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秋風よ 情あらばつたえてよ さればとて 誰につたえん術もないのです とある都の川の畔 両岸には高層ビルが林立し 河岸には薔薇やコスモスの植栽が・・・ されど あわれ 秋薔薇の嘆き 川の畔の一隅は おどろしくも 500年昔の散居部落もかくの如くあったろうかと おりしも陽が沈むかわたれ時 ダンボール・木っ端の類を組みあげた 陋屋に漂うようによろめくような影影影 それは狂い踊る時代の生贄でもあろうか そして黒子のように蠢くものは これをしも人の子といえようか こんなアンバランスを横目に見ては 秋の薔薇とて 天真の薫り 金の花冠の色さえ控え勝ち 誰が都のさまを こんなにも浅ましくしてしまったのか 《あたしは こんなところに咲きとうはなかった》 堂島川に 啾々として秋風が哭く
2009.11.24
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天に向かう 黄金のきざはし そのように 公孫樹の梢は 水仙の黄よりも 薔薇の黄よりも 輝いていたが 一夜一朝めぐりして 錦秋の衣を脱ぎ捨てた いちょうは悲しい老いたピエロ♪ シャンソンのメロディーをよそに 公孫樹のこぬれは 月影を宿し 星くずをちりばめ 天をめざして 手をかざしている
2009.11.18
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文芸春秋1972年4月号の巻頭随筆にこんな一文が載っている。 ( とはいっても、ここにあるのは本誌そのものではなくて、1979年 に発行された、巻頭随筆だけを一冊にまとめた文庫本だが。) 『広瀬中佐の約束を守った話』 海軍中佐広瀬武夫という名は、戦前の人ならたいてい知っている。 東京の須田町に大きな銅像が建っていたのを覚えている人も少なく はあるまい。 この広瀬中佐にまつわる話が、戦前の尋常小学校修身巻二にでて いるが、それは、旅順港の閉塞隊の隊長として名誉の戦死をとげて、 軍神に祭られたというあの有名な話ではなく、約束を守った話というの である。 中佐は若いころから柔道が好きで、乗艦が軍港に入ると、早速柔道 の稽古着を持って上陸するのが常であったが、その時、庭球のラケット を手にして上陸する士官があり、同じスポーツマンとして、いつしか親し くなったらしい。 そのうち、中佐は、ロシアへ留学する命を受けた。当時はまだ大尉だ ったが、早速その親友の家を訪ねて別れの挨拶をのべた。 その親友の家には、小学校へあがる前の少年がいたが、広瀬大尉 のロシア行きの話を聞いて、それなら、帰る時ロシアの切手を持って来 て下さい、とねだり、大尉はそれを快諾した。 この少年の父も長年イギリスに留学し、ヨーロッパ各国の切手を沢山 持ち帰って少年に与えたので、それから少年も切手集めに熱中してい たのである。 この広瀬大尉のロシア行きは、明治三十年(1897年)のことで、それ から5年後に、、いよいよ帰国する途中、シベリアで猛吹雪に襲われて 宿にとじこめられた。その時の大尉のことが、次のように修身の本に取り あげられているのである。 (以下、前回記載のとおりなので省略) 幸い、広瀬少佐(留学中に進級した)は、その後幾多の困難にあいながら 無事帰国したが、約束の切手の方は、ずっと後になってようやく少年の手 に届いた。しかし当時のシベリアの実情を考えれば、いくらおくれてもとにか く届いたことだけでも幸運といってよかったろう。 そこで少年は早速少佐に礼状を書いて、少佐の乗艦「朝日」あてに送った が、その文は次のようで、今の小中学生が見たら、ふしぎな文体と思うだろう。 《拝啓、先日は珍らしき切手沢山頂戴致し有りがたく御礼申上候、 永く大切に保存致すべく候、御礼まで。 敬具》 現在このハガキは、竹田市の広瀬神社に保存されているが、その差出人 の名は、相州小田原町十字三、関重広と記されている。ここまで書けば、 この少年が誰であったかは説明の要はあるまい。 (以下省略) この随筆を書いた方は・・・・・ 日本工学院院長・小田原女子短期大学長 関重広とある。
