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華やかなパリのカフェで賑やかに踊る絵画を描いた「ジョルジュ・スーラ」の作品です♪印象派から新・印象派へと19世紀の後半は、産業の発展とともに芸術の世界でも新しい試みが人々を驚かせます。きらりのわがままオランダ旅日記・・・第79回Kröller Müller Museum EXPO=3 クレラー・ミュラー美術館 36展示室スーラGEORGES SEURATParis 1854- Paris 1891Le Chahut 1889-1890oil on canvas171.5cm×140.5cm『シャユ踊り』1889-1890新・印象派の創始者ジョルジュ・スーラの代表作『シャユ踊り』は、とても大きな作品でクレラー・ミュラー美術館36展示室に展示してあります。スーラが・・・当時、住んでいたパリ・モンマルトル界隈に数多くあったカフェ・コンソール(盛り場の総称です)スーラが好んで出掛けたのは・・・「カフェ・ル・ディヴァン・ジャポネ」日本風長椅子カフェと言う意味のカフェでしたスーラは、当時では近代的であり、少し変わった日本風のカフェにインスピレーションを得ていたのですその後・・・店は「カフェ・ル・ディヴァン・ド・モンド」世界の長椅子カフェと名前が変わりましたが今でもパリのマルティル通りにカフェがあるそうです。スーラは、ここで踊り子さんたちがフレンチ・カンカンを踊る華やかな情景を描きましたスーラの5番目の大作であります『シャユ踊り』シャユ・・・とは?大騒ぎ!騒々しい!などの意味でフランス語では、使われる言葉だそうです。シャユ踊り・・・とは?1830年頃にパリの労働者が多く住んでいた地区で生まれたカンカンダンスの別名です♪上向きに描かれた一番前の踊り子さんの目や口元その後ろの男も上向き顔で髭は、ピンと上を向いて跳ね上がっていますそう言えば・・・踊り子さんのヒールも、ピンと脚と共に跳ね上がっているし楽団の指揮者の腕もベースも・・・同じ方向に跳ね上がって全体のバランスを保っているようですね楽しい音楽にノリノリで踊り子さんの肩に付いたリボンとヒールの上にもリボン後ろの髭の男のスーツの上着の裾も波打ちながら陽気に踊っていますフレンチカンカンは、男も踊ったのでしょうかね踊り子たちが並んで・・・足を高く上げて踊る姿は、当時は、とてもセンセーショナルで世間では、物議をよんだそうです。そんな評判をスーラが描いた『シャユ踊り』ではパリのカフェを日常的に描いたのではなく見たままの写実とは、全く違う表現方法で巧みな演出=跳ね上がった脚跳ね上がる髭の男など現実には、ありえない演技構成によりカフェの楽しい雰囲気を伝えておりますスーラの描いたドレス部分の「点」なんと~精密な点。点。。科学的とも言える・・・小さな点。点。。この小さな点を近くで見ると茶色、黄土色、水色、青などですがこれらの無数の点が離れてみると・・・無数の点は、溶け合ってそこから新しい色合いや、色の平面が見えて来ますこの画期的な表現方法は、スーラが開発し後に「点描画法」と呼ばれるようになります。そして、この新しい画法は、当時の『印象派』の画家たちに衝撃を与えます!と言うか~印象派を分裂にまで追い込んだのであります。スーラは、意外に早くにこの世を去りポール・シニャックが彼の後を引き継いで「新・印象派」を世に広めて承認されるまで高めたのであります。スーラの作品GEORGES SEURATParis 1854- Paris 1891Bout de la Jetee a Honfleur 1886Havanhoofd the Honflerur 1886Harbour entrance at Honfleur 1886oil on canvasこちらも近寄って見てみましたスーラ・・・とは?ジョルジュ・スーラGeorges Seurat1859年12月2日-1891年3月29日(31歳没)19世紀のフランスの画家「新印象派」の創始者「印象派」の筆触分割の技法を更に推し進め科学的理論を取り入れた結果に「点描」という技法にたどり着いた。完成までには、多数の素描や下絵を描き入念に構想を練った。スーラは・・・1859年、パリの裕福な中産階級の家庭に生まれた。1878年、エコール・デ・ボザールに入学(兵役で1年休学)1883年、サロンに素描が1点入選。大作『アニエールの水浴』制作開始この作品は、部分的に点描画法があるが、人物の肌は、伝統的な画法で描かれた。スーラは、理論的に分析し研究しており仕上げるまでに多くの素描を描いた。1884年に完成するがサロンに落選。1884年、生涯最大の大作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』着手50人程の人物を点描で描く。1886年、第8回印象派展(最後の印象派展となった)に出品し大きな話題となる!!『新・印象派』の名付け親は・・・?この作品を見た評論家「フェリックス・フェネオン」がこの年に発表した雑誌の記事で最初に使ったもの。スーラの大作は・・・1883年『アニエールの水浴』1884年『グランド・ジャット島の日曜日の午後』1886年-88年『ポーズする女たち』1886年-88年『サーカスの客寄せ』1890年『シャユ踊り』1890年-91年・未完『サーカス』スーラは・・・寡黙な性格で私生活については、語る事がなかった!スーラは、死の直前に内縁関係にあった女性との間に一子をもうけたがスーラの母でさえ、しばらくは知らなかったというほど自己について語る事が無かったそうであります。スーラは、31歳で病死します。スーラGEORGES SEURATParis 1854- Paris 1891Coin ’dun bassin a Honfleur zomer 1886Hoek van de haven te Honfleur zomer 1886A Corner of the harbour of Honfler summer 1886oil on canvasスーラGEORGES SEURATParis 1854- Paris 1891Port‐en‐Bessin,un Dimanche 1888Een zondag in Port‐Bessin 1888Sunday at Port‐en‐Bessin 1888oil on canvasスーラGEORGES SEURATParis 1854- Paris 1891Le Chendal de Gravelines:direction de La mer Zomer 1890Het kanaal van Gravelines,Richting zee zomer 1890The canal of Gravelines,in the direction of the sea summer 1890oil on canvas『グラヴリヌからの水路:海の方へ、1890年夏制作』スーラは・・・1885年から、夏になるとパリを離れ北フランスの海岸地方に出掛けるようになります。1890年に、カレとダンケルクの中間辺りにある要塞都市「グラヴリヌ」へと旅をして4点の絵画を描きます。ここは・・・グラヴリヌと北海を結ぶアー川の水路です。グラヴリヌの街は、とても美しいのですがスーラは、そちらには興味を示さずこの水路の色々な地点からの眺望を時間を変えて描きました。この作品には・・・一切、人物が見当たりませんね~もう~違う世界に旅立ってしまった様な波ひとつない静かな水路には・・・ニシンやタラの漁船が何艘も碇泊しています。空も水面も、静かに均一な空気で統一されている様に見えます。『シャユ踊り』の赤茶色に統一し賑やかな人が集う画面『グラヴリヌからの水路』の冷たい水色の画面全く、違うように見えて来ますが・・・それぞれの作品は、それぞれの構成で調和がとれております。「点描画法」で・・・気が遠くなる程の点。点。。。繊細な色の積み重ねで統一した構成力で、グラヴリヌの空気を静止させたように風も無く時間が止まった静寂な世界を描きました。これは、もぅ~悟りの世界なのでしょうか?スーラは、生涯の最後にここで静かに止まったような世界を描き翌年の春に31歳で早くして亡くなります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・JAN TOOROPPoerworedJo(indonesie)1858‐DenHaag1928Zee 1899Sea 1899oil on canvasヤン・トーロップ・・・とは?Jan Toorop1858年12月20日-1928年3月3日(69歳没)ジャワ島出身の画家象徴主義とアール・ヌーヴォーにまたがる画風で知られる。1858年、ジャワ島に生まれる。14歳で、オランダ移住デルフトとアムステルダムで教育を受ける。1882年~1886年、ブリュッセルに住み、20人展に参加28歳、イギリス人女性と結婚主にイギリス、オランダ、ベルギーで時を過ごす。32歳、オランダの海岸沿いの街に移る。47歳、カトリックに改宗。1928年、69歳ハーグにて死去。・・・つづく・・・Kröller Müller Museumにぽち
2019.01.31
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オランダ『クレラー・ミュラー美術館』EXPO=3,39展示室の作品を観てまいりましょう♪ラトゥールの可憐な静物画マティス・マリスは、こんな顔ジョージ・ブレイトネルの都会的な風俗画ですきらりのわがままオランダ旅日記・・・第78回『クレラー・ミュラー美術館』EXPO=3 39展示室HENRI FANTIN-LATOURGrenoble 1836-Bure 1904Fleurs(Pensees et petites marguerites)1869Bloemen(Viooltjes en margrietjes)1869Flowers(pansies and daisies)1869oil on canvasラトゥール・・・とは?アンリ・ジャン・テオドール・ファンタン・ラトゥールHenri Jean Théodore Fantin-Latour1836年1月14日-1904年8月25日フランスの画家、静物画(花の絵)、リトグラフの版画家ファンタン・ラトゥールは・・・フランス・グルノーブルで生まれパリのエコール・デ・ボザールで絵を学んだエリート画家1876年、画家仲間だったヴィクトリア・デュブールと結婚夏になるとビュレにあった妻の家族の田舎の邸宅で過ごした。ラトゥールの作品は・・・静物画・花の絵友人の画家・作家たちのグループ肖像画(左の白いブラウスがラトゥール)パリ『オルセー美術館』にてドラクロワ礼賛(ドラクロワへのオマージュ) Hommage à Delacroix(1864年)クラシックの大作曲家たちの作品を描いた精巧なリトグラフなどラトゥールをイギリスに招いたのは、ホイッスラーであった。MATTHIJS MARISDenHaag 1839- London 1917Zelfporttet 1860Self-Portrait 1860oil on cardboard mountrd on panelマティス・マリスの『自画像』1860年マティス・マリス・・・とは?Matthijs Maris1839年8月17日デンハーグ-1917年8月22日(78歳)19世紀~20世紀のオランダ人画家GEORGE BREITNERRotterdam 1857- Amsterdam 1923De Windstoot circa 1900Gust of wind c.1900oil on panelジョージ・ブレイトネル・・・とは?George Hendrik Breitnerジョージ・ヘンドリック・ブレイトネル1857年9月12日-1923年6月5日オランダの画家 活気に満ちた大胆な筆触で同時代の生活を描き都会の風俗に画題を求めたアムステルダム派の画家素敵ですね~・・・つづく・・・クレラー・ミュラーにぽち
2019.01.30
