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立冬も過ぎ、暦の上では冬を迎えました。私は先週の水曜日くらいから風邪気味で、金曜日にはちょっぴり熱っぽくてつらかったのですがなんとか先週の勤務を乗り切ることができました。早朝から、バタバタと家族の朝食とお弁当(娘+自分)を作り身支度を整えて、最寄駅まで自転車を走らせる。満員電車の中で押し潰されるような毎日だけど・・・実はそんな通勤時間が、私にとっては魅力的な読書タイムです。 島崎藤村 『破戒』 新潮社文庫 2005年7月30日126刷改版 629円(税込み660円)ニュースでは悲しくらい毎日のように子どもたちの深刻ないじめによる自殺の問題が報じられています。皆さんもご存知の島崎藤村が1906年、7年の歳月をかけて完成させた最初の長編『破戒』では明治後期の、ある意味“人間の究極のいじめ”が描かれています。主人公の教員・瀬川丑松(うしまつ)を通して歴史的な差別問題を 読者がわが身に置き換えて考えるとあまりに残酷な不条理に、憤りさえも覚えてしまう。瀬川丑松の内面世界が克明に描かれ彼を通して“人間の心の脆さ”のリアリティーにぐいぐいと引き込まれていきます。そして、教員としての丑松には・・・ある意味、裏切られることになります。実は、この作品が名著であると同時に、批判も多い所以(ゆえん)はこの部分です。“社会小説”なのか、“自己告白”なのか・・・ここに『破戒』評価の、最初の分岐点が存在します。主人公の中に、社会的なヒーローを期待してしまうと歯がゆさというか、落胆も生まれてしまう。でも私たちは、この小説を通して、あまりにも多くのことを実感し、考えさせられることになります。昨年7月に発行された、この126刷改版の新潮文庫を今回、夫と同時進行で読了しました。同じ教員である夫にしてみれば、「なぜ、教職についていた島崎藤村が、教員である丑松が子どもたちの前であのような言葉で告白をするように描いたのか?ましてや“仙太”のいる前で・・・」と理解に苦しむところだったようですし、私自身も、その部分では同じような気持ちだったのだけど・・・丑松は紛れもなく、残酷な社会のいじめによる被害者なのですよね。教師として戦うことができないほど、ボロボロに傷ついていたのです。理不尽ないじめがどんなにつらいものなのか、苦しいほどに伝わってきます。『破戒』は、私たち夫婦でさえも、“社会人としての批判“と、“一人の脆弱な人間としての共感“を感じた得た、問題作なのだと思いました。そういった意味では「近代日本が生んだ最もすぐれた文学作品の1つ」と言われることにも、うなづけます。この作品を読んだ皆さんは、どのような感想をお持ちですか?また、まだ読んだことがないという方は、ぜひこの時期、一度お読みになってください。(ぜひ、解説文も含めて読んでくださいね。)できれば、皆さんの感想をお寄せいただければ幸いです。そして最後に、この場所に書き添えたいことがあります。もしも今、いじめの苦しさから自殺を考えている人がいたら・・・決して、自ら命を絶つようなことだけはしないでね!!自分を苦しめるような場所からは、逃げてもいいんだよ。傷ついて、疲れてしまったなら、もう戦うことをやめてもいい。でも、あなたがこの世に生を受けたこと、そこには立派な理由がある。人はもともと弱いものだから、一人では乗り越えられないこともある。助けを求めることは、決して恥ずかしいことではないんです。人の心の傷みや苦しみがわからないことの方が、人間としてはずかしいことなのだから・・・
2006年11月12日
今年の十五夜は、あいにくの雨模様でした。でも昨夜の十六夜の月は、神秘的でため息が出るほど美しかった・・・。今日は、久しぶりにのんびりできました。青く澄み切った秋空を見上げ、肌に心地よい風を受けて家族の洗濯物を干しながら・・・・なんとも言えぬ"幸福感"に包まれました。私は今、こうしていられることに心から感謝しています。私が今仕事をしているのは自分自身の自己実現でもあるのだけど・・・それは家族との幸せな生活があってこそのもの。 私がそういう選択肢を選ぶことができるのも家族の健康と支えがあってこそのものだから・・・。 童話集『風と木の歌』 安房直子 偕成社文庫3262 2006年8月目次きつねの窓さんしょっこ空色のゆりいすもぐらのほったふかい井戸鳥あまつぶさんとやさしい女の子夕日の国だれもしらない時間 夫は今年、勤続25年を迎え、東京都から表彰されました。この4月からは、学校の要となって教師を育てる立場になり担任職からも離れてしまったのだけれど・・・先日は子どもたちの前で、安房直子さんの『きつねの窓』を朗読したのだそうです。「いつでしたか、山で道に迷ったときの話です。」で始まる教科書でもおなじみのこのお話。元々は1972年に実業之日本社から刊行された安房直子 第一短編集『風と木の歌』の中に収録されていましたが今年の8月、偕成社文庫として新しく生まれ変わりました。ききょう畑のそめもの屋で、指をそめてもらったぼく。こぎつねのいうとおりに指で窓をつくるともう二度と会えないと思っていた女の子の姿が見えるのです。4歳の時に、わずか31歳の若さで母親を亡くした夫はもしかしたら自分の指の窓からもあの懐かしい母の姿に会えるのではないか・・・とドキドキするのだそうです。「実は、あの童話集の中で一番好きなのは『さっしょっこ』なんだよね。」という夫。『さんしょっこ』といえば、愛することの切なさを描いた私が大好きなお話。この『風と木の歌』におさめられた8篇のお話はどれも美しく切なく心に響く珠玉の物語です。 今では私の大のお気に入りである安房直子さんの世界にすっかりはまっている夫です。
2006年10月08日
さわやかな秋風が運ぶ金木犀の香りに誘われてふと、この場所に帰ってきました。すっかりご無沙汰してしまいましたが、皆さま、お元気でお過ごしでしょうか。実は私、4月から、新たな職場(中央省庁)に身を置いています。私のような年代で新たな世界に飛び込むことはとてもエネルギーのいることだったけれど・・・5ヶ月が過ぎ去った今、この新しい出会いに心から感謝しています。お陰様で新しい仕事にもずいぶん慣れ有り難いことに任される仕事はどんどん増えて必要に迫られ残業の日々が続いています。この時期は、組閣に伴う大臣交代の準備に追われ帰宅時間は20時半~21時近く。当然ながら土・日はたまった家事に追われてもっぱら、片道1時間半、往復で3時間の通勤時間が私の読書タイムです。職場に関することは“守秘義務”があるのであまりお伝えできないけれど・・・また少しずつでもHPの更新ができればと思っています。ご無沙汰してしまい、本当にごめんなさい!!今後ともどうぞよろしくお願いします。
2006年09月23日
風はもう春の香りを運んでいます。今日は本当に暖かいバレンタインデーでしたね。なんと!今年初めてのダイアリーです。すっかりご無沙汰してしまいました。高校一年の娘は、バドミントン部の全員とクラスの女子全員分のクッキーを一人で焼いて、今朝学校へ持っていきました。つづく・・・・(^_-)★
2006年02月14日
先日ご紹介させていただいた『あした、出会った少年』を実際に読んでくださった皆さん!本当にありがとうございます!自分の人生と重ね合わせて共感した本を皆さんに実際に読んでいただけると不思議と人生の一端でも共有できたような気がして嬉しいものですね。今日は、もうひとつの“ありがとう”の気持ちをそっとこのページに残しておきたいと思います。『あした、出会った少年』の作者である越水利江子さんがこの“風色の本だな”のHPを偶然見つけてくださって以下のような嬉しいメッセージを送ってくださったのです。そっとお礼だけ言いたくてメールしました。私の本に出会ってくださってほんとにありがとうございました。偶然見つけて、胸がいっぱいになりました。私のサイトの掲示板に“風色の本だな”さんのことを書いたらいろいろな人がここへ来てくださったようです。よろしければ、のぞいてみてください。神さまがほたるさんに出会わせてくださったのだと感謝しています。ありがとうございました。越水利江子さん!直接メッセージをいただけるなんて本当に感激しました。嬉しかったです。こちらこそ、ありがとうございました。そして、越水さんのホームページ『風雲童話城』からこのページに訪問してくださった皆さん!本当にありがとうございました。私にとって、この『あした、出会った少年―花明かりの街で―』という本との出会いはまさに運命的なものだったのだと信じています。人生の中で、その人にとって魂を揺さぶるような作品に出会えることが本当にあるのですね。そしてそれは、とても幸せなことなのだと思います。そんな素敵な作品を生み出し温かいメッセージを届けてくださった越水さんへの心からの“ありがとう”の気持ちと…このHPを訪れてくださったすべての皆さんへの“ありがとう”の気持ちを…今日は、そっとこのページに残しておきたいと思います。
2005年11月08日
今は亡き父が、突然私に姉と兄の存在を告げたのは21年前の、私が結婚を半年後に控えた秋の日でした。それまで私は弟の存在しか知らず物心ついてからずっと、両親と弟との4人家族で育ってきました。父は『二十四の瞳』(壷井栄 著)の舞台として知られる香川県の小豆島に生まれ育ちました。それまで私はまったく知らなかったことなのですが父はその地で、最初の結婚をしていたのです。一男一女をもうけ、そのまま幸せが続くかのように思われましたが、6歳の女の子と4歳の男の子を残して妻は結核のため、他界してしまいました。さまざまな事情から、兄と姉は大阪の親戚の伝手を通してそれぞれ別々の家庭に養子・養女として迎えられたのです。その日から父は、我が子と会うことを禁じられていました。その時、父は私に涙ながらに語ってくれました。「だけどね、我が子のことは一日だって忘れたことがなかったよ」と…。その後、父は上京し、母と出会いニ度目の結婚をしました。そして再び一男一女をもうけたのです。何も知らずに育った私と弟は東京で父を独占して育ってきたのです。21年前、私は父とともに大阪の地を訊ね初めて姉と対面しました。その時の私は、なぜか「ああ、この人が姉で本当に良かった!」という思いと、何も知らずに父を独占して幸せに暮らしてきた自分の存在が本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになって気が付くと、涙が頬を伝っていました。当時姉はすでに結婚していて、小学1年生の男の子と年子の男の子の母親になっていました。「親になってみて、初めて親の気持ちがわかったわ。どうして自分を置いて・・と恨んだこともあったけどこんなに可愛い我が子を置いていかなあかんかったなんてよっぽどのことだったんやと思えるようになったんよ。」穏やかな笑顔で、姉はそんな風に言いました。父からは、兄の消息がどうしてもわからないことも知らされました。あれからもずいぶん探したようなのですが結局最期まで再会することができないまま今年の4月、父は旅立ってしまったのです。自分の死期を察した父は、亡くなる1週間程前かすかな声で「オオサカ!オオサカ!」と繰り返していました。死を目前にして大阪に置いてきてしまった2人の我が子に会うことを切望したのです。姉は新幹線に乗って飛んできました。父の胸をさすりながら言葉をかけていた姉の目から大粒の涙がこぼれました。姉にとっては、実の父との今生の別れの言葉を交わすつかの間の時間だったのです。私はふと、父と姉の二人っきりの時間を作ってあげなければ…と思いしばらくの間、病室を離れました。そこには確かに、離れて暮らした父と娘の凝縮された時間が流れていたのだと思います。姉がその後に対面したのは……すでに亡骸になった父でした。姉は父の通夜の夜私に、忘れられない言葉を残してくれました。「私自身は、あの父とは縁がなくて……いっしょに過ごすことができなかったけれど自分の本当の父親が、こんなに素晴らしい人でたくさんの人に愛され、惜しまれて亡くなったことがわかって……私は、本当に良かったと思えるんよ……。」ありがとう!あなたは、父を許してくれたのですね。父の死とともに……すべてを……浄化してくれたのですね。今日ご紹介する、越水利江子さんの『あした、出会った少年』を読んで、私はそんな姉のことや、未だかつて会ったことのない兄に想いを馳せました。今まで味わったことのない読後感。こんな児童書があるのだという感動で今も胸がいっぱいです。ぜひおとなにも読んでほしい作品です。◆『あした、出会った少年 ―花明かりの街で―』越水利江子・作/石井勉・絵/ポプラ社/2004年5月 第1刷2005年 日本児童文芸家協会賞受賞作品です。著者の越水利江子さんは、高知県で生まれ、京都で育ちました。『風のラヴソング』(岩崎書店)で日本児童文学者協会新人賞と文化庁芸術選奨文部大臣新人賞を受賞しています。越水さんが子ども時代を過ごした1960年代の京都の街で出会った喜びや悲しみの物語です。越水さんは私よりちょっとお姉さんなのですが失ってはいけない大切なものがあったあの時代、1960年代の風が、私にはとても懐かしく心地良い香りを運んでくれました。せまい露地の小さな長屋や近所のお堂やお地蔵さん……。何でもない見なれた街の景色がふいに、不思議な光を放つことがある。さよこのまっすぐな目はそんな光の中にひとりの少年の姿を見た……。目次空知らぬ雨花帰り夢の浮き橋朝ゆく月わすれ水天狗風あとがきまず、それぞれの章で表される美しい言葉の持つ深い意味を知ったときこんなに素敵な言葉があったのだとこの作品の奥深さを強く実感します。それぞれの章が別々に存在しているように見えて実はそれがすべて複線になり最後は一つにつながってゆくのです。いつのまにか、さよこの心と自分の心が一つになって溢れる涙を止めることができませんでした。そして、越水さんの「あとがき」を読んだ時私はもう胸がいっぱいになってこの作品に出会えて本当によかったと心の底から思いました。亡き父に、この作品の存在を教えてあげられたらよかったのに……。私は奇跡を信じたい。どうかまだ見ぬ兄がこの本に出会えますように……。どうか私の思いが届きますように……。皆さんにも、ぜひこの作品に出会ってほしいと願っています。
2005年10月31日
実は今日掲示板に、えびさんから以下のようなメッセージが届きました。こんばんは えびです。今日10月23日大安 娘は嫁ぎました・・・古い神社の大きな木のあいだからふりそそぐこもれび。その中で白無垢に綿帽子の娘は天から降りてきたような美しさ(もちろん親ばかです)小さい頃から遊んだ地元の神社。当日は晴天と七五三で人出も多くさらに友人が来てくれて賑やかな式でした。古楽器の生演奏に神聖な気分。披露宴では私が着たウェディングドレスでした。娘たちには昨日手紙と想い出の品そして「祝婚歌」の詩集を入れた木箱を送りました。新郎は披露宴で祝婚歌を朗読してくれました。小さな古い料亭の二階は質素で暖かで幸せな会になりました。えびさん!お嬢さまのご結婚、本当におめでとうございます!文面から、花嫁の父と母の思いがひしひしと伝わってきます。まばゆいばかりに美しい白無垢姿の花嫁を目を細め、やさしく見守るご両親の姿が・・・お嬢さんの縁(ゆかり)の場所である神社で行なった神聖な式や温かくお幸せな披露宴の様子が浮かんできます。披露宴での花嫁の装いはえびさんが、かつて身につけたウエディングドレスだったのですね。10月21日の風色のダイアリーでご紹介した『あの日の空の青を』の「娘の花嫁衣装」の章でもまついさんの上のお嬢さんが結婚された時の花嫁衣装がその32年前に母親であるまついのりこさんが身につけた質素なドレスだったということが綴られています。このドレスの生地は、まついさんのお母さまの下地に着る白い着物だったのだそうです。ご本人がどうしてもそれを着たいと望まれたのだそうです。このドレスの中には女たちがひたむきに生きた思いがこもっているからと・・・。私自身が着たウエディングドレスは母が、一針一針心を込めて縫ってくれたものです。スリムなシルエットの長い長いドレープ付きで胸にはパールやビーズや刺繍が細かく散りばめられパフスリーブの袖いっぱいに、これも母が一つ一つ手づくりした小さな小さな花(コサージュ)が飾られたものです。私が着たこのウエディングドレスをいつの日か、我が娘が着る日が訪れるのかしら・・・。感無量の心境ですね。えびさんやご主人からは、手紙や想い出の品そして『祝婚歌』の詩集を入れた木箱を贈られたとのこと。また、それに応えるように新郎が『祝婚歌』の朗読をされたなんて本当に素敵ですね。祝婚歌といえば、私の大好きな吉野弘さんの詩があるのですが新郎が朗読されたのは、こちらの“祝婚歌”ですか?気負わず自然体で相手を思いやることの大切さがしみじみと伝わってくる素敵な詩ですよね。本当にその通りだなあと頷いてしまうような詩だと思います。今日は素晴らしい秋晴れでまるで空もお二人の門出を祝福してくれたかのようですね。そして、このような慶ばしい日の当日にえびさんがこのHPに書き込みをしてくださるなんて、本当に感激です。今日まで大切に大切に育ててきたお嬢さんの花嫁姿・・・。ご両親の目にはどのように映ったのでしょう。きっと幸せに満ちていて、眩しくて・・・でも、ほんの少しの“さみしさ”も感じられたことでしょうね。今日の佳き日の記念にお二人の門出にふさわしいような比較的新しいハッピーな絵本を3点ご紹介したいと思います。◆『おおかみのネクタイ』 ふじはら なるみ 作/ARTBOX/初版発行 2005年7月11日 第3回 ARTBOX絵本新人賞受賞作。 絵本や童話の中ではいつでも恐ろしい悪役を担っているおおかみが主人公。今回はどんな波瀾を起こしてくれるのかと思いきや胸がときめくようなラブロマンスなのです。◆『ねこのポグとことり』ジェーン・シモンズ 作 /吉井知代子 訳/文渓堂 2005年4月 初版第1刷発行なんともいえずメルヘンチックで明るく美しい色使いに心を奪われます。ラストはポグとプティがともにことりたちの楽しい歌声と幸せに包まれるハッピーで抱きしめたくなるような絵本です。◆『ほしのはな』武鹿えつこ悦子 文 太田大八 絵/童心社/2005年9月15日 第1版発行オスうさぎのキジはメスうさぎチャコに出会い「いつまでも いっしょに くらそう」と約束します。夫婦の愛、親子の愛、家族の愛が温かく心にしみわたる絵本です。我が子を守り命をつなぐ。やがて星になる日まで・・・。
