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よもぎ猫ってのは知ってるけど 紡ぎ猫なんて 聞いたことないなんて よく言われるんだ 別にむつかしい話じゃない 要するに お話を紡ぎ出す猫のことよ 猫には 人間にはない感性があって 猫から見た人間社会なんて カリカチュアそのものなのよ あたしの主人は 大学の哲学の先生ってのを やっているらしい 哲学という学問については あたしはまだよく 研究していないのだけど 愛だとか 善だとか 死だとか 存在だとか とにかく あまりお腹の足しにならないお題目を それこそ 真剣に考えるらしい 昔は 万物の根源は何かなんてことが 大真面目に取り上げられたらしい しかし 「人間にとって猫とは何か」 というテーマについて 考えた哲学者がいなかったというのは まったく 片手落ちではなかろうかと あたしは 最近思うようになった そこで 「猫にとって人間とは何か」 について考察すれば 自ずから 「人間にとって猫とは何か」の 答えが出てくるのではないかという 結論に達したのよ 幸い 先生という生きた教材が 身近にあることだし 本来ならば 人間自身が考えるべきことを 猫のあたしが 何の見返りもなしに 考えるというのは ちょっと ムカツクのだが まあいいだろう そのうちなにか いいこともあるだろう
2009.07.31
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「天網恢恢」=てんもうかいかい 老子の言葉 疎にして失わず(漏らさず)と続く 天の網は広大で 目はあらいが 悪を取り逃がすことはない 長きにわたって続いた 自民政権だったが いま天(国民)の審判が 下されようとしている 「羊頭狗肉」=ようとうくにく 晏子春秋よりの言葉 羊の頭を看板に懸けておきながら 実際には狗(いぬ)の肉を売ることから 見かけは立派だが 実質がこれに伴わないこと 看板に掲げた羊頭に惑わされて 狗肉を売られることのないよう マニフェストには くれぐれも注意を払おう 「蛙鳴蝉噪」=あめいせんそう 蛙の鳴きごえ 蝉の鳴き騒ぐ声 そのように 役立たずの議論や内容のない文脈は 切捨て御免だ! こんな言葉もある 「一犬形に吠え 百犬声に吠ゆ」 後漢・王府・潜夫論にある古い諺 一匹の犬が何かの形を見て吠えると その声につられて多くの犬が いっせいに吠え出すこと かつての郵政民営化という キャッチ・コピーはまさにこれだった 群集心理に陥らず 情報の選別こそ大事 メディアにもマスコミにも 踊らされることなく 二千年前の後漢も 日本のいまもかわらない
2009.07.31
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大分県に生まれた35代横綱双葉山も この豊後国に深く浸透してきた 歴史と文化的風土に馴致し感化されていたことだろう そのことを物語る一つのエピソードがある 昭和の大横綱双葉山 69連勝後の 昭和14年(1939)1月場所4日目のこと 記録は破られるためにあるとはいえ 前頭3枚目安芸ノ海に 左外掛けで破れ連勝を阻まれた 相撲の歴史に残る忘れられない出来事だった そのときの双葉山のコメントがまた忘れられない 『我れいまだ木鶏たり得ず』と 「似木鶏矣」 荘子・外篇・達生からの引用である 名横綱とはいえ一力士である双葉山の 並々ならぬ素養を読み取ることができる 幕末の豊後日田の人 広瀬淡窓は 儒学者であり教育者であり漢詩人でもあった その私塾「咸宜園」には 日本64州から3000人の子弟が集まり学んだ 広瀬武夫また淡窓の教えに間接的な影響を 受けたと考えるのが自然である 淡窓~広瀬武夫~双葉山 一人は儒学者 一人は神になった軍人 一人は天才と謳われた名横綱 三人の共通項として強く感じるものは やわり豊後の歴史とその文化的土壌である 昭和初期の国定尋常小学校修身教科書に 「やくそくをまもれ」と題した 次のような文章が載っている 広瀬武夫は、ロシヤに長く行っていたことがあります。 武夫は国をたつ前に、ある子どもに、 「おみやげに、あちらのゆうびん切手を 持ってかえってあげよう。」とやくそくしました。 