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私達が小学校の時代、道徳の時間と言うのがあって、「こんな時どうする?」というテーマのドラマ仕立てのテレビ・・・当時は学校でテレビを見れる授業が、とても新鮮で楽しみでした(遠い目)例えば、学校で決められた決まりの行ってはいけない所へ行こうとしている友達を見つけたら・・・とか、自分が誘われたらとかちょっといたずらのつもりでするような、悪いことをしようと誘われたら・・・けんかをしている友達を仲裁するとか、いじめられている友達がいたら?とか・・・その都度、題材は変わっていくのですが、子ども心に真剣に考えていた覚えがあります。それも、大体今になって思えば、大人にいい子だなと思われる模範的回答を考えていたと思います。きっと、嫌われたり、いらない子とかそんな風に思われたくないと本能的に思っていたのかも知れません。自分の中にあるずるい部分、いけない子どもの部分、それを隠そうとしていたようにも思いますでも、大人になって、こうありたい自分像をずっと努力して演じて!?いる内に、それが自分の本来の姿として身についてしまったと思います。自分にとっての善悪の判断基準というのが、積み重ねで確立されるものだと、ここ最近の出来事で実感しました。その1 スーパーで、その日の特売のコーラを箱ごと購入することにして レジに持って行きました。箱入りなので、中身は見えなかったベテラン の店員さんは、8本入りなのに、6本と計算してしまいました。 私は、随分安いなぁと思いながら、荷物を袋に入れ、店から出た後 主人に、「すごい安かったよ。8本で1000円しなかったよ」 と、言いながら気が付きました。「計算違うよね?1本148円だった んだから・・・」主人「レシート見てみろ」そんな時に限り財布にしま ったレシートが出てこない。ようやく出てきたレシートを見ると、やは り、6本で計算されていました。 私「返してくるわ」主人「そうか?先に行ってるぞ」 で、さっきのレジに、レシートを見せながら説明すると 店員さん、えつぇっ!!と、慌てふためいて「すみません」の連発 間違ったのも慌てたけれど、返しに来たのにも慌てた様子・・・ 黙って、得したと思いたい反面、「そんなせこいことしてもいいこと無 い」が、私と主人の考え方・・・ 少しずるくても、解らなければ良いが、気持ち悪くて出来ない夫婦で す。 自分の気持ちに嘘を付いたら、ずっと嘘が大きくなって取り返しが付か なくなる・・・子どもに言い聞かせています。
2006.03.14
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子どもの心を育むためにいろいろと、大切なことはありますその中でも、子ども自身が自分の事を愛せること自信が持てることかけがえの無い存在だと実感が持てること愛されていると思えること長所も短所も両方が自分にあることそれを認めてあげることがとても大事だと思う私の心の根底にあるもの自分の事を考えるようになった記憶の奥底にあるもの幼児期おそらく5歳くらいの時親戚の叔母ちゃんたちの言葉少し傷ついた幼い心それは、小学一年の時の記憶運動会の一こま負けず嫌いなのに、人を押しのける勇気の無い自分をその時知る小学5年の時の記憶通知票に書かれた先生の言葉頑張る気持ちを汲んでくれた恩師の言葉自信を無くしそうになったりしながらも自分は自分、、、いい所もある筈と言い聞かせてこれた誰かが認めてくれればそれでいいそう思えるようになった時いじめられても自分で立ち向かう勇気が出た大きい声で、やめてぇ!!と言えた一人になることも怖くなくなった時間が経って、自分が悪くなければ味方になってくれる人が必ず居ると信じられたやさしい言葉に涙がこぼれた結婚して、子どもが出来て子育てをしてきて自分なりに子どもの気持ちを大事にしてきたすっかり大人になった3人息子だが兄弟それぞれのいい所をお互いがよく解っていて親が言うよりも的確に「あいつのこういうところはすごいと思う。正直なかなか出来ないことだ」と、褒めたり、認めたりしている自分が認められていると解ると自分以外の他者への思いやりも育つ3人兄弟で、育てられた利点だと思う3人を比べるのではなく一人一人の個性を認め合うように声を掛けてきた弱い部分は、コンプレックスを持たないように克服に向けて努力することが大切だと励ました少しでも、成長があれば、それが自分にとっての成功だから褒め倒した!!唯一、比べていいのは、過去の自分の行いや心だから、有森さんの「自分の事を褒めてあげたい」の言葉が、結構好きです。
2006.03.14
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夕方、おやつから一時間余りたち、夕食にはまだ一時間以上ある頃子ども達は、プレールームで遊びながらも、出ているおもちゃにもそろそろ飽きてきて、そこかしこに小さな争いの火種が起きてきます。ほんのちょっとしたことばかりです先生の膝の取り合い、抱っこのせがみあい・・・おもちゃの取り合い、、、、そんな子ども達の願いの全部に応えることは到底できませんオムツも替えなくてはいけないし、小さい子は離乳食を食べさせなくてはいけないし交替前の記録の確認もしなくてはいけません限りのある職員で、子ども達の安全を第一に考えながら広いプレールームに散らばっている子ども達に目を配っていますそれでも、小さい火種があちこちで起こりあっちで泣き声、こっちで押し合い、、、、このまま放って置くと、にっちもさっちも行かなくなりますこんな時、事態の収拾方法ひとつ、子どもの好きなビデオをつけるひとつエレクトーンとか弾いてリズム遊びをするひとつ子どもを大きい子と小さい子の二手に分けてその場を収めるひとつ私が唯一使える手遊びを大きい声で下手でも思い切り自分が楽しんで雰囲気で盛り上げて遊ぶ今日は上手くいきました子供達が、みんな乗ってきたのでさっきまで大泣きしていた問題児Y君まで笑い出しました8ヶ月児から、3歳児まで一緒に遊べたので私もうれしくなりました気分転換にはなって、けんかとかは収まりましたが長くは持たないのが、まだまだです。今年の保育士試験頑張るぞぉ!!
2006.03.12
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初めてのお使い!!って番組が何であんなに面白いのか?と、思ったことはありませんか?小さい子供は、あんなに独り言を言っているものなのか?と、感心して見るから、面白いんだと思いますが発達心理の講義を受けて納得しました4,5歳の時は、考えを全部口に出して言うそんな、発達段階の時だという5歳児の発達特徴として「○○だけれども○○する」というような思考特徴・・・内なる言語といい、「内言」という専門用語になるがこどもは、自分の考えを常にぶつぶつつぶやいているみたいです子どものつぶやき語を大事にしてそだてることで言語も育つそうです内言で思考し始めながら、徐々に成長していき黙って考えられるようになるのは、5歳半頃からだそうです他にも、幼児の時の叱り方、褒め方について褒める時は、人格に触れる褒め方をする叱る時は、その行為のみをしかる最近、反対の怒り方をしていないか?こどもは、出来なかった自分、上手でない自分など否定的な受け止め方をしてしまう。自分を、肯定的に受け止めることが出来るような褒め方、叱り方をするように気をつけたいという事です今回の発達心理の講義を5回にわたり受けることが出来てもっと、子どもの発達や心理について知りたくなりましたとても興味深い内容ばかりでした5回の講義の中でも、何回も出てきたことで印象に残ったことは発達の遅れも無く、知的障害もない場合で「気になる子」「切れる子」「荒れる子」の理解をする上でも乳幼児期からの子育てで大事なこととして子どもに自信をつけさせること・・・これは、学力と言う意味ではなく「自分は自分のままでいい、かけがえの無い存在なんだ」という自分を肯定できる自己愛(自己肯定観)を育ててあげること大人が、子どもに対して十分に褒めていない、愛していると解るように表現出来ていないと、こどもは「自分はかけがえの無い存在だ」と、自信が持てないそうです自己愛は他者愛に転嫁する。自己愛が育っていない子は、他者に対する思いやりが育たない自分が大切にされているという自信が他者に対して、思いやりの表現が出来ると言われていましたいろいろな意味で、自分の子育てを振り返り今更ですが出来ていたかな?と思える点と、不足だったかな?と思える点があります。今の職場の子ども達に、出来ることは?と、聞きました。乳幼児なので、、「声を出して笑う、笑顔が多く出るような接し方が子どもの心を育てます」と、教えて頂きました。今回の先生も子どもの発達の相談などいろいろ受けていて事例の数々が講義の中に入っていたので尚更興味深く聞くことが出来ました児童福祉もこんな講義だったら聞きに行きたいな!!
