全14件 (14件中 1-14件目)
1
さわやかにニコ大先生より手術宣告を受けたJAM。J:「やっぱり…受けなきゃダメですかね?」ニ:「注射も効かない、飲み薬も効かない、座薬も効かない、眠れない…。これだけ酷かったら、さっさと手術受けちゃったほうが良いと思うんだよね。J:「はぁ…」ニ:「ただベットも手術も一杯なんだよなぁ…。ちょっと待ってね」手術室へ電話をかけるニコ大先生。ニ:「あ、もしもし?オペ一人入れる?…例えば8月10日とか。空いてる?…ヘルニア。術式はラブ。…あ、大丈夫。じゃよろしく」そしてニコ大先生、くるりとJAMの方向に向き直りニ:「8月10日に手術出来ることになったから。それじゃ手術の説明をします。」本日、2007年8月7日。えっ…すぐじゃん!そうなのです。こんなに簡単に、JAMの入院・手術は決定してしまったのでした。その後、ニコ大先生からは以下の説明を受けました。・手術はラブ法。全身麻酔で、背中に5センチくらいの傷が残る。・顕微鏡を使って行なうので骨は削らない。ヘルニアのみを取る手術となる。・手術を受ければ70%は改善ずる。あとは患者の状態によって症状は左右される。・入院、手術から退院までは約2週間。3週間かかることはまず無い。・確率はかなり低いが、まれに手術を受けても症状が改善しない事がある。その場合再手術を受ける可能性がある。そして手術同意書などの書類を受け取り、入院日までに書いてくるよう言われました。今となっては…。あの時、神経根ブロックを試してみるとか、先生がもうすこししっかりMRIを見てくれていれば、もしかしたら…別の治療の道もあったのかもしれない。そう思います。手術が決まったこの日。ニコ大先生は大きな見落としをしていたようです。それにJAMが気づくのは、もっと後の話になります。しかしこの時、JAMは展開の速さに驚いたものの、手術を受けることに関してはわりとすんなり受け入れられました。手術してこの苦しみから逃れられるなら、さっさとやってほしいという気持ちのほうが勝りました。それくらい、椎間板ヘルニアの痛みは酷かった。地獄の苦しみでした。よく、「椎間板ヘルニアは、手術しないでも温存療法でよくなります」といろいろなホームページなどで見ますが、あれは“温存療法を行なう間、椎間板ヘルニアの痛みに耐えられるなら”という条件付だと考えてください。JAMは耐えられませんでした。あの気が狂うかと思うほどの痛みと苦痛。本当は、手術する前にセカンドオピニオンで他の病院に行くべきだったのかもしれませんが…。もう、身体状況的に不可能でした。そして、2007年8月9日。JAMの長い長い入院生活はスタートしたのでした。
2007.10.30
コメント(4)
さてさて。ニコ大先生により生まれて初めて仙骨ブロック注射を受けることになったJAM。仙骨ブロック注射は、痛み止めの注射です。どんなことをするかと言うと。1・うつ伏せに寝る。2・お腹の下に枕を入れてお尻を突き出すような格好に…3・仙骨の場所を探されて…4・仙骨の下辺りに注射針をブスッ。5・針を刺してからぐりぐりぐりっと中を探られ薬液注入…J:「#&$’%)$#’@!!!!」ま、まあ、一瞬で終わるんですけど。…あ、なんか今、言葉にならない声が出た…。って感じでした(^^;さてさて。注射したあとは15分くらい動けません。その間はすこし痛みも和らいだかな…?と思っていたJAM。ニコ大先生の「まあ…注射は3日から1週間くらいは持つかな。人によっては違うけど。」という言葉を聞いていたので、「これで数日は楽なのかな…」と思っていました。しかし。病院を出て、駐車場まで足を引きずりながら歩いているうちに、あれ?痛い。痛いよ。もしかして…。もう注射の効果、切れた?そうなのです。この仙骨ブロック、JAMにはほんの10分程度しか効果がなかったのです。しかし、「家に帰っておとなしくしていれば、そのうち良くなるさ…」と自分に言い聞かせ、JAMは再度診察も受けずに帰宅。…受けときゃ良かったのにねぇ(^^;その後、帰宅しても痛みは一向に治まりません。しかし、ニコ大先生は「1週間痛み止めの薬を飲みながら様子を見て、来週僕の診察日に来て」と言っていたので、JAMはそれを忠実に守ることにしました。そして一週間の間。JAMの症状は…・左膝が“くの字”に曲がったまま伸ばせなくなる。・痛みが酷くて24時間ほどんど眠れない。・痛み止めの薬を飲んでも座薬を入れても効くのはせいぜい3時間程度。・椅子に座れない。歩けない。・仰向け・左向きが不可能になり常に右向きで肩が痛くなる。上記のように、どんどん酷くなりました。一番酷かったのは、「左膝が“くの字に曲がったまま伸ばせなくなる」でした。左膝がまっすぐに伸びないのです。常に左足が曲がった状態なので、膝の下にクッションを敷いていました。どうがんばっても痛くて伸ばせない。神経がマヒしたかのよう。関節が固まってしまったような感じでした。自力では、いくらがんばってもまっすぐにすることはできませんでした。そして、この1週間、JAMはほとんど眠らずに過ごしました。人生でこんなに寝なかった時期は初めてです。…あんなに痛かったんだから、律儀に1週間も待ってないで病院行けばよかったのに(^^;今となっては、そう思います。がんばって待ちに待った翌週火曜日。JAM父に頼み込んで朝早く受付に行ってもらい、その日の整形外科の受診の順番を1番目に取る事ができました。そしてニコ大先生の診察。J:「先生、辛いです。歩けないです。痛くて全然眠れないです。注射は全然効かなかったです。」ニ:「うーん、そうかぁ~。。。」そして、ニコ大先生は相変わらずの笑みで言いました。ニ:「…手術しよっか♪」…ニコ大先生。なんでそんなにさわやかなんでしょう。
