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朝から良い天気だ。晴れても降っても、我が家にとっては良い天気だ。
妻は、朝の工程を変えて、今朝は、調理の前に洗濯を選択した。
その結果、私のL寸のパンツやシャツが、
花たちの上を覆っています。
花には、はなはだ迷惑でしょうが、
それを自らでは避けることは、
はなから出来ません。
花の運命でしょうか。でも人にも同じ人はいるのでは?。
これが、本稿を書き始めた動機です。
目を通すか、通さないか、そうしたことは、
日々、刻々、瞬時瞬時の
おびただしい天文学的選択肢の中の一つ。
選択だから無意識にということはあっても、
厳密には、偶然の選択はない。
今、小さな食品店の店頭で、レジ前の棚にある16種のチュウインガムの中から、1個が売れた
といったことは、作り手、売り手から見たら
別にたいしたこともないことだろう。といった意識。あるいは多分にそうした意識すらも、
考えることもない当たり前のことと思うだろう。
こうした1個の売上は、一人の消費者の選択によって、
選ばれて、それが総和され、今日の売上が立ち、それが自分たちの月給の原資になっているなど
考えても、いまい。
選択の結果、その選択の結実が、この今の状況
と考えることは、実に重要である。それは、今からの選択によって望むべき結果を
得られることの確実な「証明」だからである。
このことから、過去は変えられないが、
こちらに向かってくる未来が結実したものは
変えられることが、仮説として言える。
そこでこの仮説を実証してみた。
続く
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