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ずっとずっと放置してしまっていたこのブログ。 どれだけの方が見てくださっているのかわかりませんが…。 本日、ヨウムのキウイが亡くなりました。 22歳でした。 22年間。 あの子には感謝しかありません。 実家を出た私のかわりに、両親の精神的な支えになっていました。まるでキウイが介護しているかのように、高齢の両親の生活に彩りを与えてくれました。 生前ホームページやブログで気にかけてくださっていた皆様、本当にありがとうございました。 取り急ぎ、ご報告させていただきます。
2021.03.24
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↑久々に「爪切りバンザイ」写真で登場しましたキウイです。皆さん大変大変お久しぶりです。前回ブログを更新してから、あっという間に1年経過してしまいました。と、時の経つのが早すぎる…。その間コメントをくださった皆様、まともにお返事も返せず申し訳ありませんでした。コメントはきちんとすべて目を通させていただいております。(まろんままさん、くらさん、なつさん、文鳥飼いさん、皆様ごめんなさい)こんな放置ブログなのに、本当にありがたいことです~。あ、あと前回のブログのコメント欄にちょいと書かせていただきましたが、(きいちゃんさん、ごめんなさい。見てくれてるかな…)現在JAMのHPに公開されているメールアドレスは使用できない状態になっております。もしもJAMに連絡を…という場合には、大変申し訳ありませんがブログのコメント欄を活用していただけるとありがたいです。フリーメールを取得しても、あんまり使わないのですぐ使用不可になってしまうのです~(T_T)さて、約1年ぶりの再登場ですが、ここでキウイの近況なぞ書いてみようかと思います。相変わらずヤツはとっても元気です。ちょっと夏バテ気味ですが、毎年恒例行事ですね、これは(^^;キウイも14歳になりまして。そこで(親バカ要素も多々あるかと思いますけども)最近ひしひしと感じるのは、「こいつ、言葉の使い分けが上手くなったなぁ~」ということです。ヨウムおしゃべりというのは「TPOが使い分けられる」というのが特徴ですが、たぶん年齢があがるにつれて、TPOの使い分けの精度が上がってるような気がします。ただし、新しく覚える言葉は若い頃に比べるとやっぱり少なくなりました。全く覚えないわけではないんですが。なのでヨウムのおしゃべりは長い目でみると、若い頃に単語をたくさん覚える→歳をとっていくにつれ覚えた単語を有効活用していくみたいなパターンになるのでしょうか?キウイ1羽しか飼ったことのないJAMなので、ヨウム全般に当てはまるとは言い難いですが、なんだか最近そんな気がしてきました。ここで、最近のキウイの言葉の使い分けに関するエピソードですが。最近彼は、「良い子」と「悪い子」の区別が付くようになったようです。ある日のこと。キウイは不満な事があると、エサ箱の中身をばら撒くといういたずらをします。その日も不満な事があったようで、エサ箱の中のペレットをバラバラとばら撒きはじめました。そこでJAM父が「キウイ!そういうことするのは良い子なの?!悪い子なの?!」と大きな声で怒りました。するとキウイがこう言ったのです。キ:「・・・悪い子。」わかってんじゃん!と思わず突っ込み大笑いしたキウイの返事でしたが、まさかキウイがいたずらする自分を「悪い子」と認識しているとは思わず、同時に驚きました。そのほかにも、外出から1時間ほどで帰ってきたJAM父母に向かって(いつもは外出すると数時間は帰ってこないので)キ:「おかえりしてくれたの?良い子だね~!」と相手を誉める(?)のに「良い子」というフレーズを使うように。そして最近一番驚いたのが、JAMが実家から一人暮らしのアパートまで帰宅する時のこと。その日JAMは、帰宅がてらJAM父母と一緒に外食することにしていました。「○時に家出るからねー」「そろそろ出るよー、支度できた?」などとJAM父母と会話し、いざ家を出る前に、しばらくお留守番になってしまうキウイに挨拶しようとしました。するとキウイはJAMに向かって一言。キ:「JAMちゃん、悪い子だね。」・・・きっとキウイの頭の中ではJAM父母がJAMに誘われて出かける ↓JAMのせいで自分は一人でお留守番 ↓JAMは悪い子という図式が成り立っていたのだと思います。思わず、「ごめんなさい。悪い子です。」と、キウイに向かって頭を深々下げたJAMだったのでした。
2012.09.17
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昨日撮影した、最新キウイ画像です。まずはアップで。18日朝の体重測定での1枚。あいかわらず暑さに弱く、夏バテ気味で食欲が無く、昨日の体重は380グラムでした。ヨウムにしては軽い…。13歳にしては毛並みが良いほう?のようで、後姿から撮影しますとこんな感じ。今日の昼間には実家から一人暮らししているアパートに戻ってきたんですが、実家から出る時にJ:「キュー、じゃあまた来月ね。」キ:「JAMちゃんバイバイでしょう?キューちゃん(ケージから)出るか?」J:「いや、出なくていいよ(^^; キウイはお留守番」キ:「そうか…。(めっちゃ残念そう)」なんて会話をして出てきました。毎月のことなんですけど、実家を出るときは、いつも後ろ髪を引かれる思いです。。。
2011.07.19
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皆様、お久しぶりでございます。JAMです。ふと振り返ってみると、このブログ、3年間もほったらかしていたのですねぇ。なんてこったい(^^;いやはや、時の経つのは早いもので…。ほったらかしていた間にも、ブログにメッセージを寄せてくださる方もいらっしゃって、本当にありがたい限りです。3年間の間にコメント下さった皆様、ありがとうございます。そして全くお返事もせず、本当に申し訳ありません。。。JAMもキウイも、今現在とっても元気ですよJAM管理人ホームページ「ヨウムの素」も、あんだけほったらかしてるんだから、もう削除しなきゃあかんなぁと思っていたのですが、そこでふと気付く。編集方法も削除方法も、管理用パスワードも一切忘れた…。ど、どうすんのあのホームページ!?と一瞬あわてましたが。まあ、忘れてしまったものはしょうがない。宇宙をさまようデブリのように、このままにしておこうかと思います(笑)。思えは最後のブログを更新してから、今までの3年間、いろんなことがありました。椎間板ヘルニアはほぼ完治して、今のところ再発していなんですけれども。一番大きな出来事としては、仕事の都合や諸々の事情もあって、キウイを実家に残して家を出たことでしょうか。。。2008年に最後のブログ更新をして、その半年後には実家を離れました。田舎には変わりませんが、現在は関東圏内某所で一人暮らしをしております。なので今現在、キウイとは一緒に生活していないのです。それもあって、更にブログから離れてしまうことになったんですね(^^;ただ、1ヶ月に1度は実家に帰って、キウイの頭をもっしゃもっしゃ掻いてます。私が実家を出たあと、2~3ヶ月はキウイもかなり寂しがっていたのですが、3ヶ月をすぎたあたりからもう慣れたようで、今では1ヶ月ぶりに実家に帰るとキ:「あ、JAMちゃん帰ってきた。」と、フツーに言われますw帰ってきても、たいしてうれしくないみたいですwただ、(ベースがツンデレなので)表面上全然うれしそうにしてないんですが、翌朝、JAMがいる部屋の隣の部屋からキウイの声がして「JAMちゃん帰ってきたよぉぉぉ~♪ おかえりって来たよぉぉぉぉ~♪」と、いつものあのビブラート全開で歌ってくれていたりするので、それなりに歓迎はしてくれているのかなぁと思います。(JAMと同じ部屋に居る時は、「帰ってきたよの歌」は絶対歌いません。なぜか…?)今日は実家でキウイの写真をばしばし撮りました。近日中に、「現在13歳のキウイの姿」をブログにアップできればいいなと思っています。そして、諸々生活も落ち着いてきたので、これからまたブログもちょこちょこ書いていこうかと思っています。ただし、キウイとは月1回しか会えない生活になってしまったので、ヨウムに触れない記事の方が多くなってしまいそうですが(^^;そしてあまりにも日記を書くのが久しぶりすぎて、写真の入れ方もタグの使い方も忘れましたよ。これは…、かつてのカンを取り戻すにはかなり時間が…;;;それでは皆様、今後またいつ突然更新しなくなるかわからないのですが、暇で暇でしょうがなくて何もすることが無い!という時で結構ですので、そんなお時間がありましたら「JAMのどんどこ日記」をチラリと覗いていただければ幸いです。
2011.07.18
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仲の良さそうに見える祖母と孫の図。我が家では、極端に言うと、キウイはJAMが産んだ子供のような扱いを受けています。キウイがギャーギャー騒いでいると、「ほら、息子が泣いてるよ!」なんて言われたり。なので、家ではキウイの母親=JAMキウイの祖母=JAM母孫(もどき)=キウイというポジションが形成されております。そして、最近ヒートアップしつつある祖母と孫の関係。先日、こんな事があったのです。とある日。JAM母が台所で料理をしていたところ、匂いをかぎつけたキウイが騒ぎ出しました。キ:「ちょうだい。」母:「あげな~い」キ:「ちょうだい!」母:「あげない!」キ:「ちょうだい!!」母:「…。(←しつこいので無視)」ここでキウイがイラっときたようで。キ:「ちょうだいって言ってるでしょ!?」JAM母もまけじと母:「あげないって言ってるでしょ!?」となり。…口論に発展しました(^^;最近、キウイは“言い返す”という技を身につけたようで…。さらにこんな事もありました。キウイは朝、JAMが仕事に行く時に玄関まで見送りに来てくれるのですが、自力で玄関までは行けないので、毎朝JAM母に連れて行ってもらっているのです。でも、連れて行くのが遅いと、キウイ自身が“見送りに遅れるのでは…”と心配するらしく。キ:「行っちゃうよ?」母:「玄関は寒いからね、時間ぎりぎりまではここに居ようね」キ:「遅いから行っちゃうよ?」母:「だから大丈夫よ、時間になったら連れて行くから!」キ:「早くしないと行っちゃうよ!?」ここで先にキレたのが母。母:「…もう!アンタは毎朝毎朝そうやって騒いで!何度も同じこと言わないの!」そしてキウイが逆ギレ。キ:「言ってない!」…へっ?(^^;母:「言ったでしょ!」あの…。朝からJAMほったらかしで口論しないで欲しいんですけど…。しかもキウイ、散々「行っちゃうよ」って言ってたくせに、「言ってない!」って断言しちゃうし。どういう言い分なんだかなぁ。。。2人の間に挟まれるJAMの気分は、さながら河合奈保子といったところでしょうか。(←古っ!)けんかをやめて~♪二人を止めて~♪
2008.02.29
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やってきた!ので。姉(akkoことJAM姉その1)がこんな絵心を。先日のJAMブログを見て書いたそーです。まさにキウイは今こんな感じです(笑)。
2008.02.10
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最初に、タイトルとは全然関係ないんですが、こんな動画が撮れましたのでUPしてみました。久々の爪切り後動画。↑こちらをクリック!声の出演:JAM&JAM母です。爪切りしてから正気に戻るまでのキウイの様子。キウイのおしゃべりは全く無いです。すみません(^^;****************************************さてさて、それではタイトルのお話をば。ちょっと前の出来事なのですが。とある休日、JAMは奇妙な鳥の鳴き声で目が覚めました。「ピョロッ♪」と。キーの高めな、だけどちょっと野太いインコの鳴き声がしたのです。鳴き声は非常にセキセイインコに似ていました。しかし、セキセイインコとは微妙に違う…。セキセイの鳴き声って、例えて言うならもっと軽やかな感じ?今聞こえてきたのは、ちょっと重めな気が。。。なんだろうこの鳴き声…。寝ぼけまなこでボーっと考えるJAM。いや待てよ。インコの鳴き声って。今この部屋、キウイとJAMしかいないじゃん。え?キウイが鳴いたの?驚いてキウイを見つめるJAM。すると、得意げに「ピョロッ♪」と鳴いてみせるキウイの姿が。キウイが我が家に来て今年の10月で10年目を迎えるんですが、今まで無かった事が起きました。初めてです。キウイが他の鳥の鳴き声をそっくりそのまま真似したの。実は、我が家には「みどり」という名前のセキセイインコが一羽いるんですが、(名前のまんま、ノーマルセキセイです)この子が我が家に来た時、全くの荒鳥だったんです。しかしうちのJAM父、定年退職後ヒマをもてあましている間に、全くの自己流で荒鳥のみどりを手のりインコへ育てなおしする事に成功。今までは人間がカゴに近づくだけで大暴れしていたみどりが、JAM父の肩に止まってゆっくりくつろぐまでになったのです。常にJAM父の肩に止まっているみどりを見て、すごくうらやましそうにしていたキウイ。基本的に、キウイはJAM父への肩乗りは禁止されています。JAM父のかけているメガネにちょっかいを出してしまうので、JAM父も嫌がるのです。しかし、JAM父の肩に乗っているみどりのことがうらやましい。キウイは悩みました。どうしたらJAM父の肩に乗れるようになるのか…。そこでキウイは思いついちゃったようです。「セキセイインコになりたいの。」(心の声)えええええええ!いやいやいやいや(^^;あのねキウイ。JAMは、かわいいあんたの願いならなんでも叶えてあげたいよ?おもちゃだってお気に入りのロープのヤツ、いつも買ってあげてるでしょ。ご飯だって、あんたの大好きな唐辛子味のペレット多めにしてあげてるし。だけど…。だけどさすがに「セキセイインコになりたいの。」はちょっと…。その日から、キウイは毎日“セキセイインコ鳴き”でJAM父にモーレツアピールしていますが、一向に肩乗りは許されておりません。みなさん、どうしましょう。我が家には、体長約30センチほど、灰色胴体に赤い尻尾のセキセイインコがいます。
2008.01.27
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9月25日。手術後初の銀ブチ先生の回診です。(以下、携帯日記をベースにして書いてます)銀:「痛みは無いんだね。…そのわりにグッタリしてるのはなんで?」相変わらずシビれる無機質ストレートトークをありがとう。銀ブチ先生。J:「いや、なんか倦怠感が抜けなくて…」銀:「あー、入院中に体力消耗してた上に手術受けたからね。じゃあまだリハビリできそうにない?」J:「いや、自力でトイレくらい行けるようになりたいんで、がんばります」銀:「足の痺れの方は?」J:「それはまだ全然治ってないんですけど…」銀:「ビタミンB12の薬を出しましょう。即効性は無いけれど神経の修復をするのに栄養を送らなきゃいけないから。」薬はメチコバールです。ほんとに即効性無いんで、今現在まだ飲んでます(^^;J:「それにしても、骨削らないで済んで本当に良かったです。取れたヘルニア見せてもらったんですけど、あれ幼虫みたいでした」銀:「最初はなかなか見つからなかったんですよ、JAMさんのヘルニア。」へっ!?そうなの?銀:「神経の影に隠れて見えなくなってたんです。(造影剤で)あれだけハッキリ写ってるのに無いわけがないだろうって探したら、影からズルズルッと虫みたいに出てきて…」ひえええ…。銀:「せっかく手術受けたんだから行動制限しなくても普通に生活していいんですが、ヘルニアの出た穴は残っているわけで、再発の可能性は何パーセントか残ってます。」ああ、やっぱりそうよね。この病気って一生付き合わなくちゃならんのだな…。銀:「引越しの時とか肉体労働なんかは他のヒトに変わってもらうようにしてください。あとは重たいものを持つのにぐっと腹筋に力を入れたり、膝から立ち上がるようにして腰の負担を減らしたり、コルセットをしっかりしめるとかね。」J:「はい、わかりました」銀:「それにしても…。」そう言うと、銀ブチ先生がふと笑いました。(超貴重!)銀:「いやー。ヘルニアって取れば良くなるものなんですねぇ。今回改めて思いましたねぇ。」J:「そ、そんな他人事みたいに(笑)。でも先生に諭されて手術受けてよかったです。ありがとうございました。」銀:「いえ、元気になってもらえればそれで。」銀ブチ先生の、笑い慣れていない笑顔がステキでした。その後、約10日ほど病院でリハビリを受け、退院前日に抜糸をし、JAM、2007年10月6日、退院となりました。***********************************入院生活を振り返って思うことですが。JAMの病状は自分が思っていたよりかなり重症で、毎日痛い思いをして散々な目にもあいましたが、なんだかんだで人との出会いはとても恵まれていた入院生活でした。診察してくれた整形外科の先生も(特に銀ブチ先生ね・笑)、リハビリを担当してくれた理学療法士の先生も、ちょくちょく笑わせに来てくれた薬剤師くんも、大人げなく泣いてるJAMをなぐさめてくれた看護師さんも、入院中に仲良しになった患者さんも、みんな良い方ばっかり。辛い闘病生活の中で、どれだけ励みになったことか。本当に本当に、これは感謝すべき事です。皆さんのおかげで、今のJAMがあります。本当にどうもありがとうございました。そして、今現在椎間板ヘルニアで闘病生活を送っている皆様へ。大変辛い状況が続いている方が多いと思います。手術を受けようか、温存しようか…。悩みますよね。身に沁みてお気持ちがわかります。JAMは結局手術を2回も受けることになってしまいましたが、椎間板ヘルニアに対して、万人に手術を受けることを勧めるような立場は取っていません。椎間板ヘルニアは、手術を受けなくても治る可能性のある病気です。あくまで主治医の先生とのご相談の上で、ご自分で判断されて決める事をオススメします。よく、「椎間板ヘルニアは手術しないで治ります!」みたいな本、売ってるじゃないですか。結局ああいう本をJAMは買わなかったんですけど、ちょっと興味はあるんですよね…。JAMの場合は今現在、まだ足の痺れが残っています。ヘルニアで傷ついた神経はそう簡単には元に戻らないようで…。落ちてしまった足の筋力も、まだ完全には元に戻っていません。特に左膝の関節付近は影響が強く残っています。長距離を歩くには、まだ杖が必要な状況です。しかし、もう社会復帰は出来ました。現在バリバリお仕事中です。…人生何とかなるもんだなぁ(^^;手術を受けなければ、今頃もっと酷い状況になっていたのではないか…。そう考えると、JAMの場合、「手術」という選択肢は間違っていなかったのかな、と考えます。それでは、終了まで非常になが~~~~~~くなってしまいましたが、『悶絶!腰椎椎間板ヘルニア闘病記』これにて終了です。皆様、お付き合いありがとうございましたm(_ _)m