2006.03.11
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家で自由気ままに育ってきて、あるいは食べること、生きることに必死で育ってきたのか?と思える、途中からの入所児の中には、食堂への執着が本当に強い子が多くいます。好きなものばかり、おやつばかり食べるけれど、食事のご飯はあまり食べなかったり、野菜などの副菜は殆ど食べず好きな主菜ばかりお代わりを要求する子・・・・好き嫌いは、ごく小さい時から出てくるものだけど、その好き嫌いをおそらく家で押し通して来たであろうと思える頑固さでベーっと出したり、スプーンを払いのけたり・・・・面白いのは、ご飯は好きだけど野菜が嫌いだったY君パターン白いご飯は大好きでお代わりが欲しいY君お野菜も食べないと、お代わりはあげないよ!!と、野菜とご飯を一緒にスプーンに載せてあーんとあげようとするとスプーンの手前側(口に近い方)にご飯が乗っているとすごーいおちょぼ口を開けて、手前側のご飯だけ上手に食べて、野菜は唇で退けて・・・まるで鯨が要らない海水を吐き出すように、食べるんです。悔しいくらい、上手く野菜を退けて食べるその技を、鯨のようだと私は命名とにかく、主菜の肉とか卵とか、魚などを先に食べてしまって、お代わりを要求するタイプもいますその場合は、空になったお皿を前に置いておいて、他のを食べたらお代わりあげるねと言い聞かせます。何度も繰り返していると、頑張って食べればお代わりが貰えると解ってくるので、仕方なく他のも食べる子に育っていきます。でも、強情で中々言うことが解らない時、お代わりの欲しい品物を盛って目の前に置き、「ちゃんと食べたらあげるから置いとくわね」と言い聞かせます。目の前に置かれたら、馬ニンジン状態で頑張って食べれる子は、好き嫌い克服までもう少しの所です。 とにかく、ごねて偏食しか出来ない時は、段階を追ってあれこれ、各職員が工夫して食べるように言葉がけをしていきます。私も、わが息子達3人の魚嫌い克服の為には、馬ニンジンの方法や、褒めまくりやあれやこれや工夫しましたが、親が面倒になって子どもの根性に負けると何事も、我侭を容認してしまうことになると思います。1,2歳の時に可愛いけれど、心を鬼にして断固として譲らないで欲しいことの一つが、この偏食です。子どもの発育にとって、この時期の食生活が如何に大事か、大人になって解ることなのですがね、大変ですけれど、今子育て中の若いお母さん達頑張って下さいね。
2006.03.06
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昨日、テレビで「生きててもいい?ひまわりの咲く家」を見ました。昨日は、ひな祭り・・・昼間は、仕事で、となりの養護施設にうちから移籍していった子供たちを本当に久しぶりに見ることが出来ました。一年ぶりでこんなことも出来るようになった、大きくなったねぇ、と職員のみんなで感激して、舞台での子ども達の踊りにスタンディングオベェーションです。もう、みんな我子(担当児)の踊りの一部始終に、その子それぞれの個性が相変わらずなので、笑ったり、喜んだり、大騒ぎです。手を振ったり、したらいけないのに声を掛けそうになったり・・・照れくさそうに、それでも一生懸命踊っている子やはり、マイペースで棒立ちの子客席が気になってきょろきょろしている子「かわいい、カッコイイ、○●らしい・・・」等などの声生まれて直ぐからだと長くて2年半位の間、、うちに来て家に帰ることなく隣に移籍したり別の施設に移籍したり、里子に行ったり、何とか家に帰ることが出来たり、入所してくる子ども達のうちからの退所の仕方は様々です。でも、いつも職員はうちにいる間、精一杯の愛情を注いで接しているけれどそれでも、唯一の人(親や親代わり)にはなれません。いろいろな事情で親元へ帰ることが出来ないと解っている子には出来るだけ早く、一番大変だけど可愛い赤ちゃんの時代に子どもを欲しいと心から願ってくれている里親さんに出会って貰い里子に行くことを願っています。そんな、昼間の仕事を通じての思いが残っている中で夜のこのテレビを見ました。始めの半分は見ることが出来なくて(主人が別のを見ていた)諦めようかと思っていたけれど、やはりどうしても見たいと10時からテレビの前に座りました。丁度、児童福祉士の人と面接中で「一週間だけ・・・」という事で養護施設に戻ることになった場面からでした。涙で一杯になりながら、見た中でも「あなたが故郷を失ったのがとても悲しい」と言った台詞・・・自分のルーツがわからないことで殆どの子供達が思春期に悩み苦しむと聞いたことがあります。どんな、事情で、どんな親で、私は生まれたのか?自分のルーツを知ることで、良くも悪くも自分の今までとこれからを考えて(受け入れて)改めて自分の生き方を考えたり、より親の愛を求めたり、拒否したり思春期の葛藤を繰り返すのだと言います。そんな時、親に甘えることが出来ない代わりに、誰か自分の持って行き場の無い苛立ちを受け入れてくれる誰か・・・真正面から、自分を受け入れてくれる人が必要なんです。反抗している時、自分ではぶつけるだけでその時は分かっていないのだと思います。後で反抗期が収まってからやっとどれだけ自分を受け止めてくれたかが、解ると思います。我慢の時期でもあるんですよね。実の親子だったらという、甘えや、何処か遠慮を感じたり、あるいは不安があったり難しいですよね。故郷は場所ではなくて、親(親の代わりに育ててくれた人)の懐なのじゃないかと私は思っています。
2006.03.04
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3人の息子のうち、今まで一番要領がよく、なんとなく苦労なく高校、大学進学と心配することなく進んできた次男・・・それも、我が家で唯一国立大学へと進み、なんて親孝行だと思ってきました。が、この度、就職先も決まってこの春には目出度く卒業のはずでしたが、、、、卒業出来ないことになり、就職は無効になり、もう一年間、4年生をすることになり去年あれだけ苦労してリクルート活動したのにやっと決まった時本当に喜んだのに、、、もう一回リクルート活動をすることになりました親としたら、もしかしたらと覚悟していましたので、やっぱりね!!と・・・でも、両方の祖父母から兄共々就職祝いを貰っておりそれが、今年卒業出来なくなったことを次男としたら、それだけが申し訳なくて情けないみたいで、、、どう言おうかと悩んでおります。次男、本当に大学生活を楽しんでおりました長男が、工学部であくせく勉強しているのに経済学部はなんてお気楽なのか?と思っていました。クラブ活動でゴルフを楽しみバイトはキャディでしんどそうだけど麻雀も楽しみ国立大学はなんて休みの多い所なの?と、思っていました。仕方ないね営業に行くのに困らない接待技術はばっちりだから人間関係には困らない次男君だからきっと、この寄り道も計画のうちかもね今度は、リクルート活動も要領を得ているからもっと、いい就職先をゲットするかもしれないそんな、可能性をあなたには感じます頑張れ!!これも経験です。前向きに生きようね!!ただ、せっかく、私学に行かなかったので、長男、三男に比べ、授業料で浮いた分をまとめて就職祝いとして渡して車の購入資金にしたらいいと思って用意した次男用の貯金が学費に消えることになりました。残念だったね!!と、次男に伝えたら、学費は自分で働いて賄うので、、、と言ったけれど、私「ちゃんと、卒業する為に頑張りなさい。これは、自分で考えて、学費とリクルート費用に使えばいいからと」次男の再出発が始まります。
2006.03.03
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この前の発表会で、へたれぶりを発揮して舞台では全然踊れなかったSくん2歳半にして、本当は実力あるんです。今日出勤して、新技を見せて貰いました夜勤の先生「先生、Sすごいんですよ。見てて・・・」S君に向かって「Sくん、あらかわさん!!」と言うと、Sくん、足を横にグーンと上げる上げる、、、(といっても、ひざの高さぐらいですが・・・) 限りなく彼はV 字バランス のつもり次に先生「Sくん、3回転」というとSくん、、くるっと回る回る(担当の先生がバレエの誰かの大ファンで教え込みました)そして、最後に、せんせい「Sくん、イナバウアァー!!」の掛け声にあわせSくん、頭を一生懸命後ろに反らせる反らせるもう、大うけです。何で、そこまで出来るのに本番で出来なかったの?Sくんよ!!あと一日で、その勇姿を見れなくなるのが本当に残念です。隣に行っても元気でね。明日移籍してしまうS君の将来が楽しみなうちの職員です。
2006.02.28
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朝日新聞のコラムに載っていた記事以下はその内容中絶希望者に里親案内の新制度 福島県が今春から 2006年 2月24日 (金) 17:38 人口減に悩む福島県が、従来の「里親制度」を、人工妊娠中絶を減らし、出生率を高めるための施策として活用していく方針を決めた。新年度から新たに「里親コーディネーター」を配置し、出産を迷う妊婦らにも制度を紹介する。女性の「産む、産まない」の選択権が狭められないかなどの論議も予想されるが、同県は「中絶を考えている人に産んでもらい、社会で子育てを担いたい」としている。この記事を見て、ちょっと考えたこと。現行の里親制度では、児童相談所が業務の煩雑さからあまり積極的に動いていないと感じる時があります。里親制度を利用して希望する里親さんと対象児とがスムーズにマッチングや委託へと、うまくいってくれるように現場では祈るように里親さんに託していくのですが、慎重になりすぎているのか、時期が遅いと感じることが多いのです。私が知る限りでは、里親を希望されるご両親や祖父母になられる人たちはそれぞれが真剣で、自分達の子どもとして愛情を込めて育てようと考えてくれていることが、伝わってきます。100%上手くいくとは限らないのでしょうが、初めから事情で子どもが育てられないと解っている場合、産んでしまった子どもの幸せを考えるなら早いうちに(赤ちゃんのうちに)子どもが欲しいと願っている里親両親の元に引き取ってもらって、育てて欲しいと思います。現場の職員も精一杯の愛情で育てているつもりですが、その子一人の唯一の人(母代わり、保護者)には、なれません。担当児に対しては、人見知りもしてくれるほどの、愛着関係を築きたいと思って接していますが、誰よりも求めてくれる時でも、その子だけに構っていられません。勤務が終れば帰らなければいけない職員にとって、無責任な愛情のかけ方は仕事に差し障りになることもあるからです。赤ちゃんの時期の、人に対する信頼関係の基礎を築く大切な時期だからこそ親となってくれる両親の揃った環境で、可能性がある子だけでも里親さんが早く決まって委託出来るようになって欲しいと願っています。あとは、法的なことで産んだ人の権利と育てる義務を果たせないことの兼ね合い育てることによる、子どもに対する責任と苦労を負う義務・・・その先にあるかもしれない子どもから得られる幸福(もしかしたら付加価値)に対する権利難しい問題なのですが、そんなことが、後々子どもを間にして揉めたりしないように法的に整備されたなら子どもの幸せがそこにあるならそれだけが、願いです
