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37年前、浪人中で市ヶ谷にある城北予備校に通っていた。 当日は、予備校に行かずに本八幡の図書館で受験勉強を終えて、本八幡駅のプラットホームにあがった。 すでに日は落ちてあたりが真っ暗ななか、駅の新聞売り場を見たとき、三島由紀夫が防衛庁に乱入して自決したという、信じられないニュースを目にした。 あれから丸37年。今日は憂国忌。 仲間5人で豊島公会堂で開催されている37回目の憂国忌に参加した。 第一部では、当時三島氏と親交があった方々を交えてのシンポジウム。 あの事件は森田必勝主導ではなかったのかという話を中心に進んだ。 37年経ってはじめて知る事実。 三島氏も今、生きていれば82歳。今の世をどう見て、この話にどう答えたであろうか? 三島 vs 東大全共闘 演説 三島由紀夫 三島由紀夫演説文 三島由紀夫文学館 三島由紀夫研究会 三島由紀夫 自決の現場写真 憂国忌趣意書
2007年11月25日
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仲代達矢の奥さんが作ったという言葉「赤秋(せきしゅう)」 青い春に対して真っ赤に燃える秋。 真っ赤に生きて誇り高く老いるという意味だそう。 青春とは何だ! に対抗して!! これが「赤秋」だ! ブログ Meekoのひとり言 ブログ 赤秋のこと ブログ 仲代達矢「赤秋」 テレビ 青春とはなんだ! にほんブログ村 日々の出来事ランキング暮らしを楽しむ Facebook Twitter instagram -----------------------------------------------------------------------ワンストップ習志野-----------------------------------------------------------------------習志野ぶらり-----------------------------------------------------------------------習志野ぶっくさろん-----------------------------------------------------------------------習志野わくわくMAP-----------------------------------------------------------------------「習志野防災かるた」が完成-----------------------------------------------------------------------わくわく習志野-----------------------------------------------------------------------わくわく習志野(ツイッター)-----------------------------------------------------------------------足で拾ったビジュアル習志野情報-----------------------------------------------------------------------習志野の民話が形(本)になりました-----------------------------------------------------------------------アクティブシニアネットワーク・習志野-----------------------------------------------------------------------アクティブシニア市民講座(習志野)-----------------------------------------------------------------------夢こむさ習志野-----------------------------------------------------------------------
2007年11月24日