2005年10月23日
昨日・今日と、東京は清々しい秋晴れ。美しい空の青さは、ささやかな幸せを運んでくれました。読書の秋、芸術の秋、食欲の秋、そしておしゃれの秋―。秋って、素敵な季節ですよね。子どもの頃は、“夏”が好きだったなあ!!楽しい楽しい夏休みがあり、自分の誕生日がある季節だったから・・・。長い旅行に出かけたのも“夏”でした。それから間もなく・・・“春”が好きになった!!小さな命が眠りから目覚め、新たな活動が始まる春。私の好きな桜の花が咲く季節。そして・・・春は出会いの季節です。でもね!!最近思うのですよ。“秋”もいいなあ!ってね。暑い夏が終わり、気がつくと、秋の虫が鳴いている。本を読んだり、物事を深く考えるには最高の季節です。だからこそ、人はセンチメンタルにもなりますが自然界では、実りの季節です。そして何より、抜けるような空の青さが好きです。私が、常夏の国、インドネシアに住んでいた頃は3年間が、夏の連続。開放的で、とにかく身軽ではあったけれど半年もすると、日本の四季が恋しくなってね。一年の内に、四つの季節が入れ替わりに訪れるなんてなんて素敵なことだろうと思いました。それぞれの季節の訪れをしみじみと感じられるなんて・・・幸せなことだと思います。今日皆さんにご紹介する、まついのりこさんの本『あの日の空の青さを』の“あの日”とは・・・日本の終戦の日のことなのです。◆『あの日の空の青を』まついのりこ・文/松井エイコ・絵/童心社/2005年7月20日出版絵本作家、紙芝居作家である、まついのりこさんのエッセイです。まついさんは、子どもたちの心に寄り添った素晴らしい作品を多数生み出しています。娘さんである、松井エイコさんが絵を添えやさしく美しい本に仕上がっています。平和への願いにあふれ、生きる意味や自分らしく生きることを深く問う心に響く珠玉の短編集です。薄い本で、わかりやすい文章なので、すぐに読めます。まついさんの言葉や思いが、とても素直に胸の奥深くに響いてきます。なぜ、まついのりこさんの絵本や紙芝居が、色鮮やかなのか・・・それぞれの作品にどのような願いを込めているのかもわかりました。私はなぜか、続けて2回読みました。一度は黙読で・・・。そして2度目は、どうしても家族に聴いてもらいたくて声に出して読みました。目次美しきもの父よ赤い鼻緒二人の先生の眼心の成人式音楽と私踏み絵ほんとうの教育費娘の結婚衣裳こびとたちへの思い真実の仲間光をこそあの日の空の青をエッセイの中で、まついさんは私たちに伝えます。決して子どもから生きる喜びの色を奪い取ってはならない。生きる喜びの本物の色彩こそ「平和」という名なのだと・・・。まついさんは子ども時代に戦争を体験しました。当時は美しいものを人間の心から消し去らせることによって戦争への一直線の未知がつくられていたのだと言います。まついさんのお父さまのことが、繰り返し綴られています。特に『心の成人式』の章でのお父さまのこの上ないやさしさや愛情に私の心はふるえました。なんと素晴らしいお父さまなのだろう。そしてまついさんは、なんと素晴らしい『心の成人式』を体験したのだろうと思いました。『音楽と私』の章での、別れのシーンは私の亡き父への思いと重なりました。父への思いがよみがえり、涙が溢れました。まついさんの作品には、“こびと”がよく登場するのですがそれについては、『こびとたちへの思い』の章で綴っています。声に出して読んでいると♪森の木陰でドンジャラホイシャンシャン手拍子足拍子太鼓たたいて笛吹いて今夜はお祭り夢の国・・・♪の歌の歌詞の部分が出てきます。まついさんはこの歌と初めて出会ったときなんて夢のある、不思議な歌なのだと感じるのですが私もついつい懐かしく幸せな気分で歌ってしまいました。“あの日の空の青さ”をいつまでも色あせることなく美しいままで子どもたちに譲り渡していきたい・・・と願うまついさんの思いが、しっかりと伝わってきました。読み終わった後、守るべきものや感謝すべきものがなんであるのかを実感し幸福感を味わうことができたお薦めのエッセイです。
2005年10月21日
皆さん、すっかりご無沙汰しています。すでに図書館での仕事、朗読劇の公演、音訳活動などは再開していたのですがなかなか更新できないままあっというまに9月になってしまいました。今年の夏は、義父と父の新盆を行ない8月29日には、○○回目の誕生日を迎えました。(^^ゞ以前のダイアリーでもお伝えしたように今年の2月、受験を目前にしていた中3の娘が高校生3人とともに“Soft Voice”というユニット名で練馬区主催の「夢・エリア・ねりま アカペラ・コンテスト」に出場しました。予選を通過したプロ・アマを問わない14グループが持ち時間12分の演奏を行ないグランプリ・準グランプリ・審査員特別賞の3賞が表彰されその3グループが、練馬区の主催で9月3日(土)にゆめりあホールでライブを行うことになっていました。そんな中で思いがけなく娘たちのユニット“Soft Voice”が審査員特別賞をいただき明日の 夢・エリア・ねりま アカペラ公演 に出場いたします。会場となる“ゆめりあホール”は、練馬区の大泉学園駅 北口から徒歩1分です。私は受付におりますので、どうぞお声をかけてくださいね。娘たちの演奏はまだまだ未熟ですがグランプリ、準グランプリ受賞グループの演奏はさすがですよ。さて、私の喉の調子は残念ながらまだ本調子とはいかないのですが先日、図書館で『蚊帳(かや)の中のおはなし会』を行ないました。お話コーナーに蚊帳(かや)を吊ってその中でお話を聴くという企画です。お盆提灯も飾り、ちょっと怖いお話を入れたりして昔の夏の雰囲気を味わっていただきました。子どもたちはもちろん、若いお母さんたちは、蚊帳の体験がなくとても珍しそうに眺めていました。昔はクーラーなどなかったから風通しをよくするために窓を開け放していましたが網戸もなかったため、蚊にさされないように、蚊帳を吊ってその中に寝たのですよね。私自身もずいぶん幼い頃の体験で、ぼんやりとした記憶なんですけど・・・。そうそう!8月24日につくばエクスプレスが開通して大学生の息子ともずいぶん近くなった気がします。まだまだ残暑厳しき折、皆さんもお身体ご自愛くださいね。
2005年09月02日
すっかりご無沙汰してしまいました。 あれよあれよという間に気がつけば、季節はすっかりめぐっていました。 4月14日(木)の穏やかな春の日の午前8時16分私は、父との今生(こんじょう)の別れの時を迎えました。この日は、12月14日に亡くなった義父の月命日。そして、2日後(4月16日)は、父の81歳の誕生日でした。読書の楽しさを教えてくれたのも幼い頃、私や弟に毎晩のようにオリジナルのお話を聞かせてくれたのも父でした。 父は最後の最後まで意識があって私と弟は前日の夜から、父が息を引き取るその時までまるで幼子のように、ずっとずっと話しかけていました。父が遠い昔、私たちにそうしてくれたように・・・・。 気がつくと、私は父の手を握り締めて結婚式の前日さえも言えなかった父への「ありがとう!」の言葉を何度も何度も繰り返していました。 反応がないように見えても聴覚は最後の最後まで残るのだそうです。 息を引き取る寸前、父の左目からまるで奇跡のように、ひとすじの涙が溢れました。 母と弟と私は、それが決して父の悲しみの涙ではなくかつての家族に囲まれながら穏やかに人生の幕をおろす父の幸せの涙だと信じたいと思いました。 亡くなった後に実家の父の部屋から父の日記が出てきました。日記は、入院する10日程前の3月4日の分まで一日も欠かすことなくびっしりと記されていました。 ページをめくり、父の様々な深く温かい思いにふれて私は涙が溢れて仕方がなかった・・・・。 もう少し時間が経てば、もっと冷静に読めるのでしょうけどね。 さて、私がしばらく実家近くの父が入院していた病院に詰めていた間に息子は誰の力も借りることなく、一人で引っ越しの準備を進め新天地へと旅だちました。 皮肉にも、久々に我が息子と顔を会わせたのは父の納棺の日でした。誰よりも子どもたちの入学を喜んでくれた父の棺の中にはそれぞれの入学式の写真も収めました。 息子も充実した大学生活を送っているとのこと。母としてはホッと一安心です。 息子とは今、もっぱらメールで情報交換をしています。 毎日顔を見られないのはちょっと淋しいですが今まで伝えたくても伝えられなかった言葉を届けることができてこんなコミュニケーションの取り方も、ちょっといいかもしれないなあ!なんて思っています。 実は今朝、筑波から思いがけなく、大きな大きな荷物が届いて「何だろう?間違って自宅に届いてしまったのかな?」と思って開いてみたらなんと息子から私への、母の日のプレゼントだったのです。 開いてみると、それはレモンイエローのカバーがかかった「低反発枕」でした。 離れて暮らしていると、そんな息子の気持ちが嬉しくて嬉しくて涙が溢れそうになりました。 夫がうらやましがって、「いいなあ!父の日にも、オレに何か送ってくれるのかなあ?」なんて、夫のほうがまるで子どものようにはしゃいでいました。(^_^;) 私はといえば、すでに仕事にも復帰しているのですがなぜか体調がイマイチで、3月の末からの風邪がなかなか抜けないんですよね。喉の調子がずっと悪くて、咳もなかなか治まらないのです。 もしかしたら、アレルギーなのかなあ?なんて思っています。 明日また、病院に行ってこようと思います。 一人になってしまった母を支えてあげなくてはいけないし今月の末は父の四十九日の法要、6月の初めは、義父の納骨式と続きます。早く元気にならなくちゃね!!
2005年05月08日
本日、国立大学(筑波大学・人間学類)前期試験の合格発表があり思いがけず、息子にも嬉しい春の便りが届きました。今年はダブル受験で、気が気ではなかったのですが娘は希望の都立高校に合格することができ今日はなんと息子の方も・・・。わあ~!ようやく「受験生の母」からの開放です。いろいろなことがありましたけど我が家にも本当の春が訪れました~!おじいちゃ~ん!子どもたち、がんばりましたよ~!!3月15日(火)は、息子の高校の18日(金)は、娘の中学の卒業式です。ハンカチをしっかり用意しなくちゃ!!(^^ゞ
2005年03月08日
ご無沙汰してしまいました。久々に春のメッセージをお届けしようと思っていたのに・・・。ふと目覚め、カーテンを開けるとそこは真っ白な雪景色。それにしても、よく降りますね。昨年12月に義父を亡くしてから早や3ヶ月の月日が過ぎようとしています。あれから・・・本当にいろいろなことがありました。12月31日には、雪かきをしていた夫が突然ぎっくり腰になりました。疲労も重なっていたのだと思いますがお陰様で、今は元気に仕事に通っています。中3の娘は、表向きはとても明るく振舞っていましたが精神的なショックや受験のストレスが重なり長い間、体調が思わしくなく、頭痛や腹痛や腰痛に悩まされて病院通いを続けていました。そんな状況の中、受験を目前に控えた2月5日(土)に3歳から続けてきた合唱の仲間である高校生3人とともに“Soft Voice”というユニット名で練馬区主催の「夢・エリア・ねりま アカペラ・コンテスト」に出場したのです。受験勉強に加えて、歌のレッスンが入ったことはかなりハードで大変だったと思うのですが受験目前まで、大好きな歌を歌い続けることが逆に娘を支えていたのかもしれません。コンテストでは、予選を通過したプロ・アマを問わない14グループが、持ち時間12分の演奏を行ない、入賞した3グループは練馬区の主催で9月3日(土)に『ゆめりあホール』でライブを行うことになっていました。さすがに、どのチームの演奏も素晴らしい!!すでにプロとして活躍しているグループや筑波大のアカペラサークルのメンバーも素晴らしい演奏を披露してくれました。ゲストは男性5人のコーラスグループ“TIME FIVE”で審査委員長はジャズボーカリストの丸山繁雄さんでした。そんな中、思いがけなく娘たちのユニット“Soft Voice”が入賞してしまったのです。(^^ゞ体調不良と戦いながら、受験勉強の合い間にレッスンを重ねてきた娘にとっては何よりも嬉しいご褒美だったと思います。娘は「おじいちゃんにも見せてあげたい!」と、義父の仏前でいただいたトロフィーを誇らしげに掲げていました。しかし、そんな喜びばかりに浸ってもいられず「23日の都立受験もなんとか乗りきってほしい」と、願い続けてきました。本当に、受験生の母としては、実際気が気ではありませんでしたよ。(^_^;)そして3月1日、いよいよ都立高校の合格発表の日。娘に、嬉しい春の便りが届きました。「私、○○高校に受かったよ!合格したよ!」と満面の笑顔で報告する娘の笑顔は本当に輝いていました。娘は、義父の仏前にも報告し菜の花と桃の花を供えていました。おじいちゃんも、天国で、きっと娘の合格を喜んでくれていることでしょう!さて、息子の方は、1月15日、16日とセンター試験を終え2月25日に志望する国立大学の前期試験を受験しました。息子は「センターの方はまずまずだったんだけど今回は、ちょいまずったなあ!(^_^;)12日の後期試験に賭けるよ!」と言い、後期試験の勉強をしています。前期試験の合格発表は3月8日(火)ですが、結果は厳しそうです。(^_^;)後期試験の合格発表は・・・3月20日(日)。国立大学受験の道のりって、本当に長いですよね。もしかしたら、息子の春は、来年までお預けかもしれないけれど自分の夢に向かって、最後の最後まで諦めずに頑張ってほしい。自分の目指すべきものがあるのなら母は、ずっとずっとエールを送り続けますよ。 ◆『さくら子のたんじょう日』宮川ひろ・作/こみねゆら・絵/童心社/2004年11月20日 初版 第1刷発行昨年の2月、この絵本の作者である宮川ひろさんの素晴らしい語りを聴かせていただきました。宮川さんは元教師で、新日本童話教室に学んだ後、『びわの実学校』に投稿。赤い鳥賞文学賞他、数々の賞を受けています。創作に『天使のいる教室』(童心社)、『先生のつうしんぼ』(偕成社)絵本に『びゅんびゅんごまがまわったら』(童心社)他作品多数など多数があります。春が恋しいこの季節、春らしい淡くやさしい表紙の素敵な絵本に出会えました。こみねゆらさんの絵が、温かく、やさしく語りかけてくれます。 2年生の夏。さくら子は、母さんにきいてみました。「わたしの名前ね、どうしてさくら子になったの?」「山のさくらの木からもらった、さくら子よ。そうだ、この夏休みに、あのさくらの木にあいにいってこようか、ね」 電車に乗って、山あいの小さな駅に降り立ち、さくらの木に会いにいきました。するとその木は、下は栗の木なのに、上に大きく伸びているのはまさしくさくらの木だったのです。 台風で、まだ若かった栗の木は頭を折られ、上へ高く伸びることができなくなりました。それから2年後、折れてしまったその頭はウロになって、落ちた葉っぱが土になり、小鳥がさくらんぼをついばんでそこへおちて芽を出したのです。この木は、栗の木が身ごもって、さくらという赤ちゃんを生んだので「みごもり栗」と呼ばれました。それからは、この栗の木にあやかって赤ちゃんがほしい人がお願いにきたり赤ちゃんを身ごもると、無事に生まれますようにとたくさんお人が訪れるようになったのです。さくら子の母さんもここにお願いに何度も訪れました。最後に、さくら子のたんじょう日の真相が明かされます。私も大きくなって、あんなやさしい花を咲かせたいなとさくら子は思いました。胸にじーんと響いてくるような、爽やかであたたかい絵本です。
2005年03月04日
雪が深々と降り続いています。すっかりご無沙汰してしまいました。寒くなりましたが、皆さん、風邪などひかれていませんか?12月14日、同居していた79歳の義父が他界いたしました。義母は夫が4歳の時に胃がんで他界しており私たちは結婚して以来20年インドネシアで生活をしていた3年間を除く年月を義父と共に同居していました。亡くなりました当日も、大変元気にしておりましたのに夜、お風呂の中で突然、虚血性心不全を起こし還らぬ人となってしまったのです。実は、私にとって、共に暮らしている家族を喪う経験をしたのは初めてのことでした。余りにも突然のことで、ああもしてあげればよかったこうもしてあげればよかったと後悔ばかりが自分の胸の中に渦巻いて私はその気持ちをどうすることもできませんでした。家族を亡くすということは、こんなにも深い悲しみや喪失感に包まれてしまうのですね。深い悲しみに襲われ、気がつくと涙が流れていたりため息を漏らしている自分がいました。でも今は、母として、息子や娘が一つのハードルを乗り越えるための支えにもならなくてはならずそうそう悲しんでばかりもいられません。夫は「今まで本当にありがとう!親父は大往生だったんだよ。最後の最後まで幸せな人生だったと思う。俺たちには大切な子どもたちがいるんだ。前を向いて、しっかり歩いていこう!」と言いました。これからも周りの方たちへの感謝の気持ちを決して忘れずに一日一日を大切に、妻として、母として、そして一人の人間として誠実に生きていきたいと思います。通夜・告別式に際しましては本当に多くの方々に支えていただきました。そして、高3の息子が、これほどまでに頼もしいと思ったことはありませんでした。義父は、スーザン・バーレイの絵本『わすれられないおくりもの』のアナグマのようにその長い人生の中で出会った方たちや夫や私、そして孫である息子や娘の心の中にたくさんの思い出を その魂のかけらとして残していってくれました。私もお陰様で図書館の仕事にも復帰し28日には本年の仕事納めを終えました。今年ももう今日一日で終わりですね。2004年は、最後の最後まで災害の多い一年でした。自然の脅威を実感した年でもありました。そして、私にとっても、悲しい出来事があった年となってしまいました。でも・・・周りの方々に支えられ感謝感謝の一年でもありました。来年は、どうか皆さんにとっても穏やかで素晴らしい一年となりますように・・・。 ◆『砂漠でみつけた一冊の絵本』柳田邦男・著/岩波書店/2004年10月4日第1刷発行素敵な本に出会いました。一冊の絵本が人生を変えるかもしれない・・・。著者の人生の中で、深い悲しみの淵に立っていたときに出会った絵本などを紹介しています。柳田邦男さんは最愛の息子さんを25歳の若さで亡くしているのです。人生の体験を経た大人だからこそ発見できる絵本の読み方をわかりやすく説いています。
