♪ 地面から湧きたつようにゆくりなく第九が始む夢を見ている
そんな国のフラッシュモブはとても洒落ていると思う。
これは非常によく出来ている。綿密な計画と準備がなされ、その内容には手抜きも妥協も無いように見える。観客も自然だし、全体の構成とまとまりに協力的とさえ思える。
美しい映画を観ている様だ。一体どれだけの数のカメラを使っているのだろうか。
また、どうやって音を拾っているのだろうか。予め録音したものを流していると思えるほどにバランスがいい。相当な数の隠しマイクを使いミキシングをしているに違いないが、どう見てもそれが分からない。この秘密を知っている人がいたら、是非教えて下さい。
この銀行前広場でのフラッシュモブはとても感動的で、最後には涙が出て来た。それもそのはず、YouTubeの視聴回数が70,987,324 回という数を見てもその人気のほどが窺える。
もし日本の旅行者がこの場面に出くわしたら、音楽とはこう有るべきだと、心底その伝統のなせる一体感に感動してしまうに違いない。
これらを見た後で、試しに日本のものを観てみたら、これが余り良くないものが多く、その落差に驚いてしまった。ものによっては警備員が配備されたり、単なる街頭での演奏会の様なものだったり・・・。準備と構成の悪さ、不自然さが目立って興ざめするものが幾つかあった。
勿論、素晴らしいものはあるでしょう。ただ、国柄の違いというか、街頭で何かをする事に対する行政の対応の違い、音楽と市民との関係性や、フラッシュモブに対するコンセンサスの不足など、まだまだ根着くまでには至っていない様な気がする。
単なるドッキリの延長と捉えられてる節もあり、結婚式の余興とかに盛んに行われているらしい。ネットでは、それが元で離婚に至った話が話題になっていたりする。
それらのサプライズを企画・運営する会社がウジャウジャある。こういうものに金儲けが絡んでは面白くない。
私の勝手な感想ではあるけれど、こういうものはボランティア意識でやることに意義があると思う。背景に、営利目的がチラチラしては興ざめもいいところだ。
ウィキペディア には、《自身にとってはサプライズや現代芸術であっても、他者には「公共性を踏まえない単なる迷惑行為の強迫」として受容されるケースも多いことから、「利己主義の自己満足」として認容される傾向が強いと考えられる。》という記述で締めくくられて。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。
◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
◆2016年5月8日より「気まぐれ短歌」と改題しました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆ 短歌集 「ミソヒトモジ症候群」 円居短歌会第四歌集2012年12月発行
● 「手軽で簡単絞り染め」
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