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『クレラー・ミュラー美術館』には、ルノワールの初期の大きな作品「音楽家ピエロ」1868年が展示してありました(昨日、ご紹介)。もう一枚は・・・それから約10年後の私たちが知る【ルノワールらしい作品】ですきらりのわがままオランダ旅日記・・・第77回『クレラー・ミュラー美術館』EXPO=3 39展示室AUGUSTE RENOIRLimoges 1841‐ Cagnes 1919Au cafe circa 1877In het cafe circa 1877In the cafe c.1877『カフェにて』1877年55.70cm×27.50cm小さ目作品で・・・ひっそりと展示されておりましたが一目で~ルノワールとわかる私たちが、知るルノワール特徴を小さなカンバスに閉じ込めた作品です正面の女性は・・・当時の人気女優「ジャンヌ・サマリー」だと思います昨日、ご紹介した『音楽家ピエロ』1868年作から9年後の作品で・・・すでに印象派を代表する画家となっていたルノワールの作品はなんと~洗練された最新ファンションに身を包みお友だちと同じような方向を向いてカフェの椅子に座っております。彼女たちの目線の先には・・・誰が居たのでしょうね更に仲良しのお友だちが座ってお喋りに夢中になっていたのでしょうか後ろに座っている黒いシルクハットの男性がカワイイお嬢さん2人の方を見ながら様子をうかがっていますね~そうなると、彼女たちの前には誰が居たのか・・・?気になって来ますねこの画面が小さかった事が残念に思えて来ましたもしかして・・・(私の妄想)彼女たちが見ていたのは、カフェの外の『舞踏場』だったら~パリ『オルセー美術館』ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場 1876年この翌年の作品ですルノワールらしい~うう~っ。木漏れ日が踊っている人々に華やかさを更に花を添えた傑作であります。オランダの『クレラー・ミュラー美術館』でルノワールの素敵な作品「音楽家ピエロ」1868年「カフェにて」1877年この2点に出会えた事は、遥々、列車とバスを乗り継いで来たご褒美ですよねルノワールの特徴・・・とは?Pierre-Auguste Renoirピエール-オーギュスト ルノワール 1841年2月25日-1919年12月3日(78歳没)印象派⇒ポスト印象派印象派を代表する巨匠のひとりである。しばしば女性的と直喩される流動的で奔放な筆勢、明瞭で多彩な色彩、豊潤な裸婦の表現揺らめく木漏れ日による人物や風景への効果斑点状の描写は、ルノワールの特徴である。・・・つづく・・・クレラー・ミュラーにぽち
2019.01.29
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『クレラー・ミュラー美術館』EXPO=3.39展示室に展示してあったルノワールの「音楽家ピエロ」1868年は、とても大きな作品で迫力がありました(^0^)Vきらりのわがままオランダ旅日記・・・第76回クレラー・ミュラー美術館 EXPO=3 39展示室ルノワールですここには・・・2点のルノワールがありました最初は・・・AUGUSTE RENOIRLimoges 1841- Cagnes 1919Le clown musical 1868De clown 1868The clown 1868oil on canvasルノワール・・・とは?ピエール・オーギュスト・ルノワール Pierre‐Auguste Renoir 1841年2月25日-1919年12月3日(78歳没)フランスの有名な画家印象派⇒ポスト印象派「音楽家ピエロ」1868年193.5cm×130.0cmこの絵画は、39展示室の中央に飾られておりますルノワール初期の作品でとても大きな作品ですがルノワール独特の印象派的な描写は・・・微妙ですルノワールを有名にさせた独特な印象派的な作品を描くのは・・・この8年後位からですサーカス団の「クラウン」ピエロですね白塗りの顔に大きな顎の付けホクロ黒い衣装には・・・大きなラメ入りの蝶々が飛んでいて緻密に描かれております襟元と袖とハイソックスは、同色の・・・「茶色」手に持つバイオリンと、地面の色も・・・「茶系」でそこに「真っ白な椅子」と「ピエロの白い顔」が明暗がはっきり、コントラストになり浮き立って見えますねピエロの姿は、時間を掛けて描いていますが・・・見物人たちは、ザックリと描かれております。後期のルノワールの人物表現とは、違いますね!さぁ~さ。ご見物の紳士淑女の皆様~次なる出し物は~♪と、バイオリンの音を止めて口上を述べているのでしょうかこの『音楽家ピエロ』は・・・パリの『シルク・ディベール』冬のサーカス団の飲食店のオーナーの注文で、ルノワールが描きました。サーカス団の飲食店に飾る為に人気者のピエロを特に大きな画面で注文したと思われます。サーカスの真ん中に立っているピエロは・・・当時、有名なピエロの「ジョン・プライス」で兄の「ウィリアム・プライス」と共に『音楽家ピエロ』として大人気でありました。・・・もう1枚のルノワール作品につづく・・・Kröller Müller Museumにぽち
2019.01.28
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20世紀の初頭に「マタハリ」と言う魅力的なダンサーがおりました「マタ・ハリ」・・・とは?オランダ人だったのですね~イサーク・イスラエルの絵画を鑑賞しているとなるほど・・・確かに!!EXPO=3 39展示室 ルノワールと交互に展示してありましたきらりのわがままオランダ旅日記・・・第75回EXPO=3(39展示室)ISAAC ISRAELSAmsterdam 1865‐ DenHaag 1934Cafe‐Chantant in de Nes te Amsterdam circa 1893Cafe‐chantant in the Nes in Ameterdam c.1893oil on canvasイサーク・イスラエルス・・・とは?Isaac Israels1865年2月3日-1934年10月7日(69歳没)アムステルダム生まれ、ハーグにて没オランダの画家父は「ハーグ派」の有名な画家であった。19世紀~20世紀初めにかけて近代的な賑やかな街の風景を数多く描いた。賑やかな街並みの風景、人々で賑わうテラス、カフェ、劇場など当時の都会人の華やかな暮らし振りを主に描いたが当時のオランダ人芸術家、有名女優、劇場のスターの肖像を描いた。ヤン・トーロップ、マリウス・パウエル、ヤン・ヴェスなどISAAC ISRAELSAmsterdam 1865‐ DenHaag 1934Mata Hari 1916 oil on canvas『マタ・ハリ』1916年イサーク・イスラエルは・・・当時の劇場に出演するスターさんの肖像画も多く描きました。その中で、一番有名な作品Mata Hari『マタ・ハリ』である。そのモデルとなったのがマタ・ハリマタ・ハリ・・・とは?Mata Hari1876年8月7日-1917年10月15日フランス・パリを中心に活躍したフリースラント系オランダ人の踊り子(ダンサー)ストリツパー第一次世界大戦中にスパイ容疑でフランスに捕えられ有罪判決を受けて処刑された。「マタ・ハリ」は芸名である。本名は・・・マルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレMargaretha Geertyuida Zelle世界で最も有名な女スパイとして女スパイの代名詞的存在となった。イサーク・イスラエルの描いた『マタ・ハリ』1916年は・・・「クレラー・ミュラー美術館」39展示室に入ると真っ直ぐに私を見ておりました。愛の無い結婚をし、夫の暴力子どもたちまで取られながらも強く生きた彼女の一本筋の通った人生黒い毛皮のロングコートの襟元に高く紫の花を付けお洒落な帽子に黒いブーツを履いてザク、ザク、とヒールを響かせて私の方に向って歩いて来るようです格好~良すぎます(真似したい!!)その姿は、世界で一番有名な女スパイ本当であるか未だに疑問が残る裁判による見て来たかのような処刑の様子『マタ・ハリ』本名=マルガレータ「夜明けの瞳」という意味の『マタ・ハリ』ヨーロッパの社交界にも招かれ活躍しましたが第一次世界大戦の軍人たちの失敗を全部、彼女に罪をかぶせて有罪とされますが処刑される1年前、1916年にイサーク・イスラエルは、この絵画を彼女をモデルに描きました。ISAAC ISRAELSAmsterdam 1865‐ DenHaag 1934Dame in Zwart avondtoilet circa 1917Woman in black evening‐dress c.1917oil on canvas・・・39展示室「ルノワール」につづく・・・Kröller Müller Museumにぽち
2019.01.27
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『クレラー・ミュラー美術館』EXPO=2展示室に入ってまいりました(^0^)♪おや~っ。真っ白な室内には、高窓がずらりと並び中央には・・・『骸骨』の絵が置かれておりますきゃ~ッドキドキきらりのわがままオランダ旅日記・・・第74回Kröller Müller Museum EXPO2展示室の中央にあるこの絵画裏を見に行くのが怖いのですが~怖いもの見たさの・・・私きらり。早速・・・あらっ。意外ですBARTEL BRUYN DE OUDEWesel 1493‐ Keulen 1555Portret van Gertraude von Leutz,echtgenote van Gerhard vonWesterburg 1524Portrait of Gertraude von Leutz,wife of Gerhard von Westerburg 1524tempera on panel『ゲルツハルツ・フォン・ウェステルブルグの妻 ゲルトラウド・フォン・ロイツの肖像』この絵画は・・・元々は、2枚の絵画がペアーで描かれたものでした。何故だか?対になった もう一枚は、流れ流れて英国へ離れ離れにこの絵画の上部左には・・・1524 右には・・・261524年に彼女は、26歳で結婚しました夫=ゲルツハルツ・フォン・ウェステルブルグ妻=ゲルトラウド・フォン・ロイツ2人は、1524年に結婚しました2人の結婚祝いで一対の肖像画を画家に描かせたのであります。その時、彼女は・・・26歳でした。16世紀当時は、お金持ちは、肖像画を描いてもらうことがステータスでありましたこの新婚さんも、相当なお金持ちの家柄だったのでしょうねそれまでは、王室や貴族が肖像画を画家に描かせておりましたがこの頃になると・・・裕福な一般人も富の証として肖像画を残したのでありますそれにしても硬い表情の26歳の花嫁さん頭のケープは・・・透けて薄いですねこんなに薄い布と言えば・・・クラナッハの『ヴィーナスと蜂蜜泥棒のキューピッド』1537年頃ヴィーナスの腰に巻かれた布と同じ質感です(昨日UP)金の刺繍が施された洋服も豪華絢爛で帽子をコラボです。真珠がいっぱい飾られたベルトは、豪華ですね右手に持っているのは・・・ナデシコナデシコは、貞淑な妻の象徴でありますそれなのに裏面には・・・骸骨がBARTEL BRUYN DE OUDEWesel 1493‐ Keulen 1555Vanitas 1524 tempera on panel「バニタス」1524年死とこの世の儚さを想起させる品々を描いた寓意静物画を裏に描いております。ハッピー・ウェディングなのに~不吉です骸骨は、死の象徴ですし・・・右には、はずれた顎が置いてありますよ~骸骨のオデコの真中には、腐敗の象徴・・・ハエ左=命の象徴であるロウソクの火は・・・消えております右下=紙の文字は・・・「すべては消え去る為にある。 死は、物事すべての終局である。」と・・・記されこれは、ローマの詩人リュクレティウスの警句であります。結婚は、人生の墓場と言いたいのでしょうか?死ぬまで、貞節を尽くせよと言われているのでしょうか?BARTEL BRUYN DE OUDE・・・とは?バルテル・ブラウン・デ・アウデ1493年(ドイツ・ウェーゼル)‐1555年(ドイツ・ケルン)名前は、Barthel BruynもしくはBarthel Bruyn the Elderとも呼ばれる。ドイツ・ルネサンスの画家(肖像画家)である。代表作=「バニタス」1524年作MATTHIS MARISDen Haag1839‐London1917De Spinster 1873The Spinner 1873oil on canvas・・・つづく・・・クレラー・ミュラー美術館にぽち