2004年12月31日
街のあちこちから“クリスマスソング”が聞こえてくるようになりました。『風色の本だな』のトップページもちょっぴり早めのクリスマスの演出を・・・。早いもので、今年ももう、残すところ1ヶ月と少々ですね。今朝も、高3の息子の部屋から心癒されるピアノの音色が聞こえてきます。高校の文化祭で演じた、クラスの劇『君を忘れない』で流したBGM「Star Island」をピアノで演奏しているのです。受験勉強の気分転換をしているのでしょうね。あの日から、一日として、この曲をピアノで演奏しない日はありません。クラスの一人ひとりの力が結集した本当に素晴らしい劇でした。息子は、仲間たちとともに、この夏のすべてをかけ全力を注ぎ込んで、『君を忘れない』という素晴らしい劇を作り上げました。監督・脚本・演出・外装・内装・照明・音響・パンフレット・広報・キャスト・・・。誰一人欠けても咲かせることができなかった大輪の花を・・・見事に咲かせてくれました。一人ひとりがまぶしいほどに輝いていた君たちの姿を私も決して忘れることはないでしょう。心からの感動をありがとう!!それにしても、音楽って本当に素晴らしい!ふと、あの日の風がよみがえり心の奥底まで染み込んで人の心を癒してくれるんですもの・・・。音楽って・・・まるで魔法のようですね。さて、思い起こせば、今年も素敵な出会いがたくさんありました。えびちゃんからは、最近一人暮しを始めた娘さんと二人で観たという映画『父と暮らせば』の感想が寄せられました。原作は、同名の井上ひさしさんの戯曲です。私は、映画は観ていないのだけれど、ちょうど8月に舞台を観たばかりでした。昭和20年8月6日午前8時15分。広島を「ヒロシマ」に変え、父と娘の未来を変えました。人類史上初の原爆が投下されてから3年後の広島。図書館に勤める美津江は、愛する人たちを一瞬の閃光で失い自分が生き残ったことへの負い目に苦しみながら息を殺すようにひっそりと暮しています。その彼女の前に、ある日ひとりの青年が現われました。原爆の資料集めに情熱を注ぐ木下青年に好意を示され美津江の心も彼に魅かれていくのですが・・・。自分は幸せになんかなってはいけない。人を好きになったりしてはいけないのだとそんな自分の恋心を押さえつけ、黙殺しようとします。そんな時、父の竹造(亡霊)が現われて頑なに恋心を否定し、幸せの一歩手前で躊躇する美津江をなだめ、すかし、励まし、ありとあらゆる方法で何とか娘・美津江の心を開かせようとするのですが・・・。広島の原爆投下から3年が経っても生き残った後ろめたさから幸せになることを拒否し苦悩の日々を送る主人公・美津江の役を宮沢りえが演じています。隣で観ていた娘さんは、映画が終わっても泣き続けなかなか席を立てなかったのだそうです。そして、えびちゃんは「思い切り泣ける幸せと、平和に浸っていました」と綴ってくれました。舞台を観た私も胸がいっぱいになり溢れる涙を止めることができませんでした。 さて、東京では、ここ2~3日気持ちのよい穏やかな日が続いています。こんな日は、宮沢賢治の『注文の多い料理店』の前文のように・・・私たちは、氷砂糖を欲しいくらい持たないでも綺麗に透き通った風をたべ、桃色の美しい朝の日光を飲むことができます。畑や森の中で、ひどいボロボロの着物が一番すばらしいビロードや羅紗や、宝石入りの着物に変わっていくのを眺めていたい・・・。そんなことを考えながら図書館の中で忙しく仕事をしていました。(^^ゞこの度、宮沢賢治の作品の源泉となった岩手県内6ヵ所の自然景観が「イーハトーブの風景地」として景観の重要文化財にあたる名勝に指定されることになりましたね。近代文学の舞台が名勝になるのも離れた地域を「一群」で指定するのも初めてのこと。賢治が暮らし、作品に描いた素朴な風景がこれからは、文化財として保存されるそうです。私も、今から8年ほど前に岩手の宮沢賢治のイーハトーブの世界を訪ねる旅をしました。あれは、ちょうど賢治の生誕100年目の年でした。なんだか複雑な思いです。こんな風に文化財として保存していかないと賢治が描いたイーハトーブの世界も消え去ってしまうのかなと・・・。 さて、今日お薦めの絵本は・・・ ◆『となかいは なぜ サンタのそりをひく?』モープライス・文/アツコ・モロズミ・絵/松野正子・訳岩波書店/1994年11月1日絵がとても美しい大型の絵本です。今までは、不思議と何の疑問も沸かなかったけれど・・・「そう言えば、サンタクロースのそりを引く動物はなぜ“となかい”だったんだろう」・・・と、あらためて考えましたよ。その昔、サンタはそりを引く動物を募集するために動物たちに広告を出しました。象やワニやハスキー犬など・・・夏も秋も、いろいろな動物が仕事をしたいと言ってきたのですが・・・。幻想的な絵で描かれとてもわかりやすい言葉で綴られています。ぜひお子さんといっしょにクリスマス前に読んでいただきたい絵本です。
2004年11月22日
立冬も過ぎ、暦の上ではすでに冬を迎えました。我が家には、二人の受験生がいるのですが、新潟県中越地方の避難所にも、たくさんの受験生たちがいて、様々な困難の中で、勉強をしているようですね。避難所の多くは、消灯時刻が午後9時~10時で追い込みの時期なのに勉強する場所もないとのこと。多くの大学が授業料の減免などを決めているようですが自宅の修理費などがかさめば、学費が残るだろうかと心配しながら机に向かう高校生もいるらしい。我が家の受験生のなんと恵まれたことか・・・。被災地の受験生たちに、心から「がんばってね~!」とエールを贈りたい気持ちでいっぱいです。さて、先日ご紹介した絵本『ひろいそらのしたで』の著者である長内りえさんの妹さん(長内希世さん)から、思いがけなくメッセージをいただきました。私の拙いHPにご訪問いただき、温かいメッセージをいただいて、本当に感激しましたよ!実は、11月に 『Rie Osanai』という画集(原書房)も出版されました。この画集は、ぜひ購入したいなあ!長内りえさんの絵は希望に満ちていてまるで日だまりの中にいるような世界に包まれます。彼女の絵を見ていると、私はとっても幸せな気分になれるのです。妹の希世さんのHP、“BLOSSOM&POTAGE”では長内りえさんのギャラリーもあり、関連のイベント紹介もされています。希世さんが『ひろいそらのしたで』の朗読をされるイベントがあります。演劇・絵詩・ダンス・映像など、様々なジャンルの芸術が集まった2時間のステージです。お近くの方は、どうぞ足を運んでくださいね。 ◆『ひろいそらのしたで~May pease prevail on Earth~』 11月14日(日)13:00~15:00(開場 12:30)場所は、千葉県柏市のアミュゼ柏、クリスタルホール(JR常磐線・東武野田泉柏駅東口下車、徒歩7分)※入場無料 残念ながら、私はこの日は仕事で、伺うことができないんです。妹の希世さんが、りえさんの絵本を朗読されるのをぜひぜひ聴きたかったなあ!! よろしかったら、どなたかに行っていただいて、ぜひご報告くださいね!!(^_-)★ 最近読んだ本で、心地よかった本といえば、小川洋子さんの 『博士の愛した数式』(新潮社)どちらかというと文系で数学は余り好きではなかった私ですが「数字ってこんなにロマンチックで素敵なものだったの~?!」という驚きと感動を覚えました。時間がゆったりと流れ、穏やかな愛に包まれます。“出会えてよかった”と思えた一冊でした。なかにしれいの 『さくら伝説』(新潮社)はびっくりするほど官能的で、ドキドキしました。桜のイメージが少し変わってしまったかもしれない・・・。一番最近読んだのは、村上春樹の 『アフターダーク』(講談社)この物語は、深夜12時少し前から、早朝7時前までの出来事を分単位で、あちこちと空間を飛び越えながら綴っています。物語の背景には、いくつものBGMが流れています。最初にBGMとして出てくるのはデニーズの店内で小さな音で流れているパーシー・フェイス楽団の『ゴー・アウェイ・リトル・ガール』そして、マーティン・デニー楽団の『モア』が流れる。実際、本の中でも、BGMが、雰囲気作りというか演出をしています。読書の秋から冬へ・・・村上春樹ワールドを堪能しました。
2004年11月11日
街路樹の葉も少しずつ色づいて日一日と秋が深まってまいりました。 今日は・・・冷たい雨が降っています。我が家には、中3の娘と高3の息子がおりますが受験生が二人もいると、この時期、なんだか落ちつかないものですね。さて、台風の爪痕が生々しい内に新潟県中越地方の地震・・・。自然の驚異をあらためて見せつけられたような気がします。多くの犠牲者が出てしまい、ライフラインが断たれ先の見えない不安感に襲われてさぞかし辛い思いをなさっていることと思います。被災者やご家族の方々には、心よりお見舞いお申し上げます。先日、友人が我が家に一冊の絵本と1通の手紙を届けてくれました。それは、友人がその友人に託されたもので、封筒を開けると中にはびっしりと温かい文字が書かれた便箋が4枚と2枚の新聞の切り抜きが入っていました。届けてくれた友人の友人とお会いしたのはたった一度きりで私はしばらくこんなに長い手書きのお手紙をいただいていなかったのでわざわざ私のような者に・・・と痛く感動しました。手紙の冒頭には、桂信子さんの俳句が書かれていました。「りんご食み あはれなる身を いとおしむ」 桂信子そしてこんな風に綴ってありました。りんごがおいしい季節になりましたね。すっぱい紅玉が好きで、食べるたびにこの句が思い出されあわれな気分にひたって、くすっと笑ってしまう私です。おひさしぶりです!ドン・ジョバンニでごいっしょさせていただいた○○○○です。(あだ名はえびちゃん)私は桂信子氏に“あはれ”という意味の深さを教えてもらい日本語って美しいと思うようになりました。・・・・・中略実は友人の娘さんの絵本を紹介したくてお便りしました。内容があまりにも私と重なるところがあり私は胸がいっぱいになってしまうのです。・・・・・省略今日はこの『ひろいそらのしたで』という絵本をぜひ皆さんにご紹介したいと思います。 ◆『ひろいそらのしたで』Under the wide open sky長内りえ 作・絵/Paramita Basu 英文翻訳/原書房/2004年6月25日 第1刷この絵本の作者である長内りえさんは、昨年3月、取材で訪れていたアルゼンチンで26歳の若さで他界されました。高校を卒業後、中央美術学院に学び授業の課題として制作されたものですがこの度、葉祥明さんが作品に目を留め賞賛したことで原書房より出版されました。「長内りえさんの美しい色彩と伸びやかなタッチで描かれた世界のこの上ない豊かさはどうだろう!これらを見ていると、生前の彼女が、いかに、生命力に満ち満ちていたかがよく分かる。そして、彼女が生きることをどんなに楽しみ、誰よりも人生を愛し、この世界を愛し、幸せだったか、残された多くの作品が雄弁に語っている。彼女の笑い声や笑顔が、今でも聞こえてきそうではないか!」― 葉 祥明青山学院大学名誉教授で英米児童文学の研究者、評論・創作・翻訳など多様な分野で活躍中の神宮輝夫さんも以下のように記事にしています。物語貫く「共に生きる喜び」なによりも、絵にひきつけられる。お話は「ぼくはとべないとり」と、そっけないほどに短い文ではじまるが、それに対応する絵も、赤道付近の生まれを思わせるオレンジ色の鳥が1羽だけ描かれている。ところが、この鳥が実に個性的で印象的。彼の友人の猫は名前を「むぎ」という。とべない鳥が花を掲げて先頭にたちその後を青銅色の猫「むぎ」がついていく散歩姿がまたユーモラスで、しかも堂々たる存在感を持つ。とべない鳥は、友だちの「むぎ」と一緒に大木の枝に止まって雨宿りしながら「そらをとべないことより、ひとりぼっちでいることのほうがずっとこわかった」と話す。大木は力強くどっしりと立ち、降る雨は細くやさしい。鳥も猫もやさしさに包まれた、安心な世界にいる。雨が止んで出来た水たまりに映る青空は猟銃に打たれて飛べなくなった鳥の思いでを誘う。―大空を自由に飛んでいたときの姿、鳥瞰図的に眺めた大地の様子幸福感を心に描きながら見上げる空と白い雲と緑と鳥たちには圧倒的な迫力がある。本として、手に持って読んでも迫力があるが少し離れて眺めたとき、空を飛ぶ喜びや遠い山並みまでひろがる広々とした大地そして吸い込まれそうな青空の深さが、改めて実感できる。すぐれたタブローだ。だから、一見つながりのない絵が簡単な物語に沿って並べられそれぞれが勝手に物語しているのだがそれが全体の大きな物語にきちんとまとまっているのは「すべての人が、共に生きる喜び」というテーマにつらぬかれているからだろう。物語が日本語と英語で語られているのも象徴的・・・・中略この絵本は授業の課題として制作したのだという。天性の才能を感じさせられる。・・・・略― 青山学院大学名誉教授 神宮輝夫私は・・・この絵本をそっと手にとり眺めてみる。「ぼくはとべないとり」オレンジ色のその鳥は、飛べない鳥なのになぜこんなにも幸せそうな目をしているのだろう?「ぼくにはむぎというともだちがいる」そうなんだね。ひとりぼっちじゃないんだね。水たまりにうつる空を眺めて、昔のことを思い出す。飛べない鳥は、心も身体も傷ついているからこそ共に生きる喜びや幸せを誰よりも知っている。長内りえさんの絵には、いつまでも飽きることなく眺めてしまう不思議な魅力を感じます。ゆっくりと、声に出して読んでいるとじわ~っと温かい涙がにじんできました。今では広い空の上にいらっしゃる、りえさん!!幸せと希望に満ちた素晴らしい作品を私たちに残してくださって本当にありがとう!!貴女がこの世に生を受け、生きていた時間はわずか26年というあまりにも短い時間だったけれど・・・貴女が残した作品は、私たちに“豊かさ”と“希望”と“幸せ”を与えてくれました。貴女は私たちの心の中に確かに生き続けているのですよ。縁あって、このHPにアクセスしてくださった皆さん!どうぞこの絵本を手にとって読んでくださいね。えびちゃん!!素敵な絵本とあたたかいお手紙をありがとう!この絵本、図書館でも予約待ちになっています。りえさんのお母さまや妹さんに、くれぐれもよろしくお伝えくださいね。
2004年10月26日
またまたご無沙汰してしまいましたが皆さん、お元気にお過ごしでしょうか? 夏生まれの私としては、ちょっぴり淋しいけれど夏ももう終わりですね・・・。 でも・・・“秋”という素敵な季節の訪れにもひそかに胸をときめかせている私です。8月に入ってからは、アテネ五輪の観戦のため少々寝不足の日々が続いていましたがそのアテネ五輪も幕を閉じました。そして私は8月29日に、○○回目の誕生日を迎えました。“もう、お誕生日なんて来なくてもいいのに”なんて思っていた私ですが・・・。 何歳になっても、“おめでとう”の言葉をいただけることは嬉しいことだし、とっても幸せなことです。 そして自分自身の節目の日を家族と共に元気に迎えることができたことを心から感謝したい。今年も“大輪の花”とは言わず“小さな小さな花”を一つでも咲かせることができればと思います。 これからも、感謝の気持ちを忘れずに一日一日を大切に過ごしていきたい。 今日のこの場所からまた新たな一歩を踏み出したいと思います。 『幻の鳥 ガーニーズ・ピッタ』地球クラブ・編/長野亮之介・絵/小岩井彰・解説/春風社・発行/2003年5月14日初版大変お待たせしました。7月19日に朗読劇『この子たちの夏』で共演していただいた長野亮之介さんが絵を描かれた絵本の紹介です。長野さんは、フリーランスイラストレーターで、探検冒険家の情報交換集団「地平線会議」の同人です。この絵本の作者紹介は、「ハンサムでカッコいい長野亮之介がカッコいい絵を描いた。」の言葉で始まっているんですよ。先日は、私が勤務している図書館にもお越しいただきましたよね。長野さんは「地球クラブ」のカオノアチュチ低地熱帯林現地調査にも参加しています。お料理も得意で、和太鼓の演奏もされる、とっても器用な方ですよ。解説は、長野県の元小学校教諭で、現在は長野県教育委員会文化財生涯学習課指導主事をされている小岩井彰さん。タイ国の熱帯雨林保護、就学支援活動および長野県青木村で子どもたちのための自然体験プログラムを展開しています。小岩井さんは1995年に「地球クラブ」(NGO)を設立しました。「地球クラブ」は長野県青木村の小さなNGOで、メンバーは熱帯雨林や野鳥の専門家ではなく、ふるさとでの活動を大切にしながら、視野を広げ、熱帯雨林のこと、ピッタのこと、真の豊かさについて、人々の暮らしについて考えています。熱帯雨林の破壊が連日報道されていた1992年、絶滅したと思われていた鳥、ガーニーズ・ピッタがタイで見つかり、保護活動が始まりました。この絵本は、自然と環境について、大人と子どもがいっしょに考えるための絵本で、売り上げの一部はタイの環境教育と熱帯林保護のために使われます。ある日少年は、今まで見たことのない鳥、ピッタに出会います。少年とピッタ、人間と自然の共生の物語です。長野さんの絵はダイナミックで、何とも言えない温かみを感じるんですよね。そこには、自然や人間を愛する長野さんの深い深い思いが存在し、見ている私たちは、彼が描く世界に、グイグイと吸い込まれていきます。タイの森の深い緑や青い青い空の色、少年や家族の表情がとても生き生きと描かれています。表紙には、縦に3~4個の丸が描かれているのですが、一番下の丸は窓のように穴が空いていて、そこからちょうど少年が森に囲まれ、上を見上げている姿が見えます。この丸は“地球”をあらわしているのかな?そして、絵に添えられた言葉は、決して多くを語ってはいないけれど、すーっと胸に響いてきます。タイ語と英語も添えられています。装丁は予算の関係もあって、パンフレットのようになっていますが、内容はとても充実しています。残念ながら、森林破壊は益々広がっているようですね。巻末の「ピッタの森を守れ!」という小岩井さんの解説もぜひ読んでいただき、自然について、熱帯林について、ピッタについて、真の豊かさについて、親子で考えていただくきっかけになればいいなと思います。長野さんがイラストとコラムを書かれている「東京絵日記」のページはこちらです。
