《櫻井ジャーナル》

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2013.02.18
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 今から5年前、つまり 2008年の2月17日にコソボはセルビアからの独立を宣言

 コソボもセルビアも、1991年まではユーゴスラビアの一部だった。ソ連が消滅していく過程でユーゴスラビアも解体されていったのだが、その背後ではアメリカのロバート・ドール元上院議員の人脈が活動していた。その人脈には、ジョセフ・ディオガーディ米下院議員やミラ・ラディエボリッチ・バラッタが含まれている。

 リチャード・パール、ポール・ウォルフォウィッツ、ジーン・カークパトリックなどネオコンが周辺にいたドール米上院議員は「アルバニア・ロビー」とも緊密な関係にあり、アルバニア系団体のコソボ独立運動に深く関与することになる。

 1991年当時、コソボの独立運動をリードしていたのは非暴力のLDK。セルビアの治安当局も運動を容認していたのだが、1994年頃から状況が変わる。アル・カイダが入り込んできたほか、武装集団のKLA(あるいはUCK)が組織され、1996年から殺戮と破壊が始まる。

 KLAにはクロアチアの民族主義者が入り込んでいたが、その民族主義者はナチと協力関係にあった団体の流れをくんでいる。そうしたKLAを率いていたひとりが ハシム・サチ なる人物。後に首相となるが、アルバニアの犯罪組織とつながり、麻薬取引や臓器の密売に関与していたという。

 麻薬取引は有名な話だが、臓器の密売は旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷で検察官を務めたカーラ・デル・ポンテも著書の中で明らかにしている。コソボ紛争中にKLAの指導者らが約300名のセルビア人捕虜から「新鮮」な状態で、つまり生きた人間から臓器を摘出し、売っていたというのだ。

 1980年代にアメリカはアフガニスタンでイスラム武装勢力を組織、戦闘員を訓練するだけでなく、武器や資金を提供していた。さらに麻薬取引のノウハウを伝授したと言われている。この時期、ヘロイン(ケシを原料とする麻薬)の主要生産地は東南アジアの山岳地帯からアフガニスタンやパキスタンの山中へ移動している。アフガニスタンやパキスタンで生産された非合法麻薬の多くはコソボを経由して西ヨーロッパへ流れていた。



 1993年にビル・クリントンがアメリカ大統領となるのだが、この時にはすでに反クリントン工作が始まっていた。メロン財閥のリチャード・メロン・スケイフなどの大富豪が資金を出して行われた「アーカンソー・プロジェクト」である。ヘリテージ財団やCSISなど好戦派のシンク・タンクなどにスケイフは資金を出し、情報機関とも緊密な関係にあった。そうした中、モニカ・ルウィンスキーのスキャンダルが持ち上がる。

 ルウィンスキーがホワイト・ハウスに雇われた1995年にNATOはボスニアとヘルツェゴビナを空爆、スキャンダルが発覚した翌年の99年にはユーゴスラビアを先制攻撃している。

 ユーゴスラビアに対する先制攻撃を正当化するため、アメリカはプロパガンダを開始する。まず、ウィリアム・ウォーカーなる人物がコソボにあるユーゴスラビアの警察署で45名が虐殺されたと叫び始めた。が、実際は警察とKLAとの戦闘。その様子はAPのクルーが撮影していた。

 コソボの独立は、犯罪組織に関係のある勢力がNATOの軍事力を利用して達成した。この勢力は麻薬や臓器の密売にも手を出している。この勢力と手を組んでいるNATOはユーゴスラビアに対する先制攻撃を正当化するため、メディアや「人権擁護団体」を利用して嘘を広めていた。そのコソボを「アラブの春」の国、 エジプトが承認する というのだが、そのエジプトの政府に対する抗議活動がここにきて激しくなっている。すでに「アラブの春」のインチキは隠しきれなくなっている。





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最終更新日  2013.02.19 04:18:22


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