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わーーーい、やっと戻って来れました!長い間の冬眠生活・・・と書いてしまいましたが、本当はパソコンが壊れて(壊して)しまい、購入するまでずっとパソコンとは無縁の生活を送っておりましたのヨ。最初は妙な焦りみたいな感じがあったのですが、慣れとは恐ろしいもので、ヤレヤレと昔に戻ったような単純な暮らしを送っていましたとさ(^^;おかげさまで、本人はもとより家族全員、わんこもみんな元気に過ごしています。学校の夏休みに入ってからも多忙な娘と、心機一転、独立を果たした夫を横目にあいかわらずマイペースな私とわんこたちです。また”空白の4カ月”については追々記していきますので、また遊びにいらして下さいね。
2004年07月16日
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3月の半ばに入ってから、ずっとぽかぽか日和の日々が続いていたので、きっとこのまま一気に春を迎えることができるかなーと思いきや、突然の雪、それもかなりまとまった雪の世界に逆戻りしてしまった。ここNY市の近郊ではそれほどでもないが、郊外の方は大変らしい。早朝のニュースにて、各地区の学校で臨時休校や1、2時間遅れの開始が相次いでいた。残念ながら?NY市の公立校は平常通りである。唐突ですが、シャムロックを知っていますか?多分、クローバーと言えば誰でも知っているでしょうね。そう、この日はアイルランド人の聖なるお祭りの『セント・パトリック・デイ』でした。この日はアイルランド人にとっては本当に特別な日で、仕事や学校を休み、朝から教会に出かけ、そのあとマンハッタンで行われるパレードに参加する人たちもいるからなのである。(そして、翌日の朝までアイリッシュ・バーで飲み明かす酒豪家たちもいる!?)老若男女、シンボルカラーの緑の服を纏い、胸にはそのシャムロックのコサージュを飾っている。娘のバレエ学校でも、それはそれは大変な賑わいであった。年齢によるクラス分けで、それぞれレオタードの色が違う。ちなみに娘のクラスは赤である。(赤ちゃんクラス?)10~11才のクラスが緑なのだが、緑のリボンや花飾をアップした髪に付けたり、顔にも身体にもシャムロックの形のステッカーをペタペタ貼り付けている子がいた。まるで、自分たちのためのイベントだといわんばかりの懲りようであった。(毎年、そうらしい)本物のアイリッシュの子が1人いて、オフ・ショルダーのレオタードの大きく開いた背中にグリーンのグリラ-ペンで”Kiss me today!!! I am Irish."と大きく書かれてあった・・・どこから見ても目立っていた。マンハッタンへのアイルランド人の入植は、オランダ人、イタリア人に続いて早い時期であったが、当初はかなりの差別と迫害を受けて来た歴史があるということを聞いた。イギリス人とは違い、カソリックのキリスト教を信仰していたためである。当時はあまり良い条件の仕事に恵まれなかった彼らは、唯一平等な公務員として採用される者が多かったという。今でも、NY市の警察官や消防士はアイルランド人が多い。彼らの守護神、セント・パトリックを祭った大聖堂が本土のアイルランドと全く同じ姿でマンハッタンのドまん中にそそり立っている。五番街のパレードの人々は、皆、そこを目指しながら誇らし気に歩いている。超近代的なビルに挟まれた聖堂と同じく、緑のシャムロックと白い雪のコントラストが不思議な調和を醸し出していた。
2004年03月17日
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すっかりご無沙汰してしまいました。その間にもお立ち寄り、お書き込み下さった皆様、どうもありがとうございます!!!別に病気でもなく、普通に忙しい毎日を送っていただけなのですが、夫の仕事が変ったことにつられて私の生活時間も大きく変ってしまったので、なかなかページを開くこともままならなかったのです。(言い訳その1)その後に、またなぜか自分のページにログインできなくなってしまったのであります。(その2)という訳で、私の2月は空白になってしまいましたが、短い中でもいろんなことがあり、凝縮したひと月でした。娘のバレエ学校では、創立者のジョ-ジ・バランティンの生誕100周年を記念した行事の盛り沢山で、娘も『スリーピング・ビューティー』に出させてもらいました。ジョ-ジ・バランティンについて、ロシア出身でニューヨーク・シティーバレエで50年以上にも渡り独自のテクニックの指導をした偉大な振付家。代表作の『アポロ』『コッぺリア』『スワン・レイク』そして『ザ・ナットクラッカー』はあまりにも有名。奇しくも、日本の小津安次郎も今年生誕100周年ということで、同じリンカーンセンターの中で映画祭が行われていたようである。また、人気絵本作家のDr.Seussも今年100回めの誕生日を迎える?そうだ。誰でも知っている彼の代表作の『THE CAT IN THE HAT』は、最近、実写版の映画にもなった。これは娘がプリ・キンダーの時、初めて親しんだ本だった。言葉遣いが、詩のように音韻になっているのでリズムがある。日本語訳ではどうなっているんだろう?蛇足ながら、空白の2月に私も誕生日を迎えました。まだまだ100才への道のりは遠いですが(^^;
2004年03月11日
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天気予報通り、日没を過ぎた辺りから雪が降り始めた。さらさらと、音が聞こえそうなくらい大量のぼたん雪だ。前回降って固く氷りついたアイス・バーンを閉じ込めたまま、その上にきれいな粉雪が降り積もっていく。見た目にはとてもきれいなんだけどね~。明日の外出のドロドロを思えば、もううんざりって感じ。そう言えば、明日は娘のクラスはバス・トリップだっけ?このお天気で大丈夫なんだろうか???* * * * * * * * * * * * * * * * * * *前回、電車で財布を抜き取られてしまったことを書きましたが、その後の事後処理について書きます。何はさておき、すぐに警察へ、ということを経験者の友人からアドヴァイスされて、夜の11時を廻ってはいたのだが、最寄りの警察へ出向いた。最寄りと言っても、電車でふた駅の距離である。すぐ真横を高速道路が走る、騒々しい場所である。始めに受け付けらしき窓口で用件を告げるやいなや、”盗難届けの手続きは今やっていない”と言う。そんな~!24時間、事件や事故の処理に当るのが警察署の努めではないんかあ~?はやる気持ちを押さえつつ、それではいつの、何時に来たらよいのかを尋ね、がっくり肩を落として帰った。翌々日の月曜日、約束の午前11時に警察を再訪問。窓口には、前回とは違ったポリス=オヤジがいた。アポイントを告げると、ちょっと困った顔をした。あまり期待はしていなかったが、やはりこの調子。再度事件のあらましを話し、手続きを申し出ると、なんと、そのオヤジ曰く”それは警察の担当ではない、INS(出入国に関する役所)へ行け”と。どっちみち、グリーンカードの再申請をするのならINSに行くのだし、そのための警察の被害届けの書類は要らないと言うのが、オヤジの意見であった。ここでは私は一歩も譲らなかった。なぜなら、私は財布とそこに入っていた貴重品を何者かに盗まれたということで、私のIDを悪用される立場にあるということを、心底、恐れていたからである。なぜ、警察官ともあろう人が、そんな基本的なことに気付かないのだろうか?警察は犯罪の予防に対処する心得はないのだろうか?そもそも警察は、住民の安全な生活を守るためにあるのではなかったのか?さまざまな疑問が心に湧いて出て、もう止まらない。あーだ、こうだと押し問答を続けた揚げ句に、やっと係りの部署へ通してもらえたのは1時間後であった。そこでも、まるで私が犯罪者であるかのような尋問を受け、私が話す会話にしつこい程に"Execuse me?"をくり返す、こちらの方こそ地元訛りのおかしな英語にほとほと苦労して聞き取らせて頂いたのであった。娘の学校のお迎えの時間ぎりぎりまで係って、ようやく「盗難による被害届」を手にしたのであった。翌日、それを持ってINSのオフィスへ出向くことになる。この続きは、また明日。
2004年01月27日
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それは、私がフルーで寝込む数日前の出来事でした。土曜日の午後、慌ただしく日本補習校からバレエ学校へ移動して1時間半のレッスン後、帰宅する電車に乗っていました。あまりに日常的な行動の中だったので、まさか自分たちが、あんな災難に遭うとは想像だにしなかったのでした。バレエ学校があるリンカーンセンターからタイムズ・スクエアの駅で別の電車に乗り換え、そしてそこから地元の駅までの6区間の間にバッグの中に入れてあって財布を抜き取られてしまいました。その日は同じ路線の電車のひとつが臨時運休のため電車の中は文字どおりのすし詰め状態、自分の手足がどこにあるのかわからなくなるくらいの超満員電車でした。その瞬間、何となく斜掛けにしていたパウチを引っ張られるような感じがしたのですが、まさか財布を抜き取られたとは思ってもいなかったのでした。たしかに油断があったことは否めません。大勢の人が覆いかぶさるような電車の中で、踏み倒されそうになる小さな娘を支えるのに余念がなかったからです。雑多なものがぎっしりと入ったパウチの中から、しっかり財布だけを取って行かれました。財布はもう20年も使い込んだルイ・ヴィトンの愛用の品。いえ、それよりも中身が問題でした。約1週間分の家計費、グリーンカード、ソーシャルセキュリティーカード、クレジットカード、バンクカード、図書カード、ビデオの会員証、娘の学生証、スタンプカード7ドル分、思い付く限り、こんな貴重なものが入っていたのです。特に、私の”アイデンティティー”を証明する最大のIDであるグリーンカードを失ってしまったが一番のショックでした。その後に続く事後処理については、また後で書くことにします。
2004年01月23日
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なんとお正月の日記を書いて以来のご無沙汰でした。その間に起ったことの数々・・・まとめきれないので少しずつ、かいつまんで書くことにします。とりあえず、私も家族もワンコたちも元気にしています。* * * * * * * * * * * * * * * * * *実は今週の月曜日から遡ること、約2週間の間、あのキョ-フのフルーを私自身も患ってしまいました。周期的にはちょうど回復した娘から”バトン”を渡されたような感じでした。それでも、もしそこまで気力が落ち込んでいなかったら、そこに物理的な要因が重ならなければ・・・もしかしたらこんなに酷くはならなかったかもしれない、というのはまったく後の祭りです。この辺の詳しいわけは、また後日書くことにします。初め身体の異変に気が付いたのは、娘を迎えに行く電車の中だった。なんとなく、いつもと違って足腰が重く感じられて、そうこうしているうちに、発熱のあのずどーんとした痛みがやって来たのだった。そこで戻るわけにも行かず、刻一刻とだるくなっていく身体をひきずるようにしながら、やっとの思いで娘を引き取って無事、家路に着いた。その日から39℃~40℃の熱が10日も続く。生まれて初めて、41℃という発熱を記録した。発熱後2日目に夫に付き添ってもらい、医師に見てもらうと、予想通りの”流感”であった。かと言って、特別の処置は何もなし。解熱薬と咳き止め薬の処方せんを貰って帰った。驚くべきは、解熱薬がほとんど効かないのである。夫と娘が出かけた後は、自分で自分の看病をしなければならなかった。それもせいぜい冷水で頭を冷やすことだけ。食欲がないので食事は作らない。でも脱水症状を起さないように、多めに水分は取り続けた。恥じをしのんで書けば、一度だけ自覚症状がないままに布団の中でおしっこを漏らしてしまっていた。我が身の粗相を疑いつつも、振らつく足取りで汚れたものの洗濯をした。外国で病気をするということは、たとえ病気であっても”自立”した生活=自分の面倒は自分でみるしかない立場にあることを再確認した思いであった。部屋の中で寝たきりで病気と戦う身もつらかったが、折しも、大寒波の中を毎日出かける夫や娘も大変だった。連日の氷点下の気温、つい先頃は100年ぶりという、マイナス24℃の日を体験した。降り積もった雪が溶けずに、街全体が凍りついて固まってしまったようである。今年ばかりは、春の訪れが待ち遠しい。
