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このブログでは、様々な切り口から「あそび」を取り上げてきているが、しばらくの間、少し変わった趣向で「あそび」を取り上げていく。それは、小学校で習う、いわゆる教育漢字にちなんで、「あそび」について綴っていく。ただ、教育漢字は1000字を越えるので、一先ず小学校一年生が習う80字から始めることとする。(再掲) 「気」と言う字、空気や水蒸気のように、気体に関わるあそびは、「風船」や「凧揚げ」などがあるが、ここではそのような用法の「気」ではなく、「根気」「短気」などの精神に関わる「気」で、あそびを論じてみる。 「最近の子は、根気が無い」とよく聞くが、今でも根気のあるこどもたちが一人もいないわけでもないし、実際に根気よく物事に取り組むこどもたちも多い。それでも、多くのおとなたちが、今のこどもたちに、どことなく「根気の無さ」を感じるのはなぜだろうか。この、今のこどもたちに感じる「根気の無さ」の背景を、あそびを切り口にして見ていく。 「根気」の一つの対極として「飽きっぽさ」があるが、今のこどもたちに感じる「根気の無さ」は、この「飽きっぽさ」にあたる。次から次へあそびを変えるこどもたちがいる一方で、飽きもせず一つのあそびに長期間没頭するこどもたちもいる。 では、上記の二つの異なった事例は、こどもたちの違いによるのだろうか、もちろんこどもたちの個性の影響は無視はできないが、上記の違いは根本的には、行っている「あそび」の違いにあると考えていい。 言い換えれば、こどもたちの見かけの「根気」違いは、長期間飽きずにあそべるあそびか、そうでないあそびかの違いにある。そして、その違いは、あそびが持っている多様性にある。 途中の展開や結末がほぼ同じゲームと、それらが毎回違う「鬼ごっこ」では、前者が、こどもたちがすぐ飽きるあそびとなる。また、一人であそぶあそびよりも、大勢であそぶあそびの方が、その展開や結末に多様性が生じる。 今の、のこどもたちに、「根気の無さ」を感じるのは、そうした多様性のあるあそびを行う機会が乏しくなったからと考えてもいい。それが証拠に、「根気の無い」ように見えていた子が、先ほどの多様なあそびを、根気よくやり通す事例は、数限りが無い。 そして、さらに重要なのは、こどもたちの「根気」を伸ばすには、「飽きの来ない」あそびを、とことんやり続けることが大切で、例え「飽きの来ない」ゲームソフトがあったとしても、途中でセーブを繰り返す、切れ切れの積み重ねでは、「根気」は育たないだろう。 こどもたちを飽きさせずに、長時間「根気よく」あそばせるあそびは、昔のあそびには、数限りないくらいに存在していた。おとなたちが、こどもたちに「根気」を求めるのなら、そんなあそびをするための時間を作ってやればよい。 あそびで培った「根気」は、学校での勉強や社会での労働に大いに役立つ。それどころか、十分にあそんで精神的に充足すれば、勉強に対する「やる気」を活性化させる。身体を使ったあそびは、自然な心地良い眠気を誘い、翌日のあそびや勉強のコンディションをベターにする。 そんな素晴らしいあそびを、こどもたちに十分に保障する「気」があるかどうかが、今のこどもたちに感じる「根気の無さ」を通して、おとなたちが問われているのだ。もちろん、その答えは一つなのだが。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.31
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このブログでは、様々な切り口から「あそび」を取り上げてきているが、しばらくの間、少し変わった趣向で「あそび」を取り上げていく。それは、小学校で習う、いわゆる教育漢字にちなんで、「あそび」について綴っていく。ただ、教育漢字は1000字を越えるので、一先ず小学校一年生が習う80字から始めることとする。(再掲) 「学」は、「遊」の対極に位置付けられるのが一般的だが、実は「あそび」はおとなになるための「学び」の一つのあり方として生まれたものであることを、このブログではすでに指摘しているので、まずは、違った視点で、「学」にまつわる「あそび」から見ていくとする。 こどもたちは、生活の中のあらゆる事物を、あそびに取り入れる。だから、学校で学んだことも、直ぐにあそびに持ち込む。足し算を学べば、「1たすなあ2は?」と聞いて、相手が「3」と答えれば、「違う、『たすな』と言ったから『1』が正解」と言うあそびも直ぐに広まる。 地図帳で学べば、相手が指定する地名を、地図上でさがすあそび。漢字を習えば、地面に掘った字を当て合うあそびや、同じ部首の漢字を、書ける数を競い合ったりするあそびがある。 こうした例だけでなく、学校で学ぶことを、そのまま「あそび」のように楽しむことまである。たとえば「虫食い算」や数列問題などは、パズルとしても楽しいあそびとなる。 このように、こどもたち自身によって、「学」を旺盛にあそびに取り入れるのだが、このことは、「学び」によって「知る」ことは、本来は楽しい活動であることを示唆してくれる。実際に、そうした楽しい「学習」の経験をしているこどもたちも多い。 「よく遊び、よく学べ」か「よく学び、よく遊べ」かで、「遊」と「学」のどちらを先にするかで議論もあるが、どちらも正しいと考えていい。何故なら、こどもたち自身にとっては、「学」と「遊」の間には、楽しさの点では本来差が無い、その差を作っているのはおとなたちなのだ。 少なくとも、ゴリ押しの「学び」は、良い「学び」にもなり得ず、良い「遊び」も生み出さないことだけは確かである。それは、こどもたちの「あそび」が、おとなになるための「学び」の一側面であることからして当然の帰結となる。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.30
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このブログでは、様々な切り口から「あそび」を取り上げてきているが、しばらくの間、少し変わった趣向で「あそび」を取り上げていく。それは、小学校で習う、いわゆる教育漢字にちなんで、「あそび」について綴っていく。ただ、教育漢字は1000字を越えるので、一先ず小学校一年生が習う80字から始めることとする。(再掲) 「貝」は、一般的に言って、その身ではなく殻を使ってあそぶ。貝殻は、こどもたちにとっては、好奇心をかき立てられるアイテムでもある。だから、大昔から貝殻を使ったあそびは多い。日本でも、おはじきのようにしてあそんだりもしていた。と言うよりも、これが「おはじき」あそびのルーツなのだ。 その他、ベーゴマのルーツも貝殻だ。神経衰弱に似た「貝合わせ」もあった。貝を使った笛なども、大昔からある。貝は、お菓子の入れ物もとして利用されたりもする。ニッキを蛤の貝殻に詰めた「ニッキ貝」がそれだ。 私のこどもの頃(1950年代)は、「ニッキ貝」は駄菓子屋さんだけでなく、紙芝居屋さんでも売っていた。その食べた後の貝殻を使って、貝割りで対戦もした。貝殻同士をぶつけ合い、相手の貝殻を割れば勝ちとなった。 このように、少なくとも高度経済成長期以前の頃までは、こどもたちのあそびに、「貝」がごく普通に登場していた。今はどうだろうか。「貝殻であそぶ?」と疑問を持つ子が大勢を占めるだろう。 海辺の観光地や水族館などで買った貝殻をコレクションや装飾品として楽しむことはあっても、それであそんだり、別のあそびに、何か細工を加えることも無くなった。それは、こどもたちの才能を、みすみす殻の中に閉じ込めるだけではないだろうか。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.29