2004年08月29日
暑中御見舞申し上げます。猛暑が続いておりますが、皆さんお変わりありませんか?まだまだ、夏は始まったばかりですがすでにこの夏のいくつかのイベントを終えました。7月18日(日)は中3の娘が11年間所属している合唱団の40周年コンサート。私は照明係として参加しました。娘は今回、I wishの『ふたつ星』をソロで・・・。暗転の中、歌いながら舞台の袖に現われスポットライトを当て、途中で中央に移動。歌が終わる微妙なタイミングで照明フェイドアウト・・・。この照明というのが、私的には結構はまりました。なかなかおもしろい!もう少し高度な技術も身につけたい・・なんて欲が出てきたくらいです。でも、照明は何ごともなくタイミング良く効果的にできて当たり前。裏方の大変さも身を持って感じました。唱歌あり、今時のソロ曲あり、ディズニーワールドのメドレーをミュージカルタッチで踊りながら歌ったり40周年記念コンサートは楽しいコンサートになりました。hikariさん!2日連続で駆けつけていただき写真やビデオまで撮ってくださってありがとう! 翌日の19日(月・祝)は娘と共に朗読劇『この子たちの夏』に出演。今年は娘を含め、7人の中学生が参加しました。(我が娘、実は中3の受験生なんですけどね。(^_^;))今回この会では初めて男性の声が加わり今までとちょっと雰囲気がちがう朗読劇になりました。何を隠そうこの男性、イラストレーターで新聞にも連載でコラムとイラストを掲載していて絵本も出版されているんです。なかなか味のある魅力的な絵を描かれて文章も繊細で興味深い。絵本でも不思議な世界を創作されています。ぜひ近いうちに、この絵本の紹介もしたいなと思っていますよ。(いつになるかなあ?) そして、22日(木)の夜は上野の東京文化会館大ホールで東京二期会オペラ劇場『ドン・ジョヴァンニ』の初日公演を堪能してきました。指揮はパスカル・ヴェロ、演出はあの宮本亜門です。初日とあって、NHK録画も入っていましたし宮本亜門さんも舞台挨拶に出てきましたよ。心が震えるほど素晴らしい舞台でした。主役のドン・ジョヴァンニ役の黒田博さんの歌声は素晴らしくドキドキするほどセクシーで、本当に素敵でしたツェルニーナ役の林美智子さん(メゾ・ソプラノ)は本当にチャーミングな方で歌声も素晴らしく感動しました。宮本亜門さんらしい現代的な演出でこの作品の古典が染み付いている方たちにとっては小道具として携帯電話が使われていたりツェルニーナが今時のギャル風の設定になっていたりで度肝を抜かれてしまったらしいのですがこの作品を初めて体験した私としてはオペラの醍醐味や素晴らしさを存分に堪能することができました。さらに、「ぜひオーソドックスな古典のオペラもを体験したい!」と思わせてしまうあたりは、さすがだなあと感じました。客席から、「ブラボー!」と声援を送るのもなかなか気持ちの良いものでしたよ。(^^ゞ誘っていただいた○○子さ~ん、本当にありがとう! ここからが一番新たな感動を伝えたいこのタイトルの内容に入ります。高3の息子の通っている都立高校・野球部は、24年ぶりの甲子園出場に向けて熱く熱く戦い続けました。息子はといえば、小学校・中学校とサッカーを続け文字通りのサッカー少年で、中学ではサッカー部の部長もしていたのですが高校に入ると同時に、なぜかバドミントン部に入部。新たな世界で頑張っていたのですが、5月に行われた試合を終えて引退しました。そして・・・クラスメートの野球部員を始め、同じ高校の仲間に熱い夢を託しました。野球部は22日には9回裏の劇的なサヨナラ勝ち。強豪を押さえ、西東京代表のベスト8まで勝ち残りました。続くは24日、優勝候補とも言われていた「日大鶴が丘」との神宮球場での対戦。ちょうど仕事が入っていて、仕事を他の方に代わってもらってまで・・とためらっていた私の背中をポンと押してくれたのは昨年娘の中学でPTAの副会長として私を支えてくれたkyoroさんでした。彼女の息子さんは、少年野球からずっと野球を続け高校は違うけれど昨年ベスト4まで勝ち残りその時の感動をぜひ私にも味わってほしい・・・とメールをくれたのです。私が応援に行くのなら自分も行きたいと・・・。その言葉に、私も心を決めて、仕事を他の方に交代してもらい同じ高校のお母さんたちに「一緒に神宮球場に応援に行こう!」と誘って炎天下の中で、すっかり「高校野球熱中症」にかかっていました。息子の担任のI先生やクラスのお母さんたちといっしょに応援していたのですが、9回まで2対1で負けていたのです。9回表ではみんな総立ちで、本当に祈るような気持ちで校歌を歌ったり声援を送って手を叩いたり、自分がマウンドに出ている訳ではないのにもう気持ちは一つになっていました。点が入ったときには、先生や周りの方と堅く手を握り合って目はウルウルし、飛び跳ねていました!まるで筋書きのないドラマを見ているようでしたよ。新聞記事の見出しは「ミラクル再び!」またもや9回の逆転勝ち。念願のベスト4進出。こんな感動を与えてくれた野球部のメンバーに、それを陰で支えてきた方たちにそして共に熱く応援し続けたOBや関係者の皆さんに・・・心から感謝したい・・・。kyoroさんにメールをいただいて、たくさんの方に声をかけて本当に感動を分かち合うことができて幸せでした。暑い中、応援をして頂いて写真まで撮って頂いて本当にありがたいことです。そして、26日の準決勝。月曜日で仕事がお休みでしたもの・・・もちろん、神宮球場まで応援に行きましたよ。選手も精一杯戦い、生徒も先生もOBも保護者も熱い声援を送り続けました。しかし、対戦相手の「頴明館」は強かった!!そして、この日、3度目のミラクルは起こらなかったのです。24年ぶりの甲子園への夢は破れました。試合終了後、主将がいっぱいの一塁側応援席に向かう部員に言った言葉は・・・「笑顔で終わろう!」爽やかな風とともに、熱い熱い応援歌が、今でも私の心の中に響いています。青春の夢をありがとう!気持ちを入れ替え、9月の文化祭のオリジナル劇のメインキャストに向けて今日も学校の屋上で、大きな声でせりふの練習に励んでいる息子よ!悔いのない、熱い青春を送ってほしいと母は願っています。同時に、自分が目指す進路を目指して、精一杯がんばってほしい。母は、今日も明日も明後日もず~っとずっと・・・君にエールを送り続けます。
2004年07月28日
今日も暑い一日でしたね。今夜あたりは、夜空を見上げると、天の川が美しく見えるでしょうか?7月7日は、年に一度の七夕(たなばた)ですね。「七夕」は中国伝来の星座伝説です。日本では、笹の葉に七夕飾りをして、短冊に願い事を書いてつるすとその願いが叶うと言われていますよね。皆さんは、どんな願い事を書かれるのかしら?私のお願いは・・・「どうぞ、皆さんに星の数ほどの幸せが訪れますように・・・。」七夕の星「ベガ星(織り姫星)」と「アルタイル星(彦星)」を探すにはまず夏の夜空に見える「夏の大三角形」という3つの一等星を目印に探します。「夏の大三角形」は「こと座のベガ星」「わし座のアルタイル星」「はくちょう座のデネブ星」の3つの星を線で繋いでできるとても大きな三角形です。 こと座の一等星「ベガ」が織り姫星です。7月7日の夜11時頃には、ほぼ真上に来ています。こと座は三角と菱(ひし)形がくっついた形をしています。東を向いて、こと座を見つけたら、その右下を探してください。 3つつながった星が見つかると思います。それが「わし座三星」で中心の一等星 アルタイルが彦星です。それでは、今日は七夕にちなんだ絵本を2冊ご紹介します。 ◆『おりひめとひこぼし』七夕に 読む絵本 矢部美智代 文/ 新野めぐみ 絵 /世界文化社/1987年6月1日 七夕の伝説の絵本は何冊もあるのですが、牛飼いが天女の羽衣を隠してしまい、結婚し、二人の子どもをもうける・・といった内容のお話が多い中、この絵本は、より単純でわかりやすく、絵も美しく、とてもロマンチックに描かれています。むかし、むかし。大空を「てんてい」という空の神様が治めていた頃のお話です。てんていには、一人の美しい孫娘がいました。名前を織り姫といい、てんていのために天の川のほとりで色とりどりの布を織っていました。ある日、はたの音の合間に笛の音が聞こえてきました。見ると、天の川の向こう岸で、一人の若者がこちらを見ながら笛を吹いているのです。若者は牛を連れていました。はたの音と笛の音は天の川の上を行き交いました。そして二人は愛し合うようになりました。織り姫は毎日川岸で彦星を待ち、彦星は毎日、舟で川を渡りました。そしていっしょに過ごす楽しさに二人は仕事を忘れました。それを知ったてんていは怒りに燃え、二人を引き離してしまうのです。紫と薄桃色の色使いがとてもやさしく、美しく描かれた絵本です。この絵本を読んで、夜空を見上げれば、ちょっぴり切ない、ロマンチックな気持ちになりますよ。この絵本には雨が降ったら、二人は会うことができないと書いてあります。さて、今年の七夕の夜、織り姫と彦星は、会うことができるのでしょうか? ◆『たなばたプールびらき』中川ひろたか・文/村上康成/童心社/1997年5月20日 第1版発行 2000年4月10日第7版発行こちらは、もう少し小さいお子さん向けの七夕の絵本です。とても楽しい七夕の夜を過ごせそうですよ。村上康成さんのユニークで弾んだ絵が、七夕伝説とはミスマッチなのですが、こんな七夕も楽しいなあとワクワクしてきます。今日は七夕。織り姫と彦星は天の川で年に一度のデートです。二人はなんと、望遠鏡を覗きながら、スターウォッチングを楽しんでしまうんですよ。そこで二人が見つけたものはなんだと思いますか?子どもたちが作った七夕飾り。そこに書かれた、ある願い事を叶えてあげようとするのです。こんな願いが本当に叶ったら、楽しいだろなあ!準備体操のところがとっても盛り上がるんですよね。子どもたちもきっと喜んでくれる、楽しい七夕絵本です。
2004年06月29日
台風が抜けて、東京は真夏のような暑さです。今日は布団を干し、洗濯物もたくさん干しましたよ。皆さん、本当にご無沙汰してしまいました。いろいろご心配をおかけしてしまったようで、ごめんなさい。私はいたって元気だったのですが、パソコンの調子が悪かったり思うところがあって、少々パソコンから離れた生活をしていました。その中身は、とっても充実していたんですけどねっ!!それまでがパソコン漬けの生活だったのでこの期間は、パソコンに向かっていた時間を家族と過ごす時間にしたり朝の清々しい光を浴びながら、お散歩をしたりしました。今までは夜中の2時、3時まで起きていた私が、実は、11時には寝て、その分、早起きをするという生活をしていたんです。そんな中で、この一年の間に見失っていたものが見えたような気がしました。皆さんは、“幸せ”ってなんだと思いますか?お金があれば幸せでしょうか?地位や名誉があれば幸せでしょうか?今日は、そんなことを考えさせてくれる2冊の絵本をご紹介します。 ◆『やくそく』成田雅子 作/講談社/2004年4月24日 成田雅子さんのデビユー作は、以前、松谷みよ子さんがご自分の講演会で紹介してくださった『いちょうやしきの三郎猫』でした。そちらもシックな色使いで、その根底にはまさにこの『やくそく』と共通したものが流れているような気がします。心理的な描写が多く、深く考えさせられるものでした。その後、このHPでも紹介させていただいた、『サナのあかいセーター』を含むサナちゃんシリーズのような、明るい色使いの楽しい作品が続いていました。 私は、この『やくそく』という絵本に出会って、ドキッとしました。まるで、自分へのメッセージのように感じたのです。『やくそく』は、ねこの“よも”と“ゆうじさん”のお話です。ねこの“よも”はゆうじさんとちいさな家に住んでいました。よもはゆうじさんが大好きです。ゆうじさんのお休みには、いっしょに魚釣りをしたり歌を歌って過ごしました。でも、新しい仕事についてから、ゆうじさんはとても忙しくなりました。帰ってきても話もしないで眠りこんでいます。週末も楽しいお休みもなくなりました。それからまもなく、家の様子が変わっていきます。ゆうじさんは、お気に入りのコートも着なくなり、ピアノも弾かなくなり、いつしかコートもピアノもどこかへ消えてしまいます。ごはんも家で食べなくなって、テーブルやいすもどこかにいってしまいました。 ゆうじさんは帰ってこなくなり、家さえなくなってしまいます。まさにこれは、ゆうじさんの心の有り様そのものではないかと思いました。「いつかいっしょにつりにいく」という「やくそく」を信じて、よもはずっとゆうじさんを待ち続けるのです。ゆうじさんが再び帰ってきた時のよもの泣き顔が本当にいじらしい。猫と人間のお話ですが、まるで夫婦や親子の関係を象徴しているような気がして仕方がありませんでした。「忙しい」という字は、心を亡くすと書きます。ゆうじさんは、忙しさの中で、心をなくしてしまっていたのかもしれませんね。私はいつのまにか、ゆうじさんと自分を重ねて読んでいました。最後は、ゆったりと静かな時が流れ、しみじみとした幸せが心に響いてきます。 ◆『なんだって してあげるよ』 ジョン・ウォレス 文 /ハリー・ホース 絵 /さくまゆみこ/あすなろ書房 /2004年3月30日 文を書いたジョン・ウォレスは、1966年生まれのイギリスの絵本作家です。ケンブリッジ大学で神学を学び、最初の子どもが生まれてから絵本作家となりました。1996年「ちいちゃなまあちゃん」でデビューし、1999年の「ちびうさぎくん たんじょうびパーティーにいく」で人気を博しました。若手の絵本作家として大いに期待されています。絵を担当しているハリー・ホースは1960年生まれのイギリスの絵本作家、画家です。新聞や雑誌に政治漫画を描いたり、バンドでバンジョーを演奏したりする一方、子どもの本を手がけています。1998年に「さいごの金鉱さがし」でスマーティーズ賞金賞を受けました。翻訳絵本に「シロクマをさがしに」「ちびうさまいご!」(光村教育図書)があります。ちびくまチャーリーとジンジャーの物語です。ちびくまチャーリーはいつも失敗ばかりだけれど、大好きなジンジャーのためならなんでもしてあげたいと思っています。そして、ジンジャーも・・・・。だれかを大切に思うことの幸せが、しみじみと伝わってきます。私はやっぱり、“愛”がなくては、生きられないなぁ!(*^_^*)
2004年06月22日
若葉がひときわ美しく輝く季節を迎えました。ご無沙汰していますが、皆さん、ゴールデンウイークはいかがお過ごしですか?お陰様で、4月28日(水)に、無事、娘の中学のPTA総会を終えることができました。思えば、我が子が、この世に初めて生を受けたあの時あたたかい、ぬくもりのある小さな身体を抱きしめて「たとえこの子がどんな運命を抱えていようとも、このかけがえのない命を親としてしっかり守っていこう!」と決意した瞬間でした。親だからこそ与えられた“喜び”や“不安”を抱えながら一日一日を過ごしてきました。ともすれば独り善がりになってしまう子育てを時には戒め、支えてくれたのは、やはり同じ子を持つ親であり学校の先生であり、地域の方たちだったと思います。そんな我が子も思春期を迎え、いつか親の元から元気に飛び立っていくその日まで私は親として、自分にできることをしっかりと自分の人生に刻んでいこう。PTAに関わったことで、失敗を重ねながらも多くのことを学ぶことができかけがえのない、すばらしい仲間に出会えたことを心より感謝しています。私がこの一年、PTA会長を務めることができさまざまな取り組みができたのは私をあたたかく支えつづけてくれた役員仲間のおかげです。総会では伝えることができなかった言葉や思いがどこかに消えてしまわないようにそっとこの場所に、残しておこうと思います。 伝えられなかった言葉 副会長のkyoroさんへ情報通で、パソコン・雑学研究家。「hotaru‐family」のMLを立ち上げてくれたのは、kyoroさん、貴女でしたね。この一年で役員7人で交換したメールの数は、約4000通。それぞれの思い出がたくさん詰ったこれらのメッセージは今となってみれば、まるで宝物のようです。能ある鷹はずいぶん上手に爪を隠しているものです。女性らしい細やかさを持ち、謙遜しているけれど、実は・・・貴女は、本当に頼りになる“陰のボス”だったのですよ。貴女に出会えて、本当によかった。一年間、支えてくれて、ありがとう! 副会長のHappyさんへ貴女のバイタリティーには、脱帽です。多忙な中で、積極的にPTAの仕事もやりこなしてしまう貴女は本当にすごい!!イノシシ年生まれで、猪突猛進型のイメージが強かった貴女でしたが、実は、貴女にはずいぶん心癒されました。この一年、貴女といっしょに活動できて本当によかった。いつも近くで支えてくれて、ありがとう。共に涙を流してくれて、ありがとう。貴女のこれからの益々の活躍を心から期待しています。 会計のhikariさんへまるで、春の穏やかな日差しのように、にこやかで穏やかな貴女は私たち役員の“母”でした。そんな癒し系でありながら、同時にいつも一本しっかりと筋の通った信念を持ち、しっかりと支えてくれましたね。この春からは、パソコンサークルの代表として、PTAを支えてください。この一年の貴女の活躍が楽しみです。今度は、私が少しでも、貴女の力になれたらと思っていますよ。一年間、あたたかい笑顔をありがとう。貴女に会えて本当によかった。 会計のS子さんへいつも静かな微笑をたたえ、口数少ないけれどいざとなったら、本当に頼もしい貴女でした。気がつけば、貴女には、ずいぶん長い間いつも近くで支えられていましたね。子どもたちがまだ小学生だった頃共に読み聞かせの練習をしたあの場所は今では跡形もなく消えてしまったけれど、私の心の中にしっかり刻まれています。貴女に会えて本当によかった。この一年、支えてくれて、ありがとう。 庶務のPowPoさんへPowPoさん、今日はお誕生日おめでとう!私たち役員のビックリ箱であり、パワーポイントだったPowPoさん。「ひらめいた!」貴女のその“ひらめき”が、どれほど私たちをわくわくさせ、楽しませてくれたことでしょう。マイペースだけれど、やるべきことはしっかりこなし、仕事が速い切れ者でした。そのくせ洒落っ気たっぷりで、トリニティーに変装したときの貴女は実にかっこよかったなあ!!貴女に出会えて本当によかった。今もパソコンに向かって、仕事をしていることでしょう。身体に気をつけて、これからも頑張ってね。この一年、楽しませてくれて本当にありがとう。 庶務のチカさんへ貴女が放った一言で、私はPTA会長を受けてみようと決心したのです。プライベートでいろんなことを抱えながら自分にできる形で、しっかりとPTAを支えてくれましたね。そして、貴女の校正力は素晴らしかった。現実主義のように見えて、実はとてもロマンチストな貴女でしたね。この一年、貴女と共に活動できて、本当によかった。心から、感謝しています。本当にありがとう。
