問題のある子と接していて、心がけているのは、
どんなにその子がひどい状態にあろうとも、
「より良く生きたい」と希望の炎を、
かすかにでも、必ずもっているということです。
そして、その炎を大事に大事に、守り育てなければならないということです。
今にも、くすぶって消えかけている火を
どうやって再び勢いのある炎に戻すことができるのでしょう?
昨日、大人は、見本を見せなければと書きましたが、
それより前に、緊急事態のときに心がけなければならないことは、
子どもの気持ち(たいてい、スゴイ・ネガティブです)を受け止めることです。
ネガティブで、問題いっぱいでいいですから、
まずは、共感することだと思います。
共感しなければ、炎が消えてしまうのです。
ここでは、私の人生論や、励ましは必要ありません。
子どもの心に寄り添い、子どもを支持するのです。
問題生徒は、ともすると、学校の中で誰も支持してくれない、
心に寄り添ってくれていないのです。
だから、逆に誰でもいいから、寄り添ってくれる
とんでもない人間についていってしまうのです。
子どもの心が十分に回復してきたら、はじめて
プラスの言葉が効果をもってきます。
子どもも、何が問題かはわかっているのです。
そこをズケズケ指摘されても、逆効果というもんです。
共感した上で、子どもの方を向かないで、
つまり「あなたメッセージ」にしないで、
一緒に、面白い方向を見て、
指導者が「私メッセージ」で
活き活きと生きてみせればいいのです。
この共感する力と言えば、
麻生総理のこの度の発言
「元気な高齢者をいかに使うか。
この人たちは皆さん(青年会議所のメンバー)と違って、
働くことしか才能がないと思ってください。
働くということに絶対の能力がある。
80過ぎて遊びを覚えても遅い。
遊びを覚えるなら青年会議所の間くらいだ。
そのころから訓練しておかないと、60過ぎ、80過ぎて手習いなんて遅い」
という言葉。
二重三重の意味で、KYだと言えますし、
共感する能力の無い人が政治家になる悲劇をここに見ます。
でも、麻生さんだけを揶揄してられません。
学校の朝礼や式辞のとき語られる言葉
子どもたちにとって、いかにKYか、共感できてますか?
あえて、意識的に共感していないとしか、思えないことばかりです。
こちらは、子どもたちに共感しないで、
子どもたちが、大人の論理に共感するべきだ、というのが
教育のあるべき姿だ、と思っているのでしょう。
相手に受け入れてもらえなくては、門前払いで意味がないのです。
それでいて、子どもは生もので、待ったなしなのです。
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