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世の中の重荷おろして昼寝哉 正岡子規残暑お見舞い申し上げます。吟遊映人はただいま長い午睡中です(笑)残暑の折、皆様におかれましてもおおいに昼寝をお楽しみください。秋風を、それこそ一日千秋の思いで待つこの頃であります。では昼寝あけにまた(^^)/~※ご参考まで寺田寅彦「涼味数題」に曰く。『義理人情の着物を脱ぎ捨て、毀誉褒貶の圏外へ飛び出せばこの世は涼しいにちがいない』
2015.08.11
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仏へと梨十ばかりもらひけり 正岡子規ふと、考えた。もしや畑から失敬してきたのでは・・・?頬被でコソコソ梨をもぐ子規の姿は容易に想像でき、思わず吹き出してしまう。しかし病床見舞いの梨を詠んだ句はかなしいのだ。「野老氏ニ酬ユ」石ノ巻ノ 長十郎ガ 見舞カナ吾ヲ見舞フ 長十郎ガ 誠カナ巷では店の果物棚も、地物の梨で賑わってきた。ひとつ求め子規を偲びながらシミジミ味わいたいと思う。もちろん仏(仏壇)に供えてからである。※ご参考:「獺祭忌(子規忌)」は9月19日。コチラからコチラから収穫の秋はまだまだ続く。こうご期待♪
2014.09.07
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桃の実に目鼻かきたる如きかな 正岡子規明治35年の初秋、子規は写真を眺めながらこう詠んだ。鬼籍入りが同年9月19日なので、微笑ましくも物悲しい気分になる。そしてもう一句。桃の如く肥えて可愛や目口鼻死を前にして、子規の創作意欲は衰えることはない。というか断末魔の一句か。ふりしぼるような子規の気力が、ただただ切ない。それゆえに、明治35年の句は一言をもおろそかにすることあたわず。子規を偲びつつ声に出して読むのである。コチラから収穫の秋はまだまだ続く。こうご期待♪
2014.09.05
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小説を読む窓さきや葡萄棚 正岡子規似句あり。小説を 好むあるじや 葡萄棚散歩コースに葡萄棚を持つお宅があるのだが、脇を通ると甘酸っぱい匂いが鼻腔から五臓六腑に沁みこむのだ。馥郁たる葡萄の香で、なんとも食指を動かされる。ふと伸びる手を小さな理性で押し戻すのが精一杯だ。そこで思った。葡萄棚は「獺祭書屋(根岸の自宅)」ではない。おそらく隣家ではないか。秋の風に乗り、葡萄の馥郁たる香が届く。苦吟する子規は、もう居ても立っても居られない。隣家に忍び込んで一房失敬するのである。ときに隣家は代々の素封家で、主はつまらない小説を書いている。筆を手に子規は一句。「小説を 好むあるじや 葡萄棚」葡萄の礼は一句したためた短冊。子規も粋ではないか・・・きっとそうに違いない!収穫の秋、こうご期待♪
2014.09.03
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初秋や三人つれだちてそこらあたり 正岡子規前書きにこうあり。「碧梧桐虚子を伴ひて」河東碧梧桐と高浜虚子の高弟二人を従え、子規師の嚮導闊歩する姿を想像するに難くはないのだが、それにしても何とも豪華な三人連れではないか。実は昨晩の就寝前に先代小さん師の「三人旅」を聞いたのだが、子規碧梧桐虚子がそれに重なり、珍妙なる三人連れに思いを馳せる長月朔日であった。
2014.09.01
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暑かりし日を思ひつつ残暑かな 高浜虚子とはいえ、朝晩は秋風を感じる今日この頃である。夏がはやかった分だけ秋も早いのであろうか・・・虚子先生を偲びつつ、ゆく夏を惜しむのである。
2014.08.29
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姨捨はあれに候とかかし哉 小林一茶~案山子(かかし)シリーズ~「その一」はコチラから
2014.08.27
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ものいはぬ案山子(かかし)に鳥の近寄らず 夏目漱石
2014.08.25
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人は人我は我が家の涼しさよ 小林一茶~一茶「盛夏」シリーズ~「その一」はコチラから「その二」はコチラから
2014.08.22
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おたがひにみるかげもなき残暑かな 久保田万太郎五代目古今亭志ん生師の「五人廻し」を思い出した。廓で花魁に袖にされた男たちの噺である。それぞれ醜態をさらし見る影もない。残念ながら豊川稲荷に牛はいない。そして万太郎の極めつけはコチラである。身から出た錆もちあぐむ残暑かなまさに志ん生師を詠んだ一句ではないか。とはいえ実際のところ、万太郎は志ん生を買ってはおらず(芸を認めていなかった)、志ん生も万太郎を煙たがって(嫌って)いたようだ。句にする間柄ではないのだ。それにしても志ん生は牛、万太郎はキツネ。これぞ「牛狐(ギュウコン)の仲」、もうコンコン、てね!