2006.02.27
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私にとって、宝物と言える数々それは、記憶の一場面であったり品物であったり一言の言葉だったり出会いだったりその、一つ一つがとても大事思い出すと胸の奥が温かくなるようなそんな思い出と何度、思い出しても涙が出てくるような胸が苦しくなるような悲しいそんな思い出他にもいっぱい・・・そんな思い出にありがとうおかげでやさしくなれましたおかげで強くなりましたおかげで楽しくなれましたそして今の自分がいますちっぽけかもしれないけれど今の自分が好きです自分のことが好きだと言える今の幸せに心から感謝していますありがとうみんなありがとう
2006.02.27
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今日、職場の子ども達の舞台発表の日、夜勤入りだけどどうしても観に行きたくて仮眠もそこそこに、カメラ片手に行って来ました可愛かったうちの子ども達男の子は黒いズボンに白いTシャツ女の子は赤いズボンにピンクのTシャツ気分はもう、孫!?の写真を撮りにいく ばぁば!?うちの子たちの中でも踊りの大好きなS君どうしたのかな?先生にしがみ付いて全然踊れません顔も引きつっていますそれに比べて女の子達ちゃんと舞台の前に出てきて堂々と踊っていました最後の「アルゴリズム体操おわり」もはっきりと元気に言えていました舞台を降りた後先生達に「へたれ」といわれてしまったS君おしゃまな女の子達の影に隠れてちっともいいとこ見せられなかった男の子達やっぱり男は運動会だよね秋まで楽しみに待っとくわ
2006.02.25
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昨日のNHKの番組で難問解決ーご近所の底力「認知症に子どもが活躍」を見ました全部は見れていないので、印象に残った部分だけですが、ディサービスの老人介護の場に小学校の低学年の子どもが学校の帰りに立ち寄り、宿題をしたり、話をしたり、手遊び等を一緒にすることで、認知症の進行が遅れたり、改善されたりの効果が上がっているという実例、、、認知症の人は、今の記憶は難しいが昔の記憶ははっきりしている事が多いので宿題を見たり、手遊びをすることで良い効果が得られているということです子どもにとって、学童保育などで過ごすのもいいが核家族で近くに祖父母がいない子どもも多い中、おじいさんおばあさんと過ごすことは、優しい気持ちも育ちやすいのではないだろうか私が目指したいものが形としてそこにあるように思えた学校の近くに、または使われなくなった空き教室を利用したりしてそんな支援の形があれば、働く親にとって学校に迎えに行くまで安心していられると思うもっと、少子化対策の為の支援は現実的なそんな方法をもっと進めていけばいいと思う
2006.02.24
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うちの三人は今大学生・・・勿論、バイトしている。長男は、平日、土曜日は、研究で忙しく帰宅が22時を過ぎるので、日曜日にパン屋のバイトに行っている。時間は9時から15時。次男は、土曜、日曜の深夜のバイト、三男は寿司の宅配のバイト平日と土曜、日曜朝の9時から21時まで頑張っている。それぞれが、その職場での仕事場での人間関係や、仕事のきつさ等帰ってきて、日曜の夜夕食を食べながらしゃべったり、子ども達3人で愚痴りあったりしている。そんな、子ども達の様子を聞きながら、不満や辛さ、上の人達への怒り等を社会人として、その時にその場ではぐっと我慢しながら、切れることなく帰って来ていることに、ほっと安心している帰ってきて、何かあった時の三男部屋に入るなり、ばたぁーと床に倒れこみ・・・こちらが声を掛けるのを待つかはぁーっと大きくため息をついてから起き上がり、近くにいる者、私、主人、兄達の誰彼、お構いなく「聞いてぇーや、」で始まりバイト先での一部始終を、一気に喋り捲り、その場に居なかった者には、その部屋まで出向いて、また最初からしゃべるしゃべるだけしゃべったら一応、気が済むようで聞いているものは、その途中相槌を打ったりそれは違う、とか意見も述べながら聞いてやっているちょっと、不器用だけど、必死で頑張りやの何処か憎めない愛嬌がある三男、叔母ちゃん受けがいい自分の精神状態のコントロールが上手いのが次男年上の人や、お客の立場の人にえらく受けがいいその場の空気を読む感が良い所があるのが特徴長男は与えられた仕事をきちんとこなし真面目で几帳面、ちょっと融通が利かないところがあるが、責任感が強いので信頼感はある仕事ぶり親としたら、外でどんな風に仕事や人間関係を作っていくのか見えないことが多いので、心配だがこのバイトをしている姿を通して感じている様子で何とか、社会人になっていけるのかな?と、思っている私も、主人もやはり若い時にしたバイトで社会に揉まれ訓練され、経験したことで、高卒で親元を離れてもやってこられたんだと思う親以外の、大人によくも悪くも揉まれることは絶対必要なんだと、改めて思う。理不尽なことでも歯を食いしばって頑張らないといけない時がある頑張って頑張って、でも自分が壊れないように守らないといけない瞬間その時には、迷うことなく引く事も勇気ある決断バイトの時にはそれが許される私が前職を辞めるに到る一部始終を子ども達は見てきたいろいろな職種で経験して、自分にあった職業を見つけて欲しい
2006.02.24
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三兄弟同じように育てたつもりでも,年々はっきりしてくる個性の違い長男は,こつこつと勉強に努力型で,真面目,でもマイペースで自分が一番大事な方,だけど,優柔不断で自己決定が苦手なタイプ次男は,要領が良くてヒラメキ派,人付き合いが上手で人気者自分で何でも自己決定している手がかからない子だった神経細やかで回りに気を配るムードメーカー,三男は,行動,考えが短絡的で閃いたら即行動,先走りしては失敗も多くて,その度に落ち込んでうじうじするタイプ仕事,手伝いでは,根気強くて頑張りやでも,天然でどこか憎めない愛嬌がある三人にそれぞれ受け継がれた私と主人のDNAこの頃,時々主人がもし同居するとしたら,誰がいいだろうか?誰が,やさしい嫁さんもらってくるかな?という私は同居するのは考えていないどんなに始めうまくいってても年取ってから,こんなはずはなかったと思うくらいなら初めから同居しない方がいいこれは,両方の実家の同居の結果を見ていて思うことあんなに子育てで大変な頃,若い夫婦に一生懸命尽くして手伝ったのに今になって邪魔者扱いされるのなら初めから老後に世話になるからと気を使って過ごしてきた父,母たちの半生が可愛そうになる実家を,早くに離れ,寂しかったけれど,私たちが甘えたら父,母達がお義姉さんに悪く思われるから我慢しなくては,思いつづけてきた子供が病気になっても,遠い地で核家族で心細くても一人で頑張った簡単に来てとは言えなかったいい時だけ親を利用すると思われたくなかった出産に帰るのも,帰省で帰るのも気を使い現金を渡し,何万ものお土産を持参し内孫と外孫の待遇の違いも仕方ないと諦め実家を受け継いでもらう為に遺産相続放棄に当たり前の事として署名,捺印し父,母の為にいい子になってきたそれでも,同居は難しいだから,私は同居は望まない甘えられないと思ったから頑張って自分たちの家家族をしっかりと二人の力を合わせて築いて来た二人の絆を深めて来た田舎の兄,義姉がそれが羨ましかったと言われればその点は認めよう自由と引き換えの厳しさと不安との葛藤親元を離れて頑張った自分たちの努力も同居の兄たちに分かってほしいどちらが良かったのか私にはわからない同居していて家を出ることになった人は選んだのだからその方が良かったんだと思ううちの場合継ぐ必要のあるような家ではない財産も老後の心配を掛けない程度しかないだから,同居はどの子ともしないつもりでも,三人とも私たちのように,親元を500キロも離れたところに行ってしまったらそれも寂しいな...男の子は,お嫁さん次第で変わってしまうからあと,少しだけ私たち二人のかわいい子供でいてね・・・三人とも
2006.02.22
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今日、新聞記事に載っていたコラムで、歯医者からの報告として「スポーツドリンクを水代わりに飲ませて歯が真っ黒に、、、」とあった。「内容は、母親が水は栄養が無いからと思って、スポーツドリンクを水代わりに飲ませていた為に、歯が真っ黒になるほどの虫歯になったというもの。 母親の無知が、いくら乳歯とはいえ、しっかり噛むことを覚えなければならない幼児期に、しっかり噛めない程の虫歯にしてしまったことは、後々の成長にとって歯だけではなく脳の成長にも悪影響を与えてしまう」とあった。 当然だと思う。噛むことによって、脳は刺激される。甘みだけでなく、塩味、酢っぱさ、等いろいろな食物の味をまず薄味で覚え、食物そのものの甘み、旨み、食感、などの違いを少しずつ経験していくその経験の全てが、食物を通して得られる五感の一つの味覚であり、目で見る視覚、手で触れる触覚、耳で聞く聴覚、鼻で嗅ぐ嗅覚、そして第六感が研ぎ澄まされていくのではないだろうか。難しい言い方をすれば、そんな感じだけど簡単に言えばジュース等の糖分が一時的に空腹感を満たしてしまう為に本当の空腹感の後での、バランスの取れた食事を十分に取れなくなってしまう。食事の時、十分に栄養摂取できないために、また直ぐにお腹が空いてしまう。そして、また糖分で接種してしまい、空腹感を感じない為に食べられない。「この子は、少食だから食べられるものを何でもいいから、 食べておけばいい」 そして、間食にあまくなってしまう。それの悪循環・・・まずは、子どもの目の触れる所にジュース類を置かない。お茶もしくは、牛乳で十分・間食(おやつ)は、時間と量を決めて、だらだらと食べさせない遊び食べや、食べ物を粗末にするような食べ方をする時は、きちんと言い聞かせ、片付けてしまい、次の食事まで食べさせない親も、子どもがきちんと食べられるように、一緒に我慢するなど協力する。母親は、いずれ故郷の味として、子どもの心に残る味になると信じて愛情たっぷりに、手作りの良さなどを生かそうではありませんか。他の家事での手抜きは、結構ですが、一生の味覚を決定ずけるような、乳幼児期の食育についてはもう少し手をかけるようにしたいものです。洗濯や掃除のような家事労働力は、後にあまり収穫として残りませんが食育は末永く受けつがれて、いけるものです。大切にしたいとおもいませんか?