2008.01.14
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9月22日。いよいよ再手術の日です。前日夜から禁食で、朝からは水分も取らずに点滴のみ。前回の手術の時よりかちょっと空腹を感じました。2回目だし、少し気分的に余裕があったのかな…?手術は14時からと聞いていましたが、実際手術室に入ったのは15時近くになってからでした。ストレッチャーで手術室に入ると、手術室にはニコ大先生と銀ブチ先生とキノシタ医師の姿。普通手術は医師2人でするようなんですが、今回のJAMの場合は3人体制になったようです。なんだか大がかりな事になっちゃったな…。3人のメンツを見て、逆にちょっと不安になったJAM。そこへニコ大先生が近寄ってきて「大丈夫?」と声をかけてきてくれましたが、JAMは「はぁ。」とあいまいな返事しかできませんでした(^^;そしてふと目に入ったキノシタ医師の姿。すっかり手術着に身を包んで、手袋をした手をニギニギとしていたキノシタ医師。その姿を見て、ふと思いました。なんか…キノシタ医師…。ちょっとうれしそうじゃね?あきらかにワクワクしているように見えたのです。ま、まあ、医者ってそういうヒト多いみたいですけど。JAMが昔働いてた病院の外科医はよく、「ああ~。オペしてぇ~!」って、ヒマになっては事務所に下りてきて言ってましたしね(^^;前回の麻酔科医と今回の麻酔科医は違う先生だったので、麻酔のかけ方も全然違いました。今回はいきなり筋注とかされたので、正直痛かったです。麻酔のかけ方まで、先生によって全然違うんですね~。今回の手術の場合は、なんだかよくわからないうちに眠くなって、そのまま落ちた。って感じです(^^;そして…。「痛い~。」あれ。「痛い~。痛いよ~」誰か“痛い”って言ってる。「痛い~。痛い~。痛いぃぃぃ~」あれ…もしかして…痛いって言ってるの、自分!?そうなのです。JAMは、自分で「痛い」と言っている声で意識が戻ったのでした。手術室で一度目が覚めているはずなんですけど、今回の手術ではその辺の記憶がすっぽり抜け落ちていました。何処が痛いって、背中の手術の傷が痛い。痛い、痛いと唸っているうちに、ベットまわりにJAM父母と姉がいるのがなんとなく気配でわかりました。そしてそこへ銀ブチ先生が来た気配も。銀ブチ先生とJAM父母が話しているようでした。銀:「…長い間痛い思いをさせちゃいましたけど、無事に終わりました。問題なければあと2~3週間で退院…」そんな声が聞こえてきました。それを聞いてJAMはおぼろげに「あと2週間ならいいけど、3週間はイヤだな…」と考えていました。でも、口から出るのは「痛い」の一言だけなんですが。JAMは麻酔の影響か、ほとんどこの時目を開ける事ができませんでしたが、銀ブチ先生がベットのすぐ側まで来る気配を感じました。銀:「JAMさん、ごっそりヘルニアとれたよ~」銀ブチ先生が耳元でそう話しかけてくれました。JAMは必死で、一番気になっていたことを問いかけました。J:「骨は…?削ったの…?」ニコ大先生のムンテラの時に、「なるべく骨は削らないようにするけど…」と言っていたのがすごく気になっていたのです。背骨を削れば、多少なりとも今後腰痛等で影響が出てくるはず…。銀:「削ってません。極めて安全にヘルニアだけ取れました。」銀ブチ先生の口からそれを聞いて、心底安心したJAMは「あ…ありがとうございます…」と言ったあと、すぐまた眠ってしまいました。今回の手術の後の痛みの取れ具合は、本当に「劇的」と言っていいほどでした。前回の手術のあと、JAMは痛み止めの注射も座薬もガンガン使っていましたが、今回はほとんど数えるほどしか使わないうちに、症状が安定。痛み止めの飲み薬だけで、手術後の痛みのコントロールをすることができました。しかし、痛みより酷かったのが倦怠感。9月24日(携帯日記より)『全身倦怠感でだるい。寝ているだけで体力が消耗していくよう。全身の機能が傷の回復のために使われているみたい。』『看護師さんが採取したヘルニアを持ってきてくれた。前回の時と全然違う…幼虫みたいな形のヘルニア。でも今回粘ってほんとによかった。あのまま素直に言うこと聞いていたら私の背中には今頃がっちり金属がハマっていたはず。セカンドオピニオンってほんと大事なんだ…。』術後2日間は寝たきり状態でしたが、看護師さんも驚くようなスプーンさばきで寝たままご飯をモリモリ食べ、「さすが2回目だけあって、ものすごく上手にご飯食べるわね」と変なホメられ方をされつつ、手術後3日目になりいよいよコルセットをつけて離床することに。まだまともに歩けないので、車椅子に乗ってリハビリ室へ行きました。そして、車椅子に乗ったまま、足の膝から先を伸ばしてみると…ぶるぶるぶるぶるぶるぶる。びっくりする位震える足。もう、JAMの足の筋力はかなりのところまで落ちていたのです。そして一番影響があったのが、ヘルニアの痛みで伸ばせなかった左膝。手術でヘルニアの痛みが取れても、左膝は今まで伸ばせなかった分関節が固まってしまって、意識的に膝を伸ばそうと思わないと伸びない状態に。これがちょっと辛かったです。そしてこのあと、手術後初の銀ブチ先生の回診がありました。JAM、すっかり銀ブチ先生にラブラブです♪(笑)。
2008.01.13
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銀ブチ先生と話をした後。今度はニコ大先生のムンテラがあるとのことで、外来の整形外科の診察室へ行きました。JAMはもうあんまりニコ大先生が信用できていなかったんですけど、あくまでJAMの正式な主治医は銀ブチ先生ではなくニコ大先生。次回の手術だって執刀医はキノシタ医師であってニコ大先生じゃないんですけど。ちゃんとした説明はニコ大先生から、とのことで。ニ:「別にイジワル言ってるわけじゃないんだけど、プレート固定嫌なんでしょ?」J:「はい、すみません…。」ニ:「う~ん。なるべく手術では骨を削らないようにするけど、場合によっては少し削るかもしれない。プレート固定しない代わりに、術後のリハビリがんばらないとね。」J:「…はい、わかりました。」ニ:「あと手術の後、ベット安静の期間が前の手術のあとよりも長くなるから。あなた背が高いでしょう?(JAMは170cm近くあります)普通の人より背中の筋肉が発達してるから、切り込む範囲が大きいと影響が出やすいので。トイレくらいには行かせてあげたいけどね。」術後、しばらく寝たきりか…。ムンテラを受けた後、ちょっと鬱な感じで部屋に戻ると、また現れた銀ブチ先生。銀:「ニコ大先生の説明、納得できました?」J:「はぁ。ただあの、今回の手術のあとは安静期間を長く取るからって…。寝たきりの期間、長くなるんですよね?」銀:「ああ、それならコルセット作ればいいじゃないですか。固定すれば動けますから。」またしても、JAMの問題一発解決。銀:「コルセットの件は僕からキノシタ医師に相談してみますから。」ニコ大先生はコルセットの“コ”の字も出してこなかったのに。この時銀ブチ先生に相談しなかったら、JAMはほんとにバカ正直に術後しばらく寝たきりになるところでした。本当に、お医者さんによっていろいろ違ってくるんですね~。その後何日間かでコルセットの採寸をして、術前検査を受け、あっという間に手術前日の9月21日のこと。回診時に、銀ブチ先生が来ました。そして開口一番、銀:「JAMさん、ちゃんとご飯食べてますか?」と聞いてきたんです。…は?意味のわからないJAM。JAMは昔、歯科矯正のため健康な歯を4本抜いた事があるのですが、その時に歯医者の先生に「抜歯後の傷を早く治したかったら、栄養のあるものをたくさん食べてください」と言われた事がありました。なので、今回の病気でも1回目の術後から積極的にご飯を食べていたし、痛みに耐えるのにも体力が要りますから、「食べなきゃ体力も落ちる…」と思って、無理矢理でも病院から出されたご飯は全部完食するように心がけていたんです。なのに何故、そんなことを言われるのかと思ったら。銀:「術前の血液検査の結果が出たんですけど、電解質と総タンパクの数値がお年寄りレベルなんです。」J:「へっ!?」銀:「ちゃんと食事取れてますか?」J:「足痛くても、ちゃんと食べなきゃ衰弱しちゃうと思って意地になって食べてたんですけど…」銀:「そうですか。まあ手術できないほどではないんですけど。足の痛いのが取れて精神状態が良くなれば、血液検査の数値も良くなるかもしれないのでね。じゃ、明日がんばりましょう。」そう言って、銀ブチ先生は去って行きましたが。病院のご飯、毎日しっかり完食してたのに…。JAM、入院中に栄養失調になったようです。笑えないようで大笑いした、本当の話。栄養士さんよ、しっかりしておくれ(^^;
2008.01.07
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今年もどうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m
2008.01.01
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10月から突然復活いたしましたこのブログ。皆さん、見に来てくださって本当にありがとうございました。休止したり再開したりの繰り返しなのに、いつも気にかけてくださる方がいらっしゃって、本当にありがたいことだと思っております。10月のブログ再開からずっと続けておりました『悶絶!腰椎椎間板ヘルニア闘病記』ですが、年内で終わらせる予定だったんですけど、…書きたい事がありすぎて、無理でした(^^;実は、再手術が決まったあともちょっと色々ありまして。あと2~3回書いたら終わるかな?って感じです。来年になると、私も仕事が始まってしまうので、ブログを更新するペースがまたとんでもなく遅くなってしまう可能性があるのですが(^^;;;マイペースで更新の予定ですので、皆さまもしお時間が有りましたらお立ち寄りいただけるとうれしいです。それでは、今年も一年大変お世話になりました。JAM&キウイのへっぽこコンビを、来年もどうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m
2007.12.31
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キノシタ医師の言葉に、JAM驚愕。J:「ほんとですか!?固定しなくても大丈夫なんですか!?」キ:「ヘルニアは自然に治癒するのを待つ方法もあるんですが、JAMさんの場合は手術を適用した方が良いですね。ですが、固定術をするほどでは無いと思います。ヘルニアを取るだけで大丈夫だと僕は思うんですが…。」J:「えええ!じゃあ先生が手術してくれれば…(←すがりつきそう)」キ:「ただ、僕の判断だけでは決められないので、主治医のニコ大先生と相談してみますね。」そう言って、キノシタ医師は退室していきました。一気に雲が晴れていくような心境です。やった!やった!うれしいよ~~~~!でも、一つだけ気になる事が。キノシタ医師って、一体何者なの…?本人は自己紹介で「整形外科のキノシタです」としか言わなかったので、JAMはキノシタ医師の素性を全く知らなかったのです。そこで、通りすがりの職員さんに尋ねてみると。「キノシタ医師?…ああ、(脊髄外来は超有名な)K大学病院の先生ですよ。月に1回だけここの病院に来てるんです。」まーじーでー!!!!その大学病院は、診察受けるには紹介状が無くちゃダメで、しかも診察受けるまでに待ち時間が3~4時間かかって、手術枠が常にいっぱいだからなかなか手術も受けられないっていう、とんでもなく有名な病院だったのです。JAMもそこの病院は診察を受けてみたいなと思ったのですが、場所は遠いし、行けるわけが無いと思っていました。神様。ありがとう(T_T)そしてその後、銀ブチ先生に会ったのでJ:「先生!さっきキノシタ医師がねっ!固定術やらなくても大丈夫だって言ってた!」と興奮してまくしたてた所、銀:「そうみたいですね。来週の火曜日に今後の方針を決めますので、長い間苦しい思いをさせちゃってますけど、もう少し待ってくださいね」と言われました。いつもの通りいたって冷静。でもニコ大先生なんかよりよっぽどあたたかみのある言葉をくれます。そのあと受けたリハビリの時に、理学療法士の先生から聞いて泣きそうになりました。「JAMさん、よかったね~。キノシタ医師にJAMさんの話を持っていってくれたの、銀ブチ先生なんだよ」どうやら銀ブチ先生は、ニコ大先生の手術方針に対して元々あまり納得していなかった様子で、JAMの手術の相談を改めて脊髄専門医であるキノシタ医師にしていたそうなのです。だからあの時。JAMがニコ大先生の手術方針を聞いて「絶対嫌だ」って言ったとき。銀ブチ先生は説得もせずあっさり引き下がったんだ…。もう、銀ブチ先生には感謝感謝。土下座してお礼を言いたいくらいでした。そして9月18日火曜日。JAMの手術方針が決まる日。午後、銀ブチ先生が部屋にやってきました。銀:「固定手術がどうしても嫌ということなら、ヘルニアを取るだけの手術にしようということになりました。特殊な手術になるので、経験のあるK大学病院のキノシタ医師に手術をお願いします。」J:「ありがとうございます~~~~~~~!!!(泣)」しかしJAMは、一つ不安に思っていた事があります。ニコ大先生に、チクリと言われていたんです。J:「でも銀ブチ先生、ニコ大先生に“固定手術をしないと、将来腰痛が出る可能性がある”って言われていたんですけど…」銀:「それは腰痛が出てから考えれば良い事であって、40歳~50歳ならまだしも、まだこの若さで固定手術はやりすぎだろうと思います。」ビシッと。ハッキリ言ってくれた銀ブチ先生の言葉に、JAMは心底安心しました。J:「よろしくお願いします。」JAMの再手術は、9月22日に決定しました。
2007.12.29
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銀ブチ先生の話を聞いて、JAMはその場で再手術を拒否しました。日本人の平均寿命から考えると、JAMはあと50数年以上は生きなくちゃならんのです。これからあと50数年、背骨に金属をはめたまま過ごすのは…。背骨に明らかな異常があって金属固定しなくちゃいけないならまだ話はわかります。でも、JAMの背骨は全く異常が無いのです。ヘルニアが出ちゃってるだけなんです。それを取り除くために、腰骨の一部まで切り取らなきゃいけない大事になるなんて…。椎間板ヘルニアは、手術しないでも温存療法で治る可能性も有ります。そんな手術を受けなきゃいけないくらいなら、痛くて辛くてしょうがないけど、手術を受けずに神経根ブロックで痛みを緩和して、様子をみていこう。ただのヘルニアを取るだけの手術なら受けたいけど、固定手術受けなきゃいけないくらいなら、退院する。その位の勢いで、JAMは手術を拒否しました。しかし銀ブチ先生は、そんなJAMに対して何と言ったのかというと。銀:「…そうですか。わかりました。」と、あっさり引き下がったのです。あ…あれっ?(^^;ビックリしたのはJAMの方でした。元々、JAMは再手術には乗り気ではなく、そんなJAMに手術を強力に勧めたのは銀ブチ先生だったのです。以前、手術するかしないかでJAMが揺れていたとき、銀:「どうしてそんなに手術を受けるのが嫌なんですか!?」と銀ブチ先生に言われた事があったんです。その時もJAMはかなり抵抗したんですが。J:「だって前の手術だってやったら治ると思ってたのに治らなかったんだから、今度また手術受けたって治らないかもしれないじゃないですか~!(←半泣き)」銀:「今度は原因がハッキリしているんです。次手術したら絶対に良くなりますから!」J:「でもぉぉぉぉ~(←全泣き)」銀:「今以上の回復がしたいなら手術は受けるべきです!」と、かなり説得されたのです。しかし、今日になって実際の手術方法を聞かされて、「絶対嫌だ」と言ったJAMに対して、銀ブチ先生は全く説得はしませんでした。この温度差は何?と不思議に思いましたが。その理由はかなり後になってわかりました。9月15日。再手術の話が出てから2日後、朝になってニコ大先生が来ました。ニ:「JAMさん、再手術受けるの嫌なんだって?」J:「すみません。…固定するのも嫌だし、腰骨の一部を取るっていうのも…。」と、怯えたJAMに言ったニコ大先生の一言が、はっきり言って、キョーレツでした。ニ:「大丈夫だよ。腰骨なんて今まで何回も取ってるから♪」…え。ちょ、ちょっと待って。そういう問題じゃないでしょう?JAMは、手術を受けること自体は了解してるんです。ただ腰骨を取ったり、背骨を金属で固定したりする方法が嫌なんです。そんな、手術方法を不安がってる患者に対して、「腰骨なんて何回もとってるから大丈夫」って、なんて的外れな回答を…。この瞬間、JAMのニコ大先生に対する信頼は、完全に崩れ去りました。午後になってから、JAMは週2回の入浴日だったので、お風呂場の前で濡れた髪の毛を乾かしていました。と、そこへ看護師さんが。看:「JAMさん、これから整形外科のT先生がJAMさんのこと見てくださるって言うから、髪の毛乾かしたらお部屋まですぐ戻ってくれる?」J:「T先生?…T先生って、誰ですか?」1ヶ月以上入院していて、初めて聞く名前でした。とりあえず髪の毛を乾かして部屋に戻ったところ、T先生がやってきました。T先生は痩せ型で背もそれほど高くなく、風貌はジャガー横田の旦那風。(というわけで、T先生は以下“キノシタ医師”とします)キ:「初めまして。整形外科のキノシタと言います。それでは、さっそく診察させてもらいたいんですけれど…」キノシタ医師はとてもやさしそうな語り口の先生でした。JAMに今までの痛みの経緯を聞いたあと、体の動きを調べる検査などをしました。そこでJAMはちょっと聞いてみることに。J:「あの…。ニコ大先生には、“手術するなら腰骨を取ってチタンプレートで固定する”って言われたんですけど…」JAMの恐る恐るの質問に、キノシタ医師は意外な答えを返しました。キ:「いや、僕はそこまでする必要は無いと思います。」き…救世主キタ━━━━━━( ゜∀゜)━━━━━━!!!!
