの湯沸し器の一連の対応ですし、昨日のテレビでは、社保庁の年金の払い込みの記入漏れなどに関してしていましたが、辛いけれど、クレームは最初の第一印象でのお詫びの対応で後が決まるそうですね。確かに、簡単に間違えては困るし、簡単に認めることは出来ないかもしれないけれど最初にまず、申し訳ない、十分に調べて善処します、あとは納得がいくように説明します。この姿勢が大事なのではないでしょうか?人の責任にして、責任逃れ、関係ないとばかりに知らぬ存ぜぬを通したのでは、壊れてしまった信頼感を取り戻すのは0から築くより難しくなってしまいます。まずは、クレームを誠実に受け入れる態度が大事だと思うのですがどうなのでしょうね。私は、あまりクレームをつけるのは得意ではないのですが・・・どちらかと言えば、謝ることばかりしてきたので、勢いで怒鳴ったり、いちゃもんをつけたり、文句を言ったり出来ないんです。怒った事によって、傷つけたかな?とか、反って気にしてしまいます。後で、倍ほど気を使ってフォローして、何故か謝ってしまう程です。そんな、私が今日出版社にクレーム電話を入れました。今保育士試験勉強で煮詰まっている所ですが、参考書として使っている対策本の中の記述が間違っているんです。それが間違いと気付くまで、、この1週間程前まで、間違った方で覚えていました。なので、これは他の受験生達にも知らせてあげるべきかもしれないと思い、直接出版社に電話しました。「貴社の○○年度出版の保育士試験教本の○○ページの記載事項の何々が間違っています。確認下さい。」と、受付のお嬢さん「しばらくお待ち下さい」と、、、ものの2,3分で「担当者の何々です。何ページですか?」と私「何ページの何々の箇所と何ページの何々の箇所です」と、伝えると、「そこの始めの指摘箇所は、他からも多数指摘があり、改訂版では修正させてもらっています。 もう一箇所の指摘箇所は、気付いていませんでした。ありがとうございます。 最新の改訂版に交換させてもらいますので、改めてメールで住所など知らせて下さい。」との、対応、、、 その後、早速メールで要件などを送信した所、すぐに返信メールで丁寧にお礼が述べられていました。 会社の規模等もいろいろとあるかもしれませんが、今回の会社の対応は、気持ちよかったです。電話で直接しゃべった感じも良かったんですが、お客様をどう考えているか?だと、思います。大切なことですよね。試験間近でぴりぴりしていますが、ちょっとほっこりしました。改めて頑張ります。
2006.07.31
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去る1995年ウィンドウズ95の大々的な宣伝につられ、デスクトップタイプのパソコンを買ったのが最初の一台、当時の金額で25万円、ハードディスクも今から考えるとありえない、確か1GBもなかったのではないか?それでも、ワープロ作業が殆どの私にとって、十分なもので、ワープロを買うかパソコンを買うかで悩んだ挙句、これからの時代、パソコンくらいいじれないと、、、と、決断そして、当時、中1、小5、小2の男の子だった我が家、、、30後半の私がパソコンを習いに行き、息子3人に教えることが出来たら、‘一粒で4度おいしいじゃん’とせこい考えがありました。以来、その頃からぼちぼちと収入を得ていた私は、元々は子どもの手が離れたら、テニスに行ったり、趣味の教室に行ったり楽しもうと思っていたので、その分を教室に通うから。。。と主人の許可も取り、パソコン教室に通いました。一太郎検定にも挑戦しエクセルも習い、普段の仕事で売り上げなどのデータ管理をすることも出来るようになり、他に趣味らしい趣味も持たずに、ずっとパソコンに投資してきました。