♪ 車同士鼻付き合わせわめき合う劣等感がショートしている
向こうからの車がもじもじしていてなかなか来ない。おずおずとやって来たと思ったら、停まっている車の前方で停車してしまった。待っても動こうとしない。
それで、待っていた車の運転手が業を煮やして、発進し前の車の鼻先に着けた。そこから大声でのバトルが始まった。
「てめえ、何でそこで停まっとるー」
先方も何かモゴモゴ言っている。「通れないがね」
「待っとるのに、何で停まっとるんだよー!」傍で発端から見ていたのでその諍いの理由は明らか。停まって待っていた車の避け方が中途半端で、どう見てもすり替われない。まだ余裕があるのだからしっかり幅寄せして待てば何の問題も無かった。“自分は行きたいのを我慢して待った”という一点だけに、変なプライドをむき出しにしている。
”道を譲るという事そのものに抵抗が有ったにもかかわらず、俺はそれを実行して待っていたんだぞ”と。その思いが中途半端な幅寄せになり、心半分に相手に嫌がらせをしてやろうという魂胆が見え見えだ。
その場で一部始終を見ているのもバカバカしいので、私はさっさとその場を離れた。大声でやり合っていたが、最後は前から来た車が結局はバックしたようだ。そうしなければ埒が明かないと判断したのだろう。
塀の上でのすれ違い
全く、困った奴だ。こういう輩は心に問題を抱えていることが多い。
それは「劣等感」という最も厄介な荷物。自分ではそうと気付かず自分を認めさせる事に精いっぱいで、相手側の事は二の次になる。下手に抵抗すると逆上することがあるので手に負えない。劣等感は向上心のエネルギーにもなるが、マイナスに働く事も多い。間違ったプライドという自己愛(自分への偏見)とが抱き合わせになっている。敗けたくないという、恐怖心にも近い思いが時に暴力的な態度になって、自己防衛をすることになる。
劣等感を無くすには、苦手なモノに挑戦して克服することが一番だと思う。苦手なものから逃げ続けている間は、劣等感から逃れることは難しい。
どんな優秀な人でも劣等感は持っている。ただ凡人との違いは、その事に向き合って克服しようとして来たか否かが大きく違う。自分を知り自分に課題を与えて、果敢に挑戦して来た人は違う。
人にさせられるのではなく、自らがその最も嫌な部分を変えようと思うことでしか為し得ない事だけに難しい。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。
◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
◆2016年5月8日より「気まぐれ短歌」と改題しました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆ 短歌集 「ミソヒトモジ症候群」 円居短歌会第四歌集2012年12月発行
● 「手軽で簡単絞り染め」
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