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崇神天皇陵のほとりを行く背景に二上山、葛城、金剛の山並みが見えている地元の楽歩会、参加者24名寒波に見舞われている割には穏かな天候山の辺の道は、とにかくここを歩くだけでのんびり、ゆったりの気分を味あわせてくれるコース:JR柳本駅→黒塚古墳→崇神天皇陵→天理市トレイルセンター(昼食)→萱生環濠集落→夜都伎神社→天理観光農園→石上神宮→天理教本部見学→近鉄天理駅崇神天皇陵、別名・行燈山古墳(あんどんやま)主婦はどうしても買い物に余念がない切り干し、干し柿、こんにゃく、ミカン・・・・・・天理教本部では教会内を案内付きで見学させてもらったこれはかねてからの願望で、〇本さんの好意によるもの敷地の広さ、建物の大きさなどにはもちろん驚いたが印象に残ったのは「陽気暮らし」という言葉今日のところは言葉を聞いて、不思議なことを言うものだなという程度、もう少し詳しくわかればまたご報告いたします。
2018/01/31
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折々のことば(鷲田清一)「ない」ものではなく「ある」ものに注目する「できない」ことではなく「できる」ことに注目する湯浅誠苦境を打開する何かを「外から引っ張ってくる」……。そんな発想では地域の活性化はできないと「反貧困」の社会活動家は言う。ここに潜在してあるのにその可能性を十分開花させていないものを見つけそれに形を与えることから始めよと。人の支援も教育もきっと同じ。『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(文庫版)から。(2018・1・28)とても良い言葉だと思います心豊かな毎日を過ごすためのヒントになる逆を考えればわかりますよねないものねだりをして、出来ないことを嘆く自分では何もしないで誰かが手助けしてくれるのを待つこれでは心が貧しくなるばかりですボクもこの言葉のようでありたいと日頃から、心掛けているのですが・・・・・・
2018/01/30
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フキノトウが見つかりました!昨年のブログを見ていたら14日にフキノトウの記事を書いている(→☆)カミサンに話したら早速行って20個ほど見つけてくれた半分は弟におすそ分けして〇須さんからもらって冷凍にしていた釣果のサヨリと一緒にてんぷらにして食べました噛んだ時のふんわりとした感触口中にひろがる春の香り自然の恵みに感謝!しぼりたて原酒によく合いました。
2018/01/29
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今年度三度目の里山保全作業、参加者33名今回は西山の作業下草刈り、立ち枯れの樹木伐採溜池の土砂さらいなどを行いました。下草刈り立ち枯れの樹木片づけ池に堆積した砂揚げ、今日は土のうに800袋人が集まると成果も見えますボランティアなので、体力に応じての労働それでも肉体労働はいい、夕食のビールのうまいこと!
2018/01/28
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いとことその配偶者が集まるいとこ会今年は ❝がんこ枚方店❞ で開催参加者15名、欠席2名継続は何とかといいますが最初の開催から31年目31年、なんかすごい年月なのに、いまでも○○ちゃんと呼び合うお互いにそれぞれの人生を生きてきて少しも変わらないものがそこにある人が集まるのはいいものですねちなみに昨年はこちら(→☆)
2018/01/27
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1月22日(月)くもり関西空港→宮古空港(直行便)空港→池間大橋→池間島(バスで一周)→池間大橋→雪塩製塩所→西平安名崎(にしへんなざき)→島尻マングローブ→ホテル1月23日(火)曇りのち晴れホテル→伊良部大橋→伊良部島→下地島→下地島空港跡→通り池→伊良部島→牧山公園→伊良部大橋→平良散策(昼食)→東平安名崎→ホテル1月24日(水)くもり、強風、終日ウォークホテル→シギラリゾート内散策(ドイツ村ほか)→嘉手苅→下地庁舎→池田矼(いけだはし)→ヌーズマー御嶽→島の駅→平良(夕食)→ホテル1月25日(木)くもりホテル→来間大橋→来間島→来間大橋→宮古空港→宮古空港→関西空港沖縄訪問は八度目になるが離島では石垣島に次いで宮古島は二つ目になる予備知識は唯一、トライアスロンをやってる島しかし初めての所は何を見ても感動する滞在したのはシギラリゾートという長期滞在型のリゾート施設ホテルも6種類あり、温泉やらビーチ何種類かのレストラン、ゴルフ場その他の施設があり現在もまだその他の施設を建設中であるそのため完成されたリゾートという印象ではないスリランカでこれに似たリゾートに滞在したことがありここもちょっと日本離れしたリゾート言う印象ボクたちが滞在したのは昨年11月20日にオープンしたホテルシーブリーズカジュアル、今回はそのモニターツアーであったもう一度沖縄を訪ねるなら、次は西表諸島へ行ってみたい!