2019.01.26
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クレラー・ミュラー美術館の絵画・展示室の入口にほぼ等身大のヴィーナスがお出迎え♪ルーカス・クラナッハの絵画の中で一番好きな「ヴィーナスと蜂蜜泥棒のキューピッド」ですきらりのわがままオランダ旅日記・・・第73回ヴィーナスと蜂蜜泥棒のキューピッド(ヴィーナスとキューピッド)LUCAS CRANACH DE OUDEKronach1472-Weimar1553Venus met Amor als honingdief na 1537Venus with Amor the honey thiff na1537oil on panel(linden)ルーカス・クラナッハ(父)・・・とは?Lucas Cranach der Altere1472年10月4日-1553年10月16日(81歳没)クラナッハ?クラナハ?クラーナハ・・・とも呼ばれる。ドイツ・ルネサンス期の画家同名の息子も画家なので(父)と表記する。クラナッハは・・・1504年、芸術家として最初に絵画を制作する。1508年以前、アルブレヒト・デューラーやハンス・ブルクマイアーらと競いながらヴッテンベルクにあるCASTLE CHURCHの数多くの祭壇画を描くヴィッテンベルクに工房を構え当時の領主ザグセン選帝候ルリードリヒ3世の御用絵師として仕える主に宗教画で多数の作品を残し同世代の宗教改革者マルティン・ルターの友人であり彼と彼の家族の肖像画を多く描くクラナッハの描く・・・腰の細くくびれた、独特なプロポーションのヴィーナス像はティツィアーノやジョルジョーナのヴィーナスとは、全く異なった独自の官能美を感じますね腰に巻いた限りなく薄いシフォンの様な布がそのセクシーさを際立たせクルクル巻いた髪と3本のネックレスが胸までも~なんと~官能的なヴィーナスそうそう、ヴィーナスは官能的でなければなりませんここで、ヴィーナスは・・・いたずらっ子を母が諭しているポーズですいたずらっ子のキューピッドは、甘~い蜂蜜を舐めたくて蜂の巣を盗んでしまいます蜂は、泥棒に仕返しのチクンキューピッドのおでこを刺します「ママ~おでこをチクンされたよ~」母に同情してもらいたい慰めてもらいたいこの顔の可愛い事しかし、母は「それは、自業自得ですよ」と我が子キューピッドを諭しております。絵画の左上に文字が書いてありますこの絵画の説明です。「キューピッドは、蜂蜜を盗もうとしたが 蜂は、針でその指を刺した。 つかの間の快楽をむさぼろうとしても 快楽は、人に苦痛を与え、害をもたらす。」と、言葉を沿えておりますそうですね~これは、只のヌードではありませんよ~きちんとした道徳的な絵画なのです。との説明なのですねしかし、これは「ヴィーナスとキューピッド」のお話で終わっては、いけなにのでありますこの絵画のもっと深い意味・・・とは?時代的な背景が隠されております。それは、クラナッハの友人でもあるマルティン・ルターが起こした『宗教改革』にあります。それは、当時の教皇がヴァチカンの「サン・ピエトロ大聖堂」をとてつもない規模で改築する計画を思いついたのです。それには、莫大な資金が必要となります。それは、10%の消費税ごときで賄えるものではありませんでした教皇は『免罪符』という物を一般の市民に広く売ろうと計画します。『免罪符』・・・とは?人は、誰でも大小はあるけれど『罪』を犯します。『免罪符』を買うと・・・その罪の償いから免れる『免罪符』であります。教皇は、ヨーロッパ各地で『免罪符』を売りまくります。特に良く売れたのが・・・ドイツでありましたそうですね~マルティン・ルターは、お寺の大改修の為に市民に怪しい『免罪符』を売るとは怒りますそれがルターの「宗教改革」です「宗教改革」は、ドイツからヨーロッパ全土まで及び長く続きました。そこで、ルターの友人「クラナッハ」は、この絵画を描くのであります。キューピッドは、蜂蜜を盗んで罪を犯します。それでも、罪は許されるおやっクラナッハさん、あかんやんそれは、教皇派の宣伝ポスターではうううう~んクラナッハさんは、ちょっと厳しい立場にあった訳であります。ルターの肖像画や家族の肖像画まで描いていた友人クラーナハは、同時に宗教画も描いており、大きな祭壇画も教皇側にお仕事を頂いていたからです。まぁ~キリスト教信者の方々には、申し訳ないお話なのですが昔の教皇がした事であります。イエスに罪は、ありません!!後世に残る立派な【世界遺産】サン・ピエトロ大聖堂建設の為であります。LUCAS CRANACH DE JONGEWittenberg1515‐Weimar1586Hertenjacht 1557Stag‐hunting 1557oil on panel(linden)HENDRICK VAN CLEEFAntwerpen1525‐Antwerpen1589Bouw van de Toren van Babeleind 16e‐begin 17e eeuwThe Building of the Tower of Babellate 16th‐early 17th centuryoil on copper館内地図は、こちらの展示は、EXPO1⇒2の間です。個人的な考察が含まれている事を御了承お願いいたします。・・・つづく・・・クレラー・ミュラー美術館にぽち
2019.01.25
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オランダの『クレラー・ミュラー美術館』エントランスから右に進むとVanGogh EXPO1‐4 galery Aula⇒の表示が上部にあります♪EXPO=1からまいりましょう~きらりのわがままオランダ旅日記・・・第72回Kröller Müller Museum EXPO1 クレラー・ミュラー美術館 EXPO.1【館内地図】で見ると1番の「講堂」と記してある場所に立っております1.2.3.4・・・と順に鑑賞してまいりましょう「講堂」と【日本語版地図】には記してありましたが~明るい「アトリエ」と・・・言う感じですアトリエ風のガラス張りのお部屋の外は・・・秋・真っ盛り2018年11月3日(土)午前訪問窓辺の彫刻は・・・Wilhelm Lehmbruck『立つ女』1910年ヴィルヘルム・レームブルック・・・とは?Wilhelm Lehmbruck1881年1月4日-1919年3月25日(38歳没)ドイツの彫刻家19世紀末から20世紀初頭のドイツ近代彫刻史に置いて極めて重要な役割を果たした作家である。デュッセルドルフの芸術アカデミーで彫刻を学び最初は、ロダンやマイヨールの影響を受ける!ヨーロッパ各地を旅をする。1910年、パリに移住1911年、代表作『ひざまずく女』を制作し独自の作風を確立1914年、第一次世界大戦でベルリン転居1919年、ガス自殺により38歳没ドイツ表現主義の先駆者となった「立つ女」は・・・レームブルックは、この女性の裸体を石膏で作りその後にセメントで鋳造しました。美しい裸婦は、少し伏し目がちで左肩を落とし右足の膝を上げ気味にしてバランスを保っております。何と~優しい裸婦なのでしょうね~ちょっと、ふっくら気味のプロポーションが私たちに安心感をもたらしておりますと・・・・・・対照的にお隣には・・・針金の様な作品・・・ジャコメッティAlberto Giacometti『歩く男II』1960年アルベルト・ジャコメッティ・・・とは?Alberto Giacometti1901年10月10日-1966年1月11日スイスの彫刻家(絵画や版画の作品も多い!)第二次世界大戦以前は、シュルレアリスムの彫刻家であった。大戦後、針金のような極端に細長い人物彫刻を制作し実存主義的と評された。父、ジョヴァンニ・ジャコメッティは、スイス印象派の画家であった。弟、ディエゴは、兄の助手およびモデルを務め後に家具制作者となった。ジャコメッティは・・・1919年、ジュネーヴ美術学校入学(数日で退学)1920年、ジュネーヴ工芸学校「モーリス・サルキソフ」に彫刻を学ぶ1921年、ローマに滞在1922年、パリに転居しアカデミー・ド・ラ・グランド・ショーミエールで ロダンの弟子「アントワーヌ・ブールデル」に学ぶ1920年代半ば、弟と共同でアトリエを構える。1927年前後、パリのサロン・デ・テュイルリーで作品を発表キュビスム・シュルレアリスム・原始彫刻などの影響を受けた作品を制作しパリでは、ピカソ・エルンスト・ミロらの画家シュルレアリスム運動の主唱者アンドレ・ブルトンジャンポル・サルトル・ポール・エリュアールなど文化人とも交流1932年作『午後4時の宮殿』この頃の代表作である。1935年、シュルレアリスム的作風を放棄人物をモデルに写生する伝統的な方法に戻る。1942年、第二次世界大戦でジュネーブに戻る1946年、パリに再度移住大戦前にも細長い人物像を作っていたが1950年頃からは、彫刻としての限界を超える細長いものとなる。サルトルは・・・現代における人間の実存を表現したものとして高く評価した。1962年、ヴェネツィア・ビエンナーレでジョコメッティに1室与えられる。晩年には、国際的に高く評価され、絵画・版画など平面芸術もおこなう。1966年、スイスのクールで没する。ジャコメッティーの作品は・・・あちこちの美術館で遭遇してまいりましたが限りなく細く長~~い人体は、全ての肉を削ぎ落とし、頭も小さいですね何故なのでしょうかジャコメッティーは、この頃の作品を・・・「都会にあるどんな彫刻や絵画よりも 都会で暮らす人々に驚かされ 興味を持ちました。 どんな時でも人々は、 どっと集まっては また散り散りに離れて行きます。 そしてまた互いに会う為に相互に寄り合ってきます。 こうして人々は、信じられないほど複雑な構成を形成し かつ絶え間なくこれを変化させているのです。」ジャコメッティーは、静止した一瞬一瞬の連続だ!!と、申しております・・・つづく・・・Kröller Müller Museumにぽち
2019.01.24
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『クレラー・ミュラー美術館』一番奥の「EXPO8」と館内からの庭園と彫刻をゆったり静かに鑑賞してみましょう(^0^)♪きらりのわがままオランダ旅日記・・・第71回Kröller Müller Museum EXPO8Hendrik Nicolaas Werkman(1882-1945)Kast metOudtestamentischeVoorstellingen,1943Cupboard with OldTestament scenesoak,oil paint,plywoodHendrik Nicolaas Werkman・・・とは?1882年4月29日-1945年4月10日(62歳没)オランダの芸術家クレラー・ミュラー美術館(館内マップ)EXPO8は右奥一番右の奥になります流石に・・・ここまで来る人は少なくまぁ~静かに鑑賞しましょうか2018年11月3日(土)訪問窓の外は・・・紅葉広げた屏風の様ですね~オランダ貿易が盛んだったころの船外の景色に溶け込む・・・ARTここから彫刻の公園に出る事もできます座って休んでばかりであります~静かですね~もう~ひとり占めで申し訳ない贅沢であります空気が美味しいです~「正面入口」まで戻ってまいりましたいよいよ~これから目的の場所に・・・Van Gogh EXPO 1-4 Auls右へと・・・つづく・・・Kröller Müller Museumにぽち
