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5時過ぎに帰宅。最後の夏休みを堪能すべく、昼寝しました。目覚めたら10時半。あ~気持ちよかった。今日は学校で、明日配る学年便りを書き上げ、印刷して担任に渡して来ました。どこの学校でもそうだと思うけど、学校の外に出す文書に関しては、間違いをなくすために回議をします。同じ分掌の職員や事務主査、管理職に目を通してもらい、全員からオッケーのハンコをもらってから初めて印刷できるわけです。学年便りに、ハンコを押してもらうための回議用紙を添付して提出するのですが、今日はその回議用紙に、教頭が小さく「すばらしい文章です」と書いてくれていました。う~れし~~。いやいや。自分でも意外なくらいに嬉しいものですね。ほめられて嬉しいのは、子どもも大人も一緒だね~。さて、生徒との再会を楽しみに、(昼寝から起きたばっかりだけど)寝よーっと。
2006.08.31
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自分の名前をキーワードにして、検索してみたことありますか?私の名前で検索すると、私本人の名前以外に、3人ヒットします。ひとりはもうずいぶん長く、精力的に活動を続けられているピアニストの方。私が学生の時、大学の構内にリサイタルのポスターが貼ってあり、サックス科の先生から、「君もなかなか忙しいねえ」と茶化されたものです。もうお二方は、香川県と北海道の方。名前はともかく、名字はそうそうたくさん転がっていないものだし、この名字とこの名前がくっついて、しかも漢字まで一緒の方がどこかに3人もいらっしゃるということが、なんだか不思議な気がします。姓名判断だとかを手放しで信用するわけではありませんが、名前には説明できない不思議な力が宿っているのかなあとは思います。「名は体を表す」ってやつですね。たとえばこれは教員である両親との共通の見解なのですが、「健太」と「翔太」って名前の生徒には、まず間違いなく手を焼かされて、でもどーしても憎めない。落ち着きのないいたずら坊主なのに可愛いくてしょうがないってやつが多い。う~ん不思議。世の中には、「鈴木さん連合」みたいなのもあるとかないとか。私も同姓同名の3人の方と、どこかで会合開いてみたいなあ。あっ、今日は写真も絵もなしです、つまようじさん。
2006.08.30
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つきあって別れた男から、何年かたって「また寝たい」と連絡が入ることが多い。男ってそういうもんなのか、私がそういうふうにさせるのかはよくわかりませんが、「いま幸せなセックスしてるからだめ~」と断ることにしています。こんな私を、母はまだ処女だと思っているのかな~と、親っておもしろいな~と考えて思い出したエピソードをひとつ。妹2が、「彼と一緒に旅行に行きたい」と親に爆弾発言をしたのは、彼女が20歳くらいのとき。結婚話が自分たちの間で固まるまでは、彼を親になど紹介するもんではないと思っている私と違い、妹1はきっちり親に報告する子でした。うちの親が、「あらいいわよ、楽しんでらっしゃい」なんて言うわけもなく。「だめっ。ぜっっっっったいに、だめっ!」と、とりつく島もなし。だいたい当時の彼氏ってやつが、私から見てもいかにも遊び人の、ルックスだけで中身なさそうなやつだったからなおさら。いつもなら、ここで泣く泣くあきらめる妹も、今回はしつこく食い下がりました。「他の何人かの友達も一緒にいくから」「部屋は別にするから(←うそ)」「途中で必ず電話連絡入れるし、くわしい行程表も置いていくから」こういうときは、私は黙っているに限る。どうなんのかな~と、わくわくしながら成り行きを見守っていましたが。「K(彼氏の名前)に直接電話かけてくるように言いな」と、ついに母が折れました。田舎の、昔気質の家で育ち、そういうことには異常に潔癖な母にしては、ものすごい葛藤の末の結論だったと思います。出発の前日、電話をかけてきた彼氏に、母は世にもぶっきらぼうに、「まだ嫁入り前の娘ですから。しっかりわきまえてください」とだけ告げて電話をがしゃんと切り、部屋にあがってしまいました。一度だめと言ったら何が何でもだめを通してきた母だっただけに、ママがんばったじゃん。と言いたい私でした。さて妹が旅行に出かけたその夜。母が、ビール3口で眠りこけてしまう母が、べろべろに酔って、しかもべろべろ泣いてしゃくりあげながら帰ってきました。なによ~お母さん、どうしちゃったのよ~。「だってね、うっっ、だってね、職場のひとにね、うっっ、『だいじょうぶです、責任持ちます』って彼氏が言ってくれたんだよ、って、うっっ、言ったらね、ううっっ」うんうん、なんだって?「『アンタそれはね、責任もって避妊しますって意味だわよ~~~』ってね、うっっ、言われちゃったんだもん、うえ~~~」あら・・・それは・・・「お母さんはね、ううっっ、そんなつもりじゃ、ひっく、なかったんだよ~~~~ぅうえ~~」わはは。かわいいでしょ、うちの母。「私もその職場の人と同じように思ってました」とは言えず。そんな母もいまはおばあちゃん。二人目の孫が生まれるのを心待ちにしています。
2006.08.28
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今日は、男子生徒を集めての合唱練習のあと、買い物に行きました。なにしろこの部屋は、ワンルームの割に広い。ソファとベッドを置いてもまだお相撲がとれるくらいのスペースがあります。一人暮らしを始めて2ヶ月。そろそろアイテムも増えてきたので、余ったスペースを生かすべく、ほどよい大きさの飾り棚が欲しくなったのです。↓これこれ。むふ。なかなかすてきでしょ。そしててっぺんに飾ったのが、私の大好きなことば。↓これこれ。「いいじゃん。それで。」じゃないんだよ。「いいじゃん。それでも。」。そんな自分でいいじゃん。完璧じゃなくたっていいじゃん。がんばってりゃいいじゃん。いろーんな意味が、たったこれだけのシンプルな言葉に隠されてる気がして。もうずいぶん長いこと私の部屋に飾ってありますが、何年たっても同じたたずまいで、私の心をほぐしてくれる言葉です。
2006.08.27
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この夏最初で最後の花火大会に行ってきました。花火っていいね。なんだろね。なんでだろね。口あけて、だまーって見てました。ずっといただいたコメントへのお返事してなくてごめんなさい。明日、書きます。心をこめて。
2006.08.26
