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きょうで、四十九日です。来週には、祭壇を整理し、部屋いっぱいに張り巡らしていた思い出の写真も片付けようと思っています。さて、この何日間かのブログを冷静に読んでみました。・・・・・(汗)。こりゃあ、誰が読んでも、ドン引きしますね。パソコンに向かうのは、夜10時すぎ。ムスメが寝た後、台所を片付け、遺影の前でチビチビと焼酎を飲み始めます。酔いとともに、高まる気分を抑えることができず、さくらを思い出しながら書いていました。先日の「アルコール依存症?」の日記がよくなかったのか。酒におぼれているわけではないのでご心配なく。だって、午前5時半に起きて、まず、さくらの祭壇にお祈り。洗濯、掃除、朝ご飯の準備、犬のえさやりと小屋掃除、植物の水、ピアノの練習、食事、ムスメのトイレ(朝、出かける前に必ずウンチをすること)、そして、保育園に車で連れて行って、帰って来て、コーヒー飲みながら新聞読んで、電車で通勤。運動不足なので、駅から職場(ビルの13階)までは階段を使って歩いています。夜更かししないよう、酒を飲み過ぎないよう、ムスメの存在がブレーキになっているのです。でなければ、とても体がもちません。舌足らずでした。ごめんなさい。1日の断片的なつらい瞬間だけを切り取って、ブログに書き込んでしまうから、ぼくが1日中、ムスメのことも考えず、自暴自棄になり、泣きじゃくっていると思われているのかもしれません。もちろん、さくらの死は、いまも悲しいし、つらいです。1日に何度か、気が狂いそうになるときもあります。それは事実。でも、笑うことだってたくさんあるし、きょうの夜は、ムスメとずっと歌って、踊っておりました(アホな親子です)。9月末は、ムスメと北海道旅行に行く予定です。旭山動物園に連れて行こうと思っています。ほかにも、ホールフード仲間とのバルコニーでのバーベキューや三瀬村での農家民泊など、たくさんの楽しいイベントを計画しながら、毎日を過ごしています。さくらがいれば、もっと楽しかったのに。なんて、思い始めたら、とても悲しくなるのですが、はなの笑顔が、そんな思いも吹き飛ばしてくれます。あすは行橋市に行きます。なぜ、行橋なのか。まず、目指すは内田邸。さくらに食べさせようと思って、実現できなかったそば打ちを、美智子殿の旦那にもう一度、習ってきます。その翌日は行橋カトリック教会で、山元神父様にさくらの追悼ミサをあげてもらいます。葬儀に駆けつけてくださった神父様です。これまで、出かけることもない、まったく縁のなかった土地ですが、さくらがしっかりと、つないでくれました。これでいいのだ。幸せなのだ。明日も、はなと一緒に目一杯、楽しんできます。へば!ごきげんよう。
2008.08.29
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会社の先輩記者、山形紀子さんが、インターネットの「西日本新聞読者プラザ」に、以下のようなコラムを書いてくれました。「魂は生きている」「ムスメに出会えたことは、私がこの世にいたという証だ。自分より大事な存在に出逢えたことは、私の人生の宝。私の人生の目的は、これだったのかな。かわいらしい彼女とは、またどこかで出会える気がする」ブログ「早寝早起き玄米生活 ~がんとムスメと、時々、旦那~」には、こう綴られています。さらに「ムスメと出会えたことに、あらためて感謝しつつ。最大で最強のサポーターちゃん、ありがとう。この世でしっかりあなたの幸せを見せてもらうからね!」と。そう願い続けてきた六本松さくらさんでしたが、33歳の若さで、11日の午後、永眠されました。8年前に乳癌を患ってからというもの、自然食に徹し、免疫療法を手掛けながら、自分の体をコントロールしてきたのです。赤ちゃんを授かったときも、随分と葛藤されたのでした。出産することで癌が再発したり、転移したりするのではないかと恐れたからです。しかし、自分がこの世に存在した証として出産に踏み切ったのでした。