だいちゃんと愉快な仲間たち

2017.09.05
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二学期がはじまったというのに王子さまはまだ学校にいってない。

今日はようやく一緒に家をでたのに、電車混雑で乗り換え駅で下車できず、
途中で気分が悪くなり、少し休憩したけどダメで、結局家へ。

うーん。どうしようかなぁ。。。


まぁ、でもこの一年の彼は、いろいろ大変だった。
直近のストレスは、いまだ新しい友達になじめないことととか、
小学校時代の友達が恋しいことみたいで。。

昨年、いまごろの出来事は、未だ記憶に新しい。


経験したこともない人には、絶対わからない。


死にかけの状態になり、昨日できていたことが、今日はできなくなり、
日々衰え、死んでいくパパを必死で看病する毎日だった。

ちょうどいまごろは、ガン発症依頼、お世話になっていた病院と医師に
完全に見捨てられ、どうしたらいいのかわからず、とりあえず、在宅医療に
切り替えてはみたものの、在宅の先生がまったくダメダメで、
どうにもならないところに追い込まれていたころ。

パパも死にそうだったけど、私たちもパパ以外のことが考えられず、文字通り
命がけだった。

あの経験があるから、のどかにつまらないことにこだわって騒いでいる人や
2年も3年も先の心配をしている人と、大きな乖離を感じてしまう。

人はみんな死ぬのに、その日がいつきてもおかしくないのだと思っている人


バカなことで大騒ぎしている人や、2・3年後の心配をしている人をみるたびに、
この人は、明日死ぬと分かったら、どうするんだろうか・・と思う。
自分だけは簡単に死なないという自信は、いったいどこから生まれてくるんだろう。

まるで不死であるかのように、生きている。


パパがガンになり、苦しい闘病生活を経て死んだことで、私は、世の中のみなさんと


ほんとうは、たとえ偽りの生活であっても、みんなと同じがよかった。
少数派は生きにくいし、人に理解してもらうのが難しい。

教会で1か月に1回ある、証だか幸せ自慢だかわからない話も、うんざりすることがある。

病気がなおっただの、家族旅行でのハプニングが、お祈りしたら解決しただの、
神様が自分の言うなりになったという自慢話が多い。

ただ、最近、自分の思い通りの教会を作りたいという人が増えたような気がする。

人間の思い通りにした教会。そこはもはや神の宮ではない。どんな教会を作ろうが自由だとは思うけど、
次世代に継承したいとかいって、そんな、一部の人が金の力にものを言わせて
やりたいことを実現した教会を押し付けられてはたまらない。






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最終更新日  2017.09.05 17:31:27


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