2004年05月05日
春を待ち焦がれていたら、いつのまにか夏が訪れてしまったかのようですよ。しばらく更新できなかったので、書きたいことが、山のようにあって、何から書いたらよいのかわからないくらい・・・。娘の中学のPTA総会を4月28日(水)に控え、昨日は総会の打ち合わせ会をしました。総会当日は、この一年の活動を振り返って、会長としての最後の挨拶と活動報告を行なうのですが・・・ああ!まだ何も考えておりません。(^_^;)この一年はいろいろと総合的な判断を迫られ、学ぶことがたくさんありました。何よりも、最高の仲間に恵まれました。さあ!爽やかに、にこやかに、総会を終えることができるでしょうか・・・。 今日は皆さんにお知らせをしたいと思います。まず、リンクさせていただいているHP『絵本旅行社』の管理人ゆきなさんの書評が掲載されている『熱い書評から親しむ感動の名著』(すばる書房)という本が、先日出版されました。私が仕事をしている図書館でも予約中で、まだ私の手元に届かないのですが、手にとって読める日をとても楽しみにしているんですよ。またあらためて感想をお伝えしたいと思います。 そして、もう一つのお知らせ。実は東京国際ブックフェア事務局より、以下のようなメールをいただいています。管理人様の本に対する思い入れが伝わってくる、ページだと感じ、楽しんで見させて頂きました。唐突な申し出なのですが、私達が開催致します東京国際ブックフェアにリンクをして頂けないでしょうか。東京国際ブックフェアは世界25カ国から600社の出版社が一堂に集まる日本最大の展示会であり、文芸書・児童書・学習書・洋書などあらゆるジャンルの本が会期中限定の特別割引価格にて購入出来ます。また、通常入場料が1200円かかるのですが、そちらのHPから当HPを訪問された方には、展示会招待券を無料で差し上げます。通常は定価でしか購入出来ない書籍を特別価格にて購入出来るこのブックフェアをご紹介頂ければ、管理人様のHPを訪問される皆様にも喜んで頂けると思います。 ・・・ということで4月22日(木)~25日(日)会場は東京ビッグサイトです。詳しくは、HPをご覧ください! 皆さんには、帰る家はありますか?世界中には、帰る家もなく、さまよい歩いている子どもたちがたくさんいるんですよ。 ◆『カーリンヒェンのおうちはどこ?』 アンネゲルト・フックスフーバー 作/池田香代子 訳/一声社/2004年2月10日作者のアンネゲルト・フックスフーバーは1940年にドイツで生まれました。主な作品は『ゆめくい小人』(ミヒャエル=エンデ作・フックスフーバー絵)『ハールメンのふえふき』などがあります。訳者の池田香代子さんは1948年、東京生まれ。主な作品は『世界がもし100人の村だったら』『ソフィーの世界』『エミールと探偵たち』などがあります。カーリンヒェンという女の子が住む町に空から火が降ってきました。カーリンヒェンは逃げました。おなかがすいても、気にかけてくれる人は、だれひとりいません。カーリンヒェンはひとりぼっち。村にたどり着き、のんびりとひなたぼっこをしているおじさんとおばさんに「おうちに私をおいてください。小さなパンやなにか食べるものをください」と言いますが・・・「そんなもの どこにある」と言われます。そしてあちこちとさまよい、助けを求めるのですがなかなか助けてくれる人はいないのです。最後に町を出て、野原を歩いていくと大きな木の上に家がありました。そこでチーズパンをかじっている人がカーリンヒェンに話しかけます。最後の最後にカーリンヒェンを救ってくれた人とはいったいどんな人だったと思いますか?その人はカーリンヒェンにあることを気付かせ一つのメッセージとして私たちの心に深く響いてきます。う~ん!ちょっと考えさせられます。アンネゲルト・フックスフーバーの神秘的な絵が独特の世界を作り出しています。訳者の池田香代子さんはあとがきで次のような言葉を綴っています。「難民とはさまざまな理由で、それまで暮らしていたところを逃げ出さなければならなくなった人びとのことです。カーリンヒェンのように戦争に巻きこまれそうになったので逃げてきた人びともたくさんいます。世界には、難民とよばれる人々が2000万人、あるいは、2300万人いるといわれその半分くらいは、カーリンヒェンのような子どもです。もしも、そんな子があなたのいるところに逃げてきたらどうしますか?世界には、食べるものもなく逃げまどっている子どもたちがいるということを、あなたはどううけとめますか?そんな世界のことを、あなたもカーリンヒェンの身になって考えてみてください。」それにしても、今回の邦人イラク人質事件の被害者に浴びせられた過剰なバッシングや「自己責任」 という言葉は、あまりにも重く、氷のように冷たく響いてきます。
2004年04月21日
4月3日、息子は18歳の誕生日を迎えました。18年前のあの日も、私は息子を出産した病院の窓から満開の桜の花を見上げていたんですよね。あれから、18年もの月日が流れてしまったなんて信じられないです。我が子が18歳になってしまったなんてね。私自身の18歳は・・・青春真っ只中で、人並みの恋もして・・・。つくづく私は「本」には縁があるのだなあと思うのだけれど高校を卒業し、春からの進学が決まっていた私は、春休みの間地元の大型書店で、アルバイトをしていました。春休みも終わりに近づき、いよいよ大学生活に足を踏み入れようとしていたアルバイトの最後の日、同じ書店でアルバイトをし、同じく、大学への進学が決まっていた気になる一人の人から赤いリボンがかけられた、大きな包みを手渡されたのです。それは、因幡晃さんの『何か言い忘れたようで』というタイトルのLPでした。(「LP」だなんて、今では、ほとんど死語ですねぇ~(^_^;) レコードの大判のものです。)私は、彼からのメッセージを深く読み取ろうと何度も何度もすり切れるほどに、このLPの曲を繰り返し聴いたものです。気がつけば、これが初めての恋の始まりでした。(*^_^*) <曲目リスト>貴方のいない部屋別涙(わかれ)夏サンデー・モーニングおぼえていますかS.Yさんわかって下さい一年前の雨夏にありがとうアパートの鍵つかまえててよ秋田長持唄 同じ18歳だった彼は、J.D.サリンジャーのファンで、私の前でサリンジャーを熱く熱く語りました。そして、J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』をはじめ『ナイン・ストーリーズ』『フラニーとゾーイー』などを夢中で読んだ18歳の私がいました。 私が当時読んだものは、野崎孝さんの翻訳本(左)だったのですがこの『ライ麦畑でつかまえて』が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(右)として村上春樹さんの翻訳で40年ぶりに出版されました。 この本は、今、図書館でも予約が殺到していて私もまだ村上春樹さんの翻訳本の方は読んでいないんですけどね・・・。主人公は、ホールデン・コールフィールドという16歳の少年で舞台はアメリカ・ニューヨーク。実はこのお話は、病院で始まって、病院で終わっています。中身は回想録のような形なんだけれど、最初から最後まで、「僕」という一人称の表現で、生き生きと読者に語りかけてきます。始まり方がちょっと興味深く、自分が高校をやめてしまった日のことから語り始めています。思春期特有の大人への反抗精神のようなものがとてもリアルに伝わってきます。なんていうかな・・?彼独特のシャープな語り口も、当時(18歳)の私は、読んでいてとても小気味良かったです。ちょっとしたアメリカ的なものへの憧れもあったし独特の世界に浸れたというか、どこかで若者の気持ちを代弁してくれているように感じられるところもありました。えっ?と思うような、言葉も入っていて、どちらかというと大人が率先して若者に薦める本ではないかもしれないけれどあの頃の私にとっては、ちょっぴりどきどきして、とても魅力的な作品でした。実は私、この本の世界が、尾崎豊の「15の夜」や「十七歳の地図」と重なる部分もあるかな?と思っています。この『ライ麦畑でつかまえて』という書名には、ホールデン少年の夢のようなものが込められています。最後に、主人公の強い孤独感のようなものを感じました。不思議ですよね。“人”との出会いが“音楽”との出会いとなり・・・“本”との出会いにつながっていくんですもの。さて、昨日は、娘の中学、息子の高校の入学式でした。我が子はそれぞれ最高学年の3年生。18歳になったばかりの息子は今朝、いそいそと修学旅行へ出掛けていきました。
2004年04月08日
いよいよ4月に入りました。美しく咲き誇る“桜の花”を眺めては、私は遠くあの頃へ、想いを馳せています。人生は出会いと別れの繰り返し。振り返れば、そこにはいつも桜の花があったかもしれない・・・。1990年、4月6日、長男が4歳、長女が生後3ヶ月のとき、夫の仕事でインドネシアの首都 ジャカルタへ渡航しました。夫は公立小学校の教諭なのですが、かねてから海外日本人学校への赴任を希望しており、その夢は実にあっけなく叶ってしまいました。1月のある昼下がり、私が年も押し迫った12月30日に長女を出産したばかりで、身を寄せていた実家の電話のベルが鳴りました。「海外日本人学校への赴任が決まったよ。赴任先はインドネシアの首都、ジャカルタだからね!出発は4月6日だよ。」という夫の声。「おめでとう!よかったね!」と言った私・・・。その時私は、家族で新しい未知の世界に飛び込んでいく“よろこび”や“ときめき”を感じながらも、一方では、「インドネシア?ジャカルタ?こんな小さな赤ん坊を連れて行っても大丈夫なの?」という不安を胸に抱えていたのです。そして、結果的には、3年間の貴重なインドネシア生活を体験することになりました。最初の半年間は、驚きと、信じられないことばかり。なにしろそれまでの私の辞書の中には、「インドネシア語」など、まったくなかったのです。ジャカルタの我が家には、その「インドネシア語」しか話せない使用人が3人いて、子どもたちを抱えた私は、とにかく、自分の意思を伝えなければなりませんでした。それにしても、人間、せっぱ詰ると、必死で学ぶものなんだとつくづく思いましたよ。いつのまにか、私は住み込みの2人のメイドや通いの運転手と日常会話を交わせるようになっていたのだから・・・。そうして、私たちの新しい生活が始まりました。今思えば、このインドネシアでの3年間は、日本で生活をする10年分にも20年分にも匹敵するような貴重な体験ばかりで、奇跡のような出会いと別れもありました。その中身については、ぜひ近いうちに少しずつアップしたいと思いますが、結局私たちは、どっぷりとインドネシア生活に浸ってしまい、3年の間、一度も帰国することはありませんでした。そんな私が、帰国を目前にして、父のように慕い、敬愛していた大切な人を亡くしたのです。その人の名は“ゴードン・トビン”それはあまりにも突然でした。何日も泣きつづけ、悲しみに暮れていた私が日本に想いを馳せ、願い続けていたことがありました。実はそれが、“桜の花”への郷愁だったのです。「日本に帰ったら、まずあの“桜の花”を見たい!!子どもたちにも、日本の“桜の花”を見せてあげたい!!」その想いは、日に日に大きく膨らんでいきました。常夏の国、インドネシアに暮らしていた私は、日本で桜の花が咲く頃のまだほんのりと冷たさも残る「春の風」や、「春の匂い」を思い出しては、早くあの桜の花に再会したいと願ったのでした。“桜の花”は、日本を離れて暮らしていた私の“ノスタルジーの象徴”だったのかもしれません。 ◆ 『そらはさくらいろ』 村上康成 作・絵 /ひかりのくに /2002年2月・2002年5月 作者の村上康成さんは、1955年岐阜県生まれ。創作絵本をはじめ、ワイルド・ライフ・アート、オリジナルグッズなどのグラフィック関連やエッセイ等で独自の世界を幅広く展開しています。1986、88、89年ボローニャ国際児童図書展グラフィック賞、1991年ブラチスラバ世界絵本原画展金牌などの受賞を重ねています。 満開の桜の木の下に寝っ転がって、小さな女の子が青い空を見上げています。そこに、「何しているの?」と犬、ちょう、かえる、ヘビなど、たくさんのお友だちがやってくるのです。桜の花びらが散るシーンでは、この季節ならではの、美しい空の色と桜のやさしい色が、なんとも幸せな気分にしてくれます。この季節にこそ読みたい、読んであげたい、小さいお子さん向きの絵本です。
2004年04月01日
はにかみやの“春”は、うつむきながら、少しずつ、後ずさりしてしまったかのようですね。東京は、再び冬に戻ってしまったような冷たい雨が降り続いています。皆さん、お元気ですか?なんと、1ヶ月以上も風色ダイアリーをお休みしてしまいました。それでも、たくさんの方のアクセスをいただいて、申し訳ないというか、本当にありがたいことだと思います。Chisakongさん、ゆきなさん、oidonwa_ks_desutaiさん、私の季節はずれの冬眠中の書き込み、ありがとうございます。それぞれがおめでたいことばかりで、私もハッピーな気持ちになれますよ。さて、PTA活動の一つ一つが、無事に終わっていきました。でも、まだ、4月28日(水)の総会までは、いろいろと気が抜けないんですけどね。2月28日(土)に開催したインターネット安全教室も、とても有意義な活動となりました。『ジャズと語りのコラボレーション』は、鈴の音さんの語りが本当に素晴らしくて、私は一年分の感動の涙を流しました。鈴の音さん、ありがとう!ジャズピアノとベースもとてもお洒落でステキでしたよ。音楽室をクロスや造花、ランプで飾って、癒しの空間を作りました。ああ~!できればもっとたくさんの方たちとこの素晴らしい時間と空間を共有したかったなあ! ◆ 『はるかぜのたいこ』くまのがっきやさん 安房直子 作 /葉祥明 絵 /金の星社 /1980年11月・1991年12月 今日は、とても寒くて、再びセーターを引っ張り出しました。いったい春はどこに隠れてしまったの?安房直子さんは、1943年、東京に生まれました。幼い頃からグリムやアンデルセンの童話に親しみ、日本女子大時代から童話を書き始め、1970年 に「さんしょっ子」で日本児童文学者協会新人賞を受賞、デビューしました。ファンタジーの名手として知られ、「つきよに」「きつねの窓」「鳥」などは国語の教科書に載っているので、子どものころに出会った方も多いかもしれませんね。1993年、50歳の若さで惜しまれつつ亡くなりました。主な著書に「あめのひのトランペット」(金の星社)「ハンカチの上の花畑」(あかね書房)「白いおうむの森」「天の鹿」(筑摩書房)があります。先日、鈴の音さんがジャズの音色に乗せて、「さんしょっ子」をステキに語ってくれました。まるでさんしょっ子が彼女に乗り移ったような魂を感じる語りでした。思わず、感動の涙が・・・。 さむがりやのうさぎさんが、くまのおみせのまえでいいました。「さむくて さむくて たまりません。なにか あったかくなる いい ほうほうは ないでしょうか」「ああ、そんなら うさぎさん いい がっきが ありますよ。」くまは、おみせにある大きなたいこをもちあげて、うさぎさんのまえに持ってきてくれました。「これを どーんと、たたいて ごらんなさい。それから、目をつぶって ごらんなさい。すぐに あったかく なるから・・・。」うさぎさんが、ちからいっぱい たいこをたたき、目をつぶりますと、うさぎの顔に、あったかい かぜが、ふうっと、かかってきました。うさぎは 春のよもぎの野原にいるような気持ちになりました。私も今、こんな「はるかぜのたいこ」が欲しいです。そして、今ここで、思いっきり打ち鳴らしてみたい。葉祥明さんの絵がやさしくてあたたかく、ステキな世界を表現しています。
2004年03月22日
