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弟から珍しくメールの返事が来た。
「マジ ショック」。
エドワードヴァンヘイレン死んじゃったね
って送ったのだ。
E.Van.Halenは
私が若い頃の ギター小僧たちにとっては
神でレジェンドで天才
だったのだ。
キンクス”You really got me"のカバーがメチャかっこよくて、
ギターが とにかく超絶技巧
。
何やってんだかさっぱりわかんない。
Queenの ブライアン・メイ
でさえ(私にとってロックギタリストと言えば
彼とエドワード・ヴァン・ヘイレンとリッチー・ブラックモア。とジェフ・ベック。かなあ)
「 エディ・ヴァン・ヘイレンは素晴らしい。
どうやって弾いているのかまるでわからない、
あらゆることを彼はやっているんだから」
と言ったそうな。(Twitter ブライアン・メイbot)
エディの威勢良くて迫力あって神がかったギターと、
デイヴィッド・リー・ロスのなんとなくしどけなくてだらしなくて、
エッチな感じのボーカルが大好きだった。
弟と私はクラシックギターを習っていたことがあって、
私は練習しないからいつまでも下手クソで、
自分の出す音が嫌いになって益々練習も嫌いになって
しまいには弾かなくなるという負のスパイラルどん底まで
到達してしまったけれど、
弟はクラシックギターからエレキギターへと進み、
学生の頃は
バンドを組んで人前で演奏してお金をとるようになっていたらしい。
勿論、弟はE.Van.Halenにも挑戦した。
隣の部屋で、よくSpanishFlyやEruptionのいろんな欠片がきこえてきた。
よく練習していたのは当時「 3連トリル
」と呼ばれていた奏法。
(多分「 ライトハンド奏法
」とか「 タップ奏法
」ってこの事だよね)
早弾きも、3連トリルも、エディは人間離れしてスゴかった。
弟が、ぜんぜんできねえとあきれていた。
死んでからだけど、 彼らの生い立ち
を少し知った。
グループ名にもなったVan・Halen家はオランダ出身。
父親はオランダ人で母親はインドネシア人。
(インドネシアは1949年オランダから独立。)
オランダでの子供達への差別がひどく、アメリカへ移住。
アメリカへ行った時、アレックスとエドワードの兄弟は、
英語が喋れなかったそうだ。
エドワードを助けてくれたのは黒人の少年たち。
彼ら2人
と、ロシア系ユダヤ人の デビッド・リー・ロス
、
ポーランド系の マイケル・アンソニー
で
”Van Halen”結成。
(彼らの デビューした時代は米ソの東西冷戦時代
。ポーランドは東側。
「ソ」ってソ連のことで、ソビエト社会主義共和国連邦。1991年崩壊。)
彼らがデビューする前のアメリカで受けた差別って、どうだったんだろう。
ヴァン・ヘイレン兄弟しかり、
クイーンのフレディ・マーキュリー
しかりで、
植民地、移民、差別
は 世界史の教科書の中だけじゃなく、
私の大好きな世界にもあって
、
私はそれを見てこなかった。
彼らもそんなバックボーンを見せる事無しに(いえ、どこかで
見せていたのかも知れないけれど…)
彼らは私に喜びを与え続けてくれた。
エドワードは笑顔がとても可愛くて、あどけない
。
あの笑顔に、どんな口惜しさを隠していたのかな。
ギターを弾く時は、辛かったいろいろを、忘れられたのかな。
友人に、弟から珍しく返事が来たのが
甥達の事でもなく母の事でもなく、Van・Halenの事だったと
笑い話めかして話した。
私と同じく弟のいる彼女から
「 弟さんと同じ趣味を持っているっていいね
」
と意外な返事が返ってきた。
エドワードヴァンヘイレンさん、 弟と私を繋ぎ続けてくれて
ありがとう。
あなたのギターホントかっこよくていつも圧倒されてました。
ありがとう、ありがとう。
ご冥福をお祈りいたします。
苗字からオランダ系とわかるヴァン・ヘイレン兄弟の母はインドネシア人。アムステルダム生まれで、子供のときに米国に移民したハーフ・エイジアンなのだ。小学校ではアジア系だといじめられることもあり、そんなときに味方になってくれたのは黒人の友達だったという。 #RIPEddieVanHalen
— tadd igarashi (@taddihno) October 7, 2020