2007.10.28
コメント(10)
放射線技師さんからの一言で、ようやく尋常ではない自分に気づいたJAM。でもやっぱり職場に「すみません、MRIの結果聞きに行きますので明日もお休みさせてください。午後から行けそうだったら行きますので…」と電話していました。全くホントに懲りないバカです。今なら自信を持ってハッキリ言えます。皆さん、くれぐれも“具合が悪い時は仕事を休みましょう”。いざとなっても会社は助けてくれません。痛い目見るのは自分だけなのですよ。こっちは身を粉にして働いてるってのにね。。。さて、愚痴はその程度にしまして。翌日、MRIの結果を聞きにT第一病院へ向かったJAM。1時間、病院の待合室の椅子に寝たまま順番を待ちました。ようやく名前が呼ばれて診察室に入ると、そこには昨日とは違う先生が。(受診した後、家に帰ってネットで調べてわかったことですが。この先生、週1回だけB大学病院から来ている整形外科医で、JAMが住んでいる地域周辺では1・2を争うほど有名な脊髄専門医だったのです。この出会い、今から考えると運が良かったのか悪かったのか…。)以下、ニコニコしてるけど名医の大先生なので“ニコ大先生”と呼びます。ニ:「こんにちは。昨日はマッチョ先生に見てもらってて…MRI撮ったんだよね。」ここでMRIを用意する看護師。ポカーンとそれを見つめるJAM。そして、JAMのMRIを見たニコ大先生、ここで衝撃の一言。ニ:「あー。。。これは痛いわ。」これは痛いわ・・・。これは痛いわ・・・。ニコ大先生の言葉がエコーのようにJAMの脳内に響きました。先生…。先生、私…。痛くて良かったんですねっ!?思わずニコ大先生に詰め寄りそうになったJAM。だって。だってさ。(誤診した)ヒゲ先生は「骨には異常ない、整体に行ったオマエが悪い」みたいなこと言うし、家に帰ってイタイイタイって言っても家族は「そんなオーバーな…。大した事ないんでしょ?」って全然相手にしてくれないし。凄く痛かったけど、死ぬほど痛かったけど、もしかしたらJAM自身が痛みに弱いから、こんなにオーバーに苦しんでるだけなのかと思ったんだよぉぉぉぉ~。うわーん!痛くて良かったんだー!痛くて正解!JAMは間違ってなかったよー!!!何故かこの時、世界の中心で叫びたいほどうれしかったです。そしてニコ大先生が指差したのは、第五腰椎と仙骨の間の椎間板。ニ:「ここ見てください。椎間板が出て神経をかなり圧迫しているんです。椎間板ヘルニアですね。この位置に椎間板が出ると、痛くなるのは左足の大腿から足首にかけて。当たってます?」J:「はい!当たってます!(心なしか涙目)」指で示された写真は、シロウトのJAMが見ても明らかにわかるほど、はみでた椎間板が神経の束を押し込んでいるのがわかりました。ニ:「とりあえず今日は痛み止めの注射を打って、1週間様子を見ましょう。会社は休んでください。」あ…。ドクターストップ…。ニ:「家ではできる限り安静に、横になっていること。来週の火曜日に僕の診察受けに来てください。その時まで痛みが取れていないようだったら、手術を考えなきゃいけないね~。」J:「はい、わかりました…。」ニ:「じゃあ注射するね。(看護婦さんに)仙骨ブロック用意~。」JAMはまだ、このとき知りませんでした。椎間板ヘルニアの治療は、何をするにも痛いのです…。
2007.10.26
コメント(2)
キウイネタ書くのにケータイカメラの調子が悪くて、今日は写真ナシでごめんなさい。写真のシャッター押すたびに、何故かケータイの電源が一瞬切れて再起動。何度も何度も繰り返すんで、「???」と思ってケータイの裏側確かめてみたら、リアカバーが変形するほど電池パックが破裂寸前でパンパンでした。…どうして今まで気づかなかったんだろう…。とりあえず、ドコモさんに電池パック送ってもらうことにしました。早く届けてね~。というわけで本題に。ちょっと前のお話ですが。前にもブログに書いたかと思うのですが、キウイは水浴び大嫌い。「お風呂行くよ~」の「お風呂」というフレーズを聞いただけで逃げていきます(^^;しかもケージに入っている状態で「お風呂行くから出ておいで」と言った場合、絶対に意地でも出てきません。せっかくキウイの水浴びをさせるためにお風呂の用意をしても、感づかれるともうダメなのです。というわけで、とある日。