ついこの間まで、車はこの国の発展のシンボルだった。
先日、夕暮れに歩道を歩いていて妙な事に気付いた。比較的新しく出来た田舎道で人通りが少ないせいか、街灯が50m間隔ほどにしか点いておらず、暗くてかなり足元が不安だった。
やっとの思いで明かりの点いている場所まで近づくと、何んとその貴重な街灯が車道を照らしているのだ。歩道と車道の間にあるそれは、あろうことか車道側に向けて設置してあり、”車が通る道路を照らすために”点灯しているのだ。
これは一体どういうことだ?
車にはヘッドライトが有るんだから、街灯なんて無くたって困らない。困るのは歩行者なのだ。正面から車が来れば、眼つぶしになって何も見えなくなるし、通り過ぎれば真っ暗だ。
この道路を設計した人間は、歩行者の事が全く頭になかったと見える。
多分、予算が有るから街灯を設置したに過ぎず、新しい道路を誇示するための道具として活かそうと思ったのに違いない。
まったくばかげた話だ!
この国はすべからく車優先で発展してきた。車は経済発展のシンボルであったし、庶民のステータスでもあった。車は憧れであり希望と夢を乗せる夢の乗り物だった。
経済の発展のためなら多少の犠牲は仕方ないという風潮で、人が我慢を強いられてきた。歩道のない道路、階段を長々と上らせられる横断陸橋、やけに短い歩行者信号などなど。まるで邪魔者扱いだ。
この小さな国に「トヨタ、日産、マツダ、三菱、いすず、ホンダ、スバル、スズキ、ダイハツ、日野」と10社を数える。世界でも珍しい車王国だ。
その経済力が政治を動かし、道路族を肥大化させ、高率の自動車税で得た有り余る金を湯水のごとく道路につぎ込んできた。
”そこのけそこのけ、お車様のお通りだ。”この横暴ぶりがこの奇妙な街灯の設置に現れているのだろう。
「お客様のために」と言いながら、売りっぱなしで自然破壊のお先棒を担ぎ巨万の富を築きあげたトヨタ。ここへ来て陰りを見せ、ツケが回って来ている。
甘い汁を吸うだけすって、後は野となれ山となれと好き勝手にやって来た政治家と官僚。それに群がる財界と企業家たち。
”おんぶにだっこ”体質と”右に倣え”の性格は、今後も変わりそうにない。一億総何んとか・・・・民族が、一緒になってこの国を歪んだ国にしてきた。
目先のことしか考えず、自己中心的で自分の利益だけしか頭にない国民性。
まさしく村意識そのもの。日本人の根底にある絶対的で悲しい民族性だ。その事は「和辻哲郎」が「風土」に詳しく書いている。
首相が国会で、母親からの資金提供を追求されてしどろもどろの答弁を繰り返しているのを聞いていると、腹が立つやら情けないやら。
どうしてこうも簡単に国民は騙されてしまうのか、マスコミにも責任が有るだろう。
アジア諸国にどんどん追い抜かれ、財政は破たん。
又もとの貧しい国に逆戻り・・・・
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