富士山に千回登ったという人がいる。
実川欣伸(じつかわよしのぶ)さん67歳。’85年の初登頂以来、毎年数回から数十回登って来たという。
静岡県側(富士宮口・須走口・御殿場口)と山梨県側(吉田口)の四つの登山道の五合目から頂上まで登るのを一回と数え、六十二歳の定年前までに約三百五十回の登頂を果たしたそうです。2007年に退職したのを機に「誰もやったことが無い事をやろう」と記録づくりを思い立ち、初登頂以来26年目の快挙。
1千回目の先月9日夕の登山には仲間6人も同行。「標高0mからの富士登山」を目指し、田子の浦港を出発して約21時間をかけて10日午後4時ごろに頂上に立ったのだそうです。
’08年248回、’09年203回、今月21日現在205回を重ねる。1シーズン登頂200回を10年重ねて「富士山のイチロー」になるのが目標とか。
5合目から登り始め、山頂に立って戻ってくるまでに4~5時間。
標準的な人の倍のスピードで、いったん5合目に戻ってから再び登る「1日複数回登頂」も珍しくなく、4往復した事もあるという。
常人ではとてもまねが出来る事ではないですが、この方はやはりただの登山好きではなかった。世界7大陸最高峰を制覇する「セブン・サミッター」にチャレンジしており、残すはチョモランマのみとなっているという猛者でした。
「この山は一回きり」と思っていたのが、勤務先の会社に来る中国人研修生や同僚に先導役をせがまれ、いつしか年間五、六回は登る富士山の常連になっていて、回数を重ねるうちに、同僚から「記録を目指せ」とたき付けられて発奮したんだそうです。
それにしても1000回というのは凄い数字です。100回はわりと身近な数字の気がします。私も、縄跳びの「2重跳び連続100回」を一昨年達成しましたから100回という数字は実感として分かります。
それが千回となると、もう驚きと畏怖さえ感じる数字です。それも、そうは簡単には出来ないことを千回積み重ねるという凄さ。何かを成すときの限界に近い数字のように思います。
「千日回峰行」を二度も達成した天台宗の僧侶・酒井雄哉(さかい ゆうさい)さんも凄い。「それでも悟りなんか開けるもんじゃない」とおっしゃっていますが、そのモチベーションの凄さは想像を絶しますね。
毎日の積み重ねで1000回というのなら、元気でいられれば何とか続けられるものです。
2006年5月10日から続けている「短歌日記」も中断することなく未だに続けることが出来ています。
5年続けるつもりでいますのであと半年で達成というところですが、まあ、無事生きて来られた証程度の事でしょうか。
それが、「万」ともなると、もう手の届かない憧れの世界だ。もうただただ多いという概念の中に、個々のことは埋没してしまうような、人事を越えた世界に入ってしまう。
金剛山に咲く花
特例がありました。37年間かけて金剛山(1125m)登頂を、2002年についに1万回目を達成された方がいました。藤井寺市のバス運転手、平野次男さん(当時64)。
結婚して家庭を持った四十四年ごろから、「健康になり、気軽に楽しめる趣味を持とう」と本格的な金剛山の登山に取り組んだ。休日や仕事の合間を縫って、朝四時に起床し、頂上まで片道二・八キロの道のりを往復一時間十分ほどかけて歩いた。
多い年で年間三百五十日は金剛山に登り、一日八往復したこともあったとか。2009年には12000回を達成されている。
この偉業は、このぐらいの山が身近に有るという事が絶対条件でしょうか。凄いと同時に羨ましい気もします。
「千」で多さ、長さ、大きさを、「万」で計り知れなさを表す言葉の数々。
千秋万歳(せんしゅうばんざい) 千辛万苦(せんしんばんく)
千波万波(せんぱばんぱ) 千変万化(せんぺんばんか)
千軍万馬(せんぐんまんば) 千客万来 (せんきゃくばんらい)
千軍万馬(せんぐんばんば) 千姿万態(せんしばんたい)
千言万語(せんげんばんご) 千差万別(せんさばんべつ)
千山万水(せんざんばんすい) 千紫万紅(せんしばんこう)
千思万考(せんしばんこう)
遺憾千万(いかんせんばん) 笑止千万(しょうしせんばん)
千万無量(せんまんむりょう) 無念千万(むねんせんばん)
無法千万(むほうせんばん) 慮外千万(りょがいせんばん)
千、1000、という数は心を刺激してやみません。
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