風呂入れ担当=JAM母はウソをついてみました。JAM母:「キューちゃん、おいしいのあげるから(ケージから)出てきなさい。」キウイ:「…。(←“ものすごく疑わしい”という目をしている)」JAM母:「あげるから出てきなさいって!」キウイ:「…。(←”かなりとっても疑わしい”という目をしている)」JAM母:「だから大丈夫だから出てきなさいッたら!」…ようやくしぶしぶとケージから出てきたキウイ。チャンス!とばかりにキウイをその場からかっさらうJAM母。JAM母:「お風呂入るわよ!」キウイ:「!!!」もがいてももうムダです。うぎゃあああああああああああああ~風呂場に消えゆく、断末魔のキウイの声。…。ごめんなさいキウイ。JAM、この件に関してだけはアナタを助けられないわ。だって…何日もお風呂入ってないからすっぱいかほりが漂ってたし。頭なでれば煙が出てたし。ううう、許しておくれ、キウイ。断崖絶壁から子供を突き落とす母ライオンの如く。このときばかりはキウイ放置プレイなJAMなのでした。そして5分後。カッタカッタカッタカッタ…。びしょびしょに濡れそぼった体で廊下のフローリングを歩くキウイの足音が。それを温かく迎えるやさしさ担当=JAM父。JAM父:「おおおキウイ、風呂入れられたのかぁ。がんばったなぁ~!」JAM父のやさしさに触れて気が緩んだのか、キウイはここで初めて本心を語りました。キウイ:「ダマされた…」…。あのさあ、キウイ。いつも思うんだけど。あんたいつ、そういう言葉覚えるの?(^^;この一件以来、キウイは「おいしいのあげるから出ておいで」と言った時には、実際にケージの目の前でおいしいものを見せないと出てこなくなりました。ヨウムの記憶力、ほんとバカにできないです。ウソはいけませんね、ウソは。
2007.10.24
コメント(3)
予約時間の30分前には到着して、MRIの順番を待っていたJAM。「MRIは無痛の検査です。」検査の前の説明書にもそう書いてあります。そうなんですよ、無痛なんですよ。検査自体はね…。「JAMさ~ん、着替えをお願いします。金具とかついているものは全て外してくださいね」放射線技師さんの案内で、足をずるずる引きずりながら部屋に入り、着替えました。痛みで前屈ができないので、靴下を脱ぐのが大変だった…。そしてMRIの設置されている部屋に移動。技師:「それでは腰のMRI撮影をします。金属類とか一切つけてないですよね?ペースメーカー等も入っていないですね?」JAM:「はい、大丈夫です。あ、歯科矯正してるんで歯に金属ハマってるんですけど。」技師:「ああ、そうでしたね。心配でしたらちょっと調べておきましょうか。MRIに顔近づけてみてもらえます?」JAM:「…。(MRIの輪の部分に顔を近づけるJAM」技師:「金属が引っ張られるような感じはありますか?」JAM:「…いや、ありません。」技師:「じゃあ大丈夫です。この台の上に仰向けになってください」歯科矯正はMRIには影響無いようです。…ん?今、仰向けって言わなかった?仰向け…。足が痛くなってからあまり仰向けの体勢にはなれませんでした。仰向けも右向きもかなり足が痛くなるので、布団の上では常に左向き。だ…大丈夫か…?不安でしたが、もう後戻りはできません。仰向けで台の上に横になり、頭や体はベルトでしっかり固定され、手に“何かあったときの連絡のためのコールブザー”を持たされ、MRIの撮影が始まりました。ゴンゴンゴンゴン…不思議な音が聞こえます。MRIの撮影って静かだと思ってたけど、意外とうるさいのね…。5分経過。あれ。痛い。足が痛いよ。左のお尻が痛いよ。痛い…痛い痛い…痛い痛い痛い!痛ったぁぁぁぁぁい!!!開始して10分もしないうちに、JAMはもうすでに限界ギリギリ。疼痛の酷いヘルニア患者に、常にじっとしているように言うのはホント無理があるのです。そのくらい気づくべきだったんですけど…。痛い。痛くて暴れたい。しかしMRIの検査説明書にしつこく書いてあったセリフを思い出しました。「MRIは非常に動きに弱い検査です。なるべくじっとして動かないようにしてください」痛いのに動けない。何度も何度もコールブザーを押そうと思いましたが、もし今押して、また最初から検査がやり直しになってしまったらどうしよう…という恐怖が頭をよぎり、心の中で「イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ…」と呪文のように唱えながら時間が経つのを待ちました。そのうち涙と鼻水が出てきましたが、動けないので拭うこともできません。JAM、すでに三十路越え。この歳で鼻水たらしたまま泣く事になるとは思いませんでした。(↑…今後こんなシーンは何度も出てくるんですけどね(^^;)ようやく悶絶のMRIが終了したときには、涙と鼻水と痛みとでフラフラ状態だったJAM。しかし頭の中ではこんなことを考えていました。「よし、これで撮影が終わったから、明日から火曜・水曜・木曜って仕事して、金曜日に結果聞きに行けばいいよね…。」ほんとバカです。