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終わりました。教員採用試験。応援メッセージをくれたみなさん。ほんとにありがとう。なんかね。がんばれた気がする。手応えというか、私の色が出せたと思う。模擬授業、じゅうぶん考えて練りに練って、当日はいつもの授業みたいに楽しくやろう!と思っていましたが。ほんとに楽しんじゃった。生徒役の他の受験生も楽しんでくれたと思う。笑い声いっぱいで10分間を終えました。面接。リラックスして、作ったり飾ったりすることなく、ありのままの、自分の言葉で面接官とやりとりができました。模範的解答にはほど遠くても、普段の私がどんなことを考え、感じ、心がけて仕事をしているのかは伝えられたと思うし、地に足がついた受け答えができたと思います。うん。なんかすっきりしたな。数学のテストじゃないんだから、合格不合格のラインはとっても曖昧です。はっきり言って、面接官に、いかにいい印象を与えられたかにかかってる。面接官だって人間ですから、客観的に、冷静にとは思っても、そこに好みや主観が反映されるのは、仕方ないことでしょう。面接官の先生たちだって、本音は不安だと思う。みんなが教員をめざしてて、みんなががんばってて、みんなが夢と希望と理想をもってテストに臨んでいる。そしてその運命を自分がにぎっている。ほんとに自分の判断は正しいのか。受験者の素質や将来性を、わずか数分の試験でほんとに見極めることができているのか。そんな不安を持ってると思う。だから、こうして自分のちからを出し切った今。あとは心静かに発表の日を待つだけです。発表は、10月3日。その日までは、採用試験のことは忘れよう。今まで通り、目の前の生徒たちのことだけを考えて、日々精一杯仕事をしよう。試験が終わるのを、会場近くのファミレスでダーリンが待っていてくれました。言葉少なにずっと気にかけ、心配していてくれました。幸せ者だ。私は。発表は、10月3日です。
2006.08.25
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明日は採用試験の最終日。10分間の模擬授業。そして、3人の面接官を相手に個人面接です。合格率は50%。だけどそうじゃない。20位。下に何人いようが、20位以内に入れれば、合格できるんだ。作戦は練ったね?普段の授業とちがう。50分間じゃない、わずか10分の勝負だ。導入の10分ってことは、いかに生徒を引きつけて、その後につなげられるかってことだ。どれだけねらいを明確に意識したオープニングができるかってことだ。しかも相手は中学生じゃない。ほぼ全員が音大出身者か現役音大生、音楽の知識も技術も私より優れている人たちを相手に授業しなくちゃいけない。そして彼らはみんな、私の失敗を祈ってる。私の武器はなんだ?経験だ。笑顔だ。開き直りだ。私を慕って応援してくれる、生徒たちの存在だ。がんばれる。だいじょうぶ。高ぶっている。どきどきしている。鼻の奥がつうんとしている。でも、わかってる。明日、自分が前に立った瞬間。面接官を目の前にした瞬間。この緊張は嘘みたいに引いて、自分の晴れ舞台を演じきれるってことを。やってやろうじゃん。
2006.08.24
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平成15年の4月1日、退職辞令というのを受け取って、その足で大阪ヒトリタビにでかけました。だまって退職しちゃって、あちこちから電話やらなんやらが来ることが予想されて、めんどくさいから逃げちゃえ~と。大阪なんて行ったことないし、土地勘も知識もなんにもなく、ただ安いからとったビジネスホテルが、塚本という場所にありました。そこで4泊したわけです。大阪ヒトリタビの目標は、「行きつけの店」をつくること。当時の私は、一人でマクドナルドに入るのにも勇気をふりしぼらなくちゃいけなくて、もういい歳なんだから、ひとりでご飯くらい食べられるようになろうと決意したのです。塚本の駅のまわりをぐるぐるぐるぐる何度も廻って、2時間くらい歩いてようやく、「赤とんぼ」という名の小さな飲み屋に入ることに決めました。勇気を出して中に入ると、ちょっと肩の力が抜けた感じの、昔はいろいろ悪いこともしましたみたいな、そこはかとない色気のただようおじちゃんが一人でやってる店でした。初日は「一人で飲み屋」という状況に緊張して全然ものも喋れず、常連さんたちの軽い会話を聞きながら、梅酒の水割りと豚キムチ炒めで夕食をすませて店を出ました。次の日行ったら、「昨日も来た人やろ」とおじちゃんが話しかけてくれ、梅酒の水割りと焼き鳥セットでぽつぽつ話をしました。海遊館でジンベイザメ見てきたよとか、大阪来たら、なんだか横町行って串カツ食うてこいとか、そんな話。3日目は、おじちゃんが常連さんたちに私を紹介してくれて、みんなでおじちゃんのギターに合わせて合唱大会をしました。梅酒の水割りと、なにを食べたかは忘れましたが、ねぎの刻み方から練習を始めたんだっていうおじちゃんの苦労話も聞きました。4日目の夜、「明日帰る」という私のために、おじちゃんは早々にのれんを下ろし、私だけのために2時まで店を開けてくれました。私と同じ名前の娘さんの話とか、情熱的に好きになった女性の話とか、だけど「子供らがよう捨てられんかったわ~」と、別れを決めた話とか、脱サラして勢いだけで店を始めたときの話とか、とりとめなく、いろいろ話をしてくれました。そして私は、つい最近ふられたばかりの、好きだった男の話をしました。相手の気持ちが見えなくてね、でもただそばにいたくてね、気に入られたくて、自分の激しさをがんばって隠して、気を遣って気を遣って、でもそれが「重い」って言われちゃったのよ~。そしたらおじちゃんは、こんなふうに言ってくれました。みかちゃん、好きな相手と寝るっちゅうことはな、相手の前で裸になるってことやろ。裸になるってことはな、単純にパンツ脱ぐってことだけやないんやで。相手に全部見せるってことやろ。体も、心もぜんぶ。好きな男の前で、心ごと裸になれないんやったら、嘘やと思うで。沁みた~。おじちゃん、ほんとにあったかい人やった~。もう1曲歌ってちょうだいって言って、何を歌ってもらったかなあ。長渕だったかなあ。一緒に写真をとって、「また来いよ。こんどは大阪案内したる」と言われて、店を出ました。退職してふらっと出かけた旅先の、ふらっと入った店のおじちゃんに、弱ってた心をよしよしってしてもらった気がしました。すごいなあ人生って。ちゃんと、そういうふうに出来てるんだなあ。あれ以来、大阪には行っていません。でも写真はずっと部屋に貼ってあります。いつかまたふらっと立ち寄る日のために。
2006.08.23