武夫は、ロシヤからかえるとちゅうで、 たった一人そりにのって、 あぶないたびをすることになりました。 ちょうど、さむいふゆのことです。 そこは、ひろいひろい雪とこおりのあれのはらです。 見わたすかぎり、家も何もありません。 その時、武夫は、さきのやくそくを思い出して、 「もし、とちゅうでじぶんが死ぬようなことがあったら あのやくそくがはたせない。」と思いました。 そこで、武夫は、その子どもにあてた手紙をかいて ゆうびん切手を入れ、 それをじぶんのにいさんの所へおくって、 「もし私が死んだら、この手紙を子どもにとどけてください。」 と、たのんでやりました。 (精選尋常小学修身書 監修八木秀次)より
2009.07.29
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帰路 回り道して立ち寄る 森の奥の池 今日も親鳥三羽 雛十羽 いましも 蕾のふくらんだ睡蓮の葉の上を 身のこなしも軽く歩いたり 葉の間を泳いだり ずいぶん大きく育った でも あれはカイツブリじゃなかった やっぱりバンだった バンはツル目 クイナ科の鳥 くちばしの基部の赤が目印になる 4月渡来し11月には渡りに出る 5月から8月にかけて 5~15個の卵を産む そして子育てを助けるために ヘルパーがつくことがあるのだという これこそ天の配剤 きっと 親鳥2羽では 10羽の雛の面倒は見切れないのだろう これは一種の利他的行動だという 一般的には繁殖個体の 前年の子とか血縁の近い個体が 行うことが多いそうだ つまり 成鳥3羽のうち 2羽だけが親鳥で 1羽は 成鳥ではあっても 親ではなくヘルパー個体だったのだ それにしても 厚生労働省あたりから 表彰してあげたいくらいではないか 人間社会では やれ 介護だ ベッド不足だ 医師不足だと 悲鳴が聞こえるご時世に 学ぶべき 見習うべき 示唆に富み 理に適った話だ
2009.07.28
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森の奥に小さな池がある 周囲300メートルぐらいか 6月のはじめ 数羽の黒っぽい小鳥が 遊弋しているのを目にした 以後 気になって 家への帰り道 迂回しては池のほとりに佇んだ もの好きな 同類のあじさんもいて パンの屑を投げ与えていた 「親が三羽仔が10羽いる なんで親が三羽なんだろう 三角関係かな」だって 「あれはなんの鳥ですか」 「カイツブリ いや バンかな カラスや猫が狙っているんだよ」 鳥類図鑑を調べてみるが カイツブリとバンの区別がよく分からない 親の嘴の付け根あたりが赤い ことからして きっとバンではないかと判断するのだが 仔はまだまだ小さいが 水草をあさって 元気に育っているようだ 当分 森の池の バードウオッチングが続きそう
2009.07.19
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< 阿覧・プーチン・琴欧州 > これは < 巨人・大鵬・卵焼き > < 阪神・たこ焼き・ストリップ > のような単なる語呂合わせの類に止まらぬ 意味をもっている 阿覧はロシア出身の力士で東前頭筆頭 プーチンはロシア元大統領で講道館柔道の有段者 琴欧州は旧共産圏ブルガリア出身の大関 つまり 日本とロシア圏の間には 渾然として格闘技交流の現実がある 閑話休題 第35代横綱双葉山は大分県の出身だった 横綱というのは突然変異のようには生まれない よほど相撲が盛んで 人気も伝統もある土地柄にしか生まれない 大分県あるいは豊後という土地柄がそうであった そんな土地柄に育った広瀬武夫も 子供のころから 近辺の子供相撲や草相撲で活躍したに違いない 活躍そのものが目的ではない 揉まれたと言った方がふさわしい 自分よりも 背丈が大きく 膂力にも勝った相手に いかにして勝つことが出来るか 考え 瞬時に判断し 精神と身体が鍛えられていった 長ずるに及んで 広瀬の格闘技は相撲から柔道へと 転換を余儀なくされる 海軍兵学校の教典に相撲はなかったろう しかし 少年のころの 相撲に対する一期一会ともいうべき 熱い想いが迸るときがあった 明治29年 広瀬28歳で海軍大尉 この年広瀬は砲艦「磐城」(=656トン)の 航海長を拝命する この年広瀬の祖母智満が傘寿を迎えた 幼時母を亡くした彼は祖母に慈しみ育てられた 「磐城」が長崎に寄港したので 祖母に送るため 彼は上陸し写真を撮った 一枚は海軍大尉の正装で 一枚は下帯だけの素っ裸で そして 広瀬は写真の裏に一文を書いて 祖母に送った 「吾レヲ生ムハ父母 吾レヲ育ムハ祖母 祖母八十ノ賀 特ニ赤条々 五尺六寸ノ男児ヲ写出シテ 膝下ノ一笑ニ供ス」 このエピソードは 裸一貫の格闘技相撲に 少年のころ 慣れ親しんだ 広瀬武夫の精神構造を 表現して余りある
