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今年もありがとうございました。今年もありがとうございました。何事もなく、平和に終えられたことに感謝します。また、すぐにお目にかかりましょう。アキヲとのツーショット写真でよいお年を♪
2019/12/31
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ブログのタイトルさて、今年も終わります。特に何もなく、至って平凡で、それはつまりとっても穏やかだったということで、体調も申し分なく、私としては発病後最も安定した一年だったと言えるんじゃないかしら。この病気と共に歩んで13年目。来年は40歳という節目の時を迎えます。お気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、このブログを開設したのは2008年のことで、いつしか長い時を経ているということもあり、思い切ってタイトルを変更しました。それはあっという間だったけれど、もちろん私自身の心は刻一刻と変化して来、ブログの今後をどうするか、少し考えた時期がありました。辞めてしまうというよりかは、在り方をより良くしたいという言い方の方が正しいような、これもまた次へのステップとでも言いましょうか。つまりは自分の為です。実はタイトルを変更するのは二度目。その時も今いる現状から一歩踏み出す時だなと感じたのを覚えています。私ね、要するにもう病名を出したくなくなったのです。病名が題名にあることに対してどこか引っかかるような、靄がかかった気持ちがし始めていたのです。もう、私と病名とを切り離してもいい頃なんじゃないかって、そろそろ終わりにしようって、そう思いました。だから、病名を「外し」ました。このブログは病気ブログではあるけれど、そこから抜け出した私個人のブログにしたいという想いからです。なかなか一筋縄ではいかない歳月であったのは確かです。発病した時の感情を忘れることはありません。又、これからも死ぬまで背負っていかなければなりません。でもね、いい加減もうよしていいと思う。これだけ受け入れて乗り越えてきたのだから。と言っても、私は私であり、突然変わる訳はないのだから、これからも何ら同じです。日々の些事をつらつらと書き連ねる地味なブログです。おそらくこのブログを読んでくださっている方は同じ病気の方だと思うけれど、一人の私として今一度興味が持てたならば、これからも読んでいただけたらうれしいな。私にとってこのブログはとても大切なものだから。この想いが持続する限りは書き続けようと思っています。来年も、変わらずよろしくね。
2019/12/30
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二度つい2ヶ月ほど前に10年ぶりに再会した地元の友達2人と、忘年会をした。前回あれだけしゃべったので話題はあるのかと思いきや、何のことはない、続きは果てしなくあり、延々尽きなかった。今年は二度も会えて、ご縁を感じた。楽しかったなぁ。今後の私の糧になる神様からのご縁だったのかしら?
2019/12/29
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好奇心は女性の持つ最大の悪徳ですよ「情報をもう一つ教えてくれませんか。まともな人間になるにはどうしたらよろしいんですかな?」「どうもそれは、閣下。ちょっとできない相談のようで。それは神様から与えられる才能ですからね」「もしこの機会をのがすと、そうすぐにチャンスはやって来ませんよ」「人間は、揺籃から墓場までごく短いあいだしか生きていないというのに、まったく愚かなことをして過ごしてしまう」「人間というのは社会的な動物で、社会とのまじわりにおいて、初めて自己の最高の機能を働かせるわけなんですよ」「時間を浪費するというのもなかなかおつなもんですよ」「しかし天なる神々とやらは、善良なる人間を笑いものにして喜ぶものと見え、」「ですがお母さん、一体すぐ金になって財布の中に這入って来ないもの、すぐ手のつけられる資産にならないものは、すべて役に立たないものでせうか。うちの古い家には部屋があり余るほどあったのではないでせうか、新しい家を建てる必要があったのでせうか。私たちはもっと値の張らないもので我慢できはしないのでせうか」「もし人生が気まぐれで、つながりの切れているものであるとすれば、」
2019/12/26
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聖夜に想うこと目標は◯◯とか、将来の夢は◯◯になることとか、若い頃はそんな風に考える。形あるものを追い求める。そんな私も来年40歳。現実味なんてないけれど、40年も生きてきたんだと思うと、文句無しにがんばっていると言えると思う。生きていると、いろいろある。良い時もあり、悪い時もある。でも、あー私もそろそろあの世からお迎えが来たのね、と悟る頃、一つ一つ自分の人生を顧みて、な〜んだ結構良い人生だったじゃないの、悪くはなかったわね、って思えることほど幸せなことはない。後悔や懺悔じゃなくてね。これが、最近の私の目標。
2019/12/25
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手書きの日記ずっとずっと昔から、日記を付けていた。高校生の引きこもっていた時だって、発病した時だって、一日も欠かさず付けていた。このブログを始めてしばらくした頃、ブログを毎日書くんだから手書きの日記は止めようと思い、止めた。過ぎることおそらく10年ほど。令和になる頃に、再び日記を付け始めた。なぜかって?自分でもわからない。敢えて言うならば、「手で書く」ということが恋しくなったから。それに加え、ブログに書けない事だってたくさんある訳で、その捌け口が欲しかった。要するに、不満が溜まっていた。日記を再開したことによって心身が安定しているなと思う。何事も、悶々と溜め込むのは良くない。自分なりに模索し、自分なりに解決する、その手段が私の場合日記を付けるということだった。そもそも文章を書くことは大好きである。あっという間に習慣付いたので、当分は続けようと思う。旬の感情を旬な文章で。書き終えたらスッキリとし、一切未練はなし。いつ破り捨てても構わない。それが私の日記との付き合い方だ。