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今日は、妹1の32回目の誕生日でした。誕生日って何が素敵かって、この世に生を受けたことを改めて感謝できるからだと思うのですよ。私はこんなにもたくさんの人に出会って、助けられて、支えられて、喜びや怒りやあらゆる感情を教えられて、そうして成長してきたんだなあって。生まれてきてよかったなあって。少なくとも私や私の妹たちは、そうやって感謝するだけの人生を与えられてきました。私と母とでプレゼントを買いにいくことにし、その道すがら、母がメールをうちました。「誕生日おめでとう。3人(妹と、その夫と、息子)仲良くね」。かわいい服を買ってあげようか、アクセサリーにしようか、それともウケ狙いのおもしろグッズにしようか、妹の喜ぶ顔を想像しながらの楽しい道中だったのです。ところが帰ってきた返事に、私も母も、なんとも寂しい気持ちになりました。息子は、私の誕生日はケーキを食べる日だと思っている。夫は、やっつけ仕事のような感じで、自分の気持ちを押しつけるだけ。私自身の希望は誰も気にかけてくれない。例年のごとく、心沈む誕生日です。そんな内容が書いてあったからです。母への、「ありがとう」の言葉もありませんでした。なあんでそうなっちゃうかなあ。ケーキ楽しみだったじゃん、私たちだって。誰かの誕生日は、ケーキ食べられる日だったじゃん。「気持ちのおしつけ」ってなによ?! そこに気持ちがあるんだろ? なんでそれが嬉しくないのよ?「私自身の希望」ってなによ?! 誕生日って、女王さまになれる日だったっけ?「例年のごとく」ってどういうことよ?! 毎年誕生日ごとにあんたは、祝ってくれる家族に対して暗い顔で応えてるってわけ? そりゃあやっつけ仕事になって当然でしょ。なんかおかしくない? 妹よ。母はすっかり気分が滅入ってしまい、「もうプレゼントなんて買いたくない」と言い出す始末。まあまあそう言わずにさ、私たちは私たちで、おめでとうの気持ちを伝えてあげようよ。物や事象じゃなくて、気持ちなんだってこと、あいつもいつかわかるよ。共感はぜんぜんできないけどさ、「心沈む誕生日」を迎えてるあいつは、まあ気の毒ではあるんだしさ。私もようやくそうやってフォローしながら、どうしたらあの子が色んな人の気持ちを、感謝して受け入れられるようになるのかを、ずうっと考えていました。あるいは、どうしてあの子が人の気持ちに「ありがとう」と思えない大人になってしまったのかを。近いうち、食事にでも誘ってみます。
2006.08.22
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昨日の日記、書き終わってすっきりしました。言いたかったこと、たまっていたことをみんな外に出せた気がする。コメントをくれたみなさん。私のたわごとに、誠意あふれる言葉と気持ちで答えてくれてほんとうにありがとうございました。改めて、お返事書きます。今日は、私が退職を決意したときの、子どもたちの反応について書きたいと思います。退職は100%自分自身のためでした。つらかったから。苦しかったから。逃げたかったし、やり直したかったし、環境を変えたかったから。「結局先生も俺らを見捨てるんじゃん」「逃げるのかよ。俺らは逃げられないのに」「先生ずるいよ。勝手だよ。先生のこと信頼してたのに」そんな子どもたちからの言葉が胸をよぎり、たまらない気持ちになりました。だけど、それは受け止めなくちゃいけない。私は事実、あの子たちを残してやめていくんだから。大好きだけど、ほんとにほんとに大好きな子どもたちだけど、今私は自分の身を守るための選択をしようとしているんだから。3月30日の新聞発表の日まで、もちろん退職することを子どもたちに伝えるわけにはいかず、ちゃんとしたお別れの言葉を言うことも、退職を選んだ自分の気持ちを説明することもかないませんでした。29日までそれまでどおり部活動をして、いつもと同じにあいさつをし、子どもたちが帰ってから、音楽室と職員室の片づけをしました。その日は他の職員もおらず、たったひとり、夜遅くまでかかってすべての荷物を空にしました。そして4月6日、離任式。久しぶりに見る子どもたちの顔。離任のあいさつをするステージの上から、3年生になった彼らの顔を見て、いろんな感情がこみ上げて、言葉が出てこなくなりました。そこに聞こえてきたいくつもの声。「先生! がんばって!」「ミッティ! がんばれよ!」彼らでした。一人ずつの顔は笑っていたり泣いていたりぶすっとしていたりいろいろでしたが、ひとつ残らず私のほうを見ていてくれました。ありがとうの気持ちをこめて、私は最後まで泣かずに話をすることができました。驚きはその後にも続きました。式の後、2年間私のクラスだったKさんが私を呼びにきました。「音楽室まできてください」。音楽室には、学年の生徒80名がそろっていました。そしてCDのカラオケにあわせて歌ってくれたのは、「世界にひとつだけの花」でした。誰も歌詞を見ることなく、笑いながら、泣きながら、やっぱり私のほうを見て、歌ってくれたのです。私が最後の学級通信に、その歌詞を引用しながら、「得意なもの、人より優れているものなんてなくたっていい。あなたはあなたでいるだけでいい。それだけで、あなたは誰かを幸せにしているんだよ」と書いた、それに応えて学年全員で歌ってくれたのでした。今度ばかりは私は涙をこらえることができませんでした。汚い顔をして、ぐちゃぐちゃに泣きました。たくさんの子が、手紙を書いて渡してくれました。写真やプリクラと一緒に。第2ボタンを同封してくれた男の子もいました。「先生が、仕事をやめるほどつらい苦しい思いをしてたことに気づいてあげられなくてごめんなさい」「俺、これからいい子になる。先生を悲しませることはもう絶対にしないから」「先生のことばで、私は私でいいんだって思えたんです。だから、先生も自分を嫌いにならないで」「これからが勝負だよね。先生がいなくなったあとが、僕の力の見せ所だよね。さみしいけどがんばるよ。見てて!」私は、生徒たちがなんと言うと予想していた? 彼らは私が思うよりはるかに大人でした。人として成熟した心を持っていました。私を責める言葉はひとつも見当たらず、むしろ私を許し、励ましてくれていたのです。私がどれほど救われたか、想像に難くないと思います。私は、こんなにもすてきな子どもたちとの出会いに恵まれて、今までやってこられたのです。試験まであと数日です。
2006.08.21
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25日に迫った採用試験2次。模擬授業と面接です。すでに準備は整え、当日を迎えるのみになっています。実技試験は不本意な出来映えだったけれど、今度のは譲れない。私には経験がある。今まで、だてに授業やってきたわけじゃない。自信を持って、堂々と、試験という状況すらも楽しんで、10分間の授業をやるんだ。そんなふうに、静かに闘志を燃やしています。にもかかわらず、私はなにをどうがんばっても合格しないんじゃないか、という不安も抱えています。なぜか。話は、4年前にさかのぼります。私は正規採用6年目の教員でした。2校目の学校で、私は初任校では想像だにしなかった状況に陥りました。学年職員のことです。生徒の目を見て話せない学年主任。話す内容もまったく要領を得ず、生徒・保護者からの信用は限りなくゼロに近い状態でした。何か問題が起きても、気づかないふりをしてこっそりと帰るような人でした。隣のクラスの担任は、全く仕事をしない。授業はビデオを見せるのみ。学級事務は滞り、書類は山積み。生徒との真剣勝負を常に避けて通る人でした。反対隣の担任は、まったく融通のきかない人。生徒に伝えるために、私たちは手を変え品を変え、あらゆるアプローチの中から最善の方法を見いだしていかなくてはならないのに、「俺は正しい。悪いのはヤツらなんだから、俺はやり方を変える気はない」と、給料をもらっている意味を全く理解しようとしませんでした。