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三瀬村の農家民宿「具座」に行ってきました。なぜか、19人も。改修した納屋に収まりきれず、母屋で、子どもたちと一緒に就寝。楽しい、うれしい、気持ちいい。あすから、はなと一緒に沖縄です。昨年、さくらの半生が描かれた新聞連載「いのちのうた」の前半で舞台となった恩納村のビーチに行ってきます。へば、ごきげんよう。
2008.11.27
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教会で七五三の祝福式。再来年は、大村のばあばから買ってもらった着物を着ようね。昨日は、WholeFoodのスクール生たちと三瀬村に行きました。募集をかけると19人が集合。すごい。福岡校第1期生のこの結束力。カフェ「クロモジ」で昼食。5年前、佐賀市富士町の陶芸家、皿屋の太郎さんの紹介で知り合った諸江さん夫婦が、今年2月にオープンしたカフェ。奥さんの和美さんは、イラストレーターでもあり、来春刊行する絵本「いのちをいただく」の物語の絵を担当。現在、創作中です。諸江さんのご主人が作る、このサンドウィッチが絶品。スープ、チャイとコーヒーも最高においしいです。一流の料理の腕があるわけじゃない(諸江さん、ゴメン)。なんていうか、ココロがこもっているんですよね。そうとしか、言いようがない味。これって、料理の原点じゃないかな。さくらがよく言ってました。「レシピ通りに作って、できる料理じゃない。諸江さんご夫婦の人柄がにじみ出ている味」。さくらは、この場所と諸江さんが作る料理と、ご夫婦が大好きだったんです。今春のオープン直後に、ここに来て、カフェの庭の石の上にゴロンと寝転がってたっけ。木漏れ日を浴びながら。気持ちよさそうに。そんなことを思い出して、じんわりと涙。カフェの周辺には、たくさんの野イチゴも。山の幸を大喜びでかき集める姿は、ママそっくり。
2008.11.24
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1万4000人が被害を訴えた食品公害、カネミ油症の発覚から40年を迎えた今年10月、認定患者の矢野トヨコさんが亡くなった。86歳だった。久留米市での講演の帰り、矢野さんの自宅を訪ね、仏壇に手を合わせてきた。どうしてもあいさつがしたかった。さくらも、そう願っていたに違いない。矢野さんは、油症認定後も苦しみは終わらず、乳がんや甲状腺がんを患って7回の手術を繰り返した。数年前、カネミ油症をテーマにした本「コーラベイビー」の編集に携わり、矢野さんと出会った。「体は戻らぬ。でも死ねん」そう言って、矢野さんは、被害者支援活動の先頭に立ち続けた。その強い責任感と使命が、矢野さんを生き続けさせたのだろう。矢野さんの死の直後、医師として、水俣病やカネミ油症などの研究を続けてきた第一人者である熊本学園大学の原田正純さんの半生を綴った聞き書き「マイネカルテ」を刊行した。これも、どうしても作りたかった本だ。矢野さんと原田さんは深い親交があった。この2つの本の編集に携われたことに、不思議な縁を感じる。マイネカルテの最終章「教訓を未来に向けて」で、原田さんは、こんなことを言っている。「私は、水俣が発する最大の教訓、メッセージは、人類のおごりに対する警告であると思う。古来、日本人は自然と共生する生き方をしてきた。しかし、近代になって欧米文化を輸入すると、自然と敵対する思想まで流入してしまった。『自然と闘う』『自然を克服する』ために科学技術の進歩があった。だが、実は人間と自然は一体なんだと具体的に示したのが、水俣病であり胎児性患者だった。自然を汚すことは人間そのものを、そして未来の命を汚すことだと教えてくれた」原田さん自身も胃がんの手術をしている。2人の「闘士」が掲げたメッセージ。それは、同じくがんで逝ったさくらが残したメッセージとどこかつながっている。タカコさんが言った。「千恵さん(さくら)が目指したのは、『豊かな自然と平和な暮らし』ですよね」行き着くところ、その言葉に結論づけられると思う。
2008.11.18
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大相撲11月場所。じいじとばあばを初めて招待しました。化粧まわしが美しい。ここでも、お絵描き。ふるさとの筑豊の力士、魁皇。がんばってください。来年の11月も九州で待ってます。
2008.11.17
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高取保育園の作品発表会です。ムスメにとっては、保育園での最後の作品発表会。運動会も終わり、残すところは、音楽発表会と卒園式です。ひとつひとつ行事が減っていきます。壁に張られた作品の数々。むむっ。すばらしい!!うまいとか下手とかではなく、これは、げーじゅつです。ムスメの作品。来年のカレンダーを作りました。陶芸も。ランチルームでは高取カフェがオープンしていました。上新粉とメープルシュガーを使ったケーキ、黒糖とレモンを入れた三年番茶。これぞ、高取式おやつ。セット50円です。ふだんのおやつは、イリコ、昆布、玄米おにぎり、梅醤番茶など。「子どもにとって、おやつとは補食。砂糖まみれの甘いお菓子やスナック菓子を与えることではない」。西園長の言葉です。幼児は食べる量が少ないので、一度の食事で十分な栄養とカロリーを摂取することができません。だから、おやつなのです。今から4年前、わたしたち夫婦は、西園長の食に対する考え方に共感し、この保育園に決めました。おかげで、ムスメは病気知らず。おいしかったね。
2008.11.15