しかし、このバカに最初に「アンタは普通じゃないのよ」と気づかせてくれたのは、医者でも看護婦でもなく、この放射線技師の方でした。技師:「JAMさん、ちゃんと撮影できたかどうか調べますんでちょっと待ってくださいね…」JAM:「あ、はい。」しばらく待たされるJAM。技師:「はい、大丈夫でした。」JAM:「ありがとうございました。」技師:「あ、そうだJAMさん」JAM:「はい?」技師:「診察は明日ですね。」JAM:「…はい。」放射線技師の方は、医者ではないので直接画像の診断結果を患者さんに伝えることはできません。そのため、遠まわしな言い方で教えてくれたようでした。<私、ホントに普通じゃないんだ…>歩けなくなって初めて、自覚した瞬間でした。…病院は、明日行こう。
2007.10.23
コメント(4)
前回のブログでキウイのおしゃべり動画を載せましたが。たまにメールのご質問等で、「どうトレーニングしたらああいう風にしゃべるようになるんですか?」といったお声を伺います。ですので、これを機会にちょっと書いてみようかと思うのですが…。ただですね。ぶっちゃけちゃいますと、キウイについては、トレーニングらしいトレーニングはしていないのです。。。というか。JAMがキウイを飼いだした約9年前。“大型インコの飼育本”などの便利な本はほとんど出版されていませんでした。ヨウムのホームページもそんなに多くはない時代でした。なので、どうトレーニングしたらしゃべるようになるのかわからなかったというのが、実は本音なんです…。ただ、今振り返ってみると、「あの行動がキウイのおしゃべり教育にはよかったのかな」と思うことはあります。以下、その心当たりを書いてみますので、もしご覧になる方がいらっしゃいましたら参考程度に読んでいただければと思います。あくまで自己流です。「正しい答え」という意味ではありませんので、その旨ご容赦くださいね。たとえば、キウイを昼間置いておくケージの場所は、家族が一番よく集まるリビングにしたこと。キウイは昼間リビングにいて、ずーっと家族の言葉に耳を傾けていました。昔から、人の話に聞き耳を立てるのは好きな子でした(^^;キウイの会話の基礎は、ここで出来上がったように思います。キウイはおしゃべりらしいおしゃべりが始まったのは非常に遅い子で、「生後○ヶ月で“おはよう”が言えるようになりました~!」「生後○ヶ月で“はとぽっぽ”が歌えるように!」とネットで報告されているヨウちゃんたちを尻目に、我が家に来て2年近く、しゃべれた言葉は「きゅーちゃん。きゅ。」だけでした。ヨウムってしゃべれる鳥だって聞いてたけど、所詮こんなもんなんだなぁ。。。他のヨウちゃんがうらやましいなぁ。。。ま、しゃべれなくてもカワイイからいいや♪と親バカJAMは思っていたわけですが(^^;しかし、とある言葉をきっかけに、キウイは突然おしゃべり魂に火がついたようにしゃべりだしたのです。きっかけだった言葉、今でも覚えています。「クーラーつけるか?」…もっと感動的な言葉だったら良かったんだけどなぁ(^^;実はJAM家、ふるさと北海道の血が騒ぐのか(?)、リビングにしかクーラーが無い家なのです。リビングに居たキウイは、夏のあいだに何度か家族間で交わされたその言葉を、何故か真っ先に覚えたのでした。響きが気に入ったんでしょうか…。これを覚えてからが早かった。キウイは家族から話しかけられた言葉を元に、状況が判断できるようになってきました。たとえば、まだキウイがしゃべれないころ。JAM母は、出かけるJAM父を見送るのにキウイを一緒に玄関へ連れて行って「ほらキューちゃん、お父さんが行っちゃうよ!お父さんバイバイ!…ほら行っちゃったね~。」と、キウイにお父さんが出かけるところを見せながら、その状況を実況中継のようにしてキウイに話しかけていました。毎日毎日それを繰り返していくうちに、キウイは「玄関から人が出て行く時」=「“バイバイ”と言う」行動と言葉を関連づけてしゃべれるようになっていったのです。そのほかにも、キウイの目の前で重い荷物を「よいしょ」と言いながら持ち上げていたところ、「荷物を持ち上げるとき」=「“よいしょ”と言う」という図式がキウイの頭の中で形成されて、家族がスーパーの袋などを抱えて持ち上げようとすると、すかさずキウイから「よいしょー!よいしょー!」と合いの手が入るようになりました。なので、そう考えると。「人間一人・または人間同士の会話をヨウムの目の前でくりひろげる」「人間の行動を実況中継しながらヨウムに話しかける」といったことで、状況を理解しながらしゃべれるようになっていくのかなぁと思います。ただ。昔読んだ飼育本にこんなことが書いてありました。「インコやオウムは、“しゃべるから可愛い”“しゃべらないから可愛くない”というものではない。仕草や表情。愛らしい瞳。その“存在自体が可愛い”のです。」たとえば。キウイの喉が突然今日潰れたとしても。JAMは今日も明日も明後日もず~っと、「キウイはカワイイ」と思う親バカなのです。きっと。鳥を飼っている皆さん、そう思いますよね?
