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引っ越して一ヶ月が過ぎたが、 昨日から、虚脱感に見舞われている、実家の売却、引越し、義父の葬儀、一気に重なって、一気に過ぎた、ポカーーン、 目先の目標みたいなものが消えて、 今、真空状態、
2017年09月04日
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こちら、バスで泣きやまない乳児の母への運転手の言葉、ネットで拡散2015年9月4日05時08分 Asahi 8月31日午後、15人ほどが乗った横浜市営の路線バスで母親の腕に抱かれた赤ちゃんがぐずり始めた。母親と友人の女性が2人であやしていたが、赤ちゃんは手足をばたつかせ泣き声は大きくなるばかり。友人は途中で下車し、母親は立ち上がりあの手この手であやすも泣きやむ気配はなかった。 10分ほど経った時、車内アナウンスが流れた。「お母さん、大丈夫ですよ。赤ちゃんですから気になさらないでください。きっと眠いか、おなかすいているか、おむつが気持ち悪いか、暑いかといったところでしょうか」 明るい口調でミラー越しに語りかけたのは、鈴木健児さん(46)。 乗車歴20年のベテラン運転手だ。 「迷惑をかけないよう何とかしたい、というお母さんの焦りをひしひしと感じた。今後バスや電車を使うのをためらうんじゃないかと心配になって」と振り返る。このやりとりがネットに投稿されるとツイッターなどで拡散され、「感動。まさにプロ」「運転手さん素晴らしい」などの投稿が相次いだ。
2015年09月04日
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こちら、陸自の“歌姫”効果 中部方面音楽隊が引っ張りだこ神戸新聞NEXT 8月1日(土)11時0分配信 陸上自衛隊の中部方面音楽隊(兵庫県伊丹市)が引っ張りだこだ。昨秋、陸自で初めて音楽大出身の“歌姫”が配属されると、その歌声で一気に演奏オファーが殺到。専従音楽隊は陸上、海上、航空の各自衛隊に計32隊ある。全国に展開し、隊員の士気高揚や式典、PRでの演奏が主な任務という。北陸から中・四国まで2府19県を管轄する陸自中部方面隊所属の“歌姫”は、鶫真衣さん(27)=金沢市出身。【動画】伸びやかな歌声を披露する陸自の鶫真衣さん 昨春入隊し、一般隊員と同様に3カ月間、射撃や戦闘訓練などを経て、10月に配属された。自衛官になる際、危険を顧みず、身をもって責務を果たすと宣誓した。「すぐには言えない言葉だったけど、訓練を重ねて自覚に変わった」と振り返る。 配属以来、演習場や駐屯地、ホールなど約50回の“舞台”を踏んだ。阪神・淡路大震災20年の追悼コンサートも経験した。「第一線の任務に就く同僚と同じく、自衛官として歌声で心を救えたら。常に思いを忘れず努力したい」と前を向く。
2015年08月01日
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Makow氏のTwitterサイトからの紹介で、Omg... (Oh my Godの略ね、)Guy buys all woman's roses makes her day!! Incredible New York story... Happened right next to me 作り話じゃなくて、リアルの録画だな、これ、 タイトルは、 ”Huge unexpected act of kindness on subway”、(地下鉄での全く思いもよらない親切な行為、)たまたま、地下鉄で横の席に居合わせた、投稿者(Maria Lopez)が、携帯で録画したもの、地下鉄の車内で、バラを売っていたおばさん、*他サイトの(同じ動画の)解説を見ると、Poor woman trying to make a few dollars in train is stunned when you man comes up and asks her How many roses she has. She answers 140 a dollar per rose. He gives her 140 and asks her to give them out on train. とあるので、おそらく、地下鉄車内では、2-3本売るのが精一杯で、普段の貧しい生活がしのばれる、 そこに、一人の青年(紳士か?)が現れ、おばさんが、値切りしながら、バラをすすめるシーンから始まる、(意訳で、) 青年に、全部で何本ある?と聞かれ、140本と答える、バラはいくらか?で、一本、1ドルと、全部買おう、と言って、150ドルを渡しながら、これ(バラ)を、ここ(地下鉄車内)にいる、欲しい人に分けてあげて、と言い残し、そのまま、車内から去るーー、おばさん、 涙、涙、(この辺のニュアンスは画面見ないとわからない、)(おそらく、動画の視聴者から、「この青年は誰だ、」の問いあわせがあったのだろう、) コメント欄から、投稿者のMaria Lopez(女性)いわく、Don't know who he was..got on and off the subway..must be an angel.. 彼が誰かなんて知らないわ、(私の目の前で、)車内に乗り込んできて、そのまま、降りたのよ!?キット、エンジェルよ、ウウーン、エンジェルか、が確かに、そのしゃべり方、背が高くて、端正な顔立ちは、 まんざらでもないか、 更新日 2015年04月22日 00時23分20秒
2015年04月21日
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昨夜、ヤフオクでゲットしたDellのノートで、出品者とやり取りしてた、ゲットしたのはこれ、少し古い機種ですが、インターネットが楽しめます。(無線LANが搭載されていますが、接続方法不明のため有線でやってました)個人的には、美品で、まだまだ使えると思います。 もちろんXPで使うものだけど、ホント安いよね、以前、この機種は、一台中古でゲットしたが、サウンド機能がおかしかったので、マザーボードを交換すべく、探していたら、フルスペックで、この価格でゲットできてしまい、これをそのまま使うことにした、 Win8.1なんて、使う人の気が知れない、(トカナントカ、) で、出品者からは、今朝、発送案内が来て、 黒ネコの発送問い合わせNoで確認すると、唖然!?そこに出てきた発送センターは、川西能勢口センターで、こちら、 ナント、よりによって、多田神社のすぐそばジャン!?ウウーン、今日の日付(8/18)を考えると、これは、明らかに、ご先祖からのメッセージか、実は、昨夜、PCをゲットしたわけだが、3年前の8/17の夜、(父母が亡くなった年だが、)ご先祖からのメッセージがこれだった、 送り火で、先週8/17(水)夜のこと、ふと見ると、オレンジ色でついているではないか!?オッ、直ったのか??と期待したが、翌日以降は点灯することはなく、たった一日だけの点灯となる、(ーー>これはホント不思議だった、)丁度、お盆の時期でもあり、個人的に、”送り火”の思いが来た、但し、父母ではない、(父母はもう天に行っている、)うちの先祖である、3ヶ月前に、壊れたソーラーライトが、一日だけ、自然点灯したのである、 (ホント、不思議だった、)ちょうど、お盆の時期でもあり、ご先祖からのメッセージと受け取った、(「私たちを忘れないで、私たちもいつも見てるから、」)で、これが2回目だが、同じ趣意を感じた、それにしても、ご先祖は、ライトタイムライトプレースで、すごい現れ方をするものだと、感心することしきり、 いや、感謝、と同時に、時々、思い出すようにします、ハイ、追記)出品者に、うちの先祖の神社がそばにある旨を言ったら、出品者からは、多田源氏を知っているとは、さすが地元の方だけのことはあるわ、 更新日 2014年08月18日 15時56分42秒
2014年08月18日
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ヨメさんが、東京でコーラスの練習とかで、今夜は、一人で、パンにコロッケとレタスを挟み、アイスコーヒーをテーブルにおいて、夕食準備を整える!?で、パクつきながら、夕刊を開いていたら、こちらが目に留まる、(惜別)大西巨人さん 作家 編集委員・近藤康太郎 2014年5月17日15時47分 Asahi ■極貧であっても 精神は贅沢に死後数年も経ってから、大西巨人は死んでいたか、と人に知られるのが理想。生前、そう語っていた。「(自分の死を)外部には知らせるな。骨は海に捨てよ。葬儀その他、一切無用。」と、家族に厳命していた。代表作で現代日本文学の金字塔「神聖喜劇」は、1955年に書き始め、25年後に擱筆(かくひつ)。 <以下略>おおにし・きょじん 本名・のりと 3月12日死去 97歳故人の遺志で葬儀は行わないここんとこ、気に入った、(自分の死を)外部には知らせるな。骨は海に捨てよ。葬儀その他、一切無用。 関西だと、斎場で完全燃焼させてくれるが、関東はなぜか、骨を残すようになっている、マッ、骨の捨て場所は任せるけど、魂の抜け殻をタイソーに扱わんでほしいと言うのが本音、もっともうちはヨメさんも同じ考えなので、あれこれ言わなくても、OKだろうけど、
2014年05月17日