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昨年10月、三宅伸治さん、hanauta、海童さんと「いのちのうた」コンサートを住吉神社能楽殿で催しました。内田美智子先生、佐藤剛史先生共著の「ここ」出版記念を兼ねたイベントです。さくらは、hanautaのよしこさんとユニットを組み、出演させていただきました。あれから1年経ちました。8日は福岡のジュークジョイントで三宅伸治さんの久しぶりのライブ。内田先生から「急に福岡で三宅さんのライブが決まったらしい。行くぜい」と号令がかかり、東京ディズニーランドの興奮が冷めやらぬ翌日、はなと一緒に夜の親不孝通りへと出かけました。三宅さんは今年6月末、闘病中のさくらを見舞いに来てくれました。さくらがモルヒネを初めて投与し、痛みから少しの間、解放された夜でした。三宅さんは、ぼくのギターでブルースを1曲。そのあと、「何か歌わない?」。すると、さくらが三宅さんに「ふるさと」の伴奏をリクエスト。これが、さくらの最後の歌になりました。あの日、三宅さんが、さくらにくれた「奇跡」と「無敵」のピンバッジをニット帽につけてライブの会場に到着すると、見覚えのある顔、顔、顔。Whole Foodのスクール生たちや、九州「弁当の日」軍団の面々、住吉三線教室や職場の仲間も。よく考えると、このメンバーが、急きょ決まった三宅さんのライブに来ていることが不思議なのですが、そのときは、深く考えず、「三宅さんの応援団が増えて、よかったなあ」なんて思ってました。さて、いよいよ、ライブ開始です。オープニングからノリノリ。ムスメもノリノリ。ちなみにムスメの好きな三宅さんの曲は「月がかっこいい」。汗びっしょりで盛り上がり、3度目のアンコールの冒頭で、三宅さんが、さくらの死について触れ、きょうのコンサートの趣旨を説明。あれれっ。何か様子が変。何で、内田先生、あいさつしてるの?「これから、ヤスタケシンゴを励ます会を始めまーす」だって。すると、佐藤剛史夫妻がステージに登場。一発目の、さぷらーいず。演奏の後は、スライドショーでたくさんの方たちから「旦那、がんばれ」と励ましの言葉をいただきました。タカコさん、漫画家の魚戸おさむさん、吉田俊道さん、スクール生のみんな、三線仲間と海童さん、食くらし取材班、弁当の日軍団、行橋カトリック教会の神父さま、高取保育園、県庁の渡辺さん、なにわ寿司の大将…。たまりませんばい、こりゃ。結婚式、さくらのがんが消えたとき、ムスメが生まれたとき。それ以来。何年ぶりだろうか、こんな感激は。翌朝、内田先生が電話で、「あんたのために、三宅さんがやってくれたとばい。みんながやってくれたとばい」。ぐっときました。言葉にできない、とはこういうことでしょうか。いま、踏ん張れているのかな。踏ん張れているとしたら、やっぱり、仲間のおかげです。忘れません。11月8日の夜のこと。みなさんの顔といただいた言葉の数々。ぼくも、はなも、いま、幸せです。
2008.11.09
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木曜日、講演を終えて、ムスメを迎えに行きました。東京ディズニーランド近くの舞浜駅に着いたのは夜。前日から、ムスメを預かってくれている内田先生に「どこに行けばいいの?」と電話すると、「目の前にあるやろ」ひえーっ!!!ムスメと内田先生のツーショット。せんせい、楽しそうなんですけど。朝食を食べて、お世話になった内田先生とタカコさんのアシスタントのうもちゃんと別れ、親子2人で、いざ出陣。ムスメにとっては3日目のディズニーランド。ポップコーン、うまいっす。親子でツーショット(自分で撮りました)。ミッキーはやっぱり人気者。パレードが始まる前、待ち時間は、地べたでお絵描き。スティッチ登場!さくらとスリーショット。やっと、3人でここに来たね。内田先生のおかげやん。おにぎり2個とサンドイッチをペロリとたいらげ、帰路に。楽しかったねえ。羽田のエアポートラウンジでは絵本を読み、行機の中でも絵本。絵本を読み終えると、また、お絵描き。さくら、はなちゃんは、ずっと、おりこうさんやったよ。
2008.11.07
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昨日から、1人です。家にムスメがいません。ムスメは、東京に行きました。連れ去った人は、内田先生。半年ほど前から、さくらと、はなと、内田先生と3人で行く約束をしていた場所。東京ディズニーランドです。さくらが、ずーっと前から、はなを連れて行きたいと言っていたところです。昨夜、先生からメールが届きました。メッセージは、「遊び疲れて、ご飯食べながら寝た」ムスメにとっては、夢の国。さぞかし、楽しかったことでしょう。先生、ありがとう。肺のがんが一度は消滅したころのさくら。4年ほど前の写真です。
2008.11.06
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保育園に行く途中の車の中で、ムスメが昨夜見た夢の話を始めました。「きのうねえ、ママが夢に出てきたよ」「なんか、話した?」「うん、電車の中にママがいた」「それで?」「ママ、死んだんじゃなかったと?て、はなが聞いたよ」「そうしたら?」「ママがね。いいや、死んでないよ、だって」ムスメとは、食事中、車の中、教会、いろんなところで、さくらとの思い出を話します。でも、いずれ、その記憶は風化します。さくらが私の妻として、ムスメの母親として、どのようにこの世で生き、どのようにこの世を去っていったか。その記録を残したい。記録は生きた証しになる。ぼんやりとですが、最近、そんなことを考えています。
2008.11.04
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