《櫻井ジャーナル》

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2011.08.16
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 すでに広く知られていることだが、原発を全廃しても発電能力に問題はない。放射性物質は排出しないものの、火力発電は二酸化炭素以外にも大気を汚染する物質を出す。かつてに比べて改善されているが、問題はある。油田の開発や事故で環境が破壊されることも忘れてはならない。

 その石油を抜きにして原子力発電を語ることができない。核事故を抜きにしても、ウランの採掘から核廃棄物の保管まで、原発は石油がなければ維持できない。原子力と石油を対立させて考えるべきではないのだ。原子力や石油を支配しているのはエネルギー産業であり、現在は再生可能エネルギーの研究開発を進めていることだろう。

 そうした石油を使い続けてきた理由のひとつは、その安さにある。安さを維持するためにエネルギー会社は独裁体制を必要としてきた。石油価格が上昇すればコスト面で見合う油田が増えるほか、代替エネルギーの開発にも拍車をかける。だからこそ、サウジアラビアのファイサル国王は原油価格の高騰を嫌った。

 1973年、第4次中東戦争が勃発して10日後にOPEC(石油輸出国機構)に加盟するペルシャ湾岸の6カ国が原油の公示価格を1バーレルあたり3.01ドルから5.12ドルへ引き上げると発表しているが、この決定にも当初、ファイサルは反対していた。

 ジェフリー・ロビンソンの『ヤマニ』によると、石油価格の値上げを望んでいたのはヘンリー・キッシンジャーだった。2001年1月14日付けのオブザーバー紙によると、1973年5月にスウェーデンで開かれた秘密会議での討議され、その際にアメリカとイギリスの代表は400%の原油値上げを要求したという。

 この値上げで石油産業は大儲けしたようだが、この時期、欧米の巨大資本が原発を推進しようとしていたことも忘れてはならないだろう。石油が値上がりすれば火力発電のコストは上昇するわけで、原子力産業にとってもこの値上げは朗報だった。

 イギリスのジャーナリスト、ロビン・ラムゼーによると、この会議を開いたのは「ビルダーバーグ・グループ」である。この決定を受け、イランのパーレビ国王は石油価格の値上げを主張していた。

 少なくともその当時、OPECは巨大石油資本のコントロール下にあるカルテルだった。その頃はセブン・シスターズと呼ばれた巨大企業7社が石油を支配していたが、今では4社に集中している。

 そのうちの1社がエクソンモービル。その名の通り、エクソン(かつてのスタンダード石油ニュージャージー)とモービル(かつてのスタンダード石油ニューヨーク)が合併してできた会社。スリーマイル島原発が事故を起こす直前、1970年代のアメリカではエクソンが濃縮ウラン供給の中心になると見られていた。



 現在、世界のウラン生産はカナダのCameco、フランスのAREVA、オーストラリアのリオ・チント・グループに集中、世界の約60%を支配している。

 Camecoは1988年、チェルノブイリ原発事故の2年後にエロドラドとサスカチェワンが合体してできた会社。エルドラドの歴史をさかのぼると、マンハッタン計画の最中にカナダ政府の国有企業となっている。

 AREVAは2001年にフラマトム(AREVA NP)、コジュマ(AREVA NC)、テクニカトム(AREVA TA)が合併してできた会社。フラマトムやコジュマはロスチャイルド系の会社として有名だ。AREVAもリオ・チントと同じように、ロスチャイルド系の会社と言えるだろう。

 ロスチャルドも巨大な石油利権をもっているが、アメリカではロックフェラー系の石油産業が1970年代に原子力発電の分野に力を入れていた。その当時、アメリカにおける濃縮ウランの供給は石油メジャーの1社、エクソンが中心になると考えられていた。1978年に米エネルギー省が遠心分離工場建設にゴーサインを出した段階で、同社は45億ドルを遠心分離法ウラン濃縮技術に投資していたとされている。

 こうした巨大資本の思惑にダメージを与えたのが1979年3月にアメリカのスリーマイル島原発で起こった事故。事故の後、西ヨーロッパやアメリカでは原発建設に急ブレーキがかかり、反核運動が盛り上がった。日本でも原発への風当たりが強くなる。

 しかし、日本の場合、原発に対する恐怖は間もなく薄らぎ、原発の建設が続く。世界の原子力産業にとって日本は上得意だったわけだ。2001年にジョージ・W・ブッシュが大統領に就任すると、アメリカでも原発の拡大を政策として打ち出し、バラク・オバマもその政策を引き継いだが、福島第一原発の事故で推進は難しい状況である。

 ところで、スリーマイル島原発は1974年から営業運転を始めているが、中尾ハジメさんによると、その2年後から周辺の農場では家畜の異常が目立って増えていたという。事故前から構造上の問題があったのかもしれない。

 京都大学原子炉実験所の今中哲二さんが1997年に紹介した論文によると、1ミリシーベルトの被曝によるガンの増加割合は全ガンで54%、肺ガンで165%、白血病で222%ということになり、広島・長崎の被爆生存者追跡調査データから得られている増加割合、つまり、1ミリシーベルト当り全ガン0.041%、肺ガン0.063%、白血病0.521%という数値の400~2600倍という大きな数値になってしまう。

 事故直後に多くの周辺住民が、皮膚紅斑、おう吐、脱毛といった急性の放射線障害のような経験、周辺住民の染色体異常の検査に基づくと、事故直後の被曝量は600~900ミリシーベルトに達したとする推定もあるようだ。

 定説によると、スリーマイル島原発の周辺住民が被曝した量は1ミリシーベルトだとされているのだが、実際は数百倍から数千倍だった可能性がある。あるいは、低線量被曝における発ガン効果の現れ方は広島や長崎のような高被曝量の場合と比べ、単位被曝量当りの効果が桁違いに大きいのかもしれない。

 1986年4月にソ連のチェルノブイリ原発で起こった事故はスリーマイル島原発の事故よりも人々に与えた影響は大きかった。チェルノブイリ事故によるガン死数をWHOは9000件、IARCは1万6000件、グリーンピースは9万3000件と見積もっているが、ニューヨーク科学アカデミーから2009年に出版された報告書 『チェルノブイリ:大災害の人や環境に対する結果』 ジャネット・シェルマンがこの辺の事情を説明している映像(日本語訳付き) もある。







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最終更新日  2011.08.17 00:08:19


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