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Update観測史上、最高の積雪(114cm)を記録した甲府市、 例の山梨県の空撮写真で、 甲府市と笛吹市の位置を覚えて頂いて、 こちらの話題、 大雪で救急車立ち往生、陣痛始まった主婦が...2014年2月26日17時33分 読売新聞 記録的な大雪が降った山梨県で、15日に男児を出産した女性がいた。 救急車が雪で進めなくなる中、女性は担架で産婦人科医院に運ばれ、17分後に赤ちゃんが無事誕生した。 119番から6時間余。地元住民らが雪かきをして進路を確保し、搬送を手助けした。 埼玉県吉川市から山梨県笛吹市の実家に里帰りしていた主婦(28)は、大雪が降り続く15日未明に陣痛が始まった。 午前4時すぎ、同市消防本部に連絡。救急車は数キロの道のりに2時間かかった。 実家は、県道から約1キロの山道を進んだ先の、笛吹市境川町寺尾にある。1メートルを超す積雪で救急車が進入できないため、隊員5人が担架を抱えて山道を上り始めた。 隊員を迎え入れるため、母親(59)ら家族3人が、自宅前の雪を懸命に掘った。隊員は、主婦を乗せた担架を腰のベルトに固定して、山道を下っていった。 「頑張ろうね」。隊員の大塚宏明さん(30)が陣痛をこらえる主婦に声を掛ける。雪の中を歩いていくのは大変で、大塚さんらは10メートル進んでは休憩を取ることを繰り返した。30分で200メートル進むのがやっとだった。 見かねた近所の男性が、重機を使って、幹線道路までの残り800メートルを除雪した。大塚さんらは午前8時半、県道に待機していた救急車までたどりつき、主婦を乗せることができた。 救急車は、主婦のかかりつけで、そこから約8キロの甲府市向町の産婦人科医院に向かって走り出した。 しかし、300メートル走行したところで雪にはまり立ち往生。今度は除雪業者が重機で救急車を引っ張って、脱出させた。 大塚さんが主婦の陣痛の間隔を計ると、担架で搬送中の5分から1分に縮まり、いつ生まれてもおかしくない状態だった。 午前9時半、甲府市の国道20号から、目指す医院が見えた。しかし、そこへ向かう生活道路が除雪されておらず、主婦は再び担架に。 医院で医師(57)が到着を待った。担架は見えているのに、なかなかたどり着かない。やきもきしていると、近所の住民4、5人がスコップで雪をかき、通り道を作ってくれた。 主婦は午前10時過ぎに到着。間もなく、産声が聞こえた。 大塚さんは「除雪してもらえなかったら、間に合わなかった。担架の上で生まれたら、新生児の体温が低下し、危険だった」と胸をなでおろす。 主婦は夫と相談し、生まれたばかりの次男に冬にちなんで「柊地(しゅうじ)」と命名。腕に抱き、「担架に乗せられている時、『一番大変なのは妊婦さん。頑張って』と救急隊員から励まされ、心強かった。この子を一生懸命育てなければと改めて思った」と涙ぐんだ。 主婦の母親も「多くの人に助けてもらった。お礼を言いたい」と感謝していた。 更新日 2014年02月27日 00時32分14秒 追記)上の話、ヨメさんに紹介したら、「子供も協力したのね」「子供も協力??」「今、出ちゃ、まずいって、」「ーー、」
2014年02月26日
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父親の命日の昨夜、父を思い出していた、自分の寝ている部屋は、まさに父(&母)が現れたところでもあり、今にでも自分の上に、父母が現れソーだったがーー、父が亡くなる2ヶ月前に聞いた、父親からの昔話が浮かんでくる、「野毛(桜木町)にセブンと言う居酒屋があってな、そこはサントリーの白しか出さない、が、そのマスターも数年前になくなり、もう飲めなくなってしまったよ、」しんみりしながら、その白について、父親の薀蓄が始まる、 「白と角の違いを知っているか、」 俺、??父によれば、何でも、白:640ml 度数=40% 価格 1,174円角:700ml 度数=40% 価格 1,414円と言うことで、角が上級に見えるが、値段的に大差ないそうで、通は白を飲むのだそうな、それから、水割り/お湯割り/ウーロン茶割りが続き、ほぼ一本があく、 すべての杯を作ったのは父だったが、父のあれほど緩んだ、且つ、青年のような生気のある顔を見たのは初めてだった、そして、このシーンに重なるのが、いまだに忘れないサントリーのCM(ショートストーリー)、 CMの彼女の父親と、野毛の飲み屋のマスター&父親がラップ、 このシーンには、思わず涙がーー、 彼女はそこに、確かに父の気配を感じました、
2013年03月23日
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最近の暖かさ(暑さ)で、一昨日から、庭先の花桃が咲き始め、 今日、ほぼ開花、 昨年より2週間以上早い、うちの庭は、父が丹精込めて植え、育てた木々で満ちている、今回の開花は、丁度、母の命日(3/12)と父の命日(3/22)の間となり、 この赤と白の花桃には、思わず、天に往った父母が重なってしまった、 しばらく、余韻の時、
2013年03月20日
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(先日の丁寧を武器にするの続きで、) たとえば、布団をたたむ時、あるいは敷く時、洗濯物を裏返す時、シャツの袖を返す時、と言った、日常の細かい作業に”丁寧”を織り込むと、濃密な時間が訪れる、逆に、そそくさと、あるいは、さっさとしようとするところにはびこるのは、殺伐とした空気である、 別に、温泉旅行に行く必要はない、高いレストランに行く必要もない、気分晴らしに映画に行く必要もない、 目の前のものに、丁寧に(ユックリと)取り組むだけ、”丁寧”は、確かに、空気を変えてくれる、 (と言うか、一瞬にして、変えてしまう、)これには、プラズマクラスターもビックリ!?
2013年01月29日
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昨日、台風一過、古家だけに、2Fは結構揺れた、 庭木も、一本倒れ、花も、結構、散る、母屋の前にある、庭木の花もいくつか落ちていた、 と、この風景が見えた、その瞬間だった、心にズシンと来るものが、このズシンは、先日のズシンに似ている、 (心に鉄球が落ちるような--、)と言うあれ、そしてすぐに、(先日覚醒させられた、)腰痛の最大対策である、「腰痛は必ず起きる、を前提に、」が浮かんでくる、即ち、心に来たのは、「必ず散る、を前提に、」と言うこと、 台風一過の産物、落下した庭木の花は、大事なメッセージを残してくれた、
2012年06月21日
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時々、自分の昔の記事をながめている、 こちらは、「合気道で一番強い技は何か?」で出てきた言葉、 +「己を“無”にして、相手と一体となる。 一体となってはじめて合気道の技は成り立つ。 我と相手、敵と味方など無関係。」己を“無”にして、相手と一体となる、 これ、いいね、 で、(”無”は自分には難しそうなので、)これをちょっと変えて、 「すでに死んだ十字架の己を仰ぎつつ、相手と一体(和解)になる、」 というところで、どうかなーー、 ちなみに、「合気道で一番強い技は何か?」の答えは、こればかりは、こちらが死にきってないとできんよな、
2012年05月25日
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Update3日前のこと、夜、寝ていたら、家の庭で、人の気配を感じた、誰かが、かがんで庭の手入れしている、そんなイメージ、が、具体的に浮かんできたその後姿は、他でもない、父だった、 手入れがされた庭の中、特に、この2本の花桃は、 今が盛り(満開)で、ひときわ輝いており、 ちょうど、昨年、昇天した際の父母の姿が重なった、 父母の正装を読み解く更新日時 2012年4月10日 15時39分53秒 追記)今しがた、気が付いた、3日前って、土曜日の夜(日曜日未明)だったわけだけど、巷は復活祭、ナルホド、現れるタイミングが、ちゃんとカレンダー(イースター)と合っている??
2012年04月10日
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昨日の朝、9:00AMから、なのはなさんお勧めの、~彫刻家・舟越保武の世界~ を拝見、見終えて、何か、日曜の朝の礼拝に参席したような感覚、*そのアト、教会のインターネット配信礼拝もあったが、 感動の深さは、今回のNHK-ETVに軍配、 (比較するのもおかしいけど!?)*普段ほとんど見ないNHKだが、これだけ観て、NHK視聴料支払いの価値があった、(と思った、)感動はいっぱいあるが、ひとつだけ、舟越氏は晩年、脳梗塞で右半身不随となるが、活動をやめず、左手で彫り続ける、こちらは、80歳の時の作品、 ゴルゴダII 最初、この写真を見たとき、「何じゃこりゃ?」と思ったが、番組で経緯を知ると、見方が変わる、精力的に作品を生み出していた75歳の時、舟越を病魔が襲います。脳梗塞で倒れ、右半身の自由と視覚の一部を失ってしまったのです。それでも、舟越は彫刻 への情熱を失わず、左手だけで作品を刻み続けました。新たに左手だけで制作した作品は、これまでとは異なる粗削りな造形の中に、舟越の彫刻への深い気迫が感 じられます。実際、TVで見ると、像からは、何がしか迫ってくるものがあった、 次男、舟越桂氏の言葉、 「ある意味、父が右手が使えなくなったのは、これを彫るためではなかったのか、と思います、」この言葉を聞いて、すぐに浮かんだのは、Andrea Bocelli、 The Lord's Prayer12歳で失明しながら、イタリアを代表するテノール歌手に、 人の不幸は神の恵み、と言う言葉がある、深いーー、
2012年03月12日
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先ほど、彫刻家舟越保武氏について、情報頂いて、早速チェック、 やさしさ、静けさ、そして強さ~彫刻家・舟越保武の世界~ 東北が生んだ戦後日本を代表する彫刻家、舟越保武(1912-2002)。キリスト教を題材にした「長崎26殉教者記念像」や、 静ひつで気品ある女性像など精神性の高い作品で知られています。 舟越の作品は、表面的な美しさだけにとどまりません。人生においてさまざまな苦難と向き合ってきた舟越の作品の数々は「やさしさ」を持ちながら「静かな強さ」を秘めています。 舟越は長男をわずか生後8か月で亡くしことをきっかけに、一家でクリスチャンになりました。以降、キリスト教を題材にした傑作を生みだします。そこには、辛い運命を懸命に生き抜いた人たちへの深い愛情といたわりが込められています。精力的に作品を生み出していた75歳の時、舟越を病魔が襲います。脳梗塞で倒れ、右半身の自由と視覚の一部を失ってしまったのです。それでも、舟越は彫刻 への情熱を失わず、左手だけで作品を刻み続けました。新たに左手だけで制作した作品はこれまでとは異なる粗削りな造形の中に、舟越の彫刻への深い気迫が感 じられます。 震災で非常に困難な状況と直面せざるを得なくなった人々は今、舟越の彫刻に何を感じ、何を読みとるのでしょうか?舟越の人生の軌跡をたどりながら、彼が作品に込めた思い、追い求めた美とは何かを探ります。 3/11(日)AM9:00~10:00、 NHK教育TV日曜美術館で再放送予定、 (参考)+岩手美術館所蔵の作品、 舟越保武+ 舟越保武彫刻写真館
2012年03月10日