2004年01月22日
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すっかり明けちゃいましたが、遅ればせながら新年のご挨拶です。年越しのPCの故障のため(といっても、この楽天サイトに限って)書き込みができなくなっていました。リンク頂いているお友達の中で足跡が残っていた方にだけは、新年のご挨拶に行くことができました。ホッ。こちらのお正月は極めて静かなものです。~兵どもが夢の跡・・・って感じ。年越しの「カウント・ダウン」のお祭り騒ぎが大きいだけにそのギャップは大きいものです。バレエの帰りに、タイムズ・スクエアの駅に出ましたが、その地下でさえ、すごい人の混雑でした。恒例の花火の音と共に、近所のワンコたちの”大合唱”に混じってルルも参加、ヘイディーは最後の一発が終わった後まで、バスタブに潜り込んだまま震えていました(爆笑!)アメリカで生活しているため、日本に居る以上に行事とか風習を演出する必要を強く感じている。今年はいつになく、おせち(もどき)料理まで作ったし。煮豆、金時は意外に上手にできて、びっくりしました。また2日からはバレエのワークショップの再開。3日からは日本人ホシューコウ、そして翌週の月曜日からは普段通りの毎日に戻る予定である。お正月気分なんてあっと言う間である。---[This E-mail scanned for viruses by MultiNet Perimeter Virus Scanner]
2004年01月01日
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もう家に隠りっきりも飽き飽き、という娘のため、昨日は対岸のNJにある、巨大日系スーパーに行って来た。ついでに、年末&お正月のための食材も買い込もう!というのは、毋の魂胆である。今年最後の日曜日ともあって、店は活気にみなぎっていた。本日のお買得はTブランドのお米20パウンドが17ドル!しっかりと2袋ゲットする。あとは、おせち用の黒豆に、缶詰めの栗、紅白の蒲鉾など。忘れてはいけない、搗きたての”のし餅”も。なぜか夫も私も、おせちに欠かせない”かずのこ”がどうも苦手なのである。それでは、娘をも食わず嫌いにさせてしまうかも?と思い、一番小さな切り身を取って付けたように買った(ケチな毋である)。始めは久しぶりのお出かけに張り切っていた娘も、30分間隔で”ちょっと、つかれた~”とへたりこむ。スーパー→車、車→スーパーと何度となく往復をくり返した。この日、熱は37℃台に下がってはいたものの、やはり病み上がりは身体と気持ちがしっくりと馴染まないようであった。* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *重病!?で寝込んでいる娘のために、サヤちゃん&サヤママさんが”気分転換に”と「カドキャプター・さくら」のお人形を持って来てくださった!!!いつもながらに、あたたかなお心遣いに感謝です。サヤちゃん、どうもありがとう。げんきになったら、またいっしょにあそんでね。 From: Reply-To: Date: Tue, 30 Dec 2003 13:48:49 +0900 (JST) To: ??????@cybercap.com Subject: 30日の日記
2003年12月30日
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なんてしつこい風邪なんだ!!!先週の土曜日の夜から発熱してしまった娘だが、今日でまる1週間にもなるのに、未だ38℃台の熱が続いている。おまけに、酷いのはその咳。朝一番の痰がからまったような咳から、から咳までもう一日中、咳をしている。休みの間でも、ほとんど毎日掛り付けの先生に電話をして経過を話したり、アドバイスをもらっているので不安はあまりないが、もうそろそろ限界に近い。ちなみにこちらでは、38℃以上の場合には解熱剤を4時間おきに与えるだけで、積極的に抗生物質は飲ませないようである。お医者さん曰く、風邪のウィルスそのモノに効く薬はないので、熱がある期間は、自己免疫力で戦わせて菌が死滅するのを待つ、というのが正しい治療なのだと。娘は8才半になるが、生まれてこの方、これ程寝込んだことがないくらいの強健な体質である。余談ではあるが、私も出産の後でさえ余り寝込まなかったのに、3年前のインフルエンザに罹って、まる10日もダウンした。いい加減、病気が長く続くと気が弱くなってしまい、「ママ~、わたし、もう学校へ行けないのお?」なんてしおらしいことを言ってくるではないか。身長は132cmなのに食欲が細くなり、体重は20キロを切ってしまった。イグアナさんがいみじくもご指摘されたように、手足が異常に細くて顔も小さいので、よりいっそう病人チックに見えてしまう。よく考えれば、9月の新学期から月~金は現地校へ電車通学、放課後はバレエのレッスンを2時間、帰宅してからも宿題を終えなくては寝れない。そして土曜日は早朝から補習校で半日、日本の5日分の勉強をまとめてする。普通のアメリカの子の3倍、在米日本人の2倍のプログラムをこなしていることになる。並み大抵のエネルギーのレベルでは無理である。こんな時期に病気で寝込むことになったのは、ゆっくり休めるようにと神さまがくれたクリスマス・プレゼントなのかもしれない←少し迷惑だけど。つくづく、今年ワクチンを受けなかったことに後悔している。来年、私がぼんやりしていたら、どなたかリマインドして下さいませ。 From: Reply-To: Date: Sat, 27 Dec 2003 13:44:46 +0900 (JST) To: ??????@cybercap.com Subject: 27日の日記
2003年12月27日
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いきなり3本立てのタイトルにしちゃったよ。まるで『サザエさん』みたい、んがくくっ!まずは、ご心配をお掛けした娘の病状(という程でもないが)はまるで一進一退という言葉が当てはまるような状態。熱は37℃から上がりもせず、かといって下がりもせず。そのかわりに昨日よりも咳こみがひどくなってしまった。明日は再度、病院へ行って診てもらおうと思う。励ましのメッセージを下さった方々、ありがとうございました。昨夜はクリスマス・イブのお祭り騒ぎが夜遅くまで続き、明け方になってようやく静まった。この近所に住むティーンエイジャ-たちの仕業だ。おそらく、両親(片親かもしれない)が仕事に忙しくこの時期にバケーションさえも取れず、クリスマスを祝福する習慣もないので暇な時間と心をもてあましているのだろう。そんな彼等・彼女らにも、サンタがやって来るのを心待ちにしていた時代があっただろうに。ところで、8才の娘にとってサンタは半信半疑の存在になった。一応、恒例の”Dear Santa~”の文をしたため、窓辺に貼った。が、そのプレゼント・リストの注文がとてつもないものに変化した。一昨年まではバービー人形やその付属品とか本、ビデオ程度の可愛いモノだったのだが、今回はDVDステレオ付きのテレビや、自分専用のセルラーなどの大物の数々、まるで何かに挑戦しているような気がしないでもない。当然、サンタさんはそんなモノは持って来なかった。朝、彼女が目覚めた時に窓辺に置かれていたプレゼントは、ディズニープリンセスのドレスにスケート靴!それと20ドル紙幣の上に、なぜか25セント銅貨が1枚”重石”として置かれてあった・・・。当ては外れても、やっぱりもらえるモノは嬉しいようで、早速ドレスを人形に着せたりして遊んでいた。やはり貰った現金は、DVDステレオを買うための資金にすると言う。本日12月25日は、殆どの公共機関は休みでスーパーマーケットなどの商店も5時頃には閉ってしまう。ワンコの散歩のために10時すぎに外に出たら、まるで誰もが寝静まったかのようにし~~~~んとしていた。その中で、家々のクリスマスの電飾と某日系スーパーの街灯だけがあかあかと輝いていた。---[This E-mail scanned for viruses by MultiNet Perimeter Virus Scanner]
2003年12月26日
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ここ数日、いや数週間くらい自分のページにログインできない状態なのである。そして、知らぬ間に壁を走り回るサンタが!こんな素材を自分で入れたつもりはないのに、きっと楽天さんが気を利かせて飾ってくれたに違いないのだが、そのサンタが邪魔をしているようなんです。なんとかならないのお~~~~~?さて、今年の我が家のクリスマスにはついにFLUの患者が出てしまいました。鬼の霍乱というべき、アンジェラ嬢であります。土曜日のホシューコウから帰宅後、急にぐったりとして高い熱が40℃まで上がりました。火曜日まで現地校があったのですが、欠席したまんまクリスマス休みに突入してしまったよ。月曜日に医者に診てもらったら、典型的な今年のフルーとのこと。熱が高く、しかもなかなか下がらない。肺炎を起さずに済んだのは、幸いであった。寝る前に計ったら、まだ37.5℃もある。ワクチンの アポを取りたし 遅かりし(くやしさが出てます?)こう見えても、キリスト教の信仰者である。幼い頃クリスマスと言えば、クリスマス・ギフトの数々。学生の頃は、ミッションスクールの女子寮暮しだったので、聖堂の”すすはらい”を思い出す。そして、今はNUTCRACKERかしらん?有名なルカの福音書2章の1~7節を読み返してみたいと思う。「~マリアは月が満ちて、男の子の初子を産んだ。それで布にくるんで 飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのための居場所がなかったからである。」わたしの心の中には、彼らを泊めるスペースを持っています。クリスマスに、皆さんは何を祝いますか?いつも心にクリスマスの喜びを持っていれば、幸せに満たされた日々を送れるとそう願いたい。メリークリスマス!世界中のひとたちが幸せに満たされますように。 From: Reply-To: Date: Thu, 25 Dec 2003 13:45:55 +0900 (JST) To: ??????@cybercap.com Subject: 25日の日記
2003年12月25日