2014.08.21
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朝ゝ(あさあさ)の心におがむ青田哉 小林一茶~一茶「盛夏」シリーズ~「その一」はコチラから
2014.08.17
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一人前(ひとりまえ)田も青ませて夕木魚(ゆうもくぎょ) 小林一茶
2014.08.14
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風が吹くほとけ来給ふけはひあり 高浜虚子
2014.08.11
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蛙になりきつて跳ぶ 山頭火~雲たちて 人それぞれの 蛙かな~■正岡子規の蛙はコチラから■松尾芭蕉の蛙はコチラから■草野心平の蛙はコチラから■西東三鬼の蛙はコチラから■山頭火の蛙(1)はコチラから
2014.08.07
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念力のゆるめば死ぬる大暑かな 村上鬼城節気の「大暑」は過ぎても、連日「大いなる暑さ」は続く。このごろは「熱中症」がポピュラーであるが、節気で語るなら「暑気あたり」と言いたいところだ。皆様、暑気あたりなどされませんよう、どうぞご自愛ください!頼るらくは『念力』、これより他にございません。
2014.08.05
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日ざかり赤い花のいよいよ赤く 山頭火行乞の旅にはことさら怺える夏の暑さである。路傍の雑草に、山頭火は己を見たかさらに一句。草のたくましさは炎天のさらにきびしくしかし同じ夏でもこういう過ごし方もあり。金銀の襖にあつき地獄哉 正岡子規子規センセイの夏は吉原三昧なのだ。何ともゴウキな限りではないか。『子規、吉原の夏を詠む』はコチラから。人、それぞれの夏である。今日も暑くなるようだ。
2014.08.04
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山へ空へ魔訶波羅蜜多心経 山頭火昭和七年七月三十一日、山頭火は旅の空にある。『歩くはうれしい、水はうまい、強烈な日光、濃緑の山々、人さまざまなのすがた。』日記からは山頭火の快活な姿を容易に想像でき、コチラも何とはなしにうれしくなってくるのだ。山頭火に続き心経を読誦、衆生無辺誓願度 煩悩無尽誓願断 法門無量誓願智 仏道無上誓願成 仏説摩訶般若波羅蜜多心経。ひと時、心が清浄になれた気になるだけお経はありがたい、南無観世音菩薩。なお唐突ではあるが、上句の英訳があったので掲載する、ご参考まで。To the mountainsTo the skyThe Heart Sutra. 英訳:John Stevensさて、ご感想や如何に?
2014.07.31
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写経して無の字の多き寒さかな 末吉ミヨ七月も残りわずか。夏はこれからが本番である。心頭を滅して写経三昧に耽るのもまた一興。願わくは、火もまた涼し、の域に達します事を。
2014.07.29
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どうしようもないわたしが歩いてゐる 山頭火猛暑が普通になってしまった今日この頃ではあるが、昭和七年の夏も暑かったようだ。山頭火は日記に綴る。『暑い、暑い、貧乏は暑いものだと知つた。貧乏はとうとう切手を貼らないで手紙をだす非礼を敢てせしめた、それを郵便集配夫がわざわざ持つてきて見せた厚意には汗が流れずにはすまなかつた、それでなくても暑くてたまらないのに。』そうして出来た句である。炎天のポストへ無心状である手元不如意を「懐が寒い」と表現するが、極度になると「懐が暑い」ことになるらしい。まさに『どうしようもない』わけだ。懐が寒い我が身は、特に暑い夏には、幸せと思わなければならない。
2014.07.28
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高原の向日葵の影われらの影 西東三鬼~ひまわりや 人それぞれの 夏の空~■橋本多佳子の向日葵はコチラから■ 北原白秋 の向日葵はコチラから■与謝野晶子の向日葵はコチラから
2014.07.25
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髪に挿せばかくやくと射る夏の日や王者の花のこがねひぐるま 与謝野晶子※ひぐるま=ひまわり~ひまわりや 人それぞれの 夏の空~■橋本多佳子の向日葵はコチラから■ 北原白秋 の向日葵はコチラから
2014.07.23
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向日葵のゆさりともせぬ重たさよ 北原白秋~ひまわりや 人それぞれの 夏の空~■橋本多佳子の向日葵はコチラから
2014.07.22
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向日葵に天よりあつき光来る 橋本多佳子
2014.07.18
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名所に住んでつたなき蛙哉 正岡子規~梅雨空や 人それぞれの 蛙かな~■ 山頭火 の蛙はコチラから■松尾芭蕉の蛙はコチラから■草野心平の蛙はコチラから■西東三鬼の蛙はコチラから
2014.07.16
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石段の一筋長き茂りかな 夏目漱石※漱石の未発表の俳句コチラ
2014.07.11
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蛙蛙独りぼつちの子と我れと 山頭火~梅雨空や 人それぞれの 蛙かな~■松尾芭蕉の蛙はコチラから■草野心平の蛙はコチラから■西東三鬼の蛙はコチラから
2014.07.09
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提灯にさはりて消ゆる春の雪 谷崎潤一郎戦時中、谷崎の「細雪」は中央公論の掲載禁止を余儀なくされた。戦況より何より「細雪」の行く先を気に病む谷崎であり、その心境を吐露した一句がこのほど見つかったという。谷崎が自費制作した私家版「細雪」の表紙の見返しに、そのハガキは貼られていた。なお、実物は今日から奈良で始まる展示『谷崎潤一郎・耽美の世界~肉筆と稀覯本を中心に~』で公開される。
2014.07.08