2019/12/24
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夜の時間夜、風呂に入る前に掃除機をかける。一日の汚れを落として、きれいに整理整頓する。たっぷり半身浴をしてその日一日の老廃物を流し、腹黒く卑しい感情をも流し、身体をリセットしてから上がる。ほとんどテレビは見ないけれど、少しだけ録画しているものはあるので、半身浴後が私の唯一のテレビの時間。頭で考えることはしないケロッと笑える番組を見てから、明るい気持ちで布団に入ることにしている。そしてぐっすり眠り、朝はスッキリと起床。大事な大事な、私の夜の時間。
2019/12/23
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嘔吐したえー、実は、先日嘔吐した。嘔吐なんていつぶりだろうか。こんなにもしんどい思いをしたのは久しぶりであった。朝起きた時から、頭が痛いなと思っていた。最近ではもう日常的な頭痛はしなくなっていたので、どんよりとした天気のせいかと軽く受け流した。が、やっぱり痛いので、昼寝をした。すると、なぜか悪化して、いてもたってもいられないほどガンガンしてきた。晩ご飯はなんとか食べたものの、兎にも角にも痛く、ガンガンどころか頭が割れるような激痛になり、部屋の電気が眩しくて目を開けていられない。目はチカチカする。体を横にするも痛い。どうしたって痛い。心臓の音がやけに響き、自分の心臓の鼓動で自分の頭をかち割っているかのようだった。更に、すぐそこでギャーギャーとのらねこちゃんのケンカが始まって、ついに限界が訪れた。トイレへ駆け込んで嘔吐した。大量に吐いた。寒気はするし、震えるしで、これはもう半身浴をするしかないと思い、すぐにお風呂へ。あったかいお湯に浸かってもしばらく震えは止まらず、ただただ目を閉じてじっとしるばかり。汗なのか冷や汗なのかわからない。すると、30分ほど経った頃から急に意識がしっかりし始めて、体がスーッと楽になってきた。まだ頭痛はあるものの、平気で耐えられるほどにまで治まり、さっきのあれは一体何だったんだろうと首を傾げたくなる。少し長めに湯に浸かり、すぐに寝た。翌日、頭に鈍痛は残るものの、ほぼ回復していたので、ホッと胸を撫で下ろす。嘔吐から丸一日経って完全に回復。その後数日は胃が重たいような感じだったが、本当にあれは何だったんでしょう。風邪?パートナーは「閃輝暗点」じゃないかと言うけど、ハテナ?吐いたから首の辺りが筋肉痛になり、こんなにもしんどい経験はもう勘弁。
2019/12/22
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ゴーストレート隣に座る女性の孫は、でぃおんちゃんとはのんちゃん。その連れの真っ赤なワンピースを着ている女性の孫は、つやこちゃん。…。名前はいろいろだ。たまたま見かけた外国人の女性が、首の後ろに「恋殊」と刺青していた。どういう理由で彫ったのか尋ねたい衝動に駆られたが、おそらく東南アジアの方のエキゾチックな雰囲気にはとてもよく似合っているように思った。私、普通の人に比べたらやっぱり歩くのは遅いし、毎日のんびりと生きているからせかせかとした様子はないので、だからだと思う。観光地へ出かけると必ずと行っていいほど外国人観光客に道を尋ねられるのは。ゴーストレート。へへ。英語なんてまったくわからないけど、これぐらいは話せるようになっているので、まぁいいこともあるものである。だって、以前はゴーストレートと言いたかったのに、なぜかロングロングアゴーと口から出てきて大恥かいたことあるんだもん(笑)
2019/12/21
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改札口えー、こちら地元、実はまだ工事をしている。大きなマンションを建設中。そして次は駅のホームがきれいになる。私の家は最寄りの駅から下り方面へ10分ほど歩いたところにあるのだが、現在上り側にしかない改札口が下り側にもできるという噂。私としてはうれしい限りである。
2019/12/19
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暖房今年の夏は、自室に冷房を入れて過ごせた。暑さが苦手な癖に冷房は付けたくないという体質だが、それでも少し頼ることができるようになってきて、以前よりかは遥かに夏が楽に過ごせるようになってきたと思う。さて、同じく、冬、かつて、自室の暖房を付けたことは、ない。リビングは母が付けているが、私がリビングにいる時間は夕食時の僅か20分ほどのみ。あとはずっと暖房の付いていない自室で過ごす。寒さに耐えるのは案外平気だが、ほんのり温かいかなという程度に暖房を付けられたら、今よりもちょっとだけ過ごしやすくなりそう。今年は、なんだか付けられそうな気がするな。(けど、あったかいよね、今年。)
2019/12/18
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ああ、これが人生というもんだな「私の仕事や悲しみや苦しみがまもなく私といっしょに終っても十分満足ですし、そのうちこの世のものは私の墓に埋まるでしょうし、精神的なものは私といっしょに永遠の国へ行くでしょうから、」「よくいわれるように、いろんな種類の人間がいなければ世の中は成り立ちませんよ」「わたしはどっちとも決しかねているんでしてね。美しい女の人の接吻を口許にちょうだいして眠るのと、唇の間にシガレットをくわえて眠るのとでは、どっちが気持いいかってことですよ」「死んだ人の墓石も記念となる他のものもなく、この見苦しい雑草だけがこの人を思いだす役を引受けているのです。死んだ人の心臓から生え出て、いっしょに埋められた何か恐ろしい秘密を表わしているのでしょう、生きているうちに告白した方がよかったような秘密でしょうにね」「あなたは、それで、医者に体の病を治してほしいのでしょう?どうして治りましょう?先ず魂の傷とか悩みをお見せにならなくちゃ」「どこにでも明るく輝く太陽はほんとにこの老人の上にも輝くのだろうか?」「人間て奴は、ちょうど火花が上に向かって飛び上がるように、苦難を受けるように生れついているんですが、しかしその不幸もそういつまでつづくわけがありませんや」「自分に方策がない人間だけがたいくつするのであり、自分の楽しみを外の世界に求めるのは、愚かな人間だけがすることだと考えていた」「庭に花植うる者は、その心にも花を持つ者なり」