2009.11.14
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森の一角 そう大きくもない池に バンの親子を見つけたのは 春先のことだったか そのころは 成鳥が3羽 雛鳥が10羽いた 成鳥のうちの二羽は番の雌雄 一羽はヘルパーらしかった そして夏になっても この数はかわらなかった 池の面を 小首を前後に動かして スイスイ泳ぎまわる姿は 可愛くもあったが 数を確認するのは簡単ではなかった 夏が過ぎ 紅葉の季節 いま 池にいるのは5羽だけ 春先に見た個体と一緒なのか別なのか 春先の個体はもう巣立ったのか 育ち遅れた個体だけが 取り残されたものか 気になるところだが この後もバンの親子を 見守らなくっちゃ
2009.11.11
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09年11月6日のことだった 「日本列島はそろそろ落ち葉も時雨れる季節となりましたが ここニューヨークは吹雪が舞うでしょう 吹雪は吹雪でも紙吹雪であります」 気象予報士の誰一人として こんなコメントはしなかったが・・・ 9年ぶり27度目の世界一に輝いた ヤンキースが6日(日本時間7日) ニューヨーク・マンハッタンで 優勝パレードを行った ワールドシリーズで 日本人初のMVPに輝いた松井秀喜選手は 車上から沿道の約100万人の大歓声に 笑顔で応え世界一を改めて味わった 耳をつんざく大歓声と 一面銀世界の紙吹雪 ニューヨクのブロードウエイは 歓喜に包まれた 世界一を祝福する快晴の午後 気温7℃の肌寒さも吹き飛ぶ熱気だった 《ゴジ(GODZILLA)の背に紙吹雪舞うニューヨーク》 司馬さんの「坂の上の雲」にも登場する 俳人正岡子規は大の野球好きだったという 子規の時代から100年の月日が流れた もし子規いま在りせば この日の感慨を どのような句で表現したろうか 蛇足ながら 俳句歳時記には 野球も紙吹雪も載っていない つまり無季の題なのである しかしこの日を期して 「ワールドシリーズ」「MVP」「紙吹雪」 これらも季題として認知されてよい とは俳句知らずの一野球ファンの弁なのだが・・・
2009.11.10
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NHKの大河ドラマ「坂の上の雲」にも登場するであろう 軍神広瀬武雄については、多くのエピソードがある。 尋常小学校の終身教科書(昭和9年~巻2)に採用されている 逸話もその一つである。 国定終身教科書は、「徳目基本主義」といって、一つの項目で 一つの徳目について述べることを編集方針の基本としていた。 ここに取り上げられた徳目は「やくそくをまもれ」であった。 広瀬は、日本を発つ前、郵便切手趣味のある少年と 「おみやげに、あちら(ロシア)のゆうびん切手を、持ってかえって あげよう」とやくそくした。 広瀬は、任務のためシベリアの氷原を単身馬橇で横断することと なったが、その途次ふと少年との約束を思い出した。 そこで、広瀬はその少年にあてた手紙を書いて、郵便切手をを入れ それを、自分の兄に所へ送って 「もし私が死んだら、この手紙を少年にとどけて下さい。」 とたのんでやりました。というのが教科書に載せられた内容のあらまし である。 ところで、この逸話が単なる作為に基づいた話でないことを裏付ける 実話としての当事者の記述がある。 雑誌「文芸春秋」の巻頭随筆にそれは書かれているのであるが・・・ (つづく)
2009.11.07
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鶏頭の十四五本もありぬべし 正岡子規 零れた種子から 文字どおり 鶏頭が芽を出し すくすく伸びて 十月の日差しを浴びている 赤い冠をかざして いつまで咲きつづけるつもりか いま 遅咲きの 見頃である
2009.11.07
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