出産してからというもの、癌細胞は容赦なくさくらさんの体を蝕んでいきました。両肺、肝臓、肺のリンパ、骨…驚くほど癌細胞を抱え込んでしまったのです。これほどまでに癌に犯されながらも、さくらさんは底抜けに明るく振舞っていたのです。声楽を学んださくらさんは精力的に公演会を催し、講演もこなしてきました。3年前ほど前から書き始めたブログには、自分の思いを赤裸々に綴られています。そのブログを通して、私は多くのことを教わりました。いかなる難題が押し寄せようとくよくよせず前向きにとらえること。自分の人生は自分で切り開き、信じる道を突き進むこと。何より、生き抜くことが大切なのだと知らせてくれたのです。ブログには、彼女の強靭な精神力に裏打ちされた優しさが随所ににじみ出ていました。だからこそ、彼女の生き様は、癌患者のみならず、多くの人に勇気を与えてきたのです。友人が癌で先立ったとき、さくらさんはブログでこう記しています。「送り届けることに、決して慣れることはないけれど。でも、だからこそ、彼女たちのために、前へ進まなければならない。立ち止まってばかりは、いられないのだ。彼女は亡くなったけど、魂は生きている。私のココロの中に、生きている」14日、福岡市内で行われたお葬式に参列してきました。5歳になる愛娘のとても穏やかな表情が、切なくて切なくて仕方ありませんでした。貴女の身を挺してまでも伝えたかったココロは、愛娘の心に生き続け、さらに貴女を愛した私たちの心にも芽生えています。さくらさん、安からにお眠りください。(「西日本新聞読者プラザ」より転載)http://www.nishinippon.co.jp/webclub/noriko/2008/07/post-48.shtml山形さん、読んでくれていたのですね。ありがとう。
2008.08.28
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BEGINの曲を聴いてたら、気持ちが楽になりました。情けない。恥ずかしい。こんなんじゃ、四十九日が過ぎても、さくらの魂が自宅から離れられない。子どものころ、めそめそしてたら、親父からよく怒鳴られました。「きさーん、いつまで泣きよーとか。男は一生に3回しか、泣けんとぞ」なぜ、一生に3回なのか。いまだに分かりませんが。親父は筑豊の男です。言葉は乱暴ですが、本当は心がやさしいです。川筋気質です。写真館を経営しています。夕方になると、酒を飲み始めます。70歳を過ぎた今も。ほぼ、毎日。好きなタバコはゴールデンバッドです。確かに、親父が泣いている姿を、いままで一度も見たことがありません。保証人になってあげた相手に夜逃げされ、莫大な借金抱えたときも、その結果、新築したばかりの自宅をとられたときも。10年ほど前、一度だけ、「あんときゃ、犬鳴峠から飛び降りろうと思うたばい」と、つぶやいたことがありましたが、嘆いたり、悔やんだりする姿を、子どもの前で見せたことがありませんでした。もうすぐ、借金を返し終えるそうです。他人の借金ですけど。それに、ひきかえ、自分は。よーし、やったるぜ。ぼちぼち。
2008.08.26
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わたしがあなたにほれたのは、ちょうど19の春でした。ぼくがお酒を飲んで、いい気分になると、さくらがよくこの曲を、三線で弾いてくれました。沖縄の曲。沖縄、一緒に行きたいねえ。戻って来てよ、千恵。死者は復活するんやろ。お前が教えてくれたやんか。沖縄には、よしこさんとまさはさんがおるもんね。また一緒にコンサートがやりたいねえ。まる兄もおる。はなの妹がもうすぐ生まれるばい。さくら、さくら、さくら、さくら。ごめん。泣いて、泣いて、泣いて。ごめん。飲んで、飲んで、飲まれて、飲んで。ごめん。いつになったら、楽になるっちゃろうか。もとの19にするならば庭の枯れ木を見てごらん枯れ木に花が咲いたなら焼いた魚も泳ぎ出す雲の切れ間に満ちる月あなたはなんて無情なの会えぬ月日は幾日か春が来るよな夢を見てほけきょ、ほけきょと泣いていた。アルコール依存症かなあ。支離滅裂やもん。千恵、ごめん。酒飲みは好かんやったもんね。亡くなってから、ずっと飲み続けている、この現実。バカちんやん。あすは飲まずにがんばるよ。