2019/12/17
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記録のために。5本指のシルク。5本指のウール。シルク。ウール。シルク。ウール。シルク。ウール。シルク。ウール。シルク。コットン。シルクのレギンス。コットンのレギンス。シルクコットンのレギンス。コットンのレギンス。太もも〜足首のレッグウォーマー。ウールのレギンス。コットンのハイソックス。長ズボン。ウールのレッグウォーマー。ダウンのレッグウォーマー。長スカート。ダウンの長スカート。足首までのブーツスリッパ。以上。
2019/12/16
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青春は花輪だった「さあれそもみな自然の数ぞ、昼去りて夜の来るがごとくに」「明日は明日の苦しみをもって来ることだろうし、その翌日も、又その次の日もそうであろう」「ああして、昼食でも夕食でも、ひとりぽっちで坐っていて、いったいあの婆さんは何を考えているんだろう?」「心ある人々がきっとひとり残らず衷心からこい願っている平和」「思いもよらぬ出来事がいつのまにやら昔ながらの色あせた文学的手法に精彩を点じることがある」「死神ってものはよく時を選ばずやってくるもんでね」「だれにしろ、安眠する権利はありますしね」「こんな時勢には、どんな人間でも、多少頭がおかしくなっているので、」「どんな風だって、吹けばだれかの役に立つ」「神意によってあの世へ移るのがよいとされるなら、自分はこの世でいちばん地味な使命すら全うするに足りぬ」「人生は単に試練と争いの状態であると常に語り考えてはいたけれど、」「それによるとどの医薬にもこじつけた要素がたくさんはいっていて、不老長寿の仙丹でも作るつもりかと思うほど念を入れて調合することになっていた」
2019/12/13
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物がいらないますます、物がいらないなと思う日々。今、クリスマスの商品が街を埋め尽くしているが、かわいいと思っても欲しいと思う物は一つもない。すぐゴミになるのが手に取る前からわかる。ますます、流行りなんかどうでもいい。私は変わり者だし、ずっと私は私という精神で生きてきたので、流行りに乗るという感覚がどうしても理解できず。周りがどうこうではなく、自分が気持ちいいなと思うことをすればいいと思う。心の声に耳を傾け、素直にそれに従う。我が道を貫け、この一言に尽きるよね。
2019/12/10
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みなさんも良い眠りを。私、靴下とレギンスだけは山ほど持っていて、それ専用の引き出しまであるのだけど、夏はぎゅうぎゅう詰め満員御礼、冬はスッカラカンになる。なぜって、私が全部履くから(笑)今年も何重にも重ねて履いて着ぶくれている。湯たんぽも実に気持ちいい。幸せを感じながら眠りに就く毎日です。みなさんも良い眠りを。
2019/12/06
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どんな状況にも希望はある「この世に生きて行くのは愉快だね!」「愛しもしくは愛された、それで充分である。更に求むることをやめよ」「定められた運命はまっすぐなものではない。それは当の人間の前にまっすぐな大道となって開けゆくものではない。行き止まりもあり、袋庭もあり、まっくらな曲がり角もあり、多くの道が交錯してる不安な四つ辻もある」「下降の第一段は、いかに暗いものであることか。更に第二段は、いかに暗黒なるものであることか!」「<死者への記憶は、潮がひいて砂に残った小さな水たまりに似ている。やがて、それも干あがる> 山田風太郎」「しずかに往生させてもらいたい」「自然は「前方を見て」いる」「もし金があれば、医者にかかるさ。金がなければ、医者にかからないさ。医者にかからなければ、死ぬばかりさ」「医者にかかったら?」「やはり死ぬだろうよ」「記憶の神秘な助手であるにおい」「万事が望みどおりにならないからといって、それで神を恨んではいけない」
2019/12/04
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ふたたびつい2ヶ月ほど前に、10年ぶりに地元の友達2人と会った。懐かしくて懐かしくてとても楽しかった。で、なぜだかまた会うことになった。忘年会しようって(笑)日にちもすぐに決まった。会おうと口では言っていても日にちが合わずに話が流れてしまうことってよくある話だが、地元の友達とはいつも「じゃあいついつね、はーい」というような感じであっさり決まる。待ち合わせも現地集合で。女女した感は露ほどもなく、とにかくさっぱりしている。今年は御縁があるらしい。昨日の続きかのように突然会話が始まり、何の気遣いもなく腹を割って言いたいことを言い合って、名残惜しい様子もなくサッと別れる。とても素敵な関係である。ただ、仕事はピアノを教えてるって嘘付いたんだった。これだけがネックだけれども。
2019/12/03