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うちの庭には、ソーラー灯がある、 (写真はイメージで、)もう、とっくにカドニカ電池切れで、4月に引っ越した時にはついていなかった、 2ヶ月ほど前、ヨメさんがフツーのアルカリ電池を入れたところ、復帰、周囲が暗くなると、自動点灯して機能してくれた、普段は弱いオレンジ色、人が近づくと、蛍光色に変色する、が、4-5日ほどして再度切れ、以降そのままとなる、 で、先週8/17(水)夜のこと、ふと見ると、 オレンジ色でついているではないか!?オッ、直ったのか??と期待したが、翌日以降は点灯することはなく、 たった一日だけの点灯となる、(ーー>これはホント不思議だった、)丁度、お盆の時期でもあり、個人的に、”送り火”の思いが来た、但し、父母ではない、 (父母はもう天に行っている、)うちの先祖である、40年前、(浄土宗の寺を檀家とする)父に、先祖の神社が現れ、 2年前、自分にも同神社が現れた、川西の神社のこと今年3月、実家の整理で、先祖の満仲の名が入った家系図が出てきた時には、父母の正装を読み解く これはもう偶然ではない、と思った、 さらに5月に、(父母の召天後、)(十字架付の)骨壷を寺に納骨されてしまうのだが、意外にも、先祖の墓が、十字架により聖別されたという思いがきた、骨壷の十字架 7月に、父の後輩のN氏を通して、先祖(満仲)から確認/促しの暗黙のメッセージが来た、 N氏が持ってきた満仲の石碑の写真そして8月、今回の送り火と続く、もう、スッカリ準備が整ったのではないだろうか、 個人的に、実は、墓にはほとんど興味がない、が、こと、これまでに、自分の周囲に起こった出来事を振り返ると、先祖の熱意を感じないわけにはいかない、 徳川の檀家制度により、寺に強制収用されてしまった悲しみの先祖の墓、今、そのくびきを解放すべく、来月、礼拝と納骨式を予定している、 一応、父母の納骨式の体裁を取るが、個人的には、父母の骨のこと以上に、先祖を、キリストにあって、ねんごろに供養し、天に送ってあげること、これが目下の最大の関心事である、
2011年08月21日
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天に行く時の父母の正装のイメージで、以前、こちらを挙げた、 父母の正装を読み解く 細かい事だが、実は、父の実際の姿には、烏帽子/冠がなかった、かつ、服装も上から下まで薄茶色の単色のもの、 正直あまりかっこよくなかったが、特に気にも留めず、 が、あることから、これが気になり始め、神官の服装をチェックすることに、神職の装束(狩衣・烏帽子)について神職の服装は、神社本庁が規定を定めており、「正装(=衣冠)」「礼装(=斎服)」「常装(=狩衣)」の三種類に分けられています。 正装:大祭または天皇御参拝時に着用するもの礼装:中祭時に着用するもの常装:小祭、恒例式をはじめ、日常的な奉仕の際に着用 つまり、参拝時に私たちが目にする神職の装束は「常装」で、「狩衣」+「袴」+「烏帽子」という組み合わせになっています。神社人狩衣、袴、烏帽子がデフォ、で、帽子の有無はドーなのか?冠と烏帽子朝廷に属する官人が制帽として冠をつけるようになったのは聖徳太子の冠位十二階制が出来てからと考えられています。 こうしたステータスシンボルから出発し た被り物着用は、やがて成人男子の証(あかし)と言えるような存在になりました。平安時代には庶民(京畿在住者だけでしょうが)に至るまで頭に被り物をつ け、露頂を恥とする文化が生まれたのです。そうだ 京都、行こう冠と烏帽子を総称して被り物(カブリモノ)という。 儀式や参内など、公式の場に用いたのが冠で、日常的に用いたのが烏帽子。聖徳太子による冠位十二階の制定以降、成人男子は必ず被り物を用いた。床に伏すときにも脱ぐことはなかった。他、装束の知識と着方などを参照、 即ち、公の行事等で被り物を取ることはない、 これから察するに、実は父が5/1、天に行くにあたって取った正装、あれはギリギリの正装ではなかったのかと、ギリギリで天国行きの列車に乗れたとでも言おうか、 今年、一月、先祖の思いもあって、こちら横浜の実家に来て、父に、「墓を寺から移しては」と自分から進言、 父は、心は寺から離れてはいたが、しがらみからか、優柔不断で結局決断せず、それどころか、オレは南無阿弥陀仏を取る、とまで酔った勢いから言い出す始末、その3週間後、2/10に、家の前で、生涯で初めての車の衝突交通事故を起こす、幸い、示談で済んで、互いに大きな後遺症はなかったものの、その後は3月の12日、22日に、父母が召されるまで、あっと言う間だった、 自分は、父には、先祖の期待がかかっていたと思っている、-->寺の墓を何とかせーよ、と言う期待、 それが故、86歳に至るまで、車を運転しても大きな事故がなかった、ホント、不思議だった、なんで、あの運転で事故がないのか!?実はその事故の報を最初聞いたとき、浮かんだのが、Protection(ご加護)の文字、 ひとえに、先祖の神のProtectionに守られていた、と思った、そしてProtectionが外されたとき、この世の中、チョっと生き抜くのはしんどい、まして、高齢が重なる、 幸い、父は天国に迎え入れられた、これは先祖の神の哀れみ以外の何物でもない、しかし、被り物は付けさせてもらえなかった、
2011年08月21日
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この忙しい社会、何か、こうジッとしていて動かなかったり、あるいは、活動しなかったりすると、いまいち、何か不足しているような気がする、(あるいは、劣っているとか、)が、さにあらず、”存在”それだけで、すでに、あらゆる行動、行為、所作を凌駕している、行動/動作/Doingとは、存在/Beingの前後左右上下の動きに過ぎない、本質は、存在/静/Beingにある、 本質である”存在”を意識しないで取る行動は、ろくな結果を生まない、これはイワユル、行動の先走りになるわけだが、このイメージとして浮かぶのが、 ブリキのロボット、およそ、クリエイティブとは程遠い、中身空っぽのお決まりの動作しか繰り返さない、 徹底的に、”存在”に徹するのがいいと思う、(あるいは、動きを否定する、)この”存在”がオーバーフローする時、 それこそが、本質/本物になる、(と思う、) 昔から、座禅、リトリートなどの、静まりを持つ機会が絶えないのは、さもありなん、
2011年07月30日
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行ってきた、 1m四方の真新しい墓は、7年前に分譲で500万で購入したとか!?(隣の墓と隙間がない、さしずめ団地のような感じ、)おじさんが、竜ヶ崎のお墓から持ってきた骨壷は3つ、寺の本堂で、線香をあげて、新しい墓に運んだ、骨壷は、30cm四方の桐の箱に入れられて、重さは数kg/個あったか、 一つ持ったが、重たいのナンのーー、ヨク、こんなのを持ってきたな、と思ったら、竜ヶ崎ー戸塚でタクシーを使ったとか!?墓の中は狭い、骨壷6つ入ると一杯、では、それ以上増えたら、ドーするか、墓守の人いわく、古い順から、骨壷を取って、地面に撒くのだとか、こうすれば、いくらでも入れるーー、だったら、最初から、撒くようにすればいいじゃん、と思ったのは俺だけ??又、骨壷を他の墓に移すのは、結構手続きが大変らしい、 当の寺の同意(改葬許可証の発行)、移す先の埋葬証明、役所へ届け、なんか、ドーでもいいように思えるが、 簡単に移されたら、商売あがったりなのかも、面白いのは、この手続きがあるものの、実際は、無縁仏の墓が増えていること、(引き継ぐ人がいない)、寺も連絡が途絶えると(管理費が入ってこないと)、放っておくわけにいかず、墓を処分し、新規の分譲分にする必要があるみたい、よって、スムーズに檀家をやめたければ、メンドーな手続きより、音信不通が一番??ところで、当のこの墓の持ち主(母の妹の旦那さん)は、N電気のおえらいさんだった方で、宗教は無宗教だそうな、で、なんで、お寺の流儀のお墓かといえば、他にないから、おそらく、どんなスタイルでも構わなかったのだろう、お寺スタイルが、世間一般に普及しているので、 それに従ったにすぎない、で、今回の納骨(移設)式で思ったのは、わざわざ、親戚を呼んだり、お寺形式で式をあげるのも、人は何か、セレモニーが必要なのだなー、と深く納得、が、キリスト教会の関係者は、このような法事の参加は、避ける傾向がある、(自分も然り)実際、こんな聖句もあるし、「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。自分の家族の者が敵となる。」(マタイ10章34ー36) これをして、徹底抗戦する、なんてよくやったものだ、しかし、ここは、上からの光に照らされて、読み直すと、別の意になる、即ち、「だから私(神)に頼れと、私(神)に任せよと、」そう、自我(自己中心)でこの聖句をとらえると、周囲と戦争状態になる、自分の信仰スタイルと異なるものは、 排除あるのみ、と言う姿勢ーー、 が、WWJDでとらえるなら、自我の死が必要であることがわかる、上からの知恵は、争うことをさせない、本質をそっと気付かせてくれる、 人は、冠婚葬祭で、セレモニーを必要とする、そのスタイルは、宗教色が出るが、その中で、真剣に仏教を心がける人がどれくらいいるか、うちの父親だって、仏教なんてまるで知らない、先祖の墓が寺にあるので、自称、仏教徒なだけ、今回参加した、(母の妹の旦那さんの子供の)夫婦3組いらしたが、「私は散骨でいいわ」が主流だったし、 そんなこともあって、懐石ランチの時、母の妹の旦那さん(墓の持ち主)が隣に座ったが、檀家制度の背景や、 お寺とお墓の関係の話はしなかった、 (おそらくドーでもいいことだと思ったんで、)日本において、葬儀は、仏式が8割以上をしめるのが現実、が、人はセレモニーを必要とするという観点から、仏事/法要を見てみるといいだろう、それは、有限会社"The Otera"が提供するイベントである、あたかも、入学式や、卒業式のごとく、参考)葬儀を考えるNPO東京NPO東京は、消費者の視点で葬儀・お葬式を執行します。ご家族だけの小さなお葬式、家族葬、密葬・・・費用を掛けないお葬式、直葬・・・葬儀・お葬式は、葬儀を考えるNPO東京にお任せください。 更新日時 2010年5月5日 23時40分51秒
2010年05月05日