2007.12.27
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メリークリスマス♪久々にキウイの写真を載せてみました。キウイはクリスマスプレゼントに卵の黄身を貰って、とても美味しそうに食べてました。今年のプレゼントはJAMの懐具合がさみしいので(^^;とっても安上がりになってしまいましたが、キウイはトナカイさんを貰うよりはよっぽどうれしそうな顔をしていたので、まあ良しとします。 (↑気になる方はクリックプリーズ♪)実はつい最近まで、JAMのパソコンはぶっ壊れておりまして。(なので最近のブログは全部人様のパソコン使って書いておりました(^^;)PCボックスを開いてあれやこれや試してみたんですが、もうJAMの手には負えないような壊れ方でした。しかたないので泣く泣く修理に出して、パソコンメーカーの冷徹サポセン嬢に「おそらくマザーボード交換になりますので、5万4千円かかりますね」と、さらりとのたまわれ。今の時期に5万はキツイがしかたない…。としょぼくれていたJAM。しかし、その後かかってきた修理センターからの電話で状況一変。「無償修理の対象になります。」とのこと。え?なんで?あのパソコン、もう買ってから4年3ヶ月も経ってるのに…?何故無償修理になるのか修理センターのお姉さんに尋ねてみたのですが、どうもハッキリ言ってくれない。なんかあやしい。隠されると余計に調べたくなる根性悪のJAMは(笑)、ネットでJAMのパソコンの型番をサーチ!したらばですね。どうやらJAMの使用していたパソコンのシリーズは、マザーボード不良多発でずいぶん前から無償交換していたようなのです。でもリコールはしてないの。…おかしくね?と思いましたが。まあ4年3ヶ月もパソコン使っておいて、今になって無料で新品のマザーボードに交換してもらえたわけですから、考えようによっちゃとってもラッキー。HDDさえしっかり持ってくれれば、あと4年はこのパソコン使えそうだし^^シングルベルJAMに、パソコンの神様がクリスマスプレゼントをくれたようです。
2007.12.25
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悶絶のディスコグラフィーを終え、検査室から入院部屋まで戻ることになったJAM。立ち上がることなんでできるわけが無いので、ストレッチャーで移動していました。しかし、1階の検査室から3階の入院部屋まで戻る最中のエレベーターの中で、自分の体の異変に気づきました。お…お尻が痛い…。左臀部が痛いのです。元々椎間板ヘルニアのせいで痛んではいたのですが、それにしても痛い。時間がたつにつれてどんどん痛みが増していきます。だんだん自分の口から出てくる唸り声。理性で止めたいと思うのですが、それ以上の痛みが襲ってくるため、我慢ができません。さらに痛みが強くなり、自分の入院部屋に戻ってくるころには、もう泣き叫ぶような状態になっていました。6人部屋の中心で痛みを叫ぶJAM。…今から考えてみると、なんてハタ迷惑な奴なんでしょう(^^;でもあの当時は本当に耐えられなくて、まわりにほかの入院患者さんがいるのがわかっているのに「いだいー!いだいよー!いだいー!」と、ひたすら泣き叫んでいました。あまりに異常な痛さだったので、銀ブチ先生が痛み止めの注射を持って来ました。銀:「圧迫する位置が変わったんですかね…。いつもの痛み止めの注射より強いものにしてありますから」と、ヒーヒー痛がるJAMに注射を打って退出。痛み止めの注射はある種麻薬みたいな作用があるので、あっという間にフワフワとした感覚に陥りおだやかに眠くなります。痛み止めの注射は筋肉注射だから痛いけど、結構打つと気持ちがいいんですよね。あれ、ハマっちゃう人がいるらしいけど、なんとなくわかる気がするな(^^;;;ディスコを受けた日は、この痛み止めの注射のおかげで痛みがやわらいで過ごすことができましたが、翌日から地獄でした。9月12日(携帯日記より)『朝から熱が下がらない。左尻が一番痛い。左膝も痛い。でもこれヘルニアの痛みとは違う気がするんだけど気のせい?体の中が晴れ上がっているような気がする』9月13日(携帯日記より)『昨日の夜から今朝にかけて左膝と左尻の痛みが酷い。特にディスコ後の左尻の痛さったら尋常じゃない。寝る前の座薬だけではあまりに耐えられず深夜2時に筋肉注射。しかし明け方には痛くなってしまった。もう痛いのはイヤだ…。逃げたい…。』なんでディスコを受けた後にこんなに病状が悪化していくのか。JAMはよくわかりませんでした。しかし、この日のマッチョ先生の回診で、その疑問は解けたのです。マ:「JAMさん、この痛さはディスコの影響が強いだろうね」J:「え…。あの…この状態っていつごろまで続くんですか?」マ:「残念ながら、人によって違うんだよね。」…ガーン。もうほんとに痛いんです。耐えられないほどに。どうしても我慢できなかったので、胃の調子が悪くて中止していた痛み止めの飲み薬を、先生に懇願して再開してもらいました。痛み止めの筋肉注射は依存性があるため、普通2日に1回ペースでの使用だそうなのですが、JAMがあまりに痛がるので、JAMの場合は1日1回まで使用の許可が先生から出ました。それでも痛みが解消できない。ディスコグラフィーを受けた後、こんなに自分が苦しむことになるとは思いませんでした。午後になって銀ブチ先生が来ました。銀:「JAMさん、手術の予定なんですけど」J:「はい…。いつやるんでしょうか」銀:「手術の枠は9月29日に取ってあるんですけど。その手術方法なんですが…」J:「手術方法?前と同じじゃないんですか?」銀:「そうなんです。外側ヘルニアなので…。ニコ大先生の説明だと、 背骨を削ってヘルニアを切除し、腰骨から一部切り取った骨を背骨の削った部分に移植して、その場所をチタンプレートで固定する という事なんですが…」は?背骨を削る?腰骨を切り取る?骨の移植?チタンプレートで固定?…。絶対イヤぁぁぁ~!!
2007.12.22
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9月11日。いよいよ本日ディスコグラフィーです。ディスコグラフィーは午後からだったので、お昼から禁食となりました。そして検査前に点滴開始となるわけですが…。JAM、ほんとに血管が腕から見えないタイプなんです(T_T)点滴の針を入れるのに、最初来たのは主任さん。しかし失敗してJAMの腕は青く腫れ上がり…。「ごめんなさいね、バトンタッチするね」と、次に来たのは師長さん。そして師長さんも失敗して「ごめんなさいね、バトンタッチするね」と、次に別の看護師さん登場。その看護師さんに針を刺される直前に「銀ブチ先生、針入れに来てくれるって!」ということになり。点滴の針を入れるのに、ドクターまで登場される始末(^^;銀ブチ先生は、さすがに1発で入れてくれました。(ただし腕を圧迫しすぎてベットのシーツに大流血…。でも銀ブチ先生はなんだかんだ言ってここぞという時にJAMを助けてくれます。ありがたや。)JAMの血管、かなり看護師さん泣かせだったようです。痛い検査だってわかっているのに、検査前から点滴の針で痛い目見てテンションガタ下がり↓。なので、検査前に様子を見に来てくれたイケメン薬剤師のつばめちゃんに愚痴って、若干ストレス解消しました(笑)。やっぱりいいね~イケメンは。イケメンは世界を救うね。(←え)さて。ここからディスコグラフィーの様子を書くわけですが。あらかじめお伝えしておきたいことがあります。・ディスコグラフィーの痛みの感じ方は非常に個人差があるようです。「ほとんど痛くなかった」と言う方もいらっしゃいます。JAMの体感した事がすべてではありませんのでご注意ください。・もし、「これからディスコグラフィーを受ける予定のある方」がこれを読まれるようでしたら、 余計な先入観を与える可能性があります。読まないほうがいいです。以上、ご参考までに。それではディスコグラフィー体験記、スタートです。ディスコグラフィーはレントゲン透視下で行われるため、JAMは検査室へと移動になりました。検査室へ行くと、すでに銀ブチ先生が準備万端でスタンバイ。ディスコグラフィーをやると言ったのはニコ大先生でしたが、検査をするのは銀ブチ先生。JAMはそのほうが大変安心でしたが、「ニコ大先生ってほんと“言うばっかり”だよな…」と思いました。銀:「それでは検査台の上に、体の右側を上にして横になってください」点滴をしたまま、のろのろと検査台の上に右側を上にして横になりました。着ていた服の背中をめくられて、かなりの広範囲に消毒液を塗布。この時点で、JAMは恐怖と寒さで歯がガチガチと鳴り出しました。(夏だったので、室内のエアコンもガンガンでした)思わず「寒い・・・」とつぶやくと、それに銀ブチ先生がすぐ気づいて銀:「エアコン止めて。」と指示してくれていました。ううう、ありがとう銀ブチ先生(T_T)銀ブチ先生は何度かレントゲンで背骨の位置を確かめたあと、右腹に局所麻酔をかけました。針を刺された瞬間はチクッとしましたが、だんだん痛くなくなっていきます。JAMのヘルニアは背骨から向かって左方向に出ていました。なので、造影剤は右の脇腹後方から針を刺して左側に向けて流すようにします。そこですらりと登場したのが、長さ50cm位の針。その針を、右脇腹後方から背骨に向かって刺していき、椎間板まで到達させたあと、その針から造影剤を注入していくのです。まさに生きたまま串刺し状態になるわけで…。これが怖くないわけがない。JAMが針の痛みで動いてしまう可能性があるため、看護師さん2人がJAMの腕と足をさりげな~く押さえに来ました。局所麻酔をかけられていますが、局所麻酔なんて体の奥まで効くはずもなく。ある地点まで針が到達すると、とたんに痛みが出てきました。もう唸って我慢するしかありません。すでに滝のような涙と鼻水。手足は恐怖でガクガク震えっぱなしです。そしてようやく椎間板に針の先端が到達。その時点でレントゲンを1枚撮影。しかしその後、耳を疑うような指示が。銀:「JAMさんすいません。今、体を横から撮影できるレントゲンの装置が手術室に行っていて無いんです。このまま体をうつぶせにしてもらえますか」今、体は横向きの状態。50センチくらいの針が脇腹から体の中身に刺さったまま。そこから…うつ伏せになれと…?できるわけないでしょうがっ!と、普段のJAMだったらキレたでしょうが、もう恐慌状態に陥っていてそれどころではありません。恐怖で体を動かしたくても動かせないのです。そのため、JAMは看護婦さんと銀ブチ先生の3人がかりで、背中に針が刺さったままうつ伏せにひっくり返されレントゲンを1枚撮影し、また横向きに戻されました。そして、銀:「じゃ、造影剤入れますよ」う…うう…うぎゃあああああああああああああ~(↑このHTMLタグ3回目の登場です・笑)痛い!これは痛い!体に造影剤が入っていくたびに激痛が走ります。神経根ブロックの痛みがずっと続いているような状態です。「いだいいだいいだいいだいいだいいだい~~~~」もう痛みで何がなんだかわかりません。気が付いたら、ただひたすら「痛い」を繰り返して言っているだけでした。造影剤がすべて入った後またレントゲン撮影をされ(もちろんうつ伏せもね)、その後ようやく針を抜かれました。もうやだ。死にたい。終わった瞬間、思ったことはそれだけでした。こんな痛みを味わうくらいならもういっそのこと…。JAMにとってはそれくらい、ディスコグラフィーは辛かったです。針を抜かれたJAMは、ヘロヘロになりながらストレッチャーに移され、そのままCT撮影にまわされました。しかし、もう何をされても「もうどうにでもして~」って感じでした。悶絶のディスコグラフィーが大騒ぎしながらこうして終了。ただ、JAMはひとつ知らされていなかった事がありました。ディスコグラフィーには、副作用があるのです。
2007.12.20
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8月30日。午後になって銀ブチ先生が来ました。そしていきなりの宣告。銀:「JAMさん、あまり調子良くないんですよね」J:「はい…。」銀:「主治医はあくまでニコ大先生なので、僕の考えになるのですが…」銀ブチ先生はそう前置きして言いました。銀:「左膝の違和感、なかなか取れないのであれば、もう再手術を受けるしかないと思います」ここで初めて再手術の宣告をされました。そしてJAM、年甲斐も無く泣きました。号泣です。理学療法士の先生が来ても、親が来ても、看護婦さんが来ても、ずーっとずーっと泣き通しでした。再手術宣告のおかげで、もう長期入院でたまりにたまったストレスはピークになり。キタナイ話ですが、夜になって、トイレに駆け込み嘔吐しました。この日からずっと吐き気に悩まされつづけました。痛み止めの薬を飲みすぎて、胃をやられていたのも一因のようでした。8月31日から9月7日まで、ニコ大先生と銀ブチ先生とマッチョ先生の間で、JAMが手術を受けたほうが良いのか悪いのか、何度か話し合いが持たれたようです。その間はJAMはひたすら安静。あと、気休めに銀ブチ先生に仙骨ブロックを打ってもらったりしましたが、1日位しか持ちませんでした。JAMのヘルニアは第3腰椎と第4腰椎の間。仙骨からブロック注射を打っても、薬液が届きにくいのも一因だったようです。(でも銀ブチ先生の仙骨ブロックはあんまり痛くなかった。やっぱりニコ大先生ってブロック注射ヘタなんだなぁ…。)そして、第二に重大な宣告をされたのが9月8日。部屋に突然ニコ大先生がやってきました。ニ:「JAMさん、仙骨ブロックもあまり効かなかったみたいだね」J:「そうなんです。」ニコ大先生は、そこでさらりと言いました。ニ:「ディスコグラフィーって検査があるんだけど、やってみようか。」…え?…え?え?ちょ、ちょっと待って。ディスコグラフィーってさ。J:「あの検査ってものすごく痛いんですよねっ!?」おもわずニコ大先生に詰め寄るJAM。ディスコグラフィーというのは、造影剤を使用する検査。椎間板に直接針を刺して造影剤を注入し、ヘルニアを膨らませてCT撮影をし、ヘルニアの場所や大きさを特定する検査です。…ぶっちゃけ、痛くて有名な検査です。ニ:「神経根ブロックよりは痛くないよ。検査の時間だって15分位だし」J:「15分ずっと痛いんですか?」ニ:「いや、そんなことないよ。造影剤入れるだけだからさ」前から薄々思ってました。ニコ大先生は、ものすごく重要なことでも軽く言うのです。きっと、痛い検査も「たいしたことないよ~」って言い方するはずです。J:「や…、やりたくないですぅぅぅ~(泣きそうになるJAM)」ニ:「大丈夫大丈夫!来週の火曜日にできるように、銀ブチ先生と相談してみるからね。じゃ。」泣きそうになったJAMを見て、さっさと退散してしまったニコ大先生。たぶん、ニコ大先生はJAMがディスコグラフィーがどんな検査か知らないと思って軽~く提案したんだと思いますが。大概の検査はわかるんだよ、だって昔病院で働いてたんだもん(T_T)しかし、どうしてもディスコグラフィーをやりたくなかったJAMは、そのあとやってきた銀ブチ先生にすがりつきました。J:「どうしてもディスコやらなきゃダメですか?MRIでなんとかならないんですか?」銀:「ディスコの必要性は僕にはわからないんです。ただ外側ヘルニアにもいろいろ種類があるから、ニコ大先生はそれを造影剤で確認したいそうなんで。」J:「ディスコやったら、もしかして結果次第では手術しなくても大丈夫になる可能性っていうのは…」銀:「いや、ディスコは手術前提の検査ですから。」J:「あ、そうなんですか…(かなり打ちひしがれるJAM)。」銀:「たまになんですけど、ディスコグラフィーを受けたことによって、ヘルニアの圧迫が取れて症状が緩和する人もいるんです。それを期待してみましょう」銀ブチ先生になだめすかされて。結局JAMはディスコグラフィーを受けることになりました。検査日は9月11日。JAMの人生史上、最大の悶絶がやってきました。
2007.12.17
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明日から10日弱ほど所用で自宅を離れますので、またちょっとブログ更新が滞ります(^^;帰ってきたらまたがんばります♪
2007.12.05
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8月27日。初の外泊許可をもらって自宅に帰り、3日目を迎えました。本日予定された帰宅日です。しかし、職場がどうしてもいかんともしがたい状況だったので、(実は入院中もガンガン職場から仕事の問い合わせ電話がかかってきていたのです)病院に戻る前に、給料出ないのに、杖つきながら、1時間だけですけど、仕事してきました。まあ仕方ない。。。1時間で、さささ~っとモロモロの説明と仕事の引継ぎをお願いし、帰宅。実はJAM、入院する数ヶ月前から上司には言っていたのです。「私しか知らない仕事が多すぎるので、もし私に万が一の事があったらどうするんですか?」と。万が一のことなんて起こるはず無い、って実は思ってたんですけどね(^^;あまりに一点集中で仕事を背負い込んでいたので、そんなことを愚痴っていたのでした。まさか…現実になるとはね…。人生ってわからんもんさね…。ははは…。8月28日。実は昨日の夕方から左膝のあたりがヒリヒリとしていたJAM。この日はニコ大先生が来ていたのでその話をすると、ニ:「仙骨ブロックしましょう」とのお返事。しかも「神経根ブロック注射って、神経に直接針を刺すリスクがあるからね。僕はあまりオススメしないんだよね~」だって。いや、ニコ大先生の場合。別の意味でオススメしてないだけでしょう。あんなたどたどしい、しかも薬液が飛び散るようなブロックの打ち方しかできないんじゃ、そりゃおすすめもしないわな…。と思わず言いたくなりましたが、やめておきました。ぶっすりと。すげー痛い仙骨ブロック注射をニコ大先生に打たれた後、すこーしばかり症状が改善したJAM。膝の痛みが若干和らぎました。そしてその後、銀ブチ先生の回診。銀:「どうですか?調子の方は。ニコ大先生にこのあいだ神経根ブロック打ってもらったんですよね?」J:「…もうあの注射は2度とイヤです。」銀:「え?どうしてですか?」ここでJAM、思い切って言ってしまいました。J:「だってヘビの生殺しみたいなんですもん!一瞬で済む銀ブチ先生のブロックの方がいいです!もうニコ大先生のブロック注射は受けたくないです~~~~~!」その瞬間。くくく。銀ブチ眼鏡の向こう側が、ちょっぴり緩みました。あ、笑った。…今、銀ブチ先生笑った。すげえ貴重!めったに感情を表に出さない先生なので、こんな事でJAMはひそかに喜んでしまいました(笑)。銀ブチ先生は「じゃあ、次の機会があったら僕がやるようにしますから」と言ってくれて一安心。しかし、銀ブチ先生は話しながらJAMの状態を見ていたようで、すぐにあることを指摘されました。銀:「ところでJAMさん。その足。」J:「はい?」銀:「左足の大腿とと右足の大腿、ずいぶん太さが違ってきてますね」え。相変わらず、さらりとショッキングなことを言う銀ブチ先生。そこで初めて、JAMは自分の足の太さの差を意識しました。比べてみると、右足と左足の太さが全然違う。そうです。寝たきり生活も長くなり、痛みが引かないのでリハビリも思うように進まず、JAMの左足は、明らかに筋力低下を起こしていたのでした。これが進むとさらに歩きづらくなります。でも、指摘されるまで気づかなかった…。銀:「リハビリにもっと筋力トレーニングを取り入れるように伝えておきます」そう言って、銀ブチ先生は退室していきました。その後、久しぶりにJAMの初診を見てくれたマッチョ先生が回診できてくれたり、担当薬剤師くんが来てくれたり(←ちなみに若くてピチピチのイケメン男子・笑)。JAMは結構な問題児だったらしく(病気の面でね)、普通、入院患者1人には1人の先生しかかかわらないのですが、JAMの所には、毎日のように先生がとっかえひっかえやってきました。ニコ大先生に銀ブチ先生にマッチョ先生におまけで大学病院の研修医まで。皆さん、JAMの病気をなんとかしようと考えてくれている。それはすごくよくわかって、ありがたかったです。ですが、そんなに何人もの先生に診てもらわなければならないほど、自分の病気が難しいものだということがひしひしと感じられ、不安になることも多かった…。複雑な心境です。8月29日(携帯日記より)『仙骨ブロックの効果は微妙。左尻の異常な痛さで目が覚めて眠れない。深夜に痛み止めの座薬をもらう。かなり強くて嫌な痛み方だった。朝まで鈍く痛む。』『ブロック注射を打って良くなっていたはずの左ひざ裏が突っ張り始めた。手術は嫌だ。先生助けて!手術しないで治す方法はないの?私の体どうなっちゃうの?もう普通の体にはもどれないの?注射の治療より手術を選ぶべきなのか…どうしたらいいのかわからない。』JAMの病状は、しばらくの間、一進一退が続きました。