お陰で、3人共にパソコンに対して、興味を持ってくれて、初歩的なことから、ある程度の事までは、私が教えることも出来ましたので、ちゃんと元はとれたかな?と・・・大学院まで進んだ長男等は、研究データの処理から、プログラム作成までこなすようになりましたし、そこまで皆が使うようになると一台では足らなくなり、壊れて買い替えもありで、11年間で6台目となった訳です。長男が家を出て、2台(ノートとデスクトップ)持って行ってしまったので、次男と三男、私で残った一台を争奪戦となり、テスト期間が始まり、私が使える時間が減ってしまったので、もう一台次男用に買いました。初めて家の中で一度に2台同時にネット繋げる環境に設定しました。説明書を読みながら、どうにか、、、思えば、一台目からネットに繋ぐ、配線、メモリーの増設など、機械音痴だった私が主人に頼らず出来るようになったのには自分ながら感心しています。好きこそ・・・で、ここまで出来るようになった私を、子ども達も一目置いてくれているようです。この前の帰省で、長男がメッセンジャーの設定をしていってくれて、さっきパソコンをいじっていたらメッセージが入ってきました。チャットのように、画面上で会話を楽しんだ後、あと5分ほどで出勤するわ。今日は夜勤や。との事、親子そろって夜勤ありの仕事、、、それでも、大きくなった息子の一人暮らしの様子を想像しつつ、4月からで9キロ痩せた息子に、この夏の帰省では何食べさせようと考えています。「男ばかりで会話もなくなるよ」と、皆に脅され覚悟をしていましたが、パソコンが息子達との距離を、短くなるように橋渡ししてくれているのかもしれません。11年間で6台を買いましたが、月に治せば1万円位の経費です。他に遊びに関しての浪費をしていませんので、安かったように思います。
2006.07.25
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中々、更新がままなりません。この16日(夜勤明け)から今日まで3連休しました。16日は、長男が帰省していたんだけど、もって行ってたノートパソコンが壊れる寸前と言うことで、大学で使っていたデスクトップパソコンを、急遽今の住まい静岡に持ち帰ることになり、宅急便で送るのもなんなので、主人と私が一緒に車で静岡まで送りました。私は、夜勤明けなのでほぼ荷物のように積まれて行った状態。。。スヤスヤ往復で約600キロを日帰りし、泥のように眠りこけた次の日曜日そして昨日は、検診の検査データを取りに行き、その後勉強今日は朝一番に、大きな総合病院へ行き受診結果は、改めて検査するのに予約しましょう。。。との事、わざわざ、検査データを、超音波とマンモグラフィのX線写真を持って行ったのに取り直し、、、何かもったいないよね。でも、仕方ないか、しぶしぶなので、まずは保育士試験が終ってから再検査ということになり、気分はグレーながら、集中します。現在の勉強方法ですが、、、、とにかく、自分で自分にクイズを出してその重要語句に反応出来る様にしていますそして、うろ覚えだなぁと思ったり、やはりここは苦手だと思う箇所は書き留める、、、単語帳を作り、主要項目毎に分類し、まとめています。時間が迫って焦ってくると、何か一つ疑問に思ったことが、「何だっけ」確かあそこに書いてあったんだけど、、、なんて、不安になり確かめようとして中々見つからず、また焦る、、、を繰り返してしまう私、、、なので、自分用に確認ブックを作っている訳です。例えば、平成16年度中に児相が処理した相談件数は?1位は?2位は?3位は?そして、養護相談中の虐待相談の処理件数は?前年比何%増加?いつ、2万件超えた?