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チョッと、ばたばたしている、明日は横浜で、母方の両親の遺骨の移設納骨式がある、母方は3人姉妹で、寺の墓を継ぐものがいなく、母の妹の旦那さんのお墓(購入して未使用)に、入れてもらうことになった、親戚に会うのも久しぶりなので、ヨメさんと行くことに、場所は、東戸塚霊園とかで、一応、寺の経営になっているが、見ると、かなりでかい、(不動産デベロッパーか??)需要が旺盛なのだろう、先日来、日経新聞でも特集していたが、檀家離れ、寺離れは、世の趨勢らしい、そのメニューを見れば、さしずめ、葬儀のデパートかと、寺の流儀にこだわっていては、人は集まらない、で、時期が重なったが、先週、うちの父には、やんわり、手紙を送っておいた、(父は、浄土宗の寺の檀家である、)まず、我が家の家系は、56代目清和天皇から続く満仲の家系であること、(これは父が自分で自慢してた、事実はわかんないけど、)そして、天皇家の家系が、何ゆえ、寺の檀家になっているかで、突っ込みを入れて、こちらのコピー「檀家制度」も送付、 *これの送付は、かなり、考えたが、やらないと、始まらないので、とにかくGo!その手紙の概略は、以下の通り、『 家のルーツを調べてみました、(中略)我が家は、清和天皇の末裔でしょう、 (家系図やらなにやら添付、) お父さんは、おそらく清和天皇から、三十数代目の末裔にあたると思われます、即ち、公家の家系(神道)、(<---ここがキー、)では、公家の家系が、何ゆえ、仏教となったのでしょう、これは、徳川幕府の檀家制度に起因すると思われます、(詳細は添付資料1「檀家制度」、資料2「宗教とお葬式」参照下さい、) 要約するなら、当時、キリシタン抹殺を図った徳川家康は、商人、町人、武士、公家、農民、あらゆる階層の人々に、キリシタンでないことを証明させるために、寺に所属することを命令、寺に所属しなかった場合、キリシタンとみなし、打ち首、獄門、はりつけ、火あぶり、と徹底的に弾圧した、当時、この弾圧で、20万人以上が犠牲となっているとか、ここで、幕府は、寺に、葬儀も、寺で実施するようにさせる、加えて、キリシタンが、死者にキリシタンネームをつけることに対抗し、仏教徒の証として、戒名をつけて葬らせた、(戒名は元々、修行僧に生前つけるのが趣旨、)檀家制度以前の葬儀には、お寺は関与していません、(釈迦自身が、自身の葬儀について、不要と言っているくらいです、)葬式は、当時、氏族の長が神主を務めるのが普通で、彼らが順番に神主になり、葬式をしきっていたとか、 と、持って行き、以下を加える、余談ですが、このルーツを調べるきっかけは、実は、最近、朝方に見た夢にあります、短い夢でしたが、こんなのでした、(個人的なものなので、聞き流してください、)上から声がしました、以下やり取り、上からの声:「あなたの父は、天国で祝宴が用意されている、」私:「天国?? 彼はお寺の檀家ですよ、天国は関係ないでしょ、」上:「違う、 彼は天皇家の末裔だ」私:「天皇家??」上:「天皇家の末裔は、私の末裔だ、」以上ですが、気になって、調べた結果が、既述の通りです「天皇家の末裔」とは、清和天皇の末裔のことなのでしょう、「私の末裔」が気になったので、調べると、以下が出てきました、125代続く天皇家の初代天皇は、神武天皇、紀元前660年前後の即位だと言われています、面白いのは、北イスラエルが滅びて、全世界に散ったのが、紀元前722年、その60年後に、日本で天皇制が始まりました、天皇制とは、そのひな形が実はイスラエルなのか??と、(日本の神社の造りが神殿と酷似、伊勢神宮の紋章がダビデの星、500に及ぶ日本語の音と意味がヘブル語と一致する、などなど、)これは、研究結果も出ており、興味深いところです、(参考資料3もよろしければ、見てください、) 』 で締める、 この手紙を書くに当たり、当時のキリシタン弾圧なども見てみたが、大変な時代だったことがわかる、マッ、それはさておき、明日は朝一の神戸発に乗らなければならない、早めに寝ることにしよう、さて、父親の反応はいかに、明日の昼は、現地で、懐石料理が準備されている、
2010年05月02日
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続きで、お寺への逆風シリーズ、 葬送の行方(4)家離れ“ホール戦争”招く2010/04/19, 日本経済新聞 夕刊, かつて常磐炭鉱で知られた福島県いわき市は、戦後のエネルギー転換を工場誘致で切り抜けた。今、ここは葬祭ホールが集中する全国有数の過密地とされる。 市内のホール数が増え出したのは2000年代に入ってから。現在6ホールを持つ中堅の冠婚葬祭互助会系の会社が増設をしかけた。葬儀専門業者もホールを相次ぎ建設、経営肩代わりなど「業界再編」を伴い、ホールは今も増え続ける。 「火葬場併設の施設整備の遅れや、14市町村合併による広さ、それに新旧住民や地域によってニーズが異なるから」。この1、2年、地元業者を次々傘下に入れる別の地元互助会の八幡台やまたまやの幸徳信市取締役は説明する。 隣組や親類縁者の手を借り、自宅や寺で営まれてきた従来の葬儀。会場を専用ホールに移し、式も業者が丸ごと請け負う例が1990年代から全国で目立ち出した。幸徳取締役は「しきたりが覆るにはみんなで変われることが条件。見合う受け入れ施設を同時にそろえる必要がある。他地域で学んだ教訓だった」と話す。 葬儀専門誌の月刊フューネラルビジネス編集部によると、全国の葬祭ホールは昨年末で6103施設。福島県は190施設だが、いわき市内に44施設が集中する。伝統的な葬儀が維持されてきた東北地方で会場ビッグバンが起きた。 ホール移行は他人が家に入るのを主婦が嫌がるようになったからともいわれるが、「結婚では家同士の意味が薄れ式場離れが起きた。葬儀も家離れし、妻や嫁の発言力が増して、形も多様化した。女性司会は当たり前」。 レンタル葬祭具を家に運んでくるのが葬儀会社だったが、今はホールを持たなければ経営が立ちゆかない。遺族に便利な身近な立地と家族葬需要にこたえる小型化が最近の傾向だ。 追加料金などへの家計の目も厳しい。ネットで見積もり比較ができる時代。直接規制する法律がないだけに、消費者側の判断基準も揺れる。業界は見積書の交付などガイドラインを整備したり、葬祭ディレクターの技能審査制を導入、近代化に乗り出しつつある。 兵庫県のコープこうべは20年前から地元業者と提携、不透明な葬儀ビジネスの見直しに挑戦してきた。生協出身で現在、県葬祭事業協同組合連合会の溝落成則専務理事は「生協ブランドを利用する商売ではなく生活者側に立った葬儀を実現する。当初からの理念の意味と正しさに本当に気付いたのは最近なんです」。葬儀サービスの業界も変わってきている、お葬式プラザなど見ても、今や、明朗料金制度が跋扈する、だが、この”明朗” と言う言葉、お寺には苦しい、お寺が提携している業者との連携が崩れかねない、不明朗だからこそ成立していた葬儀業だったのに、上の葬祭ホールが、女性をも巻き込み、全国展開して善戦しているのは、やはり、時代なのか、
2010年04月19日
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明け方、ふと浮かんだ言葉、みんなつながっている、先週、つながっているこころで、コパイバオイルを知り、ネット検索したら、イロイロ種類が、それで、ふるいちさんにどれがいいかたずねたら、「直感でいいんじゃないですか、」ってことで、こちらを、直輸入コパイバ樹液30ccで¥4800はおそらく最安、HPサイトの雰囲気は悪いものでないので、品質はOKかと、実際、現在、飲んだり、つけたりしているが、悪くない、 先週、買った「みんなつながっている」、 待つことの楽しみを紹介、 (精神科の先生らしく、)私たちは時間的/物理的につながっている故、孤独に陥る必要はないと、*これ、生きて死ぬ智慧にも書かれていた、 量子の単位で見れば、確かにそうだ、そしてなぜか、ユダヤ金融資本の行く末にまで言及、最後に残るのは日本だと、 イロイロな意味で、トレーダーにお勧めの一冊、その金融資本と言えば、この人、Time's Man of the Year BernankeTime誌の2009年Man of the Year候補だとか、 彼のモットー、”All for One, One for All" みんなつながっている、今週も逝きました、 Failed Bank List7行破綻で、計140行、 でも、これが一番の実感か、 http://www.iris.edu/seismon/ 伊豆は相変わらず多いよね、 よくも悪くも、みんなつながっているを感じた今週だった、
2009年12月19日
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Update2知っているより、知らない、できるより、できない、と、素直に認めることが、どれだけ優れているか、知っていると言えば、そこで天井、できると言えば、やはり天井、しかし、知らないと認めれば、知識は無限大、できないと認めれば、可能性は無限大、これは体験の世界だ、 目下、模索中、最終更新日 2009年12月03日 00時26分58秒 追記) 朝方、続きが来る、金銭欲、性欲、食欲、怒り、これらに従って、その欲のままに生きているのなら、それはそれでOK、 しかし、コントロール/抑制しようとしているなら、一考の余地がある、(うまくできない自分を見て、)おそらくそこに残るのは、失意と自分への嫌悪感ぐらいか、では、ここで、自分はこれらの欲をコントロールできない、と認めたとき、そう、開き直るとき、何が起こるか、*この瞬間、 誘惑者は橋頭堡(私ができると言う誤解)を失う、 「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」ヤコブ4-6 朝方来たこの聖句は、結構、インパクトがあった、最終更新日時 2009年12月3日 10時17分54秒 追記2) 昨日のSaverでオーナーとの会話、オ:Saverの技術として、スタッフにはこれを伝えていかなければと思っているんですよ、私:伝わんないですよ、多分、 オ:??私:伝えようとすると、その我(が)が伝わって、中身は伝わりにくくなりますよ、 オ:?? 私:伝えようとするのではなく、伝わらないことを認めて、解説すれば、伝わるかもしれません、どちらにせよ、自分で伝えることをコントロールしているうちは相手から見透かされますよ、キット、 伝えることができると思っているうちは、伝わらない、伝わるのは、内容ではなく、伝えようとする本人のエゴ(自我)が伝わるだけ、そして、伝えることができないと知ったとき、(伝わるのは、相手の思い次第だと知った時、)伝えようとする努力/葛藤から初めて解放される、*個人的には、この事実、福音宣教に当たっている人にもっと知ってもらいたいと思っている、宣教とは伝えることではない、伝わることである、即ち、自分を見てもらうことに他ならない、結局、最終的には、稲盛さんの「生き方」に行き着く、”人生の目的は魂の浄化である、”伝わる伝わらないは二の次だ、
2009年12月02日
