2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全13件 (13件中 1-13件目)
1
今日は車で30分ほどの、公園へ行ってきました。ここはかの有名なアーチストが設計した公園で、まっすぐ歩いたり出来ないところです。そこできづいたこと、しんちゃんの平衡感覚のよさ、私たちが手を付いたりひやひやしながら歩くところでも、平気で普通に歩く転ばない。毎度のことながら驚きでした。
2004.01.31
コメント(0)
しんちゃんは幼児のころお世話になった療育機関に週1回通っている。以前は就学前の幼児だけだったが支援費制度になって小学生も療育をしてもらえるようになった。月1回クッキングの日があって今回はピザトーストだった。今回はパンを見たとたんに拒否、断然拒否。たぶん学校で食べなさいといわれていて、いやなのだと思った。親としては食べれないものが食べられるになると嬉しいのだが、ますます嫌いになっても。うーんまた難しいところだ、食事は楽しいものであってほしい、でも、あまりにに偏食が強いのも困る。
2004.01.29
コメント(0)
昨日だんなと一緒にお話を聞いてきた。結論から言うと朝から晩まで学校についてくれということだった。要介護5のばあちゃんがいるという家庭の事情も知っていっる、それでもそう言うという事はよっぽど養護学校にいってほしいのだろうな。私は人が右と言ったら左に行くというタイプだから、きっとこのままなんとしても特殊に行くように持っていくと思うけど、でもいつもこうやって意地を張ったときはいい結果を生まないんだよな。それと、ずっと一緒に子供といると精神的にまいりそうな気がする。多動で飛び回るわが子、何も出来ないわが子、ひとつ壁を隔てれば普通に勉強する子供たち、そんなのを見ていたら精神的に追い詰められそうな気がする。うーん、でも私が養護に行きますと言う言葉をさも期待したようなあの校長の顔がいやだ。子供にとってどちらがいいのだろう
2004.01.28
コメント(2)
今年ついに次男が就学です。長男しんちゃん(ただいま小1)、次男こうちゃん、ともに養護判定、それを押し切っての特殊入学、ある程度は覚悟していたものの、だんなと一緒に今後のことをお話したいとの学校からの要請、気が重い、絶対学校についてきてくれということだな。要介護5のばあちゃんもいるし、どうするんだ、私!あーあ、ため息しかでんわ
2004.01.27
コメント(3)
今日支援費の更新に市役所の人が来ました。いつもの人なので我が家の事情も分かっているので説明も速く済んだのですが、でもこの人はいい人なのか悪い人なのか、いつも思うのですが、役場の人って、言葉はとても丁寧だけど、なんか親身さに書ける気がします。こう6割のとこまでしか関ってってこない。それでいいのかもしれない。子供のことに10割かかわれるのは親だけ、9割が近い身内、8割がカウンセラー、7割が療育機関の人。やっぱり親が引き受けるしかないんだよね。
2004.01.26
コメント(0)
今日は朝9時半から子供の意見を聞く会に出席した。子供会の役員をやっているからだ。恵里香は普通学級に行っている。だから地域の役員や学校の役員も回ってくる。確かに大変だし、何よりも子供たちやばぁちゃんをだんなに預けていくことが心苦しくもあり心配だ。でも、地域とかかわっていたいし、私自身たった一度の人生普通の人がやることをやっていたいと思う。最近特に思う。人生は一度きり、それだけは平等
2004.01.24
コメント(2)
今日、小学校へ迎えに行ったら、おでんを食べるところだった。でもうちのしんちゃんは変化予定が変わることが大嫌い。理解できないのだ。掃除をしたら母が迎えに来て終わりなのだ、どうして先生は分かるように工夫してくれないのかな。それともわからないやつは特殊になど来るな、養護に行けということかな。ちょっと今日はひねくれた気分になってしまった。
2004.01.23
コメント(0)