2018/01/26
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宮古空港旅の四日間などあっという間ホテルを出て来間島に立ち寄り空港へ直行これで宮古島本島と池間島、伊良部島下地島、来間島の五島を訪ねたことになる宮古島の印象を一言で言えばサトウキビの島島中、どこへ行ってもサトウキビ畑がある米作はなく、目につくのはサトウキビの他には葉煙草、カボチャ、アロエ、キャベツの畑などわずか三泊四日のあっという間の滞在だったけれどそれなりに旅を楽しめた四日間でした来間大橋(くりまおおはし)1995年3月に開通した宮古本島と来間島を結ぶ1690mの橋橋が出来たことによって島で暮らす人々の生活は飛躍的に便利になったと聞きました関空に向かう途中の機内アナウンスで大阪の気温は4度と聞きましたがリムジンバスの乗り場に出て実感しました家に帰って、あまりの寒さに震えあがっています今夜は熱燗を頂きます風邪をひかないようにしなっくちゃです!
2018/01/25
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まる1日自由行動2日間バスであちらこちらと案内してもらったので自由行動の今日はウォークの日にしたホテルから島の西海岸に出て平良まで歩いた昼食は渦巻きパン、マクドナルドでコーヒー島の駅で買い物、休憩を入れて7時間4時開店の中山という居酒屋で夕食ホテルに帰って温泉で汗を流して1日終了1日曇りでかなり強い風が吹いていた道中はずっとサトウキビ畑でザワワを実感本日の歩数は25000歩カミサンもよく頑張った念のためタクシー会社の電話番号を控えておいたけど不要だったなぜか画像のアップがうまくいかない残念ながらこの一枚だけ
2018/01/24
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伊良部大橋、3.5キロあるそうです昼前に青空になった待ってました‼️これが見たかった海の色東平安名崎灯台同上早めに宿に帰ったので風呂に入ってとりあえずオリオンビールそして夕食は沖縄料理のバイキングそれにご当地の泡盛をロックで今日は半袖のTシャツで過ごしました
2018/01/23
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池間大橋同上昨年11月20日にオープンしたシギラリゾートホテルシーブリーズカジュアルに三連泊するツアーに参加しました朝、空港に向かうリムジンバスが事故渋滞で遅れてあわやというハプニングがありましたが幸いにクリア出来ました寒波が来る本土から20度の当地へこれは極楽です久しぶりにコバルトブルーの海を楽しんでいます。早速今夜はオリオンビールで乾杯
2018/01/22
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今年の年賀はがきの種類知人のブログで、年賀はがきに8種類もあることを知って驚いています。我が家に届いたものを調べてみました上の写真の通り、8種類ともそろっていました下から重ね順に以下の通りです①無地・普通紙②無地・インクジェット③無地・インクジェット(ディズニーキャラクター)富士山に昇る初日の出を背景に、仲良く並んだ和服姿のミッキーとミニー。さらに戌年にちなん でプルートも登場暖かい色調の、年賀葉書オリジナルデザインです。 また、「隠れミッキー」を含む 8 つのミッキーのシルエットを描いています。 ④無地・インクジェット(ハローキティ―)全体に梅や桃をちりばめた、新春らしい年賀葉書オリジナルデザイン。落ち着いた色合いで 男性にもお使いいただきやすいデザインです。 また、隠れリボンを含む 7 つのリボンで新年を華やかに彩ります。 ⑤無地・インクジェット(スヌーピー)戌年にちなみ、スヌーピーが初めて年賀葉書に登場。料額印面はウッドストック(酉 とり)からスヌーピー(戌)へのバトンタッチをイメージしたデザインです。 チャーリー・ブラウン等のキャラクターが和服を身に着けた年賀葉書オリジナルデザインです。 ⑥いろどり・ウグイス宛名面、通信面ともに、全面に淡いうぐいす色で通信面はインクジェット紙です。 