種別では、1位身体的虐待 44.5%2位ネグレスト 36.7%年齢別では?1位 小学生 37.4%2位 3歳~学齢前26.3%3位 0~3歳未満19.4%ちなみに上から答え351、838件 1位障害相談158、598件(45・1%) 2位養護相談 74、435件(21.2%) 3位育成相談 65、356件(18.6%)虐待相談の処理件数は 33、408件(前年より6、839件増加)前年比 25.7%増加平成13年以降に2万件超えたです。土壇場の時、必要最低限の数字や語句が問題を解く時の5択から、消去法を使う時に生きてきます。5択の中の2.5問、半分が解れば選択肢がほぼ決まります。去年は最後は新庄選手のミリオネアじゃないけれど、エンピツ転がして当たった問題も結構あったと思います。運も実力の内、、、?頑張ります。
2006.07.19
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普段、元気すぎるほど元気だと、健康であることが当たり前と思っているでも、健康であることは、何事にも代え難い宝のような大事な物と気付く時それは、健康に不安を感じた時・・・その時がどうか遅すぎませんように・・・今回、半日ドックで、脳ドック、乳房超音波検査、マンモグラフィ、をオプションで受け引っかかりました。早めに引っかかって良かったと後で笑えるように来週精密検査に行ってきます。
2006.07.14
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今から26年前、専門学校を卒業して、一番忙しい病棟へ就職してすぐの頃、、、、何も出来ない自分への苛立ちと、やさしくて厳しい先輩達に囲まれて楽しいのだけど、日々大変で、しかも不規則な勤務で生活リズムが狂って、、、それこそ、精神的にくたくたになる毎日の中、、、友達と合唱団に入ることにしました病院以外の人との、触れ合いが欲しかった世間が狭くなるので、別の視点で仕事にも向かいたかった理由はそんなところだったと思います。同世代の男女、同期生は64人もいました。職業は様々、保育士さん、看護師、教師、会社員、大学生、歌を通してみんなで集い、声を出すことで発散し、みんなが力を合わせることで一つの作品を作り上げること。合宿したり、交流を深めたり、、、当時の私には、本来の自分の地を出せるかけがえのない場所だったと思います。仕事の現場は、本当に過酷で、日々の業務に追われながら、命の、、、場面に数多く遭遇し、自分の力のなさに嫌になったり、、、、それでも、今から思い返しても、あの時の同僚達は婦長さんをはじめ全て尊敬できるいい先輩達で、、、私は恵まれていたと思うのだけど、それでも何か物足りなくて、、、それを埋めてくれていた場所だったと思います。その合唱団は6ヶ月間の研修期間の集大成として、大きな舞台で発表会があり、その舞台で歌う歌の中に自分達で作詞作曲した歌を何曲か歌うことになっていて。。その時の歌の作詞の一つを私がしました。曲はみんなで考えて作り、それを最後の舞台で歌いました。題は「私のふるさとーー仲間たち」*遠い故郷 離れてみればなつかしさに 時には 涙なにげない 優しい言葉に出逢って また 涙小包に添えられた母からの便り休みになったら 帰っておいでかなの多い エンピツ書きの文字が読むうちに 見えなくなる *繰り返し故郷を離れて3年の日々が過ぎ仕事にも 慣れてきたけれど夜の長さに やりきれなくて仲間を 探した数ヶ月*繰り返しそんな私が 優しさに出会ったのは小さな会場の歌う会吸い込まれるように歌の輪が広がるやさしくあたたかな みんなのうたごえ寂しさから 逃げて帰る 遠い故郷ではなくやさしさを 探して見つけた私の故郷 仲間たちお恥ずかしいのですが当時の自分の気持ちを良く表現出来ていると思います。この歌を、その時の仲間が集まって(みんないい年です)9月にまた舞台に立とうという話が昨日電話でありました。本当に懐かしいです。参加できたらいいな!!!