2007.12.05
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8月25日(土)。入院してから初の外泊となりました。そのまえに、午前中ニコ大先生から簡単に診察を受けたJAM。ニ:「こないだのブロック、効いてるんでしょ?」J:「は、はぁ…。(本当は銀ブチ先生にブロックしてもらったほうがもっと効いた気がするんだけどそんなことは死んでも言えそうにない)」ニ:「これなら手術しなくてもいけるかもしれないね。」J:「ほんとですか!?」ニ:「うん。大体ね、手術すると大変なのは僕の方だよ(笑)。外側ヘルニアはそんなにない症例だけど、手術には自信あるから」…そ…そうなんだ…(^^;なんだか自信満々のニコ大先生の言葉を聞いて安心したJAM。(しかしこの自信、まったくアテにできないものでした。それがわかるのはまだまだ先のことですが…)ウキウキしながら外泊へ出かけました。久しぶりに見る我が家!そして、玄関にはキウイの姿が…。J:「キュー!帰ってきたよ!」キウイ、大歓迎でお出迎え!…と、思いきや。あ、あれ?なんか様子、おかしくね?そのとき偶然撮れた動画がコレです。怒りのキウイさん↑こちらをクリック!(ちなみにこの動画の中でキウイに手を差し伸べたのがJAM姉その1ことakko・ボソボソと「怒ってるんでしょう」と指摘したのがJAMです)そうなのです。「うん」と返事している通り、キウイはなかなか帰ってこなかったJAMに対して、めちゃめちゃ怒ってる状態だったのでした。このあとがまあ大変です。JAMが手を出しても、触らないでよっ!とばかりにクチバシでJAMの手を払いのけ、飛んだり跳ねたりもう大騒ぎ。全く手のつけられない状態になりました(^^;「ど、どうしよう…相当怒ってる…」と、困り果てたJAMは怒り狂うキウイを遠巻きに見ていたんですが。しばらくの間散々暴れて発散したキウイは、突然ツカツカとJAMのところに寄って来て…なでて。と、カクッと頭を下げておとなしくなったのでした。???と思いながら指で頭をなでてやると、目を細めて気持ち良さそ~うにしています。…どうやら、ようやくお許しを頂いたようです。キウイの頭をなでながら、JAMはヨウム飼育歴9年目にして、初めて気づきました。キウイって、ツンデレだったんだ…。
2007.12.01
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何も考えられないJAM。ムンテラが始まる前には、「あれも聞こう、これも聞こう」と思っていたのに、ニコ大先生から出た「2年に1度位しか見たことない」の発言に、もう何をどう言ったらいいのかわからなくなりました。ニ:「今日ブロック注射しましょう。僕、次は土曜日に来ますから、その時まで様子を見ます。」J:「はい…」ニ:「そのブロック注射の結果によっては、再手術を考えないといけないんですが、オペになると難しくてちょっと治りにくいね」J:「………。」もう、返事をする気も失せました。そんなJAMを見て心配したのか、JAM母が「ほら、あんた先生に聞きたいこととかあったんじゃないの?」と聞いてきましたが、「…別に無い」と言って、会話を終わらせてしまいました。ムンテラが終わり、ニコ大先生もJAM父母も退室したあと、JAMはベットで呆然としていました。あまりのショックに涙も出ません。今回のムンテラで、手術から12日目にして、初めて自分の状況が完全に理解できました。どうして手術してもいつまでも足が痛かったのか。私の椎間板ヘルニアは、最初から2ヶ所に発生していたのです。1ヶ所目は第5腰椎と仙骨の間。これが普通の椎間板ヘルニア。2ヶ所目は第3腰椎と第4腰椎の間。これが外側ヘルニア。最初に手術したのは1ヶ所目の椎間板ヘルニアのみ。外側ヘルニアというのはMRIにはほとんど写らないらしく。(でも灰色の影はできていたけれど)たぶん、ようするに。ニコ大先生はハッキリと言わなかったけれど。2ヶ所目の外側ヘルニアはニコ大先生に見逃されていたわけです。手術する前にサインした、手術の同意書にはこう書いてありました。『稀に手術を受けても症状が改善しない事がある。その場合再手術を受ける可能性がある。』JAMの人生、今までは「普通」で、特に特別なことなど無く、「その他大勢」なんて言葉が当てはまるような人生でした。それなのに、こんな時に限って。生まれて初めて、『稀』なんて言葉に自分が該当した気がします。そしてこの瞬間、JAMはニコ大先生に明らかに不信感を抱くようになりました。しかし、そんな複雑な心境を抱えたまま、やらなきゃいけないのですよ。またあの神経根ブロックを…。ムンテラのあとに行なわれたニコ大先生のブロック注射は、明らかに銀ブチ先生より慣れていない感じでした。銀ブチ先生は背中に針を刺すとき、直接刺して1発でJAMの神経を当てましたが、ニコ大先生はまず、マジックでJAMの背中の針を刺す位置に印を書き込み…。慣れない手つきで薬液を準備して…。しかし言うことは大先生らしくニ:「僕は神経に直接針を刺すようなやり方は好きじゃないので、神経の直前で針を止めて、そこに薬を入れるようにします」と言って、じわ~~~~り、じわ~~~~りと背中に針を刺していくのです。皆さん、針を刺されるならどっちがいいですか?A・3秒間だけ味わう耐えられない痛み。(銀ブチ先生)B・30秒間味わう耐えられるか耐えられないかギリギリラインの痛み。(ニコ大先生)JAMは絶対『A』を選ぶ派です。なので、ニコ大先生の注射の方法は地獄でした。そして、30秒間かけて針を進めておいて、ニ:「はい、じゃあこれからお薬入れますよ~」って。今までも充分に痛かったのに、これから更に痛いの!?なんて感じなんです。そしてさらに。痛みに耐えながら注射液の注入に耐えていると…ぶしっ!背中から聞こえる、とってもヤな感じの音。ニコ大先生ったら、JAMの背中に注射している途中で、かなり派手に注射液を飛び散らせたのでした。背中に感じる、多量に跳ねた注射液…。冷たい…。ニコ大先生は急いで拭き取っていましたが、当たり前にバレバレです。ニ:「は…はいっ!終わりましたよー。じゃあこれで様子見ましょう」と、取り繕うようなニコ大先生を前に、複雑な心境のJAM。みなさん。大先生だからって、全部が全部上手だとは限りません。JAM、身を持って知りました。8月22日(携帯日記より)『ニコ大先生に打たれた神経根ブロックの効き目が微妙。左足太ももの前面がだるい感じ。ブロック注射の最中に薬液が飛び散ったんですよ!と、担当の理学療法士さんにチクる。看護師長さんに伝えておくね、と言ってくれた。職場に再手術を受けるかも、とメールする。返事は来なかった…。』そして8月23日。午後になってJAMの所に年配の看護師さんが来ました。そして癒しのプロからの一言。「JAMさん、本当はもうすっきりして自宅に帰れるはずなのに、何もしてあげられなくてごめんね。」…泣けました。「気分転換に、今週末外泊してきたらどうかしら?外でおいしいものでも食べて…」その言葉をきっかけにして、JAMの週末の外泊が決定しました。自宅には、手ぐすね引いて待ってるヤツがいます。(次回、闘病日記番外編・その2 「ヨウムと飼い主・感動の再会!…のはずが…」 をお送りします♪)
2007.11.28
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8月20日(携帯日記より)『湯たんぽであたためたおかげか、膝が伸ばせるようになった。朝の目覚めも良くなり気分がいい。歩くと痛いけど』『夜になってブロック注射効果が切れた…。痛いのでPM7:00に座薬を入れる。お昼に勝手に飲まずに残しておいたデパスを2T飲んで睡眠薬代わりにする』この日、JAM母がまた来たのですが。母:「昨日キウイ連れてきたでしょ。」J:「うん。わざわざどうもでした。」母:「そしたらキウイが昨日と今日とで言うこと違ってて面白かったよ」J:「言うこと?何が?」母:「昨日までは“JAMちゃん帰ってこないね”って言ってたのに、今日になったら“JAMちゃんのとこに行こうか!”だって。」…来る気マンマン(^^;キウイにとっては、「居場所判明!」って所でしょうか。お見舞いの効果はなかなかのものだったようです。そして8月21日。火曜日なので、ニコ大先生が来る日です。JAMはブロック注射を打っても一進一退の病状。全く良くなる傾向がありません。この日も朝4時ぐらいに左膝の激痛で目が覚めてナースコール。看護婦さんから座薬をもらって痛みをしのいでいたのですが、足の調子は非常に悪いままでした。JAM父母も明らかにおかしいと不安がっていたので、この日にJAMはJAM父母も含め、ニコ大先生から病状説明を受けることになっていました。いわゆる医療用語で言う「ムンテラ」ってやつです。ブログタイトルどおりムンテラは衝撃的な内容でした。以下、思い出しながら書いてみます。ムンテラは、JAMの足の調子が悪くてほとんど歩けなかったため、大部屋で行なわれました。もちろん部屋には他の患者さんもいます。まあしょうがないことですが、プライバシーはゼロみたいな状況のムンテラです。看護婦さんも一人付いて、ムンテラの状況を書記していました。ニコ大先生はJAMのMRIの写真を持ってきていました。それは手術する前に撮影したMRIの写真です。ニ:「前回の手術では、JAMさんの第五腰椎と仙骨間の椎間板ヘルニアを取ったわけだけど。」J:「はい。」ニ:「手術は成功して、除圧はされているのにまだ足が痛い。」J :「はい、そうです。」ニ:「そうなると、たぶんここが原因になってくると思うんだよね」と言って、ニコ大先生はMRIの写真の一部を指差しました。ニ:「ここ、第三腰椎のところなんだけど、ちょっと他のところに比べると灰色になってるでしょ?」確かによーく見比べると、その部分の椎間板の辺りが灰色になっているような気がしました。ニ:「これはね、外側ヘルニアと言って、非常にめずらしい椎間板ヘルニアなんです。」え?何それ?ガイソクヘルニア?ニ:「第三腰椎にヘルニアが出る人自体少ないんだけど。そのうえ外側ヘルニアとなると…」何?どういうこと?意味がわかんない。ニ:「僕も年間何十人と椎間板ヘルニアの患者さん見てるけど、2年に1人位しか見たこと無い症例なんだよね。」ぶつっ。と、思考が停止したのがわかりました。よく「頭が真っ白になっちゃって…」とか言うけれど、まさに、JAMの思考回路は、この瞬間真っ白になりました。
2007.11.25
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8月19日。入院してから10日経過。ヒマなのに動けないJAMは、ベットの上でひたすらゴロゴロ。持ち込んだPSPでゲームなぞやっていたところに、JAM母が来ました。そしてイキナリの一言。母:「キウイ連れてきたわよ。」J:「はぁ?」突然のJAM母の一言に、ビックリして思わずどもるJAM。J:「え?え?どっ…どこにいるの?」母:「駐車場の車の中。さすがに病院の中まで連れてくるわけにはいかないから」J:「…なんでわざわざ連れてきたの?(^^;」母:「だってものっすごいうるさいんだもん。」母の説明ではこうでした。JAMが突然入院して突然居なくなったことについて、キウイは最初の数日間は黙っておとなしくしていたようです。しかし、旅行でも7日以上は家を留守にした事が無かったJAM。JAMとキウイが10日も離れたことは、キウイが我が家に来て約9年間、一度も無かった事でした。最初の数日は黙っていたものの、あまりにも帰ってこないJAMをおかしいと思ったのか、キウイは事あるごとに「JAMちゃん居ないね」「JAMちゃん遅いね」「JAMちゃん帰ってこないんですか?」と、四六時中JAM父母を言葉攻め。いい加減うるさくてしょうがないので、「見せれば納得するだろう」ということで、連れてきたそうです。J:「まさか…前に“今度キウイ連れてこようか”なんて言ってたけど、ホントに連れてくるとは思わなかった…」母:「でもね、『JAMの所に行くよ!』って言ったら、素直にカゴから出てきて、すんなりキャリーケースに入ったの。理解はしてるんじゃないの?」と、いつまでも部屋で会話しているのもなんなので、早速駐車場まで行くことに。しかしJAMの居る部屋は3階。歩行器で1階まで降りて駐車場まで歩くのは至難の業なので、車椅子で移動することになりました。車椅子で1階まで降りて、正面玄関は休日のためふさがっているので、裏の救急外来入り口の自動ドアを出ると、目の前の駐車場に我が家の車が。JAMが降りてきたことに気がついて、JAM父が車を自動ドア近くまで移動してきてくれました。そして、助手席の窓から見えるキャリーケース。見覚えのある灰色頭がぴょこぴょこと…。ほ、ほんとに来てるよ(^^;JAM母が助手席のドアからキャリーケースを出して、車椅子の上に乗せてくれました。J:「おい!キュー!大丈夫?」キウイは久しぶりの外&久しぶりの車&見たことの無い景色を前に、かなりほっそーい状態に…。しゃべれる状況じゃないのは無理がありません。。。しかしキウイに会えたのがとってもうれしいJAMは、膝の上にキャリーケースを乗っけてニコニコとキウイに話しかけていました。と、そこへ勤務を終えた病棟の看護士さんが。看:「あれっ?JAMさんどうしたんですか?そのオウム…」J:「うちで飼ってる子なんですよ~。お見舞いに来てくれたんです。」看:「あーっ、これってあれですよね、しゃべれる鳥ですよね。会話できるっていう…」J:「あれ、知ってるんですか?」看:「はい! すごいな~。ちょっと見せてもらっていいですか?」と、キャリーケースの側に来てキウイを見つめる看護士さん。…細さが増すキウイ。そんなキウイを見た看護士さんは一言。看:「うわー、かわいいなぁ~」…。さすが看護士さん。たぶん傍から見たらとても「かわいい」と言える状態ではなかったと思うのですが、博愛精神に満ちております。そんなこんなで看護士さんと会話して別れた後、どうしてもキウイに触りたかったJAMは、キャリーケースを持って車の中に乗り込みました。車の中でキウイを出して、手に乗せました。久しぶりに感じるキウイの重み。キウイはJAMの顔をしげしげと見つめた後、一言こう言いました。キ:「…どうしたの?」思わず泣きそうになりました。どうしたの?って。一言言われただけで、キウイの言いたいことは全部わかりました。突然居なくなって、どうしたの?家に帰ってこなくて、どうしたの?キウイにはわからないことだらけだったのでしょう。JAMはただ謝るしかなくて、「ごめんね、ごめんね」と言いながら、キウイに何度も鼻チューをしまくりました。というわけで、第一回目のお見舞いはこんな感じでした。この後も、キウイは何回かお見舞いに来るのですが…(^^;そして、このときに一つ誤算があったのですが。看護士さんにキウイのお見舞い風景を発見されたことによって、JAMは「鳥が見舞いに来る患者」として、その後病棟でちょっぴり有名人になったのでした。…いいんだか悪いんだか(笑)。
2007.11.23
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8月16日(携帯日記より)『完全にブロック注射の効果が切れてボルサポ(痛み止めの座薬)のお世話になる。それすら効かなくて泣いていたところを看護婦さんに発見され、痛み止めの注射を打ってもらう。』痛み止めの注射って、痛いんですよね(T_T)この日、銀ブチ先生に「完全にブロックの効果が切れました」と報告したところ、「週2回までならやっても大丈夫。明日また打ちましょう」と、あっさり言われました。嫌だったけど、すごく嫌だったけど。あの痛みを3秒ガマンして、数日でもこの激しい痛みから解放されれば、それはそれで楽なのだろう…。と思いなおし、また神経根ブロックを受けることにしました。そして8月17日。JAMの神経根ブロックは午後から予約が入っていました。そのため、午前中は軽くリハビリをすることに。理学療法士のW先生は女性でJAMと同年代という事もあって、仲の良い友達のような関係になっていました。JAMはまだまだ足が痛かったのでたいしたリハビリはできなかったのですが、W先生から軽くマッサージをしてもらっている間に、意外な事を聞いたのです。W:「JAMさん、銀ブチ先生ものすごく心配してましたよ。」J:「何をですか?」W:「え、何って、JAMさんの事をですよ。」J:「へっ?」銀ブチ先生が、JAMを心配?あの超クールな銀ブチ先生が?JAMと会話するとき、いつも事務的な会話ばっかりなのに?なんか…全然信じられないんですけど…。W:「銀ブチ先生ってね、ああ見えてものすごく熱血先生なんですよ。」J:「えええ~。全然そんな風に見えない…」W:「すごく2面性のある先生なんです。表向きはあまり表情に出さないんですけど。」W先生は銀ブチ先生から、JAMのことを色々質問されたそうです。『JAMさんリハビリはどうなの?大丈夫?』『彼女就職してるんだよね、長期休暇して会社平気なの?』などなど…。そんなこと、JAM本人に聞いてくれればいいのに(^^;JAMに対して気を使ったのか、事あるごとにW先生に対して聞いていたそうです。なんだか全然想像がつかなかったのですが、おかしくて笑ってしまいました。J:「会社は大丈夫ですよ。銀ブチ先生に伝えといてください。私の会社は求人広告出してもなかなか人が集まらないような所なので、そう簡単にクビにはなりませんから、って。」W:「あはは!わかりました。伝えておきますね。」この時初めて、銀ブチ先生って良い人なのかも…と思い始めたJAMなのでした。8月17日午後(携帯日記より)『神経根ブロック2回目受ける。更に激痛で大声で叫ぶ。日本全国最高気温更新と言われる中、空調管理された部屋で涼しく過ごす。昨日から気がゆるむとすぐに涙が出る。この精神状態はヤバイ。看護婦さんに精神安定剤が欲しいと頼む。デパス0.5が出た。」8月18日(携帯日記より)『ニコ大先生が来たので話しをする。“ブロック注射が今の段階で効いているなら薬が合ってたのかも。とりあえず来週火曜日まで様子見で”とのこと。手術着のままで、疲れていたのかあまり話も出来ず。こっちは言いたいことの半分も言えなかった』『その後銀ブチ先生が来る。“ニコ大先生にきちんと自分の病状を訴えるように”と言われる。話をあまり聞いてくれなくて、何を言っても“大丈夫大丈夫!”と言われて終わりなんですけど…と話すと、銀ブチ先生が“…大先生だからね。”と苦笑いをした(←銀ブチ先生の初笑顔を見た)』そしてこの日、銀ブチ先生に「来週の火曜日、注射が切れてまた痛くなっているようだったら、ニコ大先生がブロック注射しますので」と言われました。…。なんだろう、この、漠然とした不安。JAMのカンって、結構当たるんですわ。しかも悪い時ばっかり(^^;翌日の8月19日。入院して2回目の日曜日を迎えました。日曜日は回診もリハビリも何も有りません。日がな一日ヒマな状態が続くのですが。そんな中、JAM父母以外で初めてお見舞いに来てくれた方がいらっしゃいました。…誰だと思います?なんと、今回のJAMの入院のお見舞い第一号は、キウイだったのです。(次回、闘病日記番外編・その1 「ヨウムが見舞いにやってきた!」 をお送りします・笑)