2006.02.21
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あと、半年無くなってしまった、保育士試験までの期間。今日、明日の連休なので、今日は勉強に当てました。全部で4時間程、エンカレの重点課題調べたり、保育小六法で確認したり、去年合格した同志の人から縁起のいいテキストを譲って頂いたので(改めてありがとうございます)それの、過去問を確認したり・・・一応頑張りました。でも、直ぐに眠くなるし(昨日夜勤明け)ホットカーペットは温かいし頭の中は混乱してくるし・・・今年も一応全科目受験しようかと思っていますが、挫折するかも知れません。とにかく、残りの児童福祉を必死にしようと思います。勉強すればするほど、奥が深いです。今の職場の仕事に直結する法律や事例など、今回はじっくり関連づけて自分のものにする学習内容にしたいと思っています。本当に何も知らずに福祉施設に就職したので、やっていることと理由がはっきりと解らないまま、今更聞けないようなこともあったりします。児童相談所との関わり方や、併設されている養護施設の仕組みなどもまだ解らないことが多くあります。それらを理解していく為に基礎知識として今の資格試験の児童福祉の勉強が役に立っています。新しい看護師の人も来てくれたらいいのですが、なかなか募集をかけても来てくれないそうです。ここでの仕事は殆どが保育・・・看護師としてのテクニックを生かしたい人には物足りないみたいです。私は、こんなに楽しんでいるのは珍しいみたいで、よく来てくれたと結構感謝されています。それほどの仕事は出来ていないし、仕事は遅い方だし子どもにはなめられて、静かに寝てくれないし、、、もう2年以上になるのに、新人とあまり変わらない要領です。情けない。でも、楽しいんですよね。子どもは可愛いし、、、早く保育をする人としても一人前になりたいな。資格も取ってちゃんと保育士さんらしく・・・
2006.02.18
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昨日、ついに今年初のインフルエンザの感染児が出てしまいました隔離しましたが、何処まで広がるか?今日も一人発熱児が出て病院に行くのを夜勤明けで見送りました。2連休のあと、再び夜勤入りです、月曜日にどうなっているか本当に気が重いです。虚弱な児は、こじらせると即入院騒ぎになってしまいます。この間、退院できたばかりなのに、、、鼻が詰まって息苦しそうな児の鼻を、以前書いた鼻吸い器では、下手をすると自分が吸引してしまうので、感染が心配で職員も吸って上げられる人は少ないです。私も、昨年末感染して中々治らず苦労したので、今回はゴムのパフ付きの鼻吸い器で試しました。十分とは言えませんが、感染しているとわかっている児の鼻は、職員もこれからに備えて大事にしないといけないのでそれで取ることと、消毒などの管理を十分にするように、指示して帰って来ました。本当に今回の感染児は、予想外の児で、何処で感染したのか不思議なんです。外にも行っていないし、、、もしかして最近面会が頻繁だったので保護者から貰ったかも知れません。だとすると、他にも接触しているベビー達が多いのでえらいことになってしまいます。面会はとてもいいことでうれしいのですが、今回結果として外からだとしたら対策を考えなければなりません。とにかく、広がらないことを祈るだけです。
2006.02.17
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人は苦難に向かって一生懸命頑張っている時、普段前向きな考えを持っている人はこれでもかと言うくらい落ち込む気持ちを振り払いながら一歩でも前に踏み出す努力をしていると思います私もそうでした否定され、認めて貰えず、どうして?と、自問自答を繰り返しながらその時自分に出来る精一杯の努力をしながら認めてもらおうとしていましたでも、何をしてもうまく行かず一向に相手には伝わらず「自分が変わらなければ相手も変わらない 自分が変われば相手も変わる 変わってこないのは まだ、本気になっていないから・・・」 そう言われ、 私は、自分の努力に限界を感じはじめた頃 広告に載っていた 「朝日に向かい入り江に立つ少女」の絵 全体に青を基調とした明るい絵で いわゆる幸運を呼びますとか・・・という 類の物なんだけど その時、何かにすがりたいと思った私 主人に相談し、許可を貰って購入した それをリビングの東側の壁面に掛け 毎日眺めた 明るい絵なので、ただの絵として心が和んだ そして、その絵を飾って更に努力をしたが ある日、決心し 自分が相手(その当時前職の社長)を変えられないのなら 私が変わるしかない 変えるのは無理だったと、自分が引くことを決心した 決心して、退職、次の(今の)職場にたどり着き 大分仕事に慣れた時 いい職場に出会えたと思った時 もしかして いい意味で私の気持ちや考え方を変えるよう導いてくれた と、その時本来の前向きな気持ちの自分に戻れた気がした だから、金運がもたらされたとか、効果がどうかではなく 自分があの時苦しみ その結果今の自分があるという記念の絵 今も居間の壁にある
2006.02.16
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今日は、今からチョコケーキを作ろうと思います。今、仕事から帰ってきたところなので、買い物にいって大急ぎで作らないと間に合いません。(こんなことをしてる間に急げっちゅうに・・・)ケーキのスポンジ自体は簡単に作れます。前に書いた、スポンジの応用編です。粉類の中にコーヒーの粉を混ぜ込み、白い生クリームの変わりにチョコクリームをタラタラとスポンジの上から流しかけたら出来上がりです。中に挟むのは今回、バナナのスライスの予定です。では、買い物に行ってきま-す。もし、時間が出来れば、続きを書き込みます。質問あればどうぞぉ!!
2006.02.14
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うちの3兄弟、とても大きくなりました。もう、上の二人は社会人になります。長男24歳、次男22歳、3男20歳男盛り、、、浮いた話の一つや二つあって当然いい年齢です。でも、全然女の子と付き合うとかに興味なさそうです。仲が良すぎるのか、お互いに暇だと今でもゲームを一緒にしたり、レンタルビデオを一緒に見たり、3人でぐだぐだとしゃべったり、テレビのお笑い番組同じのを見て笑い転げていたりすることがあるんです。兄弟3人でいるのが楽しそうで、休日は家にいるほうがいいみたいです。ちょっと前までは、仲がよくて見ていても楽しそうだからそれでいいやと、思っていましたが、最近心配になってきました。男ばかりの兄弟環境、男みたいな?女らしい色気の無い母しかいない家庭環境、誘惑の少ないのどかな田舎のような居住地、工学部という殆ど男しかいない大学生活、合コン、ナンパには無縁の友人関係、旅行に行っても女の子を引っ掛けようとしない男ばかりの集まり普通に男っぽいけれど、女の子に積極的にアプローチしようとしない硬派?もてようという気が殆ど見られないファッション感覚、髪型、遊びに行くのも健全すぎるほどの所しか行きません。改めて思いました、モテル要素が無いんですね、きっと。遅くてもいつか、うちの三兄弟にも春は来るんでしょうか?「これからの男は、家事、育児手伝いますでなければ、結婚できない」と、母は早くから思っていたので、料理や掃除、家の手伝いはしっかり仕込んであるんですが、、、容姿、スタイル、頭は中位はクリアしていると思うのですが、真面目そうなイメージしか見た感じしないしなぁ、、、う~~ん、春は遠いのか?じっくり人(女性)を見分けられるようになるまで、遠くていいのか?親元を離れる日が近づいてきた上二人に、親心は複雑です。
2006.02.13
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昨日、甥っ子の結婚報告の親族お食事会があった。結婚式はせず、両方の両親、新郎側両親の兄弟とその子ども、それも関西圏に住んでいる極身内の者だけが集まった。 総勢24名、うちは家族5人全員の出席、、、姉の長男26歳・・・2歳の時、生死の境を彷徨う大病をして3ヶ月入院その時の抗生物質の影響で歯を弱くしたぐらいで、その後は元気で大病もなく過ごした。 それでも、父親としては胸に迫るものがあったのだろう。 最後のあいさつで・・「小さい時、大病をして、その時は大きくなれるか今日のような喜びの日を迎えられるか?本当に解らないような状態で・・・(声にならない、涙で 顔がぐしゃぐしゃで、、、、)」 義兄の気持ちが、痛いほど伝わってくる。そこにいたのは、新郎当人の叔父、叔母、従兄弟たちばかりなのだからみんな、あの時ひたすら回復を願っていたものばかり・・ 本当におめでとう。そして、幸せにね!!
2006.02.12
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人が・・自分の生き方、考え方が変わるきっかけ・・・変えようと思うきっかけ・・・何によって変わるのかな?本や、出来事(経験)によって変わることもきっとある自分で反省したり、決心したりして変えようと努力して変わることもきっと多いでも一番多いのは、人との出会い自分の心に響く人との関わりやかけられた言葉や、行動によるもの私が、自分が変わるきっかけになったのは小学5年の時の先生の言葉通知票に書かれていた行動評価の欄の言葉それは、自信の無かった自分を認めてくれた言葉「頑張っている、えらいと思う(良いと褒めてくれる方言)」 という言葉だった次は、中学時代の先生の言葉やはり、頑張っていると認めてくれた言葉頑固で負けず嫌い、正義感たっぷりだった私が、反抗期の男子相手に衝突したり(言葉で)しながら、クラスをまとめるのに四苦八苦していた様子を「猛獣使い」と評して「よくやっている」と、 先生が父親に言ったと聞いた時一生懸命していることは、誰かが見ていてくれる頑張りはそんな一言で報われると、泣きながら思った頑張ろうと思う自分・・・励ましてくれる言葉頑張っている自分・・・頑張りを認めてくれる言葉少しだけでも頑張った自分・・・よくやった、もっと頑張れ、この調子だ、 あるいは、こうしてみたらどうだ、と、導いてくれる言葉自分に自信が持てる、自分の事を好きになれる、自分が誰かにとってかけがえの無い存在なのだと思えること自分が誰かに必要とされている、愛されている実感が持てることそんな、自己の存在感を実感できた時成長できるように思う人にも優しくなれると思う自分もそんな言葉がけをしていきたい
2006.02.09
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主人も50台に突入して、子ども達の独立も近づき、自分達の老後を考えるようになってきました。うちは、男3人なので、私としては車で1時間以内のところに、少なくとも一人は残っていて欲しいとは思うものの、出来ればみんな、家を出て行って欲しい・・・自分の力で3人とも独立して自分の城を築いて欲しいと思っています。一度でも、親元を離れ自分の力だけで生活すると言う経験をしない限り、親の本当のあり難さは、解らないと思うし、若い時は苦労をしないと駄目です。若い時に、自由気ままに好き勝手し過ぎると、あとで絶対来る苦労とか、しんどさが解らないし、その時自分で対処出来るようになるには、自己責任、自己成長しかないです。自分で稼いだお金で遣り繰りすること、将来や先の予定の為に貯蓄すること口を酸っぱくして言っています。主人も私も高卒で親元を離れ、結婚費用や今の生活の基盤となる貯蓄や仕事や人間関係作り等、自分達の力で作り上げたと言う自負があるから、頑張れたと思っています。子ども達にも、自立して欲しい、淋しいけれどその方が子供の為だと思う。それと、男兄弟で育ったから、女の子に対する免疫がないので、外に出て、肌寒いと言うか、家庭のぬくもりの良さが身にしみないと彼女も作らないように思うのです。家庭を持とうかなと思わせる彼女を早く作って欲しいのが、主人と私の願いです。3人の内、誰が一番初めに結婚するかな?同居などは考えないと思っているのが、後々の事を考えると子どもに対して極力平等にしたいと思っている為と、揉め事を作りたくない、、、自分達も子どもを当てにいないけれど、子どもも親を金銭的に頼らずに生活をして欲しい。だから、自分達の老後資金も真剣に貯めているし、あと30年を考えています。家のリフォーム費用、生活費(公的年金、個人年金、貯蓄、持ち家のローン完済)、保険(病気、介護、家の火災、地震)等、考えればたくさんの準備が要るものですね。教育費もあと1年で目処が出来るので、それからは老後資金作りに突入です。
2006.02.06
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今年の節分、私は月当番で2月の行事担当でした。節分の催しをどんな風にするか?壁面は?行事の内容は?みんな、当番の3人で考えます。話し合いの結果、若くて細身の先生はナレーター年配でベテランの先生はめがねをかけているのでお面が被れないのでカメラ係り体格がいいので、私が鬼の役・・・扮装は全身赤鬼のイメージで、赤のパーカー、赤のトレパン黄色の半パン、頭に緑のテープで作ったモジャモジャの毛、何故か腋毛に胸毛もモジャモジャとついています、本格的な赤鬼のお面、赤い金棒・・・・そして、当日・・・ジャーンと鬼登場、子ども達の恐怖に引きつった顔、泣き叫ぶ声、悲鳴近づく度に必死の形相で、先生にしがみ付いていく子ども達・・・私の気分はまさに、秋田のなまはげの気分・・・段々と乗って来ます。顔はお面と、パーカーを思いっきり絞ってあるので目のところしか空いていません。声は出すとばれるので出さず、思いっきり大きな動作と動きで迫力を出そうと、足を踏み鳴らしたり、中腰で地団駄を踏んだり、自分で言うのもなんですが、かなりなオーバーアクションで鬼らしく振舞いました。もう、汗だくの演技です。結局、助けてぇのみんなの声で登場した、院長扮するアンパンマンに諌められて、ごめんなさい、皆と遊びたかったの、お土産もあるよ、仲良くしてねと、一人一人と仲直りしながら握手してプレゼントのコマを渡して一緒に回して遊ぼうね・・・チャンチャン!!のシナリオなんですが、やると楽しいですね。癖になりそうです。子ども達のいろいろな表情が本当に可愛かったです。来年もやるかも?