料額印面は、富士山と初日の出に見立てた「戌」の字をデザインしています。消印部分には、か わいらしい犬 いぬ 張子 はりこ をくじ部分には、「イヌ」の字で犬をユーモラスに描いています。 ⑦無地・インクジェット写真用(福寿草)⑧無地・5円の寄付金付き料額印面と消印部分には、雪の庭を駆け回る犬とその足跡をくじ部分には室内から犬を眺め る猫を描いています。 通信面には、全面に淡い色合いで犬を描き文字等を加刷しやすいデザインです。 ※斜体部分は日本郵便のサイトにある説明ですこんなところまで、気にしたことはありませんでしたが知っておくのも悪くはない、ちょうどいい機会でありましたビッグジョンが使うのは、②無地・インクジェットです。
2018/01/21
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昨日の夕刊に淡路島の水仙が見頃だと出ていた淡路島には灘黒岩水仙郷と立川水仙郷の二か所の水仙郷がある10年ほど前に灘黒岩水仙郷を訪ねたことがある冷たい風の中に、水仙の香りが清らかに漂っていたもう一度、訪ねてみたい気もするが観光バスとマイカーが押しかけているのならちょっとその気も鈍りそう
2018/01/20
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二ヶ月ほど前から右肩が痛みだした常時ではないけれど、シャツを脱ぐときなどウッと声を出すほどの痛みがある整形外科で診断を受けたが四十(五十)肩だと言われた正式には肩関節周囲炎というそうだ湿布をもらって、リハビリに通いなさいと言われて三度ばかり通ったがこんなこをしていても・・・、と思うとあほらしくて行く気がなくなってしまった日常生活に不便はないが、痛いのはつらい知人に話したら、「その歳で五十肩なら若いじゃない」と言われたが、ちっともうれしくもない(笑)治るまでに、個人差はあるもののおおむね半年から1年、時には2年という我慢強く待つしかしようがないのかなあ!
2018/01/19
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年賀はがきの当選番号さて今年はどうかな? 3等の切手シートが 4枚当たっていたいただいた年賀状は160枚【100本に2本】というからまあこんなものでしょうか
2018/01/18
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身近なところに、わかったようでわからない言葉がある別の表現をするとわかっているつもりだが人に説明せよと言われると説明できないそんな類の言葉のことである例を挙げれば、アーカイブ、ハッシュタグ、アカウントガジェット、IoT(Internet of Things)、まだまだある別段、わからなくても日常生活に支障はないなので特に調べる努力もしないでそのままにしている今日はハッシュタグのことが気になったので調べてみたハッシュタグとは記号のシャープ「♯」のことをそう呼ぶらしいSNSのうち、主にTwitterとInsagramで使用されることが多いボクはその両方ともやっていないのでわからなくて当然かもNHKのアナウンサーが番組に意見を寄せてほしいときに「ツイッターの場合は、ハッシュタグ N H K アンダーバーなんたらかんたら・・・」というような言い方をしているまた最近、ハリウッドの女優さんが性的被害を告発して以来「#MeToo」というのが新聞によく登場するようになった「ハッシュタグとは」で検索していくつかのサイトを見たおかげで、ある程度のことはわかったが・・・・・・結論は、「もういいや! ボクには関係ない」と、これ以上理解することを途中であきらめてしまった(笑)
2018/01/17