副担任は、私と同い年の臨任。副担任、臨任という立場をまったくわきまえず、担任を差し置いて自分が主役になろうとしました。会計や事務作業が嫌いで、「俺それ嫌いなんで」と言えば通ると思いこんでいました。職員間の連携も信頼関係もなし。話し合おうにも、同じ土俵に立てない。どんどん悪くなっていく子どもたちを見て、そんな生徒たちに当たった自分たちを哀れみはするものの、なぜそうなったのか、自分たちを顧みることは一切しませんでした。1年目は、そんな学年でも、いや、だからこそ、私は頑張らなくちゃ!と意気込んでいました。自分だけでも生徒に寄り添っていきたい。やつらを信じて、やつらの成長を願って体を張ってやっていけば、きっと道は拓けると信じていました。2年目。自分一人ではなにも出来ないことを実感し始めました。自分と生徒とがどんなに深くつながれても、それが逆に他の職員と生徒との溝を深めていくことになったからです。「ミッティ先生、どうやってあいつらの気を引いてるんですか。どうやって裏で糸を引いてるんですか」と言われました。生徒が「ミッティの言うことならきくからよ、あいつ呼んで来いよ」などと他の職員に言うようになり、私は職員の中で孤立していきました。他の学年職員に、何度も助けを求めました。「あんたがやるしかないんだよ」「負けちゃだめだよ。やり続ければ、言い続ければ、他の人たちにもいつか伝わるよ」。そういう励ましの言葉も、私には虚しく響きました。伝わんないんだよ。どうしていいかわかんないんだよ。だから、助けてって言ってるんだよ・・・。管理職にも何度も直訴に行きました。「一度、学年会や集会、保護者会を見に来てください。現状を見てください」。無駄でした。校長は、若いくせに口だけは達者な生意気なやつだと私のことを評価していました。だから私の必死の訴えも苦々しく受け止め、集会はおろか、学年職員の授業風景すら一度も見に来ませんでした。私は次第に病んでいきました。学年主任の顔を見るだけで、むなしさと悔しさと嫌悪とで涙がぽろぽろこぼれるようになりました。朝の打ち合わせの最中や授業中、幾度となく過呼吸におそわれるようになりました。急性胃腸炎を起こして入院しました。子どもたちの笑顔だけが救いでありながら、その笑顔がもはや他の職員に向けられないことが苦痛でもありました。「子どもたちのため」と頑張ってきたんじゃなかったのか。自分に問いました。なのに、なにひとつ子どもたちのためになっていないじゃないか。彼らの素直さを、優しさを、明るさや正義感や、認められたいっていう心を、私は他の職員に認めさせることすらできていないじゃないか。この学年でこれ以上やっていくことはできない。自分のやっていることが正しいことだと思えないなら、続けられない。楽しくないと思いながら、子どもたちと接していけない。私は、休職を決意しました。12月のことです。しかし校長はこう言いました。「休職の手続きをするには時期が遅すぎる。続けるか、退職するか、明日までに決めてきなさい」。退職? 愕然としました。今は辛い。心身共に、限界を感じていました。でも、この仕事が嫌になったわけじゃない。退職だなんて考えてもいませんでした。しかし、明日まで。少しだけ悩みました。でも、もう1年、このままの状態で続けることは、どうしても、無理だったのです。「明日までに」そんな大きな選択を迫る校長の言葉は、むしろ私への追い風となりました。「退職します」と次の日私は校長に告げました。退職後、足かけ2年のアメリカ生活は、私の心を癒し、うるおし、そして自信を取り戻させてくれました。やっぱり教職しか、私にはないんだ。そう確信しました。臨任として新たにスタートした昨年度。新たな職場でまた多くの出会いをし、定年を迎えた校長先生からは、「あなたはどこへ行ってもやっていけますよ」と、身に余る評価をいただきました。そして今年。新しい校長先生が赴任されました。私を嫌い、「明日までに」という忘れられないセリフを残した、あの校長でした。教員採用は、純粋に試験の結果だけで行われるわけではありません。特に採用されようとする人が現場で働いている場合、そこの校長の評価が大きく影響することになります。つまり、「あの人は使えませんよ」と校長が一言言えば、私は採用への道を絶たれるわけです。私は自分の不器用さをよく自覚しています。人付き合いがヘタで、要領が悪くて。でも自分の信念を曲げたり、相手に迎合するくらいなら、敵を作る方がましだ、と大人げなく思っています。退職したことも、校長に嫌われたことも、これっぽっちも後悔していません。だけど。もしこの仕事に復帰できないのなら。正規の職員として現場に戻ることができないのなら。それは私にとって無二の苦しみになることでしょう。私には、この仕事しかないんです。25日、私は精一杯の力を発揮してきます。それは覚悟だし、決意だし、自信です。考えても、今は、仕方がない。仕方がないことは、考えない。今日の日記を最後に、もう過去を振り返って愚痴ることはしません。読んでくれてありがとうございました。
2006.08.20
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行ってきました、最終日。佐渡裕&シエナウィンドオーケストラです。いやいや。ほんっとに楽しかった。3時半から7時まで、あっという間でした。河口湖ステラシアターっていうのは、富士山の麓にある野外ステージです。野外できく音楽っていうのはそれだけで心をおおらかにさせますね。「楽しめばいいじゃん」みたいな。前には富士山、後ろには河口湖、すばらしいロケーションです。佐渡氏もこのロケーションに惚れてこの音楽祭を始めたそうです。今日は座席も佐渡さんの顔がよーく見える文句なしの位置。始まる前からわくわくです。まずは、地元中学生を集めたバンドを佐渡さんが指揮。こう言っちゃなんですけど、ただの地元中学生の寄せ集めバンドなんですよ。ところがねえ。佐渡さんが振ると、スペシャルバンドになっちゃうんだなあこれが。じつにはつらつとして、なのにすごくしっとりした柔らかい響きも持った、い~い演奏でした。吹奏楽を始めて1年や2年で佐渡さんの指揮で演奏できたら、そりゃあもう音楽が大好きになっちゃうだろうなあ。また来年もやりたい!って思うだろうなあ。よかったねぇあんたたち。まったくうらやましい話だよ。佐渡さんのすごいところは、以前の日記にも書きましたが、ド素人たちを巻き込んで、その可能性を最大限に引き出して、すごいことやっちゃうとこなんですよ。でもさそれってよく考えたら、音楽の教員の仕事とおんなじじゃん。と言うよりむしろ、「教える」ことに関しては、私らのほうがプロフェッショナルじゃなくちゃいけないんじゃん。「またやりたい」「もっとやりたい」って、私もヤツらに思わせてやらなくっちゃいけないじゃん!! ところで、向こうの客席にいるの、大学の同級生だったHくんじゃない? トロンボーンの? あらららこんなとこで会うなんてものすごい奇遇だわ。卒業して以来だわ。ぷふふふ全然変わってないわね~後で話しかけに行こうっと。さて中高生によるさわやかな演奏の後は、お待ちかねの佐渡&シエナオンステージです。