2006.07.10
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<近年における児童福祉法改正の動向>平成2年(1990年)在宅福祉サービスの法制化 改正事項:児童居宅介護等事業(ホームヘルプサービス) :児童短期入所事業(ショートスティ事業) ☆事務は都道府県平成9年(1997年)保育所システムの改革 措置から利用契約方式へ、情報提供の義務 応能負担から応益負担へ 保育所における子育て相談の実施 放課後児童健全育成事業の法制化 ☆児童福祉関連の施設や組織の機能強化 ☆名称の変更 養護施設⇒児童養護施設(追加:自立支援) 母子寮 ⇒母子生活支援施設(追加:自立支援のため生活支援) 教護院+虚弱児施設⇒児童自立支援施設(追加:自立支援) ☆対象児童の変更:児童自立支援施設、乳児院、情緒障害児短期治療施設で変更あり平成12年(2000年)児童居宅生活支援事業のシステム改革 *社会福祉基礎構造改革に伴う☆措置制度から支援費支給方式または保育所方式へ 支援費方式へ変更⇒児童居宅介護事業(障害児相談事業の追加)・児童ディサービス事業・ 児童短期入所事業 保育所方式へ変更⇒母子生活支援施設・助産施設☆福祉事務が都道府県から市町村へ委譲(児童短期入所事業) また、児童相談所等への児童虐待の通告方法の変更 発見者が児童委員を仲介して出来るようになった 緊急の場合:児童委員は市町村を経由せずに、直接児童相談所長に通告を行えるようになった平成13年(2001年) ☆認可外保育施設に対する監督強化 ☆保育士の国家資格化(名称独占化) ☆児童委員の職務見直し、研修の充実 ☆主任児童委員の法制化平成16年(2004年)に改正された 「児童虐待の防止等に関する法律」による変更 児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は 長時間の放置、保護者以外の同居人による前2号又は次号に掲げる 行為と同様の行為の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること 児童に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応、児童が同居する家庭に 於ける配偶者にたいする 暴力、その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を言う平成18年(2006年)4月1日より 児童手当の支給対象年齢の変更 ☆これまでの小学3年生(9歳到達後最初の年度末) ⇒「小学校6年生(12歳到達後最所の年度末)
2006.07.05
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今日、たまたま、見つけたブログで「鏡の法則」という言葉に、興味を持って覗いてみました。朝の一時間、小説を読むように一気に読んで、いつの間にか、頬を涙が伝っていました。胸の奥が熱くなって、感動している私がいました。自分の身に降りかかっている、色々な出来事が、実は自分の気持ちが招いている自分の気持ちを映す鏡のように現実に起こって考える機会を与えているそんな内容でした。エピソードのように、話が載っていてそれを読みながら思わず自分の日頃の行動や、今までを振り返り反省して考え込みました。良かったら覗いてみてください。あまり内容など転載できないと思うので、、、http://plaza.rakuten.co.jp/nicehome/8001この中の「鏡の法則」というコラムです。
2006.07.03
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懐かしくも、楽しいバレーボール大会28日にありました。今まで、うちの職場はろくな練習もせず、ぶっつけ本番のような出場だったのもあり、一回戦突破した事等ありませんでした。(私は今年初参加なので聞いた話です)それで、一回戦負け当たり前のように一セットは主力メンバーで、2セットは一応全員参加の為メンバーチェンジで私が出ることになっていました。応援していて、力の差はあまりない素人同士の試合と言う感じ、、、でも、慣れていない始めの事で、緊張もあり、1セットを先取され、まあ、ここまでは想像どうりの試合運び・・・「楽しんでいこう」と、メンバーチェンジで、私が出ました。