2008.08.25
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漫画家の魚戸おさむさんがメロンを送ってくださいました。「家栽の人」「玄米せんせいの弁当箱」の作者です。メロンは魚戸さんの故郷、北海道から。早速、祭壇に供えさせていただきました。メロンが大好きなさくらが手をたたきながら「素敵、素敵」と喜んでいるに違いありません。魚戸さんからは、さくらの闘病中に手紙やファクスをたくさんいただきました。人柄がにじみ出る、やさしい言葉、励ましの言葉をたくさんもらっておきながら、何の返事もせずにすみませんでした。10月にエルガーラである「弁当の日」のシンポジウムで久しぶりに会えますね。翌日時間があれば、以前から約束していた佐賀県三瀬村の農家民泊でもいかがでしょう。ご案内いたします。魚戸さんと一緒に民泊されたい方は、どうぞ、ご連絡ください。定員5人ぐらい。10月13日(予定)。予定は未定。どうなるか、分かりませんが、多分行くことになるんじゃないかな。お待ちしております。メロンも好きだけど、イモリもうまいぜ!!佐賀の山でイモリを口に加える野生児、はな
2008.08.20
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お盆に、「旅をする木」の小野寺ファミリーが、会いに来てくれました。ご主人の睦さん手作りシフォンケーキの前でピース。闘病中も、タマゴを持って来てくれましたね。本当に、いつもありがとうございます。さくらの写真、自宅のどこかに飾ってください。あいつは、三瀬が大好きでしたから、きっと喜ぶと思います。近いうち、ムスメと遊びにうかがいます。昨日は、ホールフード福岡校の仲間たちと食事。みなさんと、さくらの話をしているとき、幸せな気分に浸ることができます。福岡校、継続しましょう。連休、最終日は、ムスメと2人でのんびり過ごしました。教会に行き、天神で買い物し、昼食を食べて、ピアノの練習後、お絵描き。描かれているのは、はな、パパ、犬2匹。最近、虹に興味があるみたいです。服は虹色です。いつも、必ず描いていたママの姿がそこにはありません。理由は聞きませんでした。ムスメの決意表明かもしれません。
2008.08.17
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内田先生、9月の出没情報ありがとうございます。どこかで、ムスメと一緒に顔を出そうと思います。「ここ」、売りますよ。さて、お盆に入り、多くの方たちがお参りに来てくださいます。ありがとうございます。まだ、仏式で営まれる四十九日を迎えてないので、さくらの初盆は来夏になります。キリスト教では本来、こうした概念はないのでしょうが、日本の慣例、風習に習って、その都度、その法要に代わるミサをあげたいと考えています。この数年間、ずっと、さぼっていた大名町カトリック教会での日曜朝9時半のミサにも、ムスメと一緒に毎週通っています。歯を磨く、風呂に入ることと同じように、行かなきゃ気持ち悪い。信仰心を持つ大切さが、さくらを亡くし、分かってきたような気がします。教会のみなさんが声をかけてくださるのがうれしく、そのありがたさが身にしみます。ここにも、家族のかたちがありました。8月27日午前10時からは、この1年間亡くなった人たちを追悼するモニカ祭が大名町教会で、行われます。さくらの遺影も飾ります。葬儀にかけつけてくれた行橋市の山元神父様にも、さくらのための追悼ミサをお願いしました。8月31日午前9時、行橋カトリック教会で営まれます。私たち家族はカトリック信者ですが、このミサが四十九日に近い日なので、仏式では手厚く営まれる忌明けの法要と位置づけました。宗派に関係なく、お近くの方はどうぞ、お越しください。内田先生はご近所なので、ぜひ!へば。ピース!
