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東京六大学リーグ 法政大ー早稲田大2回戦は、前日に続き法政が連勝し、勝ち点1を挙げた。先発・鈴木昭汰(3年、常総学院)から朝山広憲(4年、作新学院)、新井悠太朗(4年、折尾愛真)、そして三浦銀二(2年、福岡大大濠)とつないでの勝利。新井と三浦の「福岡コンビ」で締めるリレーは前日とまったく同じ。法政の新たな”勝利の方程式”と呼べるかもしれない。 これほど安定した投手陣を見るのは久しぶりだが、法政関係者にとっては”春の珍事”、いや、”秋の珍事”にならないことを祈るばかりだろう。 敗れた早稲田は2試合連続の完封負け。開幕カードの2試合零封負けは81年春、東大戦以来38年ぶりだ。小宮山悟監督は「好機をものにできない。選手がどれだけ優位な気持ちで立てるか」と心理面を課題に挙げた。今季開幕前、小宮山監督は開幕カードの法政戦と次の明治戦を重要視してきただけに、さすがにショックは大きいはず。「次やられたら終わってしまう。策を練らないと」と立て直しを誓った。 さて、WEBサイト『大学スポーツ 4years』には、小宮山監督の今季開幕前のインタビュー記事が掲載されていて、その中にはボクの興味を引くコメントがあった。それは、今春早慶戦1戦目にあった瀧澤虎太朗(3年、山梨学院)のホームスチールのこと。 コメントを紹介する前に、このホームスチールのあった場面について触れたい。4回表、1点差を追う早稲田の一死二・三塁の好機の場面だった。三塁走者はその瀧澤、左打席には4番・加藤雅樹(4年、早実)。カウント2-2。慶應の左腕・高橋佑樹(4年、川越東)は捕手からの返球を受け、5球目の投球動作に入る直前、ほんのちょっとの間隙を縫って瀧澤がスタート、そして頭から滑り込んでホームスチールに成功した。意表を突かれた高橋は捕手に送球できないほどの完璧な走塁だった。 小宮山監督は感心しきりで、こんな話をした。「瀧澤はここ数年の高橋のVTRを見て研究し、癖を見抜いていていた。試合前『自分(瀧澤)がもし三塁まで行くことが合ったら、ホームスチールを狙っていいですか?』と聞いてきた。少し考えたが、もし成功すればインパクトが大きいことを考慮してゴーサインを出した」と。続けて「瀧澤はこれまでたまに代打で出るほどの選手だが、ずっと映像で高橋の癖を探し見つけていた。そこに価値があるわけです」と。 ボクはこのコメントを聞き、今から90年ほど前にあった、今回と同じ「早慶戦のホームスチール」を思い出した。この時も三塁走者のホームスチールが見事に決まったものの、学生野球の父と呼ばれ、早稲田OBでもある飛田穂洲氏は痛烈に非難した。 それは昭和6年春の早慶戦2回戦、7回早稲田の攻撃。一死満塁の場面。三塁走者・三原脩、左打席に弘世正万、そして対する投手は慶應・水原茂。ホームスチールを決めチームは歓喜に湧いたものの、飛田氏はその夜に早稲田合宿所を訪ね、「まったく定石外れの暴挙である。打者が右であればよいが、左打者では捕手から丸見えであり、偶然成功したに過ぎない。もし失敗したら、その軽挙は早大を深淵の底に叩き込んでいただろう」と三原を厳しく叱責したという。 定石を重視した飛田氏と、定石ではなく自身の感性(センス)を大事にした三原では、各々の主張は永遠に平行線を辿るに違いないが、飛田氏が瀧澤のプレーを見ていたら何と言ったのか? 少し興味が湧いた。(写真)三原のホームスチール。~『早慶戦110年史』(ベースボール・マガジン社)より~【東京六大学野球】大学応援メッシュキャップ(早稲田)【MIZUNO】ミズノ野球 イベントグッズ 東京六大学野球グッズ(12JRBW0202)*11ミズノ(MIZUNO) 東京六大学野球 大学応援Tシャツ 早稲田 12JRTW0302 L (Men's)
2019.09.16