1994年2月恵里香の1,6検診があった。言葉の出ていないこと、指差ししないこと、目が合わないこと、指摘された。でも私自身も言葉がとても遅かったせいもあり、あまり気に留めなかった。2歳まで様子を見ますということにした。で、保健婦さんから2歳になったとたん電話がかかってきた。仕方なく10月に相談をしにいった。そこでは、療育施設の先生が見えていた。いろいろ言われたがそれでも私は気に留めていなかった。療育施設イコール障害児、うちの子は普通ではないというレッテルを貼られるような気がしたからだ、そんな私が通う決心をしたのは第二子の妊娠が分かったからだ。なぜか即通うという決断をし、手続きをした。ほんの1年通うつもりがこんな、長い付き合いになろうとは思ってもいなかった。2004年今日のこと、しんちゃん(長男)のおなかの具合が悪い。学校で下痢でもして失敗でも使用ものならあの先生の視線が、、、、なんて気が気でなかった。でも無事に一日が終わった。一安心。
2004.01.22
コメント(0)
今日こうちゃんの給食参観があった。昔からいい思いではない。でも最後の給食参観だ。少しは期待しよう。今年は参観の前に親子での製作があった。紙粘土で貯金箱を作った。もちろん本人は興味がない。走り回っていた。まぁ他人に迷惑をかけていなければいいわ。なんていうところが自閉症の親は躾がなっていないと言われるゆえんかな。でもその空間にいれるだけましになったのかな。給食は思ったより座って食べていれた。相変わらず彼のし下だけ特別に汚かったが。でもこの4月から小学生、なんかひとつの時代が終わった様な気がする。兄ちゃん、ねいちゃんを含め長かった子育て時代。少し寂しいな。
2004.01.21
コメント(0)
1994年7月義父が死んだ。熱い夏だった。恵里香が1歳になったばかりだった。本当に大変だったという思いがある。なんせ親戚が遠い、おまけに友引もはさんだ。だから1週間以上親戚の人がいた。私は限界だった。直りかけていたパニック障害が再発した。親戚を送っていくJRの中で発作をおこした。2004年今日のこと今朝小学校で、先生にだんなと一緒に来てくれといわれた。校長が話がしたいらしい。来年度は現在3人の情緒クラスが倍の7人になるらしい飛んで走り回るわが子二人、今年は学校に付いてくれということかな?気分が重い
2004.01.20
コメント(2)
1993年7月長女恵里香が生まれた。と同時に舅 姑と同居になった。今から思えば産後うつだったのだと思う、辛くて辛くしかたがなかった。母乳が出ない、簡単に出ると思っていたのに。子供が怪物に見えたり、実家と嫁ぎ先の違い、もう目いっぱい辛かった。2003年今日のことしんちゃん(小1、特殊に通う)のハイな状態が止まらない。学校がいやなのかなー。ついてすぐたいそう服にお着替えがあるんだけど、へらへら笑ったり飛び回ってきようとしない、しばらくすると落ち着くらしいだけど、どうなんだろう。
2004.01.19
コメント(0)
1992年に私は結婚した。嫁ぎ先の近くにアパートを借りて、新婚生活が始まった。私は14年同じ会社にOLとして勤めていた。12年前結婚=寿退社というのがお決まりの中で、とりあえず子供を生むまで勤めようと思っていた。そのころは普通に子供が生まれ 普通の生活 普通の一生を送るはずだった。そう思っていた。2004年今日のことうちの子は自閉症である。自閉症という閉じこもって大人しいと思うかもしれないが、実は周りが見えない、自分しか世界にいないという子達なのである。だからうちの子たちは動く、走る、飛ぶ、大変なやつらだ。現在、7歳と5歳、やっと公園にいけるようになってきた。もっと小さいころは、ただひたすら走る走る、遊具の使い方楽しみ方が理解できないから、遊べなかった。目の前しか見えないから目の前に飲み物があれば他人のものでも取る、人にぶつかっても彼らには木とぶつかったのと同じだから、動揺したり、ましてや謝るという感情もない。今現在でも、その状況はあまり変わりないが、少しは遊具で楽しめるようになってきた。どこまで変わりどこまで人とかかわって生きていけるのだろう。
2004.01.18
コメント(0)
初めての書き込みだ。何を書いていいのやら。うちは障害者がいっぱいいます。まず。ばぁちゃん 要介護5 身体1級 そんなんほっといて何しとるねんといわれそうだけど、こんなに悪いと返ってする事ないんです。そして長男 次男 重度の知的障害児、笑うしかない。あと長女とだんなと私の6人家族。いろいろあるけど今日はこれくらい、それでも一日一日は過ぎていくし、楽しいこと、いやなこといっぱいある。これから綴っていこうと思う。
2004.01.17
コメント(0)
全13件 (13件中 1-13件目)
1