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著者はあの「千夜千冊」で有名な編集工学研究所の松岡氏。さすがに氏の知識の深さと広さに圧倒される。 まずは、「編集」のとらえ方の広さに目からうろこが落ちた思い。 以下、「はじめに」から抜粋引用 ”本書でつかう「編集」という言葉はとても大きな範囲に使われています。‥‥ ‥‥どう広いかというと、人間が言葉や図形や動作を覚え、それらを使って意味を組み立て、人々とコミュニケーションをすること、そのすべてに編集方法が生きているとみなします。だからふだんの会話にも編集があるし、学問にも編集が動いているし、芸能や料理にもスポーツも編集されているというふうに見るわけです。 ‥‥そもそもすべての情報はなんらかの形に編集されています。法のかたち、スポーツ・ルールのかたち、音楽のかたち、テレビニュースのかたち、学校教育のかたち、科学法則のかたち、われわれは編集世界というものの中で生きているのです。しかし、このような情報を、われわれにとって必要なものとするには、それなりの方法が獲得されなければなりません。 このように、あれこれの情報が「われわれにとって必要な情報」になることを、ふつうは「知」といいます。情報をそのような「知」にしていくことが編集なのです。‥‥ ‥‥実は、21世紀を前にして社会全体は大きな再編集時代をむかえています。‥‥ ‥‥いよいよ一人ひとりによる各自の編集力が急速に要請されるようになってきているのです。 ‥‥次のことをなんとなくアタマの片隅において、読みすすんでいってください。 1.編集は遊びから生まれる 2.編集は対話から生まれる 3.編集は不足から生まれる 1.編集は照合である 2.編集は連想である 3.編集は冒険である” ------------------------------------------------------- あいだに「編集稽古」と称される面白い問題を挟み込んでいる本書の編集。 編集は「文化」と「文脈」を大切にする、編集はつねに「情報の様子」に目をつける、編集は日々の会話のように「相互共振」する、堅い編集と柔らかい編集がある、編集の「地」と「図」をつくる、など、ものの見方の視野が広がること、この上ない。 「ISIS編集学校」を開校したとのことなので、さらによく理解するために、訪ねてみると面白い。 ISIS 編集工学研究所 構想日本 編集工学とWEB2.0
2007年11月23日
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「はじめに」から一部抜粋引用 ”「日本を教育した人々」というと、一見おかしなタイトルのように見えるかもしれない。だが、あえていま、このことについて論じようとするのは日本の行く末について、ただならぬ不安感が漂っているからだ。‥‥ ‥‥いまは方向性を見失っており、あらためて考えなくてはいけなくなったということである。‥‥ ‥‥そういう時は基本に戻ることが大切である。‥‥ ‥‥問題にすべきは、戻るべき基本を持たないことである。 ‥‥日本全体がスランプに陥っているいま、あらためて国家百年の大計としての「日本の教育」の基本に戻ることが大切だと思う。‥‥ ‥‥身近な歴史として、近代日本の基礎となった幕末から明治維新期に思いをめぐらせてみるのが妥当なのではないだろうか。” その視座として著者は4人の代表的な人物にスポットを当てた。 以下、目次と本文一部抜粋 第一章 吉田松陰と沸騰する情熱の伝播 第二章 福沢諭吉の「私立」という生き方 ”彼は武士の漢学の素養をもとにし、学習する構えを完成させていたのである。‥‥ ‥‥日本人の教育のなかで最も大事なものとして、構えの教育があったと私は思っている。私が教育学を学問のテーマとして選んだ時の最大のキーワードは「構え」という概念だった。「構え」とは、私の考えでは、物事に向かうときの身体や心がセットになった姿勢のようなものを指す。たとえば、学ぶ構えのない人に何かを教えようとしても、少しも吸収されない。しかし、ひとたび学ぶ構えに入ったときには、同じことを聞いても吸収度がまったく変わってくる。‥‥ ‥‥人間は、ひとつでも多く知識を得たい、あるいは一歩でも先に進みたいという気持ちになっているときは、気持ちが盛り上がっているので幸福感を得やすい。一番楽しい時は、何かをやり遂げてしまったときではなく、「これからたくさん学べるんだ」と思うときだ。その興奮がずっと続くような人は、一生幸せに過ごせるのである。” 第三章 「夏目漱石」という憧れの構造 第四章 日本史をつなぐ司馬遼太郎 「日本人としてのアイデンティティを教える」の小見出しの中から ”アイデンティティの定義は「あなたは誰ですか」「あなたは何者ですか」と聞かれたとき、「私は○○です」と気持ちの張りを持って答えられる、そのときの「○○」がアイデンティティである。 ‥‥要するに、自分の帰属する集団に心の張りを持てるかどうかが、アイデンティティになっているかどうかの分かれ目である。” ”もし司馬遼太郎がいなかったら、と想像してみると、” ‥‥のクダリがあるが、前向きで明るい元気を日本人に与えてくれた偉大な教育者であったとあらためて感じる。 ”「日本を教育した人々」を並べてみると、松陰はホットに伝え、福沢はクールに伝え、漱石はホットでもクールでもなく、とても迷いながら伝えたという感じになる。” との見方が面白く、4人目に司馬遼太郎を選んだ著者の近代日本の歴史を見る目の洞察の深さを感じてしまう。
2007年11月23日
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はじめに‥‥で予言をしている 「早晩、プロフェッショナル・クラスが台頭し、日本産業界を揺り動かす」 「だれでもプロフェッショナルになれる」 以下本文から抜粋引用 ”21世紀の経済社会は「見えない空間」との戦いです。‥‥‥‥そのためには、見えないものを見る力、構想力、分析する力、インテグレート(合成する)力、そして何よりも21世紀経済に対する正しい理解と洞察が必要です。” ”戦略を策定するに当たっては、競争相手を計算に入れることはもちろん大切ですが、それを第一に考えてはなりません。「顧客のニーズ」を丹念に調べ、そのニーズに応えるには自社がどの程度の「真の自由度」を持っているかを綿密に分析することも重要です。‥‥ ‥‥具体的手法としては、「プロフィット・ドライバー」(利益を拡大させるカギとなる要因)の再定義が有効です。 その視点から新たな成長をとらえてみると、手の施しようもなくコモディティ化が進んでいる、あるいは戦略的な魅力に乏しいという理由から見向きもされなかった業界にも、成功事例が転がっています。” あとがきから ”21世紀の経済社会の特徴は、大きな流れが実は見えない、いままでの流れの中で専門知識と行動規範で優れているスペシャリストがなぜ頓挫するのか? 与えられた組織を上手く動かす能力に長けたスーパーゼネラリストが何故頓挫するのか?それは能力があればあるほど、間違った方向に集団を早く導いてしまうからです。いま問われているのは程度や規模ではなく、「方向」なのです。” 大変に示唆に富んだ言葉である。 因みに現代は複雑な糸が絡み合って、あちらを立てれば、こちらが立たないという「トレードオフ」の世界である。 第五章 矛盾に適応する力 が特に興味深く読めた。
2007年11月23日
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会社のOBの方々との久々のゴルフ。 歳月の流れをお互いに感じながらプレーを進めた。 終了後の懇談会で、ある方がやおらに包みを開けて取り出したのが、何と‥‥‥数十冊の本。 「二人で登った三百名山」 写真入りで美しく装丁されている。さぞや、費用がかかったことではと推測してしまう。 百名山を制覇したとの話は、以前にそれとなく聞いてはいたが‥‥‥、 定年以降の素晴らしい目標と生き方である。 早速、購入して拝見させていただいた。
2007年11月20日
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冒頭の小見出しに「一身にして二生を経る」とあり、福沢諭吉の「文明論之概略」緒言にある、幕末から明治への変化について「恰も一身にして二生を経るが如く、一身にして両身あるが如し」との表現を紹介しながら、「1975年から2025年までの半世紀」は、百年先にどう総括されるのだろうか?と、問題提起している。 本のカバーに書いてある概要から以下を引用。 ”現代は、江戸から明治に匹敵する「時代の大きな変わり目」だ。ウェブという「学習の高速道路」によって、どんな職業の可能性がひらかれたのか。食べていけるだけのお金を稼ぎつつ、「好き」を貫いて知的に生きることは可能なのか。この混沌として面白い時代に、少しでも「見晴らしのいい場所」に立ち、より多くの自由を手にするために‥‥。オプティミズムに貫かれ、リアリズムに裏打ちされた、待望の仕事論・人生論” 目次は 序 章 混沌とした面白い時代 第一章 グーグルと「もうひとつの地球」 第二章 新しいリーダーシップ 第三章 「高速道路」と「けものみち」 第四章 ロールモデル思考法 第五章 手ぶらの知的生産 第六章 大組織vs.