2009.07.18
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政権与党はいま「周章狼狽」 単純明解 四字熟語はストンと胸に収まりやすい でも 明解さのあまり ひとの脳細胞を 欺瞞することもあるからご用心 たとえば 構造改革って 郵政民営って 三位一体って 何だったの? 何のために 誰のために 欺瞞だったり デマゴーグだったり 言葉だけで踊らせ 先を読まさず 韜晦し 不毛の季節が恨めしい でも嘆くこともない 言霊の幸おう国では 言霊を弄んだものたちへ いつか 鉄槌が下されるのだから
2009.07.16
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サンクトペテルブルグの青白い月の光が 窓辺に差し込んでいた 二人が肩を寄せ合って朗読する詩の一節が コヴァレフスキー邸の一室に 静かに流れていた ああ どこへ去って行ったのか わが青春の黄金の日々よ あすの日は何を私に送るのか 眼をこらして凝視しても 深い霧に隠れて見えない いや その必要もない 運命の掟は正しいのだから たとい私が 一筋の矢に貫かれて倒れようとも あるいはその矢が身をかすめて飛び去ろうとも すべて良し 夢と目覚めの時は 定められた時に訪れるのだから 迷いの日も祝福あれ 闇の訪れにも祝福あれ 和魂洋才というべきか 明治の九州男児が 今 ここで唱和しているのは プーシキンの「オネーギン」の詩の一節 こんな機会が訪れたこと自体 巧まずして天が為せる運命の奇蹟と いわなければならない しかも 広瀬は日露開戦前夜の ロシア駐在武官 片や ロシア海軍省水路部長子爵 ウラジミール・コヴァレフスキー少将の 令嬢アリアズナだったのだから しかし この詩の一節からは 遠くない将来の広瀬の身の上に ふりかかる運命の予兆めいた 格調を感じるではないか
2009.07.12
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九州山地の中心阿蘇山 豊後日田はその北西に位置する 幕末、高野長英や大村益次郎など 勤皇の志士の多くが この日田の町に所在する咸宜園(かんぎえん)に学んだ この咸宜園なる私塾を開いたのは 儒学者 広瀬淡窓(1782~1856)であった 淡窓の教えは一言で表現するならば 敬天思想を中心とし諸学を総合した 実践的な経学であった 淡窓はまた詩文にも長じ 「淡窓詩話」という著作もある 咸宜園には4600余人が学んだといわれ 江戸期最大の私塾であった 一方 阿蘇の東方には 竹田という風光明媚な城下町がある この町は 江戸期の文人画家田能村竹田や 音楽家滝廉太郎を育てた 竹田のシンボルは岡城だ 広瀬武夫は 岡城の城下 茶屋の辻とよばれる一角に 下級武士の子として生まれた 日田と竹田は 直線距離にして60キロ位 豊後国内で咸宜園に学んだ塾生は1127人 出身地を国別に見れば64ヶ国 遠くは加賀、能登、越中、陸前、羽後、陸奥 にまで亘っている 淡窓亡きあとも 咸宜園の入門者は明治4年まで続いた 広瀬武夫(1868~1904)は明治元年生まれ だから彼の少年時代には 咸宜園はすでに閉園していた とはいえ 武夫の詩才をはじめとする素養のなかに 淡窓が育てた豊後の文化的風土の影響を 十分に感じ取ることができるのである 武夫は あるときは 蘇東バの「青山一髪 是れ中原」の 句を模した 頼山陽(1780~1832)の 「天草灘に泊る」を吟じたこともあったろう 雲か 山か 呉か 越か 水天髣髴 青一髪 万里 舟を泊す 天草の灘 煙は蓬窓に横たわり 日漸く没す 瞥見す 大魚の波間に跳るを 太白 船に当たって 明るきこと月に似たり
2009.07.11