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きょう開幕した東京六大学リーグ 法政大ー早稲田大1回戦は、法政大が小刻みに投手を継投し、最少得点のまま逃げ切った。 法政の先発は、高田孝一(3年、平塚学園)だった。初回、2つの三振を奪うなど三者凡退で乗り切ると、5回まで危なげないピッチングで早稲田打線を零封した(被安打2、与四死球1)。6回以降は1イニングごとに投手が入れ代わった。6回=石川達也(3年、横浜)、7回=柏野智也(3年、広陵)、8回=新井悠太朗(4年、折尾愛真【写真中】)、そして9回にいよいよ三浦銀二(2年、福岡大大濠)が登板し、4回に相馬優人(4年、健大高崎【写真下】)の適時打で得点した”虎の子”の1点を守り切った。 特に目立ったのは8回に登板した新井だ。代打・吉澤一翔を内野ゴロに打ち取ると、続く2番・中川卓也、3番・福岡高輝を連続三振に仕留めた。春の実績そのままに気合も十分、今季欠かせないキーマンになりそうだ。 一方の早稲田は、先発・早川隆久、リリーフ・今西拓弥ともに好投するも、6回に一死一・二塁の場面で4番・加藤雅樹が併殺打に倒れたシーンが悔やまれる。 ミズノ(MIZUNO) 東京六大学野球 大学応援Tシャツ 法政 12JRTW0305 L (Men's)ミズノ(MIZUNO)【東京六大学野球】大学応援メッシュキャップ(法政大学) 帽子 (19aw) ネイビー オレンジ ホワイト12JRBW0205【SS1909-50】
2019.09.14
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今日は2次リーグ最終戦の対豪州戦があり、スコア1-4で逆転負けしました。1次リーグでの直接対決の結果が持ち越されるため、日本は2勝3敗で5位が確定。決勝は米国対台湾、3位決定戦は韓国対豪州。今大会、日本は本気で初優勝を狙っていたはずで、ボクは予約録画してほぼ全試合を見ました。どの試合も好ゲームで、優勝してもおかしくなかった。でも、結果として5位になってしまった・・・そんな印象が残ります。あとは、やとらと雨が多かったなぁ、と(笑)デイリースポーツは「選手選考の難しさ露呈」と書きました。曰く、「投手主体の選考で野手陣は外野手が2人だけ。本職が遊撃手の選手が6人。投手で選考した西、宮城が野手兼任で奮闘した。複数ポジションで守ることを優先した格好だが、大会を通じて日本の持ち味である守備力を発揮できず、8試合で9失策。痛い連敗となった韓国戦、豪州戦でも失策が失点に絡んだ。一塁手や外野手の記録に現れないミスが目立った」。豪州戦終了後、永田裕治監督のインタビューでは、勝たなければいけない試合でしたが、いかがでしたか?と問われ、「はい、本当に申し訳ないです、はい」と悔しさをにじませました。そして、ーーー苦しい戦いになりましたが、この大会を通じて、どんなことを感じましたか?永田 「あ、いや、まだもう1試合残っていますので・・・残っていますよね?」ーーー今日の結果、3位決定戦にも進めなくなりました。(つまり、もう試合は残っていない!)永田 (驚いた様子で)「まぁー、あのー、ほんとに申し訳ないの一言です」。ーーー全試合が終わり、選手たちにはどんな言をかけたいと思いますか?永田 「選手たちはよく頑張ってくれましたんで。はい」永田監督は選手をかばい、自らの采配の責任を感じているようでした。また、5位が確定したにもかかわらず、まだ次の試合(3位決定戦)があると思い込んでいた様子から、日本代表チームの混乱ぶりや落胆ぶりもうかがえました。ボクは、勝敗には必ず分岐点があると思っていますが、この大会を通じて、日本代表の優勝と5位を分ける分岐点はどこだったか? そのことを考えてみました。もし、永田監督の言葉どおり監督の采配にミスがあったとすれば、それは、スーパーラウンド第2戦の対韓国戦、延長10回裏の投手起用にあったように思えて仕方がありません。日本 000 000 200 2 =4韓国 000 000 020 3X = 5その延長10回裏、タイブレークとなって2点をリードした日本代表は、この回から近江の林優樹(近江)をマウンドに送ります。