私の守備位置は前衛の右、、真ん中の背の高い私より15歳若い先生、左前衛の私の長男より若い新人の先生がアタッカーの頼りの布陣です。後衛は、あれーと頼りなげな12歳若い先生、とても天然の今年入った新人の長男と同い年の先生、そして、我チームの頼りのバレー経験者リベロの15歳若い先生・・・・というなんとも楽しいメンバーです。そのメンバーで、とにかく返していこうと、無理をせず、2回で返すことを最善策に戦いが始まりました。それが、相手チーム少し出来る人が、力んでいるものだから、確実に返している内に攻撃が失敗に終ることが多くなっていき、それに比べて、肩の力の抜けた我チーム、サーブもプロのような鋭いサーブを決める人、入らなそうなのに、ひょろひょろと、ネットをようやく超えて相手チームにぽとんと落ちるサーブを打ちこむ人、見かけによらず力の強いサーブを打ち込む人・・・とにかくサーブミスが殆どなくいけました。私はというと、力だけは強いので後衛を狙い相手のミスを誘うようにコースを考えて打つと、結構サービスエースが決まったりして・・・・結局そのセットを取り、この勢いで行けとばかり、そのままのメンバーで3セット目戦い慌てた相手チームは立ち直れず、我チームが一回戦突破してしまったのです。もうこれだけで、快挙だ快挙だ!!と大騒ぎ。。。それが、2回戦も3セットフルセットを戦い勝ち上がり・・・準決勝に進みそこで、優勝チームに当たり敗退。。。それでも、その時点でベスト4入りは決まり、3位決定戦まで戦う羽目に・・・・もうその頃はへろへろです。早く終りたくて・・それでも頑張ろうと、相手はなんと、先日練習試合で負けた、隣の同じ法人施設同志の試合になりました。そこで、また相手は自分達が絶対上手な事がわかっているものですから、格好良く攻撃を決めようとしてミスを連発、、、、1セット目をうちのほうが取ってしまいました。勝ちたいより、早く終りたいので次で決めようと頑張ったのですが、最後は自力に勝った隣の仲間施設が3位になりました。途中から、経験者の若い二人が足の痙攣で出れなくなって、最後は私後衛のリベロまでしました。結構、サーブをちゃんと返したので、みんな(相手チームも)私の年齢を知っていますので、頑張った40代ととても褒めていただき、嬉しかったですね。一番、びっくりしているのが自分自身で、、、ボールに結構反応できて体が動いたんですよ。少なくても足は引っ張らなかったと言い切れます。楽しくて楽しくて、動けることが嬉しくて、張り切りすぎました。夜の8時半まで試合で、帰ってご飯を作り、片付けて風呂入って寝たのが22時半・・・翌日は早出で8時出勤、、、それから休みなく5連勤、、、しかも明日は夜勤入りです。死にそうにハードで、体中が悲鳴をあげています。でも でも とても楽しかったです。来年も出れるくらい元気でいたいです。
2006.06.30
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今、世間でとりだされている思春期の男の子による自宅放火殺人の事件、、、ついさっき、TV朝日で特集がされていた。ここ最近、起こった同様の事件、、、キーワードは、父への反抗心、家庭における心の拠り所となる人がいない、自己愛の欠如、相談能力の不足、放火した結果に対する想像力の欠如、リセットする感覚、、、キーワードを並べただけで、背中がぞくっとする。特別な理由など、ないようなものではないか?何処の家庭でも少年達の反抗期に感じたであろう、あのなんとも言えない危なっかしい不機嫌のオーラを背中全面にしょっているような、反抗期の息子達の姿が、重なって見える。何とか無事にその時を乗り切った今だから、言えることだが、危ないと感じる瞬間はうちでも何度もあった。3人の息子達、それぞれが何回か黄色信号が点滅している気配を感じ、そのたびに、真剣に息子達と向き合い、親として母親として譲れない所は断固として譲らない態度で接し子ども達にとっての苦痛、精神的負担に対してはその子に応じて柔軟に対応するようにしたうちが取ったポイントとして良かったかもとして言えることは1.個室の居心地を良くしない (鍵をかけない、ゲーム機テレビを与えない、兄弟共通の遊び部屋を目の届く所に)2.家族で一緒に食事をする3.兄弟関係を良く保つ4.