《櫻井ジャーナル》

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2011.07.23
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 ノルウェーの首都オスロで22日午後3時30分頃(現地時間)に大きな爆発があり、多くの死傷者が出ているようだ。現段階で2人の死亡が確認され、数百名が死亡したという情報も流れている。現地の警察によると爆発の原因は爆弾。少なくともひとつは自動車に仕掛けられていたとも伝えられているが、爆破の目的はわかっていない。爆破の数時間後にはオスロ近くの町で銃撃事件があったというが、詳細は不明だ。

 この事件では、少なからぬ人がムラー・クレカールに注目している。スンニ派のクルド人聖職者で、1991年にノルウェーに難民として入国している。イラク北部を拠点とするクルド系の武装グループ、アンサール・アル・イスラムの創設に関わった。この地域はアメリカが設定した「飛行禁止空域」に含まれ、サダム・フセインの攻撃から守られる形になっていた。クルド人はイラク、イラン、トルコにまたがる形で生活、各国を不安定化させる手駒としてイスラエルに協力してきた歴史がある。

 そのクルド人の中でもアンサール・アル・イスラムは危険視され、国連からテロリストだと見なされている。 2007年にはノルウェーの裁判所が国家の安全に脅威になる人物だという結論を出しているのだが、イラクに戻ると処刑される可能性があるとして国外追放に抵抗、すでにアンサール・アル・イスラムの指導者ではなく、アル・カイダとも関係ないと主張 している。

 歴史を振り返ってみると、ノルウェーは中東と浅からぬ関係にある。イスラエルを国家として、PLOをパレスチナの自治政府として相互に承認し、イスラエルは入植した地域から暫定的に撤退するといったことが決められた1993年のオスロ合意は有名。

 オスロ合意に対する反発はイスラエルとパレスチナ、双方にあった。イスラエル側から参加したイツハク・ラビン首相(当時)は1995年に暗殺され、2000年にはアリエル・シャロンが1000名以上のイスラエル人警官を引き連れて「神殿の丘」を訪れ、その場所はイスラエルのものだと宣言した。

 同じ場所にイスラムの聖地「岩のドーム」もあることから、シャロンの発言にイスラム教徒は当然、怒る。つまりシャロンはパレスチナ人を挑発し、和平の機運を粉砕しようとしたわけだ。そして2006年、イスラエル軍がレバノンやガザに軍事侵攻して合意を破壊しようとしている。

 イスラエルでは強硬姿勢がエスカレート、最近では「民族浄化」を目的とした法律も制定、「人権擁護団体」を激しく攻撃するようになっているのだが、そうした動きに反比例する形でイスラエルの立場は悪化している。ガザに対する兵糧攻めや軍事侵攻も国際的に非難され、ヨーロッパでもイスラエルに厳しい見方をする人が増え、イスラエル製品のボイコットも広がっている。

 ノルウェーでもイスラエルの評判は悪く、今年2月の報道によると、ノルウェーのPR会社5社はイスラエルのイメージを地球規模で改善させるという仕事を断ったという。イスラエルのイメージアップは無理だということだろう。



 勿論、アメリカやEUには強力な親イスラエル派が存在しているわけで、こうした発言に反発する動きもあるはず。つまり、支配層の内部で対立が生じている可能性がある。こういう場合、本来なら出てこないような話が出てくるものだ。

 ところで、イスラエルの情報機関の幹部だったアリ・ベンメナシェによると、1985年の「アキレ・ラウロ号」の事件はイスラエルが仕掛けたものだった。自分たちの正当性とパレスチナ人の残虐性を世界の人々や自国民に印象づけるため、支配下にあるアラブ人を使い、「イスラム教徒のテロ行為」を演出したというのだ。(詳細は拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を参照。)

 ノルウェーの事件がイスラエルの仕業と言っているわけではない。事件を表面的に眺めるだけでは真相に迫れないということである。





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最終更新日  2011.07.23 05:18:57


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