またまた1週間ぶりの風色ダイアリーです。ここ1~2ヶ月は、ちょっと更新がきついかもしれません。昨年の4月2003年度“○○○○中学PTA号”という名の船が静かに出航しました。決して順風満帆とは言えませんでしたが会員や子どもたち一人ひとりの幸せに向かって邁進してきました。この1年、皆さんと知恵を出し合いながら魅力的で充実したPTA活動を進めていくことができれば・・・と願い今日まで活動してきたけれど・・・。PTA活動で何をしたかどういう結果が出たかということだけがすべてではないと思うのです。活動を行なうプロセスの中で子どもたちの幸せを願う先生や親が互いに関わりをもち、互いに認め合い尊重し合う場があるということが大切なのではないかなと思います。3月末までのPTA会長の任期を 仲間たちと共に最後の最後まで“誠実”に取り組みたい。PTAに、ささやかな“夢”と“希望”の灯をともし次期会長に、にこやかにバトンが渡せるように・・・。1人でも、「PTAも捨てたものじゃないね・・」と思ってもらえるように・・・。2月28日(土)は、PTAの学習会主催で NEC社会貢献部の方たちや日本ガーディアン・エンジェルスの方たちのご協力を得て生徒・保護者・教職員を対象に「インターネット安全教室」を開催します。中学のパソコン室で、用意した携帯電話も使って実際にメールやチャットを体験しながらインターネットのルール・マナー・エチケットを学びます。また、子どもの被害事例の紹介や対策などのお話を聞かせていただきます。子供たちが安全にインターネットを活用し、楽しめるようにと「日本ガーディアン・エンジェルス」とNECグループが 「Kidsインターネット安全教室」を開いています。実はこの両者の企画は、小学生対象のプログラムということでしたが、本当に有り難いことに、今回のために、中学生用のプログラムを組んでいただくことになっているんですよ。例えば、私たちや子どもたちが、インターネット上を走る“車の運転手”あるいはインターネット上を歩く“歩行者”だと考えればそこには必ず危険が伴い、それは“交通ルール”や“交通安全”と同じくらい身近で大切なことだと思います。3月13日(土)は、「ジャズと語りのコラボレーション(共演)」を企画しています。語り手の鈴の音さんが、ジャズピアノとベースにのせて ― Forever Love(永遠の愛)― をテーマに「さんしょっ子」(安房直子)、「ことりをすきになった山」(マクレーラン)金子みすゞの詩などを あたたかく、魅力的に語ります。市報の3月1日号にも掲載原稿を提出済みです。せっかくの企画ですので、こちらは会員以外の方にもご案内しています。会場は音楽室ですが、ちょっぴりお洒落に演出したい・・・。PTAでは、講演会のようにしっかり学ぶような企画も大切だけれど時には共に感動を共有できるような文化的で豊かな時間を提供することも必要なのではないかなと思います。こちらで作成した原稿を学校のホームページにもアップしていただくことになっているんですよ。賛同してくれた仲間にも理解がある校長先生にも本当に感謝しています。さて、現実には、スケジュールがぎっしり詰まっている上に5月のPTA総会までにやらなければいけない宿題は山積みです。PTA広報の原稿の締め切りも間近に迫っているし文化祭までに「標準服のリサイクル」に関するお知らせも作成しなければ・・・。この1年を振り返っての活動報告の作成や24日に行なう「子ども110番ピーポくんの家」の担当者会議の際に配付する資料の確認。25日に行なう市のP連での提案事項の確認。PTA以外にも・・・図書館での仕事のこと、「絵本と子育て事業」(ブックスタート)のこと音訳のこと、朗読の会のこと・・・。本当に手を抜けないことばかりで一つ一つを順番にこなしていくしかないなという感じだけれど・・・。あたたかい春を 爽やかに、気持ちよく迎えられるように・・・明日もがんばるよ~~!!(^_-)☆
2004年02月18日
春の足音が聞こえます。春は・・・もうすぐそこまで来ています。今日は、「日本民話の会・語りの会」で主催している語りの会に行って来ました。住宅街の中を通りぬけ、ようやくたどり着いたのは、途中で案内の方が立っていてくれなければとうてい気がつかなかったであろう“隠れ家”のような場所でした。靴をぬいで上がってみると、地域の集会所のようなところに座布団が敷き詰められ、正面には上から暗幕が垂れていて、ちょうど中央に趣きのある日本的な布がかけられていました。「ほたるさん!松谷みよ子さんがいらっしゃっているんじゃない?」と言ったのは鈴の音さん。本当!!すぐそこに見えるのは、松谷みよ子さん ではありませんか!!どなたかが皆さんに紹介されるわけでもなく、松谷さんはすっかり聴衆に混じって、同化していました。狭い会場ですから、すぐそこで聴いていらっしゃったんですよ。松谷さんが・・。 9人の方の語りを聴きました。演目は「ものいう亀」「正月二日の初夢」「天にのぼった源五郎」「鏡しらず」「蛙とふくろう」「かりのひめさま」「頭に柿の木」「おいでおいで」「つつじの娘」。それぞれに味のあるいい語りを聴かせて頂きました。中でも、あの「天使のいる教室」や「びゅんびゅんごまをまわしたら」の著者である宮川ひろさんの語りがとてもよかった!!力の抜き具合や温かみのある語りにすっかり魅了されてしまいました。一言でもお話がしたくて、帰り際、松谷みよ子さんの姿を探したけれど、すでに松谷さんの姿は見えませんでした。ああ~!残念だなあ!!あんなに近くにいらっしゃったのに・・・。思いがけずお会いすることができたのに・・・。それでも、素敵なひとときを過ごすことができました。鈴の音さん、誘っていただいてありがとう!!Wさんも交えて、ランチをいただきながら、PTAの話に花が咲きました。課題はたくさんありますね。家に帰ると、中2の娘は、すでに母を待ちきれず、自己流でバレンタイン用のクッキーを焼き上げていました。 娘の手作りクッキー 私「ねぇ!!これ、いったい誰にあげるの~?」娘「友チョコだよ!!女の子同士交換するの!!」私「そうなの~?男の子にはあげないの~?」娘「う~ん!!たぶん、あげない!!」(ホントー?)私「そうかあ!!お母さんが初めて男の子にチョコレートをあげたのはねぇ、○○と同じ中2の時だったんだよ~!」娘「へぇ~!そうだったんだあ!!」・・・と、こんな会話が続いて・・・。実は私、娘に気になる男の子がいることは、ちゃんと知っているんですよ~!なんだか、ついこの間(???)のような気がするのに(ずうずうしい?)もう娘があの時の私と同じ年齢を迎えているんですね。母親って、何気ない娘の言動に、ふと自分の人生を振りかえることがある。歌うことが大好きな娘が、今、口ずさんでいるのは・・・“I wish”の「♪明日への扉♪」そして「♪ふたつ星♪」。かつて、私が切ない思いで“青春の歌”を歌っていたあの頃の風が、ほんの一瞬、かすかな香りを運んでは、消えていきました。「いい歌だねぇ~!その歌、お母さんにも教えて~!!お母さんも歌ってみたい!!」春は・・・もうすぐそこまで来ています。
2004年02月11日
一週間ぶりの風色ダイアリーです。またまた一週間はめまぐるしく過ぎ去りました。きらきら星★さんの日記が、たくさんの方に惜しまれながら、まるで彗星のように消えてしまいました。きらきら星★さん!お元気ですか?どうぞ遊びに来てくださいね!!よろしかったら近況などお知らせください!!さて、今日は、ずっと気になっていたChisakongさんの大事な大事な姪御さん(小学1年生)のことを思いながら、子どもの本を紹介したいと思います。Sちゃん!!どうぞ心の翼になるような、たくさんの素敵な本に出会ってくださいね! ◆『きつねのかみさま』 あまんきみこ 作/酒井駒子 絵 /ポプラ社絵本:いつでもいっしょ 9/2003.12月発行あまんきみこさんと酒井駒子さんの、とっても可愛らしい素敵なファンタジー絵本です。あまんきみこさんは、1931年、旧満州に生まれました。『車のいろは空の色』で日本児童文学者協会新人賞と野間児童文芸推奨作品賞、『こがねの舟』で旺文社児童文学賞、『ちいちゃんのかげおくり』で小学館文学賞を受賞しています。その他たくさんの受賞作品があり、世代を超えて読み継がれている作品がたくさんあります。画家の酒井駒子さんは、1966年兵庫県に生まれます。東京芸術大学美術学部卒業。自作の絵本に『リコちゃんのおうち』『よるくま』『よるくま クリスマスのまえのよる』『ロンパーちゃんと風船』『ぼくおかあさんのこと…』『金曜日の砂糖ちゃん』があり、その他に『赤い蝋燭と人魚』などがあります。本当にやさしく、可愛らしい絵を描かれる方ですよね。おやつを たべおわったとき、 あたし、なわとびのひもを わすれたことをおもいだした。「公園よ」ボールなげを しようって、おとうとの けんちゃんが いったとき、なわとびのひもを、 そばの きのえだに ひょいと かけたもの。けんちゃんといっしょに公園にいくと、きつねたちの にぎやかな笑い声や 歌声が聞こえてきます。そして楽しそうに なわとびをしているんですよ。「おおなみ こなみ ぐるっと まわって きつねの め」この「きつねのめ」というのが笑っちゃいますね。普通、「ぐるりとまわって ねこのめ」と歌っていませんか?きつねが縄跳びをする場面は、きつねがとても生き生きと表情豊かに描かれていて、物語の世界にぐっと引き込まれます。りえの「みていると きつねって なわとびに むいてないの。とぶのはうまいんだけど、しっぽの ふさふさが ひっかかるのよ。」という部分。なるほど!!と感心してしまいました。そして、りえは後でちゃんと きつねたちにアドバイスしてあげるんですよ。さて、なぜ、「きつねのかみさま」という題になっているのでしょう。 けんちゃんの最後の言葉が胸にあたたかく響いてきます。あまんきみこさんの作品でもう一冊、低学年向きの読み物をご紹介します。◆『きつねバスついたかな』フレーベル館の低学年童話3 /作 あまん きみこ /絵・岡村好文/フレーベル館/1993.2発行上記の本には、あまんきみこさんの『おんぶ おんぶのおともだち』『きつねバス ついたかな』『うさぎが 空を なめました』の3篇が入っています。どれもファンタジー系で私はとっても好きです。当市の図書館では、低学年向きの推薦図書に指定しています。低学年向きの推薦図書を、もう一冊。◆『ライギョのきゅうしょく』阿部夏丸 作/村上康成 絵/講談社/1999.6 第1版発行作者の阿部夏丸さんは、1960年生まれ。『泣けない魚たち』で坪田譲治賞・椋鳩十児童文学賞を受賞しています。少年時代、愛読書は魚類図鑑で、魚とりに明け暮れたそうです。だからこそ、こんなすごい作品が書けたんだろうなあ!という一冊です。作者からみなさんへ 「みんなのがっこうのきゅうしょくが、ドタバタとはしりまわるウシだったり、コケコッコーとなくニワトリだったら、たいへんだね。でも、それはそれで、たのしいし、それはそれで、ほんとうのことなんだ。」生きていくことの現実がさりげなく隠されていて、ハッとさせられるのですが、さすが、阿部夏丸さん!よくできているなあと感心してしまいます。 そして、バレンタインデーにちなんでもう一冊、話題の絵本をご紹介します。 ◆『100万回生きたねこ』 (佐野洋子の絵本①) 佐野洋子 作・絵 /講談社/1977.10.20 第1版発行 皆さんお馴染みの一冊ですが、今、バレンタインデーが近づいて、またまた話題になっていますね。愛する人に贈りたい絵本です。作者の佐野洋子さんは北京で生まれました。武蔵野美術大学デザイン科を卒業。‘67~’68 まで、ベルリン造形大学においてリトグラフを学びました。主な作品に「だってだってのおばあさん」(フレーベル館)「わたしのぼうし」(ポプラ社・講談社出版文化賞絵本部門賞)「おじさんのかさ」(講談社・サンケイ児童出版文化賞推薦賞)などの絵本があります。100万年も しなない ねこがいました。100万回もしんで 100万回も 生きたのです。りっぱな とらねこでした。ねこはあるときは おうさまのねことして、あるときは 船のりのねことして、サーカスの手品使いのねことして、どろぼうのねことして、ひとりぼっちのおばあさんのねことして、またあるときは、小さな女の子のねことして生きました。100万人の人が このねこをかわいがり、100万人の人が そのねこが死んだとき、泣きました。けれどもねこは1回も泣かなかったのです。死ぬのなんか平気だったのです。自分しか好きになれなかったねこでした。ところがあるとき、ねこは だれのねこでもありませんでした。ねこは はじめて 自分のねこになりました。ねこは 白いねこに出会い、ずっとそのねこのそばにいたくなりました。その先は内緒・・・!!実際に手にとって読んでみてくださいね!この「100万回」というのがインパクトがありますよね。「100回」ではなく、あえて「100万回」にしたところがすごい!!本当に生きるということはどういうことなのか。いろいろなことを考えさせられます。やはり“愛”なしには生きられないのですよね・・・。
2004年02月07日
出逢いって・・・本当に不思議なものです。私は昨年の9月、なんの気負いも目的もなく、ただなんとなく、このHPを開設していました。それはもしかしたら、私にとって、煩雑な日常から一瞬でも解き放たれる場所として、存在していたのかもしれません。家族にも、周りの誰にも知らせることなく、密やかに、マイペースで、更新を続けてきました。2ヶ月も更新できないこともありました。そんな私のHPに訪れては、時折、あたたかい メッセージを届けてくれたのが、 きらきら星★さんでした。そう!紛れもないインターネット上の出逢い・・・。きらきら星★さんのHPの日記には、ダウン症の周ちゃんとご家族の生活が、生き生きと綴られていました。そしてそこには母として、妻として、時には娘としての素直な思いが溢れていました。残念ながら、彼女の日記が2月5日をもって閉鎖されると知ったのは、つい3日ほど前のことです。ご本人の承諾を得た上で、今日は、きらきら星★さんの著書 『周ちゃん、愛をありがとう』を心を込めてご紹介したいと思います。 ◆ 『周ちゃん、愛をありがとう』 佐藤牧子 著 /NHK出版/1997年7月25日 発行ご覧のように、とても美しい本です。カバーの装画は岩下哲士さんの作品。彼は1歳の時発病した急性小児片まひにより、右脳の機能を失ってしまいましたが、幼児期から取り組んだ絵画の世界で才能を発揮し、自由奔放な色彩感覚と大胆な構成力で描き出す作品は、多くの反響を呼んでいます。さて、表紙を開くと・・・美しい、きらきら星★さんこと、佐藤牧子さんの写真に会えました。そして目次をめくって、序章のところで、大きく口をあけておどけてみせる周ちゃんとお兄ちゃんにも会えました。その可愛らしいことといったら・・・言葉では言い尽くせない・・・。(^_-)★周ちゃんが生まれた時のこと、周ちゃんがダウン症だとわかったときのこと、ご主人の男泣き、お兄ちゃんである良太くんのこと、牧師さんであるお父様の言葉、お母様への思い・・などが真実の言葉で綴られています。周ちゃんがダウン症であると知ったときの気持ちを 作者は嘘偽りのない言葉で表現している。でもね、作者は知るのです。周ちゃんが『天国の特別な子ども」であることを・・・。命ってなんだろう・・・。障碍ってなんだろう・・と私たちの心に問いかけてきます。周ちゃんから、ご家族や周りにいる人たちがどれほどの“愛”や“感動”や“やさしさ”をもらっているのか・・・しみじみと伝わってきます。周ちゃんの可愛らしい会話が、発音のままに書かれているのがとてもいい。読んでいる私たちの耳にも、その声が聞こえてきそうです。この本の素敵なところは、なんていうのかなぁ!決して重いだけでなく、時に平凡で、ありのままで・・・でも、そこには必ず一筋の光が見えているんですね。それは、まるで作者自身の真摯な物の見方や考え方、そして前向きに誠実に生きようとする心の鏡のようにも見えます。作者の言葉や思いに共感し、溢れる涙を止めることができませんでした。そして、私からも「周ちゃん、愛をありがとう」と伝えたい・・・。決して声高にではなく、風のように、やさしくやさしく・・・。インターネット上の出逢いに、心から感謝しています。きらきら星★さん、ありがとう!!きっと貴女はどこにいても、きらきら星のようにキラキラと、ひときわ美しく光り輝いているのでしょうね。実は私、この一年近く、PTAを通して「心身障害児理解教育 交流教育連絡会」に参加してきました。でも、私の中で、この長く、難しい名前だけが宙に浮いて、空回りしていたのです。それを本当に理解できていない自分が、あたかもすべて理解しているような偽善や嘘で言葉を繕うことはしたくなくて・・・。でも、きらきら星★さんの日記や本を通して、ほんの少しですが、真実が見えたような気がします。原点は、大いなる“愛”だなと思いました。かけがえのない“命”や“愛”の交流なのかなと・・・。周ちゃんの就学に際してのきらきら星★さんの選択や行政に対する凛とした姿勢に、母の愛は強し・・と思いました。きらきら星★さん、いつかどこかでお会いすることもあるでしょうか。星の輝く夜は、そっと夜空を見上げ、きらきら星★さんの言葉を思い出すことにします。
2004年01月31日