2006.02.03
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ピザの生地(大フライパン一枚分)材料・強力粉 100g・薄力粉 75g・ドライイースト 小1・塩 小1・湯(ぬるま湯40度位) 110CC・油 大1作り方1・湯の中にドライイーストを入れて混ぜておく2・ボールに材料を全部入れ、手に油(オリーブ油でも)をつけて、10分 ほどこねる。たたきつけて耳たぶくらいの柔らかさになったら、レンジ などの発酵機能を使うかストーブの前とかに置いて、元の大きさの 1、5倍位 になるまで発酵させる。3・生地を打ち粉をして丸く伸ばし、ピザソース、お好きなトッピングをし て焼き上げますとても、簡単なので是非作ってください。うちは、これを基本に、4倍量で作っています。それでレンジの四角い鉄板4枚分作れます。お試しあれ。
2006.01.31
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今日、ピザを焼こうと思います。これも、買うと高くてとても普通の予算ではお腹が膨れません。なので、家で生地から作ります。大体、オーブンの四角い鉄板一杯の大きさで4枚位作ります。チーズは大袋2袋位使います。ピザソースは2本くらい、そして、我が家はピザといえば、コーラが飲み物です。大人はビールですが、大人になった息子達は相変わらずコーラがしっくり来るみたいです。そして、具ですが・・・前は、一人一枚ずつ好きな具を載せて作っていましたが、用意した具をみんな載せたくなるので、結局同じものになってしまいます。人が作ったのがおいしそうに見えるのってないですか?なんか、悔しいんですよね。で、この頃は大きいのを作って、4パターン作るようにしました。一枚目、シンプルなレギュラータイプ たまねぎ、ピーマン、サラミ、二枚目、息子達に人気の シーチキン、たまねぎ、ピーマン、ベーコン三枚目、大人向けの シメジ、エリンギ、ベーコン、たまねぎ、サラミ四枚目、何でも入れちゃえの ポテト、シーチキン、ベーコン、サラミ、たまねぎ、残り全部・・・と言う具合に、4パターン作ってそれぞれをカットして好きなだけ食べるようにしました。各味を楽しめるのでいいですよ。具材を、楽しんでいろいろ揃えるのですが、ピザ○○とかに、宅配を頼むとおそらく大きさと言い、具、チーズの量と言い、金額は6千円できかないんじゃないかな?さすがに、それだけの量を食べると満腹になります。生地のレシピはもし希望者があれば、またアップします。それでは、作業開始です。常に、経済優先の我が家の食事情です。
2006.01.26
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うちは、食べ盛りの男が3人、主人を含めると成人男4人・・・焼肉と言えば息子達は昼からご飯調整するほど気合が入ります。先日の日曜日、私は休日出勤・・帰ってから準備が楽な焼肉をすることに前日から決めていました。バイトで帰りの遅い三男には次男が昼ごろメールで「今日の夕飯は焼肉」と連絡が行き、夜の9時半頃から始めました。うちの焼肉は、焼肉屋さん仕様の網の上で油を下に落としながらジュージュー焼く煙モクモク出るあれです。えー。煙で壁紙茶色になっています。臭い篭ります。でも、鉄板なんかで焼いてもおいしくありません食べに行くお金ありません。住んで15年なので、そろそろ壁紙張替えが必要です。もう殆ど、諦めてはいますが、焼肉の時はみんな一枚多く着込んで、真冬でも窓全開です。でうちの食卓は大通りに面しています。その窓の下は広い歩道になっています(窓の位置は道路から約4メートル位上です)そんな時間にも人はとおっていましたまさに良い具合に肉も焼けてさあ、食べようとしたその時「アァ!!焼肉だぁ。食いてぇ!!」と、叫び声・・・・おそらく、小学生か中学生位の男の子の声二人もう、家族全員噴出しそうなのをこらえながら二人が去っていくのを待っていました。家族で焼肉をつつくのも、あと何回か・・・春が近づいてきました。うちの家族の思い出は、常に食べることと結びついていたなぁとしみじみ思います。
2006.01.25
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他の掲示板で「子育てのやりがいは?」と言うテーマがありました。以下はそのテーマに寄せた私のコメントです。保育士を目指して、資格試験に挑戦した人が多く来てくれているけれど、みんなだったら、どんなコメントを寄せるでしょうか?子育てのやりがいは、やがて解るのでは?三人の男の子を育ててきて、この春二人一辺に社会人になって、家を出て行きます。25年があっという間でした。(今振り返ればです)子どもが成長するに従って、一人の人間として社会人として、何かしら役に立てる人格(普通並で十分)に育てることが出来れば、それで十分と思えるようになりました。子どもが好きだったら子育てが出来るのではなくて人を産み、育てることを自分が出来たことが責任を果たせたようで、今の私にとっての誇りです。教育費、思春期の難しさやいろいろな試練を自分が超えられたこと、、、少なくても、人の気持ちが思い遣れるような、当たり前の事に感謝してくれるように育ってくれたことが、本当にうれしいです。こんな大事業は、親になった自分しか出来ない夫婦仲良く協力して3人の社会にとっての宝である子どもを育てられました。とても遣り甲斐のある仕事でした。これが、私の答えです。勿論、20代の子育て真っ最中の時は、そんな大層なことを考える余裕もありませんでしたし、悩みまくっていましたよ。とにかく、子どもの表情、仕草をよく見ていて下さい、こんなに無条件に信頼しきったような瞳で見てくれるのは我子だからです。目線があったら、笑顔を返すだけでどんな顔で応えてくれますか?安心しきった子どもの笑顔は自分が癒されますよ。自分が愛してあげているんじゃなくて、子どもが無条件に親である自分に愛を届けてくれているんじゃないですか?長くなって済みませんでした。
2006.01.20
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昨日夜勤だったんですけれど、しんどかったけれど楽しかった。子供達が可愛かった。前に、「アンパンマンのパトロール」の手遊びの事書いたんだけどここ最近その手遊びしていませんでした。でも、子どもって不思議だね。20人近くいる先生の中で、その手遊び歌遊びするのは、私だけなんだけど、覚えているんだね。 2歳半になる踊り大好きな男の子S君、昨日は熱のためボーっとしていて、甘え方も可愛いの。「ちぇんちぇい、あんぱんまん・・(最後のアンパンチの真似をして) アンパンマンちて。。。」と、他の歌を歌っていたら言ってくるの。 じゃーしようか?と言うことで、それから20回位もう一回コールで 歌って踊りました。 私の事を必死に見ながら、一緒に真似をしてくれる10人のつぶらな瞳 その真剣な目・目・目・・・まだ、保育士の資格を取れないでいる 私ですが、他にも三匹のこぶたシリーズ、卵シリーズと、 持っている数少ないアイテムを使い切って魔の3時間を乗り切りました。 とっても、みんな可愛くて、癒された時間でした。 画して、夜の9時半には全員深い眠りの中に入りました。 だけど、その後興奮し過ぎたのか、夜中に目を覚まして泣き叫ぶ子どもが 数人・・・もしかして、私のせい?
2006.01.20
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先日、看護学校時代の同期の子から電話があり久しぶりに話した。卒業して25年、彼女は結婚して4児の母になりながらも働き通し、国立病院の病棟勤務という一戦でずっと遣り通している。頭が下がります。地元の子なので、親元の協力があったとはいえ、仕事、主婦業、子育て、の三役をこなすことは大変で話の中でも「よく頑張ったね。」と、つくづく感心して言ってしまいました。そのことに彼女は、「家庭優先で来たから、そんなに仕事仕事って感じじゃないから、たいしたことしてないよ。婦長(今は師長)とか、転勤もあるから、そんな役職にも興味なかったし、、、、。家庭を優先するか仕事で上を目指すか、どちらかだよ。両方は殆ど無理。○○(私の事)だって、3人の子育て、もう二人社会人なんだろ。ちゃんと育てて偉いやん。。。」と、、、育児休暇を取りながらも、働き続けた彼女は25年の勤続年数で厚生年金が満額貰えるようになった。もういつ辞めてもいいや。とも言っていた。給料やボーナスもその努力に見合う相当なもの・・・スキルにしても、私とは比べようも無い。それでも、私も私に出来る限りの努力の元に三人の子どもを育ててきた。一つしか無い体は、仕事に重きを置くことは出来ず、育児と家庭を守ることに専念しながら、必死に自分自身の成長を模索してきた。今の職場には結構満足している。でも、私の中では好きで進んだ看護の道なので自分の力をもっと試してみたいその叶えられなかった夢の続きに挑戦してみたいその気持ちが、医療系のドラマを見たり、昔の仲間に会うと沸々と湧いてくるでも、少し経ち現実問題で考えるとブランクの大きさ等考えると無理なのはわかっているのにそれを考えてしまう気持ちは繰り返されるのである
2006.01.19
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いよいよ、インフルエンザの季節到来ですか?」下痢気味の子どもがぼちぼちと増えてきました。それと、中耳炎の小さい子ども達・・・風邪菌なのかどうか解らないのですが、3人今いて、耳鼻科に受診に連れて行くんですがそりゃもう大変で、処置が痛いから泣く泣く、4月生まれの9カ月のKちゃん、まさに「イテェ、イタァ、ギャー、ワァー」と泣き叫び、それにつられて、8ヶ月のR君、10ヶ月のB君3人とも泣く泣く(この二人は言葉にはなっていません)・・・この間、入ったばかりの新人さん(息子と同級生23歳)と二人で連れて行ったんですが、病院中に響き渡りそうな泣き声になす術もなく一人ずつを抱っこし、一人をバギーに乗せ母と娘のような年齢差の二人が月例差があまり無い3人の子どもを連れて移動する様に、刺すような熱い視線・・・後で、新人の子に「どうだった?」と聞くと「もう、恥ずかしかったです」「Kちゃんの泣き声がすごくて・・・」「かわいそうなんだけど、Kちゃん始めての言葉がイタイっていうのは おかしいよね」と私・・・ この耳鼻科通院はみんなが嫌がる受診のNO1です。
2006.01.17
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うちの職場は、夜、入所児のうち大きい子(2歳以上の子)4、5人と、その日の夜勤者一人で一緒にお風呂に入ります。子ども達はお風呂が大好きです。大きなお風呂につかり、おもちゃで遊んだり、歌を歌ったり、家庭で入るお風呂気分に近いように各職員も工夫しています。勿論、職員も丸裸です。お昼に入る小さい時のお風呂は職員は服を着たまま、順番に体を洗われているような入浴方法です。それでも、子ども達はお風呂が大好きです。去年の夏に2歳になったS君、、、この頃お喋りも上手になってきて、自分の思っていることが言える様になって来ました。私は、4人の子どもと入るとき、肩までつかって欲しいので両足の上に各2人ずつ乗せて、溺れないように抱えるようにして「大型バスに乗ってます」を歌いながら揺らしたりしています。その時、2回目のバス出発!!と言い、さっきはS君が私の体に近い側だったので、今度はMちゃんがこっちね。と言った途端「○○(Sのこと)くんが、ぱいぱいのとこぉ」 と、大泣き、涙ぽろぽろこぼして泣くんです。 可愛いやら、おかしいやら・・・ そのことを他の職員に話したら 「先生、豊満だからそんなこと言われたんだわ。 私の時言われたこと無いもの」と・・ その先生は、痩せ型でスタイルのいい人、確かに私のほうが 最近太った分、他の所も含めて肉付きがいいです。 最近、更にパワーアップしたS君 私よりはるかにグラマーな先生に、「先生のおっぱい大きいなぁ」と言ったと言うんです。 更に、豊満な先生はもまれちゃったとか、もろタッチしてくるとか おっぱい好きS君というレッテルが貼られました。 そして、職員の間では、「私は言われた、私は言われたことない」 と、二つに別れ・・・ こんなに若い(2歳)時に、20数人の若い人から60才近くの人まで よりどりみどりで入浴出来るS君は、 幸せ?