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人間宣言という言葉はあるが 神様宣言という言葉は聞き慣れない 自らを「我は神なり」と宣言するような神?は 邪な神に他ならず、どこか胡散くさい 徳川家康ですら、生前において 「我は東照大権現なるぞ」などとは言わなかった かつて、時代の要請から 軍神と祀りあげられた人があったが・・・ それは 人よりもなお人らしい神であったかも知れない ときは 明治37年3月27日 轟く砲音 飛来る弾丸 荒波洗う デッキの上に 闇を貫く 中佐の叫び 「杉野は何処 杉野は居ずや」 ・・・・・ 船内隈なく 尋ぬる三度 ・・・・・ 呼べど答えず 探せど見えず ・・・・・ 今はとボートに 移れる中佐 飛来る弾丸に 忽ち失せて 旅順港外 恨みぞ深き 軍神広瀬と その名残れど わが国を取り巻く国際状況が 日露戦争前夜のそれと 似ているところがあるのだろうか いま、広瀬武夫を再評価する声が増えている 皮肉なことに 歴女人気も上昇中らしい 今秋 NHKが製作するスペシャルドラマ 司馬遼太郎「坂の上の雲」では どのような形で登場するか ともあれ 人気上昇は間違いないだろう 「軍神」として祀り上げられこそすれ 花も実もある 人間広瀬武夫にまつわる 記憶のあとを探りたい
2009.07.09
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数年まえのこと 詩の朗読の会が催され出席した 「ALSの会」のチャリティーだった 詩人吉増剛造さんの朗読を聞いた 思えば そのとき 「ALSの会」って何なんだろうと ALSについては全く無知だった ALSは Amyotrophic latcral selerosis 日本語では「筋萎縮側索硬化症」 病名も至って難解な難病だったのだ 「ALSの会」はこの難病の患者を 側面から支援する民間団体だったのだ 舞台はかわるが 09年7月4日 アメリカMLBでのこと 大リーグ全30球団全選手が ヘルメットと左胸に 「4ALS」と表記したワッペンをつけてプレーした 70年前の1939年 ニューヨーク・ヤンキースで 2130試合連続出場や三冠に輝いた L.ゲーリック内野手が ALSのため36歳で引退を表明したのだった 7月4日に ヤンキースタジアムで 「私は世界で一番幸せな男です」と 有名なスピーチをした そして2年後に死去した 彼の背番号4が プロスポーツ史上初の永久欠番となり ALSは別名ゲーリック病といわれるようになった 09年7月4日のワッペンは ALS基金募集の意味を込めたものであり 4はゲーリックの背番号だったのだ この日のア・リーグ ヤンキースタジアムでの ヤンキース対ブルージェイス戦 7番DHで先発出場した 松井秀喜のヘルメットと左胸にも 4ALSのワッペンがついていた 1点ビハインドで迎えた2回1死 カウント1-2 サイ・ヤング賞右腕ハラディーの 151キロの高速シンカーは 右中間スタンドに見事に打ち込まれた ヤンキースは6対5で勝利した ALSへの記憶とともに ゲーリックにあやかって 好漢松井の 大ブレイクが始まる予感がする
2009.07.08
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新築かリフォームか単なる取り壊しか ものに耐用年数がある以上 街が新陳代謝を繰り返すのは致し方ないのだが 「ローマは一日にして成らず」 とはいえ この調子では 一年経っても十年経っても百年経っても 街は完成することがないだろう 街がそうであるように 人もまた工事中らしい 若者たちも工事中だ 就活だって?婚活だって? そんなに急いで手抜き工事は禁物 まずは言葉からしてリフォームしなけりゃ こりゃずいぶん時間がかかりそうだ 政界も工事中だが こちらはなかなか難工事らしい 与党も野党も 不審な普請に腐心中 リフォームで行こうか 新築で行こうか いっそ解体工事で行こうか いずれにしろ 景気のリフォームだけは よろしくお願いしたいものだ だがいったい だれに施工を依頼したらいいものか
2009.07.07
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