2007.11.20
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怖い。怖い。怖い。銀ブチ先生が去った後、ブツブツ言いながらブルブル震えるJAM。家族が見たらキウイにそっくりだったかも。よく神経根ブロックの説明には、こんな記載があります。「神経根ブロック注射は、侵襲性が高く…」この「侵襲性」という言葉。やさしく日本語訳すると「めちゃくちゃ痛いです」ということです。昔から聞いてはいたけれど、まさかそれを自分がやるハメになるとは。全くの他人事だったのに、人生何が起こるかわからんものです。。。銀ブチ先生の容赦ない「神経根ブロックやっちゃいますよ宣告」から30分後、看護婦さんがストレッチャーを持って部屋まで来ました。「JAMさん、こちらに移ってくださいね~」看護婦さんに誘導されて、ストレッチャーに移されるJAM。そして向かったのは1階にある検査室です。(ここからちょっと痛い表現があります。苦手な方はご注意ください)神経根ブロック注射は、レントゲン透視下で行なわれる注射です。レントゲンに脊髄を映し出した状態で、問題のあると思われる脊髄の神経の束に向かって麻酔無しで直接針を刺し、「再現痛」を出します。「再現痛」というのは、針を神経に刺して、その刺された痛みが現在患者が痛いと思っている部位に再現されているか確認すること。そこを刺されてすげえ痛い!と思えれば、針がうまいことヒットしたということになり、そこで初めて麻酔薬を注入して終了。神経の炎症が抑えられ、痛みが緩和し、問題があると思われるヘルニアの部位の確認もできるというわけです。再現痛が出なければ場所を変えて何度も針を刺されるし、実際針がヒットすると、痛がってる神経に直接針を刺して更に確認しているわけですから、そりゃもうモーレツに痛いわけです。検査室の中に入ると、準備万端状態の銀ブチ先生がいました。銀:「この台の上にうつ伏せに寝てください」怖くて泣きそうで震えながら、JAMは検査台の上にうつ伏せで寝ました。かなり体の奥まで針を刺すので、背中の広範囲に消毒薬が塗られました。そして、レントゲンの電源が入り、モニターにJAMの腰椎が映し出されます。J:「先生…あの…」銀:「はい?」J:「何回くらい、針刺しますか?」銀:「運がよければ1発です。ヒットしなければ何回か…」ひいいいいい~。できれば1発でお願いしたい…。口には出しませんでしたが、そんな懇願を心の中でしていたJAM。そしてその願いは、銀ブチ先生によって叶えられました。銀:「それじゃいきます。…ここどうですか?」J:「…うあっ!」そうなのです。あとからわかりましたが、ブロック注射って医者の腕が問われますね。上手な先生とヘタな先生の差が激しい。銀ブチ先生は、ブロック注射がかなり上手な先生だったようで、1発でJAMの「再現痛」を引き出しました。銀:「来ました?ここですか?」J:「はい!そこです!(つーかすげえ痛いっ)」銀:「じゃお薬入れますよ~」うぎゃあああああああああああああ~(先日のキウイの悲鳴から引用しましたが・笑)一瞬の痛みです。時間にして3秒くらいです。しかし。失神するかと思うくらいの痛みでした。あんなホラー映画ばりの悲鳴を上げたのは、人生で初めてでした。しかし、麻酔薬を入れられた瞬間、あれほど痛かった左足の痛みはピタリと止み、伸びなくてずっと“くの字”状態だった左膝が、バタン!と音を立てて床につきました。ものすごく痛い注射ですが、効果もかなりあるのです。ただ、神経根ブロックは人によって痛みの感じ方が全く違うようで、JAMの場合は相当痛かったですが、同室になった別のヘルニア患者さんは「あんなの、あたしは何回でもできるけど?」とケロッとした顔をして言っていました(^^;人生初の神経根ブロックを体験して、部屋に戻ったJAM。注射を打ったら1時間は動けないので、自室のベットでうつ伏せのまま過ごしました。その間痛みは全く無く、椎間板ヘルニアを患ってから、初めて「足が痛くない時間」を味わう事ができました。注射の効果は人によって異なるようですが、普通は1週間くらいは持つようです。これでしばらく楽になれるな…。ホッとしていたJAMなのでした。しかし。翌日の日記の記載はこうでした。8月15日(携帯日記より)『神経根ブロック効果、丸一日しかもたず。夜に落胆して泣く。』あっという間に、魔法の効果は切れたのです。
2007.11.17
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8月13日。手術から4日経過。足の状態は全く変わりません。ベットでぐったりと横になっていると、銀ブチ先生がやってきました。銀:「調子はどうですか?」J:「痛いです…。」銀: 「手術の傷の痛みが増えただけ、というような感じですか?」J:「はい、そうです(←涙目)。」銀:「そうですか…。ヘルニアはキレイにとれているんですけどね…。」なんだか考え込むような仕草の銀ブチ先生。J:「先生、あの…。この状態って、リハビリがんばれば良くなるんですよね?」JAMの半分願望のような問いかけに対し、銀ブチ先生の回答はこうでした。銀:「いや、そうとは言い切れません。」えっ!そうとは言い切れません…。てことは…。このまま治らないかもしれないって事…?あまりにあぜんとして、声も出ないJAM。銀:「明日ニコ大先生が来ますから。JAMさんの今の状態を話して相談してみますね」と言って、銀ブチ先生は去ってしまいました。あいかわらずクール…。それにしても。手術してヘルニアはなくなったわけだから、この痛みは、きっとリハビリをがんばれば良くなると思ってた…。でも、自分でそう思い込んでただけだったんだ…。一人ベットに取り残されたJAMは、年甲斐もなくグスグスと泣くばかりでした。8月14日。午後になって、ニコ大先生がJAMの部屋まで来ました。ニ:「足、まだ痛いんだって?」J:「そうなんです」ニ:「うーん。ちょっと足上げてみようか」ニコ大先生は、JAMの足を上げたり下げたりと状態を確認しましたが、そのたびにかなりの痛みが出るJAM。本当に手術前と大差ありません。そして。ポロッと出たのがこの一言。ニ:「…なんでこんなに痛いのかわからないなぁ。」ええっ!お医者さんって。結構傷つく言葉を平気で言うよね…。ニ:「もう少し様子を見て、ダメならブロック注射をしましょう。」注射…。仙骨ブロック注射、痛かったよな…。手術したのにブロック注射…。聞いたことないよ、そんなの…。ニコ大先生が去った後も、しおしおと落ち込むJAM。でも今、冷静になって考えてみればわかる事なのですが。手術したのにブロック注射をやらなければならないということは、手術した部位以外に悪いところのある可能性が高いからなのだと。新たな問題は、うすうす見えてきていたのです。そして午後4時過ぎ、部屋に銀ブチ先生が登場しました。銀:「JAMさん、術後これだけ痛みが治まらないのはちょっとおかしいです。ニコ大先生とも話し合ってみたんですが、ブロック注射をやります。」J:「はあ…そうですか…。ブロック注射って、仙骨ブロック注射ですか?」銀:「いえ、神経根ブロック注射です。」えええっ!神様。JAM、今おそろしい言葉を聞いた気がするんですが。神経根ブロックやるんですか?JAMが?マジで?一応JAMは医療事務経験者。総合病院勤務でした。神経根ブロックがどれほど痛い注射なのか、知っていたので始末におえません。体が、ブルブルと震えだしました。
2007.11.15
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なんで?手術後のベットの上で、思い浮かぶ単語はそれだけでした。私、椎間板ヘルニアの手術受けたんだよね?手術受けたら、痛いの治るんだよね?…じゃあなんですでに今こんなに足が痛いんだろう…。どうしても納得がいかなくて、麻酔が抜けてある程度意識が保てるようになってからJAM母に「どうしても足が痛い、なんで?」と訴えました。心配になったJAM母は、ちょうど病室前を通りすがったニコ大先生を呼び止めて、部屋まで連れてきてくれました。ニ:「足、まだ痛いの?」J:「そうなんです、まだ痛いんです」ニ:「そうかー。でもJAMさんのヘルニア、かなり神経圧迫してたからね。圧迫を取ったからといってすぐに痛みが取れるとは限らない。ちょっと時間がかかるかもしれないね。でもヘルニアはきれいに取れてますから安心してください」そう言って、ニコ大先生は立ち去りました。「ヘルニアはきれいに取れてますから安心してください」そのセリフを聞いてホッとしたJAM。足は痛いけれど、これは一時的なものなのね。そう思ったら少し落ち着きました。その後JAM父母には帰ってもらったのですが…。その後がキツかった。術後の傷口の痛みに加え、足の痛みはそのまま残っているのです。痛み止めの注射を打っても3時間程度しか持ちません。座薬も同様に3時間程度で切れてしまいます。痛み止めの注射は、どんなに痛くても1日1回まで。痛み止めの座薬は、1度使ったら2度目まで8時間空けないと使用できないため、3時間で効果が切れても残りの5時間はただ痛みに耐えるしかないのです。痛い…痛い…。ナースコールを握り締めて、痛みに耐えられなくなるとボタンを押して体位変換をしてもらう。ただただそれの繰り返しで、手術した日の夜中を過ごしました。あまりに痛くて涙が止まりません。看護婦さんはそんなとき、「大丈夫ですからね」と、しっかりJAMの手を握ってくれました。看護婦さんって、凄い職業だなぁと思いました。翌日朝。痛みでほとんど眠れないまま夜を明かしたJAM。看護婦さん2人がかりで体を拭いてもらい、着替えを済ませて個室から元いた大部屋に戻ってきました。背中の手術痕の側には、傷口から血を抜く管が入ったままでしたが(傷の所に血がたまらないように、傷口のそばに針をさしてチューブを通し、体の外に血が排出されるようにしてあるのです。手術をしたあと丸1日は取れません。ちなみに針は糸で体に縫いとめられているので、抜かれるときの抜針がちょっと痛い…)お昼過ぎに抜いてもらえたため、ようやく体の自由が効くようになりました。この時、ニコ大先生が針を抜いてくれたのですが、「まだ足痛いのか…まあゆっくり治そうね」と軽く一言で去っていきました。その後JAM担当の理学療法士の先生が来てくれて、JAMのために歩行器を用意してくれました。しかし歩行器を使ってもヨロヨロ状態。手術後ってみんなこうなんだろうか…?おかしい。何かおかしい。それが何かはわからないけど。なんだかとっても不安になってきたJAMは、この日から携帯電話のスケジュール入力欄に日記を付けるようになりました。スケジュール欄には文字制限があるのでそんなに書けないけれど、その日に何が起こって先生に何を言われたか、簡単に記録として取っておけると思ったので…。以下、(携帯日記より)『』でその内容も記していきます。8月11日(携帯日記より)『だんだん意識はっきりしてくる。自分の状態が手術前と大差ない事に気づき落胆。背中のドレーン(傷の方の管)とバルーン(尿の方の管)は昼過ぎに取ってもらった。車椅子ではなく歩行器で歩いてOKと。理学療法士に歩行器用意してもらう』8月12日(携帯日記より)『足の状態は手術前とほとんどかわらず。左膝今だに伸ばせないけどヘルニア取ったんだからこういうのはリハビリすれば何とかなるんだろうと思う。座位は3分しか持たない。トイレ位しか歩いて行けない』そして8月13日。銀ブチ先生と術後初めてゆっくり話をする機会がありました。JAMの胸騒ぎがさらに酷くなったのも、この時からです。
2007.11.13
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8月10日。いよいよ手術の日です。本日朝から禁食。しかし、緊張していないようでしていたのか、全くお腹は空きませんでした。水分も全く取れなかったのですが、喉の渇きもありませんでした。シャワー浴を朝の8時過ぎに済ませ、9時過ぎから点滴開始。JAMは血管が全く見えないタイプの腕をしているので、点滴の針がなかなか入らず看護婦さん大苦戦。かなり流血しながらの針刺しでした(^^;そして、左腕に名札のタグを取り付けられました。一度つけるとハサミで切らない限り取れない作りになっています。これ、まさか2ヶ月腕に付けっ放しになるとは…。この時点では全く想像がつきませんでした。手術するまで点滴はず~~~~っと。その間はさしてすることもなくぼ~~~~っと。長い間痛みに耐え続けていたので、ただひたすらJAMは疲弊していました。「早く手術して…楽にして…」それだけだったように思います。お昼過ぎにはJAM父母が到着し、手術室から呼ばれるのを待ちました。そしてPM1:30すぎ。看護婦:「JAMさ~ん、そろそろ手術室行きますね。」看護婦さんから呼ばれ、トイレを済ませてストレッチャーに乗り換えるJAM。手術室は、歩ける人なら徒歩で行っちゃうようですが、JAMはもう全然歩けなかったのでストレッチャーで運ばれました。手術室前で再度名前の確認をし、いよいよ手術室内部へ。足にフットポンプを付けられたり、頭に髪の毛を覆うカバーを付けられたり。そして麻酔科医の先生がJAMに挨拶。麻酔科医:「JAMさんこんにちは。麻酔科医の○○です。よろしくお願いします。」JAM:「はい、よろしくお願いします。」と言った所ですぐ気づく。あれ…もう眠い?麻酔科医:「もうちょっと眠くなってきたでしょ?」どうやら点滴のチューブの途中から、すでに麻酔薬が入れられていたようで。だんだん意識がボーっとしてくるJAM。全身麻酔を受けた感想なんですけど。あれってね…けっこう気持ち良いかもと思いました(笑)。いきなりストン!と眠らされるのかと思っていましたが。意外や意外、結構ゆるやかに眠りに落ちていけるものです。特に数を数えさせられたりすることもなく、ふわふわと気持ちよい感覚のまま、自分でも気づかないうちに、深い眠りに入ってしまいました。そして。「JAMさ~ん」…。「JAMさ~~ん」あれ…誰か呼んでる…?「JAMさ~~~ん」あ、そうか。私手術受けてたんだっけ。。。「JAMさ~ん、起きてください。手術終わりましたよ~。」手術室のストレッチャーの上で目が覚めました。本当にあっという間でした。一番最初に思った感覚は「喉が痛い…」でした。全身麻酔は気管内挿管するので、どうしても喉が痛くなるのだそうです。そして、JAM父母が「これ取れたヘルニアだって!」と、ホルマリン入りのプラスチック瓶に入った容器を見せてくれました。そこでJAMが発した一言は。「それ…くれるの?」でした。貰ってどうするの~?とその場に居た皆さんが笑ったような記憶があります。意識が朦朧としていて、よく覚えていませんが(^^;しかし、なんだか目が見えづらい。そしてまだ全然眠い。目を閉じてしまったJAMに、また看護婦さんが話しかけました。看護婦:「JAMさん、もう一回目開けてみて。」え、なんで?と思いつつ目を開けるJAM。ああ、なんかさっきよりは見える気がする…。看護婦:「(麻酔の影響で)さっき目が寄り目になってたから。もう大丈夫ね」だから目が見えづらかったのか…。そう思ったところでまた目を閉じて、再びJAMは眠ってしまいました。そして、再び目を覚ますと、そこは個室の部屋。手術が終わると、その日一晩はナースステーションに近い部屋まで移動するのだそうです。気がつくと、体にはあらゆる管がつけられまくっていました(^^;まだ微かに麻酔が効いて、ボーっとしているJAMでしたが、「これで痛みから解放されたんだ…」そう思って安心しきっていました。そして、左足を動かしてみました。え…!?ちょ、ちょっとまって。い…………痛い………?この状況。すぐには認めたくありませんでした。でもやっぱり痛い。左膝はみるみるうちに痛みを取り戻し、JAMの左足は、手術する前とほとんど同じ状況になっていました。どうしても認めたくない。認めるのが怖い。でも、やっぱり事実は事実。JAMの椎間板ヘルニアは、この手術では治らなかったのです。
2007.11.10
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最近、会社勤めをしていた頃とは比べものにならないほど台所に立つようになったJAM。年内までに家庭科スキル大幅アップを目指しております。そして。いそいそと台所に立つJAMを見ていないようでものすごく見ている↑この方。(JAMはこの正面のブサイク顔が一番好きなので載せてみました。ちょっと撮影時正面からズレちゃったのですが)台所に立つJAMに対して、しょっちゅうリサーチをかけてきます。椎間板ヘルニアのおかげで棚からぼたもち的に手に入れた簡保の保険金を元手に、ホームベーカリーなんぞ買ってパンを焼いたりしているのですが。焼きたてパンの匂いをかぎつけて、さっそくキウイさんの調査開始。JAM:「おお、うまく焼けた!味もなかなか!」キウイ:「おいしいかい?」JAM:「(超ごきげんで)…おいしいよ♪」キウイ:「ちょうだい。」JAM:「…やらん。」とまあ、所詮キウイのリサーチは食い意地が張ってるだけなのですが。こんな会話だったらかわいいのです。とってもとってもかわいいのです。でも。そんな事が言っていられない時もあり。ホームベーカリーは色々アレンジができるため、中にいろいろ具を入れて試しているのですが、昨日はあずきの缶詰を混ぜ込んで、あんこ食パンを作ってみたのです。当初、あんこがマーブル模様のように食パンに入るように作っていたつもりだったのですが、何故かあんこの混ぜ方を失敗し、食パンの真ん中にあんこがどどーん。でっかい食パン状あんパンが完成してしまいました。JAM:「失敗した…。」キウイ:「おいしいかい?」JAM:「(超ふきげんで)…マズイよ。」そこでキウイ調査員より一言。キウイ:「………困ったねぇ。」ぐっさり。当初JAMはリサーチされているだけのつもりだったのですが、どうやら毎日が(ダンナの居ない)専業主婦状態のJAMに対して、キウイのポジションは姑だったようです。