東京も冬らしい寒い日が続いています。ああ~!春が恋しい~!!待ち遠しい~!! 今日は、有楽町の東京国際フォーラムで行なわれた 「 子どもとインターネット」フォーラム- 子どもが楽しく安心して利用できるインターネット構築を目指して- に行って来ました。 「子どもとインターネット」フォーラムは、2002年度に文部科学省が実施した調査『「子どもとインターネット」に関するNPO等についての調査研究―米国を中心に―』の報告書が2003年3月に取りまとめられたのを受けて、その内容を中心に、財団法人インターネット協会(IAjapan)の取り組みを発展させた形で、インターネットを利用する子どもを持つ親、小中高の教員、教育関係者、インターネット運営事業者を対象として、文部科学省からの委託事業として開催されたイベントです。午前中は、知人たちがグループ展を行なっている池袋の画廊に立ち寄りました。コラージュや油絵など・・こんな風にゆったりと見せていただいたのは、ずいぶん久しぶりのような気がします。知人の油絵は、丁寧に細やかに描かれた静物画で、存在感のある一枚でした。あの繊細な色づかいは、いったいどんなふうに作り出されているのだろう。白いキャンバスの上に何度も何度も塗り重ねられた色の世界は、ある種の立体感を伴って、そこに異空間を創造し、静かに静かに語りかけてくる。その画廊で20分ほど過ごした後、いよいよ 東京国際フォーラムのある有楽町へと向かいました。今日は快晴で、本当に気持ちのよい青空が広がっています。午後1時から午後2時45分時まで、米国・英国からの貴重な報告があり、その後午後3時から午後5時まで、パネルディスカッション― 子どもが楽しく安全に使える環境構築について考える ―を行ないました。詳細な報告は、1週間から10日後に「インターネット協会」のHP上でアップするとのお話がありましたので、ここでは私が特に印象に残った言葉だけを綴りたいと思います。米国で、子どもとインターネットに関するさまざまな情報を提供するWebサイト「ネット マム」を運営し、「インターネットサーフィン」という言葉を普及させたジーン・アーマー・ポリーさんは、子どもはインターネットを使うべきであるとお話しされました。そして、大人はよりよいインターネットを用意する必要がある。具体的には、フィルタリングソフトの開発、ネチケットの提唱、相談窓口のホットラインの確立などが必要なのです。昨年の暮れに娘の中学で行ったアンケートの中には、「パソコンはあるが、(危険が伴うので)子どもには使わせない」という回答もあったのですが、ポリーさんは、こんな表現をされました。「港に停泊している船は確かに安全です。しかし、船の本来の意味は、世界の海を渡ることであることを確認する必要がある。」英国の事例発表では、チャイルドネット・インターナショナルCEOのスティブン・キャリック・ディビスさんに報告していただきました。チャイルドネット・インターナショナルは、「世界の人々との協力のもと、インターネットを子どもたちにとって、魅力的で安全な場所にすること」を目指して1996年に発足した英国のNPOです。インターネットには、有用性と危険性が伴います。子どもたちが、インターネットを安全に利用できるようにするには、大人たちがあらゆる分野で責任を共有することの重要性と、子どもたちのインターネットの使い方が日々変化しており、親や教師は子どもたちのインターネット・スキルについていくのが難しくなっているという問題についてもお話しされました。インターネット上では、たとえ聴覚障害の子どもでも、何の違和感もなく、コミュニケ―ションを取ることができるのですという言葉が印象的でした。英国では、公共図書館には必ずインターネットが利用出来るようになっていて、インターネットを使う上でのルールやマナーを習得するための講習も行なっているとのことでした。そういった意味では日本はまだまだ遅れていますね。パネルディスカッションでは、コーディネータの赤堀侃司さん(東京工業大学大学院社会理工学研究科教授)のコーディネイトが冴えていて、さすがと思わせる場面がたくさんありました。アジアの女性と子どもネットワーク代表・国連ハビタット親善大使である、マリ クリスティーヌさんは、アジアの子どもたちへの“商業的性的搾取、虐待”を根絶するための運動にも積極的に取り組んでいます。英語での学校教育しか受けて来なかったとおっしゃっていたクリスティーヌさんですが、彼女が使う日本語は、日本人以上に豊かな日本語であることに驚かされました。社団法人日本PTA全国協議会監事の藤田毅さんのお話では、日本PTA全国協議会で行なったアンケートからは、親が、我が子のインターネットとの関わり方についてあまり理解していないことが浮き彫りにされ、親子のコミュニケーションが低下しているのではないかという話もありました。そして、まずはアナログの大切さ。親子の生身のふれあいが大切なのではないか。できるだけ、親子がコミュニケーションをとる時間を作る努力が必要なのではないかというお話になりました。ちょっと主題とはずれますが、マリ クリスティーヌさんがとても心に残る言葉をおっしゃっていました。「もちろん、大人が子どもたちの環境を整えていく必要があるのですが、私は“自由と権利は、子ども自らが大人から勝ち取るものである。”と教えられてきました。親から自由と権利を勝ち取るには、子どもの方もルールを守り、親からの信頼を得る努力をしなければいけないのです。」アメリカらしい教えですね。我が子にも伝えたい言葉です。結論として、赤堀教授がまとめたことは・・・ 「インターネットはドラッグである」という言葉もあるように、インターネットは病気を治す薬のような役割も果たしながら、その副作用もあり、中毒にも成り得る可能性もあります。私自身もITは必要不可欠なものであり、中毒になりかけているかもしれません。しかしながら、もはや私たち人間が、このインターネットとの付き合いを放棄することは不可能であると考えられます。 今は、現実の社会とネット上の社会のどちらも真実であり、線を引くことすら難しくなっています。 私たちは、子どもたちが、安全に、上手にインターネットを利用することができるような環境作りに取り組んでいかなければいけないのではないでしょうか。とても中身の濃い、有意義なお話を聞くことができました。これからは徐々に学校教育の中でも取り組んでいく必要がありそうですね。まずは、PTA主催で行なう2月28日(土)の「親子インターネット安全教室」の意義を再確認できたような気がします。私にとっても、すでにインターネットはなくてはならない存在になっています。そうであるなら、より安全に上手にインターネットと付き合っていく努力をしなければいけませんね。残念ながら、国際フォーラムの中にある、相田みつを美術館にいく時間は取れませんでした。こちらはまた、別の機会に・・・と思っています。(^_-)☆それにしても、大阪の15歳の少年に対する親の対応は、同じ親として言葉を失ってしまいます。コミュニケ―ション以前の問題ですね。親としての責任を放棄しているとしか考えられません。本当に悲しいことです。「子どもとインターネット」に関する資料のご案内◆「インターネットを利用するためのルール&マナー集」◆「こどもばん」 ◆ 「教師・保護者版」◆ 「フィルタリングソフトのしくみ」◆ 「インターネット上の子どもの安全ガイド」◆「インターネットルール&マナー検定」
2004年01月24日
11月19日の日記でも書いたように、高校2年生の息子は、1月8日までに、高3の選択科目を決定し、提出しなければなりませんでした。まずは、文系か理系かの選択を迫られたわけです。そして息子は、将来の夢(職業)もまだ決まっていないのに、理系か文系かを現時点で決定しなければいけないことに、悩みました。息子に言わせれば、大学が先に来るんじゃなくて、将来の夢を探す方が先でしょ?ということなんですよ。ところが、現実は、まず文系か理系かの決定を迫られる。彼は悩みました。夢と現実の間で悩み抜きました。理科も数学も嫌いではないし、文系科目は好きだしと・・。そして、ようやく1つの目標を掲げることができ、最近では、その夢に向かってエンジンがかかり始めました。ここに来て、新たな夢のたまご探しをしたわけです。夢と現実の間で、大きく心揺らしながら・・。また、いつ止まるかわからないし、方向転換をしないとも限らないのだけれど、本気で学びたいものを模索し、なんとか見つけ出し、今、それを学ぶことができる大学を目指しています。実はそこには、一冊の本との出会いがありました。 ◆『この人がかっこいい!この仕事がおもしろい!』NPO法人キャリナビ編/編集:浜屋公紀子、平尾ゆかり/2003年10月6日発行/2,200円 +税/ A5判、624ページこの本には、『13歳のハローワーク』のような絵は一切入っていません。これも厚い本で、2200円なのですが、『13歳のハローワーク』の影に潜んでしまって、まったくのノーマーク。現在、図書館でも予約が一件も入っていないんです。この本の目的は、“この時代にどんなカッコいい働き方・生き方・生活の仕方があるか、その「お手本」を一人でも多くの方々に伝えること”です。終身雇用が崩れ、不況が続き、定期採用も滞るいま、若者たちは迷っています。「ぼくたちは、私たちは、どんな仕事に就けばいいんだろう?」 そんな悩みを抱えた若者たちを救おうと設立されたのがNPOキャリナビなんですね。1999年4月、学生記者が、夢ある大人を発掘し、取材を行なう活動を開始しました。「夢中になれるモノ探し 君もオンリーワンになろう!」をキーコンセプトに掲げ、若者たちの自立を支援しています。学生記者が活動を通して製作した記事は、インターネット上に「この人がかっこいい!(お仕事人辞典)」として公開されています。有名無名の仕事人にインタビューし、仕事選択のナビゲーションをおこなっています。この本は、そんなキャリナビのサイトで、進路の悩みをかかえた学生たちみずからがインタビューしてきた、300人のなかから、54人の職業人へのインタビューを厳選しています。こちらは13歳というよりは、本気で将来の進路を考えようとする高校生にとって、ヒントがたくさん詰まった本だと思います。『13歳のハローワーク』の後にこの本を紹介したら、皆さんを迷わせているかもしれないけれど、高2の息子は、こちらの本に興味を持ったので、こんな本もありますよということで、ご紹介させていただきました。ちなみに、私はこの本は購入していません。息子が高校の担任の先生から教えていただき、図書館で借用しています。現在、中学・高校生の進路指導教材として、広く活用されているそうです。それにしても、来年の今頃は、息子と娘のダブル受験ですよ。最終的には本人の問題なのだけれど、やっぱり気が重いですね。さて!今年受験生の皆さん!そしてそのご家族の皆さん!桜咲く“希望の春”が訪れることを心より祈っています。(^_-)☆
2004年01月22日
今日の東京は、朝から雨・・・。(実は午後から、とてもいいお天気になったんですよ。)一日にいくつもの用事が重なって、なかなか更新する余力がありませんでした。PTAも、「親子インターネット安全教室」「ジャズと語りのライブ」等、いくつかの行事や会議を控えています。16日は、中学の2学年の「総合的な学習の時間」で、生徒にも参加してもらい、被爆者の手記・証言を脚本にした「この子たちの夏 1945 ヒロシマ・ナガサキ」の朗読を届けました。17日は、PTAとして、地域の「どんど焼き」に参加。一昨年、昨年と、アナウンス係として参加し、司会進行の大役も行なっていたのですが、今回は受付・お餅つき・司会進行なども、中学生が大活躍で、見ていてとても清々しかった。こうした地域の活動で、中学生が活躍してくれると、未来に“希望”が持てますね。小学校の校庭に、子どもからお年寄りまで、地域のたくさんの人たちが集まりました。火を囲んで人が集うという、はるか太古の昔からの人間の営みが再現され、地元のグループが演奏する太鼓の響きや、ちらちらと舞い降りる雪が、最高の演出を加え、しばし言葉をなくすほどの厳粛な雰囲気に酔いしれました。係としての参加はしても、置き火で自らのお餅を焼いたのは初めてでした。しばし童心に帰り、風下で副会長と二人横に並んで、煙にいぶされ、共に涙を流しながらお餅を焼いたことも、忘れられない貴重な思い出になりそうです。市長や教育長にも参加していただきましたが、火を囲みながらの団欒は、会議室での懇談よりも、ずっとずっと和やかで、しみじみとした話ができて、充実した時間を得ることもできました。こうして地域がしっかりつながっていくことは、子どもたちが見守られ、育てられ、希望と活気に満ちた町になっていくのではないかなあ! 今日は図書館休館日。これから、市の中学校・都立養護学校の生徒作品展に出掛け、そのまま、S区のS中学校へ朗読のリハーサルに出掛けてきます。 ◆『13歳のハローワーク』村上 龍 著/はまのゆか 絵/幻冬社 ― 13歳たちとすべての挑戦者のための職業案内 ―村上龍さん、またやってくれましたね!という感じです。どっしりと重い本です。いい学校を出て、いい会社に入れば安心という時代は終わりました。この本では、花、動物、スポーツ、工作、テレビ、映画、音楽、おしゃれ、料理・・・など、いろいろな「好き」を入り口に514種類の職業を紹介しています。私自身も初めて知った職業もありました。★村上龍さんの言葉より『13歳のハローワーク』というタイトルにしたのは、13歳という年齢が大人の世界の入り口にいるからです。ちなみにアメリカでは、12歳までは子どもとしてケアされますが、13歳になると逆にベビーシッターなどのアルバイトをはじめるようになります。その年代では、現実に向き合うとき、とまどいと不安があるのではないでしょうか。自分はいったいどういう人生を送ることになるのだろうという漠然とした不安と、子どものままでいるほうが楽かもという、不安です。・・・・・・・・・・・13歳は自由と可能性を持っています。だからどうしても世界が巨大に見えてしまって、とまどいと不安を覚えるのです。わたしは、仕事・職業こそが、現実という巨大な世界の「入り口」なのだと思います。* * * * * * * *はまのゆかさんの絵が加わって、とても柔らかく、親しみやすい本になっています。「なにも好きなことがないとがっかりした子のための特別編」もあります。最後は明日のための予習・・ということで、「13歳が20歳になるころは」というのがありますよ。ITビジネスの紹介や21世紀のビッグビジネスとして「環境」「バイオ」を紹介しています。現在、当市の図書館での予約が、すでに100件入っています。村上龍さんといえば、大学在学中の1976年に『限りなく透明に近いブルー』で群像新人文学賞、芥川賞を受賞。『限りなく透明に近いブルー』も、薬物に冒された主人公のかなり過激というか衝撃的な作品でしたよね。その後1985年に出版された『コインロッカーベイビーズ』も書き出しからドキッとさせられました。2000年に出版された『希望の国のエクソダス』では、パキスタンでの日本人の16歳の少年の言葉が胸に突き刺さります。CNNの記者の「日本が恋しくないか」という言葉に「あの国には何もない、もはや死んだ国だ、日本のことを考えることはない」と答える少年。そして、中学生の集団不登校・・。彼は、するどく時代を掴む、とても魅力的な作家です。“この国に希望を取り戻しましょう!”そんなことを考えて、村上さんが『13歳のハローワーク』を綴られたような・・そんな気がします。
2004年01月19日
私は昨年一年間、家族やPTA役員仲間や図書館仲間にずっと言い続け、とうとう実現できなかったことがあります。それは、昨年ちょうど生誕100年を迎えた“幻の童謡詩人 金子みすゞ”を尋ねる一人旅でした。金子みすゞ、本名テルは明治36年(1903年)4月11日、山口県大津郡仙崎(今の長門市仙崎)に生まれました。仙崎は萩と下関の間、日本海に面した三角州の漁師町です。テルの育った大正時代、町は漁師たちで活気に溢れていました。特に大羽いわしの時期になると、夜の11時ごろから明け方まで、海には漁船が並び、1キロ近い海岸線にはガス燈がともり、男や女や子どもまでが総出で網を引く様子は、「大漁」そのままの、まるで祭りのようだったといいます。金子みすゞの甦りは、みすゞの残したこの一編の作品によっておこなわれました。『日本童謡集』(与田準一編・岩波文庫)の中に、金子みすゞという名前と、「大漁」が載っていたのです。 「大漁」朝やけ小やけだ 大漁だ大羽いわしの 大漁だ浜は祭りのようだけど海のなかでは何万のいわしのとむらいするだろう 金子みすゞを甦らせた矢崎節夫さんが、この作品を読んだ当時、彼は大学1年生でしたが、それは、人間中心のまなざしをひっくり返されるほどの衝撃を受けました。「大漁」との出会いが彼をみすゞ探しの旅に向かわせたのでした。生き死にをこんなに鮮烈に歌えるなんて・・・。見えない海の底の悲しみにまで佇めるなんて・・。“みんなちがって、みんないい”でおなじみの「私と小鳥と鈴と」や“みえぬけれどもあるんだよ。みえぬものでもあるんだよ。”の「ほしとたんぽぽ」も、私の心にどれほどの輝きを与えてくれたことでしょう。いのちのこと、こころのこと、いかされているということ、みえないけれどあるということ、ちがうことの素晴らしさなどがこんなにあたたかく素直に響いてくるなんて・・・。それはまるで、結晶のように私の心の奥底に残っています。みすゞは日本の童謡の興隆期、大正から昭和にかけて、彗星のように現われ、西条八十らに賞賛されながらも昭和5年、26歳の若さで3通の遺書を残し、自らの手でこの世を去りました。結婚をし、最愛の愛娘をもうけながら、残念なことに相手の人は、みすゞの心持ちとは遠い人でした。ついには、みすゞに童謡を書くこと、投稿仲間との文通を禁じたのです。夫は遊郭遊びに日を過ごし、遊郭の病気淋病さえ、移されてしまいます。愛娘を残しながら、命を絶たなければいけなかった、みすゞの心の中はどんなものだったのでしょう。私には想像もつきません。みすゞさん!私は、あなたに、ふーちゃんと共に最後の最後まで強く生きてほしかった。もし、あなたが今の時代に生きていたなら、自ら命を断つことなどしなくてすんだでしょうに・・・と思うと本当に残念です。私は、どうしてもあなたが生まれ育った町を訪れ、一人静かな風に吹かれたいと切望しました。「夏休み中の一泊か二泊、一人で金子みすゞのふるさとに訪れたいなあ!」なんと家族からは、意外にも「いいよ!行っておいでよ」という言葉が返ってきたんです。長門市のHPにアクセスしたり、心はあなたの故郷に向かっていたのに、結局日程が取れなくて、実現することができなかった。今年こそは、あなたの生まれ育った故郷に会いに行けるでしょうか?ああ~!その前にやるべきことをしっかりやらなければね!!(^_-)★ ◆『ほしとたんぽぽ』金子みすゞ童謡 矢崎節夫選 /上野紀子絵/JULA出版局「星とたんぽぽ」他、「大漁」「私と小鳥と鈴と」等を含めた金子みすゞの童謡に上野紀子さんが本当に愛らしい絵を添えて、宝物のような絵本になっています。
2004年01月14日