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このブログでは、様々な切り口から「あそび」を取り上げてきているが、しばらくの間、少し変わった趣向で「あそび」を取り上げていく。それは、小学校で習う、いわゆる教育漢字にちなんで、「あそび」について綴っていく。ただ、教育漢字は1000字を越えるので、一先ず小学校一年生が習う80字から始めることとする。(再掲) 本物の花を使ったあそびは多々あるが、本物の花を使わない「花」にまつわるあそびに絞って綴る。まずは、「花」から始まるあそび「花いちもんめ」から。このブログを始めた10年ほど前には、この「花いちもんめ」であそんでいるこどもたちを、近くの路地でも見かけたのだが、今は保育園や幼稚園などで見かけるだけだ。 おそらく、「花いちもんめ」が面白くあそべるだけの人数が、地域では集まらないのだろう。このあそびは、二手に分かれるが、それぞれの組(チーム)に、最低は数人位は必要で、二組合わせると10人前後はそろえたい。 今の時代、その人数をこどもたちの力だけで集めるのが至難の業となっている。少子化の影響があるが、それよりも、今のこどもたちの忙しさがある。その忙しさが、この「花いちもんめ」に相応しい年齢のこどもまで拡がったことを意味している。 塾や習い事のあそびに与える影響は、前の世紀のように、小学校の高学年からの問題ではなく、小学校低学年、それどころか就学前のこどもたちまでに広がったのだ。日本の素晴らしい日常の光景の一つが、少なくとも地域の路地からは消えてしまったのだ。 日本の「花」にまつわる「遊び文化」の衰退は、他にもある。「花札」あそびだ。トランプは知っていても花札を知らないこどもたち(あるいはおとなたち、)も多くなった。これは、花札を博打(ばくち)としての「遊び」だけに留めてしまった歴史があるからと思われる。 博打としての花札は、札そのものの値段を高価にする。こどもたちがあそびとして使用するには安価な札が求められるのだ。もっとも、今では、100円ショップでも手に入るほど、安価な花札もあるが、もはや手遅れで、こどものあそびとしては拡がらないだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.28
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このブログでは、様々な切り口から「あそび」を取り上げてきているが、しばらくの間、少し変わった趣向で「あそび」を取り上げていく。それは、小学校で習う、いわゆる教育漢字にちなんで、「あそび」について綴っていく。ただ、教育漢字は1000字を越えるので、一先ず小学校一年生が習う80字から始めることとする。(再掲) 「火遊び」と書けば、こどもはもちろんのこと、おとなにとっても、好ましい遊びではないが、それでも「火」であそぶのは、人間くらいだろう。こどもたちにとっても、花火などは、一定の条件下では、楽しいあそびとなっている。この花火を除いて、「火」にまつわる「あそび」を以下に綴ってみる。 こどもたちのあそびに登場する「火」には、花火と同じく火薬を使うものもある。「玩具花火」と区別して「玩具火薬」としておくが、その玩具火薬の一つに、紙火薬がある。一般的に二枚の紙の間に火薬を挟んだもので、圧力を加えて爆発させて音などを楽しむ玩具だ。 鉄砲を模した玩具に装填して使ったり、手榴弾のようにして使用する玩具もあった。これらの玩具は、今でも販売されているようだが、それであそんでいるこどもたちはほとんど見かけない。もっとも、街中であそべば、物騒なご時世だから、発砲事件と間違われる恐れもある。 「火」に関係するあそびには、このブログでも紹介した「あぶり出し」などもあるが、これも火鉢と炭が、家庭から消えてしまい、紙火薬を使ったあそび同様に、絶滅危惧あそびとなっている。 「火」にまつあわるあそびで、変わった方法で火を使うあそびがあった。それは、竹籤(たけひご)を使って、飛行機や凧などを手作りするあそびだ。竹を火に焙って曲げて、湾曲した部品を作るのだ。その焙り加減と、竹を曲げる時の力加減が難しい。 「下」で紹介したメンコあそびもそうだったが、前記の焙り加減(火加減)や力加減のように、むかしのあそびには、「加減」を必要とするあそびが多かった。「加減の多様性」は、人間らしさの一つでもあると思うのだが。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.27
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このブログでは、様々な切り口から「あそび」を取り上げてきているが、しばらくの間、少し変わった趣向で「あそび」を取り上げていく。それは、小学校で習う、いわゆる教育漢字にちなんで、「あそび」について綴っていく。ただ、教育漢字は1000字を越えるので、一先ず小学校一年生が習う80字から始めることとする。(再掲) 「上」と「下」を比較すると、イメージ的にも「上」に分があり、「下」は敬遠され勝ちだが、「下」が勝つと言うあそびもある。それは、メンコあそびだ。メンコのあそび方の一つに、相手のメンコの下に、自分のメンコを入れると勝ちとなるものがある。(「掬い(すくい)」など) 地面や床の上にある相手のメンコの傍に、自分のメンコを叩き付けることにより、風を起こして相手のメンコを浮かせて、その下に自分のメンコを滑り込ませるのだ。これが、かなり熟練が必用で、力加減とメンコを叩き付ける角度が難しい。 これをこどもたちは、比較的簡単にその技を習得する、なにせメンコを賭け合い、負けるとメンコを取られるのだから、一所懸命に技を磨くのだ。昔は、小学校低学年でも、そうした技を習得した子が多かったが、それを可能とするほど、あそび時間が豊かだった。 そのメンコの叩き付け方だが、実は基本はアンダースロー(下手投げ)に近いのだ。そして、この下手投げが基本となるあそびとして、他にもコマ回しや、水面に石を飛び跳ねさせる「水切り」などがある。 上手投げ一辺倒気味な、今のこどもたちのあそびとは違っているが、昔のこどもたちも野球やドッジボールでは、上手投げも出来ていた。いろんな投げ方がでると言うことは、様々な状況に対応できる運動能力を意味し、その点で、昔のあそびは優れていたと言える。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.26
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このブログでは、様々な切り口から「あそび」を取り上げてきているが、しばらくの間、少し変わった趣向で「あそび」を取り上げていく。それは、小学校で習う、いわゆる教育漢字にちなんで、「あそび」について綴っていく。ただ、教育漢字は1000字を越えるので、一先ず小学校一年生が習う80字から始めることとする。(再掲) 「音」を楽しむと書いて「音楽」だが、こどもたちは音楽もさることながら、「音」そのものを楽しむことも少なくない。強いて漢字で表現すると「音遊」となるが、それはそれとして、あそびとしての「音」を幾つか紹介する。 ほとんどの人は、大きな音に驚くが、こどもたちは、そのことを楽しむ。袋状の物を息で膨らませて、袋の口を閉じて、手で思い切り叩いて「パン!」と大きな音をたてる。 これには、昔によくあった紙袋が適している。今のビニール袋でも可能だが、やはり昔の紙袋の音が良い。破裂音が、シャキッとしているのだ。ビニール袋のそれは、どこかしら間が抜けた感がある。素材の違いからくるのだろう。 紙で音と言えば、紙で折る「パンパン鉄砲」や、厚紙で作る「張り扇」がある。また、キャラメルやタバコの、紙製の箱を輪切りにしたものを、手の甲に載せ、もう一方の手の甲で叩いて「ポン」と音を出しても楽しんだ。 その他、指で鳴らす「指パッチン」、机をたたいてあそぶ「汽車」、「かんしゃく玉」や「2B弾」などの玩具花火など、「音」にまつわるあそびを挙げればキリが無いが、最も大きな音が付きものの菓子を紹介する。 それは、一般的には「ポン菓子」と言われ、すでに加工済みのものも販売されているが、それではなく、米を実際に加工してくれる商売があった。月に一度くらいのペースで地域にやって来るのだ。 米を特製の窯で熱して、窯の中の空気が超高圧状態になり、最後にその釜の蓋を一気に開けることにより、爆発音とともに、米がポップコーンのように膨らんで出てくるのだ。後は、それに同じく持参した砂糖を熱で溶かしたものを絡めて「ポン菓子」が完成する。 今の世の中、こんな爆発音が出れば、それこそ「テロか!」と思われるかも知れない。今の技術水準なら、消音装置も可能と思われるが、それでは「ポン菓子」を耳で楽しむことは出来ない。「ポン菓子」の音も、なつかしの風情となってしまった。(イベントなどでは、今でも見られるが)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.25