2007.11.07
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8月9日、JAMはT第一病院へ入院となりました。部屋は差額ベット代がもったいないので6人部屋。しかし、JAMの案内された部屋は大部屋の中でも一番広い部屋だったので、6人部屋でもベットの間が広く、あまり気になりませんでした。この点はラッキー。3人部屋などはとても狭く、差額ベット代取られてあの部屋になるくらいなら、6人部屋でよかったなぁと思った次第です。病院によって、部屋の作りって全然違うものですね。ベットにあらかた荷物を片付けた後、看護婦さんから既往歴や病院に入院するまでの経緯を聞かれたので、ヒゲ先生の件も含め説明。(←闘病記その2参照)看護婦さん苦笑いでした。そして明日の手術までの説明もありました。・手術は全身麻酔で行なう。手術開始は午後2時頃を予定。・食事は今日の夕食まででその後は禁食。水分は21時までOK。・腸内をキレイにするため19時に浣腸をする。・手術当日は禁飲食。・手術中は顔色・爪色を観察するので化粧やマニキュアはしない。・(JAMは長髪なので)髪の毛は三つ編みにしばっておく。・手術当日朝、シャワー浴後に和式の寝巻きに着替える。9時から点滴開始。そんな感じでした。説明が終わって看護婦さんが部屋を出た後、「あ、明日の手術の開始時間、一応家族に教えとかないと…」と、ふと思ったJAM。携帯電話の通話は部屋ではできないので、公衆電話の場所まで行ってみることにしました。しかし、もうこの時JAMはほとんど徒歩が不可能な状態で、病院に入ってから部屋までは車椅子移動。その車椅子は病院の受付で借りていたものなので、今現在、部屋に車椅子はありません。普通こういうときには遠慮なくベットに置いてある“ナースコール”を押して、「すみませんが車椅子を持ってきてもらえますか?」と言えばいいのですが、JAM、この入院環境に慣れていないため、どうもナースコールが押せない。今まで何でも自分でやってきて、「人に頼る」ということに慣れていなかったのです。「このまま、壁づたいに手すりを使って歩いていけば、なんとかなるよね…」そう思ったJAMは、ベット柵から壁を伝って足を引きずりながら部屋の外へ。のろのろと歩き出しました。しかし、病院の廊下は思ったよりも長かった。どうにか公衆電話までたどりつき、家に電話をかけて用件を伝えた後、部屋に戻る途中の廊下で…JAM、行き倒れました。看護婦:「JAMさん、大丈夫ですか!?」すぐに行き倒れているところを看護婦さんに発見されるJAM。JAM:「す、すみません…歩けなくて…。(←死にかけ)」看護婦:「もう、ナースコール押してくれなきゃ駄目じゃないですかー!」当日からもうお小言受けてるし(^^;すぐに車椅子をもってきてくれた看護婦さんに、部屋まで連れて帰られました。。。この時初めて感じました。「ああ、私って、心配される立場の人間になったのね…」と。今まで職業柄、JAMは患者さんに接する立場でした。「大丈夫ですか?」と聞いていたのはJAMのほうだったのです。それがいつの間にか「大丈夫ですか?」と聞かれる立場に。「立場って、思わぬところで逆転するのね…」なんだかしみじみとそう思ったJAMなのでした。部屋に戻ってベット上でおとなしくしていると、突然一人の先生が現れました。銀ブチ眼鏡がキラリと光る男性医師、K木先生でした。(←なので以下“銀ブチ先生”)銀ブチ:「こんにちは。入院中の主治医になります整形外科のK木です。」JAM:「あ…はじめまして。よろしくお願いします。」銀ブチ先生は見た目クールで、何の感情も表に出さないような先生でした。この時はJAMの現在の症状を少し聞いて、「じゃ、明日の手術がんばりましょう」と一言述べた後、さっさと退出。「なんか…冷たい先生…」一瞬JAMは不安を覚えました。しかし、これはただ単に銀ブチ先生がポーカーフェイスだっただけ。最初こそ味気ない出会い方でしたが、実はこの先生、超熱血で患者さんのことをものすごく考えてくれる先生だったのです。手術を執刀したニコ大先生よりも誰よりも、結果的にJAMのことを助けてくれた医師はこの銀ブチ先生でした。ニコ大先生はとても有名な脊髄専門の医師。銀ブチ先生はそんなに有名ではない整形外科医。しかし、有名とか無名とか、そんなことは関係ない。どれだけ真摯に患者と向き合ってくれる医師なのか。一番大事なところはそこでした。JAMがそこに気づくまでには、まだまだ長い時間がかかるんですが…。翌日はいよいよ手術。なんだか現実味が沸かないまま、JAMは病院での最初の一日を終えました。
2007.11.05
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(すいません、入院スタートの話の前に、入院準備の話書くの忘れてました(^^;)入院前には色々と準備しなければいけません。JAMが一番気にしたのは、やっぱり入院費。入院前に窓口へ行き、どのくらいかかるのかおおよそで計算してもらいました。受付:「そうですね…JAMさんの場合、2週間の入院で30万円位かかると思います。」30万円。。。大体1ヨウム位か…。(←すぐにトリ単価に換算するJAM)結構用意するの大変だな…。受付:「でも、限度額認定証の申請をされれば、支払い金額は抑えられますよ」あ!そうだった!JAMの本職は医療事務。そうでした。受付で言われて思い出したのでした。医療費が高額になるときは限度額認定証の手続きをすれば、いくら医療費がかかっても、月10万円位の支払いで済むはず…(年間の所得金額によりますが)。パニックになるとこんなことも思いつかんのだなぁ。ちなみに。入院する可能性のある方が読まれた場合参考になるかと思い書いておきますが。<限度額認定証とはなんぞや?>事前に申請して「限度額認定証」の交付を受けることにより、入院にかかわる医療費が高額になった場合でも、窓口で支払う金額が世帯ごとの自己負担限度額になる制度です。以前はいくら高額の医療費になっても一度病院の窓口で全額支払い、数ヵ月後に保険組合から自己負担限度額を超えた金額分が返金されていましたが、今年の4月から「限度額認定証」の制度がスタートしたため、手続きをしておけば窓口で自己負担限度額以上の金額は払わなくても良くなったのです。(ただし差額ベット代や食事療養費は上限金額に含まれません)限度額認定証の区分には、「上位所得者」と「一般所得者」と「住民税非課税世帯」に分けられています。JAMはそんなに収入多くないので(^^;区分は「一般所得者」になるわけですが。「一般所得者」の場合、月々支払う入院費の上限金額は80,100円+(実際にかかった医療費の総額-267,000円)×1%となります。計算式を見ると「???」となるかと思いますが、自己負担しなくてはいけない食事療養費を含め、月10万円位と考えてください。つまり、医療費が月に100万円かかってしまった場合、限度額認定証を持っていないとそのまま病院に100万円支払わなければいけませんが、限度額認定証を持っていれば病院に10万円支払えは済むというわけです。入院しなきゃいけない。しかも入院費は高額になりそう…という場合。自分の加入している保険組合にすぐ連絡し、「限度額認定証」の手続きをしましょう。金銭的負担はかなり楽になりますよ。というわけで、以上JAMの豆知識でした。さて、さっさと限度額認定証の手続きを済ませたJAMは、本格的に入院の準備を始めました。たぶん入院中はすごくヒマだろう。と思われたので、即バックの中に入れたのは・ipod・PSP・Nintendo DSでした(笑)。しかしこの中で一番暇つぶしに役立ったのはPSPですね。入院前にパソコン経由でたくさん動画を入れておいたので、ずいぶん暇つぶしには重宝しました。入院にPSP、オススメです。あとはバスタオルにパジャマに歯ブラシに歯磨き粉に化粧水に乳液に…とバックに入れまくったのですが、旅行カバンがパンパンになるほどの荷物量(笑)。何しに行くんだ私は…。と、詰め終わった大量の荷物を見て思いましたが、まあしょうがない。さっさと直してさっさと帰るぞ!待っててね!キウイ!こころなしかキウイが不安そうな目でJAMを見ていましたが、このときはそんなに長い期間キウイに会えなくなるとは思っていなかったので、「大丈夫大丈夫!たった2週間だからね!」と、明るくキウイに話しかけていたJAMなのでした。
2007.11.01
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さわやかにニコ大先生より手術宣告を受けたJAM。J:「やっぱり…受けなきゃダメですかね?」ニ:「注射も効かない、飲み薬も効かない、座薬も効かない、眠れない…。これだけ酷かったら、さっさと手術受けちゃったほうが良いと思うんだよね。J:「はぁ…」ニ:「ただベットも手術も一杯なんだよなぁ…。ちょっと待ってね」手術室へ電話をかけるニコ大先生。ニ:「あ、もしもし?オペ一人入れる?…例えば8月10日とか。空いてる?…ヘルニア。術式はラブ。…あ、大丈夫。じゃよろしく」そしてニコ大先生、くるりとJAMの方向に向き直りニ:「8月10日に手術出来ることになったから。それじゃ手術の説明をします。」本日、2007年8月7日。えっ…すぐじゃん!そうなのです。こんなに簡単に、JAMの入院・手術は決定してしまったのでした。その後、ニコ大先生からは以下の説明を受けました。・手術はラブ法。全身麻酔で、背中に5センチくらいの傷が残る。・顕微鏡を使って行なうので骨は削らない。ヘルニアのみを取る手術となる。・手術を受ければ70%は改善ずる。あとは患者の状態によって症状は左右される。・入院、手術から退院までは約2週間。3週間かかることはまず無い。・確率はかなり低いが、まれに手術を受けても症状が改善しない事がある。その場合再手術を受ける可能性がある。そして手術同意書などの書類を受け取り、入院日までに書いてくるよう言われました。今となっては…。あの時、神経根ブロックを試してみるとか、先生がもうすこししっかりMRIを見てくれていれば、もしかしたら…別の治療の道もあったのかもしれない。そう思います。手術が決まったこの日。ニコ大先生は大きな見落としをしていたようです。それにJAMが気づくのは、もっと後の話になります。しかしこの時、JAMは展開の速さに驚いたものの、手術を受けることに関してはわりとすんなり受け入れられました。手術してこの苦しみから逃れられるなら、さっさとやってほしいという気持ちのほうが勝りました。それくらい、椎間板ヘルニアの痛みは酷かった。地獄の苦しみでした。よく、「椎間板ヘルニアは、手術しないでも温存療法でよくなります」といろいろなホームページなどで見ますが、あれは“温存療法を行なう間、椎間板ヘルニアの痛みに耐えられるなら”という条件付だと考えてください。JAMは耐えられませんでした。あの気が狂うかと思うほどの痛みと苦痛。本当は、手術する前にセカンドオピニオンで他の病院に行くべきだったのかもしれませんが…。もう、身体状況的に不可能でした。そして、2007年8月9日。JAMの長い長い入院生活はスタートしたのでした。
2007.10.30
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さてさて。ニコ大先生により生まれて初めて仙骨ブロック注射を受けることになったJAM。仙骨ブロック注射は、痛み止めの注射です。どんなことをするかと言うと。1・うつ伏せに寝る。2・お腹の下に枕を入れてお尻を突き出すような格好に…3・仙骨の場所を探されて…4・仙骨の下辺りに注射針をブスッ。5・針を刺してからぐりぐりぐりっと中を探られ薬液注入…J:「#&$’%)$#’@!!!!」ま、まあ、一瞬で終わるんですけど。…あ、なんか今、言葉にならない声が出た…。って感じでした(^^;さてさて。注射したあとは15分くらい動けません。その間はすこし痛みも和らいだかな…?と思っていたJAM。ニコ大先生の「まあ…注射は3日から1週間くらいは持つかな。人によっては違うけど。」という言葉を聞いていたので、「これで数日は楽なのかな…」と思っていました。しかし。病院を出て、駐車場まで足を引きずりながら歩いているうちに、あれ?痛い。痛いよ。もしかして…。もう注射の効果、切れた?そうなのです。この仙骨ブロック、JAMにはほんの10分程度しか効果がなかったのです。しかし、「家に帰っておとなしくしていれば、そのうち良くなるさ…」と自分に言い聞かせ、JAMは再度診察も受けずに帰宅。…受けときゃ良かったのにねぇ(^^;その後、帰宅しても痛みは一向に治まりません。しかし、ニコ大先生は「1週間痛み止めの薬を飲みながら様子を見て、来週僕の診察日に来て」と言っていたので、JAMはそれを忠実に守ることにしました。そして一週間の間。JAMの症状は…・左膝が“くの字”に曲がったまま伸ばせなくなる。・痛みが酷くて24時間ほどんど眠れない。・痛み止めの薬を飲んでも座薬を入れても効くのはせいぜい3時間程度。・椅子に座れない。歩けない。・仰向け・左向きが不可能になり常に右向きで肩が痛くなる。上記のように、どんどん酷くなりました。一番酷かったのは、「左膝が“くの字に曲がったまま伸ばせなくなる」でした。左膝がまっすぐに伸びないのです。常に左足が曲がった状態なので、膝の下にクッションを敷いていました。どうがんばっても痛くて伸ばせない。神経がマヒしたかのよう。関節が固まってしまったような感じでした。自力では、いくらがんばってもまっすぐにすることはできませんでした。そして、この1週間、JAMはほとんど眠らずに過ごしました。人生でこんなに寝なかった時期は初めてです。…あんなに痛かったんだから、律儀に1週間も待ってないで病院行けばよかったのに(^^;今となっては、そう思います。がんばって待ちに待った翌週火曜日。JAM父に頼み込んで朝早く受付に行ってもらい、その日の整形外科の受診の順番を1番目に取る事ができました。そしてニコ大先生の診察。J:「先生、辛いです。歩けないです。痛くて全然眠れないです。注射は全然効かなかったです。」ニ:「うーん、そうかぁ~。。。」そして、ニコ大先生は相変わらずの笑みで言いました。ニ:「…手術しよっか♪」…ニコ大先生。なんでそんなにさわやかなんでしょう。
2007.10.28
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放射線技師さんからの一言で、ようやく尋常ではない自分に気づいたJAM。でもやっぱり職場に「すみません、MRIの結果聞きに行きますので明日もお休みさせてください。午後から行けそうだったら行きますので…」と電話していました。全くホントに懲りないバカです。今なら自信を持ってハッキリ言えます。皆さん、くれぐれも“具合が悪い時は仕事を休みましょう”。いざとなっても会社は助けてくれません。痛い目見るのは自分だけなのですよ。こっちは身を粉にして働いてるってのにね。。。さて、愚痴はその程度にしまして。翌日、MRIの結果を聞きにT第一病院へ向かったJAM。1時間、病院の待合室の椅子に寝たまま順番を待ちました。ようやく名前が呼ばれて診察室に入ると、そこには昨日とは違う先生が。(受診した後、家に帰ってネットで調べてわかったことですが。この先生、週1回だけB大学病院から来ている整形外科医で、JAMが住んでいる地域周辺では1・2を争うほど有名な脊髄専門医だったのです。この出会い、今から考えると運が良かったのか悪かったのか…。)以下、ニコニコしてるけど名医の大先生なので“ニコ大先生”と呼びます。ニ:「こんにちは。昨日はマッチョ先生に見てもらってて…MRI撮ったんだよね。」ここでMRIを用意する看護師。ポカーンとそれを見つめるJAM。そして、JAMのMRIを見たニコ大先生、ここで衝撃の一言。ニ:「あー。。。これは痛いわ。」これは痛いわ・・・。これは痛いわ・・・。ニコ大先生の言葉がエコーのようにJAMの脳内に響きました。先生…。先生、私…。痛くて良かったんですねっ!?思わずニコ大先生に詰め寄りそうになったJAM。だって。だってさ。(誤診した)ヒゲ先生は「骨には異常ない、整体に行ったオマエが悪い」みたいなこと言うし、家に帰ってイタイイタイって言っても家族は「そんなオーバーな…。大した事ないんでしょ?」って全然相手にしてくれないし。凄く痛かったけど、死ぬほど痛かったけど、もしかしたらJAM自身が痛みに弱いから、こんなにオーバーに苦しんでるだけなのかと思ったんだよぉぉぉぉ~。うわーん!痛くて良かったんだー!痛くて正解!JAMは間違ってなかったよー!!!何故かこの時、世界の中心で叫びたいほどうれしかったです。そしてニコ大先生が指差したのは、第五腰椎と仙骨の間の椎間板。ニ:「ここ見てください。椎間板が出て神経をかなり圧迫しているんです。椎間板ヘルニアですね。この位置に椎間板が出ると、痛くなるのは左足の大腿から足首にかけて。当たってます?」J:「はい!当たってます!(心なしか涙目)」指で示された写真は、シロウトのJAMが見ても明らかにわかるほど、はみでた椎間板が神経の束を押し込んでいるのがわかりました。ニ:「とりあえず今日は痛み止めの注射を打って、1週間様子を見ましょう。会社は休んでください。」あ…。ドクターストップ…。ニ:「家ではできる限り安静に、横になっていること。来週の火曜日に僕の診察受けに来てください。その時まで痛みが取れていないようだったら、手術を考えなきゃいけないね~。」J:「はい、わかりました…。」ニ:「じゃあ注射するね。(看護婦さんに)仙骨ブロック用意~。」JAMはまだ、このとき知りませんでした。椎間板ヘルニアの治療は、何をするにも痛いのです…。
2007.10.26
