WBC日本代表の 山田久志
投手コーチ(60)が5日、代表候補選手へ
「身だしなみ指導」を行う方針を明かした。流行しているネックレス、ブレ
スレットなどが国際大会で、注意を受ける可能性があると説明。
「そういうもので(注意され)神経を使うのは、どうかなと思う」
とし、16日スタートの宮崎合宿で周知徹底を図る。
世界連覇のために「ドレスコード」が設定されそうだ。日米問わず選手が
愛用している、チタンが含まれているアイテム使用に黄信号がともった。
山田コーチが入手している規則、注意事項などが記された文書によると
「ネックレスがダメとか、細かいことで審判からクレームをつけられる」
ことがあるという。(日刊スポーツ)
ボクは「ドレスコード」にあまり興味はない。ストッキングはちゃんと伸ばした
方がいいとは思うけど。そして、この記事で興味を持ったのは山田久志
コーチのこと。最近の日刊ゲンダイは「原監督を差し置いての監督ヅラ」
とか、「イチローと師弟関係にあることがコーチ就任の理由」とか書いている。
真偽のほどはわからない。何がホントだろうとボクには関係ないこと。ただ、
「悲劇のヒーロー」
として阪急ブレーブス・山田久志の名前を思い出すだけだ。
1971年の日本シリーズ。セのチャンピオン・読売との第3戦で 王貞治
(現・ホークス会長)からサヨナラ3ランを打たれ、マウンドにしゃがみ込んだ
まま動けなかったシーンが、ボクにとって山田久志の名を記憶する象徴的な
出来事だった。wikipediaによると、その後に 西本幸雄
監督(当時)に抱き
かかえられながらベンチに戻ったらしい。(そこまでのことはボクの記憶には
なかったが・・・)
山田久志
通算成績。
登板試合数654、284勝166敗、登板回数3865回、奪三振2058、防御率3.18
阪急ブレーブスの黄金時代を支えたアンダースローの投手。
<能代高時代>
なかった」(wikipedia)らしい。いろいろ調べたが詳細はわからなかった。
山田が高校2年だったのはたぶん1965年。この年の秋田県優勝校は秋田高。
甲子園での戦績を調べたところ、この秋田高は準決勝まで進出したものの、
この大会で優勝した三池工高に3-4で惜敗していたことがわかった。この時の
三池工高、監督はWBC日本代表・ 原辰徳
監督の父・ 貢
氏だったのは、何かの
縁かもしれない(ちょいと強引かな?)。
※ちなみに、決勝戦で三池工高に敗れた銚子商高のエースは 木樽正明
(元・ロッテ)だった。
■チームメイト■
プロに進んだチームメイトはいなかった。
■秋田県内のライバル■
甲子園を目指して切磋琢磨したライバルを見つけることはできなかった。
同じ秋田出身の元・近鉄投手だった 村田辰美
(六郷高)は山田の4学年下。
また現・中日監督の 落合博満
(秋田工高)は、山田の5学年下だった。
■ 甲子園のライバル■
甲子園に出場していない。
■プロへの同期入団■
山田は1968年、阪急からドラフト1位で指名を受けて入団した。
この年の同期(ドラフト1位)たちはスゴかった。
中日: 星野仙一
(倉敷商高-明治大)
阪神: 田淵幸一
(法政一高-法政大)
広島: 山本浩二
(廿日市高-法政大)
東京(現・ロッテ): 有藤道世
(高知高-近畿大)
南海(現・ホークス): 富田勝
(興国高-法政大)
西鉄(現・西武): 東尾修
(箕島高)
※ちなみに同じ68年、山田と一緒に阪急に入団した主な選手たちにも大物がいた。
2位: 加藤秀司
(PL学園高-松下電器)
7位: 福本豊
(大鉄高-松下電器)
12位: 門田博光
(天理高-クラレ岡山)
但し入団を拒否し、翌年に南海へ入団した。
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