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このブログでは、様々な切り口から「あそび」を取り上げてきているが、しばらくの間、少し変わった趣向で「あそび」を取り上げていく。それは、小学校で習う、いわゆる教育漢字にちなんで、「あそび」について綴っていく。ただ、教育漢字は1000字を越えるので、一先ず小学校一年生が習う80字から始めることとする。(再掲) 対戦型や昇級型のあそびには、「王」が使用されることがある。相手チームの王様をアウトにする「陣取り鬼ごっこ」の「王様陣屋」、ジャンケンで勝ち上がる「王様とこじき」がそれだ。 これは、「王」と言う身分が、チームの象徴や代表となったり、究極の身分を意味することや、「王」だけが与えられた権力を行使できることと、深い関わりがあるからだ。言い換えれば、「王」だけが持っている役割や能力が、それらのあそびにとって重要な要素となっているからに他ならない。 「王」が最高の地位を表わすことから、昔のこども向け雑誌には、「冒険王」「少年王」などのように「王」が付いた雑誌が幾つかあった。私を含めた、当時のこどもたちの多くは、「王」と言う言葉に、どこかしら惹きつけられていたことも事実だ。 「王」にまつわるあそびで、変わったところでは、ビール瓶の「王冠」を使った、バッジ作りが思い出させる。今の物とは違って、昔の「王冠」は、外のブリキと中のコルク部分が簡単に剥がせたから、出来たあそびでもある。 服にたくさんこの王冠バッジを、勲章をたくさん付けたようにして、自慢したりもした。さらに、珍しい王冠を、ハンカチに並べて付けて、コレクションのようにしても楽しんだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.24
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このブログでは、様々な切り口から「あそび」を取り上げてきているが、しばらくの間、少し変わった趣向で「あそび」を取り上げていく。それは、小学校で習う、いわゆる教育漢字にちなんで、「あそび」について綴っていく。ただ、教育漢字は1000字を越えるので、一先ず小学校一年生が習う80字から始めることとする。(再掲) 「丸」ではなく「円」と言う漢字に、こだわって、「あそび」について語ることは意外と難しい。こどもたちのあそびにおいては、「円」と言う言葉より「丸」が多用されるからだ。ともかく、あそびに関連する「円」を何とか捻り出してみた。 「円」と言えば、「円盤」が思いつくが、まさにこの「円盤」と言う言葉が、私がこどもの頃(1950年代)に流行っていたあそびに使用されていた。そのあそびは、ゴム製の柔らかいボールを使い、竹の棒をバットにしてあそんだ「野球あそび」だ。 このあそびの中で、ボールを思い切りバット(竹の棒)で打つと、ボールが円盤のように扁平になって、回転しながら飛ぶことがる。その様子を「円盤」と呼んでいた。 極端に少なくはなったが、今でも同じように、柔らかいゴムボールを使ってあそんでいるこどもたちを見かけるが、上記のような状態になっても、おそらく「円盤」とは呼ばないで「UFO」と呼ぶだろう。時代が違い過ぎるのだから。 さて、「円」と言えば、紙などに円を描くには、コンパスを使う。小学校の高学年になってコンパスを使うようになると、やたらと円を描いてあそんだものだ。今のこどもたちも、おそらくそうだろう。 この円を描くあそびは、さらに発展して、六弁の花びらの模様など、幾何学的な模様を描くようになる。コンパスを使って、こんなあそびに親しんだ子は、円の幾何学的な性質を、より習得し易いと思われる。少なくとも、私はそうだった。 模様を描くと言えば、回転する「円」にまつわる玩具もある。今でも、100円ショップでたまに見かけるが、円状に穴が開き、その内側は歯車状になっている定規と、その穴の中で回転させて模様を描くようになった、歯車状の円板がセットになったものだ。 昔は、学校の校門の傍に、時折やって来ていた露店や、夜店や縁日の露店などで売られていた。今では100円ショップでも手に入るが、当時は、結構値段が高くて、お小遣いを貯めて買った。だから、それで様々な模様を描いた時の感激は、今の子よりも、その値段分は大きかった。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.23
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2014.01.22
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このブログでは、様々な切り口から「あそび」を取り上げてきているが、しばらくの間、少し変わった趣向で「あそび」を取り上げていく。それは、小学校で習う、いわゆる教育漢字にちなんで、「あそび」について綴っていく。ただ、教育漢字は1000字を越えるので、一先ず小学校一年生が習う80字から始めることとする。(再掲) 利き腕で見ると、一般的に言って、「右利き」が圧倒しており、当然ながらあそびにおいても、「右利き」を前提として、あそび方やルールが決められている。ただ、あそびが展開されている空間が、左右の違いで差が極端にある場合を除いて、大きな問題とはならない。 しかし、玩具や遊具およびあそびに使用する一般的な道具類の使用に関しては差がでる。このことについては「左」の時に、触れるとして、「右」に関するあそびについて、二つのことだけを紹介することとする。 その一つは、紙芝居についてだ。紙芝居、少なくとも紙芝居屋さんの紙芝居は、「右利き」が多数派の例にもれず、紙芝居は、「右利き」にとって便利に作られていると思われるのだ。たとえば、紙芝居の絵を、箱から抜き出す方向は、観客のこどもたちに向かって右に引き出す。そのために、箱の抜き出し口は、同じ側にある。 また、紙芝居の台本は、絵の裏側に、縦書きに右から左に書かれており、これを徐々に絵を引き抜きながら、次の場面の台本を読むような演出は、前記の紙芝居の箱の構造が、ピッタリなのだ。これを、左右逆に行うことは、縦書きの方向を逆にしなければならない。 次に、唱歌「うれしいひな祭り」にまつわる「右」関するトリビアを紹介しよう。この唱歌には、「右」が「右大臣」として登場する。その一節は「すこし白酒 めされたか あかいお顔の 右大臣」となっている。 実は、これは「右大臣」ではなく「左大臣」とされる。実際の雛飾りの「左大臣」の顔が赤く見えるのだ。ただ、それが内裏雛に向かって右側にあるから、作詞家がうっかりと間違えたと言われている。 「左大臣」「右大臣」は、内裏様から見て、左に位置するか右に位置するかで見分け、「左大臣」が上位とされる。右大臣をこどもたちが知っているかどうかは別にして、ともかく、この歌、何故か替え歌が人気がある。物騒な歌詞だが、それもこどもの悪戯心からか・・・「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.21