2007.10.21
コメント(4)

↑キウイとテレビの位置関係はこんな感じ。(写真汚くてすみません)昨日の某謝罪会見。たまたまテレビをつけたら始まったので、おおっ!と思って見ていたのですが、キウイも一言物申したかったようです。JAM:「あー!大毅ぼーずになってる!ぼーず!」キウイ:「おおっ!?」JAM:「うわー!大毅何も言わずに退場しちゃったよ。」キウイ:「あらららら~!」…。本当にわかってんのかおのれは(^^;まあ、“テレビを見て言っている”というよりは、“テレビを見ている人間のリアクションを見て言っている”という感じでしょうか。さて、話は変わりまして。今日はキウイが舌好調だったので、キウイのおしゃべり付き動画撮影に成功しました。さっそく載せちゃいます。動画載せること自体、かなり久しぶりですね(^^;朝のお見送り風景↑こちらをクリック!キウイは毎朝こうして、家族をお見送りするのが日課です。ちなみに「行ってくるからね」という単語は、「行ってらっしゃい」が何故かどうしても言えないキウイの、苦肉の策から生まれた言葉です(^^;
2007.10.18
コメント(10)
どうしよう。どうしよう歩けない。でも仕事休めない。どうしようどうしようどうしよう…。日曜日の昼間から、JAMは布団の上でそんなことばかり考えていました。とりあえず、トイレは這って行く。お風呂は無理でした。お風呂どころか洗顔も歯磨きも無理でした。食事は寝ながら食べました。しかしずーっと寝ていたところ、夜には少し起き上がってすり足ながら歩ける状態になってきたのです。そこでJAMが思ったこと。「ああ、これで明日は仕事に行ける。」それだけでした。仕事以外何もない生活をしていたので、思考回路がそれだけになっちゃったんですね。しかし、そんなすぐに症状が良くなるわけもなく、翌日の朝には、また歩けない状態に…。そこで布団の上でまた考えました。「ヒゲ先生は何も言わなかったけど、たぶんこれは椎間板ヘルニアだ。ヘルニアはレントゲンには写らない。ということはMRIを撮ってもらわなきゃ原因がハッキリしないわけだ。このへんで整形外科が有名な総合病院で、しかもMRIの予約が取りやすい病院は…」ぐるぐる思考がめぐりだしました。ようやく“もうこれは自力で転院してなんとかせにゃならんのだ”と思いだしたのです。ヒゲ先生から紹介状をもらう気は全くありませんでした。そしてふと思いついたのが「T第一病院」。インターネットで受付時間を確認したあと、会社に電話しました。「すみません、足の痛みがひどくて歩けなくなってしまったので、午前中だけ休ませていただけますか?病院に行った後、午後から出勤しますので…」↑脳の病気を疑ったほうが良かったのかも(^^;;;まだ仕事に行く気でいました。そして親に頼み込み、這うようにして車に乗りT第一病院へ。待合室では長椅子に横になって待ちました。先に背骨・腰・股関節のレントゲンを撮ってから診察。JAMの初診を担当したのは、T第一病院院長先生の息子である先生でした。(この先生、医者なのにかなりの筋肉質。なので以下“マッチョ先生”と呼びます・笑)マ:「うーん、確かに骨には異常ないね。ただこの股関節…。」J:「あ、やっぱり股関節もおかしいんでしょうか」マ:「普通の人より股関節に骨盤がかかってないんだよ。これは6割~7割くらい?生まれつきだからしょうがないけど、これもちょっとかかわってくるかもしれないね」…そんなことヒゲ先生は一言も言ってくれなかった…。マ:「とりあえず、MRIの予約取ってください。そして後日結果聞きに来て。仕事に行くか行かないかはあなたの判断に任せます。」J:「あ、そうですか…。(じゃあ行こうかな…)」マ:「でも。どんな病気でも無理して仕事したら悪化するでしょう。それをよく考えるようにしてくださいね。」J:「は…はい…。(見透かされてるわ…)」すごすごと診察室を後にしたJAMは、そのままMRIの予約室へ。その間に考えていたことは、「しょうがないから今日は一日休んで、午後にMRIの予約入れてもらおう。今日は月曜日だから明日から仕事に出て、火・水・木ってがんばって仕事すれば金曜日は仕事休みだから、その日に結果聞きにいけばいいし…」↑まだ仕事のこと考えてました(^^;MRIの予約はその日の午後にうまいこと取れたので、会社には「今日は申し訳ないのですが休ませてください。明日から会社行きますので。」とくっきりはっきり宣言の電話を入れ、午後5:30からMRIの撮影をすることに。MRIなんて楽勝♪だってただ30分くらいじっとしてればいいんでしょ?寝てるだけで済むなら楽な検査だわ~♪JAMはこのとき、とってもとっても楽観的でした。気づいてなかったのです。疼痛の酷いヘルニア患者がMRIを受けるとき、どういう苦痛が待ち受けているのか…。