2008.08.14
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宇都宮から門左衛門さんがやってきました。めまんシスターズの1人です。さくらの闘病中は、毎日、せっせとはがきを送ってくれました。「免疫力アップを」と、笑えるネタ満載のはがきです。イラストの腕はプロ級です。生前は一度も会えずじまい。残念、無念。門左衛門さんは、玄関に入るなり、バッグからフード付きトレーナーを取り出し、「さくらさんと会うときは、こうやって会おうと決めていたから」と、めまんに変身。めまんの姿で、ぼろぼろと涙をこぼしながら、線香をあげてくれました。門左衛門さん、ありがとう。やっと、2人で、めまんができたね。そういえば、タカコさんプロデュースのお菓子を初めて送ってくださったのも、門左衛門さんでした。ブログがつないでくれた友情の証です。
2008.08.11
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よしこさんが沖縄から来てくれました。自宅玄関で、握手、ハグ、涙・・・。その後は、もうずっと涙、涙、涙。ふたりで、ずっと泣き続けました。行きたいけど、行けない。会いたいけど、会えない。そんな気持ちだったと思います。よしこさんとは、5年ほど前に出会い、がんで亡くなった猿渡瞳ちゃんの追悼コンサートや昨年秋のコンサート「いのちのうた」で、さくらはユニットを組ませていただきました。今年はレコーディングにも参加させてもらう予定だったのです。ずっと昔からの付き合いではなかったのだけれど、ずっと昔から知り合いのような。そんな関係です。「いのちのうた」が終わった後、さくらは言いました。「もう、しばらくは、コンサートせんでいいかも」それほどの達成感を感じていたみたいです。さくらが死んだ後のよしこさんの言葉が忘れられません。「私たちの家族になってくださいね」うれしいです。さくらの遺骨を持って、沖縄に住み移りたいくらいです。さくらのおかげで、家族がいっぱいできました。ぼくもムスメも寂しくありません。よしこさんとさくらが歌った「ハナミズキ」を、ムスメも歌えるようになりました。いつか、住吉神社能楽殿でよしこさんと歌える日が来るといいな。はなはさくら、さくらは、はな。いつも手伝ってくれたイベントスタッフのみなさん、そのときが来たらまた力を貸してください。ムスメが持つ写真は、はなと従姉妹のふうかと一緒のよしこさん。この夜、自宅近くの「ゆらり」に行ってきました。カンパチの煮付け、ナスの煮浸し、マカロニグラタンがうまかった。泡盛も。
2008.08.10
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和白青松園で、内田美智子先生の講演会がありました。元プロボクサー坂本博之氏、シンガーソングライターの川嶋あいちゃんが在籍していたこともある児童養護施設です。坂本さんたちの時代は、家庭が経済的に厳しかったり、不慮の事故で両親がなくなったりで、子どもたちが施設に預けられるケースが多かったのですが、いま、圧倒的に多いのは幼児虐待、育児放棄です。内田先生は、お産後の母親の心情をスライドショーで紹介。「私はあなたを愛するために生まれてきました」「お腹の中に爆弾を仕掛けられた感じ。破裂して腰から下が砕け散った。仕掛けたのは神様で、散ってバラバラに壊れたのは、自分が一番大切という勝手な思い。自分より大切な存在に出会いました」さくらとの出会い、さくらの闘病生活、5歳のムスメを残し、生きたくても生きることができなかったことなどを冒頭でお話されました。施設の子どもたちには、どんなに離れ離れになろうとも母親の子を思う強い気持ち、さらには、メールなどによる言葉の暴力が原因とみられる子どもたちの相次ぐ自殺問題にも触れ、「愛してくれる人が必ずそばにいる。どんなに運命をうらんでも自殺は絶対にいけない。ここにいるだけでいいんだよ」と訴えられました。いつものことですが、今回も泣かされっぱなしです。そして、いまのぼくにとっては勇気とやる気を奮い立たせてくれる内容でした。講演では、坂本夫妻についてのエピソードも披露。内田先生は前日に、坂本さんを取材されたようです。奥さんの涼子さんはさくらとのメル友でもありました。涼子さん、遠く九州から応援していますからね。きょうは、3日ぶりにムスメがみそ汁を作ってくれました。昨夜は内田先生から「ちゃんと晩御飯食べよるね」と言って手渡してくれた、シマアジの刺身と、ご主人が早朝に打ってくれた蕎麦をいただきました。2人で囲む食卓は、ちょっと寂しくなったけど、ムスメはいろんなことを話してくれます。保育園で飛び箱が飛べるようになったこと、竹馬ができるようになったこと、みんなが優しくしてくれること…。へこむことも多いけど、ムスメとの暮らし、子育て、結構楽しんでます。みなさんの善意と優しさに支えられながら、2人でなんとかやってます。