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このブログでは、様々な切り口から「あそび」を取り上げてきているが、しばらくの間、少し変わった趣向で「あそび」を取り上げていく。それは、小学校で習う、いわゆる教育漢字にちなんで、「あそび」について綴っていく。ただ、教育漢字は1000字を越えるので、一先ず小学校一年生が習う80字から始めることとする。 まず、最初に相応しい「一」から試みる。考えれば、「一」は、「あそび」と極めて関係の深い関係にある漢字だと言える。こどもたちは、多くのあそびにおいて、「一番」を目指して頑張る。「鬼ごっこ」をはじめとして、「しりとり」でも「一番」を目指す。「二番ではダメな」のがこどもたちだと言える。 「一」と言う数は、他の数とは決定的に違った性質を持っている。単数は「一」だけだが、複数は無限にある。だからこそ、「一筆書き」が大きな意味を持つし、楽しみの対象となる。あそび仲間がいない「一人あそび」が持つ短所や長所もこの性質からくる。 「一」は数の初めを意味する。「だるまさんがころんだ」での「最初の第一歩」が掛け声としても成立するのは、その意味からで、その掛け声もユニークだからこそ、「最初の第一歩」自体があそびの名前にもなる。 たった一つの穴であそべる、江戸時代に生まれた「穴一」は、私がこどもの頃(1950年代)に流行ったビー玉あそびに受け継がれ、跳び越えるゴムの高さを競い合うあそび「ゴム段跳び」は、やがて、その最初の高さの「一段」が、あそびの名前となる。 このように、「一」は、様々なあそびの中に登場し、そのあそびを通じて、「一」が意味するもの(概念)を、楽しい体験として、こどもたちはつかみ取る。そして、「一番」を目指して頑張るが、たとえ「一番」にならなくても平気なのが、本気ではない「遊び」の世界のことだからだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.20
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「腑に落ちる」、そんな言葉がピッタリな思いをしたのは、「日光写真 季語」でネット検索をした時だ。「日光写真」は冬の季語だったのだ。「日光写真」とは、太陽光で数分露光させて作る写真で、駄菓子屋さんで売られていた玩具の一つだ。 太陽に照らされながらあそぶので、真夏のあそびではないと思っていたが、自分自身の記憶では、すでに数十年も昔のことで、その正確な季節が思い出せずにいたのだ。「日光写真」は、やはり冬だったのかと腑に落ちた次第だ。 「日光写真」のネット検索の話を続けると、その画像検索(グーグル)の結果は、観光地の日光の画像ばかりで、肝心のあそびの「日光写真」の画像はほとんど無い。「日光写真機」として、はじめてお目当ての画像が増えるが、それでも少ない感じだ。 ようするに、「日光写真」は、それだけ珍しい、と言うよりも、あそびとしては全く姿を消してしまっているのだ。凧揚げと言い、「日光写真」と言い、こどもたちを冬の寒い時期でも、外に誘ってあそばせるあそびが、影を潜めてしまったのは、本当に勿体無いことだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.19
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ネットニュースを検索して、「カルタ」の記事が目立つのが、師走と正月の頃だが、やはり昔に比べて、実際に「カルタ」であそんでいる子は、どれほどいるだろうか。学校などでの大会やイベント・行事の一環として「カルタ」であそぶことはあっても、普段のあそびでは、見かけなくなった。 「カルタ取り」は、一人でも二人でもあそぶのは難しい、最低でも三人はほしい。もっと楽しくあそぶには、取り手が数人は必要だ。その人数を集めるのは、今のこどもたちにとっては、それが難しい。 それでも、お正月は、何かと家族や親戚が集まるので、その人数も揃うことが多い。また、保育所や学童保育所では、単なる行事としてではなく、「あそび」としてぜひ楽しんでほしい。絵札を取る「いろはがるた」だけではなく、百人一首の下の句を取る「歌がるた」も楽しんでほしい。 私のいた学童(学童保育所)では、保育師が読み手となって、よくあそんだ。和歌を覚えることもさることながら、和歌が持つ日本語のリズムを身体で受け止めることにもなる。大切にしたい日本の感性でもあり文化でもある。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.18
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昨日、「紙テープ」のことを紹介したが、実は、違ったタイプの「紙テープ」もあったのだ。それは、「パンチテープ」や「穿孔テープ」とも呼ばれていたもので、少し厚めの紙に小さな穴が開けられており、その穴の並び方で情報を伝えるものだ。私がこどもの頃(1950年代)の通信機器であるテレタイプで使用されていたものだ。 それが、何と駄菓子屋さんで玩具として売られていたのだ。もちろん、使用済みのもので、数mくらいの長さものが、小さく巻かれた状態で売られていた。ただ、玩具として販売するためか、テープの上下の両端が赤や青などに着色されていた。 それを使って、どのようにあそぶかだが、他の地域ではどうだったかは定かではないが、私のいた地域では、昨日紹介した、「紙テープ」と同じような使い方をしていた。特に、蛇腹状に畳んであそぶには、弾力があって、このテープを使うとスプリングのようにしてあそぶことができた。 この「紙テープ」だけでなく、当時の駄菓子屋さんには、ビンのラベルや洋服のタグなどの余り物や印字ミス物、小型モーター用の磁石の規格外れ品など、ある意味での廃棄物的な物が、商品として販売されていた。 こんなものが、売れるのは、当時のこどもたちが、それを使ってあそびこなすだけの能力を持っていたからでもある。おそらく、今のこどもたちも、環境が変われば、あそび方を工夫したり、あそび道具につくり変えたりできる力を、きっと発揮すると思っている。 こどもたちの潜在的な力は、おとなの発想を超えるのは、古今珍しいことではない。その潜在能力を発揮させる状況や機会を、おとなたちが奪いさえしなければ、こどもたちはその偉大な力をいつでも発揮するだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.17
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昔、「テープ」と言えば、綺麗な色の着いた細長い紙製の物、今で言う「紙テープ」を意味していた。団塊の世代である私は、こどもの頃(1950年代)に、祖母のお供をして、いわゆる「大衆演劇」を見に行った。 そこでは、役者さんに、この「紙テープ」が投げられるのだ。それも、何十本ものテープが投げられる。こどもたちは、そのテープを拾って持って帰ることもあった。それを使っ。あそぶためだ。 当時は、この紙テープは、お小遣いで買うには少々高かった。だから、あそびには、このようなものを使うことが多かった。折り畳んで蛇腹状の物を作ったり、風車(かざぐるま)を作ったりもした。 面白い所では、「メビウスの帯」を応用した手品があった。当時は、「メビウスの帯」の呼称は知らなかった、テープが入手できた時は、よくあそんだものだ。これは、後にトポロジーを習う時の参考にもなった。 今、100円ショップなどでは、昔に比べて格段に安く手に入るが、今のこどもたちは、それを使ったあそびを知らないのだろう。店先で見かけても、紙テープに関心を示さないように見える。学校や施設での行事での飾り付け用に使われるくらいなのだろうか。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.16