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あぢさゐやすだれのすそをぬらす雨 久保田万太郎なんともオツな一句である。こういう句を詠ませたら万太郎センセイの面目躍如だ。やくざな生き方も無駄ではない。演歌に歌う「芸のためなら女房も泣かす」といったところか。とはいえ幅が広いのも万太郎センセイの特徴なのだ。こんな紫陽花も詠んでおられる。あぢさゐやなぜか悲しきこの命縁側に寝ころびながら紫陽花を眺める万太郎センセイを想像するに難くはない。チビチビ飲みながら詠んだことであろう。センセイの紫陽花句は他にもあり。●あぢさゐの いろ濃きうすき 宿世かな●あぢさゐの 藍のやうやく 濃かりけり●あぢさゐの 咲きのこりたる 木の間かなひとしきり句を受け止め、思い立ったように出かける万太郎センセイである。もちろん行く先は「傾城」であろう。『紫陽花、其ノ壱』はコチラから『紫陽花、其ノ弐』はコチラから追記:『紫陽花、其ノ壱』では子規の俳句で紫陽花の妖艶なるを見た。後日、その句に「傾城賛」と前書きがあることを知った。「傾城」とは是、花の吉原である。紫陽花も妖艶になるというわけだ。おおいに合点。それにしても正岡子規という御仁はアチラの方でも大活躍である。曰く「英雄色を好む」なり。英雄子規の傾城武勇伝についてはコチラをご覧くだされたし。
2014.07.06
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古池や蛙飛びこむ水のおと 松尾芭蕉
2014.07.04
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虻鳴いて南瓜の花落ちにけり 正岡子規花よりも実が気になりし南瓜なり 吟遊映人
2014.07.02
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てふてふちらちら風に乗つた来た 山頭火
2014.07.01
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紫陽花やはなだにかはるきのふけふ 正岡子規※はなだ:縹(はなだ)もしくは縹色(花田色、はなだいろ)とは、明度が高い薄青色のこと。 Wikipedia参照
2014.06.27
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紫陽花やきのふの誠けふの嘘 正岡子規子規は闇の中で紫陽花を見たに違いない、私はそう確信した。宵に雨があがった夜の紫陽花は、妖艶のひと言につきる。すべては、きのふの誠けふの嘘、なのである。
2014.06.25
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人近く来るや雀の親心 正岡子規なおご参考まで、俳句では子規門下となる夏目漱石の「雀」に関する句である。某(それがし)は案山子にて候雀どの※画像付きはコチラ猫になったり案山子になったりと、漱石先生も実にご苦労なことである。
2014.06.20
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行き行きてひらりと返す燕哉 正岡子規
2014.06.18
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だんだん似てくる癖の、父はもうゐない 山頭火
2014.06.13
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生える草の枯れゆく草のとき移る 山頭火
2014.06.12
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若葉よなあゝら花恋し人恋し 正岡子規
2014.06.03
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温み来し仏の水を田に灌ける 石坂朋幸作者は私の大伯父である。若かりし頃は近衛兵を務め、やがて議員に転じ、晩年は山奥に隠棲し田夫となったという、一族の変わり種である。大伯父は高浜虚子の薫陶を受けた。酔うと「俺は虚子先生の門下だ」と言っていた。ただ、自費出版の句集は、川柳のような句で満たされている・・・
2014.05.30
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燃ゆる如きつつじが中の白つつじ 正岡子規
2014.05.20
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心よき青葉の風や旅姿 正岡子規
2014.05.16
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いそがしや昼飯頃の親雀 正岡子規
2014.05.15
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さて、どちらへ行かう風がふく 山頭火
2014.05.13
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彳(たたず)みて林檎の花の四方の中 富安風生『花林檎、ひとつ』はコチラから『花林檎、ふたつ』はコチラから
2014.05.12
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春惜しむおんすがたこそとこしなへ 水原秋櫻子※とこしなへ・・・永くかわらぬこと、いつまでも続くこと。(広辞苑)
2014.05.09
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花林檎一と昔否大昔 星野立子『花林檎、ひとつ』はコチラから
2014.05.08
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白雲や林檎の花に日のぬくみ 大野林火
2014.05.06
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山しづかなれば笠をぬぐ 山頭火
2014.05.02
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山又山山櫻又山櫻 阿波野青畝※ご参考藤沢周平原作、映画『山桜』はコチラから。
2014.04.30
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菜の花やこの身このまま老ゆるべく 三橋鷹女
2014.04.29
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