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たまに、アーミッシュかメノナイトだろうなという人たちを見かけます。近くにコミュニティーがあるようです。宗教改革のときに、幼児洗礼では自覚がないから、おとなになってから洗礼を受けたほうがいいよという人たちが集まってできたグループだということです。機械化を避け、厳格な規律を守って昔ながらの暮らしをしているアーミッシュは、メノナイトから出た一派だそうです。ハリソン・フォード主演の「目撃者」のなかにアーミッシュの暮らしぶりのシーンがあったのでご存知の方もいらっしゃると思います。最近では、アーミッシュ・キルト、アーミッシュ・ファニチャーが有名になりましたね。メノナイトにも、メノナイト・キルトというのがあるんですよ。それで、その人たち、スーパーや生地屋さんで見かけるのですが、だいたい女の人の2,3人連れ。子供を何人も連れています。子だくさん。シンプルでクラッシックなドレスを着ていて、ボンネットをかぶっています。雰囲気は「大草原の小さな家」という感じ。アーミッシュ、メノナイトのどちらかしら、と思うのですが、結構砕けた雰囲気もあるので、メノナイトかなーと想像しています。友達とのメールのやり取りで、そのことが話題になりました。延長で、調べていたらこんなサイトを発見。メノナイト・ドレスの型紙を売っていました。ttp://www.commonsensepatterns.com/friends_main.htm まさにメノナイト・ドレスというのがあるのですが、ここまで手が込んでいないで、その下の、コンテンポラリードレス、これを着ていると思います。これもメノナイトなのかな。 水色や灰色や紺色の生地で作ったもの。まれに柄も見ます。(この、柄生地を使ういうところからメノナイトかなーと思っているんです。確かキルトのテレビで、アーミッシュ・キルトは柄を使わないが、メノナイトは使ってもよい、と聞いた覚えがあるので。)それから、ページの下の方にあげてあるような、白の薄めの生地のボンネット、ヘッドカバーをかぶっています。たまにナースキャップ状のものををシニヨン.カバーみたいな位置につけてる人もいます。だんなさんたちを見かけることもありますが、だんなさんの服装は、これといった特徴にかけるので(というか、今は夏だから、Tシャツ、短パンで、普通の人たちと同じで)よくわかりません。 生地屋さんで行き合わせたときは、そっと近寄って、どんなものを買っているのかチェックします。(^^;) 柄物も手にとって見ている。だんなさんは居辛そうだったり、手持ち無沙汰にしていたり、奥さんに意見を求められて迷惑そうに困ったりしています。これはパンピーのだんな様方と全く同じ反応(当たり前)で、それもまたおかしい。 このサイトに出ているようなパターンを使ってドレスを作ったりするのかな。ドレス、結構かわいいんですよね。いいなあと思っちゃう。パターン、買っちゃおうかな。ついでに修道服のパターンはないものだらうか。修道服、構造がよくわからんのですよ。 (実は今人形を作っていて、身体だけふたつ、なんとか出来上がったところ。一つにはメノナイトの格好をさせようか。それで、もう一つは修道服ね。髪の毛つけなくていいし。(^^;)今までモンチッチに白いガーゼのヘッドセット、黒のベールをピンで留めつけて着せていたんだけど、「この人形は男でしょう?どうしてそういうことするの!」とだんな君に責められたので、コスプレさせるのやめてたところだったんです。)
2006年08月22日
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届かない招待状や夏終わる
2006年08月22日
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ミシン踏む合い間合い間の虫の声ロックミシンを買いました!ずっとほしかったのでうれしい。ブラザーの4本糸ロック。英語ではSergerって言うんだよね。 大きな割引があって、日本の3分の一くらいの値段で買えました。そろそろモデルチェンジなのかもしれませんね。新しくなくたって、基本の機能が使えればそれでよし! 練習に、赤ちゃんを抱いたときにお母さんの肩にかける肩パッドと、赤ちゃんの洋服の中に敷く汗取りパッドの縁取りをひたすら。 針の部分は見えないし、縁はカッターで切り取られていくので、どこを見て縫っていいのかよくわからないで困りました。 そもそも直線ミシンでも、アメリカのパターンは、縫い代込みで作ってあって、縫い線(出来上がり線)に印付けしたりはしないんですよね。合印以外、布には何の印もついてない。 ボビンを入れる下釜の上のシルバーのふたのガイドラインを見ながら縫い代分を取り縫っていくので、針先を見て縫わないんだよね。これ、日本人みたいにきっちりしたやり方になれてる人には、とっても大変。 そんなんで、縫い線を見ないで縫うのには慣れてはいたんだけど、ロックミシン、ガイドラインをどこにとっていいのかわからない。やっとカッターのラインを見ればいいのかとわかって、調子が出てきました。 説明書は英語だし不親切だし、そんなコツ的なアドバイスは書いてないんだなー。やっぱり、何か本が必要だよね。赤ちゃんのパッドばっかりひたすら作ってても、もらう人も困るし・・・(^^;) でも、縁取りあっという間だよー!うれしい!今までは大体バイアステープでのパイピングで、ミシンではテープを踏み外すときがあるから、仕上げは手。縫い目が見えないようにまつっていました。きれいだけど結構時間がかかるし。 大雑把な性格の私。印つけて、切って、合わせる、というきちんとした作業が苦手で、洋裁は××・・・なんですよね。憧れはしてたんですけど。でも、せっかくだからがんばっていろんなもの作りたいです。 まずは練習に、この間10ドルで買った長すぎるスカート2枚の丈直しだな。(^^;)ブラインド・ステッチで丈直しができるらしい♪やた! 黒いすかし編みのセーターも、後は綴じるだけで出来上がるから、暑いうちに合わせて着て出かけるぞー!(←スーパーへの買い物だけどね(TvT;))
2006年08月19日
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誤字脱字気付かずいつも誤変換読み直してはまさに(--ll)アオスジ
2006年08月18日