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【「あそびからまなび」。何かを教え込むのではなく、お子さんが楽しく遊んでいるうちに「いつのまにかこんなことができるようになった」「できるのが嬉しくてまた行きたい」と思ってもらえる教室を目指しています。(中略)返事や挨拶ができたり、順番を待つことができたり、友だちと仲良く遊んだり、基本的な生活習慣と社会性を身につけます。だんだん遊びも高度なものになり、小学校の国語や算数につながる知識も身につけていくことができる内容となっています。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/リセマム:2014/01/14) 上記記事は、ある幼児教室の記事だが、このような、「あそび」が育む内容は、幼児教室ではなくとも、普段の「あそび」だけでも十分に育めるのだ。少なくとも、今のように、こどもたちが習い事や塾にドップリ浸かっていなかった頃の「あそび」はそうだった。 この教室は、1歳児からだそうだが、こんなに早い時期から、「あそび」をコンセプトにしているとは言え、習い事である点では何ら変わりがない。ようするに、こどもたちを「習い事漬け」にする時期が早まったに過ぎない。なお、多くの幼児教室で行われている≪あそび≫は、このブログで言う「あそび的課業」と見ていい。 さらに、この教室では、パソコンやタブレット端末を使用するそうだから、その意味でも感心できない。教室に閉じこもって、冷たいタブレット端末を触るより、屋外に出て実際に木の葉や昆虫を触る方が、ずっと本物の学力を育てるだろう。 週一回60分程度の「あそび的課業」に、月1万円以上もかけられるなら、自然が一杯の山や川などに連れて行く方が、感性豊かなこどもに育ってくれるだろう。少なくとも私はそう思っている。もちろん、どちらを選択するかは、親のみなさん方の自由ではある。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.15
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世の中には、様々な容器があるが、そうした容器には蓋(フタ/キャップ)を必要とするものも多い。容器に中味が入っている時はともかく、中味が無くなれば、蓋の必要性が無くなる。そんな時に、こどもたちは、その蓋を使ったあそびを考え出す。以前にも蓋を使ったあそびを紹介したが、再び取り上げる。 以前に紹介したことを簡単に記しておく。牛乳ビンのフタ(キャップ)を使ってメンコのようにしてあそんだり、酒ビンのフタを使ってコマのようにして回したり、ビール瓶の王冠(フタ)でバッチを作ったりした。 そんなあそびに使われた蓋の一つに、石油などのブリキ製の一斗缶などの蓋がある。その丸い蓋の中央を凹ませてから、蓋を手のひらで握ると、その中央部が「カッチン」と大きな音をたてるのだ。 音をたててあそぶ単純なあそびだが、薄い板ハガネとブリキを組み合わせて似たような音を鳴らせる駄玩具も売られていた。それに比べて格段に大きな音がするので、こどもたちには意外と人気があった。 悪戯好きの子は、友達の耳元で「カッチン」と鳴らせては喜んだりもした。さらに、蓋の中央部が跳ね返る勢いを利用して、蓋の上に小石などを載せて、「カッチン」と音を鳴らせながら、小石を高く飛ばせてあそぶこともあった。 このように、あそび時間さえふんだんにあれば、こどもたちは自らが工夫して、新しいあそびを生み出すものだ。近年は、おとなが工夫して新しいあそびをつくる。こどもたちは、ただそれをあそぶだけになってしまった感がある。こんな状況が不自然だと、早くおとなは気付くべきなのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.14
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【みどり幼児園にジャングルジムやすべり台はない。その代わり、子どもたちはさまざまな遊びを自分たちで編み出す。今秋以後はやっているのは、砂場や園庭に子ども用のシャベルで水路を掘って水を流す遊び。三~六歳の園児二十一人全員が夢中になり、十二月になっても寒さを気にせず、泥だらけではしゃぎ回った。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/東京新聞:2013/12/16) 「泥だらけ」、こんな状態であそぶ姿は、メッキリ少なくなったとは言え、こどもたちならではの姿だ。豪華な複合遊具が、でんと居座る公園が増えたが、上記記事のように、地面だけあって、何にもない場所でも、楽しくあそべるのだ。。 何も無いからこそ、何でもできる。それが広場や空き地の持っている素晴らしさだろう。こどもたちの工夫や力を引き出すには、「何も無い」と言う条件も、こどもたちのあそび場を考える一つの視点となる。もちろん、「何も無い」と言っても、あそび時間は必要だ。 なお、上記の水路を作るあそびは、秋のあそびと言うより、梅雨時のあそびと考えても良い。さらに、就学前のこどもでだけでなく、小学生たちにも人気があった。私が勤めていた学童保育所のこどもたちで経験済みだ。 ただ、そんなあそびができる場所が、少なくなったが、広い公園なら、その一角にも、確保してほしいものだ。「水路あそび」は砂場よりも、土の地面が適している。勾配のある地面もあれば最高だ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.13
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昔のあそびには、日本の四季それぞれの「あそび」があった。その一つが「あぶり出し」だ。「あぶり」を漢字で書くと「焙り」となり、火に関わることだとわかる。「あぶる」と言う言葉を知っている子はどれだけいるだろうか。もちろん、実際に、何かを「あぶった」ことのある子はもっと少ないだろう。と、ぼやいていてみても、もう後戻りは難しいだろう。 さて、なぜ「あぶり出し」は、冬の「あそび」なのだろうか。それは、冬の季節には、ミカンと火鉢が、こどもたちの生活の中に登場するからだ。ミカンの果汁で紙に字を書いたり、絵を描いたりして、乾かすと、その字や絵が見えなくなる。 それを、火鉢の中の炭火にかざして「あぶる」と、字や絵が焦げて茶色になって浮かび出る。万が一、紙が燃えても、火鉢の中に放り込めば安心だ。これは、ガスレンジでは難しい、難しいだけではなく火事になる危険性も高い。 風の子と言われるこどもであっても、厳しい寒さの日は、家の火鉢で温まりながら「あぶり出し」をするのも、ほほえましい光景となる。「あぶり出し」であそんでいると、「気を付けや」と、おばあちゃんが声をかけてくれた、幼い頃のそんな冬の一コマがよみがえる。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.12