いえ~~~い盛り上がってきたよ~~~~あら? Hくん。なんでステージに?えええええシエナの団員なの? いつの間に? なによう頑張ってるんじゃないの!思いがけない再会(一方的な。)も盛り上がりに花を添え、時間とともに暮れなずんでゆく空の色も抜群の演出効果をあらわし、それはもう栄養もボリュームも満点の3時間でした。フィナーレには、ステージの真上に花火が! しかも絶妙なタイミング! 今日の河口湖は、ディズニーランドに負けない楽しさと充実感と満足感をそこにいたみんなに与えてくれました。来年は、河口湖で第9をやりたいんだ!って佐渡さんが。ええええええすごいよすごいよそれ!真夏の第9!もうそりゃあ何が何でも参加しますとも。ドイツ語なんてぐーてんもるげんしか知らないけど、歌っちゃう!見るたび聴くたびに佐渡さんがもっともっと好きになっていく私。あの肘から下の筋肉にぐっと来ちゃいましたよ今日も。半ば私に強引に連れて行かれた友達も、大感激大満足だった様子で、よかったよかった。さて。仕事がんばるぞ。燃えてきたぞ。
2006.08.19
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妹2は7つ年下です。妹1の結婚式のときには、母に「みかちゃん、おねがいだから振り袖は着ないで(姉が独身だとばれて恥ずかしいから)」と言われたものですが。7つも違えばね。いくらなんでも先越されるってことはないでしょ。なあんてたかをくくっていましたが、あっさり越されましたな(爆)。結婚したの、去年の秋じゃなかったっけ?で、もう臨月です(@_@)。年の離れた末っ子というのは、いくつになっても子供扱いされるもので、うちの親も、祖父母も、彼女が母親になるってことがいまいちしっくりこない様子。まあ確かに、かなりの童顔でほやほやしゃべる妹2。ちょっと視線を下げるとぱんぱんの腹。モンタージュ写真みたいでまったくアンバランスでおもしろくはある。でもね、「自分のおなかの中に自分じゃない生き物がいるぅぅ」なんつって、神経質になってべろべろ泣いていた妹1よりかはよっぽどハラが据わってるんじゃないの?甥っ子翔ちゃん(←『自分じゃない生き物』)は、「翔ちゃんが電車のこといっぱい教えてあげる!」と、いまから電車マニアを増やすべくはりきっています。なんたって、こうやって、じじばば小姑その他諸々、新しいいのちの誕生をそりゃあもうシンプルに待ちわびているわけです。がんばって、元気な子を産んでもらわにゃね。
2006.08.18
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なんか書きたいことあったはずだよな~と思っていました。思い出した。昨日、仕事のあとふら~りと駅ビルを歩いていたところ、「あ、ミッティ先生だ」という声が。振り向くと、私が10年前に努めていた小学校にいた女の子でした。私は当時、教員採用試験に落ち、でも幸運なことにM市の教育委員会から「障害児介助員」というお仕事をいただいて、二つの小学校、M小とO小に日替わりで派遣されていたのです。彼女はM小の、当時6年生でした。10年も前に、わずか1年間だけ、しかも週に3回だけしか顔を合わせなかった私の名前を即座に思い出してくれたことに、私は感激で胸がいっぱいになりました。いろいろな障害を抱えて生きている彼女たちから、そしてその家族のみなさんから、私は1年間でかけがえのない教えをたくさん受けました。あの1年間がなければ、私は違う人間になっていたでしょう。前置きが長くなりましたが、今日はO小で私が担当していた、ユウくんのお話。ユウくんは当時3年生。脳性麻痺という病名で、ひとりで立ったり歩いたりすることが出来ない子でした。歩行器を使って歩いてもすぐに転ぶので、いつも頭蓋骨を守るためにヘッドギアをつけていました。知能の遅れもありました。顔の筋肉が上手につかえないので、しゃべるのにも人の3倍の時間がかかります。「み、てぃ、てん、て(ミッティ先生)」と私のことを呼びました。ユウくんはひとりでトイレができないので、いつも私が介助をしていましたが、いつもうんちだけは家で済ませて来るようでした。ところがある日、どうしても我慢できなくて、「てん、て、うん、ち」と初めて私に言いました。私に抱っこして便器にまたがせてもらい、用を足したあとは私におしりを拭いてもらい、水を流してもらわなくちゃいけないのです。私は思わず聞きました。「ユウくん、ママじゃなくて嫌だねえ」。するとユウくんはこう言いました。「み、てぃ、てん、て、つき(好き)、だ、から、いい、よ」。びっくりしました。すげえと思いました。こうやってこの子は生きているんだ。相手に心を開いて、信頼して、自分のぜんぶを(文字通り全部を)さらけだして、相手を受け入れて、生きているんだ。私はユウくんに、トイレの世話をすることを許され、任されたことに心の底から感謝しました。嬉しかった。すごぅく。ユウくんを後ろから支えて一緒に手を洗いながら、涙がじわっと出てきて、笑ってごまかしました。ユウくんももう19歳になっているはずです。久しぶりに連絡してみようかな。
2006.08.17
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足下の草が不自然に揺れている。ん?んん?あっ。とんぼが虫をつかまえたとこだ!うわ~~~~。なかなか目の当たりにすることのない、小さな弱肉強食の世界。カメラをこーんなに近づけても、間近にしゃがんでじーと見てても、いま大変な取り込み中のとんぼは全然動かない。獲物の息の根を止めるべく、もがいてもがいて何とか逃げようとする相手を捕まえて噛みついて離さない。見えるかな~。この写真じゃわかりづらいかな~。夏の日のひとこまでした。
2006.08.17
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食料品を買いだしての帰り道、お友達から電話あり。「さっき実家から帰ってきたんよ~~~」(彼女はゆーっくりしゃべる。三田寛子チックに)あ、おかえり~。「それでね~~~~、家の人がお弁当作って持たせてくれたんやけど~~~、いっぱいあって食べきれんからこれからお届けします~~~~」あらそれはありがたい。おなかすいて倒れそうなのよう。というわけで、愛媛からはるばるやってきたおむすびと、たこの唐揚げと、とりの唐揚げと、お漬け物と、取れたてのトマトで、晩ご飯をいただきました。あ~おいしかった。そして、デザートはこれ。んま~いレアチーズケーキの味するよー。でもアイスだよー。あ~おなかいっぱい。ごちそうさまでした~。
2006.08.16