2007.10.17
コメント(4)

この色、なかなか素敵じゃなぁい?そうねぇ、ここをこうして~、あそこをああして~。ふむふむ。出来上がりのイメージはついたわ。ちょっと~。ちょっとJAM母~。ミシンかけるわよーミシン。というわけで。監修。…いやいやいやいや。キウイさんウソついちゃいけません、ウソを。何故か昔から、キウイはミシンが大好きです。誰かがミシンを動かしていると、その人からまとわりついて離れなくなります。多分、ミシンについてる細かい部品を壊したくてたまらないだけだとは思うんですけど(^^;そういえば。このミシンを買い替えるときにも、キウイは少々かかわっていました。数年前。ミシンの販売員さんを自宅に呼んで、パンフレットを見ながらミシンの話をしていた所。JAM母「このミシンもいいけどね~。ちょっとお金が…」販売員「そうですねぇ、確かにお金が…」この会話に即座に反応したキウイ。キウイ「お金よぉぉぉぉぉ~♪」販売員「へっ?」キウイ「お金は大事よぉぉぉ~♪お金よぉぉぉ~~~~♪」突然、ビブラート全開で歌いだしたのです。笑いが止まらなくなる販売員。気まずいJAM家一同。当時、世の中では↑保険会社で働くアヒルの歌が流行っていたので…JAM母がキウイに歌わせようと、「よーく考えよ~♪お金は大事だよ~♪」と歌って聞かせていたのです。しかし、歌を教えても“自分の好きな歌詞しか覚えない”キウイさん。「お金は大事」このフレーズだけを覚えてしまったのでした。しかし、キウイの言うことは当たっていましたね。このミシン屋さん、アフターケアもしてくれるということで、現在使っているミシンを○○万円で購入したわけですが、先日ミシンの調子が悪くなったので電話してみたところ…「この電話番号は、現在使われておりません」…倒産してました(^^;まさに、“よーく考え”るべきでしたね。。。
2007.10.16
コメント(8)
JAMが最初に行った整形外科は、最寄り駅の側にある小さな診療所の整形外科。そこは腰の調子が悪くなったときによく通う整形外科でした。しかしここ数年、病院に行くほど調子は悪くなかったJAM。診療所でのJAMのカルテは、腰痛に苦しんでいた頃の記録はすでに無く、新しいものに差し替えられていました。しかしそこの診療所の先生(以下、ちょびヒゲ生やしているので“ヒゲ先生”)は、JAMの事を覚えていたらしく「あれ?あなた以前、腰悪くしてましたよね」と言ってくれました。その一言でちょっと安心していたJAM。…選択が間違っていたことにも気づかずに。ヒゲ先生に、現在の症状を・股関節の後ろ側、左臀部にチクチクとした痛みがある。・左の股関節に重心のかかるような体勢を取ると、膝が痺れる。と話しました。受診した時点で、JAMは股関節の後方に一番違和感を感じていたのです。この時、腰の痛みはありませんでした。ヒゲ先生はJAMに、仰向けになって足の上げ下げをしたり、感覚を確かめる検査をしたあと、椎間板ヘルニア等の異常が無いという判断をし、「じゃあ、左の股関節と膝のレントゲンを撮ろう」と言い、レントゲン室へ。腰椎のレントゲン写真は撮影しませんでした。レントゲンの結果、ヒゲ先生がJAMに付けた病名は『左股関節炎』と『左膝関節炎』でした。「骨には異常無いからね、痛み止めの飲み薬で様子見てよ。」軽くそう言われ、なんだか腑に落ちない気持ちを抱えたまま、薬を貰って帰宅しました。…しかし1週間薬で様子を見ても、一向に良くなる気配がありません。そのうち痛み止めの飲み薬も効かないほどの左臀部の痛み、そして左膝のごく一部にしかなかった痺れが膝全体に広がり、どうにもこうにも我慢できなくなったJAMは、もう一度ヒゲ先生の整形外科を受診することに。ヒゲ先生に「なんか薬飲んでも痛みが治まらなくなってきて…痺れも広がっていくんですけど…」と言うと、「じゃ、リハビリ始めようか。」簡単なお返事。検査も何もありませんでした。ちょっと不安になってきたJAMは、先生に質問してみることに。「先生、この症状が出る前に整体行ってたんです。その影響もありますかね?」ヒゲ先生、ここでリアクションが変わりました。「…整体?」あきらかにいきなり態度の変わるヒゲ先生。「整体で何されたかわかんないけど、あんなこと素人でもできるんだからね!あなたが明日から“整体やります”って言っても通用するんだよ!」要するに、「整体に通ったオマエが悪い」という事でした。ヒゲ先生は「整体」とか「カイロプラクティック」に対して異常なまでの敵意むきだしの様子。…言わなきゃよかった。地雷でした。ヒゲ先生は、JAMにつけた病名を変更することも無く、股関節と膝に電気とホットパックを当てる治療、そして理学療法士による股関節近辺のマッサージをさせました。7月に入ってから毎週2回ほどその診療所に通いました。