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井川大仏、高さ11m、昭和55年11月1日に開眼標高772mの地に建っている井川診療所の歯科医であった佐藤平市郎氏が60年間の健康に感謝をこめ4年の歳月をかけて建立した。毎年10月に例祭を開催。(しずおか観光情報)井川ダムを訪ねたとき道路標識に「井川大仏」の文字が見えた寄ってみますか? とムコドノウン、せっかくだから見ておこう、とボク小雨が降っていたこともあってカミサンと娘は車中待機(笑)案内板には徒歩5分とあったが登り道で階段があったのでもう少しかかったような・・・お顔が汚れていて、大仏さん特有のふっくら感がない少し角度を変えてみるがややニヒルな感じがする前記「しずおか観光情報」の写真ではこんなお顔である別人ではないかと思ってしまう、37年の間におやつれになった?近くに木の案内板があったが字がかすんでしまって読めない石に刻んだ大仏開眼の方は達筆すぎて読めない井川ダム、井川駅との位置関係ここにも二時間余りの遊歩道がある寸又峡にあった夢の吊橋がここにもあった大仏巡りを趣味にしている人ならいざ知らずこの大仏さん、ボクにはいまひとつという印象だった帰宅後調べると「大仏ハンター」と呼ばれる同好の人たちがいることがわかったその一人の方の訪問記を見るとさすがに詳しい【大仏巡礼「井川大仏」訪問、静岡市葵区】(→☆)また「日本の大仏・大観音一覧表」によるとへー、日本にはこんなにたくさんの大仏さん観音さんがいらっしゃるのかと驚く(→☆)
2018/01/16
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一昨日、公民館の前を通りかかったとき無料で体験施術してみませんかという立て看板を見て入ってみたその日が初回で、月一回の予定でやるとのこと姿勢調整が目的で、治療はしない治療を希望する場合は彼女が勤務する整体院を紹介するという仕組み特別予定もなかったので体験施術を頼んだまず姿勢チェック鏡の前に立って正面と側面を見てもらうそして足踏みをする1.正面、右肩が少し下がっている2.側面、尻が前に突き出している3.足踏みをすると頭が右に揺れるこの三点を指摘されたが自分では全く気がついていなかった右ひざと右肩が痛むことなどを話して約30分、姿勢調整をしてもらったその後の姿勢チェックで3.足踏みをすると頭が右に揺れるのは解消した1.2.については、日常生活の中で気を付けることを教わった来月もう一度、診てもらうことにした
2018/01/15
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東お多福山(標高697m)黄色いプレートは神戸市の119番通報プレート先週に続いて山を登る会の例会に参加コース:阪急・芦屋川駅→弁天岩→芦屋ゲート→土樋割峠→東お多福山(昼食)→雨ヶ峠→住吉谷出合→打越峠→阪急・岡本駅(14km)心配した雪はさほどでもなくアイゼンは使わなくて済んだ芦屋川駅から弁天岩、芦屋ゲート、土樋割峠と登ったやはり登りはきつい、相当汗をかいた、ここで昼食になるコース地図を見て???に思っていた芦屋ゲートは芦有有料道路(芦有ドライブウェイ)の出口土樋割峠は「どびわりとうげ」と読むことを知った頂上から神戸の港が見える、山歩きのご褒美の一つである神戸の山はこれがうれしい住吉川の渓流を下る、瀬音を聴きながらのウォークは快適雨ヶ峠、打越峠を経て阪急・岡本駅へと下るお地蔵さんの出迎えこれは初めて見ると言うと、一緒に歩いていた仲間が口をそろえて、そんなはずはないと言うそう言われると以前に見たような気もしてくる忘れてしまったのかもしれない、可能性は大である(笑)
2018/01/14
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会社時代の先輩(88歳)の年賀状に昨年11月に沖縄旅行をしたこれで日本全県の旅行を達成した一区切りついたのでまた何かを考えるという意味のことが書いてあったなるほど自分はどうだろうとパソコンに日本地図を開いて眺めた空白だった東北もここ五年続けて訪ねているので全ての県に足跡を残している唯一つ、栃木県が怪しい東北新幹線で通過はしているが県内のどこかを訪ねた記憶がまるでない日光も鬼怒川温泉も知らない尾瀬はと調べたら群馬と福島だったひょっとしたら唯一の未踏の県かも知れない
2018/01/13