小組織 第七章 新しい職業 終 章 ウェブは自ら助くる者を助く この本は著者の初刊である「ウェブ進化論」の反響をウェブで不特定多数の人から得て、それを整理したものであり、独りよがりの仮説ではないと感じる。 インターネットが普及し、漠然と面白い時代と感じていたが、どのようなスタンスでどのようにかかわり、どのように考えていけば良いのか、モヤモヤしているところがあったが、この本を読み、考え方の指針を与えられたような気がする。 以下は中身から一部抜粋引用 ”オープンソース・プロジェクトは、リーダーがインターネット上という土壌に、自らの作品の原型という「種」を蒔くことから始まる。その種に興味を持つ「不特定多数の開発者がネット上に集まり、小さなコミュニティが自然発生する。リーダーは作品に日々手を加えていく。その過程を見た「不特定多数の開発者が」、自分が最も興味を覚える「作品開発の一部」に参加する” ”自然状態のネットのパブリック空間は、善悪、清濁、可能性と危険といった社会的矛盾を含む混沌なのだが、その中核に「不特定多数を信頼する」心を持ち「人生をうずめる」ように「好き」な対象に没頭するリーダーが現れたときに、そのリーダーが作り出すコミュニティは公共性・利他性を帯び始めるのだ” ”関心を同じくする真の仲間を発見することができるようになった。その喜びこそが、オープンソースの不思議を解くカギである。志向性を同じくするゆえにお互いを深く理解する「同行の士」たちによって自らの達成が承認・賞賛されることは、私たちに人生に訪れる最も重要な喜びに違いない。ネットで好きなことをへの没頭が続けられる理由はここにある。” ”お金をあまりかけずとも、「内面的な報酬」を求めて、能動的で創造的な行為における「好き」を貫く自由が広がるのだ。 自らの志向性にあわせた共同体へ移行する自由が与えられたことではないかと思う。地縁、血縁、家族、学校、会社といったリアル社会のコミュニティから、「時間の使い方」の優先順位を変えることで「志向性の共同体」へ移行する自由である。‥‥ ‥‥人間は一人ひとりまったく違う。その志向性を見極め、広い世界の中で自分の適した場所を見つけて、そこで生きていける自由は素晴らしいと思う。” 現代に巡り合わせて生きていることをこの上なく有難く感じる。オススメの本である。 ★★★★☆(買いましょう。素晴らしい本です) <私の評価基準> ★★★★★(お薦めです!家宝となるでしょう) ★★★★☆(買いましょう。素晴らしい本です) ★★★☆☆(社会人として読むべき一冊です) ★★☆☆☆(時間とお金に余裕があればぜひ) ★☆☆☆☆(人によっては価値を見い出すかも。) ☆☆☆☆☆(こういう本は掲載しません) 到知出版社発行 安岡正泰著 「安岡正篤 一日一言」から引用 運を高める 人間は深い精神生活を持たなければ、本当の意味の形相・色相は養われない。結局、運というものは相に現われ、相がよくなれば運もよくなる。しかし運をよくしようと思えば、結局、心を養わなければならない。心を養うということは学問をすることで、したがって、本当の学問をすれば人相もよくなり、運もよくなる。すべてがよくなる。運も相も結局は学問にほかならないのである。学問・修養すれば自ずからよくなる。そこで昔から本当の学者聖賢は、相や運の大事なことは知っておるけれども、敢てそれを説かなかった。
2007年11月18日
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著者は、 儲け(利益)=払い戻し額(売上)-購入額(費用) という会計学の基本を引用している。 このことは、いかに人気の盲点となっているレースを選択していかに効率よく売上を回収し、費用となるハズレ馬券をいかに減らすかということである。 著者は予想する上で3つのルールを貫いている。 1.新馬戦、未勝利戦で勝負する 2.穴狙いに徹する 3.勝負レースを絞る そしてレースを絞るポイントとして選ぶレースポイントとして (1)危ない人気馬がいる (2)わけあり敗戦からの変わり身が期待できる人気薄馬がいる (3)調教時計を見極める この中で、新馬、未勝利戦で勝負するか否かは人の好みとか感性によるのだろうが‥‥。 そして、予想するには会計監査での「リスクアプローチ」の概念を用いる。すなわち、リスクの高い部分は重点的に、リスクの低いポイントは簡略化して予想を行うこと。 同感である。何しろ、時間は有限なのだから。 