仕事が忙しかったので、毎日通うのは物理的にも無理だったのです。しかも、リハビリを受けても症状が楽になる事は無く、むしろ症状が悪くなる事の方が多かった。受診して先生に痛みを訴えても「整体なんかに通うから」「真面目にリハビリ受けに来ないから」と言う返事。そして「痛み止めの飲み薬が効かないんだったら、座薬だね」と、やはり検査する事もなくJAMに痛み止め座薬を処方。さらに酷い先生のリアクションは続きました。決定打だったのが、左膝だけだった痺れはそのうち左臀部~大腿~膝~ふくらはぎまで広がり、痛みはますます酷くなり、足を引きずって歩くようになり、「最近、痛み止めの座薬を使っても痛みが治まらないんですけど…」と話したJAMに、「だったら使わなくていいっ!」と怒ったこと。ヒゲ先生の理屈では「効かない薬を使っても意味が無いだろう」とのこと。じゃあ痛みに耐えられないその間、JAMにはただガマンしろっていうこと…?ビックリしました。そして悟りました。…もっと早く気づけばよかったのですよ。「この医者おかしい」って。もう昔の、優しく誠実に診察してくれたヒゲ先生とは違う。見たところもうかなり齢を重ねられて、歳相応の頑固さが出てきていたのです。もうここじゃ駄目だ。7月28日・土曜日。東京まで片道2時間半かけて行かなきゃならない会社の研修。その前に、藁をも縋る思いでヒゲ先生の所へ立ち寄ったJAMですが、失意のどん底な気持ちを抱え、足を引きずったまま都内に出ました。具合が悪くても、どうしても参加しなくてはいけない研修でした。そして、「自分はそんなに重傷じゃない」と考えていた、JAMの甘さもありました。深夜に帰宅。そして翌日の日曜日。疲れ果てていたJAMは、お昼過ぎに目が覚めました。布団から起き上がってご飯を食べよう…と思ったところ、左足に今まで体験したことも無いようなすさまじい激痛が走ります。あまりに痛過ぎて声が出ない。上半身を起こすのが精一杯の状態。足を引きずりながら合計5時間の移動に耐えたJAMの体は、もう限界を超えていたようです。2007年7月29日。JAM、歩けなくなりました。
2007.10.15
コメント(8)

シャバに戻り、キウイと毎日ゆるりと過ごす。う~ん、なんか最近なかったなぁこういう生活。最初は「このまま仕事してないといつかアホになるっ!」と思いましたが。いかんせん体がどうしようもないので、まあいいか。って感じになりました。人生なるようになるもんさ。そして、またーりと過ごす昼下がり。お天気もいいので、キウイは歌を歌いだしました。↑歌っている最中に突然カメラを向けられて固まるキウイ(笑)。いつもは『作詞作曲キウイの歌』(間に必ず”キューちゃんは~♪”と自分の名前が入る歌詞とでたらめメロディが特徴です)を歌っているのですが、今日はなんだかちょっと違う様子。歌詞が気になるので、よーく耳を傾けてみると…。「せんの~か~♪」なんだ?大阪弁か?「ぜーに♪」ぜーにって、銭のこと?…。さっぱりわからない。なんだろうこの歌詞?意味が無いようにも思えないけど、キウイは大阪弁なんて覚える機会ないしなぁ。。。あれ。せんのか…ぜに…くっつけると、「せんのかぜに…」あれれ、もしかして。↑これっ!?どうやら、JAMの入院中にJAM母が教えてたらしいのですが、また中途半端な覚え方で修得してしまったようで…。キウイはこの曲が大好きらしく、JAM母と何回も一緒に聞いていた上、テレビでこの曲が流れ出したときは、動きを止めて聞き入っていたらしいです(^^;しかし…変なところで区切らなくても…。うちのプチ秋川、まだまだ修行が必要のようです。
2007.10.15
コメント(8)
さてさて。今日から始めることにしました『悶絶!腰椎椎間板ヘルニア闘病記』です。ネットで検索すると、この病気で悩まれている方はずいぶん多いようです。JAMが経験したのは『かなり稀』なケースらしく、そして厳密に言うと今も完治している状態ではないので、(お外に出るときは杖歩行です。杖が取れるまであと2ヶ月ほどかかるようです)闘病生活は現在も続いているわけですが。この病気で悩まれている方に少しでも参考になればと思い、今回ブログで記事を書くことにしました。2ヶ月の入院生活をさかのぼって書いていきますので、長い連載になっていくかと思いますが…。(しかもメインはヨウムブログなのに…)間にキウイネタも仕込んでいきますので、どうか末永いお付き合いを(^^;よろしくお願いいたしますm(_ _)m***************************『悶絶!腰椎椎間板ヘルニア闘病記~その1・発病までの経緯~』左足に異常が現れ始めたのは今年の6月下旬。きっかけは「整体」でした。よく街中にある「クイック整体」「あなたのコリをほぐします」的なお店、ありますよね。