2006.01.15
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大学生の子どもの就職活動の為に、去年から日本経済新聞をとっている。その新聞の一面の特集記事「 ニッポンの力」に1月14日、載っていた“主婦は最高の管理職”の文字に惹かれ、読んだ。以下は抜粋首都圏に約五百七十店を構えるオリジン東秀の「オリジン弁当」のおせち料理セット販売の売り上げトップを取った店の店長が女性(56歳)はパートである。社長は「主婦はわが社の原動力」と言う。労働力人口の減少が始まった。最も現実的な解の一つは女性の活用だが、配偶者のいる女性の労働力人口比率は2004年で48.5%。バブル崩壊後、微減傾向にある。高等教育を受けた人数は男性を上回るにもかかわらず、多くが才能を眠らせている。投資顧問会社グッドバンカー社長の筑紫みずえさん(56)は「仕事で必要なスキルはすべて主婦時代に身につけた」と話す。筑紫さんは31歳で始めて勤めに出た時、同僚男性を見て「なぜ一度に一つの仕事しかできないのだろう」と要領の悪さにあきれたという。膨大な家事と育児を同時にこなすマルチタスク能力、子どもを事故から守る為のリスク管理能力やトラブル対応力・・・「会社も家庭もマネジメントの基本は同じ」と言う。これは、働く主婦、働こうとする主婦に対するエールだと思う。 実際、共働きの人の時間の使い方は、無駄にする時間が無いほど要領よく家事や育児をこなさないとやっていけない訳だから、おのずとマルチタスク、同時進行で幾つもの仕事をしていると思う。 仕事は段取りが8割位の比率で重要だと言われる。段取りを考えて、仕事ができればスムーズに行くけれど、段取りが悪ければトラブル続きや、時間や手間に無駄が生まれ生産性が悪くなる訳だ。子育てや家事に於いてでもそれは一緒であって、このコラムは主婦としての労働に評価をくれたように思う。最後に書かれていた、「積み重ねれば、平凡も非凡になる。主婦の能力にはそんなすごみがある」時間の使い方次第で、自分を高める時間は十分に取れるということ。何か、パワーを貰った。
2006.01.14
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ある日のこと、2歳3ヶ月の女の子Hちゃん。その日は、初詣のお出かけで電車に乗りました。職員と手をつなぎ歩いていた時、つまづいてこけたHちゃん、えーんとひと泣きした後、手をつないでいた職員を横目で見上げるようにして一言「ごめんなさいは?・・ごめんなさいは?」と二回・・・職員「えっ!!わ・た・し?私のせい?自分でこけたやん H ・・・」帰ってきて、報告するその職員の話にみんな大爆笑でしたHちゃん他でも鋭い一言朝のひと時、Hちゃんの側に、1歳3ヶ月の女の子Yちゃんが座り並んで絵本を読んでいました。あぁ、うぅと片言を発して楽しそうに絵本をめくるYちゃんにふっと、横を見ながら「しずかにね・・・・」何を言われたか、解らないYちゃんは きょとん少し離れていた所でそれを聞いていた職員二人は目を見合わせて、噴出しましたこんな、面白エピソード満載の日常・・・子どもの成長、笑顔を毎日見れて幸せです入所児全員が幸せになってほしいそれが、職員の願いです。
2006.01.12
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今回の旅行は、春から社会人になる子ども達との家族最後の旅行になるだろう・・・その為の思いで作りそして、両方の実家の両親との、親孝行旅行・・二つの目的があった。計画をし始め、場所を決めプランが決まり、子ども達、主人の母、私の父、母に話し、喜んでくれている。そのことが、私達夫婦もうれしくて計画して良かったと思っていた。でも、それから私の実家の前からの事情が絡んで、二転三転して、私達夫婦が思っていた旅行への思いは半分、叶えられなかった。その点が、残念だった。でも、この旅行で場面場面で見ることができた、3人の息子達の大人になった言動の数々、、、これが、一番の収穫だった。
2006.01.11
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私の実家は、海沿いで日本海に面しています。海岸沿いを走る国道は波しぶきが上がり、この時期、時には片側通行になるほどです。3日の日の宿泊はうちの実家の父母の主催でうちと実家長男家族、次男家族の3家族で実家から程近い温泉宿で泊まったのですが、本当に風が強くて風速23mとかの観測で、夜中中吹き続けその音があまりにも激しくて眠れないほど・・・でも、その風の強さがあるから、同じ新潟でも積雪が殆ど無く、山の奥合いに行かなくては積もっていない位の状態でした。4日の日は、主人の実家に義母を迎えに行き、そこから長野に向かう予定です。主人の実家は長野に近く、海岸から約15km程奥まっています。少し標高が高くなるだけで、急に積雪量が増えます。うちの実家から一時間しか(約50キロメーロル)離れていないのに主人の実家の積雪量は2.8m程になっていました。私も見た事の無い積雪量です。通常最大積雪量になるのは、一月の中旬以降で、お正月にしか帰ったことの無い私は、自分の実家で小さい頃経験した積雪量しか知りませんでした。昔に比べ、除雪の為の道具もよくなり、家庭用の除雪車が各家庭にあるような状態になっていたけれど・・・・主人の実家の兄夫婦、、、朝は4時半に起きて除雪し、仕事に行き雪による渋滞の為いつもより通勤に時間がかかり、帰宅して夕ご飯を食べるのもそこそこにして、また除雪しなければならないと言っていました。それが、今年の雪は殆ど休むことなく毎日降り続け、もうくたくただと。除雪はすごい労力を使い、必死にする作業だけど、何も産まない、春になって本来雪が解けたらそれで済むことなのに、と・・・雪国に生まれて育ったものは、だから春を待ちわび、ひときわ春の芽吹きを見つけると幸せを感じられるのだろう。自然に対する畏れ、自然からの恵みへの感謝の気持ち、忍耐強く耐え忍ぶことの尊さ・・・そんな気持ちはこんな自然環境で育ったことによって自然に培われたのだろうか?と、改めて雪国の人の強さを感じました。無事に健康を損なわずに春を迎えられるように祈っています。
2006.01.07
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今回、久しぶりの家族全員(5人)で旅行に行った。フィットという小型乗用車に180cm近くの男3人と主人と私・・・肩も重なる位のギューギュー詰めの車内で片道6時間の旅。楽しいと言うより、我慢大会のような状態。7年前田舎に帰省するのに、家族全員で行くのが当たり前だった頃、車も今より大型車だったけれど、犬も一緒だった。中型犬だったので、後部座席の足元に伏せていても直ぐに立ち上がったり子ども達の上に乗りあがったりして、その時もギューギューだった。それも、今ではいい思い出だけど、それから今回の旅行まで受験やクラブの合宿などで誰かがいない状態だった。本当に久しぶりの家族旅行。ギューギュー詰めの車内、、、思い出話に花が咲いた。私「前までは、お母さんが助手席ってきまっていたのに、今回は 後部座席で狭いわ」次男「この中で一番でかい俺が助手席にいくしかないやん」私「だったら、ナビしなくちゃいけないし、飴渡したり、 上着脱ぐの手伝ったり、寝たらあかんで・・・」次男「わかってる、ゴルフの遠征にいく時、それが絶対厳守だったし」・・・と、自信満々に言っていた次男、後部座席の3人が爆睡しても 見事に起きて主人の眠気覚ましの役目を果たした。私「三男も大学生だもんね、嵩張るわけだ。中卒で働くといっていたあんた が、大学生だもんね。頑張ったもんだ」三男「俺、昔お父さんに“アホ○○”って、あだ名で呼ばれていた から、自分の事馬鹿だって思い込んでいた。」次男「こいつ、自分の事、出来ないって決め付けていた所あるもんな」私「やれば出来るって解ってから、頑張ったやん。」 中二の頃荒れる三男の心の支えになっていた次男、 反抗期の時、父に対する反抗心から、殻に閉じこもり勝ちな 三男の心を冗談を交えながら諭したり、話を聞いたりして ほぐしてくれたお陰で、あの時期を無事乗り越えられた。 我が家の潤滑油的な、存在でありながらお笑い系の次男、 その切れ味鋭い突っ込みで、車内は楽しい雰囲気で溢れていた。
2006.01.06
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帰省して、私の実家の両親、実家の兄一家(4人)、実家近くに住む弟一家(6人)うちの家族(5人)で、実家から車で20分程の温泉宿に一泊しました。姉の家族は都合で来られなかったが、他の家族は全員揃った。去年結婚50周年を迎えた両親に去年、兄弟でお祝いをしたのだが、今回はそのお礼だという。父も80歳を超え、持病で癌の再発も繰り返しているのでこんな風に、子どもの家族が一同に会することもこれが最後だと覚悟しているのではないかと思う。比較的子どもの家族4家族とも、皆健康で、そこそこ幸せに暮らせている、それに皆仲良くしているその中で、好きなお酒を飲み、子どもや孫が優しい言葉や気持ちを示してくれる・・・それが、人生の終末期の親としての一番の幸せなんではないかと思う。豊かだったとは言えないが、一生懸命働き続けて来て子ども4人を育て上げそれぞれが独立して家庭を築き孫が結婚する年まで、自分も元気にいることが出来た。そのことに、満足して幸せそうな父と母の顔を見て、小さいことで言えばいろいろ不満な点もあったけれど、良かったと思った。若い時に苦労をした二人には、晩年は心穏やかに幸せな余生を送って欲しいというのが、子どもである兄、姉、私、弟4人の願いだからいい思い出になってくれたらそれが一番いいことなのだから。子どもだけなら、思いをまとめ易いが、それぞれが家庭を持ち他人であるそれぞれの連れ合いを持つとそちらの意見や思いが係わってくるので難しい。今回も決まるまでは、いろいろな葛藤があって、間に立った母の苦悩を招いた。実家の長男一家と両親の嫁舅問題・・・嫁さんの行動、言動に振り回される両親と、他の兄弟家族、、、全てがうまくいくものではないけれど・・・些細なこと、少しずつのボタンの掛け違い・・・思いやり、相手の立場に立った考え方が出来ればこうはならなかったという思いがある。なんにしても、父母の健康と幸せを祈らずにいられない。孫達の笑い声が救いだった。
2006.01.06
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明けましておめでとうございます。年明け早々から、主人と一戦交えました。元はと言えば、テレビのチャンネル権です。私は年末30、31、年始の1、2と仕事でした。それでも、勤務から帰っておせち料理を作り、片付けも終りほっと一息、紅白や年末の何か面白い番組とか観たいじゃないですか?なのに、ずっとK-1かプライドばかりちっとも面白くないし、他の観たいと言っても無視なので、仕方ないからブログしてたらパソコンばっかりや!!と言うんですよね。プチンと来た私も言い方が嫌味になって、言い返したら遠慮してばかりで、ちっとも休んだ気がしないし、気を使って風邪ひいたと言い出しました。そりゃ、悪かったね!!と、私も少し反省して薬買いに走ったら休みの店ばかりで3軒回って、ようやく薬を買い、帰ったら「何処行ってたんや」ですってあぁ!!夜勤明けの体が寝不足を訴えています。今日は少し腹が立っていますが、明日からは楽しいはずの家族旅行なので、とりあえずは主人に元気になって貰わないといけないので、全面的に私が悪かったことにして、機嫌取ります。雪が心配です。なんだか、行く前から疲れてきた。大丈夫だろうか?