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必然の理はすなわち宿命と呼ばれる「一つとしてまっすぐに動いてるものはない。世界は拗ねている」「外乱というものが存在するか。すべて人間間のあらゆる戦争は、皆同胞間の戦いではないか」「自分の仕事ばしすりゃあええだ。他のこたあわたしの知ったことでねえだ」「今じゃ、もう世の中が変わりましたわね。何もかもずっと悪くなってしまいましたわ。あたしたちだって悪くなっていますわね。そうじゃなくて?」「やっぱり雨がやまないわ」「既に人生の壁の向こう側にいるような心地がして、」「彼らはもはや希望を持たなかったが、しかし絶望を持っていた」「薔薇の花は神からまっ白に作られたが、まさに開かんとする時アダムにのぞかれたので、それを羞じて赤くなったという」「人間という些事に心を労して何の役に立つか」「現在の方法は、よくするつもりでかえって悪いことをしている」「困却もある程度におよべば、もはやそれ以上に大きくなり得ないものである」
2019/12/02
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あーあちょうど1ヶ月目、ついいい気になってうつ伏せに寝た(うつ伏せ寝が実は好き)。すると、たった10分ほどだけだったにも関わらず、一部かさぶたが取れて乳首から黄色い汁が出た。3日間止まらず。オーマイゴット。まったく油断も隙もありゃしない。今年の紅葉は美しくない。色がくすんでいる、濁っている、しけっている、という言葉がしっくりくる。そもそもあまり紅葉していない。例年は目にも鮮やかな澄み渡った色に輝くけれど、今年は暖かいから仕方ないね。アキヲがいた。いたらいいなーと思ってキョロキョロしてみたら、ふてぶてしい顔をしてそこに座っていた。思わずキージーと呼ぶ(本名はキジ)。パチパチと瞬きして私に応えてくれた。かわいいアキヲ♪
2019/12/01
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パッカパッカ馬がパッカパッカ走っている。モノクロ映画で、頭の上にトサカのような帽子を乗せ、フリフリのドレスを来たお嬢様が馬車に乗る。パッカパッカ。パッカパッカ。蹄の音ってなんて良い音なんだ。なんて官能的な音なんだ。私の耳には、言いようもなく心地よく、このまま寝てしまいたくなるほど気持ちいい。
2019/11/29
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バロメーター大掃除をした。年に何度か大掃除するのだが、年末は必ず避けるようにしている。ただ単に寒いという理由もあるが、私は年末年始のお祭り騒ぎが非常に苦手なので、その時期に大掃除をするとそれを思い知らされるというか、私は敢えてシレッと過ごしたいのである。ありがたいことに暖かかったので、雑巾がけをしたり布団を干したりとドタバタ動き回り、少しだけ模様替えもした。いつの間にか溜まってしまう紙類も処分して、古くなったタオルや下着なども思い切って新しいものにし、心機一転。髪の毛も揃える程度に切り、その他雑用をテキパキとこなし、最後に買わないといけないものを書き出して終了。部屋を丸洗いした気分になって心も体もさっぱりした。私にとって部屋をきれいにしておくことって生きていく上でとても大事で、心の中と部屋の中とは常に繋がっていると感じており、つまり心の安定を保つ為に部屋を整理整頓する、あるいは、部屋が整っていれば心も整っている。だから、私の心は、毎日掃除機をかけることさえしていれば大丈夫と、どこかでそう思っている自分がいる。余談だが、最近では髪の毛をある一定の長さに保ち続けることも同様かなと思う。まだ美容院へ行っていた頃は一年に一度しか切らないというなんとも不潔な状態だったが、自分で切るようになって、髪の毛への不満といら立ちとから解放された。今ではもう、一年も伸ばし続けていることなどできない。きれいになった部屋から空の青を見上げるのはなんて清々しいんだ。するととてつもなくピアノが弾きたくなって、ちょっとだけ弾いた。いつぶりかしら!
2019/11/26
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しかし、孤独はやはりとてもつらかった「くよくよなさいますな、苦は楽の種ですよ」「幸福は外面的な原因に左右されるのではなく、外的原因にたいするわれわれの態度に左右されるのだ、苦しみに耐えることに慣れた人間が不幸になるはずはない」「どうして左右対称(シンメトリー)がこころよいのか?まさか、人生のすべてのものに、シンメトリーがあるわけではあるまい?」「どんな愛情関係にも二つの側面がある ー 一方が愛し、もう一方は愛するのを許す、一方が口づけをし、もう一方は頬をさし出す」「知ってるかい、どこから君の内気さが生じるのか?…自尊心の過剰からさ、君」「子供の難渋は母の心を動かし、若い男の難渋は若い娘の心を動かすが、老人の難渋はだれからも顧みられないものである」「何でまた戦(いくさ)をするんだ。」「さあなんだか。」「自分の心にある時は、何もかも美しく明瞭なのに、一たん紙に移すと、なぜかくも醜くなるのか、また一般の生活でも同様に、何か自分の考えていることを生活に応用しようとすると、なぜこのような結果になってしまうのだろう?」
2019/11/23
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私の装い私、やっぱりとても薄着である。寒いのは大好き、暑いのは大嫌い。たぶん体感温度もみんなと違うのだと思う。困るわね、神経が厄介って。季節の変わり目って、暖房が入っているところと冷房が入っているところがある。早々とブーツにマフラー、コートという真冬の装いの人もいるし、私のようにペラリとした長袖を着ているだけの人もいる。私には、夏と同様、暖房の入っているムンとした場所が本当に苦手。途端に息苦しくなって汗が噴き出す。だから、サッと脱ぎ着できるカーディガンなどの薄手の羽織るものは必需品である。もしそれが電車だったならば、扉の隙間風を顔で受けて次の駅まで必死で堪えて潔く降りる。この間、妹と某テーマパークへ遊びに行った時、どうにもこうにも電車が満員で辛く、ごめん、と言って次の駅で降りてもらった。すると、「上着脱げばいいやん」の一言。いえ、そういう問題じゃないんです。もう脱いでるんです。その蒸して滞った空気に耐えられないのです。私は、風が流れていないと生きられない。年々良くなっているとは言え、自分で自分のことをしんどいなと思うことは多々ある。となると、ますます薄着になる。が、あまりに周りと差のある服装をするのも変なので、最近では付けもしないマフラーをわざわざ手で持って出るようになった。