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御無沙汰していまーす。師走に入ってからというものの、ほぼ一週間おきのペースに下がってきてしまっているゾ。ご近所仲間のイグアナさんからも言われたもの、「ねえ、日記を書いてよ~」って!さてさて師走も半ば近くになり、忙しさに加速度がつく。話しは逸れるが、うちの場合半年が過ぎるのが異常に早い。6月に娘の誕生日が終わると、あっと言う間にクリスマスである。また、その逆もしかり。例年通り、学校の先生たちへのギフト選びや、お礼のカードを書くのに余念がない。また今年は、新たにバレエ学校が2校が加わって関係者もぐっと増えたからである。パーティーはと言うと、「アメリカンバレエ」のクリスマスパーティーはなかなか大盛況であった。スクールの父母たちの中にはニューヨークの社交界を代表するような面々もいる!?お楽しみの抽選会には、有名ブランドの商品や旅行券、お食事券など魅力的な賞品が盛り沢山である。そのために各々寄付金やギフトを提供しなくてはならない。そんな中、私が出したもの。それは、日本の「ツムラ」の石鹸とか入浴剤の詰め合わせ。日本人から見ればちょっと地味かな?日曜日の朝から、また大雪が降ってきた。前回やりそこなった、”そり遊び”をするためセントラル・パークに出かけた。歩いている側から、ますます大降りになって来た。もう、視界が真っ白になるくらい。こんな大雪では公園の中で遭難してしまうんじゃないか、と心配したが、いるいる、同じような無謀な親子がたくさん公園に集まっていた。うちのは本格的なソリではなくて、円盤型のもの。これに座り、鍋の把手みたいなものを掴んで、斜面を滑って遊ぶのである。娘と交代で、おしりが痛くなる程、滑った。廻りのコンクリート・ジャングルが見えなければ、まるで都会のまん中とは思えない光景である。ちまたでは、インフルエンザが猛威を奮っているらしい。一部の地区の高校でクラス閉鎖になったという。今までは、この種のワクチンは接種して来なかったがやはり今年は必要か?これから年末年始にかけての行事の数々。親子共々、寝込んではいられないもんね。
2003年12月14日
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それは金曜日の11時を過ぎた辺りから、どんよりと低く垂れ込んだ空からポツリ、ポツリと降り出した。ちょうどマンハッタンの紀伊国屋書店に用事で出かけていて、暖かい店内から外へ出たとたんに(出ようと思っても、向かい風の抵抗でドアが開かない!)ものすごい吹雪きの街と化していた!ちょうどお向かいにある、あのロックフェラーセンターのクリスマス・ツリーもあっと言う間に雪化粧をしていた。こんなブリザードの中でも、観光の人たちは記念写真を撮るのに余念がない。平日の午前中とあって、いつもの人だかりもないので、そこに居合わせた人たちはラッキー。もしかして、娘の学校が半日休校になるかも?と思い、電話をしてみたが、今のところ通常通りとのこと。始めパラパラだったのが、もうじゃんじゃんと大降りになって来た。その時の情景を思い返しながら書いているのだが、なんと情景描写のお粗末なこと!言い訳ではないが、九州で育ったので、あまり大雪には縁がないのである。雪国育ちの人なら、雪を表わすいろんないい言葉を遣いわけるのであろう、と。バレエは臨時休校となった。そして土曜日の補習校も。突然の休暇を与えられた娘は、家に帰ってため込んだ宿題をすることも、漢字と九九のテストの予習からも解放?されて近くの公園で友達と雪遊びに、空が薄暗くなるまで興じたのであった・・・まあ、たまにはいいか。土曜日。早朝から、シャベルで雪かきをしている音で目が覚めた。まだ踏み付けられていない、積りたてのきれいな雪なのに。補習校の時はなかなか起きない娘が、1人でさっさと起き出した。朝ごはんの後、散歩を待ちかねるワンコたちを連れて外へ。当然ながら、”雪”という言葉の概念はわからないであろう犬たちだが、そこは犬バカの習性で「ほら、雪が積っている」と声を掛けてしまう。まっ先に雪の中に飛び込んだルルが、目をキラっと輝かせてこちらを振り返った。雪=冷たい、美味しい、楽しいという顔で。日曜日。娘のダウン・ジャケットが小さくなったので、MACY’Sに買いに行った。ちょっと前から目を付けていたそれは、以前にも増して安くなっていた。持参した期限付きの割り引き券と併せて定価の40%オフで購入できた。8~10才用のMサイズなので、すくなくとも今後3シーズンは着られるであろう。今年のMACY’Sの正面ショーウィンドーの飾りは、クラシック映画『A Christmas Story』の場面からである。一つ目は、あたたかな暖炉があるリビングで仲良くお酒を飲みながら談笑する夫婦の姿。上の階では子供たちが、そして玄関の隅のカゴの中にいるビーグルと子猫の心地よい寝息が聞こえてきそうだ。これは私が一番好きな場面で、おくさんが夜なべして作ったグリルのターキーをテーブルの上に飛び乗って3匹の犬たちが平らげてしまう。それを”びっくり”顔で見つめるしかできない夫婦の様子。映画ではその後、一家で”チャイニーズ・レストラン”へ行くのだが、そこでのシーンもまた可笑しい。アメリカでは、TCMで12/18(ET:8PM)に放映される予定だそうである。日本のレンタルビデオにもあるかと思うので、まだご覧になっていない方、ファミリー・クリスマスにはお薦めですヨ。
2003年12月07日
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今年のサンクス・ギビングは木曜日であった。昨日からお天気のことが気掛かりだったが、早朝から晴天でまた例年よりも暖かくなった。世界で一番(面積?)を誇る、老舗のデパートMACY’Sのパレードが9時にスタート。お目当ては、今をときめく”アーロン・カーター”くんのステージと、ニューヨーク・シティー・バレエの”くるみ割り人形”である。今年は娘の学校から5名のバレリーナの卵たちがプロのダンサーに混じっての踊りを披露した。この29日が舞台のこけら落としである。残念ながら娘は出演できなかったけど、8才~16才まで、約50名のプチ・バレエダンサーたちの華麗な踊りをご堪能していただけること、間違いなし。お近くの方で鑑賞をご希望される方、ご一報下されば娘の”学割”が利きます。”祝日”ということで、ほとんどの学校や公共施設はお休みである。日本の年末年始のような”帰省組”が多く、街もいくぶんひっそりとしている。今年はいろんな予定のてんこ盛りだったので、敢えてホリデーは自宅で過ごしている。先週、通っている教会で、ごく親しい家族だけの食事会に招かれて巨大タ-キーとパンプキン・パイに舌鼓をうった。サンクス・ギビングって、どんな日でしょうか?ある人は答えました。「家族、親戚一同に集まってごちそうを囲む、楽しい日」だと。またある人は、「皆のために、前夜から料理を作り続けるとても忙しい日、だからその翌日はこれで一年が終わってホッとひと息つけるから好きです」と言ったそうである。今、家族や友人と共に食卓を囲める人は、その幸せに感謝しよう。もし側に誰もいなくても、今日一日を無事に過ごせたことを感謝しよう。心や身体の痛みに苦しむ人がいたら、それでも命ある恵みに感謝しよう。どうか世界中の人たちが、豊かな恵み多い食卓を囲めますように、今年もわたし達家族が、心豊かに成長できますようにと、これが私の祈りになっています。
2003年11月28日
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2日も待っているのに、なかなか獣医さんから電話が来ない!確かに留守がちだが、そのためにケータイの番号も知らせてある。いったいどうなってるの?3日め。焦る思いで直接、病院へ行った。すると、担当医はすでにサンクス・ギビングの休暇中だと。それで慌ただしく検査の日程を組まされたのかな!?しかたがないので、看護助手(6年前からお世話になっているので信用している)の女性に結果を聞いてみると、今回の検査では”クッシング症”ではなかったとのこと。体調によって、肝臓の酵素の比重が大きくなることがあるという。また加齢による変化も大きい。これからも日頃の観察が必要であるが、とりあえずホッとしました。掲示板または、メールで励ましのお言葉を下さった皆様、どうもありがとうございました。今回の事件でいろんな病気のワンちゃんのサイトにお邪魔させていただきました。今、将に病と戦っている子たち。無事、病を克服した子たち。そして、精一杯、病気と戦って、永遠の眠りについた子たち。それぞれのワンちゃんとそのパートナーの血と涙、そして大きな愛にあふれた日記に励まされました。生き物と暮すのは、楽しいことばかりでは済まされない。それだけに、一日の中の何気ない”至福のとき”が奇跡のようにも思える、今日この頃です。
2003年11月21日
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今日は再検査のため、早朝から慌ただしかった。いつもよりも早く起きて(5時)家族の食事の支度に、留守番をしてくれるヘイディーくん(オス・6才)の散歩やらを済ませて、9時ぎりぎりに病院へ駆け込んだ。朝から小雨混じりの肌寒い一日。こんな日に限って娘の学校の個人面談がある。お迎えが12時のため、一旦、家に戻るよりもそのまま病院に居た方が時間の無駄が少ないのである。気分的にもその場を離れたくないし・・・。検査方法というのは、まず首の血管から採血し、その後に治療と検査を兼ねて薬を投与する。点滴薬なので、時間がかかるとのこと。麻酔や、リスクを伴う外科手術ほどではないが、やはり心配には変りない。午前11時過ぎに病院を出て、学校へ走る。ピック・アップの後は、お友達の誕生会へ招待されていたので、そのまま子供のお母さんに連れて行ってもらった。午後1時から面談。既に渡されているレポートカードで、学習達成度は確認済みであるが、3年生のゴールと4年生で受けることになる、全国一斉・進級適性テストについて話しを聞いてみた。やはり個人差が極端に大きい公立学校にいることは、ハンディーになるのではないか?と密かに思う。皆がびっくりした、”反抗期”もそれほど深刻には至らず、再び、いつものおっとり娘でかつ、イヤミにならない程度のユウトウセイに戻っている様子だ。午後2時に再び病院へ戻る。検査は順調に行われている模様。待ち時間を利用してビジネスレターを書いたり、また単行本『TO DANCE WITH WHITE DOG』を読む。そのうち、ウトウトしてくる・・・。午後4時半。娘をピックアップする。今回の誕生会では、子供たち5人をお母さんが預かり、皆で映画館、レストランそして「ネイル・サロン」にまで連れて行ってもらったそうだ。初めてサロンで爪を整えてもらったり、きれいな絵を描いてもらった娘は大喜びだった。こんな日に預かってもらった上、楽しく過ごさせてもらい、感謝の気持ちでいっぱいである。今度は娘連れで病院へ。検査終了まで約1時間だったので、宿題をやりながら待つ。午後6時、予定通りにおわる。元気を持て余していたルルを連れて、電車通りまで歩いた。検査の結果は2日後とのこと。無事でありますように。
2003年11月18日