2008.08.07
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きょうは、さくらとぼくの結婚記念日です。2001年8月5日。暑い日でした。あれから7年。古賀カトリック教会で式を挙げ、津屋崎のイタリア料理店「エンゾ」で、披露パーティーをやりました。司会は、アビスパの三浦泰年氏と久永辰徳氏。弟のケンちゃんとシンちゃんも歌って踊り、盛り上げてくれました。そうそう、ぼくが結婚指輪を式場に持ってくるのを忘れ、さくらはカンカンに怒ったよね。あんときは恐かった。ところが、その後、婚約指輪の代わりに買ったロレックスの腕時計を、今度はさくらが紛失。あなたこそ、ものを失うのは得意でしたね。葬儀を終え、ずっと探しているものがあります。さくらの結婚指輪が見つかりません。いったい、どこに保管しているのですか?ひょっとして・・・。保育園の帰り道、さくらが好きだった花屋の「アンジー」で結婚記念日恒例の観葉植物を買いました。遅くなったので、夜は、ムスメと一緒に、行きつけの飲食店「ふぁむ」で夕食。ここは常連客ばかり。冷凍食品などはいっさいなし。どんな料理も野菜たっぷりで、すべて、ママさんの手作りです。いつも、声をかけてくれる顔見知りのお客さんたちから、「がんばれ、がんばれ。はなちゃん、がんばれ」といっぱい元気をもらいました。六本松は人情のある街です。ここに住んでよかったと思います。本当によかとこです。ふぁむの特大おにぎりをほおばるムスメ
2008.08.05
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晩ご飯を食べて、お風呂に入るまではご機嫌だったのですが、寝る直前に、声を出して泣き始めました。まだ、5歳。よく、がんばっていると思います。「ねえパパ、ママにおやすみを言って、寝ようね」お祈りだけは忘れません。
2008.08.04
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あすはホールフード福岡校の基礎コース最終日。東京から講師のタカコさんと按田さんが、さくらに会いに来てくれました。さくらが最後に情熱を傾けたホールフード。がんなどの難病を少しでも減らしたい、安心して暮らせる社会を取り戻したい。そんな思いから、タカコさんを招き、開設した福岡校でした。写真家の広田さんから撮影してもらったお通夜、葬儀のスライドショーを見ながら、泣きながらタカコさんはつぶやきました。「明日、みんなと一緒に基礎コースを卒業しようね」さらに、続けました。「さくらちゃんの旦那さんが眠るまで、みんなで一緒に飲もうよ」さすが、人生の先輩。心の中を読まれていました。あすは早いのに。その優しさ、思いやりに感謝です。きょう、プールの帰り道、さくらが好きだった花屋に入ると、ムスメが言いました。「パパ、まーた悲しい顔しとるよ。きょうはタカコさんが来るやろ。内田先生も来る。はなちゃんもおる。みんながついとるやろーが」。このようなやりとり、くどいようですが、ほぼ毎日繰り返されています。ムスメがいなかったら、いったい、どうなっていたのでしょうか?さくらの死後、3週間がすぎ、悲しみ、苦しみがボディーブローのように効いてきました。いま、ふらつきながらも、みんなに助けられて生きているって感じです。さくらの生前の志をくみ、お花料の一部をホールフード協会に寄贈し、慣例にかえさせていただきたいと考えています。さくらとのお別れに足を運んでくださった皆様には、後日、あらためて、挨拶状を送付します。ご了承のほど、よろしくお願いいたします。
2008.08.02
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きょうは大濠公園の花火大会。さくらが楽しみにしていた夏のイベントです。自宅のバルコニーから花火を楽しめます。毎年、さくらが手料理を振る舞い、友人がいっぱい集まっていたけど、今年は家族3人。パパとムスメと遺影のさくらです。と、思ったら、パパの幼なじみの陽一ちゃんが寿司とビールを持参して駆けつけてくれました。声がやたらとでかい陽一ちゃん。中学、高校時代はワルだったけど、こいつがまた、優しいんだ。にぎやかな夜になったね。うれしいね、さくら。
2008.08.01
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