2019/11/22
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人は大抵何かから逃げている「それはだれの罪であったか?否だれの罪でもない」「世界を満たす唯一の人のいな時、世はいかに空しいか」「愛せらるるというはいかに偉大なることであるか。愛するというは更にいかに偉大なることであるか!」「夢はいつも覚める、惜しいところで」「今に見ていろ、わたしの真価を発揮できるときがくる、と信じていた」「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐えるニーチェ」「怠惰とは恐るべき言葉である」「一日には一日の大なる苦しみがあり、あるいはまた小さき心配がある」「百日のうちに一日とて、朗らかな喜びと朗らかな太陽とは徳難い」「しかるにいかなる死も、身体の死はなるべく遅からんこと、魂の死は、永久にきたらざらんこと、それが我々の望むところである」「なぜにかかる蒼空から外に出る時が来るのであろうか。なぜに生命はその後にも続いてゆくのであろうか」「私も一度は若かった、お前も今に年取る」
2019/11/19
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コーヒーと甘いもの私、以前に比べると「甘いもの」がとても減ったと思う。もともと大好きで、チョコレートやらクッキーやらが止められなかった。世で言う嗜好品というものは得てして中毒性が高いものであり、私もそれに近かったと思われる。だんだんと摂取量は増えてゆき、知らぬ間にこんなにも食べていたんだと唖然とする。パートナーと出会った頃には、びっくりされたこともあった。チョコレートはそんなに食べるものじゃないよって、病気になるよって。月日は経ち、コーヒーがそれほど至福だと感じなくなって来た頃、それに合わせるかのように甘いものも自然と減っていった。少しは食べる。食べないわけではない。が、まず甘いものってそんなにたくさん食べられるものではなく、一口二口だから良い。それ以上は体がいらないと拒絶する。そんな影響もあってか、体は痩せたのだと思う。やっぱり甘いものが一番太る。何事もほどほどに。好転反応だけではなく、いろいろな側面から体を治しているんだなと改めて思う。
2019/11/18
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空(くう)なるかな空なるかなすべて空なり!「愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ」「汝は天を欲するか」「今の方がましである」「読者のみなさん、あなたたちは人生のある時期に、それまで見ていたすべての事物が、まるで不意に別の、未知の面を向けたように、自分のものの見方がすっかり変わってゆくのに、気づかれたことがあるだろうか?」「おずおずとためらいがちに目と目が会ったとき、たった一つのふとした視線に、理解されたい ー という、ことばでいいつくされていない願いや、思いや、恐れが、どれほどこめられていることだろうか!」「暇をくださいまし、泣く人がいるわけじゃなし」「わたしは靴屋だった、わたしは兵隊だった、わたしは脱走兵だった、わたしは職工だった、わたしは教師だった、そして、今ではわたしはなんでもない!」「正直な人でいなさい」「神さまこれ見てる、これ知てる、これ神さまみ心、」「冬は常にわれわれの悲しみのある物を持ち去って行く」「では何を食べますか。」「この木になる林檎がある。」「でも旦那様、このようにお金なしでは暮らしていけません。」「といって一文なしだからね。」
2019/11/14
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蟇(がま)は常に目を空の方に向ける「その時はただ傷のみを感ずる。芽ぐみのおののきと実を結ぶ喜びとは、後日にしかやってこない」「人生の現実は、忘れ去らるるを許さない」「時がたつに従っていかなる尖端(きっさき)も鈍ってくる」「この節は安い物と言って何があろう?みんな高い。安い物はただ世間の難渋だけだ。難渋だけは金を出さないでもやって来る」「心の向かうところに目も向くものである」「昨日は欲望を有していた、今日ははや満ち足っている、明日は既に飽満するであろう」「なに僕にも少しは野心があるさ」「往々にして、一つの糸を結んでいると思いながら実は他の糸を結んでいることがある」「彼は仕事をやめていた。捨てるにたやすく始めるに困難な習慣である」「事態はそんなに悪くないだろう」「自分で自分をもてあますよ」「年経たる相貌(そうぼう)」「やれやれ、また一日が終わったか」
2019/11/07
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気遣いのケーキ39歳になった。38歳は、なかなかしんどい一年だった。38歳という一年間は、暗夜であった。単に歳を取ったとも言えよう。もう決して若くない、自分という人間は所詮こんなものさとある種の諦めを感じ、ようやく悟り始めたのであった。何かが変化した一年だった。良くも悪くも、落ち着いた。期待もせず、平穏無事でありさえすればそれでいい。そう過ごせた一年に心から感謝する一方で、物悲しさは拭い切れずにいるのであった。今後歳を重ね、それはますます加速してゆくであろう。世の先人たちは、そんな気持ちをどうやって奮い立たせてきたのか。忙しく走り回ったり楽しみや趣味を見出して考えないようにしていたのか。我が人生への煩悶は続く。(やっぱり妹はケーキを買って来てくれていた。「おめでとうなお」というもんもんのお手紙付きで。冷蔵庫に一つ私の分だけ残してあって「気遣い」の塊であった。一口一口少しずつ食べた。おいしかった。)