2019.01.23
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オランダ『クレラー・ミュラー美術館』は、大きな国立公園の中にあります♪美術館の中から鑑賞する紅葉2018年11月3日(土)午前~そして静かに佇む彫刻たちきらりのわがままオランダ旅日記・・・第70回EXPO=5、6と鑑賞してちょっと~休憩日本語版=Kröller Müller Museum 開いて~館内マップを見ると・・・ここは右側EXPO6⇒7間のEXPO7-8この先ですねEXPO7入ってみましょう~先へ進むと水を張っているように見えますが~警備のおじさんに聞くと違うと言うロニ・ホーン作『白の反対』2部構成:どちらも高さ50.8×直径142cmロニ・ホーン・・・とは?Roni Horn1955年-ニューヨーク生まれ、女性アーチストニューヨーク在住の作家・写真や立体作品アーティストブックなどあらゆるジャンルで制作を続けている。ロニ・ホーンの作品は・・・ミニマル・アートでありますミニマル・アート・・・とは?Minimal Art視聴覚芸術におけるミニマリズム(Minimalism)であり装飾的・説明的な部分をできるだけ削ぎ落としシンプルな形と色を使用して表現する彫刻や絵画1960年代を通じて主にアメリカ合衆国で展開した。抽象表現主義を批判的に継承しつつ抽象美術の純粋性を徹底的に突き詰めた。(ウィキペディアさまより)とっても個性的で珍しく目をひきます「クレラー・ミュラー美術館」に展示されているこの作品は国立公園の自然の中に溶け込むかのような~新しく斬新なスペースに惹きつけられましたロニ・ホーンがガラスを素材にした作品を制作し始めたのは1990年頃(40歳頃)からであります。「白の反対」は・・・2つの作品がペアーになって構成されております残念ながら私。きらりは2つを並んで撮影しておりませんがガラス張りの建築のなかに左右2つスペースを空けて展示してあります。1つは・・・「黒」写真より真っ黒でもう1つは・・・クリアーな「白」です。大きさは、同じで・・・重さは大体2000kgも両方とも鋳型内で24時間ゆっくりと造られてから4ヶ月もかけて固められました側面は・・・鋳型のザラザラの表面が打ちっぱなしです上から見ていると水面があるのかとつい触って見たくなる衝動に・・・外部の光線を受けて輝いておりますが~これは、制作時に空気との接触で出来上がったものです。この作品を鑑賞する人によって色々な世界を思い浮かべる事ができます白い作品は・・・柔らかいプラスティックにしか見えませんが本当は、ガラスでできております。大きな白いガラスです中に水で満たされた様にそして中は、硬い様にも見えて来ました。更に見つめていると・・・丸い形のなかで「渦巻き」がぐるぐると・・・動き出しそうです。つやつやとした表面をつい手で触れて確認してみたい衝動が心を吸い寄せられてきます。ですから、ここには監視員がいるのでしょうね。でも、興味深く鑑賞している私たちを優しく見守っている監視員さんでした。ロニ・ホーンの作品は・・・こうして2つのペアーで作品を作り上げ彼女の独特な世界を見出しております。「白の反対」も黒と白のペアーであります。白と黒・・・全く正反対の世界であります。白と黒は、ペアーで絶妙な空間を保ちそれぞれの個性を発揮しながらもそれぞれの個性を認めながらいつも並び、色々な人が通り過ぎるこの美術館で丸い2つに光り輝き春には、新緑を映し夏には、ギラギラと反射させ秋には、紅葉に染め冬には、雪見酒はははっ。お酒はありませんが・・・2つがペアーとなり絶妙な空間を保ちながらすべすべの肌で深い井戸の様ないでたちでまた、今日も人々を魅了している事でしょう(以上、私の個人的な感想であります)自然に建築と美術鑑賞~全てを欲張りながらも静かで、まったりできる空間でありました・・・つづく・・・Kröller Müller Museumにぽち
2019.01.22
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オランダ『クレラー・ミュラー美術館』で最初に入った展示室は、EXPO=5です♪きらりのわがままオランダ旅日記・・・第69回Kröller Müller Museum EXPO5展示室の中央には、大きな東洋の大きな箱の展示が向えてくれましたもしや?オランダ語では・・・Konami-Werkplaats(toegeschreven aan)Kist,c.1635-1645英語では・・・Konami workshop(attributed to)Chestアムステルダム国立美術館から(2013年)「材質」英語の説明は・・・Wood,lacquer,gold and silver foil,crystal,silver and copperIn 1639 the Dutch East IndiaCompany was allowed to starttrading on a limited scale withjapan,which was Still out ofbounds for other foreigners.1639年、どうも日本から遥々やって来たみたいですね~テーマは・・・FOR THE LOVE OF ARTTen years of acquisifionswith sociationupport from theRembrandt Associationヨーロッパ黄金期の肖像画です作品をゆったり~鑑賞アフリカからも・・・左上・・・モンドリアン右は・・・エマヌエル・デ・ウィッテ?割れておりませんが・・・アメリカのRIBERTY BELL??世界中から集まったLOVE OF ARTですCornelis Bisschop(1630-1674)Keukeninterieur meteen dienstmeid die eensaus bereidt,1665Kitchen interior witha maidservant preparinga sauceoil on canvasCornelis Bisschop・・・とは? 1630年2月12日-1674年1月21日(43歳没)17世紀オランダ黄金時代のバロックの画家アムステルダム国立美術館では・・・作品が、フェルメールと並んでおりましたPetrus van Schendel(1806-1870)Zelfportret bijLamplicht,1828Self-Portraitby Lamplightoil on canvasPetrus van Schendel・・・とは?1806年4月21日-1870年12月28日(64歳没)ベルギーの画家“Monsieur Chandelle”と言われランプやキャンドルの光りの元での肖像画などを描いた。展示室の右側にある大きなガラスの中には・・・(かわはら けいが)Kawahara Keiga(1786-c.1860)Kamerscherm metgezicht op de Baai vanNagasaki,c.1836Screen with a viewof the Bay of Nagasakipinhment,ink and watercolour on paperand silk私ほしのきらり。大変に興味深く拝見私。昭和時代末にここに暮らしておりましたきらりは新戸町。この辺りのマンションでしたが~まだ無い川原 慶賀・・・とは?かわはら けいが天明6年(1786年)-万延元年(1860年)江戸時代後期の「長崎」の画家出島出入り絵師として風俗画、肖像画、生物の詳細な写生図を描いた。なるほど~『出島』には、オランダ国旗が(トーマス・ゲインズバラ)Thomas Gainsborough(1727-1788)Boomachtig Landschapmet een rustendeherder bij een zonningpad en schapen,c.1745-1746Wooded Landscapewith a shepherd restingby a sunlit track andscattered sheepoil on canvasトーマス・ゲインズバラ・・・とは?Thomas Gainsborough1727年5月14日-1788年8月2日(61歳没)18世紀イギリスの画家故郷サフォークの風景や自然をこよなく愛し風景画を描いた。彼は「肖像画は金のために、風景画は楽しみの為に描く」と言っていた。Roelant Savery(1576-1634)Vaas met bloemen ineen stenen nis,1615Vase of flowers ina Stone nicheoil on panelRoelant Savery・・・とは?ルーラント・サーフェリー1576年-1639年2月25日オランダの画家(プラハの宮廷画家となり、転々とし)オランダに戻り、ユトレヒトの最も成功した画家である。Dirck de Braij(c.1635-1694)Stilleven van eenboeket in Wording1674Still life with a bouquetin the makingDirck de Braij・・・とは?オランダ・ハーレム生まれの画家(花を描いた画家)ENTRANCE OF THE THEATREテアトル劇団Andreas Schelfhout(1787-1870)Schaatsers bij eenHollandse stad,1857Skaters by a Dutch Townoil on canvasアンドレアス・スヘルフハウト・・・とは?Andreas Schelfhout1787年2月16日-1870年4月19日オランダの画家・版画家(風景画を得意とした)19世紀「ハーグ派」先駆けの画家である。(クロード・モネ作)Claude Monet(1840-1926)Molens in hetWestzijderveld bijZaandam,1871Windmills in theWestzijderveld nearZaandamoil on canvasクロード・モネ ・・・とは?Claude Monet1840年11月14日-1926年12月5日(86歳没)フランス印象派の画家EXPO6Cornalis Buys II(1495 1500-1545)Jacob trekt bij Labanweg,c.1535Jacob Leaving Labanoil on panelEXPO5~6 おわり・・・つづく・・・クレラー・ミュラーにぽち
2019.01.21
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オランダのアムステルダムから列車に乗って約1時間Apeldoorn駅から、108番バスに乗り♪Otterloで106番バスに乗り換えてやってまいしましたミーちゃんときらり。いよいよ~『クレラー・ミュラー美術館』に入りましたきらりのわがままオランダ旅日記・・・第68回“Kröller Müller Museum”館内案内日本語の館内案内がありました最近は、日本からこのマニアックな美術館へ来る方が増えているからですね表紙を描いたのは・・・ファン・ゴッホさんですゴッホの大好きな絵画をいっぱい持っている美術館なのですKröller Müller Museumの場所はオランダの地図アムステルダムから列車で約1時間程です。アッペルドールン駅からバスを2台乗り継いで来ました『デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園』白い丸の中にあります。Kröller Müller Museum日本語の『館内地図』この美術館の建物も芸術でありますあらゆる『美』が、ここに集結してあるのでありますそれは、自然に私たちの心と体を芸術の世界へ~導いてくれる総合的な『美』を与えてくれる緑の森と彫刻たちも・・・大人だけでなく、お子ちゃまも楽しめる障がいを持った方、お年寄りもバリアフリーで迎えてくれる場所館中に入ると・・・EXPO=1から、5、6、7、8企画展示EXPO=2~4コレクション展示ファン・ゴッホ・ギャラリーファン・ゴッホ・コレクション展示・・・となっております入口から進んで左に行くと・・・EXPO5右へ進むと・・・コレクション展示があります。私たちは、美味しい物を後に残して~ゆっくり楽しむ計画ですEXPO5『ムンク』さんがお出迎えEdvard Munch(1863-1944)Portret van FelixAuerbach,1906Portrait of FelixAuerbachoil on canvasムンク・・・とは?エドヴァルド・ムンクEdvard Munch1863年12月12日-1944年1月23日(80歳没)19世紀から20世紀のノルウェー出身の画家『叫び』で有名になりました建築とともに彫刻の展示も見所ですゆったり~と・・・つづく・・・クレラー・ミュラーにぽち
