
「星の王子さま」のサンテグジュペリが言ったそうだ。〈 完璧が達せられるのは、付け加えるものが何もなくなった時ではなく、削るものが何もなくなった時である 〉。『名言の森』という本から引いたが、芸術論としても人生論としても深みがある。▼通じるものがあろう、亡くなった詩人の長田弘さんはこう書いていた。〈 一人の日々を深くするものがあるなら、それは、どれだけ少ない言葉でやってゆけるかで、どれだけ多くの言葉でではない 〉。詩でも散文でも簡潔な美しさは際だっていた。▼秘密をご本人が「言葉のダシのとりかた」と題する詩に残している。〈かつおぶしじゃない/まず言葉をえらぶ/……はじめに言葉の表面の/カビをたわしでさっぱりと落とす〉▼そして〈血合いの黒い部分から/言葉を正しく削ってゆく/言葉が透きとおってくるまで削る〉。そのあと鍋を火にかけ、言葉の意味を沈めて、沸騰寸前にサッと掬(すく)い取り、黙って漉(こ)しとる――▼そうやって抽出された詩と文には、はっとする一行がいつも静かにたたずんでいた。たとえば、〈立ちどまらなければ/ゆけない場所がある〉。ぜい肉をそぎ切った言葉の数々は、冗舌と喧噪(けんそう)にまみれた心身に、滋味となって染みてきたものだ。▼長田さんの詩句を、小欄も何度かお借りした。震災の痛手が癒えぬ故郷、福島を案じながらの旅立ちではなかったか。享年75。日常というものを生みだす時間と場所を、生涯をかけて慈しんだ人が、静かにペンを置いた。
長田弘
戦後60年を迎えるとき、長田弘さんは、「いまためされているのは、
何をなすべきかでなく、何をなすべきでないかを言いうる、言葉の力です」
と考えていた=2004年、東京都内
「 自由とは、どこかへ立ち去ることではない。考えぶかくここに生きることが、自由だ。樹のように、空と土のあいだで。 」(「空と土のあいだで」)。
やさしく深い言葉で人生を歌い、評論や児童文学、翻訳など幅広い分野で活躍した詩人の長田弘(おさだ・ひろし)さんは5月3日、胆管がんのため東京都杉並区の自宅で逝去。
福島市出身。早稲田大学在学中に詩誌「鳥」を創刊。1965年、第1詩集「われら新鮮な旅人」で詩壇に登場し、戦後の叙情詩を代表する詩人のひとりとなった。エッセー集「私の二十世紀書店」で毎日出版文化賞、「記憶のつくり方」で桑原武夫学芸賞、「森の絵本」で講談社出版文化賞。詩集では、2009年に「幸いなるかな本を読む人」で詩歌文学館賞、10年に「世界はうつくしいと」で三好達治賞、14年には「奇跡―ミラクル―」で毎日芸術賞を受賞した。
著書はほかにも「深呼吸の必要」「読書からはじまる」「空の絵本」「なつかしい時間」など数多い。今年4月には半世紀に及ぶ詩業をまとめた「長田弘全詩集」(みすず書房)を出したばかりだった。
「鷲田清一」さんの2015年5月10日の「折々のことば」でも、長田さんの言葉を紹介している。
「 見えてはいるが、誰も見ていないものを 見えるようにするのが、詩だ。 」(長田弘)
視界には盲点があるだけでなく、見えているのに見ようとしないものがある。歴史のある時点ではだれにも見えないものもおそらくはあろう。だから、見ることにはそれなりの努力が要る。工夫が要る。他の人にはどう映っているかをこまやかに参照する必要もある。修業時代にふれたこのことば、わたしにとっては哲学の定義でもある。「読むことは旅をすること」から。
「鷲田清一」哲学者。2015年4月から京都市立芸術大学学長。1949年、京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科修了。関西大学教授、大阪大教授、同総長、大谷大教授などを歴任。13年からせんだいメディアテーク館長も務める。著書は、「モードの迷宮」(サントリー学芸賞)、「『聴く』ことの力」(桑原武夫学芸賞)、「『ぐずぐず』の理由」(読売文学賞)、「哲学の使い方」など50冊以上。哲学の視点から身体やケア、モード、アートなどを論じてきた。
「芸術とは目に見えるものを再現することではなく、目に見えるようにすることである」と、パウル・クレーも言っている。すべての芸術に共通する真理だろう。
長田さんが言う、「一人の日々を深くするものがあるなら、それは、どれだけ少ない言葉でやってゆけるかで、どれだけ多くの言葉でではない」は、まさしく短歌にも当てはまる。そして、「言葉のダシのとりかた」は、短歌の極意を語ってもいる。
言葉の「一番ダシ」が出るまでの作業をちゃんとやっているか、旬の野菜をただぶち込んだだけの鍋で満足してはいないか。
この詩の全文を載せておきます。
言葉のダシのとりかた
かつおぶしじゃない。
まず言葉をえらぶ。
太くてよく乾いた言葉をえらぶ。
はじめに言葉の表面の
カビをたわしでさっぱりと落とす。
血合いの黒い部分から、言葉を正しく削ってゆく。
言葉が透きとおってくるまで削る。
つぎに意味をえらぶ。
厚みのある意味をえらぶ。
鍋に水を入れて強火にかけて、
意味をゆっくりと沈める。
意味を浮きあがらせないようにして
沸騰寸前サッと掬いとる。
それから削った言葉を入れる。
言葉が鍋のなかで踊りだし、
言葉のアクがぶくぶく浮いてきたら
掬ってすくって捨てる。
鍋が言葉もろともワッと沸きあがってきたら
火を止めて、あとは黙って言葉を漉しとるのだ。
言葉の澄んだ奥行きだけがのこるだろう。
それが言葉の一番ダシだ。
言葉の本当の味だ。
だが、まちがえてはいけない。
他人の言葉はダシにはつかえない。
いつでも自分の言葉をつかわねばならない。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。。◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆ 短歌集 「ミソヒトモジ症候群」 円居短歌会第四歌集2012年12月発行
● 「手軽で簡単絞り染め」
◆ 満10年となりました。 2016.05.07 コメント(2)
◆ 長年の便秘が治った様な爽快な気分。 2016.05.06
◆ 思い付きの出たとこ勝負 2016.05.05
PR
カレンダー
キーワードサーチ
サイド自由欄
コメント新着