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あさ7時半に病室に着くと、早くも父は手術着に着替えていました。あたまからすっぽりかぶる、あのなんとも心もとない薄っぺらの着物です。前回は全身麻酔だったのに、今回は「局部麻酔でいきましょう」とのこと。まあなんとかなるでしょ、という雰囲気だった父も、局部麻酔と聞いて多少はびびっていたようです。手術は8時半から。母と妹が「行ってらっしゃ~い」「がんばってきてね」と声をかけると、すでに薬で眠くなり始めていた父は、片手をあげて応えました。手術終了はお昼くらいになるということだったので、とりあえず病院の周りを散歩して、近くのファミレスでコーヒーを飲み、10時頃病院に戻りました。「それでもまだ先は長いねえ」「ちょっと小腹もすいてきたね」と、待合室で買ってきてあったおやつを広げ始めたところ、看護師さんが私たちのところにやってきました。「○○さんのご家族のかたですか?」にこやかな看護師さんの様子に、笑顔で「はいそうですが、なにか?」と答えました。すると、「執刀医からお話がありますので、地下1階の手術室前に行って、しばらくお待ち下さい」と、思ってもいない言葉が。エレベーターの中では、母は顔面蒼白になっていました。「おかしいよ、こんな、手術の途中で呼ばれるなんて。なにかあったんだよ。」懸命に呼吸を整えようとしていましたが、心臓の音が聞こえてくるようでした。足下がおぼつかず、壁によりかかってようやく立っていました。脳梗塞とか脳出血とか、手術の際に起こりうると説明されたいろいろな病名が、次々と浮かんできたのでしょう。「お母さん、先生の話きいてみなきゃわかんないでしょ。いい話か悪い話か、聞いてから決めようよ。落ち着いて」と私は努めて明るい声を出しました。実際私はそう思ったし、どのような話であれ、なるようにしかならないと思っていたので、冷静でした。先生が姿を見せるまでの数分間、母にとっては気の遠くなるほど長い時間だったようです。「先生!」と駆け寄り、どんな恐ろしい言葉が出てくるのかと固唾を飲んで待ちました。「あのね、血管、こないだの検査よりも広くなってたんです」「???」「つまりね、良くなってたんです。まだ細いことは細いんですけど、大きな手術をして大変なリスクを負うよりは、手術はしないでしばらく様子を見ようと思うんです。薬が効果を見せ始めたんじゃないかなあ」「つまり、手術は中止ってことですか」「うん、そうしようと思うんです。途中動いちゃったから全身麻酔に切り替えたんですよ、だからしばらくはそれが効いてるけど、夕方には意識が戻ると思いますよ。退院はあさって以降で」母が大きな大きな安堵のため息をつくのがわかりました。再度待合室に戻る道すがら、「よかったねえ」と声をかけると、「うん、お母さん、死にそうに緊張しちゃった。あんなに元気だった人が、半身不随とか車いすの生活になるのかと思って」母は、涙こそ見せなかったものの、まさしく寿命が縮まる思いをしたのだと思います。私たちは一旦家に戻ることにし、母はぐったりと寝そべり、妹は犬と遊び、私は日記を書いています。そろそろ麻酔がさめる時間が近いでしょう。また病院に向かいます。あっ、今母の携帯に父から着信です。もう目覚めたみたい。では行ってきます。
2006.08.15
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今日、父が入院しました。明日の手術のためです。一昨年の暮れ、脳梗塞で倒れた父。左右両側の頸動脈の狭窄が進んでいました。特に右側がひどく、レントゲンで見た動脈は、ある部分が砂時計の真ん中の部分のようにすぼまり、ほとんど血流が止まっている状態でした。血管の中に4センチほどの管を入れ、それをふくらませて血管を広げる手術。1年前は右、そして今回は左。前回の手術が成功したためと、左の狭窄が右ほど進んでいないこととで、母も父本人も割と楽観的な気持ちでいます。あるいは、楽観的な気持ちでいるふりをしているだけかもしれません。私は、どちらとも言えませんが、この家の第1子として、万が一の時のための心構えをしておく必要はあるのだろうと考えています。明日は早起きをして、母と妹と病院に向かいます。手術は、うまくいけば昼には終わるそうです。
2006.08.14
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こーれーは、おもしろいよ。What's マイケル? にはまったあなた。動物のお医者さん のハムテル好きなあなた。次はこれです。ニャ夢ウェイ。松尾スズキさんの飼い猫オロチとの日常をつづったマンガです。まあオロチがぜーんぜん出てこない話もあるんだけど。というかね、ブログと同じで、日常生活いかにアンテナたてて、なにを拾いあげてなにに反応してなにをおもしろいと感じるかは、まったくそのひと次第なわけで、松尾スズキさんはさすがにい~いアンテナもってらっしゃる。オロチにとろっとろにとろけさせられちゃう人間たちの様子が、「わかる~~~~~」と共感を呼ぶのだ。うちのちよこにも、X攻撃!仕込めないかしらん。
2006.08.13
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実家です。我が家の新しい家族に会いに来てます。女の子でしょう?「~子」がいいよねえ。茶色にちなんでつけよう。茶色・・・。 うん子? いやいやそれはあんまりだ。茶色・・・。土。栗。木。どうもこう,ぱっとしないねえ。茶色・・・。 あっそうだ,チョコレートは?チョコレートにしよう! チョコレートにちなんで,ちよこです。はじめまして。生後2ヶ月です。いや~~~~んかわいいいいいん。初めて会う私に対して,警戒心ゼロのちよこ(笑)。そして「ちよこなんてぜったいやだからね」と激しく反対する母。いいじゃんね~ちよこ。 どこが悪いのよね~ちよこ。 かわいいじゃんね~ちよこ。と無駄に連呼して名前を覚えさせる作戦の私。そして,ひさびさに家に戻ってきたら,見たことないヤツがいて,警戒心丸出しの,我が家の古顔ノン。そして,誰がいようがいまいがわが道を行く,我が家の大ボス,ドナ。みんな,仲良くしなさいよ~。
2006.08.10
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帰宅!帰って来ちゃったな~。旅の終わりにありがちな、こう、現実に戻ってきたみたいな、テンションの徐々に下がってゆく感じがないのは、東京がほどよく(今からでももう1回出かけられるくらい)近いからなのか、楽しい時間を満喫したからなのか。出発前にぜーんぶ洗濯していったので、枕もシーツも私の帰りを待っててくれたって感じです。酷暑の部屋で我慢強く生きていた観葉植物たちに、たっぷりと霧吹きで水浴びさせてあげました。今回の旅がすごく楽しかった理由はいろいろあるけど、これまでと全然違った理由は、このブログの存在でした。その日、そのときの思い出をつぶさに記録できたこと。それをリアルタイムで発信できたこと。たくさんのひとたちが遊びに来てくれたらしいこと。そして私の旅を一緒に楽しんで、コメントをのこしてくれた人たち(会ったこともない、遠く離れた人たち)がいたこと。ブログをはじめて3ヶ月。始めたときの予想よりもずっと、その存在が自分にとって大事になってきているのを感じます。この夏の一大イベントは終わり、また波風の小さな日常に戻りますが、アンテナを高くたてて、また少しずつ発信していきたいと思っています。みなみなさま、今後ともよろしく!