結論として、とにかく、回収率を上げるには、いかに辛抱強く、我慢するか、上記条件に合うレースを選択して、できるだけ購入点数を絞れるか。これにつきる。 そうでなければ、必然的に「大数の法則」である控除率25%に限りなく近づいてしまうことは明白である。 本当に研究して、レースと買い方を精選すればそれなりに回収率が上がることは間違いない。 投資ファンドにつぎ込むのも、競馬につぎ込むのもそれほど変わりはないと思う。 ただし、気持ちに余裕がなくなったら、冷静な予想などできるわけがない。 前提条件として、何事も余裕を持って運用するものである。 なんてことを思っているが‥‥。現実はなかなか‥‥。
2007年11月18日
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”最近、足りないもの、それは「遊び心」ではないだろうか”で始まる。”「目の前にあるものをすぐに取りに行かない」それが品性なのだ”と作家の伊集院静氏の言葉も引用している。”「遊び心」「ゆとり心」を取り戻し、もっと奥深い人生を送ってもらいたい” と、まえがきにあるように、1日いちにちを味わい深く過ごしていけたらと思う。
2007年11月18日
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最近、めっきり見つけることが難しくなった秋。 夏が幅をきかせ、春と秋が一段と影が薄くなっていくよう。 一昔前の圧倒的な秋を体感できない。 これはいろいろな科学技術の進歩による生活の変化や都市化なども当然影響しているのだろうが‥‥。 温暖化も一枚加わっているのだろう。 朝、石神井公園の脇を通り、目に入ったすすき。 思わずデジカメで‥‥ 一枚!
2007年11月16日
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夕刊フジのコラム《ホソジュンの「ヨモウマ話」》に思わずなごんだ。 以下、一部引用 ”そんな私の心を代弁してくれる馬が、先週、東京競馬場で出走した。その名も、ソンナノカンケーネ号。 騎乗した23歳のイケメン松岡正海騎手は、馬場入場の際、右の拳を上下させるパフォーマンスでお客さんの前を通過。場内から笑いと拍手が湧き上がりました。‥‥ ‥‥馬名ですが、きちんとした条件もあるんです。 2文字以上9文字以下で、過去の有名な馬の名前以外。理由・意味のあるもの。ですから、JRAに馬名申請する際は、規定の用紙に、その名前をつけた意図・理由を記入しなければならないのです。 ちなみに、ソンナノカンケーネ号の理由欄には「そんなの関係ねえ」と記入し、パス!!” 最近は競馬の楽しみ方も多様化した。 ユニークな名前でもファンを楽しませる たかが競馬、されど競馬 たかが馬名、されど馬名 である。 -----------------------------------------いろいろな使い方ができて面白い「透明フセン」第11次モニター募集中です。残席わずかです。お早めにどうぞ!http://www4.ocn.ne.jp/~etiquett/monitor.html-----------------------------------------
2007年11月15日
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今日は毎年秋恒例の「和太鼓inならしの」の発表会。 今年もまた、ビデオ係の担当。 後方に席を陣取り、録画の準備をするが、バッテリーとテープが60分もの。ワンステージも60分で微妙。 一部はステージが延びてややはみ出したが、二部は何とか撮れた。 娘も急遽、写真係で半日のアルバイトで雇い、何とか写真も撮り終えた。 秋のひとつの行事が終了してホット一段落。 火曜日の地元のタウンテレビで18時から放映されるとのことで、どのように映っているか楽しみである。
2007年11月11日
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夕刊フジは通常の大手新聞とは若干色合いが違い、いろいろなニュースの隙間を埋めてくれることがあるので面白い。常にではないが‥‥。 10日のコラム「金融コンフィデンシャル」で須田慎一郎氏が書いていた記事から、一部引用抜粋。 ”日本の大手マスコミは、この事実をほとんど報じていないが、マーケット関係者はかたずをのんで、この指標の行方を見守っているといっていい。‥‥ 「歴史的なドル安とでも言うべき状況が進行中なのです。まさに「ドル大暴落」が進みつつある。」(メガバンク担当者)”との引用記事もある。 どの程度にとらえたらよいのか、よくわからないが、今週後半からNY株急落、それにつれての日本株下落が伝えられており、週明け以降の動きが何か気になる。