2019/11/04
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杯をあける者は心を打ち明ける「まあ待つがいい。世は輪廻(りんね)だ」「何を言わっしゃるだ、わしら貧乏人はな、人手を借りねえで死にますだ」「彼女の様子のうちには、まだ初まらないうちに既に終わった一生涯がもつところの茫然自失さがあった」「人事を尽くして天命を待つ」「だがその直観はなまじっか理屈よりもはるかに強く自分を縛っている」「医者は間に合わなかった。牧師も間に合わなかった。息子の来ようもまたあまり遅かった」「一度その橋が落つるや、ふたりの間には深淵が生じた」「彼の十八番(おはこ)は、何事にも成功しないことだった」「悲しみも苦しみもあっていいから、同時に歓びを失わずに死ぬまで生きたい」「僕は人生を忘れたい。人生とはだれかが考え出したいやな発明品だ」「虚栄には表裏両面がある。表面は愚で裏はばかだ」「君は幸福だね、君の女はいつも笑っている」
2019/10/31
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コンタクトコンタクトを買ってみたものの、結局ほとんど入れられず。春と秋の花粉症と元々のアレルギーと、なんだかんだで一年中すっきりしないので、めがねが目の為には一番良いという…。今は秋の花粉症真っ只中で、まつ毛の生え際がかゆくてかいていたら、まつ毛がごっそり抜けた。ちょうど右目の黒目の辺りのまつ毛が円形脱毛のようになってしまって、まったく毛がない。早く生えてこないかなと待ち侘びているところである。ふぅ、次から次から…、今度コンタクトを入れられる日はいつかしらね。
2019/10/29
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38歳の心境38歳になってから、私、少しずつ考え方が変わってきたんだ、たぶん。きっかけは、ずばり38歳になった途端に月経の量が目に見えて減ったこと。それは今まで感じたことはなかったことだった。急に訪れた。おそらく、同じ女性には私のこの僅かな揺らぐ切なさをわかってもらえると思う。些細なことかもしれないけれど、それは大きな大きな出来事だった。女という名の階段を一段降りたとでも言おうか。その変わってきた考え方っていうのは、どう変わりたいと願ったところで、ドタバタとあがいたところで、「結局自分という人間は一生自分という人間の尻の上に座っている」ということ。私は私であり、私でしかないのである。そして間もなく39歳になる。未だ将来は見えず。いえ、いくつになっても将来なんて見えないんだと思う。将来は現在、現在が将来、だということをようやく悟り始めた。
2019/10/27
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ヘルペス枯れたよ半身浴をしているので、ヘルペスだって湿疹だって枯れるのはものすごく早い。あっという間。が、湿疹はそれに増し増して出るので、結局湿疹の方が勝つ。妹にある化粧品を買ってきてほしいと頼まれ、出かけた。休日の都会はなんて人が多いんだ。私の家は都会から30分ほどのベッドタウンだが、近年、ここに住めるのもそう長くはないように思っている。理由は、まずは夏の異様な暑さと、もうそろそろ田舎への隠居を考えてもいい頃だろうと思うことから。考え方は日々変わっていく。父の命と引き換えになったこの家を大事に思う気持ちにはもちろん変わりない。だが、その辺りは今後妹と話し合わなければならないことである。
2019/10/26
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私はこのままですばらしかったのだ「今じゃ、あたしに何が残されているんでしょう?だれのために生き、だれを愛せばいいんでしょう?」「この低俗な欲望(虚栄)は、われわれが自分で認めはしないが、たいていどんな時でも ー この上もなく強い悲しみの時でさえ ー われわれから離れず、悲しみの力と、尊厳と、誠実さを奪ってしまう」「そういうふうにして天国に行くんですよ、空(から)の箱を持ってきて、それに何かを入れて持って行くんです。そういうのが葬式です」「自分自身の力に応じて働くことが尊いのです」「両方できないことはないさ。兼任してるんだ」「そうだとも。神様はその満期の手帳をくってみられたんだ。すると爺さんの番だった。で爺さんは死んだのさ」「その跛(びっこ)は、今では不具のためよりも心配のための方が多かった」「他人の墓穴を掘ることによって人はまた自分の墓穴をも掘る」「死の対極は欲望」
2019/10/25
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秋のお出かけ♪日増しに深まる秋。ある山の上にあるお寺へ行った。天へと続く階段をひたすらに登り続けること30分。次々抜かされ、また抜かされながら、マイペースに歩を進めていった。お堂の屋根がチラと見えた時には、それはそれはうれしかった。達成感でいっぱいだった。よくここまで足が回復したものだと、つくづく感慨深かった(後日400段も登ったことを知る!)写経をした。慣れない筆を持ち、般若心経を書く。最初は字が震えて波打っている。ナマズのひげのようである。だんだん気持ちが落ち着くにつれて、力も抜けてくる。ちょうどその時間に法事があったようで、読経が始まった。般若心経を聞きながら般若心経を書く。驚くほどにスラスラ進む。残り3行で足のしびれを感じ始める。残り2行、もうすぐ終わると思うと気持ちが乱れるので字も乱れる。なんとか残り1行、何度も尻を浮かせてしびれに耐える。最後に名前と願い事を書いて終わり。しばし足をさすってから納めてサッと帰った。なんと清々しい一日だったことだろう!