10回表が終了した直後、テレビカメラはブルペンの林の様子を捕らえましたが、画面を通しても顔面蒼白であることが分かりました。タイブレーク(無死一・二塁からスタート)の厳しい戦いには、心細い印象を受けました。案の定、バント処理をミスして一塁へ悪送球(1失点)、さらに次打者に四球を献上。流れが完全に韓国に傾きました。ボクは永田監督はもちろん、林投手を責めたいのでもありません。彼の甲子園での活躍ぶりや実力は十分に知っているつもりです。ただ、勝負には個人の力では抗うことのできない、その時々の”アヤ”というものがあって、本大会を通じての”アヤ”は、この投手起用だったのかな、と。とまれ、今回の日本代表は好ゲームが続き、選手たちのひとつひとつのプレーは、あらためて野球の面白さを教えてくれました。監督、コーチ、選手の皆さん、ありがとうございました。(写真1)豪州戦終了後のインタビュー。敗軍の将は兵を語らず。~BS朝日より(以下も同じ)。(写真2)対韓国戦。9回裏二死一・二塁のサヨナラのピンチの場面、左翼線に安打を放たれる。だれもがここで日本の敗戦を覚悟した。が、レフト・西純矢(創志学園)が捕球後に素早く捕手へ送球、間一髪のアウトに刺すスーパープレー。(写真3)写真2の続き。間一髪のアウト。捕手・水上桂(明石商)。今大会、もっとも印象に残ったプレー。
2019.09.08
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8月13日、敦賀気比の杉田翔太郎は、対國學院久我山戦でサイクル安打を達成した。初回に右前安打、2回に左翼線二塁打、5回に右中間三塁打、そして9回に右中間へ2点本塁打を放った。大会史上6人目。(写真)この試合の6打席目、本塁打を放ち、サイクル安打記録を達成する。(NHKより。下も同じ)過去のサイクル安打達成者は、以下のとおり。1)1949年 杉山真治郎(平安) 対盛岡中2)1975年 玉川寿(土佐) 対桂3)1991年 沢村通(大阪桐蔭) 対秋田4)1998年 藤本敏也(明徳義塾) 対横浜5)2004年 林祐也(駒大苫小牧) 対横浜 甲子園のサイクル安打ーーー、ボクが真っ先に思い出すのは、土佐の玉川寿。全力疾走、真っ白を基調にしたユニフォーム。爽やかな旋風を甲子園に巻き起こした土佐、その主役となったのが2年生ながら3番・センターの玉川でした。2回戦の対桂(京都)戦、3回に右中間へ本塁打、5回に右中間へ三塁打、7回に左中間へ二塁打、そして8回に一塁強襲の安打を放ちサイクル安打を達成。それは旧来の野球ファンを唸らせただけでなく、女子高生らのアイドル的な存在にもなりました。 そして玉川は土佐高を卒業後、慶應義塾大に進学。さっそく1年春に神宮デビューすると、初安打は”怪物江川”から放つ大物ぶりを見せ、同年秋には、江川卓(法政)、山倉和博(早稲田)、岡田彰布(早稲田)らとともに東京六大学のベストナインに選出されました。その後、日本石油に入社し都市対抗で活躍しました。 最後に、サイクル安打第1号を達成した杉山真治郎のことを。杉山は、平安を卒業後、日本大を経て1954年、”永田ラッパ”こと永田雅一がオーナーの大映スターズに入団。プロ野球は2リーグ分裂後の黎明期。球団名は目まぐるしく変わる時代。杉山は主に二塁手として出場するも、現役期間は意外に短く56年までの3年間にとどまった。出場試合数98、生涯打率.206。 ちなみに杉山が引退した翌年、大映スターズは経営不振の高橋ユニオンズを吸収合併し、大映ユニオンズに。そして杉山の跡を継ぐ格好でチームの二塁手になったのは、前年慶應義塾大から高橋ユニオンズに入団、大活躍していた現・野球評論家の佐々木信也でした。 (敬称略)【新品】【本】東京スタジアムがあった 永田雅一、オリオンズの夢 澤宮優/著最弱球団 高橋ユニオンズ青春記 / 長谷川晶一 【文庫】
2019.09.01
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