2007年11月11日
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先日、「同窓会開催の準備するので来ないか」との誘いを受け、ヒョコヒョコと出かけた。 たった1年しか在籍しない中学校だったが、越境で片道約1時間の電車通学で通った、印象に残っている学校生活であった。 メンバーは5名で、自身は上記事情により、ほとんど門外であるが、話の端々に出てくる人の名前に、思わず記憶がよみがえる。 一人が持参した古ぼけたアルバムを開くと、忘れていた先生などが次々と思い出され、また、意外の若さに驚いた。 同級生もみんな初々しい。 ああ~、そう言えばこんな人もいたなあ~。 とりわけ、話題の中心は学校内で知らない人がいなかったマドンナ的存在だったSさん。今も声楽界で活躍中である。 そして、こんなことも‥‥。 「Mの親父はアイジョージの赤いグラスの作曲をした人だって‥‥。」 「Fのおねえさんが《じゅんとネネ》となんだって‥‥。」 40年を経て、セピア色に変わり果てた卒業写真アルバムはいろいろなことを語りかけてくれた。
2007年11月10日
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本つくりのプロである「両国の隠居」さんがラジオに出るとの記事が、ミクシーで流れていたので、朝からNHKにチューナーを合わせた。 残間さんと土田アナウンサーとの30分の対談である。 局側が事前に氏のブログからいろいろな情報を仕入れたらしく、直前になって当日の内容の展開が変わったらしいが、放送は順調に終了した。 オフ会での穏やかな口調がそのまま電波に乗ったという感じで聞きやすかった。 近年、本を出したいという人が増えているが、そのような方々に大変に参考になった内容ではないかと感じた。
2007年11月10日
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M党のO党主の辞任騒動が先週のニュースを賑わしたが、興味深いニュースが夕刊フジに載っていた。 辞意撤回の会見で「心身共に疲れきっていた」と話した氏。 その背景のひとつに「愛犬の死があるのではないか」と言う関係者もいるとの記事。 都内の自宅で飼っていたメスの柴犬「チビ」が10月17日に18歳で大往生をしたとのこと。 政治判断に影響をするわけではないが、相当に悲しんだはずと結んでいる。 今や、ペットの数は子ども以上だという。 自然から隔離され、ストレスの多い管理社会で癒しをペットに求める人も多い。 そんなさりげない記事が、人の心理の微妙なところをついているのかもしれない。
2007年11月10日
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朝、いつものように家を出て、だいぶ過ぎた頃だった。 ん? 何かおかしい‥ 少しして事態がつかめた。 あっ、またやってしまった! バンドをしていない。 たまにやる失敗である。 今日は何となくしまらない1日となってしまった。 到知出版社発行 安岡正泰著 「安岡正篤 一日一言」から引用 11月6日 立命の学 人と生まれた以上、本当に自分を究尽し、修練すれば、何十億も人間がおろうが人相がみな違っているように、他人にない性質と能力を必ず持っている。それをうまく開発すれば、誰でもそれを発揮することができる。これを「運命学」「立命の学」という。今日の言葉でいうならば「人間科学」というものだ。これが東洋哲学の一番生粋である。
2007年11月06日
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『あまりに当たり前で日常的なことは記録に残らない。』 建築家である藤森照信氏の日経コラム「明日への話題」の冒頭にこんなことが書かれていた。 以下も一部引用 ”後から振り返ると、大事なことが当たり前に忘れられてゆく。” ”当たり前で日常的なことを後から調べる時、困るのはその割合がどの位なのか、確かめるのが難しい。”と そして、その記事の最後で ”わらぶき屋根の頂部を芝棟といい、みんなの屋根に花が咲いている。昔の日本はそんな美しい国だったのである。”と結んでいる。 ”屋根に花咲く美しい国、忘れられた美しい国 日本” 何気ない写真から思いがけずに、その手がかりが見つかったりする。