2019/10/24
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頭寒足熱涼しくなってきたら、まっ先に足元を温めることを考える。レッグウォーマーをしたり、レギンスを履いたり、家では既にレギンスを3枚重ねて履いているが、とても気持ちいい。分厚い毛布を出すのも人一倍早い。寝る時に足元に掛けておくだけでよく眠れる。上半身はペラリとした長袖である。頭寒足熱。冷えとり健康法を始めてから徹底していること。だって、これが医者へは行かなくなった私にとっての自分治療だから。
2019/10/23
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あの同情の心はどこへ行ってしまったのか?「神さま!どうしてぼくにこんなひどい罰を食らわすんです!」「死とは、単なる無に過ぎぬ」「嫉妬は、陰気で青白く怪物のようだ」「亭主の方はちょうど五十の坂を越したばかりであった。女房の方は四十台になっていた。四十といえば男の五十に当たる。それで二人の間に年齢の不釣り合いはなかったわけである」「苦悩の地獄よりもなお恐るべきものがあるとするならば、それはまさしく倦怠の地獄であろう」「頻繁なる馬車の往来は街路を広くする」「時は過ぎ去ってゆく。早くしなければならなかった」「葬式の前も、あとも、私はひっきりなしに泣き、悲しんでいたが、その悲しみを思いだすのは気恥ずかしい、なぜなら、それにはきまって、一種の自尊心がまじっていたからだ ー 」「敵は自分だ」
2019/10/22
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蓄える季節ようやく蓄える季節がやってきた。おいしそうな食べ物を見るだけでワクワクうれしくなる。夏、やっぱり痩せた。というよりも、体が削げた感じがする。先日10年ぶりに地元の友達と会った時もまったく食べられず、私の残りを半分以上食べてくれた。「あーおいしかった!お腹いっぱい!」と言って完食したお皿を前にポンと腹鼓を打って帰ってゆきたかったのに、なんだか残念だった。すっごく楽しかったのに。好き嫌いはさほどなく、食べることはもともと大好きである。次の夏へ向けて、さぁ蓄えよう。
2019/10/17
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幻惑友達が起業した。それに比べて私は一体何をしているんだろうと一瞬心をかすめたはしたが、そもそもそれは比べられるものではないとすぐに思い直す。これは尚という一人の人間の人生。日に日に欲望は翳り、情熱は細り、これを老いと言うのかと合点するようになってきた昨今、嫉妬も束の間の幻惑と見誤るようである。日に努力を続けていれば、必ずや報われる日が来る。どうせ来ないとわかっていても、時は進む訳で、一筋の光明を信じて生きるしかない。
2019/10/16
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ジョキジョキ行きたくって、美術館のチケットを買っていたのだけど、暑いなーとか雨だなーとか今日は体調がいまいちだなーとかで、結局行かなかった。期間が短かったということもあろう。しょうがない、ちょっとご縁がなかったと思うことにする。定期的に髪の毛を切るようになった。もちろん自分で。2ヶ月に1度ほどのペースが一番私にはいいらしいということが最近わかった。伸びたなと思うことなく、常にベストの長さを保っていられるのが約2ヶ月で、精神衛生上良いということもある。先日切った。適当に大ざっぱにジョキジョキと、指に傷を作りながら。いつも思うけれど、下手くそでもそれなりに仕上がるから不思議だ。扇風機やらゴザやら夏物を片付けた。代わりにウールのブランケットを出した。あったかい♪
2019/10/15
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カサカサ季節の変わり目ということで、皮膚がカサカサしている。これは好転反応の湿疹とはまったく別のもので、単に季節に順応できない、というだけのことである。これまでの経験からわかったことは、中途半端に湿疹が出ている時に季節の変わり目を迎えると、必ずや悪化するということ。湿疹の出ていないところには何も起こらない。が、出ているところは3割ほど悪化。そしてもちろんその分治るまで時間がかかる。治りそうな頃にまた季節の変わり目が来て、また悪化してしばらくして良くなりかけてきたと思ったら季節は変わる。それを延々と繰り返している。その湿疹の度合いは遥かに良くなったけど、ついでに花粉症もあるから、一筋縄ではいかない。根気よく付き合っていくしかない。
2019/10/14
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心配です。カフェへ行ったら、隣の席で、おそらく60歳代だと思われる男性が、1億3000万円の家を契約していた。びっくらこいた。急に空気がひんやりしている。お散歩がたくさんできるからうれしいけど。みなさんは台風は大丈夫でしたか?心配です。
2019/10/13
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だれにだって望みはありますからな「人の思想がある観念の方へ立ち戻るのを止めることができないのは、あたかも海が浜辺に寄せ返すのを止めることができないと同じである。船乗りにとってそれを潮という。罪人にとってはそれを悔恨という」「すべては必然の数(すう)である。自分の運命はかく定められたものである。自分には天の定めを乱す力はない」「およそ第一の神聖は他人のことを考えることである」「真理は思想の奥底にしか見いだされぬ」「右を行っても左を行っても、自分は一つの墓場のうちにはいるであろう」「それについて天意が働いていることは明らかであった。馬車の車輪をこわし、途中に彼を止めたのは、天意である」「そして突然人は老いる。ある動揺を感ずる。すべては暗黒となる」「ある暗黒な時間の迫っている時、地の光を失った人に天の光が差して来ることがあるようである」「彼は既に終夜考え、既に終日考えたのであった。そしてもはや自分のうちにただ一つの声を聞くのみだった、「ああ」と」
2019/10/12
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某テーマパーク妹が、私の誕生日祝いとして、2人で某テーマパークに遊びに行かないかと誘ってくれた。テーマパークなんていつぶりかしら♪楽しみです。たまたま通りかかった商店街にいましたよ。どれだけ多勢の人が通っても動じず(笑)
2019/10/11
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つげ櫛長年、つげ櫛を愛用している。静電気は起こらないし、髪の毛を梳くとしっとりして、普段シャンプーなどを一切使わない私の唯一の髪の毛のお手入れである。つげ櫛は、定期的に椿油に適量浸してから汚れを落とすなどして、大事に使ってあげなければならない。一晩浸しておくと、汚れが浮いてくるので、それを拭ってあげる。その時間もまた、私は好きである。実は今使っているものは二つ目で、一つ目はフローリングの上に落として割ってしまった。かまぼこ型がまあ見事に真っ二つに。もうかなりの打撃を受けたので、今使っているものは優しく優しく扱っている。物を丁寧に使うってとても大切なこと。これからもよろしくね。