2019.01.20
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オランダ・アムステルダムから列車で1時間、バスを2台乗り継いでやってまいりました♪きらりのわがままオランダ旅日記・・・第67回クレラー・ミュラー美術館 Kröller Müller Museum 2018年11月3日(日)訪問 文化の日です~♪私とジャック氏私と並んで立って居るのが彫刻『ムッシュ・ジャック』オズワルド・ウェンケバッハ作『クレラー・ミュラー美術館』は、“デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園”の森の中にあります。De Hoge Veluwe『クレラーミュラー美術館』には・・・あらゆる「美」が集結しております芸術・自然・建築のユニークな組み合わせが訪れる人の五感を刺激する特別な体験へと誘う美術館であります美術館のシンボル「Kマーク」大きな赤い「K」は・・・クレラー・ミュラーの「K」もしかして・・・きらり。の「K」マーク・ディ・スヴェロ作です。向い側には・・・大きなコンポいやいや~鏡に自分が参加する彫刻か自然を楽しみながら~オランダの紅葉が更に心を和らげてのんびり~彫刻を眺めながら同行のミーちゃんと歩きます森の中に緑の芝生と彫刻・・・ヨーロッパらしいですが紅葉が~ぱらぱらと裾模様です。大自然の中でこの個性的な近代彫刻は・・・モダンな世界を造り上げているようです美術館の建築とのコラボも楽しいですよね~静かに歩きながら・・・あらゆる「美」が集結する『クレラー・ミュラー美術館』へ導かれてまいります。クレラー・ミュラー美術館 Kröller Müller Museum(館内より撮影)開館時間は、10:00~17:00館内は、全てバリアフリーで車椅子の方でも大丈夫です私たちは『アムステルダム』で購入した「ミュージアム・カード」で入場しました。€.64(2018年11月のレートで約7900円)クレラー・ミュラーにぽち
2019.01.19
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さぁ~さぁ!オランダの旅で初めて行く『クレラー・ミュラー美術館』へ出かけましょう♪アムステルダムから列車で1時間ほどでアッペルドーンと言う駅まで行きます!そこからバスを2台乗り継いで行くので少しだけ「上級コース」でありますきらりのわがままオランダ旅日記・・・第66回アムステルダム中央駅 10aホーム切符は、オランダ到着時に空港で「往復切符」を買いました2018年11月3日 2等列車 1日で往復する切符Ns.Station Amsterdaam Central⇔Appeldoorn2等車往復で・・・31.40ユーロアムステルダム中央駅から~アッペルドーン駅行き(往復切符です)「クレラー」とメモしてあります~アムステルダム中央駅の改札前で掲示板を見ると・・・この時は、10a・・・10aホームです。ホームの「時刻表」うぁ~5時台からあるのですね近寄って見ると・・・9時00分 10a ホームですね主な停車駅が記してあります~Apeldoornあります間違いありません列車が来ましたホームの電光掲示板にも停車駅が表示されました間違いありません~1等車と2等車があります。私たちは・・・2等なので2のマークの場所に座りますオランダの列車では、おしゃべりすると叱られるので・・・静かに乗って、静かに過ごしましょう。車内放送は、私たちの発音とはかなり違いますアムステルダムは・・・アムステルダーアッペルドーンは・・・アッポドーンと聞こえましたオランダの発音は、難しいですね1時間ほどで・・・アッペルドーン到着です。『クレラー・ミュラー美術館』へ行くには、バスに2回乗ります。アッポドーンの駅を降りて右へ歩いて行き、少し高い位置に『バスターミナル』がありました。しかし・・・人が誰もおりません行き先表示は、見やすいです最初のバス=108番 Otterlo行きです。掲示板には・・・43番 4分待ち12番 18分待ち108番 18分待ち108番に乗るのです~12番も同じ時間それにしても~『クレラー・ミュラー美術館』へバスで行く上級者は皆無であります心細いです。バスが、来ました~そう2台一緒に縦に並ぶのです。行き先を確認してバスに乗ります。バスに乗るとここでは、(アムステルダムなどのフリーパス・チケットは使えないので)運転士さんから切符を買いますそれがですね~現金は、駄目なのです支払いは、カードのみ!!いゃ~焦りますねと言う事は、カードを持って居ないとバスに乗れない訳です!!同行のミーちゃんが代表して2名分「カード支払」そんな~事をしているうちに2~3名が後ろに並びました。焦りますよね~でも2名一緒だから所要時間が半分ですけど地元のお年よりと一緒に乗っております。Apeldoorn⇒Otterlo 108番バス20分間です~起伏が無い平坦な国オランダの森の中を進みますオッテルローに着くと・・・道路を横断して反対側のバス停に行きます(車が多いので注意して渡ります)Otterlo⇒Rotendo行き 106番バスオッテルローから、ロッテンドー行きのバスに乗ります。このバスは、乗ったまま「公園」に入場するので公園の入場料も同時に支払います。9ユーロ・・・ここもカード支払いです。「デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園」 De Hoge Veluwe 5分程で、公園の入口に到着しました。(ここでは、私たちは下車しません!)公園の入り口には、行列ができています。オランダ市民の森で遊ぶ人たち・・・という感じです。しばらく、ここで停車して・・・出発するとバスに乗ったまんま「公園ゲート」をくぐります。5分位・・・乗ると『クレラー・ミュラー美術館』バス停誰もおりませんね~こんな感じなのでしょうか?マイナーな美術館なのでしょうか?ちょっと驚きです!!バスが通る道です。驚くほどの・・・・静寂の世界この時、帰りのバス停留所(道路の向かい側)まで渡ってバス停の時刻表をご覧下さい1時間に1本しかバスがありません帰りの時間を確認してから~美術館へ行きましょう。『クレラー・ミュラー美術館』までの地図もありますが~すぐに表示があります。誰もおりませんが・・・迷う事は、ありません!!神代植物公園では、ありません~2018年11月3日(日)日曜日なのに~森が独り占め!!良い感じの紅葉です直ぐに貸し自転車が~オランダは、エコ・・・自転車の国ですね後ろの方から人が~やっと来ましたね。私たちは、乗るまでも無く・・・あ~っ、見えております。クレラー・ミュラー・ミュージアムです彫刻も見えて来ました~ワクワク門柱小さい!!上品ですね~ようこそ~と向えてくれておりますクレラー・ミュラーにぽち
2019.01.18
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アムステルダムに行ったのは2018年11月1日~11月5日の事。忙しい旅でありますが何と言っても朝ご飯が盛り沢山私きらり。は、じっくり時間を掛けて食べますよ~きらりのわがままオランダ旅日記・・・第65回エデン・ホテル・アムステルダム EDEN HOTEL AMSTELDAMレストランは、朝7:00からです~毎朝、一番先に「オムレツ・コーナー」のおばちゃんに好みのオムレツを注文して焼いてもらいます閑散期なのでレストランは、ほぼ貸切状態オレンジ・ジュースとグレープ・フルーツをMIXしました~今日は、シリアルも・・・食べますお腹の調子を整えるヨーグルトをフルーツも・・・全種類今日は、ラズベリーありますジャムは・・・蜂蜜で・・・まだ、どなたもCUTしておりませんが~食パンも・・・食べたいけれど(明日かな)こちらも・・・すてがたい毎日、1種類・・・食べます。クロワッサンは・・・2種類同行のミーちゃんの好物ですカロリー高いですけどっ。私は、フェルメール『牛乳を注ぐ女』に出てくるみたいな田舎パン3つもマーガリンとバター おっと~蜂蜜だと思ったけどアプリコット・ジャムと間違えてますガサーモン・ハム・チーズ・コーナーやはり~お魚ですかね・・・サーモンサーモン&ハム・カリカリベーコンシャンピニオンたっぷり~スクランブル・エッグまでもシリアル&フルーツ&ヨーグルト少しだけ・・・いやいや~凄い小さな日本人が~こんなに食べると驚かれますが(同行のミーちゃんは、お上品なので少な目です)しかし、私は全部食べるのです。今日は、遠出です~クレラーミュラー美術館まで行くのですから8:00しっかり食べて~さぁ出発です朝ご飯にぽち
2019.01.17
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レンブラントの作品で一番有名な『夜警』が、実物大の像で登場人物が・・・『夜警』の絵画と同じポーズで立っているのが「レンブラント広場」です。左横から・・・きらりのわがままオランダ旅日記・・・第64回私たちは、偶然に「レンブラント広場」の近くに連泊していたので毎日、この像を見ながらトラムに乗って出掛けておりました。レンブラント広場『夜警』『夜警』の夜景です~早朝の『夜警』ですきらり。はコック隊長と握手してツーショット赤いコートの観光客が・・・・・・・自撮りしています昼間は、沢山の観光客が訪れ大人気スポットです。♪何しろ無料ですから♪本物の『夜警』はコレ「アムステルダム国立美術館」レンブラント『夜警』本当の名前は「フランス・バニング・コック隊長の市警団」『夜警』は、本当は・・・昼間の警備だったのです。ニスの厚塗りで色が夜の様にくすんで居たので・・・夜と間違えたとの事。この有名な絵画は、その後、前後左右が切りとられております切りとる前に描かれた模写はコレ 特に左側の2人がバッサリ切りとられておりますが・・・レンブラント広場の『夜警』は、切りとられた階段と2名の像もちゃんと存在しております。この部分はレンブラントが拘って描いたのに・・切り取られたのは残念でありますスポットライトを浴びていたマスコットの少女腰から下げた鶏と袋の模様も忠実に再現されていますね中央の高い台には、若い頃の「レンブラント」がポーズしています下には・・・一番後ろの警備隊2名です。右側には、太鼓をたたいている人も忠実に太鼓の左下では・・・犬が音に驚いて吠えています。2018年11月1日~5日まで毎日ここからトラムに乗りました。ココでの撮影は、皆さん笑顔で・・・とっても楽しい雰囲気ですトラムの停留所「レンブラントプレイン」場所は「アムステルダム中央駅」に向って右側のトラム乗り場からトラム=4番、9番、14番に乗って3つ目REMBRANDTPLIN(レンブラントプレイン)=下車レンブラント広場の前には、レストランが・・・いっぱい時間があれば、いかがでしょうかつづくレンブラントにぽち
2019.01.16