2007年11月05日
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健康を考える上で意味深い記事が、日刊スポーツ新聞に載っていたので、以下抜粋引用 ”健康づくりのためには社会的決定要因、社会的規定因子という前提条件があり、WHOでは根拠のある要因として以下を挙げている。 1.社会格差 2.ストレス 3.幼少期 4.社会的排除(生活の質) 5.労働環境 6.失業(雇用の確保) 7.社会的(家族、職場、地域)支援ネットワーク 8.薬物依存 9.食生活環境(供給、安全) 10.健康的な交通環境” ”病気とは体に備わっている恒常性が侵されている状態。恒常性には許容量があり、予備能と呼ばれる。加齢とともに予備能は低下する。高齢者が病気がちになる最大の理由でもある。 「予備能とはつまり余裕です。健康は余裕によって支えられているわけです。身体的余裕、精神的余裕、社会的余裕が健康のファクターといえます。WHOなどが挙げる健康づくりの前提条件も余裕を損なうものを除き、余裕をつくり出すものです。」” 西洋医学的な部分治療が注目されているが、やはり、病気を引き起こす遠因を取り除いていくことが肝要とあらためて感じた。 -------------------------------------------------◎◎◎ 和太鼓 IN ならしの ◎◎◎日 時 : 11月11日(日)13:30~16:00場 所 : 習志野市民会館(大久保駅徒歩1分)演 目 : 第一部 袖ヶ浦幼稚園 袖ヶ浦西小学校 三組 袖ヶ浦西小学校 三年生 袖ヶ浦東小学校 五年生 袖ヶ浦公民館 和太鼓倶楽部 第二部 和太鼓そでっ鼓連 特別出演 鈴木淳一(和太鼓奏者) 下村義弘(習志野市在住)問合せ先 袖ヶ浦公民館 047-451-6776-------------------------------------------------
2007年11月04日
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グローバルに昼夜を問わず、相乗的にナノ時間で進化を続けていく現代社会。 ネット社会もこれに輪をかけて、小宇宙化して、爆発的な拡大の一途。 なんでも存在し、何でもつながる、その玉石混合の中で、自分が気にいる良いものをいかに早く的確に見つけるか、これは至難の業である。 現在の方法は偶然性が極めて高いやり方であり、これから一歩どう飛躍できるかが現在の大きな課題である。 そんな中で、ブログパーツ広場にMy Albumというささやかなパーツがあるのを見つけた。 これはブログに掲載した画像を収集して、自動表示するブログパーツとのこと。 自身のブログの相乗効果を生み出していく上で、うまく使えないか?ささやかに模索中です。 残念ながら、楽天ブログには適用できないとのことで、他のサイトにアップしてみた。
2007年11月03日
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城山三郎氏を敬愛してやまないという高杉氏が、バブル以降、小泉政権以降の社会を世に問う本であり、荒削りの感じがする内容であるが、氏の権力に迎合しない使命感を感じさせるものである。 以下抜粋引用 ”幸せのかたちは、近年のグローバル化の進展のなかで大きく変わってしまった。日本は1950年代の後半から経済成長を続けてきたが、それが彼らの幸福とある程度のバランスで一致していたのは、バブル経済までであった。 その後の長きにわたる経済低迷を経て、「改革」を謳う小泉政権が登場すると、個人の幸福は経済成長とは別物になってしまったと言えるのではないか。” ”いいものをつくる。それが社会のためになり、ひいては個人の幸福につながる。何かを創造していくという喜びが人生で大切なのではないか。” ”現在のようなアメリカ主導の市場経済は、実は真の市場経済ではなく、そのなかで行われている競争は、各国の歴史や文化、慣習を無視した、カネにカネを生ませるだけの倫理なき虚構の競争である。”
2007年11月02日
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