2019/10/10
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船はどこにあるのか。かしこに。「労働の習慣は薄らぎ、快楽の趣味は増していた。自分のできるつまらぬ職業を軽蔑するようになったので、彼女は世の中への出口を閑却していた。そしてその出口はまったく閉ざされてしまった」「立っていないですわっていた、ただそれくらいのことに運命の糸は絡むものである」「人生最上の幸福は、愛せられているという確信にある」「本能は知力にまさり、動物は人間よりもすぐれたる光明を有する」「自分で働いて正直に暮らしてゆくということは、何という天の恵みであろう!」「彼女の心のうちにはある暗い変化が起こっていた。もはや髪を束ねることもできないのを知った時に、周囲の者すべてを憎みはじめた」「極端な悲惨は卑猥心(ひわいしん)の的となる」「大なる苦悩は聖いそして恐ろしい光で、悲惨なる者の姿を浄化する」
2019/10/09
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ランチで再会大学の時のピアノ友達、それから中学生の時の地元の友達2人、に立て続けに会った。ピアノ友達は最近引っ越したので少しだけ家へ遊びに行き、地元の友達は実に10年ぶり(!)ぐらいに再会してランチを食べた。すっごく楽しかった。感慨深い2日間だった。みんなそれぞれがそれぞれの道を生きていて、私はこの10年余り特に何もなかったけれど、それって奇跡のような日々だったんだなぁと改めて感じた。だって穏やかに生きてこられたんだもの。で、嘘を付いた、地元の友達に。10年ぶりに再会して楽しいあっけらかんとしたランチなのに、仕事をしていないとはどうしても言えず、まだピアノを教えてるということにした。パートナーにそれを話したら、笑いながら「嘘も方便」だと言った。「それよりか、」とあっさりと次の話題に移って、なんだ、別にそれぐらい大したことないな、ってすぐ前向きになれた。それでいいさ、うん、それでいい。パートナーは、私が怒っても笑う。泣いても笑う。笑ったら、もっと笑う。かわいかった〜♪
2019/10/08
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フッ素入り先日、歯科の定期検診に行った。すると、初期の虫歯が2つあるとのこと。治療はせず経過観察だと言われたが、歯磨き粉をフッ素入りのものに変えることになりました。小説を読んでいて、わからない言葉や言い回しなどがあったら調べるようにしているが、何度も何度も調べてしまう言葉ってある。この間調べたのにまた調べる。その時はふんふんと納得するのだが、結局わかっていない。こちら関西は、めちゃくちゃ暑い。10月とは思えない気温。いつになったら秋になるのかしら。ま、秋は去ってすぐ冬なんだろうね。
2019/10/06
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太陽は美しいではありませんか「絶望しきった者は自分の後ろを振り返り見ないものである」「年ごとに彼の魂は、徐々にしかし決定的に乾燥していった」「自然の光明は彼のうちにも点ぜられていた」「次に、幸か不幸か人間は精神上および肉体上の苦悩を生きながら長くそして多く堪えることができるように作られている。ゆえに堪え忍ぶことが必要であったのだ」「かつて傷を負っていた彼の心の中には、もはや傷跡があるのみであった。ただそれだけである」「社会は、国家は、彼の積立金を減らしながら彼を大きく盗んだ」「不幸は人の知力を育てるものである」「いかに男飛ぶとても、足あることを人は知る」「それを些事と言い去るのは誤りであって ー 人生のうちに些事はなく、植物のうちに瑣末なる葉はない ー 」「熱中したもうな、混乱したもうな、度を過ごしたもうな」「人生そんなもんだぞ!あるもので、いかに幸せに生きるかだ!」
2019/10/05
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硯に向かいて発病して13年目。自分治療に精を出し、なんとしてでもステロイドを断ち、アトピーを克服するんだと意気込んで挑んできた。丸3年が過ぎ、努力は報われたようで、ようやく終息へと向かっている。この3年、私のやるべきことは自分治療だけだった。半身浴をし、靴下をたくさん履き、その他数え切れないほどの生活改善を試み、体質そのものから180度転換するに至った。それは過酷だった。眠れず、外出もできず、耐え難き日々もあった。だが、私の一生の中で、今という瞬間に与えられた試練だと思って取り組んできた。さて、時は進み、否が応でもそろそろ次の段階へ踏み出す時が訪れたようである。自分治療だけに励んでいた日々は「卒業」間近、次と言えばそうそれは言うまでもなく社会復帰である。それはずっと頭の片隅にはあった。限りなく大きな不安と共にあり続けていたが、わざわざ引っぱり出してきて考えなくてもよかった。なぜならこの3年は自分治療に集中する期間だったから。それが私の仕事だったから。だが、避け続けてきたものには、いずれ立ち向かわなければならない時が来る。母に甘え、今は自分治療の時なんだ、という言い訳は、もう通用しない。立ち上がれ。もう身体は無理をしなければ完全に働ける。それが紛れもなく次の私の試練なのであった。ついに重い腰を上げて自分の足で立つ。それは言いようもないほどの気力と意思とが必要なのであり、同時に恐ろしいほどに怖いのであった。病気を患ってから自分という人間を観察し続け、観察すればするほどわからなくなっていた。この先どんな人生を歩むのか、歩みたいのか。何一つ見えない。年齢を重ねるごとに、様々の意欲というものも目に見えて消え失せてゆく。どうせ、という言葉が最近やたらと浮かぶようにもなり、すぐにくじける。それに加えて追い討ちをかけるものは、言うまでもなく40歳間近という年齢と社会経験に乏しいということと、ブランクとであった。私には、自己を奮い立たせる大なるものが足りない。根性とかやる気、そういうものの欠片もない。目的が見つからないからという理由もあろう。家庭がある訳でも子どもがある訳でもない、あわよくば今いなくなってしまったとしてもまったく以って構わないと切に願い続けている、ただちっぽけな自分一人だけの為。それは自然と見つかるものなのだろうか。それは降って湧いてくるものなのだろうか。生まれついての社会不適合者である私。引きこもりから抜け出すきっかけとなったピアノは、大学入学という強い意志があった。やれやれ、今は、そういうこれと決まった目標なぞどこにあるというのか。つべこべ言わず、ただ生きる為に働く。その日のパンの為に稼ぐ。その意欲さえ湧くならば、どれだけいいか。
2019/10/03
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