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かれこれ2週間のご無沙汰をいたしました。その間にご訪問くださった方、それからていねいな書き込みを下さった方へお礼を申し上げます。何から話したらよいのか、と混乱する頭を回転させています。まず、娘の学校の年中行事の数々、漢字検定はやはり今回は思った以上に予習・復習が進まずに棄権をしました。また来年の5月に万全を整えてから、望んだ方が本人のためによいかと考えています。11月11日は愛犬ルルの14才の誕生日でした。朝から、娘と一緒にケーキを作ったり、部屋を絵や写真で飾ったりと大騒ぎでした。祝日のため娘は休校だったので、半年に1回の精密検査を申し込んでいました。慢性の気管支ぜんそく以外は、特に問題なく過ごしているルルですが、高齢のためにいろんな検査をされました。胸部のレントゲンと心音の結果は問題ありませんでした。また、5年前に切除した乳首のしこりとは反対側に、同じような<しこり>が発見されましたが、それの細胞検査でも良性でした。問題になったのは、血液検査での肝臓の酵素の分泌量に異常があるといったことでした。それには<クッシング症>という病気の疑いを調べる再検査を勧められています。<クッシング症>とは?私も初めて聞く病名で、しかも当然のことながらALL英語での説明なので、ほとんど専門用語が理解できませんでした。帰宅後、ネットや犬の医学書で調べたところ、何やら不可解でイヤな病気の雰囲気を感じました。原因は、副腎皮質ホルモンの過剰分泌から来るもので、脳下垂体や副腎に腫瘍がある場合もあるそうで、またステロイドの副作用でも発症すると書いてありました。主な症状に、脱毛、多飲多尿があるそうですが、ルルは今のところその徴候は全くありません。ステロイドは、昔、耳だれが起きた時の治療クリームに配合されていたのを憶えています。それも、最近はほとんど使っていない。。。。。。。。という理由で、不安なここ数日を過ごしておりました。私という人間は、子供の頃から不安を1人でかかえてしまう性癖があるため、今回も心の中で怯えながら、表向きは平常を装って、日々のサイクルをこなしていました。日記を更新できない焦りや、人前で弱音を見せたくない小心者の自分に辟易していました。今日思いきって、日記に心の中の全部を吐き出しています。そう、「王様の耳はオバの耳」と自らの掲示版を名付けたように、自分で自分のページに愚痴をこぼしています。明日はその再検査の予定です。どうか、無事であることを祈りたいです。
2003年11月17日
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先週からポカポカと暖かい日が続いている。いわゆる”小春日和”である。アメリカでは”インディアン・サマー”と言われているが、誰もその正確な意味をよくわかっていない。もし、御存じの方がいれば、教えてもらえませんか?マラソン・サンデー。今年は最高25℃の気温の中で行われた。応援する立場では理想的なお天気だが、長距離レースとしてはあまりふさわしくなく、よって記録が更新されることは少ないのである。よって、今回は男女ともにケニアからの選手が1位であった。3位までに入賞したのは、いずれもケニアの選手であった。周知の通り、NYCマラソンは市民レースの草分け的な存在である。ボストンに代表されるような、出場制限速度も年齢もとくにはない。事実、私も3年前のレースを走ったのである。もしご興味のある方は、ページの記録を読んでください! もちろん今回も出場の申し込みをしたのだが、抽選から外れてしまった。しかし、日本をもとより、諸外国からツアーとタイアップのお客さんたちは参加できるという、不思議な市民レースだ。それでも諦めずに応募しなくては。* * * * * * * * * * * * * * * * * * *昨日とはうって変わり、肌寒い日に逆戻りしました。うっすらと霧雨も降っていて、ワンコたちの散歩にもままなりません。犬をお持ちの方、あなたはワンコに合羽を着せますか?私は着せています(笑)。でも、犬の場合、四つ足なのでせっかく合羽を着せてもお腹の部分がドロドロになってしまう・・・。本人?の意志とは裏腹に着せられたワンコたちにとっては、窮屈極まりないシロモノだと思うのですが、その姿はなんともとぼけていて、愛らしく、余計に犬ばかの心をそそるのであります。
2003年11月03日
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当然のことだが、ハロウィーンが終わるとすぐに11月になる。マラソン・サンデー、そしてルルちゃんの誕生日に感謝祭と我が家ではイベントてんこ盛りになる。まずはハロウィーンの報告から。前夜の疲れも取れないままに、バタバタ学校へ出かけた。幼稚園児や低学年までは、その日1日中がパーティーののりになっているが、3、4、5年生ともなれば普段の授業とうって変らない。それは1時30分からのパレードの前までのことであるが。まずは校長先生の校内放送で、それぞれの学年の出発時間と注意事項がアナウンスされる。廻る場所は学校のあるビルディングの敷地内と手前のイースト・リバーのピア周辺である。今年は校長先生の提案でアニメのキャラクターやバイオレンス系のものは一切禁止され、その代わりに有名な本をテーマにした扮装を奨励した。また、各自1票ずつ好きだった仮装に投票して”チャンピオン”を決定する試みであった。果たして1位は、4年生のアリッサの”スカーレット”、2位は1年生の”ハリーポッター”そして校長先生扮する『Magic School Bus』のFrizzle先生が同票であった。これには皆、大爆笑、生徒たちを率いて歩く様子も全くそのまんまであった。私が感動したのは”スカーレット”のドレスだった。あのビビアン・リ-が扮する”スカーレット”がお母さんの形見のカーテンをむしり取って”マミー”に作らせた、あのグリーンのベルベットで片あきのドレスである。共布で作られたコートには、ちゃんとカーテン・ホルダーの金糸で出来たふさも付いているではないか~!もちろん、その女の子のお母さんの手作りだそうである。番外編で”SADAKO”の票も入っていた。歩く平和へのメッセージは、伝わっていたであろうか?早くも、娘から来年のリクエストが入っている。それはアーリー・アメリカンの”クリスティン”の衣装である。これは本をたよりに手作りしなくてはならない。困ったゾ。* * * * * * * * * * * * * * * * * * *足を怪我して以来、初めてのバレエのレッスンでのこと。16、7才のお姉さんたちのクラスでは、なんと皆仮装したまま、レッスンしていました。本物そっくりなマリリン・モンロー、マイケル・ジャクソン、セクシー・キャットに、踊るスーパー・マンまでいたヨ。それでも、皆、すました顔で踊っているから、余計に可笑しかったです。チビっ子たちは、すかし窓から顔をくっつけるようにして、その様子を眺めていました。帰りは西68丁目のブロードウェイから57丁目まで練り歩きながら”Trick or Treat”をする。場所柄、芸術的でおしゃれなお店が多いので、入っていいかな?と少しためらわれる所もあったが、堂々?と入って行く娘に気後れしながらも着いて行くしかなかった。最寄りの駅に着き、家への道すがらも近所の商店街(こっちはかなり庶民的!)でキャンディーを求めながら歩いた。その日手に入れたキャンディーの総計は84個。それなのに、本人の一番のお気に入りがディズニーストアで貰ったステッカーだったのは、腑に落ちないなー。やれやれ、今年も無事終わってひと安心である。
2003年11月01日
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夕べ遅くまで係って、やっとハロウィーン・パーティーの下準備ができました!まずは、娘が選んだ”ジュリエット”のドレスの裾上げ。もう縫っても縫っても果てしなく続く、ドレスのスソよ。ドレスが既製品だったので、首につけるチョーカーとヘッド・ドレスは手作りした。といっても黒いフェルトにカメオ(なんと、おばあちゃん時代の本物)のブローチを付け、また、ヘッドドレスは白いレース生地をクラウンに結び付けるだけのすごいお手軽なのです。次はクラスでのパーティー用のカップケーキ。手作りケーキといっても、市販の”まぜるだけ”の粉を使うからとても簡単です。全部で20個をオーブンで2回に分けて焼きました。トッピングにするチョコレート・クリームや飾りは、クラスに持って行ってから子供たちがそれぞれ好きなものを作れるようにするつもり(手間も省けるし)。この時期だけのキャンディーが販売されています。今回は、かぼちゃの形とコーンの実そっくりな砂糖菓子にしました。これを飾るだけで普通のカップケーキがハロウィーンらしくなるから嬉しい。最後に自分のコスチュ-ムをチェックして、なんとか片付いたのが午前3時でした~ああ、疲れた。今回の”出し物”に至っては、もう時間と気持ちのゆとりがなくて、二転三転したあげくに、一番簡単なものになってしまいました。候補としては、「イソップの北風と太陽」が気に入っていたのですが、あと「星条旗を作ったベッティー・ロス」はいつか絶対やってみたい。ネイティブ・インディアンの「KAYA」にも憧れる。で、結局「サダコ」になります・・・といっても『リング』ではありません。あの『Sadako and the Thousand paper cranes』のこと。そのため、明日は浴衣姿に下駄ばきという格好になります。これが肝心の千羽鶴・・・とまでいかず30羽の折り鶴を首飾りにする予定です。前に「プロジェクト・ジャパン」で紹介した作品ですが、皆、憶えてくれているかな?結果はまた明日に。乞う、ご期待!
2003年10月30日
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先週の木曜日に足の裏を過って切ってしまった娘。さすがに若いので、回復が早い。直線に切れた所は、ほぼ表面の亀裂を残すだけとなった。あとは深めに切ってしまったL字のコーナー部分が未だ赤くじくじくとしている←とても痛々しい。今回は、怪我の翌日の午後からお医者さんに診てもらった。でも先生が言われるには、「連れてくるならすぐに!」とのこと。切った直後なら、縫合する処置ができるからだ。しかし、今回はそれには及ばず、ただ怪我の治療法を習って帰って来た。まず、毎日お風呂で傷口を洗うこと。消毒をした後、NEOSPORINという抗生物質入りのクリームをつける。傷口が隠れる程度のバンドエイドを付ける。もし全体が赤くなったり、熱が出たら化膿しているサインなのでその時は病院で診せるということ、などである。さすがに抗生物質入りだけあって、「NEOSPORIN」はよく効いている!ちなみにこの軟膏は市販薬なので、処方せんなしでも買うことができる。明日で、事故後?1週間目となる。先生は約2週間と仰ったが、バレエはどうか?娘の日本人の学校で恒例?の漢字検定試験(以下、漢検)が約2週間後に実施される。毎回、学年の途中で実施されるため、もし学年相応のレベルを受験するなら、習っていない漢字をかなり前倒しで覚えなければならない。しかも、漢検っていうのはかなり”いじわる”な問題で、まともな読み、書きでは出題せず、例えば、「晴れる」ではなく「晴天」と、「読む」ではなく「読本」←(これ読める?読めるよネ)とかなりの応用になる。日本で生活している子供にとっては、当たり前の語彙でも限られた日本語しか使い廻さない子にとっては、初めて聞く言葉も多いのである。昨年、10級=1年生終了程度を12月に合格した。その際は、かなり前倒しの漢字を練習させて、すぐにアウトプットしてしまうので復習にも時間を費やした。その努力の賜物である。今回受けるとすれば、9級=2年生終了程度である。出題字数は1年生の漢字を含めた、240字である。その内の60字は未だ習っていない。実は今回の受験はもう諦めていた、先週、怪我をするまでは。この怪我の為に、バレエのレッスンへ行けないため、その分の余暇が生まれたのである。それを利用しない手はない、でしょう。残り日数は16日。果たして、怪我の功名となるか?