2006.01.02
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私は、今の職場に転職して三度目のお正月ですが、大晦日の夜に家にいるのは転職して初めてです。一年目は病院の病室で入院した入所児の付き添いで年を明けました。その子は、RS肺炎で入院していたんですが、その日(大晦日)の昼間数分間呼吸停止になって、えらい騒ぎになったあとの夜勤入りでした。17時に交替してからの朝の9時までの時間の長さが忘れられません。昼間の危機を脱したその子は、ハイの状態だったのか?夜中の3時頃まで寝なくて、酸素のチューブを引っ張ったり、点滴のコードを引っ張ったりで目が離せなくて、尚且つぐずって泣いたりするものだから、ずっと私も立ったままなだめたり、抱っこしたりして付き合っていた。テレビカードはあったけれど紅白を見るどころか、とてつもなく疲れて襲ってくる眠気との戦いしか覚えていない。去年も、入院中の児がいて、少ない人手と体調不良の児の多さにへとへとの年越し夜勤だった。今年は、入院の児がいないけれど、おたふくかぜで院内で隔離状態の児がいる。人手が少ない時や、病院が休みの時に限って、具合が悪くなる児が多いのは団体生活だから仕方ないとはいえ、狙ってんの?と皆でつっこんでいる。明日が今年も夜勤入りだけど、今年は家で年越しが出来る。それだけでもましかな?思わず、おせち料理作りにに力が入った。来年こそ、平和な一年でありますように。今年開設したブログですが、いろいろな人が来てくださいまして、ありがとうございました。来年も、仕事、家庭、子育て自分の思いをつらつらと書き綴って行きたいと思います。よろしくお願いします。
2005.12.31
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今年も残す所あと、2日・・私にとって今年は自分に挑戦した年・・・保育士資格試験に挑戦することで、自分が何処まで出来るか?自分の努力が十分なのかとか・・いろいろ考えた今の職場では、仕事にも慣れてきてそれなりにこなせるようになって来たけれど特殊な福祉の現場に於ける職員の考え方、家族支援のあり方、入所児への援助、支援のあり方等、まだまだ解らないことが多い福祉と全然関係の無いところで長く仕事をしていたので簡単な常識的な福祉に対する知識がない勉強不足ですもっと、アンテナを張って福祉関係の情報を集めて知識を整理してもっと全体的に仕事を見れるようにならないと・・・所詮、業務がこなせるだけの人になってしまう私が目指しているのは、今の上司が定年退職した時に代わりになれる人財に成長していること今のうちに見習っておきたい事がいっぱいある負の考え方ばかりする職員の勢力が強くならないようにしないと職場環境が悪くなって若い、いい人財が働き甲斐を感じられなくなって辞めていってしまうそれだけは阻止しないといけない来年の抱負が、保育士の資格を取って同じ土俵に立って闘うこと!!頑張ろう!!
2005.12.29
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ケーキ作り暦、20年位になります。はじめの頃、ケーキ作りの本の通りに作っているんだけどしっとりとしたスポンジには程遠く、満足のいくものが作れませんでした。今の作り方を教えて貰ってから、失敗が無く作れるようになりました。作り方レシピです<材料=約20cm用>・卵L寸 3コ ベーキングパウダー小さじ1・5・小麦粉 1カップ サラダ油 50ml・砂糖 1カップ 水 75ml・バニラエッセンス適量 塩 少々<作り方>1・小麦粉1カップと砂糖1/2カップとベーキングパウダーを合わせ 2回ふるいにかける2・卵白と卵黄に分け、卵白に塩少々を入れ角が立つまでよくあわ立てる よく泡立ったら砂糖1/2カップを入れ、再び十分泡立てる3・1の粉類に水、サラダ油、バニラエッセンス、好みでブランディを入れ さっくりと混ぜ合わせる(ちょうどホットケーキの元のような感じです)4・2と3を何回かに分けて合わせケーキ型に流し込む時ちょうどリボン状に はらはらと落ちるような状態に仕上げる、5・天板の一番下に、水を張り、湯煎にかけながら140度で45分から 50分程度焼く(竹串で挿してべた付かなければ焼き上がり) 粗熱がとれれば クッキングペーパーをはずし スポンジを横に三等分に切って、間に砂糖と水とブランディで作った シロップを両面に、はけで塗り一晩置くとしっとりとします 翌朝、生クリーム、お好みの果物でデコレーションします 応用で、チョコケーキにする時は粉類と一緒にコーヒーやココアを入れ オレンジケーキにする時は水の変わりに100%のオレンジジュースを 入れたりアレンジを楽しんでください 生クリームと栗のシロップ漬けでモンブランを作ったりもします ちなみに、我が家では上記の倍の量で作り、型はすき焼き鍋を利用してい ます では、今からケーキ作り開始です。 イチゴ1パック780円を2パック購入しました 生クリーム2パック、卵6個で30cm高さ6cmのケーキを作ります
2005.12.24
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他の掲示板で覗いて、日本IBMの働き方がよく出来ていると思った。せっかく育てた人財を、子育てとの両立が出来ずに去っていくのを、放っておくのはもったいないと気付いて、他の所もこんな工夫をしたらいいと思いますhttp://www.yomiuri.co.jp/iryou/ansin/an4a2501.htmそれと、看護師不足に対応する為、就職せずに埋もれれている看護師の有資格しゃに対して、再就職の為の実技研修制度も検討されていると。。。遅すぎると思います。これだけ、日進月歩している医療分野ですのでそのような研修制度があれば数年のブランク(子育ての為の)のあと職場復帰を考える人も増えると思います。私自身、現役を離れたことによる自信の低下が復職への意欲を失わせていた部分があります。今の職場に就職する時も、他の病院の現場への復帰に二の足を踏んだことが大きい原因です。もし、今の職場では必要ないですが、医療の研修には今でも参加してみたいという希望はあります。せっかく取った資格を本当は生かしたいと思っている人は多いですよね。これから、労働人口が減ってくるのですから、もっといろいろな工夫が必要です。子育ても、仕事も生きがいも大事に頑張る人が増えますように!!