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【小学校で授業に集中させるために今できること授業に集中できない小学生が増えている。子どもの<からだ>にこだわった研究を行ってきた日本体育大学の野井真吾教授によれば、前頭葉の働きが未熟な「そわそわ型」の子どもが増えたこと、セロトニン神経が弱化していることが原因という。(中略)日中、太陽光をたくさん浴びれば、背筋などの抗重力筋に緊張を与えるセロトニンが増えます。セロトニンが増えれば、夜眠るときに重要なメラトニンというホルモンも増やすことにつながり、良質な睡眠が得られます。(中略)「早寝・早起き・朝ご飯」が大切だとよく言われていますが、ご家庭の事情で早寝をしようと思ってもできない現状もあると思います。しかし、「光・暗闇・外遊び」なら、できそうな気がしませんか?】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/Benesse 教育情報サイト:2014/01/07) 上記記事は、今の子育てや教育のあり方についての警鐘でもある。野井教授が奨める「光・暗闇・外遊び」は、何ら特別のことではない。少なくとも高度経済成長期以前の日本のこどもたちにおいては、ごく普通の生活スタイルだったのだ。 それにも拘らず、今の極めておかしい、こどもたちの生活スタイルにしてしまったのは、単に「ご家庭の事情」ばかりではない。そんな「ご家庭の事情」にしてしまうような社会の変化があったのだ。 その社会変化は、このブログで、こどもたちのあそびの成立を左右する「あそび時間」、「あそび空間(場所)」、「あそび仲間」の「あそびの三間(さんま)」に大きく影響を与える「第四の間」である「世間」の変化に等しい。 そして、その「世間」の主体者は、おとなたちなのだ。家庭、地域、学校、行政、企業など、「世間」であるおとなはそれぞれの持ち場で、こどもたちに上記記事に基いた真摯な反省をする必要がある。 当然、その反省に即して、「早寝・早起き・朝ご飯」や「光・暗闇・外遊び」が、こどもたちの普通の生活になるような改善が望まれる。なお、強いて言えば「昼間のあそび時間」さえ、こどもたちに十分確保されたなら、自然にそれは達成できるだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.11
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このブログでは、こどものあそびに関して、様々な私見を綴ってきたが、あらためて総論としての「あそび論」を構築していくために、思いつくままの順不同に、あそびについての私見を綴っていくこととする。(再掲) 動物の中で、最も幼い形で生まれると言わる人間、それはおとなになるために必要とする期間が最も長いと言うことと同じ意味を持ち、そのことはさらに、動物の中で最も長い期間の「あそび」が必要であることを意味している。 しかし、現状では、必ずしも全てのこどもたちに十分な「あそび」の時間が約束されているわけではない。災害や戦争の全く無い期間においても、第四の「間」である世間により、「あそび」の時間が削られたりコマ切れ状態になっているこどもたちは少なくない。 そうした「あそび」時間が奪われたこどもたちは、ある子は「いじめ」の被害者として、またある子は「いじめ」の加害者として、さらにある子は、部屋に閉じこもり、別のある子は自らの命を絶ってまで、悲痛な叫びをあげ続けている。 そんなこどもたちの叫びを、どれだけのおとなたちが耳をそばだてて聴こうとしているのだろうか。少なくはないおとなたちは、聴いたつもりや聴いたふりして、結果としてこの現実を見過ごしている。 そうしたおとなたちの多くは、おそらく「こども期」に「あそび」を十分に満喫できなかったおとなたちなのだろう。「こども期」に思う存分あそんでいれば、今のこどもたちの置かれている現状を見過ごすわけはない。 こどもたちの悲しい現状を見過ごし、根本的な手立てを採って来なかったおとなの多さが、逆説的に「こども期」の「あそび」の大切さを証明している。こどもたちが「あそび」を永久に、その全身で味わえる十分な時間を取り戻すため、一人でも多くのおとなたちの「あそび」に対する考えが変わることを願って、一先ずこの連載を締めくくる。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.10
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このブログでは、こどものあそびに関して、様々な私見を綴ってきたが、あらためて総論としての「あそび論」を構築していくために、思いつくままの順不同に、あそびについての私見を綴っていくこととする。(再掲) こどもたちがおとなになるまでは、必ずしも平穏な日々を過ごすわけではない。まだ記憶に新しい大震災・洪水・土石流などの天災、戦争やテロなどにより、恐怖と不安に満ちた日々を送ることもある。そんな日々でも、こどもたちはあそぶ。これは、「あそび」が持つ「癒し」の機能が、働いているからだ。 こどもたちが「癒し」を必用とするのは、天災や戦争などだけではない、親を亡くしたり、親から見放されたり、陰湿な「いじめ」や無慈悲な虐待に遭遇するかも知れない。そんな時にも、こどもたち自身の力で、自分自身を癒せるのは「あそび」をおいて他には無いだろう。こどもたちの健やかな成長と確かな発達のためには、「あそび」が欠かせないのである。 現在の日本を見れば、上記のようないわば過酷な出来事ばかりではなく、一部の無理解なおとなたちにより、激烈な競争に追い立てられ、自分以外は「みんな敵」状態に陥ったこどもたちも少なくない。学級崩壊や不登校は、無くならないのは、そんな気の休まる暇も無いこどもたちに、「あそび」が十分に保障されていないからだろう。 そんな「あそび」がもたらす「癒し」は、家の中に閉じこもって一人であそぶよりも、屋外に出て身体を、心地良い疲れが出るまで使い切った、大勢の仲間たちとの「あそび」において、その効果が最高となる。 集団の「あそび」の中では、自分自身の存在感もしっかりと確かめることができる。味方同士が、力を合わせるような「あそび」では、その存在感をより確かなものとする。これらのことは、言い換えればやがて独り立ちしていくこどもたちの、ある意味で隠れた「癒し」となっている。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.09
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このブログでは、こどものあそびに関して、様々な私見を綴ってきたが、あらためて総論としての「あそび論」を構築していくために、思いつくままの順不同に、あそびについての私見を綴っていくこととする。(再掲) すでに、「あそび」を、おとなになるための行動様式の実践的な「学び」として紹介してきたが、こどもたちの成長・発達における重要性の一つとして、この点についての考察を深めていく。 本題に入る前に、ここで使用している、「行動様式」について、若干の説明を加えておく。「行動様式」とは、歩き方、握り方などの、単に身体やその一部分を使った行動・動作だけでなく、会話やコミュニケーションなどの人間関係の応答・対処などの仕方、さらに、ものの考え方(思考方法)など、心身両面に関わった広い意味での「行動」のあり方を意味する。 文字・記号・画像を駆使できる人間においては、他の動物とは大きく違って、「教育」(指導やしつけなども含む)と言う方法で、こどもたちにおとなになるための知識や行動様式を教えることにより、こどもたちの「学び」を助けることの比重が高くなっている。 それでも、そうした知識や行動様式を、しっかりと身に付けるには、それらの知識を検証したり、行動様式を実践することが必須条件となっている。言い換えれば、「教育」だけでは、こどもたちに知識や行動様式を身に付けさせることは難しい、と言うより不可能に近いと考えていい。 「教育」と言う形で行われる、主としておとなたちによる「教え」は、こどもたちの「学び」と言う、「教え」と呼応した、こどもたちによる自覚的な活動が無ければ成り立たない。 さらに、「学び」が本質となっている「あそび」は、本能的で自発的に進められるので、こどもたちの「学び」において、最も積極的な「学び」となる。「あそび」おける「学び」の積み重ねは、「学び」の方法も、自らつかみ取る機会となる。「あそび」で培った「学ぶ力」は、「教育」においても大きな役割を果たすことは明らかである。 もちろん、「教育」においても「学び」の方法を教えることは可能ではあるが、「教育」はこどもたちにとっては、あくまでも強制された「学び」であり、そうした強制にも耐えうる、自己制御力(自律力)を育むには、やはり本能的で自発的な「学び」である「あそび」を必要とすることも、また、明確だと言える。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.08
