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「 壇の浦の戦い 」から、
義経によって四国を追われ、中国・北九州の沿岸陸地を源氏の範頼軍に制圧されている平家軍としては、関門海峡付近で乾坤一擲の海戦を挑む以外に執るべき策はなかった。
以前から彦島に拠点を築いていた平家随一の勇将・平知盛を総指揮官とする平家の船団は、彦島を出て門司側の田ノ浦に集結し、義経の船団は3月23日早朝には関門海峡の東口にあたる満 珠島・干珠島の海域に到達した。
3月24日早朝、 いよいよ源平の命運を決する最後の戦いが始まった。
平知盛は、
「戦いは今日が最後ぞ。名こそ惜しめ。命を惜しむな」
と全軍を激励した。
はげしい矢合せが始ると次第に平家が源氏軍を圧倒しはじめた。
午前八時過ぎから東に流れ始めた潮流にのって源氏軍を満珠・干珠の島辺りまで追いつめ、源氏の軍船は陣形をズタズタにされ防戦一方となった。
このとき、義経はかねてから考えていた戦法を指示した。敵船の船頭や舵取りに矢を集中したのである。
当時の水上戦の掟を無視したこの戦法によって、平家の船は漕ぎ手を失い波に漂った。
折から潮流は東から西へと流れを変え、勝敗はたちまちその所を変えた。
海上を駆け回るのは源氏の船のみとなり、主のない平家の船が数知れず漂流していた。
かくして檀ノ浦に追いつめられた平家の滅亡は決定的となった。
二位尼(清盛の妻・時子)は、安徳天皇と宝剣を抱いて入水し、知盛も「見るべきことは全て見つ」と、最期の言葉を遺して海に沈んだ。
「平家物語」が描写するこのあたりの文章は、いまだに人の心を打つ。
この「檀ノ浦の戦」をクライマックスとして、
平家物語は有名な祇園精舎の語りで物語が始まる、
平家物語巻第一より「 祇園精舎 (ぎおんしょうじゃ)」、
(訳)
祇園精舎の鐘の響きは、
全ての作られたものは一定に留まらず移り変わる
という 「諸行無常」を語る。釈迦がなくなる時に枯れた沙羅双樹の花の色は、
勢い栄え る者は必ず滅びる「盛者必滅」の道理を表わす。
おごり昂ぶる者が長く続くためしはない。
それはただ春の夜の夢のようにはかない。勢いの盛んな者も結局は滅びる。
まるで風の前の塵のように。
更新日時 2012年7月30日 11時48分19秒
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