2003年10月29日
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前回のタイトル「あたり目に~」は「弱り目に~」というのが正しい使い方のようでした。親切にご指摘下さった「こずえさん」、どうもありがとうございました~!!!26日の午前2時から冬時間への切替えになり、また再び時計は1時間遅く=元に戻ることになる。この場合、朝がゆっくりと過ごせるので得をした気分になる。しかし、意外に手落ちなのが腕時計。部屋にある殆どの時計の針を戻したつもりでいたのに、そこだけは、しかも肝心な腕時計を忘れていたために、子供の学校のお迎え時間を間違ってしまった~!という経験がある。しかも夏時間への切替えだったから、当然の遅刻・・・。ちなみに、今回は腕時計から元に直してある。子供の通う日本人の学校の幼稚園児に「こぶ取りじいさん」の紙芝居を読み聞かせた。久しぶりにそのお話を読み返したら、自分の記憶とのギャップに驚くやら可笑しいやら。まず、主役のおじいさんが2人いたこと。それから、怒った鬼が「まねっこ爺さん」にもう一つのこぶをくっつけた、その2個めのこぶがもう一個のこぶの上だったということ、であった。私の記憶では”両頬のこぶ”だったような???絵本によって多少の違いもあるかもしれない。しかし、夫のいう”小太りじいさん”説というのは、聞いたことがないよな。
2003年10月26日
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昨年10月23日にこのホームページを立ち上げてから今日で1年になりました。日記を読み返して見ると、本当にいろんなことがあった。その折々の自分の気持ちを思い返すことができたのが面白い。ときに、赤面!してしまうことも書いているけどそれもそれでよい「自分史」になるのでしょう。また、このサイトをきっかけに沢山の方とお友達になれました。おそらく、これがなければ知り合えなかった人たちばかりでしょう。感謝、感激。どうぞ今後とも、宜しくおつき合いをお願いしますね。* * * * * * * * * * * * * * * * * * *昨日の日記の”娘の反抗!”のことで、助言や励ましのお言葉を下さりありがとうございました。「優等生ばかりじゃ疲れる」「子供と一緒にかなしみを分かち合う」そして「子供はいつまでも、子供ではない」それぞれの珠玉のお言葉が心にしみこんでいきました。もう少し、娘の視線に合わせて、ゆっくりと付き合っていこうと思います。昨夜、ベッドから起き出して来た娘がキッチンへ行こうとして、その床の継ぎ目のビスに足をひっかけてしまい、指の付け根から2センチ位、ザックりと切れてしまいました。急いでコットンで止血しましたが、止まるまで1分位かかり結構、深く切れてしまっていました。またまた、ショックのアンちゃんです。今朝は厚めの靴下にサンダルを履いて、痛い足を庇いながら歩いて登校しました。地下鉄の階段は不自由なので、パパに背負ってもらいました。午後から早引きして病院へ連れて行く予定です。ああ、またバレエのレッスンが遠くなってしまう・・・あたり目に祟り目、本当に踏んだり蹴ったりのこの頃です。
2003年10月23日
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学校へ迎えに行った時のこと。いつもなら、他のクラス・メートと一緒に出てくるはずの娘がそこにはいなかった。すぐさま、担任の先生から呼ばれて行くと、「今日の彼女はめずらしくランチの時間に問題をおこしました。」と言う。なんでも、女の子数人とおしゃべりをしていて、何度注意をしてもやめなかったという。しかも、途中で、指定された場所を移動して座っていたらしい。いつもは極めて真面目な(というより、見本的な存在)アンジェラがどうして???と先生も思ったらしく、「そんなことでは、”Student of the Month”にはなれないわよ”と言うと、”それが、何だっていうの。ただの紙じゃない。”・・・・と言い返したというのである。もう、私にも驚きという他に言葉がない。学校の問題はと言えばお勉強のことだけで、素行の問題など微塵も心配していなかったのに。思い当たるとすれば、やはり”バレエ”のことか?あれから、表面的には何ごとも変った様子は見られなかったのに、やはり心の中にはモヤモヤと沈澱した不満が堆積していたのだろう。もう少し娘の気持ちになって、一緒に悲しんであげればよかったのか?「くやしかったね、でもうんと練習したら、来年はもっと大きな役をもらえるって信じようね。」と言って慰めてあげるだけでは足りなかったのか?それにしても、担任の先生には、とばっちりもいい所。実はこの先生、春に結婚を予定している。娘が言うには、しょっちゅうウェディングプランのことや、フィアンセの話しをするのだそうだ。もしかしたら、女の嫉妬?娘も反省しており、明日からは気をつけると言っているけど。こんな感じで、子育てはいつも心の気構えもなく試練に突き付けられる。
2003年10月22日
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小雨混じりのどんよりとした朝。ロングアイランドに住むお友達の誕生会の招待を受けていたので、日曜日といえどもゆっくりできない。正午からのパーティーに子供だけお宅へ置いて、また5時頃引き取りに行くというのである。ちなみに、今回は皆でボーリングへ連れていってもらえる!娘の用事が終わるまで、近くのショッピング・モールへ。そこには、デパートのMACY’S,SEARSそしてあのIKEAまである。日本でも有名になったスウェーデン製の組み立て式のインテリア・ショップである。一番最後に出かけたのは、なんと娘が5才の時。子供用のベッド&マットレスを買うために行ったのだった。あれから3年かあ~。1人でこんなにゆっくりと買い物を楽しめるのは何年ぶりだろうか、と思ったくらい久しぶりのショッピング。広いスペースに、モデル・ルームのようにディスプレイされたインテリアが所狭しと並んでいる。各セクションを見て廻りながら、夢の部屋作りをイメージしていた。毎年引っ越しを考えながら既に7年も経ってしまった(笑)。これ以上、荷物を増やさないようにしているので、すべては次の引っ越しまでのお預けなのだが、必要なものとして夥しい本や書類を収納できるキャビネットが欲しい。スペースを有効に使えるように、背の高いものがいい。いろいろあるが、どれも”帯に短し、たすきに長し”といった感じ。3時間、うろうろしながら結局買ったものは、布巾3枚セットバスタオル、収納BOX、植木鉢の総計$16.98(^^;帰り際にご近所のWファミリーと遭遇。うちの娘が大好きな姉弟さんたちは、”姉ちゃん”に会えなくてとても残念そうであった。そちらは、お子ちゃま達を備え付けの”託児ルーム”で遊ばせるために来たのだそうだ。確かに寒い冬や雨の日には便利でしょうね。約束の時間になったので迎えに行くと、案の定、「え~もう帰るの!?」とのブ-イングである。ボーリングの話を聞くと、何度もガータをくり返しチームの足を引っ張っていたようである。8年間の中で、ボーリングは3回しかやったことがないから。負けず嫌いの子ならスコアが気になるところだが、そこはのんびり屋の娘のこと、ボールが1個もピンに当らなくてもニコニコと笑いながらただ楽しんでいたらしい。その一挙手一投足は、まるで踊っているかのようであったと。なんとなく想像ができる・・・きっと投げた後の格好は”アラベスク”のポーズだったであろうと。ますますバレエ○○になりつつある、娘である。* * * * * * * * * * * * * * * * * * *翌朝、目が覚めるや否や、「お母さん~右手が痛いよ~!」と叫ぶ声がする。ははは、さては昨日のボーリングでの筋肉痛か!?毎日のバレエでのハードな練習でも身体の不調を訴えない子でも、慣れないことではこんなにもヤワだったとは。「もう~今日は字が書けないよぉ~」「靴ひもを結んでえ~」と、朝からコンプレインの多い娘であった。
2003年10月19日
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昨日の日記について、皆様からの反響がとても大きいのに驚きました。また、書き込みで励ましのお言葉とアドバイスを下さった方、心から感謝いたしております。今回のことで、この国のいい加減さと杓子定規が表裏一体になっている体質を今さらながらのように垣間見たような気がしています。しかしながら、事が「イミグレーション」や「疫病」に関することは神経質にならざるを得ないのだとも受けとめています。娘の通うバレエ学校は、ニューヨークでも伝統と権威のある学校で、「くるみわり人形」は母体のバレエ団の一員として参加することになります。私が心配するのは、もし万が一、公演の前後に本物の結核患者が出てしまったら、その痛くないハラを疑われるのがいたたまれないのです。もちろん、検診の結果を受けた後で、日本で接種していたBCGの話はしました。ファミリードクターにもよい方法はないかと相談しましたが、ドクターは科学的なデータに基づいた報告書にサインするのが務めだと言われました。ちなみに、夏のセミナーは4年前に現地校入学時に作った健康診断書(すべてがクリアーになったもの)を提出していたので、問題がありませんでした。聞くところによると、年度ごとに毎回、健康診断が行われるそうです。娘の場合、今回はひっかかりましたが、レントゲンを提出し、決まった期間の抗生物質の服用が終われば、次回からは免除してもらえるそうです。(抗体が”陽性”である限り、薬を飲んでも”陰性”に変化するわけではないそうですが・・・)娘にとっては可哀想なことですが、この流れに逆らってはならないような気がするのです、とても直感的に。昨年は別の日本人の子が、ちょうどビザが切れてしまってその間の舞台に立てなくなってしまいました。でも、今年は”主役”をもらってとてもはりきっています。外国で活動する際、一度はぶつかる大きな壁かもしれません。きっと来年は憧れの役を踊れることでしょう。もしかしたら、今よりも、もっと大きな役をもらえるかも。それに、舞台は「くるみ割り~」だけではなく、1月~6月まで、いろいろある。その頃には、すっかり”完治”していると信じています。
2003年10月17日
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娘が通っているバレエ学校の健康診断があった。身長と体重などは入学のオーディションで既に計測済み。そこで、また(あの因縁の)TBテスト=ツベルクリン検査を受けさせられたのである。結果はまたしても、陽性。意外に思われるかもしれないが、うちの娘は日本生まれである。F市の4ヶ月検診の時にBCGワクチンの接種を受けた。あれから8年、今だに抗体が残っていたとは・・・。なぜ、今それが問題なのかというと、現在アメリカ合衆国ではTBテストで陰性が出ても、日常的にBCGワクチンをしない。日本生まれの子供が学校へ上がる際によくこの件でひっかかるのは別にめずらしいことではない。4年前の現地校入学時にも、当然のごとく”陽性反応”が出た。かかりつけの医師に事情を話したら、現在、結核でないことを証明するためのレントゲン撮影を受けさせられた。それで一件落着。しかし、今回はもっと厳しく”ひと月分”の抗生物質を処方されたのであった。それを服用している間は学校に来ることも許されない。もう、事実上「胡桃割り人形」の出演を辞退しなくてはならなくなったのである。現地校と違って、相手側に強く出れないのがくやしくもあるが、娘の将来を重んじて慎重にならざるを得ない。まだ”退学”にならないだけマシ、だったのかもしれない。当の娘もショックの余り「日本で生まれなければよかったのに~」と嘆いているくらいである。出された薬は飲まずに捨ててしまった。レッスンが出来なくては、身体がなまってしまうので別のスクールのオープンクラス(時間数での支払い)で毎日練習をしている。早く”謹慎”が解けたらいいのになあ。
2003年10月16日
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やれやれ、すごい渋滞の中、5時間もかかってやっと自宅に戻ってきました。ずっと1人で運転してくれたパパさん、ご苦労さまでした。この3日間はこの上ない程の好天に恵まれ、紅葉のハイキングにはもって来いの休日でした。州立のベア・マウント公園は湖を囲む木々が赤や黄色そしてオレンジの葉のグラデーションの素晴らしい眺め!歩いているとだんだん汗ばんでくる程の気温でした。せっかちな娘は、てくてくと歩くより持参の愛車(バイク)で颯爽と走るのが好きなのです。私は愛犬のルルと一緒にゆっくり、いろんな匂いを嗅ぎながら?行きつ戻りつして歩いた。犬たちは落ち葉の中にジャンプしたり、バリバリと音を立てて歩くのを楽しんでいた。そして恒例の”りんご狩り”である。この時期になるといろんな場所で楽しむことができる。我が家がいつも利用する所では、山の麓にある農家で(どのくらいの大きさかは見当がつかない)いわゆるhay rideに乗せて現地まで連れて行ってくれる。藁敷きの大きな木箱の乗り心地は面白かった。辺りからは、りんごの香しい匂いがただよっている。同伴したルルは、落ちているりんごが気になってしょうがない様子。予め決まったサイズの袋を買うシステムで、うちは計2枚、スーパーでもらうサイズの袋を購入した。りんごはそれぞれの種類に分かれて植えてあった。一番多いのが、”ゴールデン・デリシャス”。中には日本の”ふじ”や”むつ”もあるからびっくり。なるべく太陽に近くて小振りの物が美味しいはず、なので娘を木に登らせて上にある実を採った。普段、近所で木登りをする機会など滅多にないため、ここぞとばかりに楽しんでいた。りんごを入れた袋が重くなるにつれて、疲労の方も比例する。良く見れば、みんな背負いカゴや乳母車を持参しているではないか!せめて、山を下る中間地点までは、袋の半分くらいに留めておいて、それから残りを下の方で採るというやり方にするのが賢い方法だったかも。気が付いた頃はすでに遅し、袋いっぱいに詰まったりんごと途中の畑に転がっていたかぼちゃ1個(もう一個あったけど、あまりの重さに置いていった)を抱えて、山ひとつ越えて戻って来たのである。この日収穫したりんごの総計、41個とかぼちゃ1個。一家で7ドルしか払っていない割りには大収穫だったかも。そして持ち帰ったりんごは、今まとめてダンボールの中に並べて納まってある。しばらくは、毎日”りんごづくし”になりそう。ご近所の方で、新鮮なりんごの欲しい方は差し上げますのでどうぞお立ち寄りください、但しお一人、手に持てる数まで。
2003年10月14日
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月曜日がコロンバス・デイの祝日のため3連休です。実は、既に土曜日から恒例のキャンプに出かけております。天気予報でもほとんど晴れ、期待通りの”紅葉狩り”と”りんご狩り”も楽しめそうです!取りあえず、ご報告まで。
2003年10月12日
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先週とはうって変って、ここ数日とても暖かい。日中には最高25℃にもなるくらいである。というわけで久しぶりに愛犬のシャンプーをした。毎年この時期になると、人間の衣替えのように夏毛が抜ける。もうしばらくすると、表面の固い毛の下に柔らかなカシミヤのような毛が生えてくるのである。ちなみにうちの2頭のワンコは”その手のタイプ”だが、プードルやヨ-キーのような犬種はそうではないらしい。まめにブラッシング&シャンプーするだけで済むのが安上がりなのか、はたまた定期的にカットする方が楽なのか?お手入れを考えてから犬種を選ぶというのも、選択のひとつであろう。我が家のルル(13才9ヶ月)もご多分にもれず、シャンプーが嫌い。なるべく本人にバレないように、さり気なくバスタオルを2、3枚出したり(たいてい、この辺でもうバレている)ブラシ、耳栓にするコットン、そしてシャンプーと一通りの用意をしてから、もう、いきなり抱き上げてバス・タブに連れ込むのである!!!今日は始めからすでにバレてしまい、テーブルの下とピアノの下を往復しながら逃げまどう彼女を取り押さえる一幕であった(想像してみてちょうだい)。普通、自分がシャワーを使う前にバスタオルを用意しても全然疑わないのに、どこがどう違うんだろう?もしかすると無意識にも”殺気”がただよっているのを感じているのかもしれない。チビ犬のルルの場合、30分くらい。大型のヘイディーにはもっと時間がかかる。でも、ルルのような”捕り物劇”がない分、早く済む。犬の飼い主の方はご存じでしょうが、かの肛門線の処置が結構しんどいのである。そこをまめに”絞って”おかないと、時々(突然)すごい臭いのガスを発生するからである。以前、摘み所を間違えて自分の顔にその”スプレー”を噴射させてしまった・・・それ以来、ティッシュを当ててから絞り出すことにしている。さて綺麗に洗い上がったら、早々に部屋から連れて出る。散歩を兼ねて、ゆっくりブラッシングをしながら乾かすための公園へと向かうのである。アパートから徒歩で20分(犬連れでなかったら10分)のところにある川沿いのソクラテス広場に行った。特に<Dog Run>という場所以外は犬を離して散歩させるのを法律で禁じられているため、せっかくの”貸しきり状態”なのに残念。のんびり、芝生に座りながらブラシをかける。ペット・ショップでは色んなものが売られているが、うちは、”おじさん用”の黒いプラスティックの櫛を重宝している。これを使うと、皮膚を傷つけることなくスッキリ抜け毛が取れて一石二鳥である。ピカピカになったワンコたちのために、次は部屋の掃除でもしようか?