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昨日のアドバンスコース、シェアタイムで、ウォークインストラクター実習生のお二人から、現役インストラクター:「ナカナカ生徒さんに伝わらなくて」インストラクター志望:「教えるのが自信がないんです」という話を聞いて、これはNK225とおんなじだ、私:「ナカナカ儲からないんです」と、私も含め、皆さん誤解していらっしゃる、「自分の思い通りになる」と、それで上記の悩みが出てくる、再度復習、相手とのコミニュケーション、相手の指導、相場の儲け、これらの主体は実は自分ではない、”すべては相手に合わせるところから始まる”と開眼したところから取り組みが変わる、で、相手に合わせるために必要なのは、1) 相手の全体像の把握、(性格、要求、方向性)2) いつでも全方位に動ける俊敏さ、(体、心の柔軟性)3) 時を楽しむ人生観、(待つこと、実動の見計らい) 4) 小さく怒り、大きく怒らない、(感情のコントロール)特に最後の小さく怒る、というところはポイント、怒らないのではない、それは逆にストレスになる、大きくではなくソコソコの怒りで対処するが肝要かと、(最近、気付いた点です、)どちらにしても、性格のチェンジを要求されるので、覚悟だけは必要かと、 但しいい方向へ向かうので覚悟のし甲斐はあると思うけど、で、考えてみると案外、この”相手に合わせる”って人生の究極の目標かもしれない、イヤ正確には手段か、 究極の目標はその先の性格のチェンジにあるとするとわかりやすい、
2007年12月02日
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昨日、 ヘリが墜落、堺を見て、唖然とした、同乗していたのは山本一樹さんだったからだ、彼とはココ3年ぐらいの知り合いだ、私がRKiyosakiの本を読み始めたころ、様々な投資セミナーに出かけよく彼とも会場で出会った、彼自身は、ネットの接続サービスのビジネスを手がけ、自動的に収入が入る仕組みを構築し、イワユル、お金のために働くと言うラットレースからは卒業していた、さらに不動産セミナーでもよく顔をあわせ、ワンルームを保有するなど様々な知識習得に非常に熱心だった、最近は沖縄、石垣島へ一ヶ月以上の一人旅に出かけ、現地の人と懇意になるなど、リラックスの雰囲気がただよう生活スタイルが感じられていたものだった、その彼のことを思い出すとき、 彼から受ける印象は、"優しさ"である、チョっと、外見はこわそうだが、話せばやさしさにあふれていた、投資関係のMailing Listに彼はよく投稿していたが、実に微にいり細にいりフォローしてくれた、 サラリーマンの税金、年金制度、会社の立上げ方、節税の方法、など懇切丁寧に紹介してくれ、 面倒見が実によかった、その熱心な彼が、ヘリコプターの免許を取ろうとするのは、特段不自然さはない、彼なら充分チャレンジするだろうなと思った、人は気持ちに余裕ができてくると、(私ヨロシク)最終的に空を目指すのかも知れない、今回、南海電車には迷惑をかけてしまったが、私は思った、アノ住宅密集地で、人災が出なかったという奇跡は、他ならぬ山本さんの優しさの賜物ではなかったかと、そしてもうひとつ、彼は死んでなんかいない、そう、まさに千の風になって、近畿の空を吹きまくっている気がしてしょうがない、
2007年10月28日
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これは考えさせられた、【第2回】なぜ日本人は、これまで遺言を書かなかったのか 2007年10月19日 Nikkei Business (抜粋)しかし1980年代から、「死」をいたずらにタブー視するのではなく、「よく死ぬことはよく生きることだ」という考え方が少しずつ広まっていきました。(中略)遺言に対する関心が少しずつ高まってきたことは人々の意識の変化を反映していると言えるでしょう。そして、遺言を書くことは単なる「死への準備」ではなく「生きている時間をより充実したもの」にすることにつながると私は考えます。遺言もさることながら、この考え方、「よく死ぬことはよく生きること」は、NK225先物取引にぴったりの言葉ではないかと、以前から自分に言い聞かせはしてきた、(あり方生き方、他Blog)この先物相場、魑魅魍魎の世界である、欲が活き活きしたまま相場に入っていけば、身ぐるみはがされて骨だけになってしまう、しかし悲しいかな、生きることに固執するものは 死を無視する、同様に、儲けに固執するものは損失を無視する、NK225取引は遺言なくして入ってはなるまい、 損失と言う"死"と積極に向かい合ってこそ、よい取引ができる、間違っても、最初に利益を期待、予想するのだけはやめておいたほうがいいだろう、あらかじめ、損失額の表をExcelで作って頭に叩き込む、これが遺言だろう、取引の最初から最後までこの遺言を肌身離さず持ち続けることだ、私自身は理屈で死を言うが、具体策がなかった、実際に遺言を書くのと、頭だけでとどめておくのは天地の開きがある、書けば覚悟が決まる、さて現在の大まかな戦略をまとめておこう、1)大きな相場観、大局観、2)事実を確認してのエントリー、3)損失コントロール主体のポジション調整、4)利食い、即ち、1)世界的株価調整、2)天井形成の確認、3)損きりポイントの確認、4)利食い、(これは過去の暴落記事などが参考になるかもしれない、瞬間大反発があるので注意だろう、ブラックマンデー(1987))5)反発後の買い銘柄群のピックアップ、これは又、
2007年10月19日
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昨日の芦屋レッスンでクロールはひと段落着いた、コーチには「次回から平泳ぎですかね」と言ったら、「せっかくココまで来たんだからもう少しクロールを」で、しばらくまたクロールを深めることと相成る、さてそのクロール、クラブでは今夜も快調だった、ひじを立てて、一気に後ろに押す感じがスッカリ身についた、基本ができていると、ユックリ泳いでも結構、サマになっている、イヤー、実に気持ちがよかった、で、今日のトピックはそのクロールではない、プールからの帰り際、門の外で「サヨナラ!」と声をかけられる、振り向くと、いつもの受付の女性スタッフがゴミ出しをしながら、チョっと恥ずかしそうにうつむきながら会釈していた、ゴミ袋を持っていたので、チョっと気が引けたのかも知れない、その時だった、「アッ、これだ」、 瞬間的に来た、変な言い回しだが、「ゴミを持っていてもいいんだ!」という理解である、何のことかというと、人は元来、美しいのだ、 そう、存在そのものが美しいのだ、ということ、ゴミを持とうが、転ぼうが、美しいものは美しいのだ、そして、これの考え方の延長がすぐにやってきた、失敗しても、つまずいても、投資で損しても、私自身は関係ない、私の存在そのものは美しい(!?)ままである、だから、さっきのスタッフは、ゴミをもつ姿そのものがやはり美しいのであり、うつむきかげんで会釈などする必要はマッタクない、(多分、彼女はゴミ袋に気を囚われてしまったのだろう、)ゴミをもって堂々と会釈すればイイのだ、 ということ、これは先日の苦のままで幸せ(圧倒的勝利者)、の延長だな、永遠の命を持つものは、苦のなかにいて、苦のままで、幸せに生きることができる、 ヨロシク、永遠の命を持つものは、ゴミ袋と共にいて、ゴミ袋を持ったままで、美しく生きることができる、
2007年10月14日
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参考にさせてもらいます、やる気を出させる7つの方法(原文:7 Ways to Boost Your Mood)2007年10月10日 22時38分1.少し運動をする、Get some exercise.運動は血液の循環を刺激し、ハッピーホルモンとして知られているエンドルフィンを最も早く出せる方法の一つだそうです。2.うたた寝をする、Have a catnap.10~15分のうたた寝で驚くほどリフレッシュできるそうです。それだけではなく、うたた寝をしているときに、潜在意識から新しいアイディア、解決方法が出てくることもあるようです。3.元気が出る音楽を聴く、Listen to uplifting music.音楽は、究極のムードチェンジャーらしく、ギリシャの哲学者プラトンによると「音楽とリズムは魂の秘密の場所へ行く方法を見つけてくれる」だそうです。4.軽食やお茶・コーヒーなどをとる、 Take a break and have a cup of tea or coffee.実際にコーヒーやお茶を飲む必要はなく、仕事場から離れることで新しい見通しを得ることができ、仕事場に戻った時には、やる気が出るようです。5.ポジティブなことに焦点を当てる、Focus on the positive.人は仕事がうまくいかない時、または調子が良くない時にネガティブになり、状況を悪くしてしまう傾向があるようです。そういう時には、正しくいっていること、これまでに達成したこと、これまでにどれくらいやってきたかなどのポジティブなことに焦点を当てることが良いそうです。6.誰かと話す、Talk to someone.友達や同僚に感情を表すことは、健康維持に役立ち、リフレッシュできる方法の一つだそうです。友達や同僚が共感してくれると、重荷から解放される、または自分の状態を理解してくれているというような気持ちになるそうで、他人が気にしてくれたり、同じ気持ちを持ってくれていることは、気分を上昇させたり、モチベーションを高めてくれたりするようです。7.完全に頭を切り替える、Switch direction completely. 気分が落ち込んでいるときは一つのことにかなりの時間を使ってしまうことがあります。そういうときは、ちょっと違うタイプの休憩が必要かもしれません。最も良い方法は、仕事場から離れてのウォーキングなどに時間を費やすことだそうです。例えば、休憩を取って買い物に行く、友達のところに行く、クローゼットの整理整頓などを試してみるのもいいかもしれません。
2007年10月11日