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寸又三山というのは、寸又峡温泉郷を囲む次の三つの山を言う朝日岳(1826m)、前黒法師岳(1943m)、沢口山(1425m)鉄橋の奥に見えるのが、朝日岳(1826m)・大井川鉄道の車窓から山へは寸又峡の猿並橋を渡って進む寸又峡から前黒法師岳への分岐(飛龍橋を渡ったところ)ハイキングの途中、朝日岳と前黒法師岳への登山口があったが沢口山への登山口は気が付かなかった(気にしていなかった)帰宅後、WEBサイトの登山記録を見ると前黒法師岳にはイワカガミの群落が沢口山にはアカヤシオやイワカガミなどの群落があるという下山してボクたちが泊まった翠光園で入浴したという記事もある温泉に三泊してこの三山に登るのもいいだろうなあ!*****************************〇〇三山というのはたくさんあるものですねえこのサイトには144もの三山が紹介されています(→☆)ボクが行ったのは、先日(1月7日)の大和三山有馬三山(落葉山・灰形山・湯槽谷山)出羽三山( 月山・湯殿山・羽黒山)くらいのものこうして見ると、日本は広いし山も多い!
2018/01/12
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寸又峡温泉の宿のコップ敷き(コースター)宿の人に訊くとヤマセミだと教えてくれたカワセミは枚方市のシンボル鳥なのでよく知っているがヤマセミは名前を聞くのも初めてであったカワセミがいるならヤマセミがいてもおかしくないかと納得ヤマセミ(山翡翠)は、山地の渓流に生息するカワセミの仲間体長は約38cm、翼開長は約67cm、カワセミの倍ハトほどの大きさで、日本でみられるカワセミ科の鳥では最大の種類である。頭には大きな冠羽がありからだの背中側が白黒の細かいまだら模様になっているのが特徴(ウィキペディア)やっぱりどんな姿をしているのか見てみたいそこでWebサイトから拝借した画像です****************コースターについて少し調べてみたコースター(coaster)は、飲み物を飲む時にコップなど食器の下に敷く、小さなマットコップ敷き、コップ受け、グラス・マットとも呼ばれる本来の使用目的は、冷たい飲み物を入れたコップなどに結露した水が流れてテーブルが濡れるのを防いだり熱が伝わるのを防ぐためである(ウィキペディア)
2018/01/11
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新東名の島田金谷ICから寸又峡温泉への道中は茶畑の連続、川根茶の看板とお茶屋さんも多い改めて静岡はお茶どころだと認識を新たにした上の写真のように、家の庭先まで茶が植わっている常識的には、花や野菜が植わっていそうなものだが何故だろうと、疑問を抱きながら眺めていました千頭駅前のお茶屋さんでそんな感想を述べたら自分の家で飲む分のお茶を、庭に植えてるんですこんな返事が返ってきてなるほどと納得しましたこの記事を書きながら、頭に浮かんできたのは♪旅行けば~駿河の国に~茶の香り~あとはどうだったかなと検索広沢虎造さんの浪花節ですね名題なるかな東海道、名所古蹟の多いとこなかに知られる羽衣の、松とならんでその名を残す街道一の親分は、清水港の次郎長の数多身内のある中で四天王の一人で乱暴者といわれたる、遠州、森の石松の苦心談のお粗末を、悪声ながらもつとめましょうそして見つかった浪曲を懐かしく聞きました(→☆)テレビがなかった小中学時代はもっぱらラジオ漫才や落語それに浪曲、ドラマなどを聞くのが寝る前の楽しみでありましたはるか昔のことですねえ1月7日で78歳になりました
2018/01/10
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寸又峡温泉へのドライブで二つの滝を見た龍門の滝と不動の滝である龍門の滝は国道からやっと歩ける細い道を5分ほど入ったところにあるそれほど大きな滝ではなかった説明を読むと滝そのものより地形が特別のようです「横臥褶曲」、難しい言葉です簡単に言えば、地層に水平方向に力が加わって横圧力を受けしわを寄せたように波形に曲がることらしいですがこれ以上のことには興味がないのでパスです(笑)これが上記の案内についていいた写真ですよく見ると破線で「横臥褶曲」らしき曲線が示されています先の写真と照合するとそれらしき曲線が浮かびますね一方こちらは不動の滝、駐車場から10分ほど歩きます雨のない日が続いたせいか、やや迫力に欠けます寸又峡温泉を訪ねるドライブで二つの滝を見ることが出来たのはシアワセでした