2003年10月09日
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新刊本といっても、発売されてからひと月が経つ。バレエのレッスンの空き時間を利用して、近くの「バーンズ&ノーブル」と言う書店で宿題をやったり、おやつを食べたり、もちろん本を読んだりしている。この書店はマンハッタン各地区に店鋪があり、図書館風なディスプレイで多種多様な分野の本が充実している。なんと言っても、売り本を座って読むことができるのが一番の魅力であろう。店内には”スターバックス・コーヒー”の喫茶店もある。そこで、たまたま娘は某テレビ局のインタビューを受けたのであった!!!質問「今日、この『The English Roses』という本が発売されたのですが、この本を見てどう思う?」娘「・・・かわいい。」質問「この本を書いた作者は『マドンナ』と言って(ここでマドンナの写真を見せる)今までに沢山のヒット曲と映画を出したことを知っている?」娘「・・・しらない。」質問「お母さんはどうですか???」という風に私に振って来て、やっとあの”マドンナ”の本だということが分かったのであった(反応が鈍すぎ)このインタビューのお礼として、その本を貰ったのだ。(たぶん、夕方のニュースで放送すると言っていたけど、他にも、もっとしっかりした子にインタビューしていたので娘のが採用されたかどうか、わかりません。)A4サイズの豪華版でしっかりケースまでついている。どことなくレトロで且つ、アメリカの漫画っぼいイラストである(ちなみに、イラストはマドンナ作ではない。)主人公の4人の少女たち(小学生高学年くらい)のスクールライフを背景に、本当の友情とは?を問うお話。良く言えば、いつの時代、どこの地域でも通用する物語と言える。女の子同士の結束と嫉妬のからみ合い。思わず小学生時代にいつも”連れション”だったことを思い出したくらいである。特に難しい語彙もなく、極めて平易な言葉で書かれてあるので3年生くらいから自分で読めると思う。(日本なら中3レベル?)それより小さな子には、読み聞かせてあげても喜ぶだろう。なんと言っても、その絵が特徴的でおもしろい。ついに”絵本作家”としてデビューしてしまった、マドンナ。1册米ドルで$19.95(ビミョ-なお値段)であるが、既に全米で100万冊を完売したそうだ。目下、2人の娘さんの育児中であるが、その立場を生かして絵本をプロデュースするとは、さすが世界の聖母?である。
2003年10月07日
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10月の声を聞いたとたん、まるで初冬を思わせるような肌寒い日々です。しかし、例の人種により体感温度が大きく異なるため、皆、さまざま、思い思いの装いであります。ちなみに、朝の登校には厚手のダッフル・コートを着せてやりました。中には分厚いダウンを着込んでいる子も!そう、1日で朝がもっとも寒いんです。特に外の電車を待つ時間がつらい。東海岸特有の強い風の日は、更に体感温度が下がります。毎年、いろいろな知恵?を絞っていますが、やはり子供には日本製の”使い捨てカイロ”を持たせるのが便利です。以前よりも種類が豊富で、背中に貼りつける物やら、靴に入れるもの等、至れリ尽くせりですね。私は何といっても、暖かいコーヒーを行火代わりに持つのが好きです。満員電車でたまにこぼしてしまう人(私は未だやってませんよ)もいるらしく、床が汚れている・・・注意!さて、10月23日でこのサイトを開いて1周年になります。ちょうど、ハロウィンの話題を日記に書いたのを憶えています。月日が過ぎるのって早いなあ。また、今年もその年中行事が近付いています。娘は昨年、『もののけ姫』の”サン”の仮装をして好評でしたが、今年はまだ、いろいろと思案中です。大好評?につき、”おかあさん”の仮装ですが、今年のテーマは”イソップ”でいきたいと考えています。ちなみに、一昨年前は「愛&平和」をテーマに恐れ多くも”オノ・ヨ-コ”さんに化けさせていただきました。その後、学校のチェス・コンテストに引率した際にスポンサーとして”大御所さま”が出席されていましたが、とても申し上げることはできませんでした(^^;一年の中で夜が長い時節のため、7時を過ぎるとあっという間に暗くなってしまいます。娘のバレエ学校の帰りも、いつも真っ暗。そんな時、街中の灯りに心が和みます。都会生活も悪くはないな・・・と一瞬思う、季節なのです。
2003年10月01日
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しばらく自分のサイトを留守にしていたら、なんと入るのに”パスワード”の確認を求められてしまいました。いわゆる”開け、ゴマ!”みたいですね。その後は、すんなりと戻ることができました。今までも忙しがっていた私ですが、新学期が始まってから、想像していた以上に”ゆとり”がなくて疲れています。唯一ゆっくりできるのはあの、悪評高きNYCの地下鉄の中だけかもしれないかな?この地下鉄は私の生活に無くてはならない物になっています。通勤、通学に最低8回は乗り降りしている。あまり威張れることではないが、寝過ごした日の朝は中でおにぎりを食べ、俯き加減でお化粧をしたことも!!!日本から来たばかりの頃は、とにかく危ないからということでうたた寝などできなかったのに、うっかり寝てしまうこともしばしばあり←油断大敵デスネ。こんな私を横目に、移動中の電車の中で黙々と宿題をこなしている小学生がいる。現地校の日々の宿題から、日本語の宿題まで毎日ここでほどんどを終えてしまう。慣れたもので揺れる車内でも、そのリズムに合わせて鉛筆を走らせている。全く、わが娘ながら感心してしまう。だからたまにテーブルに向かうと調子が狂うのか、落ち着きがなくあっちにウロウロ、こっちにチョロチョロ。習慣というのは、その人の性格にまで影響するから疎かにできないなあ。またゆっくり”山ごもり”の休日を過ごしたいと願う、今日この頃です。
2003年09月27日
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今日は暦の上での”秋”の始まりであった。今、手元の『ジーニアス英和辞典』をひも解いたらAutumn→アメリカでは、9、10、11月を指し、イギリスでは8、9、10月とされているそうである。また、”Autumn”というのが正式で、同じく”Fall”が一般的に使われている語、とある。確かに、娘たちが学校で頻繁に使っているのも"Fall”であり、<fall of leaves>の雰囲気もあり、心にしっくりくる。前置きが長くなってしまった。日本では「秋分の日」の祝日のようだ。お彼岸だというのに、先祖のお墓参りもすっかり御無沙汰してしまっている。こちらに住み始めてから、親戚や親しい友人の5名が亡くなった。いずれもの時も帰国が果たせずに失礼してしまった。2年前に一時帰国した際に、改めてご焼香に上がった。ときたま、その人達が夢枕に立つので、驚いてしまう。映画のように、何気ない出来事の一コマが鮮明に蘇る。日本に居る時より、また生きている時よりも、近くに感じるのはなぜだろうか?そうやって、今は亡き者たちのことを偲ぶことでせめて”お墓参り”の代わりにさせて頂いているのである。
2003年09月23日
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さすがに夕べは、すごいどしゃぶり(Oh~ Cats and Dogs)!と強風で枕元の窓がガタガタ揺れ、すきま風がもれてきて何度も目が覚めてしまった。台風一過、一夜明けて空はまた晴天を取り戻した!朝、娘を連れて登校する。いつものことであるが、道路のゴミのすごいこと!昨夜から朝にかけての強風で下に落ちてあったモノが、上に巻き上げられて浮遊し、また落下したと思われる。落ち葉や木の枝そして小鳥の死骸(カワイソウ・・・)のような自然のものより、プラスティック製品などのゴミが多く目立っていた。まだ湿り気を含む空気と晴天のため、朝から蒸し暑く感じる。この時期は半袖シャツにカーディガンという服装が一般的だがこと服装に限っては、人種や民族そして年齢により個人差がとても大きいのがこの街の特徴かもしれない。日本に住んでいた時には、アパートの窓から人の服装を見て着るものを選ぶということもあった。が、ここでは全くアテにならない。老人や中南米系の人たちは、少し風が冷たくなるともう皮コートを着込んでしまうし、かと思えばアフリカ系や北欧系のお姉さんたちはノースリーブだったりする。同じ日本人にも”寒がり”と”暑がり”がいる。体感温度は、千差万別でかなり主観的なものかもしれない。話しが逸れてしまった。今日も通学の電車は満員。隣のおばさんの毛糸のカーディガンが肌にチクチクするよ~。こっちのお姉さんは汗でベタベタ・・・。”袖振り合うも他生の縁”というのかな?地球の縮図のようなこの街で、今日もたくましく生きている。
2003年09月19日
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昨夜も強い風が吹く一日だった。今も、目の前の街路樹が風に大きく揺れているのが見える。その名もイザベルというハリケーンである。9/18現在、時速150キロでノースカロライナ州に向かっているという。ニュースでは海岸沿いの住民が家を堅くガードして避難する様子が写し出された。予報では明日には首都ワシントンへ上陸かと言われており、今朝は官庁および公共の交通機関を休止したそうだ。この週末にもNY州に上陸?とも言われている。昨日、娘が学校から「HURRICANES」というお知らせプリントを持ち帰って来た。そこには、ハリケーンに際しての心構えや、緊急の避難場所、そして”サバイバル・キット”の中身までこと細かく書いてあった。以下にご紹介します。 *****HURRICANE EMERGENCY SUPPLY KIT*****Portable cooler with ice,Plastic gabage bags,Plywoodor other shuttering material for windows,Sturdy shoes,heavy gloves and lightweight raingear,One gallon ofwater/person per day,Non-perishable,ready-to-eat cannedor packaged foods and a manual can opener,Whistle,One quart of unscented bleach or iodine tablets(for disinfecting water ONLY if directed to do so by healthofficials) and eyedropper(for adding bleach to water)Personal hygiene items(soap,feminine hygiene products,toothbrush and toothpaste,etc.)Flashlight,portable radio,extra batteries,First-aid kit,Prescriptions and medications(five to seven day supply)Child-care supplies(baby food,diapers,wipes)Checkbook,cash,credit cards,ATM cardsこれに携帯電話とワンコたちのグッズを入れたら、完璧。前回の大停電を経験したので、アナログなラジオとか、懐中電灯それから乾電池の貴重さを身に滲みて感じている。早速用意して、いざ週末に備えるとしようか。
2003年09月18日
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~When I’m old~ By: Angela (8years old)When I’m old I’m going to live in countryside of London.I’ll spend my time reading books,swimming and drawing pictures.Life is like a leaf falling down from the tree.I,ll tell young people about my stories.Being old is like being a squirrel that can’t reallyrun so fast.* * * * * * * * * * * * * * * * * * *昨日の日記でご紹介した詩のサンプルは如何でしたか?掲示板で作品を紹介して下さった、こずえさん。この短いセンテンスの中にお人柄と生き方の指針を垣間見たような気がいたしました。どうもありがとうございます。老後のことを考える時、最終的に”人生の目的”について思いを巡らすことになってしまう。今どんな毎日を生きるかによって、将来のあるべき自分のようすが見えて来るような気がする、今日この頃です。
2003年09月16日
