Fastest Lap

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January 19, 2007
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 いよいよ2007シーズンのWRCがモンテカルロで開幕しました。
 今季もダブル・シェブロン(シトロエン)艦隊が猛威を振るいそうな1-2で初日第1レグを終了しています。

 もうかなり昔のお話ですが、僕はモンテカルロ・ラリーのスタート・セレモニアルを現地で観たことがあります。WRCでまだランチアやトヨタ・セリカが走っていた時代です。
 ラリー観戦後、モンテカルロからアヴィニヨン、マルセイユを経てパリで数日滞在して帰途に着く予定だったのですがパリを数日見て歩いて観尽くしたと思ってしまった僕は予定外の行動を起こすことになりました。友人アレッサンドロとはマルセイユで別れているので僕ただ一人でパリに滞在していました。当然この先は単独での行動で、しかもパリ以外のフランスは初めての経験でした。

 唐突で申し訳ありませんが、皆さんはあと何日かで地球が滅ぶとしたらどうしますか?
 でも、これでは漠然としすぎてて、つかみ所が無いですよね・・ではこう言い換えたらどうでしょう・・・
 地球が最後を迎える前にもう一度行ってみたいところはどこですか?というクエスチョンであったなら・・・日本国内でも国外でももう一度絶対に行きたいところ。あるいは行ったことがないから絶対に行きたいと思うところ・・・教えていただけませんか?
 今シーズン、元旦に行ったアンケートに続いて2度目のアンケートです。差し支えなければ皆さん是非ご意見をお聞かせ下さい。

 今回は、前回とは違い僕が是非行きたいところをここで紹介させていただきます。

 ノルマンディ地方とブルターニュ地方の境界に位置する聖なる岩山・・・その名の通り大天使ミカエルの山。
 波乱の歴史を生き抜き今に語り継ぐ建築芸術「Le Mont-Saint-Michel」が僕が選ぶ場所です。

 フランスが誇る世界遺産としてあまりにも有名なモン・サン・ミッシェルとカルカッソンヌ・・・・どちらも畏怖を感じずにはいられない城塞(僕にはそう見える)ですが、僕がモン・サン・ミッシェルを初めて見たときの衝撃と言ったら言葉に詰まるほどのインパクトでした。
 僅か600m程度の円周を持つモン・サン・ミッシェルにはパリのモンパルナス駅からTGVに乗ってレンヌへと向かいます。レンヌまでおよそ2時間程度ですが、TGVを使って2時間ですから結構な距離です。そこからモン・サン・ミッシェル行きのバスに乗って1時間ちょっと・・・だったと記憶しています。
 そういえばTGVにはクリスチャン・ラクロワがデザインしたTGVがデヴュウしたそうですがまだ乗ったことがありません。
 話が逸れました。ここまで来るとパリへ戻るよりも明らかにスペイン国境の方が近くかなりのどかな印象です。
 なにしろモン・サン・ミッシェルの周囲では黒顔の羊がわんさか放牧されていて群れを作っています。これがまた可愛い・・・また話がそ逸れてしまいましたね。戻します。
 モン・サン・ミッシェルと言えば頂上に位置する修道院のクレストに掲げられた金色に輝く大天使ミカエルが有名ですが、波乱、戦乱に揉まれ飲み込まれた歴史を振り返ると今の威容は驚異と必然が歴史の中で同居融合しているのかもしれません。
 海上にそそりたつ岩山の上に建立された修道院は敬虔なカトリックの巡礼地でしたが、仏英100年戦争(英仏100年戦争)では海上の要塞としてフランスの守護神となり愛国心の象徴とされています。また、宗教戦争の時代にはカトリックの総本山(要塞)として鎮圧対象となりました。さらに1789年のフランス革命以後の中世ではアルカトラズのように海に囲まれた脱獄不能の監獄として畏怖された要塞監獄島でした。
 初めてモン・サン・ミッシェルを目撃した時の感動と畏怖は今でも忘れられません。これはあくまでも僕が日本人であるが故であると思いますが、同じく世界遺産に指定されている白鷺城(姫路城)を見ても凄いと感心はしても、これほどの感動と畏怖は正直のところありませんでした。
 あくまでも精神風土の違いがもたらす体温の違いから来る畏怖や驚異であったとしてもそれは間違いなく僕の全身に刻まれました。