2006.08.09
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外は雨です。台風がきているそうな。先ほど目覚め、このお部屋ともお別れだな~ なんてしみじみ思っています。窓からの大都会の景色も、朝は少し違って見えます。昨日、暮れなずむ空にたたずむビル群に、絶妙な角度で夕日が当たり、ビル群だけがうすいオレンジ色に染まって浮き上がったように見えました。そのコントラストの、あまりの見事さに息をのみましたが、わずか数秒で太陽は沈んでゆき、ビル群も、夜の青い色になじんでいきました。さて旅行を振り返ろう。やりたかったことリスト: ・友達に会う ゆうべの食事だけでは飽きたらず、今日のランチも一緒することに。 ・映画を見る でもこの後渋谷で見るつもり。「王と鳥」というアニメ映画です。 ・落語を見る 昨日、新宿末廣亭で満喫。 ・築地で朝ご飯を食べる 早起きできずに断念。 ・美術展に行く 星野道夫展、よかったな~。 ・音楽を聴く 音楽っていいよね。と改めて実感しました。 ・ダロワイヨでケーキを食べる 店内改装中のため断念。残念。 ・朋子に誕生日プレゼントを買う パジャマと、アニマルキューピーを。今日届くはずだな。喜ぶかな。 ・六本木ヒルズをひやかす でかすぎ。ロビンソン百貨店でいいや、私は(笑)。 ・ネイルサロンに行く まだきれいにひかってます。70%の達成率か~。悪くないね。目的があるようなないような、有意義なような無意味なような、しかし紛れもなく贅沢な、3泊4日の東京ヒトリタビも終わろうとしています。楽しかったなあ。すごく楽しかったなあ。さ、シャワーを浴びて、荷造りをして、潔くホテルを後にしようと思います。
2006.08.09
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早起きして築地市場に行こうと思ったのに、目覚めたら8時だったのでさっさとあきらめました。今日の午前中は、新宿にあるヤナギサワクロッシュへ。学生時代に、すごーくお世話になった楽器屋さんです。楽器のメンテナンスだけじゃなく、個人的にすごくかわいがってもらって、コンサートに連れ立って行ったりご飯食べさせてもらったり、くだらない話きいてもらったりした、思い入れの深い楽器屋さん。アメリカに行く前に顔を出したっきりなので、丸3年ぶり。プリンを手土産にひょっこり顔を出したら「なんだよ~久しぶりじゃんよ~」とあたたかく迎えてくれました。お寿司をごちそうしてもらい、また来るね~とバイバイした後は、すぐ近くの末廣亭へ。寄席は初体験。思った以上にたくさんのお客さんがいてびっくりしました。常連だと思われるおじさんたちがちゃちゃ入れたり、私みたいに場慣れしていない若い子に噺家さんが軽妙に絡んだり、すごく楽しくてたくさん笑いながら、「ああ~職人の場だな~~」と感じたりもしました。また行きたいな。映画と違って、だれかと一緒に来ても楽しいだろうな~と思いました。その後は山手線で有楽町に向かい、ホテルまで人混みの中の散歩を楽しみました。この3日で界隈の地理にだいぶ詳しくなったからね。裏道よこみちもお手の物です(笑)。今日は、三越の地下でおいしいお菓子買って帰ろ~と思い立ち、寄り道。ほんとはフルーツたっぷりのケーキか生チョコを買おうと思っていたのに、目についてしまいました。「銀座三越限定」の文字。弱いんだ。これに。お店は、神奈川県民にはおなじみの、鎌倉五郎本店。なにこれ?! 見たことないよ? (そりゃそうだここ限定だもんね)でねでね開けるとね、ほらっ、9つに区切られたひとつずつに、ちゃんと栗が入ってるの。いや~んおいしそ~ん。ひと箱819円っていうお手軽さも魅力。でもさこれ取り分け用でしょ、ヒトリタビ中のあなたは、誰と取り分けるの?だーいじょうぶ。ひとりでじぇーんぶ(翔ちゃん風)食べられるから。うふ。さーてこれから、高校時代からの友達と待ち合わせして、ご飯食べに行ってきま~す。
2006.08.08
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今日も実りある一日でした。朝イチで星野道夫展。感動冷めやらぬうちにと思い、今日はいったんホテルに戻ってレポートしてあります。よろしかったらご覧下さいね。その後ダロワイヨでケーキ食べようと思ったら、なんと改装工事のため休業中。くぅぅ残念。仕方ないのでそのままアフタヌーンティー銀座店へ。友達の誕生日プレゼントを買い、4Fのネイルサロンへ向かいました。爪なんて生まれてこのかたほったらかしだったのですが、見てみて↓むふ。ピアノ弾く短い爪でも、きれいにしてもらえるのねん。うれし。さておなかもすいたし、お昼食べようかな~と思ったら、時計は午後2時半。どこ歩いてもちょうどランチタイムが終わり、ディナーの準備のため閉まっちゃった店ばかり。ま、いっか。いったんホテルに戻って日記更新しよーっと。そして午後4時半。友達にプレゼントを送るため郵便局に寄り、都バスに乗って六本木ヒルズへ。冷やかすだけよ。冷やかすだけ。なんて思って行ったのに、ろくろく冷やかせもしませんでしたな。どこに何があって、自分がどこを歩いてるんだかさっぱりわかりません。遅いランチ取ろうと思って入った店は、ランチタイム以外は軽食も扱っておらず、抹茶小豆アイスクリーム食べましたよ(涙)。おいしかったけどさ。うすうすわかっちゃいたけど、私はああいう場所向きじゃないのね。やっぱりね。と結論づけてホテルに戻ってまいりました。さっき食べたアイスのせいで、空腹が満たされてしまい、今日は朝食しかまともな食事をとっていないことに気づきましたが。まあこんな日もあるさ。今日はでもまだ終わりじゃないの。これから帝国ホテルに向かい、大学の先輩の演奏を聴きにいくのよ。さっ、ワンピースに着替えなくっちゃ。東京ヒトリタビも、残り2日です。
2006.08.07
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行ってよかった~。期待していたより100倍心に染みました。数々のアラスカの写真が、大きく引き延ばされて、色彩と生命力とが瞬時に体の奥まで迫ってきました。次の写真を見たいのに、今見ている写真の前を離れがたく、ゆっくりゆっくり、一枚一枚を見て歩きました。そしてわきあがってきた疑問。この美しい生き物たちは、その美しさを自覚しているのだろうか。この光と影は? 沈みゆく太陽のオレンジは? このあおは? この深い深いあおは? この水しぶきは? この羽ばたきは? この空は、氷は、海は、雲は? この風は? この角は? このひづめは? この広大な大地は、その広大さを自覚しているのか?いや、そんなはずはない。この写真がうつしだすあらゆる生命は、その美しさのためでなく、それを知る人がいようがいまいがおかまいなしに、ただただそこにいるんだ。そう気づいた時に、ぶわーっと、涙があふれてきました。自然が、生命が、アラスカの大地が美しいわけではない。それを美しいと感じる心がそこにあるんだ。私は、星野道夫っていう人の心を見ているんだ。写真と同じくらい、今日の私の体の奥に染みいった言葉たち。 「目の前のスープをすすれば、極北の森に生きたムースの身体は、 ゆっくりと僕の中にしみこんでゆく。 その時、僕はムースになる。そして、ムースは人になる。」 「想い続けた夢がかなう日の朝は、どうして心がシーンと静まりかえるのだろう。」 「寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。離れていることが、人と人とを近づけるんだ。」 「浅き川も深く渡れ」星野氏は、人間の営みと遠く離れた大自然を記録したわけではない。彼はその美しい風景に出会った時に、彼の愛する人を想い、それまでの出会いを想い、これからの出会いを想ったのです。あらゆる生命はどこかでつながっている。そういう信念に基づいて、その風景をひとりでも多くの人に伝えるべく、写真や映像に残したのです。そしてそれを、今日、私が目にしたのです。なんと言って、今日の気持ちを表せばいいんだろう。10年前に亡くなった、ひとりの日本人写真家と、私は今日、確かに出会った気がしたのです。 ~番外編~ずぶぬれの、世にも凶暴なグリズリーベア(灰色グマ)の写真を見て、ある子連れのお母さんが言っていました。「あら、ぬれねずみね」・・・おもしろいっ。
