《櫻井ジャーナル》

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2011.02.23
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 内閣情報調査室の下に新たな情報機関を設置するため、日本の内閣情報官や公安調査庁長官がアメリカの国務省情報調査局長と話し合っている。この話は 本コラムでもすでに取り上げた

 この部署の歴史は1952年4月、内閣総理大臣官房調査室(内閣調査室)が設置されたときに始まる。初代室長の村井順は国警本部の警備部警備第一課長だった人物で、後に綜合警備保障を創設する。

 1953年9月、ある事件によって村井が注目されることになった。ロンドンの税関で腹巻きの中に隠していた闇ドルが発見されたのである。

 スイスで開かれるMRA(道徳再武装)大会へ出席するという名目での旅行だったが、実際は西ドイツのボンに滞在していたアレン・ダレスCIA長官に会い、新情報機関に関する助言を得ることにあったと言われている。ボン空港に到着すると間もなく、村井はイギリスの情報機関員と思われる人物から尾行されるようになり、ロンドンでの出来事につながったようだ。

 当時、内閣調査室で仕事をしていた人物によると、調査は全て下請けに回され、下請け団体は2通の報告書を作成していたという。1通は内閣調査室向け、もう1通はCIA向けである。CIA向けの報告書は内閣調査室向けのものの10倍程度の厚さがあったという。言うまでもなく、情報量もそれだけ違う。

 そもそも、MRAはCIAの影響下にある「疑似宗教団体」だと言われているのだが、日本の支配層でのしあがる登竜門としても知られている。例えば、岸信介や三井本家の弟、三井高維(みついたかすみ)、そして中曽根康弘らが参加していた。中曽根はそこでヘンリー・キッシンジャーなどCFR(外交問題評議会)のメンバーと知り合うことにも成功したという。

 内閣情報調査室は、最初からCIAの下で組織されているわけで、「新たな情報機関」もアメリカの手先になると考えるべきだろう。オーストラリアやニュージーランドでもそうなのだが、情報機関のネットワークを利用して各国政府をコントロールするのがアメリカ支配層の手口だということも忘れてはならない。(今より組織的な日本支配の仕組みができあがるということ。)





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最終更新日  2011.02.23 11:42:43


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