冬の日曜日の午後遅く、鋼鉄とガラスで構築された高層ビルの料理店。重役と作家が神妙な顔をして、ある二種類の”もの”を前にたたずんでいる。そしてボーイに、その一つの方をグラスになみなみと注がせた。
『 グラスは変貌していた。瑪瑙の髄部だけで作った果実のようなものがそこにある。いや。それに似ていながら、定着もせず、閉じもせず、深奥を含みながら晴ればれとしたものであある。
太陽は濁って萎び、広い干潟を渡ってくるうちに大半を喪ってしまうが、それでも一条か二条かの光めいたものがまだあるらしく、果実は鮮やかな深紅をキラキラ輝かせた。その赤にはいいようのない深さがたっぷりとあり、暗い核心のあたりに大陸か、密林か、淵かがひそんでいそうである。風のなかを山腹にむかって斜めに、空か谷のほうへかすめ飛ぶ秋の雉子の、首、尾、翼、そのでれかにこれとそっくりの一閃があったように思う。
この時刻に、こういう物を見ると、それだけでくぐもっていたものがほどけ、錯乱が消え、なんのあてもないのに眼が澄んできそうである。』
そうして、それを口に含んで、その正体を確かめようとしている。
『 いい酒だ。よく成熟している。肌理がこまかく、すべすべしていて、くちびるや舌に羽毛のように乗ってくれる。ころがしても、濾しても、砕いても、崩れるところがない。
さいごに咽喉へごくりとやるときも、滴が崖をころがりおちろ瞬間に見せるものをすかさず眺めようとするが、のびのびしていて、まったく乱れない。
若くて、どこもかしこも張りきっていて、溌剌としているのに、艶やかな豊満がある。円熟しているのに清淡で爽やかである。つつましやかに微笑しつつ、ときどきそれと気づかずに奔放さを閃めかすようでもある。咽喉へ送って消えてしまったあとでふとそれと気がつくような展開もある。』
これは開高健の「ロマネ・コンティ」のワンシーン。6年物と37年物の飲み比べをしているところで、先ずは6年物から試そうという場面。
硬質な筆致にメタファーが利いていて、なかなか読みごたえのある短編だ。ワインでなければこんな小説は生まれない。
ワインは饒舌なのだ。そして怪しげでもある。
これを読んで、無性にワインが飲みたくなった。殆ど衝動買いのようにネットでブルゴーニュのAOCの赤ワイン5本セットを買ってしまった。
最低ランクとはいえ一応はブルゴーニュの格付けワイン。一本1000円で、単年度の賞を受賞したものばかりをセットにしたもので、味は申し分ない。
幾らでも飲めてしまう。
夜中にちびちびやっていて一本空けてしまった。それでも変な酔い方をせず、ずっとほろ酔いの状態が続く。これは良いワイン、良い酒の特徴だ。
安物のワインをがぶ飲みして、酷い目にあった事がある人は多いと思うが、そんな事はまったくないのが嬉しい。
当分の間、このルビー色の妖艶な友が、夜な夜な相手をしてくれる。そう思うと寒波のことなどすっかり忘れて、ほこほこの気分で一日が過ぎてゆく。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。
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