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このブログでは、こどものあそびに関して、様々な私見を綴ってきたが、あらためて総論としての「あそび論」を構築していくために、思いつくままの順不同に、あそびについての私見を綴っていくこととする。(再掲) これまで、「遊び」を様々な角度から考察してきたが、こども期の「遊び」である「あそび」に焦点を絞って、特に成長・発達上の重要性について、幾つかの視点で、さらに掘り下げて考察していく。 まず、「あそび」の重要性を考察する前に、こども期の特徴を簡単に見て置く。ここで、「こども期」とは、誕生後から成人になるまでの期間を指し、その成人となる時期は、脳の発達の完了をもって決する。 ただ、その完了の基準の定義や、こどもの個性によって違ってくるが、概ね20歳を中心として、その前後数年位を成人の時期として論を進める。また、人類の発達史的に見ると、一人前の成人として生活するために必要な、諸能力(配力・運動能力・知識/学力など)が増えるにしたがって、成人の時期は遅くなる傾向にある。 さらに、こども期の中でも、私が「あそび期」と定義している、幼児(3歳)から小学生までの9年間において、脳は最も活発に外界の情報を取り込もうとする(「学び」)期間となっている。 このような、脳が活発に発達を続け、さらに活発に情報を脳に取り込む「こども期」の「あそび」は、こどもの発達・成長において、大きな意味を持つものと考えられる。 さて、こども期に、脳が外界の情報を旺盛に取り込もうとするなら、新しい情報を取り込むことにより、例えば快感(喜びや楽しみなど)を感じるような脳内物質が分泌されるのは当然で、実際にも、新しいことを知った時の、素直な喜びの感情として誰もが経験済みのこととなっている。 その意味では、こども期は、「学ぶ」ことに旺盛な時期であり、本来なら最も「学ぶ」ことに喜びを感じる時期であると言える。だが、一部の学校教育における「学び」は、全てのケースではないが、「学び」が苦痛になっている現実がある。 教育における「学び」が、必ずしもこどもたちに、喜びや楽しみをもたらさない一方で、同じ「学び」の違った形態である「あそび」においては、基本的には喜びや楽しさに溢れる「学び」となっている。時には、苦痛をも乗り越えるのが「あそび」における「学び」なのである。 だからこそ、「あそび」において、難しい本も積極的に読んだり、難解な計算も根気よく覚え、複雑な身のこなし方も楽々と身に付けることは、こどもたちの日常の中でも珍しくないと言う、歴然とした事実がある。 このように、教育による「学び」に比べ、徹頭徹尾楽しさや喜びに満たされた「あそび」における「学び」こそ、こどもたちの成長・発達において、重要な役割をもっているのである。 なお、「いじめ」が「遊び」と化したケースでは、一方的に苦痛を味わう側のこどもたちがいることは事実ではある。そうした場合、こどもたちは教育と「あそび」の両方で「学ぶ」機会や喜びを奪われていることとなり、一刻の猶予も許さない、毅然とした対応をとる必要があることを強調しておく。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.07
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寒空に 個々にゲーム機 並ぶ子等 昨日、近くの沢之町公園を通りかかった時、ベンチに並んで座ってゲーム機であそぶ、5・6人の男の子たちを見かけた。寒くない時期なら、おかしくもない、見慣れた光景にはなっているが、冷たい風も時折吹く、そんな時期には、違和感が増す。 そこで、何故こうなるのかを考えてみた。もちろん、携帯型ゲーム機の普及が進み、ほとんどの子が持っている事実があるのだが、それにしても、真冬の屋外ですることの理由は、考えるに値する。 そんな理由として、まず考えられるのは、家ではあそべなくなっている事情があるのだろう。昔は、友達の家に行って気軽にあそぶのは、ごく普通のことだった。今は各家庭の事情が、何であるかはともかく、それを許さなくなっていることは確かだ。 5・6人と言う人数の多さからではない。それは、二人であそぶ対戦型のカードゲームも、マンションのエントランススペースや、区民ホールのロビーなど、家の部屋でない所で、あそぶこどもたちを良く見かけることで推測できる。 もちろん、家の部屋内であそんでいるところは見ることができないから、そこでもあそんだいるかも知れないが、あまりにも家の外であそんでいる光景に出会う回数が多すぎることからして、この理由は当たらずとも遠からずだろう。 次に、思いあたった理由は、やはりこどもは一人であそぶよりも、仲間とあそぶのが大好きなのだと言うことだ。上記のベンチでゲームをするこどもたちの様子を見ていると、個々にそれぞれのゲーム機であそんでいるだけではなかったのだ。 隣の子のゲームをする様子を見ていたり、ゲームの進行状況を隣の子に自慢したり、それなりの交流があるようだ。これは、一昔前にあった、テレビゲームが出来る家に集まって、順番待ちをするこどもたちの光景と似たようなものだ。 以上の二つの考えられる理由でわかることは、今のこどもたちは、全てではないが、家の外であそんでいるからと言って、いわゆる「外あそび」をしているわけではないことだ。 また、ゲーム機あそびは、「一人あそび」であることは、間違いがないが、少なくとも、家の部屋から外へ出れば、偶然に出会ったり、待ち合わせをしたりして、「一人あそび」を、仲間と一緒にとは言い難いが、何らかの交流を行いながらもあそべることだ。 それだからと言って、屋外で仲間とゲーム機あそびを肯定する「するつもりはない。今のこどもたちは、昔のように、家で一人であそんでいるよりも、家の外で仲間とあそびたがっていることだけは確かなのだ。 おとなたちが、社会や生活のあり方を変えてしまったからこそ、寒い公園で震えながら、ベンチに一列に並んで、それぞれのゲーム機であそぶ、極めて不思議で悲しいこどもたちの現状があるのだ。それに気付くおとなたちが増えるようにと願うものだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次の各ページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.06