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海外旅行で現地の『スーパーマーケット』に行く事が好きな旅人は・・・多いですネ!オランダ・アムステルダム観光の途中で見つけたお店 “Albert Heijn”のご紹介きらりのわがままオランダ旅日記・・・第63回『ゴッホ美術館』の夜景(2018年11月2日・午後6:30頃の撮影)この近くアムステルダム中央駅から・・・「トラム」2番.12番に乗ります9個目のトラムの停留所Van Baerlestraat 下車この辺りです~変わった形の『市立美術館』Stedelijk Museum Amusuterdamこの右側にあります目印は⇒S私たちは、偶然に見つけましたAlbert Heijn地下にエスカレーターで降りると大きなスーパーマーケット地下にエスカレーターで降りると大きなスーパーマーケットオランダ全土にあるチェーン店、有名なスーパーマーケットです。市内でレストランに入ると・・・1人50ユーロ以上6000円以上も掛かりますのでたまには、ここでお買物して節約したいですね勿論、カードも使えますやはり安いです~「ばらまき土産」もここで同行のミーちゃんは・・・ハイネケン缶ビール1ユーロに大喜び私は、チョコが買えて大喜びちなみに「アムステルダム中央駅」構内にもスーパーマーケットありますがこちらの美術館広場の方がAlbert Heijn平均して安かったですわざわざ行くのでなく美術館巡りの前後や飲み物GETにも一般住民値段なのでお勧めですスーパー好きにぽち
2019.01.15
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オランダの『ファン・ゴッホ美術館』に入場しました(^0^)あららっ・・・!?14年振りに来たきらり。様子が~全く違います!!すっかりリニューアルしていましたョきらりのわがままオランダ旅日記・・・第62回フィンセント・ファン・ゴッホ「ひまわり」これは、もう~有名ですよね『ゴッホ美術館』内部の作品は・・・撮影禁止残念ですね~素晴らしい作品がご紹介できません~何しろ、美術館の内部には、かなりイカツイ身長は・・・2m超えの怖いスーツを着た若い警備員が何人も睨みを効かせておりますそれでも若い子は、勇気がありアイフォンを翳すとイカツイ・警備員はすかさず飛んできて手をつかんでNO!!もの凄い勢いで・・・注意されておりました怖いですゴッホ美術館だけは・・・スマホも出さない方が賢明です。そんな訳で~きれいになって素晴らしい作品のご紹介が駄目であります。まぁ~その方が本当の美術鑑賞である訳であります。館内には、撮影のパネルがありましたゴッホ「暗色のフェルト帽を被った自画像」1887年44.0cm×37.0cmゴッホ美術館・・・ご自慢の作品でありますゴッホの自画像です。ポスターなので分厚く絵の具をのせた質感はありませんフィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ Vincent Willem van Gogh1853年3月30日-1890年7月29日(37歳没)ゴッホの画業は短く・・・10年程であります。オランダからパリに移住して以降・・・非常に多くの「自画像」を描いた事で有名であり37点の自画像を描きました。なぜゴッホは自画像を多く描いたか?1.現実的にモデルを雇うお金が無かったから?2.てっとり早く自分を描く事にした!3.まず自画像を上手に描かるなるための「習作」であった!?と・・・考えられています。オランダ時代の自画像が無いのは・・・何故?自分の像が映るほどの大きな鏡を持っていなかったから!とされておりますが~悲し過ぎますよね!!作品の撮影は、禁止ですがひまわりと共に写真撮影できるコーナー発見この「ひまわり」は、触る事も出来ますよゴッホ「ひまわり、14本」向日葵、ヒマワリ14本本当にあるかしら?1本1本触りながら数えてみましょうか?確かに・・・14本ありました花瓶のレプリカもありました。微妙に違うけどこちらは、割れちゃうと危ないので触れません!!デッサン画ですね。なんと~美しいバランスなのでしょうか?このコーナーは、ミュージアム・ショップの横にあります。とっても多くのゴッホ・グッズがありました。お買物の時間も20~30分位、必要ですね!リニューアルしてピカピカのエスカレーターで降りましょうエスカレーターの下にもゴッホ・グッズがいっぱい!2018年11月2日(金)午後6時ころ美術館の建物事態が・・・作品であります。日本の黒川紀章さんのデザインです~誇らしいですね。空いてますね~ここでもお買いものタイムが必要かしら~置いてあるグッズは同じでした。そろそろ出口に来ました~流石に人が多くなっていますね!アムステルダムの秋は、日が短いので暗くなると帰らないと~と、思ってしまします。しかし、午後6時とか7時ならこの地域は、安全でした。外で・・・スーパー発見!!・・・つづく・・・ファン・ゴッホにぽち
2019.01.14
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『アムステルダム国立美術館』の鑑賞を終えたのは2018年11月2日午後4時ころでした。金曜日なので『ゴッホ美術館』は、午後9時まで鑑賞できるので・・・これから向います♪きらりのわがままオランダ旅日記・・・第61回素敵な空の色です~黄昏時を少し過ぎたオランダ『アムステルダム国立美術館』を出て『ファン・ゴッホ美術館』へは、ブラブラ歩いて10分程でしょうか?チンチン電車「トラム」では、1駅です売店が何店かありますね~「ゴッホの自画像」のポスターも売っております~ゴッホ美術館は、14年振りですわくわく民家の様な建物に若い子たちが大行列しています。何の行列なのかと・・・『MOCO・MUSEUM』でしたオークションで落札した作品が・・・その場でシュレッダーにかけられ有名になった方の(こちらは裏庭)『バンクシー展』をしていましたはは~んミッキーの手と足が逆ですね11月2日そろそろアムスは・・・晩秋ですがそれ程、寒くは無かったです2018年晩秋は・・・お散歩日和が続きました。飲み物も売っております午後4:10『ゴッホ美術館』に到着スケルトンの建築物は「別館」The Exhibition Wing日本の黒川紀章さんの設計ですどうも入口は、ココでは無いみたいで・・・先へ進むとこの建物みたいで・・・チケット売場の表示がありますね~誰もおりません本館午後4時45分ですからね~私たちは「ミュージアム・カード」を持っていて美術館に5カ所並ばずに入れるので直ぐに入れるはず~が、入口で警備員にストップされてしまいましたえええ~っ!!ミュージアム・カードって知らないのかしらね?いや~金曜日だって忘れてる?そんな事を言っているうちに違う警備員が出てきて通してくれましたちょっと訳がわかりませんが~まっ。良いか?目的の『ファン・ゴッホ美術館』入館ですぅ。金曜日は、9時まで鑑賞できるので余裕です・・・つづく・・・ファン・ゴッホにぽち
2019.01.13
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オランダ『アムステルダム国立美術館』2階「名誉の間」素晴らしかったですね~♪アムステルダム国立美術館 名誉の間 正面奥にレンブラントの間誰もおりませんよ~何故?どうして!!きらりのわがままオランダ旅日記・・・第60回アムステルダム国立美術館 2階 エントラスホール床の大理石2018年11月2日(金)午後4時美しい~ステンドグラス名誉の間は、エントラスホールの前に入口があります。『名誉の間』の名画をザックリ振り返ってみましょう~2階「名誉の間」の一番奥に・・・レンブラント『夜警』2階で一番最初に観たいですよね!大きかったですね~私の大好きなのは「ユダヤの花嫁」イサクとリべカモデルは、レンブラントの息子と妻だとの説も・・・レンブラント「布地組合の見本監査官たち」レンブラントの集団肖像画です。レンブラントの自画像「聖パウロに扮した自画像」数多くの自画像を描いたレンブラントが55歳頃の自画像です。大人気のフェルメール「牛乳を注ぐ女」は・・・東京上野「上野の森美術館」にお出かけでしたがいつもは、4点も常設展示してあるのですフェルメール「小路」デルフトの小道想像より小さな作品でしたが・・・フェルメールの2枚だけ残る風景画の一枚フェルメールの暮らしたデルフトの市民生活が描かれていました。フェルメール「恋文」メイドさんが奥様に怪しい手紙を手渡す瞬間!!フェルメール「手紙を読む女」手紙の内容がきになる絵画ですネ!フランス・ハルス「陽気な酒飲み」笑う男一般市民の肖像画を描いた笑った絵画で有名な画家ヤン・ステーンの自画像ヤン・ステーンもオランダ・バロック期に活躍した大画家800点と多くの静物画・肖像画・宗教画・歴史画などを残しました。ロイスダール「ワイク・バイ・ドゥール・ステーデの風車」現在では、少なくなったオランダらしい風景でした。アムステルダム国立美術館には、今回の訪問中に3回も訪問♪1回目は「ミッージアム・カード」を買いに行き2度目は、ジックリ全部観て、3回目には・・・1時間だけ閉館時間まで警備員に「もぅ~終わりだよ!」と追い立てられるまで鑑賞最後の最後に『名誉の間』の扉が閉められた瞬間を撮影しましたアムステルダム国立美術館おわり『ファン・ゴッホ美術館』につづく・・・国立美術館にぽち
2019.01.12
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『アムステルダム国立美術館』2階・右奥には、精密なドールハウスがあります♪きらりのわがままオランダ旅日記・・・第59回アムステルダム国立美術館2階 2.20展示室『人形の家』オランダの「ドールハウス」はフェルメール絵画の中に出てくる・・・お部屋みたい壁紙に床材、天井まで~デザインが各部屋、違っております。インテリアの精密な事デルフト陶器、ガラス食器など驚かされます。メインの飾り家具は上から上部が見える様に階段になっています。若い子で大行列じっくり観ているので、さっぱり進みませんまぁ~気持ち分かります。こんな『人形の家』家にあったら幸せですよね家具調度品が展示されております。高級な木材ですよね~これって椅子とオルガン(実物の大きさ版)流石です~美術館に展示される作品であります。もぅ~すっかり疲れた人々が座り込んでいました。さぁ~アムステルダム国立美術館の展示された作品は、ほぼご紹介致しました訪問終えたのは、2018年11月2日(金)午後4時です。閉館は、5時ですからこれから『ゴッホ美術館』は金曜日が午後9時まで延長ですからそちらに急ぎましょう歩いて5分~10分・・・つづく・・・国立美術館にぽち
2019.01.11
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陶器の展示コーナーに入ってまいりました(^-^)絵画鑑賞にうんざりした方も・・・♪オランダで有名な「デルフト陶器」に見入っておりますね~アムステルダム国立美術館に展示してある作品は、オランダのご自慢の名品ばかりでありますきらりのわがままオランダ旅日記・・・第58回アムステルダム国立美術館 2階 2.22展示室 場所は、2階の右側裏にあります陶器のバイオリンってどんな音色なのでしょうね?デルフト陶器・・・とは?Delfts blauwフェルメールの暮らした興味深い街「デルフト」ですがオランダのデルフトおよび その近辺で、16世紀から生産されている陶器白色の釉薬を下地にしてスズ釉薬を用いて採食絵付けされる陶器で日本では「デルフト焼き」と呼ばれる事が多いです。デルフト陶器は、いつから?1512年、オランダでスズ釉薬で絵付けされた陶器は初めて「アントウェルペン」のグイド・ダ・サヴィーノが制作しまた。その後、絵付けされた陶器の制作は・・・オランダ南部から オランダ北部へと広まったのは1560年代の事だと考えられます。しかし、優れた陶器はデルフトで多く生産されておりましたオランダで生産がもっとも盛んだったのは・・・1640年~1740年です。芸術家ギルドである「聖ルカ組合」にデルフト陶器の画家や絵付け職人もマイスターとして、参加を義務付けされていました。フェルメールの作品も・・・消失?1654年、デルフトでは弾薬庫で保管されたいた火薬が大爆発を起こし、多数の醸造所が甚大な被害を受けました。フェルメールの作品の大半も大爆発により焼失したという説もあります(だから少ないの?)醸造所跡地を買い取った職人はデルフト陶器の制作を続けます。オランダ黄金時代には・・・オランダ東インド会社により17世紀初頭の中国陶器がオランダに大量に輸入されましたデルフトの陶器職人にも大きな影響を与えます。1620年、明の万暦帝が死去したために中国陶器のヨーロッパへの輸入が途絶えるとその模倣品の制作をするようになる。フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」にもデルフト陶器のお皿が描かれています1630年代~18世紀には、ヨーロッパで発展したデザインとともに中国磁器独特のデザインの影響が見られるようになります。1665年ころには、デルフト陶器の陶板が制作されます。装飾画が描かれた絵皿も多く制作されており風車、漁船、狩猟、風景、海洋などのオランダを代表するモチーフが描かれた絵皿が好まれました陶板に描かれた「最後の晩餐」も展示してありました。Delfts Biauw~♪デルフト陶器は「デルフト・ブルー」と呼ばれ・・・鑑定書付きでダイヤモンド並みの扱いでありますデルフト・ブルーは、デルフトで暮らしたフェルメールのフェルメール・ブルーと関係がありそうですかも?・・・つづく・・・国立美術館にぽち