過度の期待をしない5・その子の不機嫌、反抗の原因を把握する (情報を兄弟や友人関係から得る努力をする)6.1対1になって話す機会を出来るだけ意図的に作る7.反抗心の気持ちを攻めず、行動を厳重注意(物、人に当たること、態度)8・父親からは、直接子どもを叱る機会を極力少なく、母や兄弟から間接的に、、、9.父の尊厳を常に意識させておく10.スポーツや友人との健全な遊びには十分に経費や時間を与える(エネルギー発散!!)11.兄弟であろうと比較しない12.長所を十分に褒めて、短所については努力目標に13.自分の将来に対する漠然とした目標を意識させる14.自分の居場所としての家族、家庭を出来るだけ居心地良くする15.家での役割分担を持たせておく16.癒しの存在(犬・・・笑)17.母は忙しく、あまり細かくかまい過ぎない(自己弁護です・・笑)18.家事も子育ても程ほどに手を抜き、自分にも子どもにも完璧を求めない!!19・反抗の裏にある甘えや悩み苦痛に出来るだけ早く気がついて、子の本音を思い遣る20・自分が愛されている存在だと、態度、目配り、言葉、で伝えるように努力する。他にも、ありますがその時は必死で良かれと思うことをしていただけだったと思います。ただ、私がずっと一番に願っていたことは家族全員の心と体のバランスのとれた健康その為には、自分の仕事も子ども達に目の届く仕事の仕方を選ぶ必要があったし家族関係の中での中心的存在としての私が、心も体も健康でなければならないと思っていました。今となって一番幸せを感じるのは、家族5人が健康で、焼肉モリモリ食べておいしい笑顔を見れた時、大きく育ってくれたなぁと実感します。今、反抗期で疲れ気味のお母さん、お父さんいたら、言ってあげたいことがあります。反抗期は心の風邪をひいているようなもの誰でもが罹る可能性があるし初期症状の時に、きちんと養生しないと万病のもとにもなるしちゃんと気をつけて観察しないと、大病が隠されているかも知れませんお母さんならではの観察力で、出来るだけ初期症状の時に気がついて早めに治療を受けて、ゆっくりと寝て、滋養をつけたら治りも早いのです反抗期に良く効く薬は、時間と愛情しかないように私は思います。
2006.06.27
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職場からの、頚肩腕症候群の検査に行ったのが、先週、、23日には、半日ドッグに行ってきました。内容は、一般検査にオプションで脳ドッグ、マンマグラフィ、乳房の超音波検査をつけて、、、今年は、何か自分の体力や気力色々な面で自信がなくなってきています。長男も独立し、次男の行き先も決まり、ほっとすると共に残った三男の事を考えるとまだ不安もあるし、責任もあるし、あと3年で親としての役目も終わりかな?と思う安堵感と、自分の更年期を迎えたと実感する一抹の寂しさ、感慨深さ等、、、、今まで、必死になって子育てして来て、教育費の為と、がむしゃらに仕事してきて何か力が抜けています。これからは、やっと念願の自分の為に時間を使ったり、やりがいの為に仕事を選んだり、そんな自由がいっぱい手に入る時がやってきたのに、物足りない、、、じゃぁ!!これからは、何を目標に第二の人生をスタートさせようかな?と、考えてしまいます。漠然とした目標は持っています。でも、それに向かって始めようとした時に、体力、気力が続くか????少し自信がなくなっています。まずは、自分の健康が一番、、、確認の意味でもこの辺りで念入りに自分の健康にチェックを入れようと考えた訳です。その検査の結果、思わぬ結果が出たらどうしましょう!?ちょっと、不安の方が大きくなっています。もうすぐ、50台突入も間近になってガタピシ言い出した体ですが何事もないように、、、祈っています。
2006.06.26
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あと、一週間で、バレーの試合です。昨日は、隣接の施設の職員と(同じ試合に、出ます別チームで・・・)一緒に体育館を借りて、仕事の後で練習しました。練習試合も・・・向こうは平均年齢も若く、我チームは、主任、私共に40後半なので、足を引っ張り。。。負けましたが、、、めっちゃ楽しかったです。元バレー部のメンバーは思わず回転レシーブが出るほどやる気です。私も前衛は始めての経験でしたけれど、ひょろひょろ玉を返し、サーブも何とか入り・・・とても楽しい、いい汗流しました。スポーツっていいですね。さて、話は変わり、昨日主人が帰って来て「困った困った」と言うので何のことかと思えば、取引先の社長に、猫を飼ってくれと頼まれたそうです。主人は猫好きです。我が家の皆が猫好きです。でも、今家には犬がいます。両方飼うのは、やはり大変なので、、、(一時期飼っていました)今は、犬だけでいいと思っていました。でも、本来猫も好きなので、今回のように断り難い状況だと、断りきることが出来るか?今日、私を悪者にして断ってくると言って出掛けて行きましたがどうなったことか?帰ってくるのが、楽しみです。