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日本は敬老の日の祝日だったと思う・・・きっと。里の両親たちには早めにお祝の品を送ってある。今頃は地域の敬老会などに呼ばれて、大層?なもてなしに授かっていることであろう。それでもやはり、そばにいて共に祝ってあげられない後ろめたさを感じてしまう。長寿大国と言われて久しい日本であるが、お年寄りたちが本当に安心して生活できる世の中であるのか?きちんとした社会保証制度のないアメリカに較べ、確実に年金が貰え、医療費の心配がないのは恵まれていると思う。自分の祖父母の世代に較べ、今時の60代、70代の多くは精神的にも若々しく、老人として十把一からげに扱われるのをあまり快く思わないようにみえる。どうか、老いてもなお、その人の個性がリスぺクトされる生き方ができるようにと願わん。娘が2年生の時のプロジェクトで詩を作るのを学んだ。皆さんも( )に自分にピッタリな言葉を選んで詩を編んでみてください!!!~When I’m old~When I’m old I’ll live in ( ).I’ll spend my life( ).I’ll tell young people ( ).Life is like ( ).Being old is like ( ).さて、娘が( )にどういう言葉を選んだかは、また明日書くことにします。
2003年09月15日
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WTCビルが2棟とも破壊されてしまった。その様子がテレビで、一瞬に全世界に中継されていた。しかし、例によって”情報は常に現場近くよりも遠くにいる方が早くキャッチできる”メカニズムにより、私がおおよその事件のあらましを知ったのは、帰宅後の4時過ぎであった。その1時間後に夫も歩いて帰宅した。それからまた1時間後に、日本の家族からの電話があった。なかなか電話が繋がらず、心配したようである。しかし、家族全員(犬も含めて)が無事でいたことでひと安心した様子であった。まず一番先に後遺症が出たのは、娘である。学校のカウンセラーの指導で”テレビを見せないように”と言われていたので気を付けていたのだが、近所の店先に置かれていた新聞の写真を見て、嘔吐し、立っていられなくなった。娘たちの教室から、丁度北側のビルが燃え盛っているのが見えたと言う。また、このコミュニティーの消防士たちも先発隊として出動し、既に手が付けられない状態のビルに入って行った・・・。ほとんどが同じ学校に通う子供のお父さんたちであった。お友達で両親共にビルで働いている人もいた。ある日、突然、愛する家族を失った人たち・・・。娘が一番恐れていたのは、突然私や夫が目の前からいなくなるのではないか、という不安感であった。それから数日間は低空で飛ぶ偵察機のうなり声で、なかなか寝付かれなかった。しかし、私が一番の恐怖を感じたのは、3日後に乗った地下鉄での小火騒ぎの時であった。誰もが”テロ”の存在を意識せずにはいられなかった。ブッシュ政権の独断とも言える”正義のための報復”には反射的に嫌悪を感じてしまった。暴力を暴力で清算できると思えるのだろうか?いつの時代にも、戦争の当事国の正論が正義とされてしまう。それでは、いったいどうしたらよいのか。ただ言えることは、今自分の側にいる人たちに不快な思いをさせないこと。テロリストのことで、特定の人種や宗教の人を結び付けて話さないことである。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~今年の9/11は中秋の名月でした。アパートの小さな窓からも、くっきりと神秘的な満月を眺めることができました。メモリアルとしての”イルミネーション・ツインタワー”が昔の面影を偲ばせた。・・・あれから娘は定期的に心理セラピストに診てもらっています。今では、だいぶ落ち着いてきていますのでご安心を。
2003年09月12日
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今日もあの日と同じ、爽やかな秋晴れの日和だった。あの日と同じくらいの時刻に娘と登校、学校のエントランスに元気よく入って行く姿を見送りながら、やって来た道を後戻りするように歩く。ちょうど地下鉄の乗り場に差し掛かった時、側の教会の時報の鐘が響き渡った。あの日と全く同じように。2年前のこの日、1機目の飛行機がWTCビルに突っ込んだその時間、私は地下鉄でイースト・リバーの上を走っていた。グランド・セントラル駅を出ると、何やら、すごい騒ぎになって、人が一斉に同じ方向を目ざしながら走っている。みんな蒼白、あるいは真っ赤になって。くり返し”ヘルプ!”と叫ぶ女性。耳をふさぎたくなるような、4文字ワードを叫ぶ男たち。それでも、みんな一体何が起ったのかはわからなかった。ある人が言った。”川の方から見える!WTCが2棟とも火に包まれている!”と。まず最初に、”早く娘を迎えに行かないと”と思った。想像を絶する事態が起っている最中に、子供が手元にいないことは不安でたまらない。すぐに地下鉄のフォームに戻ったが、行政の処置で電車は全面ストップになっていた。また川沿いの方向へ逆戻り、猛火に包まれているビルとは対照的に周辺は灰色の闇のようであった。かすかな煙のにおいがすぐ近くまで感じられた。ああ、この川の真向かいに娘のいる学校がある。教室から事件の様子が見えただろうか。もし見てしまったら、どんなに恐ろしく、心細い思いをしているであろうか。祈るような気持ちで、一歩一歩進んで行く。橋の上は夥しい人の行列になっていた。半泣きに煤で汚れている顔、きっと私も同じ顔だっただろう。やっとの思いで辿り着くと、意外にも、生徒にはなるべく刺激を与えないようにと、通常の授業がおこなわれていた。しかし、娘の学年を含む数名の子供たちは将にその現場をリアル・タイムで目撃してしまっていた。学校の素早い措置で、カウンセラーと養護教師がその数名だけを集めて癒しの授業を施した。下校時刻になっても電車は走っていなかったので、6才の娘を連れてまた歩くはめになった。橋の近くになると、まだ街から歩いて帰る人の行列が!道路脇では、自ら進んで飲み水やアイスクリームを配っている人々に救われる気持ちであった。<明日に続きます>
2003年09月11日
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朝起きると、すでに5555番を超えていました。見事にゲットして下さったのは、楽天仲間の”Pinky!”さんでした!おめでとうございました~~~~~~~!!!楽天ではとても有名な方なので、ご存じの方もおられると思いますが、日本にお住まいでいながらお嬢ちゃんと一緒に英語育児を楽しまれて来たすごい方です。いわば、うちとは正反対の立場で”バイリンガル教育”を目指している、お仲間なのです。お互いに子供の年齢が近いので親しみを持って、よい刺激にもなっています。これからも、よい楽天友達でいてくださいネ。お楽しみのものは・・・直接メイルさせていただきます!この数日でたくさんの方がいらして下さいました。お馴染みの方から、初めての方そしてゲストさん。本当にありがとうございました!!!ところで、サイトの内容も楽しんで頂けたかしら???* * * * * * * * * * * * * * * * * *明日の9/11で、あれから2周年です。去年のようにアドレナリンが吹き出して来ないか、心配です。この日は、心静かに過ごしたいと思っています。
2003年09月10日
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お陰さまで、一気にカウントが50まで伸びました!これって、50人の方が私のサイトをご覧になったということですよね!?本当にありがたいことです。* * * * * * * * * * * * * * * * * * *本日、娘(次女の方)はめでたく3年生に進級しました。小さな学校なので1クラスに16名しかいない。(うち、男の子は5名だけ!)殆どが一番下のプリキンダーから上がってきた子ばかり。担任も1年生の時の受け持ちの先生だった。今年初めて3年生を受け持つということと、11月にご結婚を控えていることで多少の不安は否めない。でも、これまでの4年間の経験で、押さえるべきポイントを掴んでいるからそれ程心配はしていない。*子供が学校でどんなことをやって来たか聞いてみる。*最低1日1回は、担任(もしくはアシスタント)と 顔を合わせる。*宿題は必ず、自分でやらせる。 できないところは、翌日、先生に教えてもらう。*音読、もしくは読書は毎日行う。*問題があったら、早めに担任に相談する。 必要ならば、校長と話し合う。 政府の予算編成で著しく公立校の教育費がカットされた為、半分以上のアシスタントが解雇された。始業時間(3年生で)8:20、お迎えは2:40である。お陰で、バレエ学校へ遅刻することなく毎日通うことができるのだが。<基礎から応用への学年>はこんなスタートであります。
2003年09月08日
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トップを更新していますが、お気づきになりましたか?いよいよ、5555番も近付いて参りました。今度は10000(ゼロの数合ってる?)の時にと考えていたのですが、キリの良い数字ですので急きょ、計画しました。どなた様も大いに狙ってくださいネ。いよいよ来週から娘の学校の新学期!早いもので3年生になる。日本でもそうだが、”基礎から応用への学年”と言われる。学校が小さいので、クラスも友達もそして先生まで分かっているが、やはり始めは何かと心配。そればかりか、今年からバレエ学校へ週4、5回通う(土曜日は日本人学校・・・)ことになるので、ますます、勉強との両立が大変だあ~!!!さあ、今日は夜更かしをしないように、早めに休みます。オヤスミナサイ
2003年09月06日
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また、しつこく”雨”の話題を書いています(^^;朝方までシトシトと降っていた雨も、昼過ぎから止み、久しぶりに青空を取り戻しました。先日の日記の感想を書き込んで下さった方々、どうもありがとうございました。こんな風に、素早いリアクションが楽天ページの面白いところですよね。(だから、やめられない!?)田七倶楽部さんの『どしゃぶり雨』=Cats and Dogsを早速調べましたら、『to rain very heavily』と手元の英英辞典(LONGMAN)にしっかり出ていました。全く、目からウロコです。日本語のような風情はありませんが、結構、気に入りました!さながら、ネコや犬たちがドロドロになっている哀れな様がしんみりと心に響くものがありますヨ。そう言えば、数年前にこのタイトルの映画がヒットしました。それを思えば、犬や猫たちのドンチャン騒ぎも目に浮かぶような気がしますネ。あまり、日常的に耳にしなかったですが、文語的に使われているのですね。さすが、田七倶楽部さん。これからも、ためになるコメントをお願いいたします。また、こずえさんの”日本語は雨を表現する言葉が英語のおよそ20倍”とのコメントにもびっくり!です。こずえさんの博識もさることながら、やはり”俳句”という文芸を極めた、いにしえの人たちの感性の豊かさを思います。ところで、私はどれだけの雨を表現できるのであろうか?ちょうど今やっている、娘の国語の単元に”雨”を表現している詩があったので引用します。『おおきくなあれ』 作:さかた ひろお あめのつぶつぶ ブドウにはいれ ぷるん ぷるん ちゅるん ぷるん ぷるん ちゅるん おもくなれ あまくなれ(以下、省略)・・・雨の気持ちが伝わるようです。また、ご感想、楽しみにしています。
2003年09月04日
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9月に入ってからというもの、連日の雨続きである。そのため気温も低めで、日中でも肌寒いくらいだ。物心がつく前からニューヨークで暮している娘は、現在日本の小学2年生だが、たぶん日本で生活している同級生よりも圧倒的に日本語が不足していると思う。特に、形容詞や擬態語、修飾語など。「今日は雨だよ。」一応、それだけで意味は通じる。しかし、雨ひとつ取っても、どしゃぶりの雨、小雨、シトシトと降る雨、五月雨、にわか雨、はたまた”きつねの嫁入り”など奥が深い。ある日本人のお母さんは、ハーフの娘さんに会話の中で自然に”ことわざ”や日本語独特の言い回しを使って来たそうである。スゴイ!今ではコロンビア大の学生として立派に成長されているが、その話す日本語の美しいこと!それでも時として困ったことがあるという。現地のお友達との会話の中で、翻訳版のことわざを使ってしまい、皆から???の顔をされるとのこと。言葉とは、使われている場所の空気やら、風景そして人の心が一体となって培われるものなのであろう。アメリカ生活8年になるが、未だにアメリカ風コントにはついていけない。笑えない。”笑いのツボ”というのもまた、生まれついた環境に左右されるものである。幸か不幸か、娘はアメリカン・コントにもついていけてるし、”ドリフ”のギャグにも大笑い~である・・・さて、明日はどんな雨が降るのかな?