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今朝は久しぶりに早朝ウォーク、昨日のBlogで書いた内容と言うのは相当、頭に残っている、例の、永遠の命を持つものは、苦のなかにいて、苦のままで、幸せに生きることができる、は昨夜も床の中で鐘のようにガンガン鳴り続けていたし、もうひとつの、"時間"を、じっくりかけるのも、かなり深くココロにInputされてきた、そのせいか、歩いていても、「苦のまま幸せ、苦のまま幸せ、」が繰り返し出てくるし、歩くスピードを超スローにして、思いっきり時間を味わうことができたりで、結構、あっという間の2時間であった、で、今朝の新しい境地はこれ、超スロー、且つ歩幅を狭めたユックリウォーク、よくわからないが、"ユックリ"には確かに、何がしかの力があるようだ、 もう歩いていると言うよりも、ただ存在している、といったほうがあってる、こういう状況になると、一種の夢遊病者的な境地になる、でまたこれがチョー気持ちいい、そして、不思議なことに、かなりココロ、頭がスッキリしてきて、様々な印象に敏感になれる、マッ、廻りは、朝も早く、且つ護岸沿いなので人がいないと言うのもあるのだが、いくつか、印象が来たが、励ましとしてとらえたひとつは、「ノアの箱舟」だろうか、これの解釈はすでに来ているが今日は触れない、(ヒントはNK225である)さて、スッカリ、クセになってしまったハーバーまでの道のり、もう一回行っちゃたら、と今、お誘いを受けているので、またアトで、
2007年10月10日
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昨日、NK225と永遠のいのちなどを書いて、寝たら、一晩中、頭の中を駆け巡っていたような錯覚にとらわれた、特にこのフレーズが頭の中で繰り返された、永遠の命を持つものは、苦のなかにいて、苦のままで、幸せに生きることができる、そして、明け方やって来た言葉が、「圧倒的勝利者」だった、さらに、過去、イタリアのローマで見た、天草の殉教者の油絵がなぜか思い出された、火あぶりにされる母子が十字架に磔にされる絵だった、その顔は光り輝いていた、(当時、個人的には作為的に笑顔を描いたのではと思ったが、)そして何ゆえか、自分が彼女の立場になった気持ちで、彼女の笑顔がわかる気がした、彼女は決して今の自分の境遇にとらわれていなかった、彼女は明らかに違う次元、世界を見ていた、これだ、これ、永遠の命を持つものは、苦のなかにいて、苦のままで、幸せに生きることができる、 これと同じジャンこの概念自体は自分にとっては別に珍しいものではない、周りの環境(苦しみ、困窮など)とココロのあり方は別物よ、の一言で片付く話だ、しかしこれが実体験となると、又違ってくる、理屈で、私は苦しみの中でも信仰があるから平気です、と言うのと、実際に光り輝く顔でいるのとは、似て非なるもの、 それと昨夜(一瞬だが)、NK225先物でもこれに合わせたイメージが来た、だいたいこんな感じか、損失の中でうろたえるのではなく、損失の上で正々堂々としている、そう正々堂々、である、変な話だが、負けているくせに、気持ちは圧倒的勝利者なのだ、この思い、まだ少し余韻が続いている、
2007年10月08日
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さっき、生きて死ぬ智慧を見ていたら、下記の言葉に励まされた、永遠のいのちに目覚めた人は、苦のなかにいて、 苦のままで、幸せに生きることができるのです、 (般若心経 柳澤桂子訳)NK225の売りポジを持つ身としては、やるせない日々(思い込みの弊害)を送っているのだが、上の言葉で、ハッとした、以前も平常心を表すでUpしたが自分を天上から見るというのが思い出されて来て、さっきからココロが回復してきている、地上では苦の中(NK225売りポジ)にあろうとも、天上(永遠のいのち)から見れば別次元であることを思い出したからだ、NK225先物で永遠のいのちを思い出すとは思いもよらなかったが、とにかく感謝!
2007年10月07日
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先ほど自分で「予測できない」(トレードの基本)を書いて、そのままウォークへ、今日のウォークはスガスガしかった、景色が変わったわけではない、ココロにあった霧が取れた、そんな感じだった、何の霧かと言えば、”暴落”と言う霧である、いかにこれが自分のココロの中で呪縛となっていたか、さっきわかった、なんかココロの自由度が一気に回復してきた感じで、もう何やってもうまくいくんじゃないかと言う気にまでなっている、明日は新日鉄5401を売ろう、ナンテ気持ちまでわいてきた、(ドーでもいいんでこんなことまで書けてしまう、)では、この気持ちで、チョッとクラブへ、又アトで、
2007年10月04日
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今日のウォーク、秋風吹く中、なんとなく寂しかった、昨日までのアノ日差しはどこへ行ってしまったのか、暑さ寒さも彼岸までが今年は一週間ずれた格好だ、で、フト、やるせなさが全身を包み込んできた、そして「何で生きているのか」、などという素朴な疑問まで出てきた、ところが、これの答えが来るところがウォークのいいところ、「楽しむため」、瞬間的にやってきた言葉がこれだ、で、 「えっ、何を?」とすかさず返した、そして大潮で退いた護岸沿いの海面を見ながら思った、「この退いた海水はどこへ行ってしまったんだろうか」、と、なんとも他愛のない疑問である、ところがこの疑問に又、言葉がイヤ、先ほどの答えが来た、「時流に乗れ」と、そうだ、俺がとやかく悩む必要なんかないんだ、大潮の満ち退きのごとく、悠々と待っていればいいだけのこと、何を悩む必要があるのか、と、大潮に教えられた、今日のウォーク、空はどんより寒空だったが、帰りにはすっかり気分は晴れていた、
2007年09月29日
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昨日はウォークレッスンで梅田へ、最終回でもあり、今までの感想と今後の抱負などという話題で、私の番のときに、概ね以下のようにコメントする、ウォークと言うのは重ねがさね、パラドックスの世界だと思う、前に進むのに、胸を張るのではなく、背中を意識する、前に進むのに、腕を前に振るのでなく、後ろに振る、前に進むのに、足を前に出すのでなく、後ろに出す、ところで、最近見た記事から、「欧米ではエレーベーターの閉のボタンを押さない」で、欧米が待つ文化に対して、日本は待たない、いや待てない文化だ、(と指摘)これは何か日本人は大切なものを失っているのではないかと、そして考えるに、ウォークの前進のパラドックスと、エレベーターの閉のボタンを押さない(待つ文化)とは似かよったところがある、共に、意識して前に出ようとしない、ところで似ている、共に、間を置いて、一瞬の時間を味方にしている、そして何故か、人にはこれが心地よいし、何よりもカッコイイ、このようなメンタリティー、即ち一歩引くなり、前に出る前に間を置くメンタリティーを醸成する意味でもポスチャーウォークは絶対欠かせないじゃないか、と話したところで、KIMIKO先生、 「さすがー!」と一言、(すごく、うれしそうだった)そして皆さんも、スゴーーク納得してくれた、(これはウォークの教室でしか、キッとうけない話だったと思う)で、KIMIKOさんに「あと、今後の抱負はドーすんの」と聞かれ、例の成毛真氏の記事から、目標は立てない事を説明、彼と同じく、廻りの環境、人、時流、に自分が合わせられるようになることを目標とする、 といったところで、KIMIKO さん、「ヤッパ、男の人って発想が違うわね、今日は随分参考になっちゃったわ」と、しかし私的に、何よりうれしかったのは、話しの内容以上に、上記のしゃべった言葉がほぼすべてその場で浮かんできた言葉だったことだ、まさに私の目標の瞬間対応ができていたのだった、(瞬間反射人間、今を生きることのススメ、 人生の目標)
2007年09月23日
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ここ2-3日はボタンを押さない日が続いている、イヤ、何の話かと言えば例のエレベーターの閉のボタンの件だ、うちのアパートのエレベーターなんだがね、結論から言うと、カッコいい、の一言に尽きる、そう、カッコいいのだ、(もちろん一人で乗るときに限るのだが、)なんと言うか、余裕ができる、せかせかしない自分がそこにいる、というだけでもう大満足、(エレベーターの窓に映る自分の姿にうっとりなのだ!?)なんでもっと早く気が付かなかったんだろうか、急がない自分がこんなにもカッコいいなんて、こりゃクセになりそうな予感が、
2007年09月21日
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ハッと考えてしまった、天声人語 2007年09月17日(月曜日) 抜粋米国勤務から戻って間もないころ、エレベーターの中で舌打ちされたことがある。乗って行き先のボタンを押し、そのまま立っていた。すると、若い背広姿が「チェッ」と言いながら、脇から腕をぐいと伸ばして扉を閉じるボタンを押した。米国では、ボタンを押さずに扉が閉まるのを待つ。それに慣れていたのだが、ここは日本でした。人が降りたときも、誰かがすぐさま「閉」を押す。「時間の無駄」と言わんばかり。待っても2、3秒だろうに、どうもせっかちである。"ここは日本でした"、これは重い言葉だ、ひょっとしたら、日本中が病気にかかっている可能性がある、病名はタイミング喪失症、実はいまだに私はエレベーターで、閉のボタンを押す、ウォークを始めて以来、徐々に時間を味わうようにはなってきていて、スピードを気にせず、ユックリユックリ歩くようになってはいるが、根本のせっかちは治っていない、例の「求めない」は、スピードを求めない、にも通じるはずだ、結局、自分で時(タイミング)をコントロールしようとしているようだ、それが、どれだけ自分の人生をぶち壊しているかも知らないで、物事には適切な時(タイミング)がある、その時にあわせられたらどれだけ幸せかと思う、エレベーターひとつにだって、定まった閉まるタイミングがあるのだ、まずはエレベーターの閉のボタンを押さないことから訓練してみようと思う、
2007年09月17日