2005.12.23
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今日は天気予報の通り、こちらでは朝から雪になりました。この辺りは、(職場周辺)山あいにあり、市内に比べ雪が積もります。毎年、2回程突然の雪に交通網はパニック状態になり、朝はタクシーも捕まらないし、バスは満員になり場合によっては素通りしてしまうほどです。それは、長年勤務していれば当然解っていることですし責任感の強い人は通常30分の通勤時間を2時間は余裕を見て家を出るようにしたり、公共機関を利用したり工夫します。遅刻をしないように考えるのが、まず最初にあって、それから方法を考えて努力します・・・普通は・・・・でも、うちの職場の人で、雪が降るのが悪いのであって、遅れるのは仕方ないじゃん。・・・って感じの人がいます。 仕事をしていることは、それによって給料を貰っている限りは、与えられた仕事、またはそれ以上の仕事もする気持ちでしないと進歩は無いと思いますし、職場の円滑な運営が出来ないと上司が嘆くのも解ります。権利を叫ぶことが優先の人が数人いるだけで、雰囲気が悪くなってしまいます。劣悪な労働条件なら、それも必要でしょうが他の職場を経験したものからすればいろいろな面で十分な配慮がされています。考え方を変えれば、今より随分楽しく働けるようになるのに不満ばかり言う人は、いつでも、どんなに良くなろうと常に満足感というものがないのでしょうかね?それは、不幸なことかも知れませんね。
2005.12.22
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うちの職場では、いろいろな委員会や係りの仕事もいくつか分担して持つことや、保育、児童福祉を学ぶ為の研修が数多くあり、仕事の一環として順番に参加する機会が与えられます。今まで私が参加したのは看護と保育の専門性を学ぶものや、全国規模の研修会とかだったのですが、今回うちの職場において独自に研修会をすることになり、大学で保育士さんになる人たちに発達心理学を教えている教授の研修を受けることが出来ました。とにかく、とても新鮮でちゃんと授業のように発達心理学の基礎知識を乳児期から順番に教えて貰っています。今まで子育てや看護学校時代の記憶が頼りだった知識がきちんと筋道を立てて教えて貰うと目からうろこの知識の裏づけみたいなものが解り、わくわくします。きっと、学生の時にこんな話を聞いてもあまり真剣に聞いていなかったかも知れないことが、自分の子育ての経験に当てはめて聞くと本当に面白いです。独身の先生は今の職場にいる子ども達に当てはめて聞いていると思いますが自分の子どもに当てはめることが出来る、私は本当に実感として身に覚えがあることばかりでした。その中で、一番印象に残ったのが2歳半頃から子どもがよく「何で?どうして?」を連発するようになるが、それはどうしてか?その問いかけに大人はあいまいに返事を「ア~ぁ・・・」なんて答えていると、子どもは「何で?どうして?」を更に繰り返し最後は叫ぶくらいの声の大きさになる(私にも覚えがあります)しっかりと子どもの方を見ないで、気持ちを向けないで生返事をしたのでは、子どもは納得しません。仕舞いには、地団太を踏むようなデモンストレーションまでしたりします。大人は、し難い子どもだと思って仕舞い勝ちですが、それは子どもが自分の方を向いてという信号であって、内容の難しさにとらわれることなく子どもの“話して”の気持ちに応えることが大事なんです・・・と言われていました。例えば、公園で遊ぶ子どもを放ったらかしにして、お母さん同志が喋ることに夢中だったり、、、携帯のメールにばかり気をとられていたり、、、そんな、親の関心を引くための必死のアピールだと言うことです。そんな覚えが私にもあります。納得したのでした。
2005.12.20
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職業柄、病院、医療系の絡んだドラマは、好きなんですがこのドラマはうちの息子達にも本当に観て欲しかった。命の大切さを感じて欲しかった。自分で出来る可能性を信じて最大限の努力をする尊さを解って欲しかった自分の未来を真剣に考えないこと時間を無駄に無為に過ごすことがもったいないと親が口にすることに耳を傾けて欲しいと思った感受性の豊かな若い今の時期を大切にして欲張りな程意欲的に社会を見て自分の事を深く考えて欲しい命を考えるとき生きていることを考える時悩むことがとても自分を成長させる周りの人たちに支えられながら生きていると思えた時感謝する心が育つ自分の思い通りに行かないこともまた、人生だと解って欲しいこのドラマが実話に基づいていること私は、筋ジス病棟で子ども達に接しながら感じた生の尊さを思い出しました毎回辛くて泣くのですが胸に深く残るメッセージを貰って、次の日は身が引き締まる想いで出勤します
2005.12.19
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うちの3人の子ども達は、子どもの頃どちらかといえば焼き魚が苦手だった。骨は勿論とってあげるのだが、魚はどうも食べづらいのか嫌がることが多かった。少しだけでも食べて欲しい私は魚がおかずの日は、後で食べるおやつに工夫した。「今日のお楽しみはこれだよ」と見せて教えておいて魚を「これだけは食べようね」としていた。子どもは、口に精一杯魚を詰め込み「もういい?」と聞く私は「あと、これだけ頑張ったらね」と、お皿に取り分ける半分べそをかきながら、一生懸命口にいれ、もう一回「もういい?」と聞く。「もういいよ」と言うと、なんとも言えずうれしそうな顔をした。勿論、すぐにお楽しみがあるわけではないがちゃんと食べたよという思いが、次はもうちょっと食べられるようになったいった。そんなやり取りを2歳前後の好き嫌いが出始めた頃、3人とも繰り返し、少しずつ焼きたての魚のおいしさが解るようになっていった。今では、魚も野菜も肉も殆ど好き嫌い無く食べるようになった。遊び食べの時期も、きちんと食べない限り、おやつとかは断固としてあげなかった。子どもも条件反射の要領で、食べなくても違うもの(おやつやジュース)が食べられると思うと嫌いなものは我慢して食べなくなる糖分は、一時的な空腹感を満たしてしまい少食の子は、それで普通のご飯が食べれなくなる「うちの子は食が細いから、食べてくれるのならこれでもいいから食べておいて・・・は大間違いだと思う」甘みのある好きなものだけ食べるから、空腹感を覚えられなくて、ご飯をおいしく食べられなく親がしてしまっている。泣いてぐずることに親が根負けして、泣き止むからと楽な方法を取ってしまうから、子どもは我ままの通し方を学習してしまう。食べることを通じて、我慢することを教えることが本当は一番大事ではないだろうか?
2005.12.18
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うちは、長男小5、次男小3、三男年長の時、団地から今の一戸建てに引っ越した。同じ学区内の引越しを選んだのは、子どもの友人関係を壊したくなかったから・・・それでも、年長の三男にとって、階段の上り下りで遊べる友達がいた団地から、近くに友達のいない、今の町内は寂しくて仕方が無かったと思う前の団地までは、約400m、その距離も遊びたい気持ちで必死に自転車で通った。でも、それも長くは続かなかった前の団地の友達の親から苦情が出始めた為・・・毎日のように通う三男が苦痛になったことが回りまわって聞こえてきた 当時、仕事を本格的に始めていた私が十分に係わらなかったことが一番の原因でした。幼稚園から帰って兄達が帰るまで退屈を持て余していましたかといって、友達の所へ一緒に遊びに行く時間が夕方仕事に出る私にはありませんでした兄達が帰るのを待って、3人で留守番させて、二時間程近所を回るセールス業をしていたからです。それで、一計を案じた私は犬を飼うことを考えたのです世話は大変だけど、子ども達に生き物を飼うことの大変さを解って欲しかったこと、留守に対する番犬の役割命を大事にすることの意味も知って欲しかったそして、その時期子ども達にとって留守番する寂しさの解消心の癒し効果も期待しましたうちの一員となった「エース」は、メスでハスキーとビーグルとの雑種この子は唯一私と同じメスなので一人娘なのですがやんちゃな三男そっくりの落ち着きのないおてんば娘になりましたそのエースも14歳・・人間で言えばかなりなお年寄りです大きくなった息子達は、交替で散歩係りをしながら可愛がっています家に帰るとまず犬小屋に行き、ひとしきり頭を撫ぜながらぶつぶつと喋りかけたあと、家に入ってきます。私が、仕事で留守の家に帰って来ていた、小学時代からの習慣です子ども達にとって、お帰りと出迎えてくれる母代わりだったと思いますこの頃、めっきり弱ってきたのでもう何年、生きられるか解りませんが「本当に長い間ありがとう、もうちょっとよろしくね」今日、散歩に行きながらそう思いました。
2005.12.17
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3人の子どもを育てていて、小さい時から成長や発達に違いがあることを解っていながら、まずは比べてしまう自分がいました。でも、よくよく考えるとその子その子で時期こそ違うけれど、ある条件や一段階成長する時に必要な要素(ポイント)があることに気付きました。 例えば、トイレトレーニング・・・月齢だけでなく、言葉(シーやシッコ等)の意味が実際におしっこが出る状態と頭の中で結びつくとともに、その言葉が言えるようになることが、トイレトレーニングの成功のポイントでした。なので、言葉が遅かった次男、三男は共に2歳にならないと成功しませんでした。塾に行かせる時期にしても早すぎても駄目で長男は自分でやる気になったのは5年生になってからでしたし、次男は4年生の冬、三男は小学一年生の時に公文教室に行きたいと自分で言った時、どうせ続かないだろうと思いながら行かせ始めました。その頃、仕事が忙しくなり始めた私は、ゆっくりと一緒に宿題を見ている時間があまりなく、ほったらかしにすると宿題をする習慣が付き難いと思って心配していました。公文は自分で行きたいと言い出したことなので、言われなくても自分でちゃんと宿題をしなければならないことだけ約束して行かせ始めました。案の定、しばらくすると飽きてきて嫌だといい始めましたし、他の子どものように先に進めるほど頑張る気持ちもありません。私は、高い月謝になるとは思いましたが、先生にお願いして枚数を最低限にして貰い、予習のペースではなくとにかく根気良く続けて復習のペースでいいから励まして欲しいと伝えました。他の子ども達に比べ、亀のようなペースでしたが、とにかく一度自分で言い出したことを最後まで続けることが大切だと考えていました。嫌だとか、休みたいとかいろいろと文句を言いながらも6年生の秋まで丸5年間通いました。勉強の苦手な三男は、外で遊ぶことが大好きな、大らかな性格で、生命力にあふれていたので、一人位落ちこぼれても仕方ないと思っていました。その三男も前に日記でも書きましたが、中三の土壇場でようやくやる気を出し始め、中位の大学にまで進める程頑張れるようになった、力の基礎はあの小学時代の公文教室に行き続けた成果ではないかと私は思っています。子どものやる気になった時、親は、後押しするタイミングをいろいろな条件から考慮しなければいけないと思います。行かせると決心した限りは、親の勝手で(お金の都合で)行くなというのは子どものせっかくのやる気を無くさせてしまうので、かなりきつい時期もありましたが我慢しました。押しっぱなしではなく、子どもの発する信号に合わせ、止まったり、一歩下がったりしながら、やる気が出てきたタイミングに合わせもう一度、グイッと、押し出してあげることが大事だと思います。そのタイミングは、子どもの心の側に立ってあげたら、きっと解るはず・・・母だからこその、勘で・・・きっと
2005.12.15
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テーマで書いた、運動が得意な子は運動会でヒーローになれるし、絵画の好きな子はコンクールでヒーローになれるとは?私自身の小さい頃、走りが苦手な私は運動会が苦手だった。昔は1等から3等までに入ると安全ピンの付いた小さなリボンをゴールで付けて貰えた。走りの速い子は、運動会の後半ともなると、紫、赤、黄色のリボンが胸にひらひらはためき羨ましくて仕方がなかった。でも、惨めに感じることはあまりなかった。秋は運動会もあるが絵画コンクールもあったから・・・絵画の得意だった私は、今度は私の出番とばかり、張り切って絵を描き、度々絵画コンクールで賞を貰った。たいした賞ではなくても、運動会の時と同じ位体育館で朝礼の時に名前を呼ばれ賞状を貰うことで、自分の事を好きになれたし、自分に自信も持てた。障害を持つことが不幸ではなく個性だと認めることで強く生きている多くの人がいる。その一方で競争したり、順位が出ることで子どもが傷付くと考え始めた頃から辛くても努力することで得られる達成感が特に文系の方が得意な子どもたちに与えられなくなったように思う教科の成績以外に、クラスのみんなの為に人が嫌がることを出来ること面倒だけど、クラス委員や係りの仕事をきちんと出来ることそんな心を汲みとめる先生や親が少なくなったのではないか?成績だけでしか子どもを見ないのでは、子どもの心の中には、成績に関係のないことはやるだけ損、苦労するだけ馬鹿らしい仕方がないからやっているように見せるだけ、、、そんな気持ちが育ってしまう自分の気持ちを汲み取って貰えることで初めて人の気持ちを思い遣ることが出来る人に優しく出来るのは、やさしくしてもらっている心の拠り所がしっかりとその子の中に根付いているから強い柔軟性のある心が失敗を怖れず挑戦する、やる気を産み出すパワーになる私はそう思っています
2005.12.14
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