2003年09月02日
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先週の土曜日・日曜そしてレイバーデイの月曜日まで山小屋に滞在、さきほど戻ってきた。場所はいつものアップ・ステイト・ニューヨークのキャンプ場にて。山の空気は下界とは比べものにならないくらいひんやりと澄んでいる。それでも、日中は心地よい日射しの下、プールで泳げた。今回もおなじみのご家族との再会を果たしたが、ただ1人、娘の一番の仲良しのブリットニーのおじいさんがこの10日前に亡くなったという。7月に出かけた際に会ったのが最期になってしまった。死因は心筋梗塞であったそうだ。享年は聞き忘れたが、おそらく60代前半だと思う。話しを娘から聞くやいなや、ご家族(特におばあさん)におくやみの挨拶に伺うと、穏やかな顔でお礼の言葉と一日一日気持ちがよい方へ向かっていると言った。今回のキャンプも、おばあさんを元気付けるために家族が企画したとのこと。おばあさん曰く「家に居る時よりも、ここの方がずっとおじいちゃんを近くに感じる。」と。所有していたキャンピング・カーはこれを最後に売りに出すとのこと。おばあさん1人では管理が出来ないというので。ブリットニーは、これが最後でもうここには来れないのではないかと心配していた。滞在の3日間というもの、1日は我が家の小屋に泊まり、2日は彼女のキャンピング・カーに泊まった。そして、朝起きてから暗くなるまで一緒に遊びまわった。満天の星空の下で、火星を探そうと望遠鏡で試みたがどれなのか、分からなかった。キャンプ・ファイア-を囲みながら、今は亡きおじいさんの思い出をとりとめもなく語りあった。きっと、今晩おじいさんも輪の中にいたことだろう!このキャンプ場で出会い、一緒に楽しく過ごした時間を私たちは一生忘れない。どうか、これからもおばあさんが心穏やかに暮らせますように見守っていて下さい。願わくば、これからもブリットニーとその弟が毎年キャンプに来ることができますように。
2003年09月01日
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4週間に渡ってのバレエのワークショップが無事終了した。間にあの大停電を挟んでお休みになってしまったので、ずいぶんと長い期間だったような気もする。バレエのテクニックを始め、ジャズ、フラメンコ、タップと世界の一流講師や、元プリンシパルによる指導を受けられたことは何と幸運であったことか。娘はこの度初めてのポワント(トウシューズ)のレッスンも受けた。バレエ歴5年ではあるが、何せ満8才にしかならない子供なので、無理なくゆっくりと足を動かす練習から行う。また、シューズのリボンを巻き付けて結わえることも時間をかけながら覚えることができた。娘のレッスンの合間を縫って、密かに?ジャズのクラスを受けていたのである。バレエの経験はあってもジャズは生まれて初めて!というのも、ジャズの開祖者のルイージとの出会いがあったからである。この話しはまた後日、じっくりと書きたいと思う。バレエの稽古の成果もさることながら、新しくお友達が出来たことは何よりも代え難いものである。皆たいてい9月からのクラスにも通うとのこと。中には、既にオぺラやミュージカルの子役をやっていたり、モデルの子たちも結構いたので、びっくり。いったい、どんなスケジュールをこなしているのだろうか?バレエは全身を使いながら、心の言葉を表現する芸術である。芸術でありながら、身体中の筋肉や細胞?を使うスポーツとも言えなくもない。舞台では、全体の中で自分がどうやって動くかを判断しなければならない。帰り際に先生が、「ちゃんとお勉強もやるように。」と言われたことは全くその通りである。そして、ふつうの子供としての自由な時間も大切にしないとなあ~と殊勝にも思ったのであった。* * * * * * * * * * * * * * * * * * *明日からまた”山ごもり”に参ります。何方様もよい週末を!
2003年08月29日
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とうとう炊飯器が壊れてしまった。何故か知らないが、あの大停電以来使えなくなってしまった。しかしながらこの炊飯器、日本に永久帰国した友人から譲り受けてから既に8年にもなる。日本ではもう見ることもなくなった、昔懐かしい”花柄”のヤツである・・・よく考えたら炊飯器だけではなく、部屋を見回したらほとんど人から貰ったり、中古品で買ったものだらけだ。ソファー、ベッド、本棚、タンス2竿、テレビ、自動車、ピアノ、電話、スタンド、台所用品それから一匹の犬!新品で買ったものは、アンティークのカップ・ボードとこのPCくらいのもの。住民が数年(数カ月!)単位で入れ替わるこの街では、”Moving Sale”のチラシがいろんな場所に貼られていて、毎週末どこかで行われている。また、アパートのゴミ置き場などは公認の”リサイクル場”と化しており、捨てられたと同時にあっと言う間になくなってしまう、回転の早さである。自分にとってはいらないモノでも、人には必要だったりするからおもしろい。また、ごみ収拾日に道路に置いてある”宝の山”から以外な掘り出し物もあるのだ。そこで見つけて運び出した本棚を”靴だな”に利用している。というわけで、なるべく早く炊飯器が欲しいのだが、できれば新しいものを買わずに済ませたい~!毎日のように日系スーパーで”Rice Cooker”の文字を探している。よく見る時もあるのに、求めている時に限って見つからないものである。
2003年08月28日
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エンパイヤ・ステートビルディングを背に、主役の2人の女優、ブリットニ-・マ-フィー&ダコタ・ファニング(カタカナ表記は難しい!?)がお共の子ブタちゃんの引きひもにからまり合っている写真のポスターが何とも映画のテーマを醸し出している、という印象である。このポスターを街角で発見した時から、ずっと娘から「みたい、みたい」とせがまれていたのだ。実は、この映画PG13モノである。”13才未満のお子ちゃまは保護者の監視の下”での鑑賞を勧告されている・・・なるべくなら、見せない方がいいですよっていうニュアンスだろう。準主役(こっちが主役?)のダコタちゃんは8才。娘と同い年である。一昨年前の『I am Sam』の時は未だあどけない女の子であったが、今回は一段と成長し、まさに”看板女優”の貫禄たっぷりの演技と存在感を見せてくれた。話はブリットニー演ずる<モーリー>の28歳の誕生日のシーンから始まる。マンハッタンのアップ・タウンのレトロかつ瀟洒なアパート。最先端を行く、オシャレなクラブでのパーティー。そこで運命的に出会った人々。ギター弾き語りのシャイな青年。筋金入りのキャリア・ウーマンそして、”女王様”さながらの少女。成りゆきで、少女(ダコタちゃん)のベビーシッターになってしまったモーリー。年齢と育った環境のギャップに互いに反発しながらも、心のどこかに<同じ>寂しさを共感してゆく。母親から”解雇”を要求されたモ-リーが、母親に向かって”あなたの娘が本当に求めているものがわかる?彼女は28才じゃない・・・まだ8才なの!”と言うセリフが印象的であった。心配?していた”セクシャルなシーン及び会話”もそれ程ドぎつくなかった(ホッ)お馴染みのセントラル・パーク・イースト、お気に入りのコニー・アイランドの遊園地もあって興奮!”お嬢様”が暮す、アッパーイーストの「1001E83St」は実在するのか?実は、バレエのコンサート・シーンでダコタちゃんのバックで踊っている12人は娘のバレエ学校のお友達である。いずれも、オーディションで選ばれた”バレリーナの卵”たちである。当然のことながら、娘も一緒に行ったSちゃんも喜びと憧れの眼差しでいっぱいであった。
2003年08月25日
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あの大停電から数日過ぎて、その意外にも大きい被害にびっくりさせられています。精密なコンピューターを始め、地下鉄や銀行のカード自動読み取り機等。ちなみに、我が家のエレベーターもあの日を境に”ストップ”しています。娘にとっては文字どおり初めての”テイデン”(当初は「これ、テロ?」と聞いて来ました。)であり、私には”Blackout”という語感を身を持って憶えたことでした。改めて、電球を発明し電気の普及にその人生を賭けた”エジソン”の伝記を読むべく、娘と一緒に図書館に出かけてきました。* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *御存じ、世界で初めて電球の開発に成功、1882年にこのニューヨーク・シティーに電線を通して送電する工事を成し遂げたトーマス・エジソンである。1931年、彼が亡くなった日、アメリカ全土でその偉大な業績に敬意を表して、人々は1分間全部の電気を消したのだという。彼が幼少時の話も有名で、その旺盛な好奇心ゆえのいたずらが過ぎたり、学校の勉強が嫌いでほとんど通学しなかったこと。唯一の理解者である、母親の愛情の下でホームスクーリングが行われたことは初めて知ったことであった。”自然科学”についてはわずかな本を読み、ほぼ独学でマスターした。鉄道に興味を持った12才では、車内で新聞やキャンディーを売る仕事をしていた。それを元に初めての会社の設立→失敗の度に、それを次なるステップにしている。15才では、新たな関心にあった”電信オペレーター”の職に就いた。その後の生涯について、ご興味のある方は下記のサイトに詳しく出ていたので、<http://www.pbs.org/wgbh/amex/edison>を訪ねるとよい。子供を持つ親にとって一番印象深いエピソードを記す。4、5才の時、「火」に興味を持ったアル少年は、自分で火をおこしてとうとう小屋を火事で燃やしてしまった・・・それを知ったお父さんは、皆の前で彼のお尻を叩き、「なんて頭の悪いやつなんだ」と罵った。それを受けたお母さんは、「この子は決してばかでもなく、悪い子でもありません。その証拠に、毎日市場へ野菜を売りに行くとき、一度もお金を間違えたことがない。」と答える。”ただ、どんなことでも、ほんとうの理由を知りたい”のだと。自戒を込めて、今どきこんな風に自分の子供に接することができるだろうか?毎月の電気料金を請求される会社にも『conEdison』と彼の名前が残されている。娘にとって、最高の「夏休みの自由研究」になった。---[This E-mail scanned for viruses by MultiNet Perimeter Virus Scanner]
2003年08月19日
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