JAMは1件、そういう整体のお店に行きつけのところ(といっても行ったのはそれで3~4回目でしたが)がありまして、その日はあまりにも肩こりがひどかったので、肩だけ重点的にマッサージしてもらおうと思ったのです。いつものように行ってみると、直前の予約だったせいか、担当の方が以前までやってくれていた男性ではなく、女性の方でした。「うーん、いつもの人がいいんだけどな」となんとなく思ったのですが、「急な予約だったし、仕方ないか…」と思い、その女性にマッサージしてもらうことに。着替えをして、ベットに横になり、肩を重点的にマッサージしてもらうこと40分…。その女性は、私が特に希望していなかった、腰や背中のあたりもマッサージしていました。ちょっと”痛気持ちいい”感じだったので、そのままやってもらっていたのですが。「はい、終わりました」と言われて立ち上がったところ。<なんか、どうも、左のお尻の辺りにチクチクするような違和感が…>たぶんここで、「左のお尻が痛いです。マッサージしてもらう前は痛くなかったのに」と言っておけば、JAMはこの整体院をあとから訴えられたのかもしれませんが(^^;「気のせいだろう。ほっとけばそのうち良くなるでしょ?」と勝手に判断し、何も言わずにお金を払ってお店を出てしまったのです。数日経っても左臀部のチクチクとした痛みは治まりませんでした。そのうち、左の股関節のあたりに圧力がかかるような体勢をとると、たまに左膝の辺りにピリピリとした痺れが出るように。さらに日数が経つと、たまに痺れていた左膝が、常に痺れるような感じに…。ここ数年、ほとんど症状が出ていなかったので油断していたんですが。JAMは10代後半の学校の実習やアルバイトやボランティア、そして20代前半に介護にかかわる仕事をしていて腰痛が酷くなり(当時は筋筋膜性腰痛症と言われていました)立てなくなったり歩けなくなったりする事があったので、普段から腰周辺に少しでも異常を感じたらすぐ病院に行くようにしていました。そのため今回も、大事になる前に病院へ行こうと、整形外科を受診したのですが…。今思えば。まあ、なかなか転院しなかったJAMも悪いんですけど。最初に行った病院でちゃんとした治療を受けさせてくれていれば、今現在、こんなことになってなかったかもしれない。だって全く想像していなかったんです。誤診されるなんてこと…。
2007.10.14
コメント(4)

さてさて、久々ですがキウイの話題でも。(写真あんまうまく撮れなかったです、すみません(^^;)昔からず~~~~~っと気になっていたんですが。夜ご飯をを食べ終わったキウイ。足元は水入れです。この水入れ、よ~く見ると…ペレット漬けて食べる用と飲み水用に、きっちりキレイに分かれています。ずいぶん昔からこういうことするんですけど…。皆さんのお家のヨウムも、こうですか?うちのキウイが神経質なだけでしょうか(^^;
2007.10.13
コメント(2)
こ、こんにちは…。おそるおそるビクビクと…復活いたしましたJAMでございます。今年の正月からブログ書いてないんだもんよ~。「月一回更新目標!」とか言って、ウソばっかりでした。これじゃキウイに「JAMちゃん嘘つきダー。」(←実際本当に言われる)と突っ込まれても仕方ない気がします。(ブログも全然管理できていなかったので、コメントスパムを削除しきれず書き込み欄は掲示板も含めて全て閉鎖しておりました。この記事を書き終わったら再開の予定です。…って、いままだこのブログ見てくださってる方ってどのくらいいらっしゃるのかしら(^^;ほんとすいません)さてさて、沈黙の10ヶ月、JAMは何をしていたのか?かいつまんで説明いたしますと…。『仕事人間モードON! で完全仕事の鬼となる』↓↓↓『仕事は順調に進んで他人を蹴倒すまでに(?)働く修羅になる』↓↓↓『一人で生きていくために必要なのは金!と思い、ガンガン残業して残業代を稼ぐ』↓↓↓『平日は仕事・休日は睡眠。それ以外のことはほとんど何もやらなくなる』↓↓↓『ある日突然歩けなくなる』↓↓↓『入院』↓↓↓『2ヶ月で2回の手術を受ける』↓↓↓『つい先日ようやく退院』↓↓↓『職場復帰は来年1月からのため、年内は暇人となる』↓↓↓『今まで仕事以外何もしていなかったので、いきなり暇になっても時間をもてあます』↓↓↓『ブログ再開。これからもよろしくお願いいたしますm(_ _)m』異常です。あ、違った。以上です。なかなかヘビーな闘病生活でしたので、次回からはそんな記事も書いてみようかと思っております。そして入院中、全く私の事を忘れず待ち続けていてくれたキウイについても。今回入院して、改めて身に沁みました。ヨウムの愛は、偉大です。
2007.10.12
コメント(6)
全14件 (14件中 1-14件目)
1