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キウイネタ書くのにケータイカメラの調子が悪くて、今日は写真ナシでごめんなさい。写真のシャッター押すたびに、何故かケータイの電源が一瞬切れて再起動。何度も何度も繰り返すんで、「???」と思ってケータイの裏側確かめてみたら、リアカバーが変形するほど電池パックが破裂寸前でパンパンでした。…どうして今まで気づかなかったんだろう…。とりあえず、ドコモさんに電池パック送ってもらうことにしました。早く届けてね~。というわけで本題に。ちょっと前のお話ですが。前にもブログに書いたかと思うのですが、キウイは水浴び大嫌い。「お風呂行くよ~」の「お風呂」というフレーズを聞いただけで逃げていきます(^^;しかもケージに入っている状態で「お風呂行くから出ておいで」と言った場合、絶対に意地でも出てきません。せっかくキウイの水浴びをさせるためにお風呂の用意をしても、感づかれるともうダメなのです。というわけで、とある日。風呂入れ担当=JAM母はウソをついてみました。JAM母:「キューちゃん、おいしいのあげるから(ケージから)出てきなさい。」キウイ:「…。(←“ものすごく疑わしい”という目をしている)」JAM母:「あげるから出てきなさいって!」キウイ:「…。(←”かなりとっても疑わしい”という目をしている)」JAM母:「だから大丈夫だから出てきなさいッたら!」…ようやくしぶしぶとケージから出てきたキウイ。チャンス!とばかりにキウイをその場からかっさらうJAM母。JAM母:「お風呂入るわよ!」キウイ:「!!!」もがいてももうムダです。うぎゃあああああああああああああ~風呂場に消えゆく、断末魔のキウイの声。…。ごめんなさいキウイ。JAM、この件に関してだけはアナタを助けられないわ。だって…何日もお風呂入ってないからすっぱいかほりが漂ってたし。頭なでれば煙が出てたし。ううう、許しておくれ、キウイ。断崖絶壁から子供を突き落とす母ライオンの如く。このときばかりはキウイ放置プレイなJAMなのでした。そして5分後。カッタカッタカッタカッタ…。びしょびしょに濡れそぼった体で廊下のフローリングを歩くキウイの足音が。それを温かく迎えるやさしさ担当=JAM父。JAM父:「おおおキウイ、風呂入れられたのかぁ。がんばったなぁ~!」JAM父のやさしさに触れて気が緩んだのか、キウイはここで初めて本心を語りました。キウイ:「ダマされた…」…。あのさあ、キウイ。いつも思うんだけど。あんたいつ、そういう言葉覚えるの?(^^;この一件以来、キウイは「おいしいのあげるから出ておいで」と言った時には、実際にケージの目の前でおいしいものを見せないと出てこなくなりました。ヨウムの記憶力、ほんとバカにできないです。ウソはいけませんね、ウソは。
2007.10.24
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予約時間の30分前には到着して、MRIの順番を待っていたJAM。「MRIは無痛の検査です。」検査の前の説明書にもそう書いてあります。そうなんですよ、無痛なんですよ。検査自体はね…。「JAMさ~ん、着替えをお願いします。金具とかついているものは全て外してくださいね」放射線技師さんの案内で、足をずるずる引きずりながら部屋に入り、着替えました。痛みで前屈ができないので、靴下を脱ぐのが大変だった…。そしてMRIの設置されている部屋に移動。技師:「それでは腰のMRI撮影をします。金属類とか一切つけてないですよね?ペースメーカー等も入っていないですね?」JAM:「はい、大丈夫です。あ、歯科矯正してるんで歯に金属ハマってるんですけど。」技師:「ああ、そうでしたね。心配でしたらちょっと調べておきましょうか。MRIに顔近づけてみてもらえます?」JAM:「…。(MRIの輪の部分に顔を近づけるJAM」技師:「金属が引っ張られるような感じはありますか?」JAM:「…いや、ありません。」技師:「じゃあ大丈夫です。この台の上に仰向けになってください」歯科矯正はMRIには影響無いようです。…ん?今、仰向けって言わなかった?仰向け…。足が痛くなってからあまり仰向けの体勢にはなれませんでした。仰向けも右向きもかなり足が痛くなるので、布団の上では常に左向き。だ…大丈夫か…?不安でしたが、もう後戻りはできません。仰向けで台の上に横になり、頭や体はベルトでしっかり固定され、手に“何かあったときの連絡のためのコールブザー”を持たされ、MRIの撮影が始まりました。ゴンゴンゴンゴン…不思議な音が聞こえます。MRIの撮影って静かだと思ってたけど、意外とうるさいのね…。5分経過。あれ。痛い。足が痛いよ。左のお尻が痛いよ。痛い…痛い痛い…痛い痛い痛い!痛ったぁぁぁぁぁい!!!開始して10分もしないうちに、JAMはもうすでに限界ギリギリ。疼痛の酷いヘルニア患者に、常にじっとしているように言うのはホント無理があるのです。そのくらい気づくべきだったんですけど…。痛い。痛くて暴れたい。しかしMRIの検査説明書にしつこく書いてあったセリフを思い出しました。「MRIは非常に動きに弱い検査です。なるべくじっとして動かないようにしてください」痛いのに動けない。何度も何度もコールブザーを押そうと思いましたが、もし今押して、また最初から検査がやり直しになってしまったらどうしよう…という恐怖が頭をよぎり、心の中で「イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ…」と呪文のように唱えながら時間が経つのを待ちました。そのうち涙と鼻水が出てきましたが、動けないので拭うこともできません。JAM、すでに三十路越え。この歳で鼻水たらしたまま泣く事になるとは思いませんでした。(↑…今後こんなシーンは何度も出てくるんですけどね(^^;)ようやく悶絶のMRIが終了したときには、涙と鼻水と痛みとでフラフラ状態だったJAM。しかし頭の中ではこんなことを考えていました。「よし、これで撮影が終わったから、明日から火曜・水曜・木曜って仕事して、金曜日に結果聞きに行けばいいよね…。」ほんとバカです。しかし、このバカに最初に「アンタは普通じゃないのよ」と気づかせてくれたのは、医者でも看護婦でもなく、この放射線技師の方でした。技師:「JAMさん、ちゃんと撮影できたかどうか調べますんでちょっと待ってくださいね…」JAM:「あ、はい。」しばらく待たされるJAM。技師:「はい、大丈夫でした。」JAM:「ありがとうございました。」技師:「あ、そうだJAMさん」JAM:「はい?」技師:「診察は明日ですね。」JAM:「…はい。」放射線技師の方は、医者ではないので直接画像の診断結果を患者さんに伝えることはできません。そのため、遠まわしな言い方で教えてくれたようでした。<私、ホントに普通じゃないんだ…>歩けなくなって初めて、自覚した瞬間でした。…病院は、明日行こう。
2007.10.23
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前回のブログでキウイのおしゃべり動画を載せましたが。たまにメールのご質問等で、「どうトレーニングしたらああいう風にしゃべるようになるんですか?」といったお声を伺います。ですので、これを機会にちょっと書いてみようかと思うのですが…。ただですね。ぶっちゃけちゃいますと、キウイについては、トレーニングらしいトレーニングはしていないのです。。。というか。JAMがキウイを飼いだした約9年前。“大型インコの飼育本”などの便利な本はほとんど出版されていませんでした。ヨウムのホームページもそんなに多くはない時代でした。なので、どうトレーニングしたらしゃべるようになるのかわからなかったというのが、実は本音なんです…。ただ、今振り返ってみると、「あの行動がキウイのおしゃべり教育にはよかったのかな」と思うことはあります。以下、その心当たりを書いてみますので、もしご覧になる方がいらっしゃいましたら参考程度に読んでいただければと思います。あくまで自己流です。「正しい答え」という意味ではありませんので、その旨ご容赦くださいね。たとえば、キウイを昼間置いておくケージの場所は、家族が一番よく集まるリビングにしたこと。キウイは昼間リビングにいて、ずーっと家族の言葉に耳を傾けていました。昔から、人の話に聞き耳を立てるのは好きな子でした(^^;キウイの会話の基礎は、ここで出来上がったように思います。キウイはおしゃべりらしいおしゃべりが始まったのは非常に遅い子で、「生後○ヶ月で“おはよう”が言えるようになりました~!」「生後○ヶ月で“はとぽっぽ”が歌えるように!」とネットで報告されているヨウちゃんたちを尻目に、我が家に来て2年近く、しゃべれた言葉は「きゅーちゃん。きゅ。」だけでした。ヨウムってしゃべれる鳥だって聞いてたけど、所詮こんなもんなんだなぁ。。。他のヨウちゃんがうらやましいなぁ。。。ま、しゃべれなくてもカワイイからいいや♪と親バカJAMは思っていたわけですが(^^;しかし、とある言葉をきっかけに、キウイは突然おしゃべり魂に火がついたようにしゃべりだしたのです。きっかけだった言葉、今でも覚えています。「クーラーつけるか?」…もっと感動的な言葉だったら良かったんだけどなぁ(^^;実はJAM家、ふるさと北海道の血が騒ぐのか(?)、リビングにしかクーラーが無い家なのです。リビングに居たキウイは、夏のあいだに何度か家族間で交わされたその言葉を、何故か真っ先に覚えたのでした。響きが気に入ったんでしょうか…。これを覚えてからが早かった。キウイは家族から話しかけられた言葉を元に、状況が判断できるようになってきました。たとえば、まだキウイがしゃべれないころ。JAM母は、出かけるJAM父を見送るのにキウイを一緒に玄関へ連れて行って「ほらキューちゃん、お父さんが行っちゃうよ!お父さんバイバイ!…ほら行っちゃったね~。」と、キウイにお父さんが出かけるところを見せながら、その状況を実況中継のようにしてキウイに話しかけていました。毎日毎日それを繰り返していくうちに、キウイは「玄関から人が出て行く時」=「“バイバイ”と言う」行動と言葉を関連づけてしゃべれるようになっていったのです。そのほかにも、キウイの目の前で重い荷物を「よいしょ」と言いながら持ち上げていたところ、「荷物を持ち上げるとき」=「“よいしょ”と言う」という図式がキウイの頭の中で形成されて、家族がスーパーの袋などを抱えて持ち上げようとすると、すかさずキウイから「よいしょー!よいしょー!」と合いの手が入るようになりました。なので、そう考えると。「人間一人・または人間同士の会話をヨウムの目の前でくりひろげる」「人間の行動を実況中継しながらヨウムに話しかける」といったことで、状況を理解しながらしゃべれるようになっていくのかなぁと思います。ただ。昔読んだ飼育本にこんなことが書いてありました。「インコやオウムは、“しゃべるから可愛い”“しゃべらないから可愛くない”というものではない。仕草や表情。愛らしい瞳。その“存在自体が可愛い”のです。」たとえば。キウイの喉が突然今日潰れたとしても。JAMは今日も明日も明後日もず~っと、「キウイはカワイイ」と思う親バカなのです。きっと。鳥を飼っている皆さん、そう思いますよね?
2007.10.21
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↑キウイとテレビの位置関係はこんな感じ。(写真汚くてすみません)昨日の某謝罪会見。たまたまテレビをつけたら始まったので、おおっ!と思って見ていたのですが、キウイも一言物申したかったようです。JAM:「あー!大毅ぼーずになってる!ぼーず!」キウイ:「おおっ!?」JAM:「うわー!大毅何も言わずに退場しちゃったよ。」キウイ:「あらららら~!」…。本当にわかってんのかおのれは(^^;まあ、“テレビを見て言っている”というよりは、“テレビを見ている人間のリアクションを見て言っている”という感じでしょうか。さて、話は変わりまして。今日はキウイが舌好調だったので、キウイのおしゃべり付き動画撮影に成功しました。さっそく載せちゃいます。動画載せること自体、かなり久しぶりですね(^^;朝のお見送り風景↑こちらをクリック!キウイは毎朝こうして、家族をお見送りするのが日課です。ちなみに「行ってくるからね」という単語は、「行ってらっしゃい」が何故かどうしても言えないキウイの、苦肉の策から生まれた言葉です(^^;
2007.10.18
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どうしよう。どうしよう歩けない。でも仕事休めない。どうしようどうしようどうしよう…。日曜日の昼間から、JAMは布団の上でそんなことばかり考えていました。とりあえず、トイレは這って行く。お風呂は無理でした。お風呂どころか洗顔も歯磨きも無理でした。食事は寝ながら食べました。しかしずーっと寝ていたところ、夜には少し起き上がってすり足ながら歩ける状態になってきたのです。そこでJAMが思ったこと。「ああ、これで明日は仕事に行ける。」それだけでした。仕事以外何もない生活をしていたので、思考回路がそれだけになっちゃったんですね。しかし、そんなすぐに症状が良くなるわけもなく、翌日の朝には、また歩けない状態に…。そこで布団の上でまた考えました。「ヒゲ先生は何も言わなかったけど、たぶんこれは椎間板ヘルニアだ。ヘルニアはレントゲンには写らない。ということはMRIを撮ってもらわなきゃ原因がハッキリしないわけだ。このへんで整形外科が有名な総合病院で、しかもMRIの予約が取りやすい病院は…」ぐるぐる思考がめぐりだしました。ようやく“もうこれは自力で転院してなんとかせにゃならんのだ”と思いだしたのです。ヒゲ先生から紹介状をもらう気は全くありませんでした。そしてふと思いついたのが「T第一病院」。インターネットで受付時間を確認したあと、会社に電話しました。「すみません、足の痛みがひどくて歩けなくなってしまったので、午前中だけ休ませていただけますか?病院に行った後、午後から出勤しますので…」↑脳の病気を疑ったほうが良かったのかも(^^;;;まだ仕事に行く気でいました。そして親に頼み込み、這うようにして車に乗りT第一病院へ。待合室では長椅子に横になって待ちました。先に背骨・腰・股関節のレントゲンを撮ってから診察。JAMの初診を担当したのは、T第一病院院長先生の息子である先生でした。(この先生、医者なのにかなりの筋肉質。なので以下“マッチョ先生”と呼びます・笑)マ:「うーん、確かに骨には異常ないね。ただこの股関節…。」J:「あ、やっぱり股関節もおかしいんでしょうか」マ:「普通の人より股関節に骨盤がかかってないんだよ。これは6割~7割くらい?生まれつきだからしょうがないけど、これもちょっとかかわってくるかもしれないね」…そんなことヒゲ先生は一言も言ってくれなかった…。マ:「とりあえず、MRIの予約取ってください。そして後日結果聞きに来て。仕事に行くか行かないかはあなたの判断に任せます。」J:「あ、そうですか…。(じゃあ行こうかな…)」マ:「でも。どんな病気でも無理して仕事したら悪化するでしょう。それをよく考えるようにしてくださいね。」J:「は…はい…。(見透かされてるわ…)」すごすごと診察室を後にしたJAMは、そのままMRIの予約室へ。その間に考えていたことは、「しょうがないから今日は一日休んで、午後にMRIの予約入れてもらおう。今日は月曜日だから明日から仕事に出て、火・水・木ってがんばって仕事すれば金曜日は仕事休みだから、その日に結果聞きにいけばいいし…」↑まだ仕事のこと考えてました(^^;MRIの予約はその日の午後にうまいこと取れたので、会社には「今日は申し訳ないのですが休ませてください。明日から会社行きますので。」とくっきりはっきり宣言の電話を入れ、午後5:30からMRIの撮影をすることに。MRIなんて楽勝♪だってただ30分くらいじっとしてればいいんでしょ?寝てるだけで済むなら楽な検査だわ~♪JAMはこのとき、とってもとっても楽観的でした。気づいてなかったのです。疼痛の酷いヘルニア患者がMRIを受けるとき、どういう苦痛が待ち受けているのか…。
2007.10.17
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この色、なかなか素敵じゃなぁい?そうねぇ、ここをこうして~、あそこをああして~。ふむふむ。出来上がりのイメージはついたわ。ちょっと~。ちょっとJAM母~。ミシンかけるわよーミシン。というわけで。監修。…いやいやいやいや。キウイさんウソついちゃいけません、ウソを。何故か昔から、キウイはミシンが大好きです。誰かがミシンを動かしていると、その人からまとわりついて離れなくなります。多分、ミシンについてる細かい部品を壊したくてたまらないだけだとは思うんですけど(^^;そういえば。このミシンを買い替えるときにも、キウイは少々かかわっていました。数年前。ミシンの販売員さんを自宅に呼んで、パンフレットを見ながらミシンの話をしていた所。JAM母「このミシンもいいけどね~。ちょっとお金が…」販売員「そうですねぇ、確かにお金が…」この会話に即座に反応したキウイ。キウイ「お金よぉぉぉぉぉ~♪」販売員「へっ?」キウイ「お金は大事よぉぉぉ~♪お金よぉぉぉ~~~~♪」突然、ビブラート全開で歌いだしたのです。笑いが止まらなくなる販売員。気まずいJAM家一同。当時、世の中では↑保険会社で働くアヒルの歌が流行っていたので…JAM母がキウイに歌わせようと、「よーく考えよ~♪お金は大事だよ~♪」と歌って聞かせていたのです。しかし、歌を教えても“自分の好きな歌詞しか覚えない”キウイさん。「お金は大事」このフレーズだけを覚えてしまったのでした。しかし、キウイの言うことは当たっていましたね。このミシン屋さん、アフターケアもしてくれるということで、現在使っているミシンを○○万円で購入したわけですが、先日ミシンの調子が悪くなったので電話してみたところ…「この電話番号は、現在使われておりません」…倒産してました(^^;まさに、“よーく考え”るべきでしたね。。。
2007.10.16
