再び朝青龍のことを書かずにはいられなくなった。報道されるワルのイメージの陰に隠れて、彼が如何に相撲界にとって大きな存在だったかを先日の「ミヤネ屋」を観て改めて知った。
密着取材の中から浮かんでくる素顔の朝青龍は、報道されていたような憎たらしい存在などではなく、日本人が失ってしまった温かい心を持った人間味の溢れる男だった。
オヤジと呼んで信頼していた床山の「床寿」さんの話も交えての放送で彼の人となりを知るにつけ、日本という「小さな肝」の国民の中でいかに窮屈な思いでいたかを知った。
親や兄弟を非常に大切にし、後輩や弟子たちに対しての面倒見の良さには定評が有り、非常に気配りのある心やさしい男だったらしい。
また、横綱総見なんかの時にはあまり熱心さを見せずに不評を買ったりしていたが、見えないところでの努力は人一倍で、誰も足元に及ばないほどのものだった。
3場所連続休場の後、もう引退かとささやかれていたのを見事優勝で飾り、その不安説を吹き飛ばした。それが出来たのも責任感と負けん気の強さによって、猛練習をした結果だった。
千代の富士もかなわなほどの集中力の凄さは舌を巻くほどで、床寿さんも彼の様な力士を見た事がないという。
筋肉は、相手を押し返すような弾力が有って、整体師も驚く彼独特のものだそうだ。
素顔の彼は天真爛漫そのもので、無邪気で子供っぽいところが一連の不祥事に繋がってしまったようだ。角界という「因習の塊」の「小さな世界」には収まりきれない、「大きな魂」を持った人物だったようだ。
モンゴルという大草原を裸馬に乗って走り回る、気鋭の野生味溢れる民族の彼には、日本という国は余りにもチマチマしている国に思えたでしょう。
初場所で優勝した直後の今回の引退発表は本人も想定外のことで、今年は6場所中4場所に優勝すると話していた矢先のことだったらしい。
床寿さんに、彼の今後の身の処し方を問えば、「彼は多分大統領になるでしょう」とのこと。
マスコミで報道されるものは、画一的であたかも口裏合わせをしているかのごとく同じ切り口で、寄ってたかって攻めまくる。
私も含めて国民は素直というか純真というか、報道されることを鵜呑みにしてマスコミと同じ土俵に立って悪口を言うようになる。
ただ、彼の天真爛漫な笑顔と型破りな態度には、日本人が持っていないが故に憧れている部分を見て、みんな胸のすく思いを感じていたのは間違いのないこと。
時間の合図で廻しを思いっきり叩いて居合を入れる姿や、重要な勝負に勝って思わず両手を上げてガッツポーズをする様子には、みんな胸のすく思いで見ていたに違いない。
相撲界は大きな大きなものを失った。
高砂親方の甘さもさることながら、協会の煮え切らない態度が彼を結果的に追い詰めてしまったことに対して、しっかり反省する必要がある。
この事をきっかけに、大きな教訓を手に入れるべく客観的な目線で事を進めていってほしいものです。
「日歌」が千首を超えたのを機に、 「游歌」 とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。
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