2006.06.20
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うちには、今年15歳になる大型犬に入る雑種のメスが居る。人間で言えば、70後半!?もう立派な老犬です。最近まで病気らしい病気もせず、元気に来ました、2年前に突然脾臓の破裂で緊急の摘出手術をしてからも回復してとても元気でした。先日、動物病院で、マイナス10歳(要するに人間年齢で・・・)位の元気さです・・・と言われた。ほかのひとには、来年は動物愛護協会から表彰ものだとか、同じ頃に飼いはじめた人に合うと、かなりの確率でもう亡くなっていて「○○ちゃん元気でいいねぇ。淋しくなるよ。長生きしてね。」と、言われる。うちは、特別な可愛がり方をしていない。どちらかと言えば、冷たいほどに見える飼いかたかもしれない。まず、殆ど決まったドックフード以外におやつのような物をあげないチューイングガム(犬用)も、めったにあげない骨も大好きだけど殆どあげない食い意地が張っていて、いつでも食べたい方だけど決まった1日一回の朝の決まった量しかあげないたまに、あげるのは、にぼしかパンの端か残りご飯くらいどうしてかと言うと、いいものをあげると決まってお腹をこわしてしまうからご馳走をあげると、次の日は調子悪くする、下痢(すみません)が止まらなくなるんですそれに、雪の降る寒い日も外の小屋につなぎっぱなし、雪が積もらない軒下には行ける様にしているけれど小屋の中に毛布も敷かない、今はバスマットを敷いてあるけれど、今までは良くてダンボールだったどうしてかと言うと、すぐに引っ張り出してどろどろにして、しかもオシッコがかかって後始末がどうしようも無くなるからうちの犬はハスキーとのハーフなので寒いのは好きらしい、雪が降ると喜んでいる、雪の上でも平気で寝ているし夏は嫌いなようなので、つないでいるのは家の北側の隣家との境、、、日中は十分な日陰になるけれど西日が差し込む場所、、、、でも、東西に風が通り抜けるので北側で涼しいようすそして、日中は家の者が留守にしているので、外部からの唯一の通り抜けスペースにどっかりと大きな黒い、目の青い一見怖そうに見える我が家の番犬は、抜群のセキュリティ-になっているようだ。軒並み、近所に空き巣が入った時も、うちは無事で、、、被害に遭った家の人から、番犬が居るから??良かったねと言われた今まで、15年間も我が家を守ってきてくれた訳だね。本当にありがとうつけた名前が良かったのかな?名前は「エース」間違いなく、我が家の切り札の唯一の女の子だね。もう少し長生きしてね!!
2006.06.16
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以前から、一回作ってみたいと思っていたカニクリームコロッケ、、今日の当直に備えて初挑戦、作ってみました。カニは、田舎から送ってきたカニのみをほぐして冷凍しておいたものを使いました。三男は、普通に食べるカニは嫌いで、先日も送ってきたカニを一つも食べませんでした。でも、カニクリームコロッケは大好きなので、せっかくの田舎の祖父母のお土産を食べさせてあげたかったので、作ってみました。今は、インターネットがあるので、作り方の検索も簡単でやってみたら結構簡単に作れました。味は、、、、とても、いけてます!!おそらく、喜んで食べてくれると思うのですが夜揚げたてを作ってあげられなくて、ちょっと残念ですが。。。置いていける夕食の用意は、どうしてもワンパターンになり勝ちですそれでも、仕方ないですけれどね。いつもと違うものを作って成功した時、思わずガッツポーズです。新しいレパートリーが増えました。もうすぐ、おそらく新じゃが送ってくると思うのでポテトコロッケを作るつもりですおじいちゃん、おばあちゃんいつもありがとうね!!待ってるよぉ!!!!!