2019.01.10
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「アムステルダム国立美術館」には、世界一美しい図書館があると聞きましたが・・・これは、本好きには見逃せないお話ですよね~♪きらりのわがままオランダ旅日記・・・第57回アムステルダム国立美術館 図書館 閲覧室世界一美しい「図書館」のひとつだそうですそうです~確かに美しい私たちは、2階の「名誉の間」の右側へ入りその左側に「図書館」を見つける事が出来ましたしかし、並んでいるのは・・・オランダ語の本だけでしょうかとても装丁が良くお高い本であると思われます。私たちは、2階から入り撮影しました図書館の2階から、この柵にもたれてうっとり~しばし無言で立ち尽くしてしまう~見事な光景です確かに美しい図書館です。3階にも本は、びっしり並んでいますぐるりと見回す人々私の10倍も読書家の同行のミーちゃんもまぁ~次々と見学者が絶えません天井と窓からは、丁度良い光線があり1階では、閲覧する人が見えますね1階にはカフェがあって図書館を見ることができるそうですが撮影禁止撮影ができるのは、2階からだけです天井を見上げる人々・・・この図書館には、電気が無いように感じますが・・・自然光だけで「読書」間接照明かしら・・・なんて~素敵な環境なのでしょうアムステルダムの人が羨ましいですね国立美術館にぽち
2019.01.09
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アムステルダム国立美術館~2階の奥右側では、興味深い展示物で私たちを迎えてくれます♪最初はオランダ人巨匠「フランス・ハルス」の描いた肖像画から・・・きらりのわがままオランダ旅日記・・・第56回アムステルダム国立美術館 2階 2・15展示室~フランス ハルス・・・とは?Frans Hals1581年・1585年頃-1666年8月26日17世紀・オランダで活躍した大画家オランダ絵画の黄金期を代表する画家のひとりレンブラントよりは、少し年上だが同時代に活躍オランダのハーレムで活躍しハーレムの人々を多く描いた肖像画が多い人々の生き生きとした表情を捉える描写力は卓越している。「笑いの画家」と言われ笑っている人物を多く描いた。ハルスは、一般市民を描いた為にモデルの名前は不名が多い!Portrait of a ManFrans Hals(c.1582-1666)oil on canvas.c.1635Portrait of a WomanFrans Hals(c.1582-1666)oil on canvas.c.1635豪華な彫刻ですが・・・もしかすると~船の舳先の彫刻かしら?映画=パイレーツ・オブ・カリビヤンにも出て来ましたがっここには、大きな帆船が展示してあります帆船の手前のガラスケースには・・・2名のデスマスクがっ・・・オランダの帆船ですね古くから日本と盛んに貿易をしていた国オランダオランダ船は、鎖国の時代も長崎の「出島」で貿易を続けました。レンブラントは・・・運河沿いにアトリエを構えて毎日窓から外を眺めて日本から運ばれる主に和紙を待ち焦がれていて船が着くと急いで2階のアトリエから走って来たそうであります何しろ骨董好きで買いまくり資産家の奥様のお金まで使い果たし破産したレンブラント東洋の衣装や骨董からインスピレーションを得ていたのでしょうかアムステルダム国立美術館2階 2.15展示室そろそろ世界一美しい図書館へつづく国立美術館にぽち
2019.01.08
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『アムステルダム国立美術館』2階の裏左側には、オランダ最大の巨匠「レンブラント」の作品が贅沢に・・・並びます♪きらりのわがままオランダ旅日記・・・第55回これもレンブラントの自画像かと思ったのですがMan in Oriental DressRembrandt van Rijin(1606-1669)oil on panel,1635オリエンタル風な衣装を着た男ですこの時、レンブラントは・・・29歳写実な深いシワを見ると自画像という可能性は、無いですね!レンブラントは、アムステルダムへと移住し出世作『テュルプ博士の解剖学講義』で名声を得て裕福な美術商の娘サスキアと結婚した翌年の作品でレンブラント初期の肖像画17世紀のオランダ絵画黄金期に活躍した最大の巨匠スポットライトを当てたような強い光りによる明瞭な明暗対比や赤褐色を基調とした輝くような色彩場面状況を明確に伝達する劇的な運動性登場人物に示される深い精神性を帯びた表現は大きな特徴を感じることができます。どうも天井からの光が写りこんでうまく撮影でき無い事をお許し下さい。レンブラントは、アムステルダムに移住してから数多くの肖像画を描きますYoung Woman in Fantasy CostumeRembrandt van Rijin(1606-1669)oil on panel,1633Portrait of Haesje Jacobsdr van CleyburgRembrandt van Rijin(1606-1669)oil on panel,1634Portrait of Johannes WtenbogaertRembrandt van Rijin(1606-1669)oil on panel,1633Portrait of Woman,possibly Maria TripRembrandt van Rijin(1606-1669)oil on panel,1639レンブラントは、この時期、歴史画も多く描きましたHistory Scene woth a Self-PortraitRembrandt van Rijin(1606-1669)oil on panel,1626Musical CompanyRembrandt van Rijin(1606-1669)oil on panel,1626・・・つづく・・・国立美術館にぽち
2019.01.07
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太陽を見上げてみましょう(^0^)部分日食しています~2019年1月6日(日)10:03~場所は、東京です。普通のカメラなのですが・・・まぁまぁどうしても手振れしますが・・・にぽち
2019.01.06
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アムステルダム国立美術館2階に展示してある有名なレンブラントの初期の作品「トビトとアンナ」です~♪きらりのわがままオランダ旅日記・・・第54回Tobit and Anna woth the KidRembrandt van Rijin(1606-1669)oil on panel,162639.5cm×30.0cmなんと~レンブラント20歳頃の作品でありますありえません驚きですレンブラントは・・・17世紀オランダ絵画黄金期における最大の巨匠でありますレンブラント最初期の作品のひとつ「トビトとアンナ」レイデンで若くして画家として独立した頃に描いたレンブラントの最も初期の作品として有名な作品旧約聖書外典『トビト記』第2章11~14説に記されている裕福で信仰の厚かったトビトの目に燕の糞が入り盲目となり財産も失ったことも重なったことで猜疑心が心に巣食う中仕事から帰宅した妻アンナが手間賃の代わりに受け取った山羊の子を盗んだものではないかと疑いをかけるもそれを否定し盲目になって独善的で猜疑心に苛まれるととがめられトビトが祈りを捧げ後悔する姿『山羊の子を盗んだかどで妻アンナを疑うトビト』を主題に描かれた作品であります。若きレンブラントは・・・最初の師ラストマンに由来する明瞭で均一な光彩表現や偉大なる大画家ヤン・ファン・エイクを始めとする初期ネーデルランド絵画伝説の写実性の高い細密描写を用いた表現が色濃く反映されているも同時代に制作された版画に由来する構図の巧みな構成力や細部まで緻密に書き込まれながら登場人物の感情を的確に表現する画家として並外れた技量が存分に示された作品でありますその4年後にはJeremiah Lamenting the Destruction of JerusalemRembrandt van Rijin(1606-1669)oil on panel,1630レンブラント・・・とは?レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レインRembrandt Harmens van Rijn1606年7月15日-1669年10月4日(63歳没)17世紀・オランダ絵画黄金期に活躍した最大の巨匠スポットライトを当てたような強い光りによる明瞭な明暗対比や、赤褐色や緑褐色を基調とした輝くような色彩、場面状況を明確に伝える劇的な運動性登場人物に示される深い精神性を帯びた表情が大きな特徴である。レンブラント初期の写実性の高い細密描写を用いた表現に心を奪われましたアムステルダム国立美術館2階左裏側には、見逃せない作品が・・・つづきます。国立美術館にぽち
2019.01.06
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オランダ『アムステルダム国立美術館』2階2.8展示室には、初期の「レンブラント」22歳の頃の自画像が展示されております~♪これは、必見であり忘れずに見つけて下さいねきらりのわがままオランダ旅日記・・・第53回Self・PortraitRembrandt van Rijin(1606‐1669)oil on panel,c.1628レンブラント・・・とは?レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レインRembrandt Harmens van Rijn1606年7月15日-1669年10月4日(63歳没)17世紀・オランダ絵画黄金期に活躍した最大の巨匠レンブラントは・・・1606年7月15日、レイデンの中流階級の家柄に9番目の子どもとして生まれます。修業時代は・・・アムステルダムでピーテル・ラストマンに師事しバロック様式を学び、若くしてレイデンで独立します。この頃の若き日のレンブラントの自画像であります自画像「若かりし日のレンブラント」22歳の頃アムステルダム国立美術館2階の左側奥の展示室2.8展示室レンブラントは・・・生涯に数多くの自画像を手がけましたが、最初期の作品として知られる有名な「自画像」ですレンブラントは・・・画家として独立したレイデンの地で成功を収めレイデンで最も優れた画家として知られていた1629年頃から「自画像」を描き始めていました。この自画像は・・・己自身を深く対峙し、内面を見つめることによって作品を観る者との間に「対話」と「精神性」をたずさえた私たちがここまで観て来た・・・中期から後期の「レンブラントの自画像」とは異なりこの頃のレンブラントの自画像は、通常絵画では、ほとんど表現されなかった様々な方向から当てられる光りの表現とそこに落ちる影の表現における『技術実験的な要素』を強く感じますレンブラントは・・・ドイツ・ルネサンスの巨匠デューラーや王の画家にして画家の王と呼ばれたフランドルの巨匠ルーベンスに強い関心を示していた事が知られておりますが、レンブラントは・・・なんと彼等を遥かに超える数の自画像を生涯に描き続けました15.5cm×12.7cmと思ったより・・・小さな作品です。展示室の様子ここには、レンブラントの初期の有名な作品が・・・いっぱい展示してありますLandscape woth a Stone BridgeRembrandt van Rijin(1606‐1669)oil on panel,c.1638私の大好きな作品もAn Old Woman Reading,Probably the Prophetess HannahRembrandt van Rijin(1606‐1669)oil on panel,c.1631とっても近づいて・・・筆後や本の文字まで確認しました素晴らしいですね~まだまだ~レンブラントの貴重なコレクションは・・・つづきます国立美術館にぽち