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JAMが最初に行った整形外科は、最寄り駅の側にある小さな診療所の整形外科。そこは腰の調子が悪くなったときによく通う整形外科でした。しかしここ数年、病院に行くほど調子は悪くなかったJAM。診療所でのJAMのカルテは、腰痛に苦しんでいた頃の記録はすでに無く、新しいものに差し替えられていました。しかしそこの診療所の先生(以下、ちょびヒゲ生やしているので“ヒゲ先生”)は、JAMの事を覚えていたらしく「あれ?あなた以前、腰悪くしてましたよね」と言ってくれました。その一言でちょっと安心していたJAM。…選択が間違っていたことにも気づかずに。ヒゲ先生に、現在の症状を・股関節の後ろ側、左臀部にチクチクとした痛みがある。・左の股関節に重心のかかるような体勢を取ると、膝が痺れる。と話しました。受診した時点で、JAMは股関節の後方に一番違和感を感じていたのです。この時、腰の痛みはありませんでした。ヒゲ先生はJAMに、仰向けになって足の上げ下げをしたり、感覚を確かめる検査をしたあと、椎間板ヘルニア等の異常が無いという判断をし、「じゃあ、左の股関節と膝のレントゲンを撮ろう」と言い、レントゲン室へ。腰椎のレントゲン写真は撮影しませんでした。レントゲンの結果、ヒゲ先生がJAMに付けた病名は『左股関節炎』と『左膝関節炎』でした。「骨には異常無いからね、痛み止めの飲み薬で様子見てよ。」軽くそう言われ、なんだか腑に落ちない気持ちを抱えたまま、薬を貰って帰宅しました。…しかし1週間薬で様子を見ても、一向に良くなる気配がありません。そのうち痛み止めの飲み薬も効かないほどの左臀部の痛み、そして左膝のごく一部にしかなかった痺れが膝全体に広がり、どうにもこうにも我慢できなくなったJAMは、もう一度ヒゲ先生の整形外科を受診することに。ヒゲ先生に「なんか薬飲んでも痛みが治まらなくなってきて…痺れも広がっていくんですけど…」と言うと、「じゃ、リハビリ始めようか。」簡単なお返事。検査も何もありませんでした。ちょっと不安になってきたJAMは、先生に質問してみることに。「先生、この症状が出る前に整体行ってたんです。その影響もありますかね?」ヒゲ先生、ここでリアクションが変わりました。「…整体?」あきらかにいきなり態度の変わるヒゲ先生。「整体で何されたかわかんないけど、あんなこと素人でもできるんだからね!あなたが明日から“整体やります”って言っても通用するんだよ!」要するに、「整体に通ったオマエが悪い」という事でした。ヒゲ先生は「整体」とか「カイロプラクティック」に対して異常なまでの敵意むきだしの様子。…言わなきゃよかった。地雷でした。ヒゲ先生は、JAMにつけた病名を変更することも無く、股関節と膝に電気とホットパックを当てる治療、そして理学療法士による股関節近辺のマッサージをさせました。7月に入ってから毎週2回ほどその診療所に通いました。仕事が忙しかったので、毎日通うのは物理的にも無理だったのです。しかも、リハビリを受けても症状が楽になる事は無く、むしろ症状が悪くなる事の方が多かった。受診して先生に痛みを訴えても「整体なんかに通うから」「真面目にリハビリ受けに来ないから」と言う返事。そして「痛み止めの飲み薬が効かないんだったら、座薬だね」と、やはり検査する事もなくJAMに痛み止め座薬を処方。さらに酷い先生のリアクションは続きました。決定打だったのが、左膝だけだった痺れはそのうち左臀部~大腿~膝~ふくらはぎまで広がり、痛みはますます酷くなり、足を引きずって歩くようになり、「最近、痛み止めの座薬を使っても痛みが治まらないんですけど…」と話したJAMに、「だったら使わなくていいっ!」と怒ったこと。ヒゲ先生の理屈では「効かない薬を使っても意味が無いだろう」とのこと。じゃあ痛みに耐えられないその間、JAMにはただガマンしろっていうこと…?ビックリしました。そして悟りました。…もっと早く気づけばよかったのですよ。「この医者おかしい」って。もう昔の、優しく誠実に診察してくれたヒゲ先生とは違う。見たところもうかなり齢を重ねられて、歳相応の頑固さが出てきていたのです。もうここじゃ駄目だ。7月28日・土曜日。東京まで片道2時間半かけて行かなきゃならない会社の研修。その前に、藁をも縋る思いでヒゲ先生の所へ立ち寄ったJAMですが、失意のどん底な気持ちを抱え、足を引きずったまま都内に出ました。具合が悪くても、どうしても参加しなくてはいけない研修でした。そして、「自分はそんなに重傷じゃない」と考えていた、JAMの甘さもありました。深夜に帰宅。そして翌日の日曜日。疲れ果てていたJAMは、お昼過ぎに目が覚めました。布団から起き上がってご飯を食べよう…と思ったところ、左足に今まで体験したことも無いようなすさまじい激痛が走ります。あまりに痛過ぎて声が出ない。上半身を起こすのが精一杯の状態。足を引きずりながら合計5時間の移動に耐えたJAMの体は、もう限界を超えていたようです。2007年7月29日。JAM、歩けなくなりました。
2007.10.15
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シャバに戻り、キウイと毎日ゆるりと過ごす。う~ん、なんか最近なかったなぁこういう生活。最初は「このまま仕事してないといつかアホになるっ!」と思いましたが。いかんせん体がどうしようもないので、まあいいか。って感じになりました。人生なるようになるもんさ。そして、またーりと過ごす昼下がり。お天気もいいので、キウイは歌を歌いだしました。↑歌っている最中に突然カメラを向けられて固まるキウイ(笑)。いつもは『作詞作曲キウイの歌』(間に必ず”キューちゃんは~♪”と自分の名前が入る歌詞とでたらめメロディが特徴です)を歌っているのですが、今日はなんだかちょっと違う様子。歌詞が気になるので、よーく耳を傾けてみると…。「せんの~か~♪」なんだ?大阪弁か?「ぜーに♪」ぜーにって、銭のこと?…。さっぱりわからない。なんだろうこの歌詞?意味が無いようにも思えないけど、キウイは大阪弁なんて覚える機会ないしなぁ。。。あれ。せんのか…ぜに…くっつけると、「せんのかぜに…」あれれ、もしかして。↑これっ!?どうやら、JAMの入院中にJAM母が教えてたらしいのですが、また中途半端な覚え方で修得してしまったようで…。キウイはこの曲が大好きらしく、JAM母と何回も一緒に聞いていた上、テレビでこの曲が流れ出したときは、動きを止めて聞き入っていたらしいです(^^;しかし…変なところで区切らなくても…。うちのプチ秋川、まだまだ修行が必要のようです。
2007.10.15
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さてさて。今日から始めることにしました『悶絶!腰椎椎間板ヘルニア闘病記』です。ネットで検索すると、この病気で悩まれている方はずいぶん多いようです。JAMが経験したのは『かなり稀』なケースらしく、そして厳密に言うと今も完治している状態ではないので、(お外に出るときは杖歩行です。杖が取れるまであと2ヶ月ほどかかるようです)闘病生活は現在も続いているわけですが。この病気で悩まれている方に少しでも参考になればと思い、今回ブログで記事を書くことにしました。2ヶ月の入院生活をさかのぼって書いていきますので、長い連載になっていくかと思いますが…。(しかもメインはヨウムブログなのに…)間にキウイネタも仕込んでいきますので、どうか末永いお付き合いを(^^;よろしくお願いいたしますm(_ _)m***************************『悶絶!腰椎椎間板ヘルニア闘病記~その1・発病までの経緯~』左足に異常が現れ始めたのは今年の6月下旬。きっかけは「整体」でした。よく街中にある「クイック整体」「あなたのコリをほぐします」的なお店、ありますよね。JAMは1件、そういう整体のお店に行きつけのところ(といっても行ったのはそれで3~4回目でしたが)がありまして、その日はあまりにも肩こりがひどかったので、肩だけ重点的にマッサージしてもらおうと思ったのです。いつものように行ってみると、直前の予約だったせいか、担当の方が以前までやってくれていた男性ではなく、女性の方でした。「うーん、いつもの人がいいんだけどな」となんとなく思ったのですが、「急な予約だったし、仕方ないか…」と思い、その女性にマッサージしてもらうことに。着替えをして、ベットに横になり、肩を重点的にマッサージしてもらうこと40分…。その女性は、私が特に希望していなかった、腰や背中のあたりもマッサージしていました。ちょっと”痛気持ちいい”感じだったので、そのままやってもらっていたのですが。「はい、終わりました」と言われて立ち上がったところ。<なんか、どうも、左のお尻の辺りにチクチクするような違和感が…>たぶんここで、「左のお尻が痛いです。マッサージしてもらう前は痛くなかったのに」と言っておけば、JAMはこの整体院をあとから訴えられたのかもしれませんが(^^;「気のせいだろう。ほっとけばそのうち良くなるでしょ?」と勝手に判断し、何も言わずにお金を払ってお店を出てしまったのです。数日経っても左臀部のチクチクとした痛みは治まりませんでした。そのうち、左の股関節のあたりに圧力がかかるような体勢をとると、たまに左膝の辺りにピリピリとした痺れが出るように。さらに日数が経つと、たまに痺れていた左膝が、常に痺れるような感じに…。ここ数年、ほとんど症状が出ていなかったので油断していたんですが。JAMは10代後半の学校の実習やアルバイトやボランティア、そして20代前半に介護にかかわる仕事をしていて腰痛が酷くなり(当時は筋筋膜性腰痛症と言われていました)立てなくなったり歩けなくなったりする事があったので、普段から腰周辺に少しでも異常を感じたらすぐ病院に行くようにしていました。そのため今回も、大事になる前に病院へ行こうと、整形外科を受診したのですが…。今思えば。まあ、なかなか転院しなかったJAMも悪いんですけど。最初に行った病院でちゃんとした治療を受けさせてくれていれば、今現在、こんなことになってなかったかもしれない。だって全く想像していなかったんです。誤診されるなんてこと…。
2007.10.14
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さてさて、久々ですがキウイの話題でも。(写真あんまうまく撮れなかったです、すみません(^^;)昔からず~~~~~っと気になっていたんですが。夜ご飯をを食べ終わったキウイ。足元は水入れです。この水入れ、よ~く見ると…ペレット漬けて食べる用と飲み水用に、きっちりキレイに分かれています。ずいぶん昔からこういうことするんですけど…。皆さんのお家のヨウムも、こうですか?うちのキウイが神経質なだけでしょうか(^^;
2007.10.13
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こ、こんにちは…。おそるおそるビクビクと…復活いたしましたJAMでございます。今年の正月からブログ書いてないんだもんよ~。「月一回更新目標!」とか言って、ウソばっかりでした。これじゃキウイに「JAMちゃん嘘つきダー。」(←実際本当に言われる)と突っ込まれても仕方ない気がします。(ブログも全然管理できていなかったので、コメントスパムを削除しきれず書き込み欄は掲示板も含めて全て閉鎖しておりました。この記事を書き終わったら再開の予定です。…って、いままだこのブログ見てくださってる方ってどのくらいいらっしゃるのかしら(^^;ほんとすいません)さてさて、沈黙の10ヶ月、JAMは何をしていたのか?かいつまんで説明いたしますと…。『仕事人間モードON! で完全仕事の鬼となる』↓↓↓『仕事は順調に進んで他人を蹴倒すまでに(?)働く修羅になる』↓↓↓『一人で生きていくために必要なのは金!と思い、ガンガン残業して残業代を稼ぐ』↓↓↓『平日は仕事・休日は睡眠。それ以外のことはほとんど何もやらなくなる』↓↓↓『ある日突然歩けなくなる』↓↓↓『入院』↓↓↓『2ヶ月で2回の手術を受ける』↓↓↓『つい先日ようやく退院』↓↓↓『職場復帰は来年1月からのため、年内は暇人となる』↓↓↓『今まで仕事以外何もしていなかったので、いきなり暇になっても時間をもてあます』↓↓↓『ブログ再開。これからもよろしくお願いいたしますm(_ _)m』異常です。あ、違った。以上です。なかなかヘビーな闘病生活でしたので、次回からはそんな記事も書いてみようかと思っております。そして入院中、全く私の事を忘れず待ち続けていてくれたキウイについても。今回入院して、改めて身に沁みました。ヨウムの愛は、偉大です。
2007.10.12
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皆様。大変大変大変大変お久しぶりでございます。黙ってブログから姿を消して…えっ!3ヶ月も経ってた!?…って感じのJAMでございます(^^;すいません。ホントすいません。これだけ更新しないんだったらもうブログ削除しときなさいよアンタ。と自分で自分に突っ込み入れつつ。こんなに更新してないブログなのに、様子を見に来てくださる方はいまだいらっしゃいまして。なんとお礼とお詫びを申し上げたらよいのやら。気にかけてくださって本当にありがとうございます。この場を借りて、お礼申し上げます。キウイは元気に暮らしております。JAMもまあ…なんとか(笑)。戌年は去年過ぎ去ってしまったのですが、昨年末にキウイには戌年ブームが訪れたようで。11月ごろだったかな?そのくらいから、「ワンワンワン!」と、犬の鳴きマネをするようになりました。…ただ、鳴きマネするだけだったらいいんですけど。家の窓越しに外を見て、散歩中の犬を引き止めるようにデカイ声で「ワンワンワンが来たね!」と言うのです。そして何故か”ワン”を3回繰り返すので、J:「キウイ、犬の事は普通”ワンワン”って言うんだよ。あんた1回多いよ」K:「ワンワンワン!」J:「だから”ワンワン”だってば」k:「ワンワンワン!」J:「だからワン…」K:「ワンワンワン!」…と、意地になって訂正しないので、彼には彼なりのこだわりがあるようです。ちなみに。近所にいるのはこんな感じの犬なんですが、この子を見るとK:「ワンワンワンが来たね!」と言うキウイ。柴犬みたいな犬にだけ言うのかな~?と思ったら。先日家の前にこんな感じの子が通りかかり。K:「ワンワンワンが来たよ!」と言っていたので(JAMはどう見てもぬいぐるみに見えましたが。っていうか飼い主さんの気合入りまくりでピカピカしてました)、どうやら「犬」という動物の区別はしっかり付いているようです。ちなみにそのシーズー、キウイに話しかけられて石の様に固まっておりました。一緒に連れて歩いていた飼い主さんは「まあ、しっぽが赤くてかわいいですね!」と、キウイの顔については一切触れずにホメてくれました(笑)。そこでふと思いました。もし家の前にこんなタイムリーな動物が歩いて行ったら、キウイは何て言うだろう…。
2007.01.03
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物陰からアライグマ姉を仕留めようと画策するキウイの図。…怖いです。キウイは家族の名前をしゃべりますが、アライグマ姉の名前だけはしゃべりません。なぜならば。ずーっと昔、キウイが突然キ:「アライグマ姉~」としゃべったら「呼び捨てにしないでよっ!!」とアライグマ姉に怒鳴り返されたから。それ以来、キウイは一切アライグマ姉の名前をしゃべらなくなりました(^^;…トラウマですな。************************************すいません、久々の話題がこんなんで。どうもダメなんです。ヘロヘロなんです。集中力まるでナシ。うーん。早く元気になって、いろいろバリバリやりたいものです。。。2日間の連休中にやったことは、パソコンに2ヶ月前に買ってほったらかしといた外付けハートディスクを取り付けたこと位…。今のパソコン、買って3年目にしてようやくバックアップ始めました。…危険ですね(^^;
2006.10.09
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爪切りデーでした。爪切り後のキウイはもうどうにでもして~状態です。横からもパチリ。写真だとずいぶんくつろいでるように見えるな~(^^;***********************************以下、管理人のぐちぐち。大阪&京都から帰ってきたのはもうだいぶ前の話なのに、ずいぶん更新がひさしぶりになってしまいました(^^;またいろいろ旅行中にいろいろ食べたもの写真撮ってまいりましたよ~。後日、自分のためだけにブログにUPする予定です(笑)。明日からまた月初で仕事が忙しくなるので、またいつブログが更新できるかわからないのですが…。で、低血圧は相変わらずなんですけどね。最近なんだか思考回路がまとまらんのです。ブログを書くに書けなかったのも、そのせいで。たぶん、これ歯の矯正の影響が多少あるんじゃないかと思うのです。旅行からいい気分で帰ってきて、その後矯正歯科に行って月1回の調整をしてもらったのですが、その調整で矯正装置をギリギリ絞められたあとの歯が痛いのなんのって。いまだにまともに固形物が食べられず、スープやらお茶漬けやらうどんやら伸びたインスタントラーメンやらを食べて生きているのですが。人間ってアレね。物を噛まないとほんとに脳みそがあほーになりますよ、これ。物を噛まずに飲み込んでいるせいか、脳みそに刺激が行かず(?)ついボーっとしちゃう。考えがまとまらない。注意力も散漫になるし、歯が痛いから夜中に目が覚めるし、何より食べたいものが食べられないからストレスが溜まる!!!うー、あとこれ1年半も続くんですか。でも、この苦労の先に美しい歯並びが待っているかと思えば…。と、耐えに耐えつつ、自分の口の中を定期的に写メで撮っては「おお!この辺とこの辺がちょっと動いてる!」と、一生懸命自分のテンションを上げるように努めるJAMなのでした(笑)。キレイな歯並びになったら、自分の歯並びブログにUPしちゃおうかしら。うふふ。…ヨウムブログなのにね(^^;
2006.10.01
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最近車で長旅が好きになったらしいJAM父が、先日の掛川行きに引き続き、本日またドライブに行くことになりました。今回はJAM父母のみなので、JAMとキウイはお留守番です。こういうときは必ずお見送りさせないと、キウイは半日くらいはず~っと文句を言うので玄関脇の窓にてお見送りさせました。以下その動画です。録画モード間違えて画像が荒くなっちゃったので、表示画面をちっちゃくしました。見づらくてすみません(^^;JAM父母お見送りその1~激しく反復横飛び(?)するキウイ~↑こちらをクリック!(こっちだけ自動再生設定してませんでした。すみません。再生ボタンを押してください)JAM父母お見送りその2~車が出た後呆然と立ち尽くすキウイ~↑こちらをクリック!この後、部屋に戻ってしばらくの間「お父さん行っちゃったね。困ったね」としゃべっておりました。それも録画できたらよかったんですけども、タイミングが合いませんでした。残念。しかしいつも思うのですが。うちのキウイって、なんでこんなにしゃべり声がダミ声なんだろう…。掛川のヨウちゃんなんか「ハロ~♪」って高音ハニーボイスでビックリしましたよ。一緒にその場に居たアライグマ姉が「やっぱりアイツの声はおかしいんだよ…。普通じゃないんだよ…。」と言っておりましたが、正直JAMは否定できませんでした(^^;遅い夏休み8連休も、あっという間に後半突入。明日からJAMは二泊三日で大阪&京都旅行に出発です。またキウイを置いていくわけですが…(^^;JAM父が居るので大丈夫だろうと思います。たぶん。たぶんね(笑)。それでは、行ってきまーす(^^)/~~~
2006.09.20
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