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【市内の小学生が宿泊研修を通して、日本の伝統文化への理解を深める「日本伝統あそび発見伝」が7、8日の2日間、開かれた。市立オホーツク青年の家(花園町8、所長=斉藤房生教育長)の主催。(中略)番屋講座では博物館の運営ボランティアが子どもに付き添い、15種類の伝承遊びの楽しみ方を教えた。 地面に描いたいくつかの円を跳んで渡る「ケンパ」の遊びでは、佐藤和利指導員が円に向けて石を投げ、止まった場所を避けて跳ぶ遊び方を紹介した。石が止まった場所によってはバランスが保てずに尻餅をつく子が相次いだが、少ない用意で様々な楽しみ方ができる昔の遊びに子どもたちは時間を忘れて夢中になっていた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/北海民友新聞:2013/12/10) 日本の、こどもたちのあそびの急変は、「ここまで来たか」と思わせる状況だ。「ケンパ」を「日本伝統あそび」として、こどもたちが再発見しなければならない時代となったのだ。 このように書いたが、正確には、石を投げてやあそぶ「ケンパ」は、少なくはなったが、普通の「ケンパ」であそぶこどもたちは、まだ見かける。何せ、街の広場や公園などのあそび場には、石ころが意外と見つからない。「危ない」からとは言え、それが悲しい現実なのだ。 「ケンパ」の様変わりは、「石けり」系が無くなっただけではない。「ケンパ」から地域色が無くなってしまっているのだ。「ケンパ」「石けり」の類は、町や村の数と同じくらいに、様々な形式・内容のあそびがあった。 今では、単に丸い輪が並んだものがほとんどで、その輪すら、地面に棒きれで描くようなものではなく、プラスティック製の輪(フープ)が並んでいたり、コンクリートの地面に、すでにペンキなどで描かれたものだ。 こんな状況に嘆いているのは、こどもたちに対してではない。そんなこどもたちのあそびの現状を作ったおとなたちに対してだ。上記記事の取組みや、私が学童保育で取り組んだことも、残念ながら、大きな成果を上げてはいない。 それでも、こうした取り組みが無くなれば、もっと早くに「ケンパ」は博物館などで見る映像だけの存在となってしまうだろう。こどもたちの笑顔あふれるあそびとして「ケンパ」が、地域ごとの個性を持って復活することを信じて、「ハチドリのひとしずく」のようであっても、今年もあそびの素晴らしさを訴えていこうと思っている。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.05
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このブログでは、こどものあそびに関して、様々な私見を綴ってきたが、あらためて総論としての「あそび論」を構築していくために、思いつくままの順不同に、あそびについての私見を綴っていくこととする。(再掲) 「あそび」の分類は、個々の「あそび」の持っている性質に基くものもあるが、その基準となる性質の一つに「可変性」がある。言い換えれば、個々の「あそび」の形式や内容に対する、改変の自由度が、どれだけあるかによっても「あそび」は分類できる。 たとえば、「鬼ごっこ」は、あそびの人数も自由に変えられ、「手つなぎ鬼ごっこ」のように形式が変化したり、「陣取り鬼ごっこ」のように内容も変化する。「鬼ごっこ」は可変性が高い「あそび」となる。 その反対の例としては、今流行のキャラクターカードによる対戦ゲームは、ルールが厳格で、あそぶ人数も制限されているものがほとんどで、可変性がほとんど無い「あそび」となっている。 可変性の高い「あそび」は、次世代への伝承や、他の地域への伝播を通じて、大きく変化したりする。「あそび」の時代変化や地域性は、この可変性無くしては生じ得ない。 「あそび」の可変性は、「あそび」に用いる玩具や遊具の違いによっても違ってくる。一般的に、玩具や遊具に頼らない「あそび」の可変性は高い。また、玩具や遊具が持っている汎用性や専用性は、「あそび」の可変性を大きく左右する。 例えば、極めて精巧に作られた「ままごとセット」より、単純な形をした「積み木」の方が汎用性が高く、「あそび」の可変性も高くなる。「積み木」は、「ままごと」での「なすび」にも、「電車ごっこ」での「列車」にもなれる。 さらに、可変性の高い「あそび」は、こどもたちに様々な工夫する余地や機会を与える。その工夫により、「あそび場所」や「あそび仲間」、時には「あそび時間」の変化にまで対応させ、新しい「あそび方」や「あそび」を、こどもたちは創り出せる。 一般的に見て、おとながこどもたちの「あそび」に、関わり過ぎると、この「あそび」の可変性を低くする傾向がある。巨大メーカーが製造する玩具などは、その傾向が強い。一人一人が、専用玩具を使ってくれれば、メーカーは儲かるのだから、当然のことである。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.04
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【子供のころ、家族や友達と独楽まわしや羽根つき、凧あげなど日本の伝統的な遊びで楽しい時間を過ごしたことがある人もいるのではないでしょうか。お正月になると見かける光景でしたが、最近ではそんな伝統的な遊びをする子どもが減ってきているそうです。(中略)日本の伝統的な遊びは、お父さんやお母さんだけでなく、おじいちゃんやおばあちゃんも一緒に遊べるものばかり。家族や親戚みんなで、子どもたちに「日本にはこんな遊びがあるんだよ」ということを今一度伝えたいですね。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/livedoor:2014/01/02) 上記記事で「伝統的なお正月遊び8選」として紹介されていたあそびは、次の通りだ。凧あげ、羽根つき、独楽まわし、福笑い、めんこ、だるま落とし、けん玉、かるた 団塊の世代の私は、その全てをあそんだことがあるが、今のこどもたちや、そのお父さんお母さん方は、どれだけあそんだことがあるだろうか。ひょっとすれば、知らないあそびもあるかも知れない。 ところで、上記の8種のあそびは、必ずしも正月の期間のあそびばかりではない。「独楽まわし」や「めんこ」は、普段のあそびとして定着していた。また、「凧あげ」のように、正月の短い期間のあそびとしては勿体なさ過ぎるものもある。北風が吹いている期間、屋外で目一杯あそぶのが良い。 このように、伝統的なあそびが、普段のあそびから姿を消し、せめてお正月くらいはとの思いも理解できるが、それよりも、何故、普段のあそびから消えたのかを、反省してその原因を取り除くことが大切だ。 そうでないと、ますます可笑しな「お正月のあそび」が、どんどん増えかねない。竹馬、あやとり、お手玉、ビー玉、まりつき、・・・・・、すでにその域にあるあそびは数多い。それでも、まだ、なんとか間に合うと思うのだが。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.03
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新春の 日本の空を カイト占め 昨日、近くの長居公園へ行った。青空には幾つかの凧が舞っていた。しかし、そこには、同じ凧揚げでも、私のこどもの頃(1950年代)とは違って、三角形の洋凧、いわゆるカイトばかりだった。奴凧や角凧などの和凧は皆無だった。 違和感を感じたのは、それだけではない。凧揚げをしていたのは女の子たちと、幼児連れの若いお父さんたちだ。昔は、凧揚げと言えば、小学生以上の活発な男の子のあそびだった。元日とは言え、元気な男の子はどこへ行ったのだろうか。「こどものあそび(遊び方)」は、次の各ページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.02
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新年あけまして、おめでとうございます。 多くのこどもたちは、これまでの歴史の中で、地震や津波などの天災だけでなく、おとなたちの勝手な理由による、戦争、テロ、公害、原発事故、貧困、犯罪、虐待などの「人」災により、その権利である「あそび」を奪われてきました。 奇跡の惑星と言われる、この地球を、「こどもたちが、いつまでも安心してあそべる地球」にするために、その目的の大きさからは、あまりにもささやか過ぎますが、このブログを含む、遊邑舎の全てのサイトで、訴えてまいりたいと思っております。今後とも、よろしくお願いいたします。「こどものあそび(遊び方)」は、次の各ページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2014.01.01
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