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先日の続)ココロの自由度のフォロー、これが目下の最大関心事なんで、昨日はNK225、 ¥16120まで上げてのPKO的な相場、さっそく、売りポジを喜びいさんで作ったわけだが、なんとなく不安になってくる、今現在、マイナスで引けているのだ、いくら、地合いは悪いと言え、わけワカラン相場だ、どこで上げてくるか、一瞬先は闇の世界、相場が終わっても、イヤー、大丈夫かなー、一抹の不安がーー、この不安を抱えて、昨日夕方、ウォークに出かけた、そしてそこでココロの自由度の記事を思い出す、そうだ、目下の最優先事項は、ココロをいかに自由に、ガラガラにしておくか、だったな、で、ドーしたか、不安がるのではなく、歩きながら損失を計算し始めた、16300で、損失はいくら、ヨシ、 16500で いくら、ヨシ、あいまいにしておくから不安に付け込まれるのだ、具体的に損失を決めて、その損失について覚悟を決めると、もう不安は来ない、*ココで、儲けを計算するのはお門違い、 儲けはもらい物の世界だ、 人の領域はやはり、損失の覚悟だけだろう、そしてこれでまた、いつものウォークに、 さて、今朝のNK225シカゴは16130での引け、ほぼ変わらず、ゴールドマンサックスの旗艦HF、Global Alpha、8月は-22%の下げ、過去最悪を記録、 *投資家は8月に、同ファンドから16億ドル(約1830億円)を引き揚げる意向を通知した。同額は7月31日時点の運用資産のほぼ20%に相当する。 ( <--この手の解約が今後、他のHFにも見られるようになると市場はチョっと怖くなる、 英語でこれをdomino effectと言う)イギリスの住宅バブルは米国に負けず劣らずで、ビクトリア・モーゲージ社が9/10行政管理下に入ったのに続き、住宅金融大手ノーザン・ロックも、昨日、英中銀の緊急融資を受けた、 例の英バークレイズ、資金繰りがつかず、先月決まっていたオランダアムロ銀行の買収断念も、次週も引き続き売りポジ継続で、
2007年09月15日
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ヨメさんに例の本「求めない」を、紹介したら、ヨメ)「ああ、これね、出口でしょう」私)「えっ、出口?」ヨメ)「そう、人はやっぱり最初、入り口で求めるのよ、そして最終的に出口で求めなくなるのよ、」私)「ナルホド」ヨメさんの感覚だと、ドーモ「求めない」とは最終形であるらしい、だからいきなり「求めない」を持ってきても、受け入れられる人と、受け入れられない人がいるわけだ、ウウーン、人にはそれぞれの成長のプロセスがあるわけで、やはりいきなり最終形はチョッと乱暴だったかなーー、と反省と共に納得してしまいました、ではチョッと、今日のウォークへ、
2007年09月14日
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今朝の朝刊の広告で見たんだが、求めない: 加島 祥造 著人生を豊かにする「求めない」で始まる詩集「求めない--すると、本当に必要なものが見えてくる」「求めない--すると自由になる」詩人、アメリカ文学者であり墨彩画家、そして近年は「老子」を現代語に翻訳して大きな支持を得ている加島祥造氏が日々書きとめてきた、すべてが「求めない」で始まることば。「何かが欲しい、手に入れたい、誰かのようになりたい、誰かにこうしてもらいたい」--人は誰でも求めます。まったく求めないでいることは難しいけれど、信州・伊那谷の自然になかでくらす83歳の著者は、「ほんの3分でいい、求めないでごらん。不思議なことが起こるから」 と語りかけます。「求める」ことに追い立てられ、強いられる時代に生きる私たちが、心平安に、幸せに生きるための知恵が詰まった珠玉の詩集です。 これだよ、これ、昨日言っていた、自由なココロ、ガラガラのココロ、この雰囲気とそっくりだ、著者は「求めない」から入っているが、私は「自分の馬鹿さ加減の放棄」から入った、マッ、似たようなもんだ、この状態はココロのみならず、生き方自体が極めて安定する、私なんか、こうなることを目下の人生の目標にしているぐらいだ、お勧めです、 (特にNK225先物やる方はMust!)まずは、3分間の「求めない」の体験から、
2007年09月13日
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今日のウォークから、最近の屋外は極めて気持ちがいい、特に日が陰った4時以降は暑くもなく、気温も丁度良くて、ひらめき全開モードとなる、今日はまさに、その全開モードに近かった、前回、ココロの自由度で、「ココロの自由度が、そのままパフォーマンスにつながる」と書いたが、それの駄目押しが来た、もう一歩進めて、「ガラガラのココロだと、何やってもうまくいく」と言う思いだ、(*ガラガラって、ガラガラに空いているのガラガラね、)もうこれに尽きる、例えば、今日のNK225、売りポジを作るときというのは、やはり緊張感があってどうしても迷いがあるわけなのだが、でも、ココロがガラガラの時、自由の時は迷わない、それは、ココロが(NK225が上げても下げても)どちらにでも対応できる状態になっている、と言ったらいいだろうか、だから、PKOで16000円を抜いてきたときは迷わず売れた、こういう状態の時は何をしてもいい、まるで、信号器の青信号みたいだ、それで、今日のNK225に関しての反省といえば、モット売れよ、だったりする、普段、あまりにも警戒心が強すぎて少ししか売らない、というか、売れない、「今だ、撃て!」の声がかかっているにも関わらず、少ししか売れなかった、(マッ、それはいい、今後の反省ということで、)そんなことよりも、今日のこの開放感はなんだったのか、ウォーク中、ズット、カラダが浮いていたぞ、もう何をしようか、何をすべきか迷う必要がなかったからだと思う、唯一の関心事は、ココロがガラガラか否か、だけだったのだ、
2007年09月12日
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以前、こんな疑問を呈した、(最悪を思えるとき、思えないとき、)「最悪の状況が思えるときは、意外と結果は悪くなく、逆に最悪が思えないときは、結果が思わしくないのは何故か、」 で答えらしきものが来た、ココロの中に水が豊かにあるときは、自由に様々なイメージが泳ぎまわる、 (それはよいイメージ、悪いイメージどちらもである、)こんなときは、自分に覚悟ができている、 何でも来いだ、臨機応変に対応しまっせ、の世界ねそして何故か、往々にして、よい結果が多い、逆に、ココロの中が凍っている時は、イメージが自由に泳げない、もう自分の思いしかない、他のイメージが入ってくる余地はマッタクない、(例)「日経は上がるかな」、「上がれ、上がれ」これはココロが凍りついている、 固執の世界ね、臨機応変の対応度"0"だ、よって、そのイメージが良くても、悪くても、 ココロで あらゆるイメージを自由に泳がすことができるか、これが試金石ではないか、結局、ココロの自由度が、そのままパフォーマンスにつながると言うこと、これだな、上の答えは、で、思ったんだが、ココロの自由度、 これってユルの世界だよナ、ココロをユルめとくって言うのは、ココロを開放しておくことでもある、また、固執しないとは、結果にこだわらないことでもある、何だかんだ言って、結局ここらへんに落ち着きそうな感じだな、まず、ココロを自由にしておこう、と言うところで、ケセラ、セラの世界ダナ、(追記)で早速だが、ココロの自由度をチェックしてみよう、明日、朝起きてNYの株価をチェックする時、「上がっていろよ」と思って見るか、「どっちでもいいよ」で見るか、いかが? (意外とココロの訓練に使えるかしれないね、)
2007年09月06日
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今日の夕日はチョっとドラマチックだった、それまでずっと雲に隠れていた夕日は、六甲山系に沈む3分前、いきなり現れた、(6時前後だったな)ハーバーでアベックが、「オッ、すげー、写真ミテージャン!」なんて感動していたほどだからヤッパ世間の人から見ても今日の夕日はすごかったわけだ、まさに散り際の美しさだった、ところが、美しさはそれで終わらない、イヤむしろ、日が沈んでからの景色の方が秀逸だった、夕焼けはもとより、澄んだ空気が運ぶ夕日の残影は廻りの海やら空を絵画チックに描き直してくれる、まるで色合が違うのだ、ウウーン、チョっと感動、で、歩きながら思わず帽子を取って、天に感謝してしまった、その間、3-4秒、これ以上はできなかった、そしてこれ以下もできなかった、そのとき、感謝にはそれを現す適切な時間の長さがある、と感じた、これ以上すれば、冗長になり、白々しい、これ以下だと、現し切れない、そんなの関係ねーよ、と言う声が聞こえてきそうだが、イヤ、ある、感謝には適切な長さがある、
2007年09月06日
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大紀元サイトから、 自殺防止の特効薬【大紀元日本8月25日】教授を定年退職した彼は、年老いた妻と悠々自適な生活を送っていた。早朝は一緒に山に登り、軽い運動をする。午後は、彼はベランダの花や観葉植物の手入れをしたり、雑誌を読んだりし、妻は友人とコーヒータイムを楽しむ。一人娘は米国に移住している。半月前のある晩、彼は妻を起こそうとしたが、すでに息が絶えていた。多くの親戚や友人は、「お悔やみ申し上げます。どうぞ、お体を大事に」と声をかけてくれた。彼は、「どうもありがとう。私のことは心配しなくてもいい」と言葉を返し、取り乱すことなく、学者の風貌を存分に表した。しかし、陰では、彼は用意周到に準備を始めていた。花や観葉植物は隣人にあげた。借りた書籍は全部郵送で返した。法律事務所を訪れ、遺言書を作った。すべてが準備完了。月光が薄っすらと書斎を照らす満月の夜、彼はデスクに向かい、最後の言葉を書いた。目の前には、薬の瓶が置いてある。妻の微笑みが目に浮かんだ。瓶の蓋を開けようと、手を伸ばしたそのとき、電話のベルが鳴った。受話器の向こうから、聴き慣れた声が聞こえてきた。「お父さん、私今、啓徳空港にいるの。お父さんのそばにいたくて...」という娘からの電話だった。彼は一瞬にして目が覚めた。ここまで話終えると、教授はお茶を一口飲み、ゆっくりと言葉を発した。「自殺を防ぐ最も有効なものは、学歴でも教養でもなく、医者の心理療法でも豊かな財産でもない。それはとても単純なもので、いわば愛されていると感じることだ」。 (翻訳・叶子)金融機関にも送りたい言葉です、孤独(信用収縮)は人(会社、国)を死へいざない、愛情(信用創造)は人(会社、国)を生かしめる、アト、こんなのも、最後の希望、そう、Only you、 あなたしかいないのだ、来るべき破綻を救うのはーー、
2007年08月25日
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さっき、プールから歩いて帰ってくるとき、こんな疑問が来た、(自転車ではまずこの手の疑問は来ないだろうナ)「最悪の状況が思えるときは、意外と結果は悪くなく、逆に最悪が思えないときは結果が思わしくないのは何故か、」 コレはイロイロな場面で当てはまる、勝負ゴト、スポーツ、発表会、トレード、などなど、特に今、トレードで、危機感を持ってやるときと、イケイケドンドンでやるときでは、面白いように結果が明白となる、コレは何故か、さて、この答えを今、待っている、答えが来たらまた紹介しよう、