2018/01/09
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大井川鉄道終点の井川駅大井川鉄道に関しては今回出かけるまで予備知識まったくゼロであった行ってみて、いろんなことがわかったのが収穫百聞は一見に如かずを地で行ったようなもの以下は鉄道のパンフレットやネット検索をもとに自分の知識として整理したものである大井川鉄道はJR東海道線の金谷駅から井川ダムのある井川駅までの路線の総称で金谷~千頭(せんず)間の「大井川本線 39.5 km」と千頭~井川間の「南アルプスあぷとライン25.5 km」の2路線に分かれて、大井川に沿って走る路線である元は電源開発のダム建設資材を運搬する目的で建設されそれが地元の交通の便宜や、観光用として今に残っているまた蒸気機関車の動態保存という意味で毎日運転しているSLに乗れるとファンには人気であり子供たちに人気の機関車「トーマス」も運転している現在在籍している電車は、すべて元大手私鉄の車両を他社から譲り受けたもので、車体の色はもとのままにしている関西の京阪、近鉄や南海の車両も見かけて懐かしかったアプトいちしろ駅と長島ダムの間は日本で唯一のアプト式鉄道通常のレールの真ん中に歯車レールを敷き、アプト式電気機関車の床下の歯車とを咬み合わせ、急こう配(90/1000)の路線を上り下りするアプトいちしろ駅ではその機関車を連結するため6分間停車し乗客にもその作業を見学させてくれる(手前がアプト式機関車)学校の授業でスイッチバックとかアプト式とかを習ったことがあるぞ奥大井湖上駅鉄橋を手前にわたり次の接阻峡温泉駅までハイキングコースがある全区間の料金表(終点の井川駅から)終点の井川駅、駅名表示の下に標高を示す686mの数字が書いてある千頭駅の駅舎新金谷駅では転車台などが見学できる同上、たまたま機関車が車庫に入るところに居合わせたがどこで知るのか大勢の見学者が集まっていた社名はこの「鐵」を使っている大井川の素晴らしい渓谷美を車窓から眺めるため今回は一部区間を利用しただけであるが機会を作って全線を利用してみたいものである
2018/01/08
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年末から正月にかけて飲みすぎと食べすぎ&運動不足の状態になっているこの辺で収支を合わせておかないといけないというわけで、昨日、今日と連日のウォーク今日は山を登る会に出かけて大和三山を歩いた集合場所の近鉄の大和八木駅から耳成山、香久山、畝傍山への順に歩いた以下写真にて説明耳成山耳成山山頂香久山山頂香久山からの眺望、左手前・畝傍山、右に二上山が見える畝傍山山頂以前にこのあたりから畝傍山をバックにホテイアオイを撮ったことがある帰宅後、比べると、やや角度が違っていた2013年10月13日大和三山はかなりの回数歩いているがブログには三回分の記事が見つかった2009/03/14(→☆)2009/04/05(→☆)2013/10/13(→☆)
2018/01/07
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カミサンや弟夫婦を誘って五人で山の辺の道を歩きました地元の楽歩会のコース選定の目的も兼ねましたコース:JR・長柄駅→大和神社→黒塚古墳→崇仁天皇陵→天理市トレイルセンター→萱生環濠集落→夜都伎神社→石上神宮→JR/近鉄・天理駅(12キロ)天理市の「てくてく天理」という行事で過去に何度かスタッフを務めたりして歩いたコースですが10年近くのブランクで久しぶりでしたいつ歩いても、のんびりとした田園風景が広がり歴史を感じる落ち着いたコースですこのコースは道中に池が多いのですがカモたちが悠々と泳いでいる姿が目を楽しませてくれました黒塚古墳、格別珍しい光景ではないのですが何枚かシャッターを押しました同上、崇仁天皇陵カモに交じってカイツブリが水に潜っている姿も久しぶりでした身内だけの気楽なウォークということもあってこんな何でもない光景が印象に残ったのかもしれません切り干しを干しているのもまた懐かしい風景です我が家もそろそろ切り干し造りに取り掛からねばと思いました大和神社初詣の意味で、大和神社と石上神宮をコースに入れましたこちらの方は地名の読み方が難しいです萱生→カヨウ、夜都伎→ヤトギ、石上→イソノカミ大和神社→オオヤマトジンジャ、JR沿線でも、平城山→ナラヤマ、京終→キョウバテ櫟本→イチノモト等々です
2018/01/06
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年末のドライブ新東名高速道路の島田金谷ICから国道473に入った直後から大井川との付き合いが始まる大井川は蛇行が激しく水量が極端に少ないことに驚いた蛇行は地形の関係だから仕方がないが、水量は不思議だった「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と歌われた川のイメージとはほど遠く幅広い川は賽の河原で、水の流れている所がわからない橋がなくても歩いて渡れそうである昨年10月に舟下りで訪れた山形県「五月雨を集めて早し」の最上川とはえらい違いである水が少ないのは、戦後の水力発電のための多数のダム建設が原因電力会社と地元との「水返せ運動」がいまも続いていると聞いたこういう事情を知ると、開発と自然保護の兼ね合いの難しさに改めて思いをはせることになる地図を眺めると、上流から順に以下のダムが散在している畑薙第一、第二ダム、井川ダム、長島ダム支流・寸又川の大間ダム、笹間川の笹間川ダム井川ダム(湖水側)昭和32年に完成。日本で最初の中空重力式コンクリ-トダム井川湖、これは広い!長島ダム、昭和47年の調査開始から29年余りの歳月をかけて平成14年に完成長島ダム上流の大井川鉄道・奥大井湖上駅寸又川の大間ダムとチンダル湖この少し上流に人気の「夢の吊り橋」があるしかしこうして見ると、人工のダム湖も発電だけでなく美しい景観を呈して、大井川鉄道とともに観光資源になっているのだから、開発の是非は難しい参考:大井川流域に架かる吊り橋(→☆)*******************大井川に来て昔のことを一つ思い出した入社して三年目、ボクは千葉県君津市の現場にいた新日鉄の冷延工場建設現場で、鉄骨造の大きな工場を6棟建設する工事だった鉄骨を建てるのは鳶(とび)職の仕事で棟梁は今井さんという名前で、気は荒いが気風の良い遊び人で、ボクの好きなタイプだった思い出したのは彼の話の一つである料亭に行って食膳に箸がなかったらなんというか知ってるか「おおいがわ」って言うんだぞ江戸時代の大井川は川幅が広く水量が多くておまけに水深も深いだから橋がかけられなかったんですねえ「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」は大井川に橋がなかったこんな状況を詠んだのでしょう今からちょうど55年前のことであるが彼の名前まで憶えていたことに自分でも驚いている!でも最近のことは忘れても昔のことは覚えてるこれってよく言われる認知症の症状の一つだよ(笑)
2018/01/05
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接岨峡温泉「民宿・森林露天風呂」の張り紙寸又峡温泉は静岡県榛原郡川根本町にある新東名高速道路の島田金谷ICから寸又峡温泉へは国道473を大井川沿いに北上するこのあたりは奥大井と称して寸又峡温泉の他に、接岨峡(せっそきょう)温泉千頭(せんず)温泉、白沢温泉などがある千頭駅前で立ち寄ったお茶屋の奥さんからお泊りですか、こちらのお湯はいいですよ最低でも四度は入って帰ってくださいと勧められた宿泊の寸又峡温泉の宿で夕方と朝の各一回翌日の接岨峡温泉の露天風呂で一回合計三度の温泉を楽しんだ夕食後にもう一度浸かればいいのだが飲酒をしているので、入浴は控えている宿泊した旅館・翠紅苑接岨峡温泉の「民宿・森林露天風呂」31日に日帰り入浴で立ち寄り同上サルやシカが出てきてもおかしくない環境であるどちらのお湯も写真の張り紙の通りヌルヌル&スベスベを実感したいい湯であった冒頭の写真の張り紙は誰が書いたものかと尋ねたら民宿の親父さんが、わしが書いたと言っていた親父さんはその日の泊り客のために竹串に差したヤマメを囲炉裏で焼いている所であった入浴後、駅をのぞいたらこの親父さんが事務室で仕事をしていた駅長さんの仕事も兼ねているらしい