2019.01.05
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オランダの国宝級の作品が並ぶ~アムステルダム国立美術館「名誉の間」を全部ご紹介しましたが突き当りの『レンブラントの間』を左に入ると2.1展示室がありますアムステルダム国立美術館 2階 2.1展示室~美術館で退屈してしまう~と言う方も楽しめるかもきらりのわがままオランダ旅日記・・・第51回Lot and his DaughtersHandrick Goltzius(1558-1617)oil on canvas,1616The Massacre of the InnocentsCornelis Cornelisz van Haarlem(1562-1638)oil on canvas,1590オランダと言えば「スケート」冬の群衆画Winter Landscape with Ice SkateesHendrick Avercamp(1585-1634)oil on panel,c.1608ヘンドリック・アーフェルカンプ・・・とは?Hendrick Avercamp1585年1月27日-16345月15日17世紀前半に活動したオランダの画家17世紀オランダ画派最初の風景画家のひとりである。冬のオランダ風景画を得意としました。アーフェルカンプは・・・色彩豊かで活気があり風景の中の人々が注意深く巧みに描写されているのが特徴であります左部分を拡大するとアーフェルカンプの作品は・・・とても人気があり良~く売れたそうでありますが現在でも、オランダ人には大人気でアムステルダム国立美術館でも熱心に鑑賞している方が多かったです。右側も、ひとりずつご覧くださいオランダの冬の群衆画楽しいですね~市民は、長い冬をこんな感じで楽しんでいたのですね。・・・つづく・・・国立美術館にぽち
2019.01.04
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アムステルダム国立美術館2階の「名誉の間」も最後の一室となりました(^0^)♪きらりのわがままオランダ旅日記・・・第51回アムステルダム国立美術館 名誉の間名誉の間・・・右側です。Distant View with Cottages along a RoadPhilips Koninck(1619-1688)oil on canvas,1655Philips Koninckフィリップス・コウウェルマン・・・とは?Philips Wouwerman もしくは Wouwermans1619年5月24日-1668年5月15日オランダの画家狩りの情景や風景画、洗浄場面を描いた。オランダ絵画黄金期において最も多彩で多作な画家のひとりである。コウウェルマンは・・・フランス・ハルスの元で学んだというが彼の作品にハルスの影響は特に見られない。1630年代後半、短期間ハンブルクに住んだが人生のほとんどをハーレムで過ごした。1640年、ハーレムの聖ルカ組合に登録したいる。画家としてだけでなく、不動産取引も多く行ったようである。初期には・・・ピーテル・ファン・ラールの影響を受け人々の日常生活を描写している。その後30年に渡って独自のスタイルを確立し風俗画から風景画、狩猟画、宗教画など幅広い題材を扱った。特に多くの種類の馬を描写したことでも知られる。“ヤコブの祝福”Isaac Blessing JacobGovert Flinck(1615-1660)oil on canvas,c.1638Govert Flinckホーファルート・フリンク・・・とは?Govert Teuniszoon Flinck1615年1月25日-1660年オランダ黄金時代の画家フリンクは・・・長い間レンブラントの弟子であった為にフリンクの絵画をレンブラントが描いたと誤解されておりました。Venus and AdonisFerdinand Bol(1616-1680)oil on canvas,c.1658Ferdinand Bolフェルディナント・ボル・・・とは?1616年6月24日-1680年8月24日オランダの画家、銅版画工(現存する作品は少ない)ボルは・・・最初にヤーコブ・カイブの元で修行しユトレヒトのアブラハム・ブルーマールトの元でも学んだ1630年以降、レンブラントレンブラントの家で住んでいた。レンブラントの影響が見られ・・・ボルの作品は、近年までレンブラント作だと思われてきた。歴史的な題材や自画像等を多く描いた。1652年、アムステルダムのブルジョワジーとなり1653年、エリザベス・デルと結婚彼女の父は、海軍やワイン商組合に所属しておりボルは、後に両方からの仕事の依頼を受ける数年間の間に画家組合の組長となりヤーコブ・ファン・カンペンがデザインした新しい市庁舎のための作品の依頼を受けた。当時のボルは、人気のある成功した画家でありアムステルダム市のために多くの作品を手がけた。17世紀オランダ黄金期の作品を『アムステルダム国立美術館』2階の「名誉の間」でたっぷり鑑賞してまいりましたしかし、ここで帰ってはいけないのであります名誉の間の左右には・・・1650年~1700年の興味深い展示がありますので「館内図」(左)2・1→2・8 (中央)名誉の間 (右)2・22→2・15(右上)奥には・・・必見の「図書館」も作品も・・・「名誉の間」と負けない有名な作品を見つける事ができます。ドール・ハウスや帆船・陶器など~楽しんでみてはいかがでしょうか・・・つづく・・・国立美術館にぽち
2019.01.03
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オランダ黄金期17世紀の「風景画」で有名な「ロイスダール」のコーナーは・・・アムステルダム国立美術館2階「名誉の間」右側に展示されておりました♪きらりのわがままオランダ旅日記・・・第50回アムステルダム国立美術館 2階「名誉の間」名誉の間、右側です。River Landscape with FerrySalomon van Ruysdael(c.1600-1770)oil on panel,1649サロモン・ファン・ロイスダール・・・とは?Salomon van Ruysdael1600年-1670年11月3日オランダの風景画家オランダ語発音=ラウスダール兄の「イーサク・ファン・ロイスダール」も風景画家サロモン・ロイスダールは・・・ホーイラント地方ナールデンで生まれる。画家であり著述家の「アルノルト・ホウブラーケン」によると彼の父は、建具師で、特にコクタンで鏡の縁取りや額縁を作っていた。風景画のロイスダール・・・とは?サロモン・ファン・ロイスダール(画家)のSalomon van Ruysdaelヤーコブ・ファン・ロイスダール⇒甥(画家)Jacob Izaksz van Ruisdalイサーク・ファン・ロイスダール⇒兄(画家)ヤコブ・サロモンスゾーン・ファン・ロイスダール⇒子(画家)全員が風景画を描いていて見分けが・・・付きませんが!!ヤーコブ・ファン・ロイスダールJacob Izaksz van Ruisdalヤーコブ・ファン・ロイスダール・・・とは?Jacob Izaksz van Ruisdal1628年頃-1682年3月14日17世紀のオランダの風景画家サロモン・ファン・ロイスダールの甥ヤーコブ・ファン・ロイスダールJacob Izaksz van Ruisdal『ワイク・バイ・ドゥールステーデの風車』1670年頃レンブラントやフェルメールが活躍した17世紀は、オランダ絵画の黄金時代と言われ・・・他にも多くの優れた画家を輩出しました。こうしたオランダ絵画の黄金時代においてももっとも重要な「風景画家」と見なされているのがヤーコブ・ファン・ロイスダールであるヤーコブ・ファン・ロイスダールは・・・伯父のサロモン・ファン・ロイスダールも風景画家でありヤーコブもその影響を受けている。1648年、ハーレムの画家組合に登録この頃には、修行を終えて独立していたと見られる。1650年~1655年、オランダ各地およびドイツを遍歴して各地で制作1656年、活動拠点をアムステルダムに移す。ロイスダールは・・・森林、海岸、田舎町などさまざまな風景を描いているが国土が平坦で起伏の少ないオランダの風景に置いては必然的に空と雲の表情を描写し光りと大気の効果を追及したものが多い!17世紀のオランダ絵画の特色の1つは・・・風俗画、風景画、静物画あるいは、教会の内部をもっぱら描いた画家など・・・画家によって専門分野が分かれていた事である。西洋絵画史においては・・・「風景画」は「歴史画」や「肖像画」に比べて伝統的に一段低い位置に置かれていた。独立したジャンルとしての「風景画」の成立は、17世紀オランダに始まると言ってよい。17世紀のオランダにおいて・・・「風景画」が栄えた背景には、市民階級が、にわかに栄えたことによりカトリックのスペインの支配から独立を果たしプロテスタントの共和国であった当時のオランダにおいては海外貿易による富を背景として裕福な中産階級が現れ教会や大貴族に代わって新たな絵画の注文主となった。裕福な中産階級のお部屋を飾るのにふさわしい絵画とは大画面の宗教画や歴史画よりも・・・より小規模な「風俗画」「静物画」「風景画」が好まれた事からであります。・・・つづく・・・国立美術館にぽち
2019.01.02
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『年賀状』新年、明けましておめでとうございます(^0^)♪年賀状をPC.で失礼致します。旧年中は、わがままな日記にお付き合い頂いて・・・ありがとうございます。昨年を振り返り写真『年賀状』を作りましたお届け致します。3月、何度目か数えきれない・・・『ソウル』へソウル『63アート美術館』4月またまた Pariへパリ【世界遺産】ルーヴル美術館パリ『オルセー美術館』パリ『オランジュリー美術館』パリ『ピカソ美術館』パリ『ポンピドゥ・センター』パリ『プティ・パレ美術館』ジヴェルニー『モネの庭』ジヴェルニー『印象派美術館』11月・・・オランダへヘンダーランド州『クレラー・ミュラー美術館』『アムステルダム国立美術館』デン・ハーグ『マウリッツ・ハイス王立美術館』オランダ『ゴッホ美術館』アムステルダム・運河沿いのホテルに宿泊・・・♪昨年秋は、色々なアーティストの作品が来日しましたね~Vermeer『上野の森美術館』Rubens【世界遺産】国立西洋美術館Munch上野『東京都美術館』今年もよろしくお願いいたします魂の叫びににぽち
2019.01.01
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