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折る枝もて切りつける空の青深し
2006年08月18日
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友へ仙台 国見の山むらさきは香る藤房坂の上 飛び込めば風やむという野分かな
2006年08月17日
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何もしてやれずに不平の猫を抱く
2006年08月15日
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今日はコルベ神父の日ですね。アウシュビッツで、飢餓室に送られることになった一人が家族を思って嘆くのを見て、私は神父で家族がないからと身代わりを申し出で亡くなった神父です。そんな風に身代わりを申し出ることなんて信じられないことです。とてもできない。でも、確かにそうした人がいた。遠藤周作が、とてもできないようなことが人にはできることがあり、それが奇跡だ、ということをどこかに書いていました。そうなのだろうなと思います。30年代に長崎に来て修道院を作り、雑誌「聖母の騎士」を出版。布教に力を尽くした、日本ともかかわりの深い神父。餓えと乾きに苦しみ死んでいく人たちを最後まで慰め励まし続けたコルベ神父は、15日の「マリア被昇天」の記念日前夜、亡くなりました。まだ息があり部屋の隅で祈っていた神父は、しまいにするためにやってきた看守に、弱りきった身体でそれでも腕を差し出して、注射を受けたのだそうです。
2006年08月14日
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鏡面に猫と目が合う目が合うと猫も思うか目をそらしたり鏡の中で目が合うのは、目が合ってることになるのかな。いつも不思議な鏡の中の世界。
2006年08月12日
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お茶の色待てば遠くに夏木立
2006年08月10日
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日本ほどではないけれど、セミがいます。うるさくはありません。ただ遠くでじいと鳴いています。ある朝、花壇に小さい抜け殻が一つ。私の花壇からも飛び立ったセミがいたんですね。はかないもののたとえになっている空蝉。見つければ、はっと沸き起こるうれしさの後に、切なさも残ります。けれど変容を果たし、今は光の歌を歌っている彼らは、空蝉を手のひらで転がしはかなむ私たちとは違う世界を見つめているのですよね。夏です。空蝉は見上げよ今や空の声
2006年08月07日
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ここ3日間、熱が続いてダウンしています。こんな時期に・・・!ナナが親切のつもりで一緒に寝てくれるのですが、首の上にだらんと襟巻き状に寝そべったり、「ダイジョウブ?」と顔をのぞき込みながら喉を「ねこもみもみ」したりするので、息苦しいし、暑苦しい!更新は回復してからでーす(^^;)(写真もいろいろあるし)
2006年08月06日
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今日、拝領のときに前に並んでいた華奢で背の高い女の子の襟元から、背中側に茶色いテープの輪が出ているのが見えました。 あれ?と思ってよく見ると、スカプラリオみたい。茶色のリボンの輪の先に、白い3×4センチくらいの布がついていて、文字が書かれていました。 (聖テレーズや聖十字架のヨハネがいたカルメル修道会の信心業で身につける布製のペンダントみたいなものです。)かがんだり下を向いたときに、くるっと後ろ側にまわってきちゃったのかな? なんだか、おかしいやらかわいいやら、カルメルの関係の子なのかなと思ってうれしいやら、にやにやしてしまいました。 拝領のとき、神父さん(°д°?と思っただろうなー。
2006年08月05日
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チャペル涼しロザリオゆくりゆくり繰る思うところあって、所属教会の昼ミサ。所属教会の平日ミサは、火・木、5時半(大学開校期間中のみ)水・金12時半と不規則なので、時間のやりくりが難しいのです。それで近くの教会の朝6時半というのが一番都合がいい。でも、所属教会の開かれた雰囲気や、精神性の豊かさにとても愛着があることも事実。(…なんて、機会がたくさんあることは感謝しなければいけません。)とにかく、今日は所属教会。何しろ猛暑が続いているので、聖堂に入るとほっとしました。体感温度43度。外出は注意するようにとのニュースもでている炎天下。暑さを逃れて、ひんやりとした長椅子に腰掛けました。ポケットからロザリオを取り出して、ゆっくりと珠を繰っていきます。ぽつぽつと集まってくる人たちを感じながらも、気持ちはすーっと深くなっていきます。「Hail Mary, full of grace...」暑さはひいていき、呼吸はゆっくりに。自分がなくなっていくような、長椅子に溶けていくような感覚。心にわだかまっていたことも、だんだんとけていきました。ただ静かに心を祈りに向けるだけで解決することもありますね。今日の聖書は、天国は、畑に埋まっている宝物や高価な真珠のようなもの、というたとえ話。何をおいても、これが大事。私にとってそれはなんでしょう。そんなことを考えながら、ミサが終わってからもしばらく聖堂に留まっていました。
2006年08月02日
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八月の全てはたとえ窯の中マタイ13章ここ数日の朝ミサでは、たとえで語るイエスの話が続いています。アラマイ語には抽象的な言葉が少なかったために、説明にはたとえ話がよく使われたのだそうですね。 言葉そのものは意味ではない・・・。それは意味を指し示すためにある・・・。 言葉だけではなくて、目に映る全ての現れは、そのものではなく「たとえ」なのかもしれない。かげろうに揺らぐ道路や木々や家並みを眺めながらそんなことを思いました。
2006年08月01日
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