2018/01/04
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寸又峡温泉ムコドノから、次は寸又峡温泉に行きますよ、と聞いたときあー、金嬉老が立てこもった事件のとこやな、と言うと彼も娘もポカーンとしていたしかしボク自身も寸又峡について、この事件以外には何の知識もなく、何県にあるのかさえ知らなかった12月30日の夜、温泉で夕食を済ませた後金嬉老事件のあった宿はいまどうなっているのだろうか場合によっては翌日にでも現場を見ておきたいそんな気になってスマホを使って調べてみた1968年2月20日、手形トラブルが高じて暴力団から借金返済を求められた金は、返済を約束して静岡県清水市(現・静岡市清水区)の歓楽街にあるクラブ「みんくす」で暴力団員と面会。その場で暴力団員2人をライフルを乱射して射殺翌日には同県榛原郡本川根町(現・川根本町)寸又峡温泉の「ふじみや旅館」で経営者・宿泊客ら13人を人質として籠城した。(中略)事件の舞台となったふじみや旅館では2010年2月20日で事件から42年になるのを機に旅館内に資料館を設け事件の資料を一般公開していた。しかし女将の高齢化と観光客の減少を理由に2012年1月をもって廃業している。(ウィキペディア)事件は1968年、なんと50年も前のことなのだ娘夫婦が生まれる前のことだから、二人が知らないのは当然事件と言うものは歳月とともに風化するものなのですねえ
2018/01/03
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甘南備山へ日の出を観に行った途中、東の空に厚い雲が低く垂れこめているのが見えた日の出は見られなくても朝の散歩だと思って山頂まで行くことにした山頂には誰もいなかった日の出の時間を少し過ぎた頃に手前の雲に太陽が当たって薄赤く染まった 暮れに読みかけにしていた「知覧からの手紙」(水口 文乃)の残りを読んだ戦後六十二年、残された婚約者が今なお穴沢さんを想いながら語りつくした貴重なノンフィクションと、帯に書いてある通りの内容である物語りの最後、穴沢さん(特攻隊員)の遺書が登場するヶ所では涙がこらえられなかった。最後の方に、残された婚約者が次のような感想を述べている。特攻隊というものは、そのとんでもない理不尽の最たるものだったのではないでしょうか。人間が弾となり、帰ってきてはいけないというのですから。それも、権力を持ったものは逃げ、権力を持たないものだけが行かされる。必ず死ぬことがわかっていても、敵艦に突っ込んでいかなければならない。人間ならば、誰もが「やりたくない」と、本能で思うでしょう。利夫さんもまた、そう感じるひとりだったのだろうと、私は思ってます。
2018/01/02
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今年もよろしくお願いいたします新しい年が皆さまにとってより良い年でありますように!寸又峡温泉で大晦日を過ごした後は年寄り二人の静かな、淋しい正月を過ごすことになるなあそんな思いを覆して、息子一家が突然やってきたそれも昨夜、隣のお寺で除夜の鐘が鳴り始めたときだったまさにシンデレラにならんとする寸前であるそして急きょ、ハッピーニューイヤーの宴会となったそして元旦の今夜は娘夫婦もやってきてみんなでにぎやかに鍋を囲むこととなった息子に、年賀状は書いたのかいと尋ねたらそんなもんは一枚も書いてないという返事だったなるほど、そういう選択もあるんだなと感心した
2018/01/01
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