2006.06.15
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もうすぐ、どれだけの施設が参加するのか解りませんが、バレーボール大会があります。私、「アタックNO1」の世代です。V字攻撃、、、、主題歌だって歌えます。♪苦しくったって 悲しくたって コートの中では平気なの!?・・・・・アタック、、、アタックNO1♪歌いましたともバレー部じゃなくても、円形になってボールを・・・はいっ!!はいっ!!ってなもんでもう、何回続いたとか、、、訳も無く、必死になってやってましたねぇという訳で、部活動の経験は無くても一番身近なスポーツとして卓球かバレーかと言う時代に生きてましたので今でも、やれる気十分でした。結構好きなほうですし、カラータイマー5分限定で出たいわぁと、冗談を言ったものですから、試合に出ることになりましたあまり若い人は進んでは出たがりませんメンバー集めの為に出ることになりました出るからには、、、ということで、職場の昼休み後、子供達がまだ寝ている間の30分間に練習をすることになりましたやり始めると、これがなかなか燃えてきます動かないと思った体が、ボールには反応します中田久美さんが、この前テレビで指導していましたしっかり覚えています。脇を締めて、ボールに対して肘を曲げずに真っ直ぐに・・・私、若い子(20年下)に負けずにいけてます1?きゃーとか言わないし、、少し位痛くても、ついていってる自分が嬉しくてあまり痛み感じてないし(次の日、DVの後の様に青ジミだらけになりましたが)サーブの成功率は一番です。 少し自信がついてきた私、、、調子に乗って「サーブする時は、十分膝を曲げて、伸び上がるようにして 放物線を出来るだけ高くしたほうが相手コートに入るし、 後衛に落とすようにしたら、殆どみんな素人ばかりなんだから 返って来る可能性が低くなるはず・・・」等、一番年長者な者だから 口でし切りまくり、、、 思いのほか、楽しんでいます。少しはシェイプアップになるかな?とか 気持ちのいい汗が噴出して、なんか一年分の新陳代謝しているみたいとか とても、テンション高めです。 あと、試合まで2週間、怪我をしないように楽しみたいと思います。 ちなみに、もし勝ち残ったら、主任、副主任達がおごってくれるそうです それも楽しみ♪
2006.06.14
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入梅間近ですが、食物はすくすくと伸びています。今日は休日・・・花の手入れや、報告書作成を綺麗に咲き始めたアジサイの花を見ながらのんびりと過ごそうと思っています。このアジサイは、この家に引っ越してからまもなく、子供達が、母の日のプレゼントに買ってくれたもの、今では高さも2メートル近い大きな株になりました。そして、今年久しぶりにトマト作りに挑戦中・・・おいしいフルーツトマトが食べられますように・・・これは、近所からわけてもらったブロッコリーの苗、食べられる大きさに育つかどうかな?今年、ひまわりの苗を2種類植えてみました。計画では、十分に大きくなって、日除けと目隠しに育ってくれるはずこんな、植物達の成長を、見守りながら、職場の子ども達の食育も考えて職場のイチゴ、トマト、ひまわり、花壇の花たちの世話に明け暮れています。今年のイチゴは、ナメクジ防御が良かったのかたくさん収穫出来て子ども達の口にも結構入りました。ミニトマトも青い実をたわわにつけて、赤くなるのを待っています。以前は、青いまま子どもにもがれたというので、それを阻止しながら赤くて甘いトマトをその場でもいで、口に入れてあげたいと思っています。勿論無農薬ですので、、、、
2006.06.14
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