 巡礼地だからか(?)赤いスモックに身を包み、マダムがポワレに玉子を流し込んで暖炉の直火にかけます。出来上がったオムレツはこれがまた特大。えっ??こんなに食べるのか?と思っていると切り分けられます。ちょっと安心しましたが、それでも大きめ。こんな量のオムレツは食べたことがないので無理かと思いきや意外と軽くクリア・・・
 適度に焦がした外側の食感と、コクのある中のふんわりとろとろ感のコントラスト・・・なんだこれ!?!?!?
 こんな食感のオムレツはかつて食べたことが無く、この後もここ以外でこんなオムレツに出くわしたことはありません。また、地元の海の幸を使ったお魚料理も美味でした。

 ここは1880年代末期フランスの歴史記念物になった時に巡礼者の疲れを癒すためにグランマ・プラールがご主人と共に始めた旅籠でした。時代と共に旅籠は少しずつ変わりましたが、今でもその時の精神は受け継がれているように見えます。
 時が流れて姿かたちが変わっても根幹に大きな変化が無いのは国民性であると僕は考えています。日本人のように良い物を無国籍に取り込んで進化していく民族と、半ば頑固に自身の価値観と美意識だけに頼って進化しようとする民族では進化速度が明らかに変わるでしょう。

 相反するからこそ惹かれる部分もあるのかもしれません。
 ところが1度目はモン・サン・ミッシェルの威容をある意味十分に理解したわけではありませんでした。それは外側から見る時間が少なかったからです。
 2度目はパリからフェラーリをひたすら走らせてフランス最果てへと辿り着きました。着いたのはもう日没が迫り周囲は闇に包まれる前の薄暮時でした。
 この時は陸からモン・サン・ミッシェルへとつながる一本道が始まるところに立つ「ルレ・サン・ミッシェル」に宿泊しました。この地域では唯一(?)の四ツ星ホテルだそうです。
 僕としては星の数云々よりも部屋の窓からモン・サン・ミッシェルを見て、テラスからもその景色を楽しめることにこだわったためでした。
 「ラ・メール・プラール」に泊まってしまうと朝日のモン・サン・ミッシェルも夕日のモン・サン・ミッシェルも見ることが出来ないからです。モン・サン・ミッシェルの中からでは時々刻々と変わるモン・サン・ミッシェルの威容を十分に楽しむことが出来ません。
 「ルレ・サン・ミッシェル」ではモン・サン・ミッシェルの周囲で放牧されている仔羊のお料理をいただきました。とても印象的でしたね。
 潮が引いたモン・サン・ミッシェルの周囲の植物に羊が群がる様は見ていてとても可愛くもありごくごく日常的な光景なのでしょう。これらの塩分を含んだ植物を主食とする羊は塩気を含む独特の風味があり、ここに来たら絶対にこれを食べて下さい、というぐらい有名だそうです。
 さらに名物のコキーユ・サン・ジャック(帆立)も美味です。実は「ルレ・サン・ミッシェル」は「ラ・メール・プラール」とオーナーが同じですがコンセプトはとても対照的です。
 料理も最高でしたが時々刻々と変わるモン・サン・ミッシェルの表情をホテルから観察できたことは今でも脳裏に焼きついています。
 なかでも暗闇の中にライトアップされたモン・サン・ミッシェルには何か計り知れない威圧感を感じさせるエネルギーが充填されていました。
 闇夜に金色に輝く大天使ミカエルの姿を見て、司教オベールの夢に現れた大天使ミカエルそのものを模した姿なのではないかと思ったのはおそらく僕だけではないはずです。
 心して行きたいモン・サン・ミッシェルですが、この時に初めてパリのジョルジュ・サンクのレストランで飲んだボランジェ・フランセーズ(というか、この時初めてそのシャンパーニュの存在を知ったのですが残念ながらヴィンテージは覚えていません)はモン・サン・ミッシェルの記憶に更なるインパクトを与えてくれました。
 ボランジェ・フランセーズは常に飲めるものではないので、いつもはRDで大満足しています。RDも素晴らしい。






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Last updated  January 19, 2007 09:22:42 PM
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