今朝は5時に起きて、本当に久しぶりに10キロコースを歩いて来た。
この道を以前は走っていたんだなぁと思うと、何だか切なくなってきた。
膝を痛めたり疲れが残っていたりで、今はほとんど走れなくなっている。5年から10年ごとにガクっと体力が落ちて、その度ごとに何かが狭まって行く様な気がする。
鬱の時に始めた早朝ウォーキングは”声を出す事が重要”と、遇う人ごとに挨拶をしてきた。その習慣が身についているため、自然に声が出る。今朝もすれ違う人、追い越した人全てに声をかけた。日曜日という事もあって、22人と割合多目だった。
最後に遇った老人が好い。
ちょっと小柄なおじいさんで、手をやや広げ気味にして大きく振りながら歩いて来た。声を掛けるとぴょこんとお辞儀をして挨拶してくれた。
その顔が良いの。
ニコニコニコニコしていて、天下泰平、おらが春という感じ。
こっちの顔までほころんでくる。”好好爺とはこんな感じか”と、いつまでもその顔が頭に残っている。
”笑っていないと損”とばかりに満面の笑顔を浮かべるその後ろ姿は、ガニ股でひょうひょうとしていて、まるで屈託がない様だった。
★ 挨拶を22人と交わせれば屈託のなきひと日となれり
こちらもこのおじいさんに、屈託のない幸せの一日を分けてもらった様な朝だった。
こういうことがあると、やっぱり、日々心を外に向けて過ごさないといけないなぁと思ったりもする。
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