2007年08月21日
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真夏のウォークは真夜中に限る、さっきハーバーまでウォークしてきた、実に心地よい、昼の暑さがうそのようだった、今夜は何を考えてたかというと、ひたすら筋肉を使わないで歩くと言うこと、これは高岡さんの究極の身体にもあった、ようは骨に乗って歩くと言うことだ、でそれが出来てしまった感じの今夜、軽い軽い、ホイホイと言う感じのウォークだった、感動はそれだけではない、(重なるときは重なるものだが、)例の未公開株の社長さんの部屋、今日は珍しく帰宅しているらしく明かりが遠くから見えた、しかし見えたのは明かりだけではなかった、彼の部屋は最上階なのだが、ナント、上空から光の十字架が部屋に差込んでいるのを感じた、そして何よりも、私の心からついに自然に感謝が出てきた、これは西宮に引っ越してきてはじめての経験だ、憎らしく思うことはあっても、また強制的に感謝することはあっても、自然に感謝が出たことは一度もなかった、何の感謝かというと、こういう状況(詐欺)にあっても心が平穏でいられるほどまでに成長させてもらって、の感謝だった、(ヒェー!!)確かにこの一週間は、ことあるごとに例の「御国が来ますように」を祈っていて、個人的にはあの社長に御国が来るものとばっかり思っていたが、来たのは私の心にだった、という感じ、まっ、これからドーなるかよくわからんが、ヒョットスルト、アノ社長にも平安が来てしまうかもしれないし、なんせ今夜はNYもついに13000を割り込んだくらいだからナ、世の中、NK225、頻発地震、バカ暑さ、サブプライム問題、そして私の心も含め、激しく動いているのは確かなようだ、
2007年08月15日
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朝方、散歩してたら棟の管理人さんがゴミの日なので、たくさんのゴミ袋の整理をしていた、アア、大変だな、と思いながら通り過ぎたところで、フト、高岡さんの本 「人生、ゆるむが勝ち」 のトイレ掃除のクダリを思い出した、 いわく、「私は毎日トイレ掃除をしています、トイレ掃除はみないやがりますが、あの狭い中、カラダをクネクネさせ、力加減を考えてペーパーで便器内をサッと拭く、 これは結構高度な動作なのです、 ゴルフやテニスに勝るとも劣らない動作です、」トイレ掃除を、高度なスポーツ、動作に見立ててしまう視点はナカナカである、そしてこれは肝だと思った、今朝のゴミ集積場の整理は、見た目、大変だがこれは気持ちの持ちようだ、視点を変えればいくらでも変わりそうだ、しかし、これをスポーツや他のモノに見立てられるだろうか、何より自分の先入観がそれを許さない、で、思った、 ここでも ユルユルの心が求められていると、さて、自分の廻りで先入観でイヤイヤやっていることはないだろうか、チョットこれから、ウォークしながら考えてみようか、そしてできれば帰ってきて、即実行だな、この手のものは経験上、論より証拠だからね、(追記)さっき夕方のウォークに行ったが、夕方とは思えぬ日差しの強さ、先日の日射病の2の舞になるところだった、危ない危ない、
2007年08月10日
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今朝の日経から、ハイファイはhighfidelityの略で高忠実度と訳す(春秋)2007/07/26, 日本経済新聞 朝刊, ハイファイはhigh fidelityの略で高忠実度と訳す。 イヌのニッパーが蓄音機に耳を傾ける、日本ビクターのマークは「録音なのに、亡きマスター(飼い主)が話していると忠犬が思いこむほどの高忠実度を実現した『最高の技術と品質』」を象徴するそうだ。▼そのニッパーが、気のせいか寂しげに見える。三期連続で最終赤字になり「経営改革が急務」と認める日本ビクターが、だいぶ規模が小さくやはり再建途上にあるケンウッドと経営統合して生き残りを目指す道を選んだ。半世紀前からの親会社松下電器産業に"見放された"格好である。▼昨日の本紙朝刊最終版の一面は業界再編の報道が集まった。ビクターとケンウッドの話、東芝など三社によるシステムLSIの開発統合、伊勢丹と三越の資本提携に向けた動き--三本並んだニュースは、相手にする市場が国内であれ世界であれ、単独で競争に立ち向かえる企業が少ない日本の現実を示している。▼ニッパーが聴く「マスターの声」のマスターには飼い主のほか支配者や師匠の意味もある。電機でも小売りでも、闘いに勝ち抜くには、市場のマスターの消費者が何を求めるかをつかみ、製品やサービスに実現させる能力が要る。マスターの声を聴きそれへの忠実度を高めること。ビクターのマークは示唆に富む。 英語で見てみると、high fidelity, or hi-fi, generally means high audio quality. In essence, in reference to signals like sound , it is where the input signal is equal with the output signal. This highlights a system or circuit with minimal or no distortion. (ハイファイとは高音質のこと、端的に言えば入りの信号と出の信号に差がないこととなる、即ち、ひずみを生じないシステムに焦点が当てられてくる、)記事の内容はビクターへの憂いなのだが、それはさておき、今朝、コレを見て、犬の前の蓄音機を自分に見立て、私というシステムに当てはめてみた、ハイファイな私になるにはーー?、緊張していてはとてもムリだ、やっぱ、いつもリラックスが肝要かと、
2007年07月26日
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たとえば、自分が「真理を発見した」、うれしくてしょうがない、そして、それを人に伝えようと猛烈に燃えてきた、こんなときどーします、(別に真理でなくても何でもイイんだけど)歯を磨くと、歯が磨かれるが違うように、相手に伝える、と伝わるは似て非なるものを承知している人はOKです、問題は、伝える=伝わる、と思っている人、磨く=磨かれる、と思っている人、伝達の理論では有名なチャールズクラフト博士は、「真理でも何でも伝えようと思うなら、まずあなたが嫌われていないことだよ」と、コレはアメリカのロサンゼルスの福音派の神学校で牧師の玉子、血気盛んな宣教師に向かって言った言葉だそうで、彼らは「神がいらっしゃる、聖書は真理の言葉だ、コレは私が伝えていかねばならない」、と堅く信じて疑わない、で、神学校の生徒さんたちには伝えれば伝わると思っている方が結構多いんですな、 なぜなら、「コレは真理だから、ーー」クラフト氏は彼らに冷や水をかけるわけね、人はまず、その人を見る、言っている内容なんて2の次、3の次ってこと、たとえ、神の言葉だろうが、真理だろうが、逆に、人柄が好かれれば、極端な話、”うそ”でも受入れられる、ということになる、そう、クラフト氏はコレを言いたかったわけだ、で、なぜこんな話題になったかと言うと、さっきメルマガが届いた、投資教室を開催している人で、昨年海外でインナー体験した人なんだけど、かいつまむとこんな感じ、「あなたは投資で何を手に入れるのでしょう? それは真実です。実はこのDVD(本人のトーク)、証券会社、FXの会社、商品先物の会社400社余りの会社の社長宛に送るつもりでいます。」彼の気持ちは(過去の自分を思い出しても)、わからないでもないんだが、 やはり、気になるわけだ、知人あてぐらいならまだいいが、コレが400社となるとーー、ぜひ、リスク管理のセンスを働かせてほしいところだ、(追記)私が直接言うべきかは、チョット迷っている、コレは彼との人間関係になってくる、まさに、クラフト博士の言葉がそのままあてはまる、私のコメント以前に私が彼から見られるからだ、
2007年07月21日
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稲田さん今日のメルマガより、TV「余命1ヶ月の花嫁」を観て 2007-07-19 そんな結婚式が終わったあと、「次はなにをしたい?」と聞かれた千恵さんがつぶやいたそのさり気ない言葉がとても印象的でした。 「そうね、やっぱり家に帰りたいな。 外の空気は気持ちがいいよ。 風って、気持ちいいんだよ。知ってる?」鼻に酸素の管を通した痛々しい千恵さんの言葉です。千恵さんは、ずっと病院の中で「現代医療」を受けていたのです。 「ゆっくりとくつろげる家に帰りたい」 「気持ちの良い戸外で、気持ちの良い風を感じていたい」とてもシンプルな願いです。上記はガン患者である千恵さんとのやり取りの一場面なのだが、ま、現代ガン医療の矛盾はチョッと置いておいて、 着目したいのは彼女の風に対する感性だ、普段、フツーに感じているこの風、この爽快さ、気持ちよさはたとえようがないんだが、いかんせん、忘れちゃう、改めて、味わいなおしたい、ダテに吹いているわけではないのだな、と、
2007年07月19日
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今日のウォーク、ゆっくりゆっくり、だった、そして、初めから、浮かんできた言葉がコレ、時間とは味わうものである、例のモモの読書感想の引用箇所である、普段でも結構ユックリ目なのだが、今日は一段とユックリで、おじいさん、おばあさんがドンドン私を抜いていくほどだった、不思議に、この「味わうもの」と言う感覚を持つと、見方が変わってくる、夕陽、海面のさざなみ、海風、六甲山系、いつもと一味違う景色がそこにあった、で、ただちに会話が始まった、それはそれは楽しい会話だ、相手は今自分が目にするもの、思いつくものすべてである、飽きない、次々に出てくる、何か随分、今まで宝物を見過ごしてきたのでは、と、スゴイ、損をしてきたのでは、と、思われた、そして時間とはまるでスルメのようでもあるな、と言う思いも来た、今まで時間をそのまま飲み込んでいた、本当はスゴイご馳走なのに、じっくりユックリかめばかむほど、 味わいがでてくる、そんなご馳走をファストフードよろしく飲み込んでいたなんて、時間には味がある、サラリーマン時代には考えも及ばない、まさにノーベル賞ものの発見だった、
2007年07月05日
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