2006.08.07
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さきほどホテルにチェックインしました。これはちょっとね。なかなかおされなホテルですね。シックよ。ロビーからは東京タワーも見えます(部屋からは見えない。もっといい部屋からじゃないと)。部屋はこんな感じ↓今日はあまりにもいい天気だったので、起きたらシーツもパッドもケットもタオルも服もぜーんぶ洗濯し、ベランダに干して、乾いてからお昼頃出発。ホテルに2時頃着いてとりあえず荷物を預けて渋谷へ。今日は4時からN響コンサートでした。すばらしい2時間でしたよ。第1部吹奏楽(N響初の試みですって!)、第2部弦楽合奏、第3部オーケストラという構成。あ~楽しかった。もともと吹奏楽出身ですから、第1部もう血が騒ぐ騒ぐ。アルメニアンダンスなんて一緒に吹きたくなっちゃったもんね~。そして須川さんオンステージ。あいかわらずちっちゃくていらっしゃる(笑)。しかしすっばらしい音楽性。彼を越える演奏家はいつ出てくるのかなあ。第2部はだーいすきなバーバーやってくれました。圧倒的な美しさです。息をのむってか、音楽に入り込むと呼吸困難になるような音楽です。どんどん音が高くなって、ものすごくシンプルな和声の、単純な動きの中で、どんどん感情が高まっていって、最高潮で音楽がとまるんですよ。その瞬間が!その瞬間が!その瞬間がいいとこなのに!誰か、曲が終わったと思って拍手しやがり なさってましたな。お~い音楽知らない人は、一番に拍手しようとしないでくれよ~う(涙)。気を取り直して第3部。レスピーギ「ローマの松」でした。いや~楽しい演奏でした。山下さんの指揮も圧巻だったなあ。勉強になりました。音楽ってああやって作るのか~と思って。音楽っていいよねえ。N響のみなさんも、それだけで食べてくには大変だし、苦しいこともいっぱいあるだろうし、確かに浮気な商売ですよ。でもその瞬間、音楽をしている瞬間は、確かに喜びにあふれてると思う。間違いなく。そういう意味で、音楽を生業にするってことは、すてきなことだねえ。としみじみ思いながらホールを出ました。さて明日はなにしようかな。とりあえず、晩ご飯食べに行ってきまーす。
2006.08.06
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先だって決めたことを実行に移すべく、明日から東京ヒトリタビに出かけます。3泊4日。宿泊は、銀座の新しいシティホテル。ダブルルームのシングルユーズってやつです。むふ。昨日はね、試験の帰りに赤毛のアンチックなトランク型のキャリーケースを買い、ぶらぶら歩き用のTシャツとサンダルを買いました。折りたたみの日傘もね。明日はとりあえず銀座に行き、ホテルに荷物を置いてからN響のコンサート。久々に須川さんの演奏を聴きます。夜はガイドブックとぴあを手に、残り3日の計画を練る予定。やりたいこと: ・友達に会う 昨日電話して、約束済。 ・映画を見る 単館映画ね。オールナイトってのもありだね。 ・落語を見る 新宿末広亭で。 ・築地で朝ご飯を食べる ホテルから近いし。 ・美術展に行く 星野道夫展と、ルーブル美術館展は外せませんな。 ・音楽を聴く 明日のN響と、月曜には帝国ホテルのバーでのライブ。 ・ダロワイヨでケーキを食べる あこがれの♪ ・朋子に誕生日プレゼントを買う 山形じゃ売ってないこじゃれたものをね。フルーツキューピーも。 ・六本木ヒルズをひやかす 買わない。ひやかすだけ。 ・ネイルサロンに行く ピアノ弾く短い爪でもきれいにしてもらえるのかしら。しばらくダーリンに会えない。会えない間、ダーリンのことだけ考えて悶々とすごす女にはなりたくないのだ。一人の時間を楽しむべく。ブログで旅の報告ができたらと思います。
2006.08.05
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終わりました。てかオワッタ。・・・。泣いていいですか。あんなに練習したのにいぃぃぃ。・・・ほらみけちゃんからもダメ出し。まずは聴音。ピアノで複旋律(メロディーが2つ、右手と左手ってこと)の8小節の音楽を弾いているのを聞き、それを譜面に書き取るテスト。「ハ長調、8小節です」って言われた時は、楽勝だと思いましたよ。・・・ところがね。ぼろぼろ。てかあんなのハ長調じゃないですから。そもそも絶対音感のない私は、3小節目で転調した時点で冷や汗。それがまた転調、そして転調、最後の3拍で無理矢理ハ長調に戻ってくるような音楽は、ハ長調じゃないですから。ぼろぼろです。そして弾き歌い(伴奏弾きながら歌うってやつね)と新曲視唱(楽譜をハイって渡されてその場で歌うってやつね)と伴奏付け(新曲視唱したメロディーに、即興で伴奏つけるってやつね)。まあこれはよし。そして器楽演奏(ピアノ以外の任意の楽器で任意の曲を演奏するってやつね)。これもよし。ってかこれ私の専門ですから。これぐらいはちゃんとね。そしてピアノ演奏。泣いていいですか。ぼろぼろです。敬愛するベートーヴェン作曲、ピアノソナタop.53「ヴァルトシュタイン」 第1楽章。2ヶ月ですよ。2ヶ月、これだけを、この日のために、練習し続けてきたんです。1次合格が判明してからは、最低2時間、頑張った日には4時間、仕事の合間を縫って、練習してきたんです。ぼろぼろ。つまりは、これが実力ってことです。そう納得してます。しかし凹むなあ (-_- )。8月の後半、個人面接と模擬授業があります。ここでがんばる。何が何でも。じぇーったいに(翔ちゃん風)、合格を手にするのだ! めげてる暇はないのだ!みなさま応援&叱咤&激励のコメントよろしく(切実)。
2006.08.04
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「明日実技試験で~すがんばりま~す」と母にメールしたところ、「応援しています」なんつってさりげなーく写真が添付してある。!!!なによ! いつの間に?!こないだみけちゃんが死んじゃったばかりだというのに、その気持ちの切り替えの早さはなに?!許せん・・・。・・・。かわいいぢゃないの。みけちゃん、ゆるして。明日、会いにいっちゃおーっと。
2006.08.03
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7月21日(金) 部活 合唱練習 22日(土) 部活 夜間パトロール 23日(日) 部活 合唱練習 夜間パトロール 24日(月) 出張ー大会役員 25日(火) 出張ー大会役員 26日(水) 日直 27日(木) 部活 合唱練習 28日(金) 教科補習 部活 合唱練習 29日(土) 部活 保護者面談 30日(日) 教科補習 部活 31日(月) 部活8月 1日(火) 特設陸上練習 2日(水) 会議&会議あれっ・・・?だれだぁ~センセイは夏休み長くていいわねなんて言ってるのはぁ・・・いえいいんです。好きでやってるんですから。世間の誤解と偏見ははっきり言って辛い。でも楽しくてやってる仕事ですから。あんだけちゃらんぽらんで生意気なやつらでも、引退試合を見たら鼻の奥がつぅんときちゃったりするんですから。はぁ~疲れたな~と、音楽室への足取りも重かったのに、いざやつらと一緒に歌い出すと元気もりもりになっちゃうんですから。休みに入ってしばらく見なかった顔を久々に見たりすると、嬉しくなっちゃったりするんですから。多忙さとか割に合わなさとか理不尽さとか、そんなこんなを差し引いても、やっぱり辞めらんないと思う仕事ですから。でもね。せめて週に1日くらいは、のんびり家で過ごしたいなあ~~~~~~。愚痴りました。さて明日は健康診断。今日の夜9時から明日の昼間では何も飲み食いできないので、さっきおなかいっぱい食べましたよ。納豆と枝豆(爆)。食後にはハーシーズのアイスバー。まちがって何か食べちゃう前に、歯を磨こうっと。
2006.08.02
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