久々の風色ダイアリーです。私の中には優先順位があって、 ひそやかな趣味であるこのHPの更新は、あくまでも、余力で・・と考えています。これからも、なかなか更新できないかもしれませんが、どうぞ皆さん見捨てずに、末永くお付き合いくださいね。(^_-)☆さて、1月8日(木)は、今年に入って初めての、母子健康センターでの仕事でした。市のブックスタート「絵本と子育て事業」の一環で、3ヶ月健診を終えた、44人のあかちゃんとお母さんたちに、2冊の絵本とお薦めの絵本のリストとメッセージをお届けしてきました。残念ながら、今回はお父さんたちの姿が見えなかったなあ!前回は、お父さんが上のお子さんも連れてこられて、「僕、読み聞かせやってますよ~!結構楽しんでます。」なんておっしゃて、頼もしくて、嬉しくなっちゃったんですけどね。まず私は、お父さんやお母さんの愛や夢や希望に満ち溢れた、大切なあかちゃんの名前を呼びます。あかちゃんに見つめられると、なんだか胸がキュンとします。私は、神様はすごいなあと思ってしまう。だって、あかちゃんひとりひとりをこんなにも可愛らしく創るんだもの。誰からも愛されるように・・・。誰からも守ってもらえるように・・・。だけど、周りの大人たちの心に余裕がないと、そんな可愛らしささえも、見失ってしまうんですね。子どもたちへの虐待が多発し、悲しい事件が後を断ちません。本当につらいことです。ある意味では、そんな手探り状態で子育てをしているお父さんやお母さんたちを心から応援するのが、ブックスタートなんですよ。「絵本を通して、あかちゃんと心と身体のスキンシップをしてくださいね」なんて言っていますが、この絵本タイムは、あかちゃんへの働きかけというより、あかちゃんの周りにいる大人たちのゆったりした豊かな楽しい時間にしていただきたいと思います。そして、あかちゃんの可愛らしさを存分に実感する時間にしてほしい。決して、「やらなければいけないこと」としてではなく、せっかくの貴重な時間を楽しんでほしい。3ヶ月のあかちゃんでも、しっかり絵本に反応します。お母さんたちも、我が子の反応にびっくりされます。松谷みよ子さんの『いない いない ばあ』の作品の力はすごい!!平山和子さんの『くだもの』は、実物そっくりなくだものが描かれ、次には、そのまま口に入れられるように丁寧に皮をむいたり、一口大に切られた状態で登場します。そして、必ず「さあ、どうぞ!」という言葉が添えられます。この「さあ、どうぞ!」という言葉がいいですね。あかちゃんと過ごす日々の生活の中では、なかなか「さあ、どうぞ!」なんて言ってあげられないですもの。絵本には、そうした豊かな言葉がたくさんあります。なにより、「さあ、どうぞ!」と言っている自分が、なんともやさしい気持ちになれるのですから、言葉の力ってすばらしい!! ◆『絵本のよろこび』 松居 直 著/NHK出版絵本を読んで、幸せになろう!NHK人間講座「絵本のよろこび」のテキストに手を加え、加筆されたものが、一冊の単行本になりました。松居直さんが、名作絵本をカラーでたっぷり紹介していますよ。絵本とは、言葉の涌き出てくる世界です。絵本は子どもに生きる歓びを感じさせ、生きる力を与えます。同時に大人をも生きかえらせてくれる言葉の泉です。松居さんはいつもおっしゃっています。「あなたの中に隠れひそんでいる“子ども”をできるだけ鮮明に思い出してください。それが子どもを見るときの大切な手がかりになります。」と・・・。絵本は、大人になっていつの間にか見失っていたもの、感じなくなった気持ちに気づかせてくれますね。
2004年01月10日
お正月気分も抜け、いよいよ忙しい日常が戻ってきました。今日は、新しい年を迎えて初めての図書館開館日。そして、PTA活動も始動しましたよ。今年になって初めて中学へも足を運びました。まずは、昨年の暮れ、学校とPTAの共催でおこなった保護者と生徒へのインターネントに関するアンケートの集計から・・・。まだまだやることは山済み状態ですが、心も新たに、5月の総会まで、しっかりと☆楽しくね!!☆(^_-)☆ ◆『1000の風1000のチェロ』 いせ ひでこ・作/絵 /偕成社心はひとつにできる・・・ 気持ちは重ね合える・・・。4年前の1月12日、私は、娘の小学校の5年2組の教室で、しばらくチェロのCDを流し、子どもたちひとりひとりに、心の花束を届けるような想いで、この絵本を読みました。子どもたちは、真剣なまなざしで聴いてくれました。この絵本は、阪神淡路大地震復興支援コンサートにまつわる、実話に沿ったお話です。1995年、1月17日、午前5時46分、兵庫県・淡路島北部を震源に阪神淡路大震災が発生しました。規模はマグネチュ―ド7.3。戦後最悪の災害で、兵庫県を中心に24万9180棟が全半壊し、一瞬にして6433人もの尊い命が失われました。この『1000の風1000のチェロ』の作者、いせひでこさんにとって、忘れられない風景があります。いせさんは、1995年3月、大震災から2ヶ月後の建物も道路も生活も壊れ、犬も猫もいない神戸の街をパズルをつなぎ合わせるように歩きました。風景は断片になって、まるで描かれることを拒否しているようで・・・はじめてスケッチ帖を白紙のままで持ちかえった旅になりました。忘れてはいけない風景は描けないのではなく、描いてはいけないのかもしれない。描くことで安心してしまうから・・・。目と手が記憶してしまったあと、どこかにしまい忘れることもあるから・・・。青いビニールシートとテントでいっぱいの雨の公園。ひとりの郵便屋さんが、ずぶぬれになって歩き、家がなくなった人たちのひとりひとりを探していました。それから3年後の春、いせさんの元へ神戸から1通の手紙が届きます。阪神淡路大地震復興支援チャリティーの「1000人のチェロコンサート」の呼びかけでした。13歳のときにチェロに出会ったいせさんは、それ以来、チェロを弾くことで自分自身を励ましてきました。そして、いせさんは、1000人の中の1人として、1998年11月、再び忘れてはいけない風景の前に立ったのです。彼女にとって、チェロは、人間の形をした楽器、人間の声で歌う楽器でした。チェロを弾く姿は、まるで人が自分の影を抱きしめているように見えてならなかったのです。風景の断片と断片がチェロの音につむがれていったコンサート。ひとりひとりの物語がちがっても、気持ちを重ね合えれば、歌はひとつになって風に乗る。そして誰かに届く・・・。そんな思いをいせさんは、この絵本に託しました。白紙だったスケッチ帖は、チェロを弾く人たちのクロッキーでうめられていきました。 チェロのきょうしつにきょう、あたらしいせいとがはいってきた。そのこは、ぼくよりずっとむずかしいきょくをペラペラひいた。すごいはくりょくだったけど、なんだかおこっているみたいなひきかただった。― きみ、どこからきたの?へんじしないかな、とおもったけど、そのこはちいさなこえでこたえた。― こうべ。淡いパステル調の絵が柔らかく、美しく、いせさんの思いがしみじみと伝わってきます。言葉のひとつひとつがまるで詩のように心に響いてきます。あの日から、もう9年の月日が流れるのですね。
2004年01月06日
私は、久々に我が父と母の元へと足を運んできました。元気よく呼び鈴を鳴らすと、にこやかな顔で迎えてくれた父と母。私は、いつもこの二人の顔を見る寸前に、一瞬ドキッとするのです。“ああ~!もしかして、しばらく会わない間に、ひどく年老いてしまっているのではないかしら・・”なんて・・。少しずつ年老いていってしまう親の顔を見るのは、つらいものですよね。そんな風に思うのなら、もっと頻繁に足を運べばいいのにね。父は今年の4月で80歳。母は5月で71歳になります。実は、その昔、父は小・中学のPTA会長をしていたことがありました。PTA会長といっても、地主とかその土地の名士でもなんでもない、その時代には珍しいほど、進歩的で新しい考え方を持った人でした。当時の私はよく認識していなかったのですが、都Pの会長や全国のPTAにも携わっていた人でした。寝る前に、必ず自作のお話を私と弟に語ってくれたのは父でした。そう言えば、いつも筆を握って、机に向かって何かしたためていた筆まめな人だった。それでも、中学時代の私は父の思いを知る由もなく、なぜか「PTA会長の娘さん」と言われることに抵抗や反発を感じていました。思春期特有の反抗期だったのかなあ?そして、「自分は親になっても絶対PTA会長なんかやらない!」って心のどこかで思っていたんです、実は・・・。そんな私がどうしてPTA会長なんかやっているのか、運命とは不思議なものですね。だからね、会長を引き受ける前に、私は娘に訊いたんですよ。「お母さんがPTA会長を引きうける状況になったら、○○はどう思う?」って・・・。娘からは「お母さんが必要だと思ったら、やった方がいいんじゃない?」という意外な答えが返ってきました。あの頃の父がやってきたことをいつしか自分がなぞっていて、時々、そんなあの頃の父に思いを巡らせている・・・。昨夜、長々と父とPTAの話をしました。現在、私の同窓生が、私の母校であり、父がPTA会長をしていた中学のPTA会長をやっていることも・・・。今になって、ようやく父がやってきたことが、とてもよく理解できる。アドバイスもたくさんもらってきました。私が自分の近況を話すと、「あまり無理をしちゃあだめだよ!身体を大切にしないとね。」なんて・・・私の方が気遣ってあげなければいけないことなのにね。本当にいつまでも親不孝な娘です。帰り際、母はあれも持っていきなさい、これも持っていきなさいと私のカバンを重くする。(私は、そんなに持ちきれないよと思うのだけれど・・。)親にとっては、“子ども”はいつになっても“子ども”なんですよね。親とは本当に有りがたいものです。私もいつしか、久々に帰ってきた子どもたちに、同じようなことをするのかな?こんな風に次々と、生命(いのち)のバトンを受け継いでいくのですね。そして・・・限りある生命(いのち)だからこそ、尊いのですね。 ◆ 『ことりをすきになった山』 エリック・カール 絵/アリス・マクレーラン 作 /ゆあさふみえ 訳/偕成社作者のアリス・マクレーランは文化人類学者としてアンデス山地の実地調査をし、博士号を得た3児の母で、絵本の仕事はこの作品が初めてでした。「永い年月がもたらす変化のすごさとか、ひとつの命に託された何かが時間を超えて受け継がれていくすばらしさに魅せられて一人類学者の夢を書いてみました。この本の中のジョイのように、この絵本も親から子へまたその子どもへと、いつまでも親しまれることを願っています。」と語っています。山の悲しみや愛、そして“ジョイ”という名前と命がまるでバトンのように受け継がれ、永遠の物語を作り上げています。そして、愛と幸せというバレンタイン風のテーマを描いた絵本でもあります。 あれはてた野原に、ぽつんと 岩だらけの山がそびえていた。ごつごつした山には、草や木が 一本もはえていなかったのでけものも ことりも むしも まったく すめなかった。山は 太陽にてらされ、風にふかれることはあってもやまはだにじかにふりかかるのは、雨や雪だけ。そのつめたさしか、山は しらなかった。とおいとおいむかしから、山は ながれる雲のさまをみまもり、空ばかり ながめて くらしてきた。空をわたる 太陽の道、月の道も よくしっていたしすみきった夜には、はるかな星たちが ゆっくりとめぐるのを だまってみていた。ほかには なにひとつ みえなかった。ある日のこと、どこからか 一わのことりが やってきた。ことりは 岩山の上を ひとまわりとぶと 岩かどにとまってはねをつくろった。 山は、ことりの ちいさなつめに やさしくつかまれるのを かんじ ことりがうずくまると、はねにおおわれた からだの やわらかさに びっくりした。 この本に出逢った時、まるで電気のような衝撃が、私の身体の中を走り抜けました。なんて 熱く 果てしなく 永遠で ロマンチックな絵本なのだろう。1987年に日本で出版されて以来、私はもう長い間、この絵本のファンであり続けています。この愛と希望の物語は、いつ読み返しても、私の胸を熱くしてくれます。エリック・カールの力強いコラージュ(貼り絵)がこの物語をさらに色という魔術で、暗い山に明るさが満ち溢れるまでをわかりやすく描き、私たちに感動を与えます。ゆあさふみえさんの訳がとても素敵です。心の奥底まで熱く伝わってくる、印象的な絵本です。
2004年01月03日
新年明けましておめでとうございます。皆さんは、どんなお正月を迎えられましたか?私は年末に、日頃なかなかできなかった家の中のお掃除やお正月の準備に励み、お陰様でなんとか、穏やかで清々しい新年を迎えることができました。人並みのおせち料理を食卓に並べることもでき、のんびりしたお正月を過ごしています。明日、1月2日~3日は、実家に行ってきます。そんなに遠いわけではないのに、日頃なかなか足を運ばない、いつまでも親不孝な娘ですが、元気な顔を見せて、しばし積もり積もった話をしてこようかなと思います。さて、年末に図書館で借りた何冊かの本を目の前にして、年頭にふさわしいものをと、私が手にしたのは・・・。 ◆『心に夢のタマゴを持とう』小柴昌俊 著 /講談社文庫 小柴昌俊さんは、皆さんもご存知のように、2002年、「天体物理学、特にニュートリノの検出に関する先駆的貢献」によりノーベル物理学賞を受賞した方で、現在東京大学の名誉教授をされています。この本はいわゆる小柴先生の講演録で、ご自分の母校である横須賀市立諏訪小学校、神奈川県立横須賀高校、東京大学での講演録を一冊の本にしたものです。ですから、本文すべてにふりがながふってあって、小学生にも読めるようになっているんですよ。小柴先生がノーベル賞を受賞したのは、新しい天文学の分野を切り開いて、これまでとはまったく違う、宇宙の姿を私たちの前に示したからです。夜空を見上げると、たくさんの星が輝いています。それぞれの星はたいへん遠くにあって、太陽のように明るく燃えていて、その光が数千年も、星によっては数千億年もの間、宇宙を旅して地球に届いています。天文学者は大きな望遠鏡を使って、そうした星からのかすかな光を集め、星や銀河のくわしい様子を研究してきました。星の光には青い光や黄色い光、赤い光などのたくさんの種類があります。今ではそうした「目に見える光」のほかに、テレビやラジオのような電波やレントゲン撮影に使うエックス線などのような「目に見えない光」も星が出していることがわかってきました。天文学者は星からの電波をとらえるのに数十メートルもある大きなおわんのようなアンテナを作り、エックス線を探るために人工衛星を打ち上げました。それでも「わからないこと」はたくさんあります。とりわけ大きな「わからないこと」は星が出す“ニュートリノ”という粒子のことでした。“ニュートリノ”は砂粒よりはるかに小さくて顕微鏡を使ってもまったく見えません。見えないどころか、つかまえることさえできません。幽霊のように人間の体でもビルの壁でも石ころでも、どんな物質でも通りぬけてしまうからです。本当に不思議な粒子ですが、これまでの研究から「星からは光と同じようにたくさんのニュートリノが出ているに違いない」と多くの天文学者は考えていました。しかし「そうにちがいない」といっても、星からのニュートリノを実際につかまえないかぎりは本当にそうかどうかはわかりません。相手は目に見えない幽霊粒子なので、望遠鏡でもアンテナでも、人工衛星を使っても、とらえることができません。だから星が出すニュートリノは長い間、「幻のニュートリノ」だったのです。小柴先生は今から20年前、東京大学の教授をしていたころ、世界のどこにもない、非常に性能がよいニュートリノ観測装置「カミオカンデ」を作り上げました。内容をご紹介していくと切りがないのですが、小柴先生はそれぞれの講演の中で、たくさんのエピソードをお話されています。学生時代は決して優等生ではなかったこと、中学入学後、「小児麻痺」という病気にかかり、今でも右腕が左腕よりも細くて不自由だということ、入院中にその時の中学の数学の先生が「これでも読んでごらん」と言って差し出してくれたのが、岩波新書『物理学はいかに創られたか』だったことなど・・・。その本はアインシュタインという物理学者とそのそばにいたインフェルノという人が、物理学というのはどのようにして作られたかということについて会話をかわしている本です。小柴先生はこれを病院で読んで、へぇー、物理というのはおもしろいのかなという気がして、これが物理に興味を持った最初の体験だったとお話されています。高校は自治の学校で、自治寮というのがあって、自治会の副委員長に選ばれたのですが、忙しくて、講義にもほとんど出られず、成績がどんどん下がってきて、そのころは、物理学を研究しようとはまったく考えていなくて、興味を持っていたのは、ゲーテやハイネ、ヘッセなどのドイツ文学で、文学部でドイツ文学をやろうかなと漠然と考えていたそうです。ある日、物理の先生が、物理学の優秀な生徒に、自分のことを「あいつはどこに行くか知らないけれども、物理にいけないことだけは確かだよ」と言って笑っている声を聞いてしまうんですね彼ははずかしくてそっと部屋に帰ったけれども、なんとも悔しくてしょうがない。そこで考えて、それなら物理に入ろうと思ったというのです。それから猛勉強をして、実現してしまうんですよ。ここがすごいなあと思うんですよね。小柴先生が、講演の中でいつも最後の締めくくりとしてお話されていることがあります。以下に、小学校でお話された言葉を引用させていただきますね。「自分のこれからの一生の間に、これをやりたい、やり遂げたい、あるいはこれを理解したい、そういう目標になるタマゴを三つか四つ、いつも大事に持っていなさい。するとね、どういういいことがあるか。あなた方、今、インターネットとか、なんとか使っている人もいるかもしれないけれども、今の世界にはいろんな情報がたくさん溢れている。そうすると、いったいどの情報を取り入れたらいいのかということがわかんないわけだ。だけれども、自分がいつかはやりたいと思っている目標を三つとか四つ、いつも持っているとね、ある情報を見たときに、あ、この情報、これを使えば私のこのタマゴは鳥に孵すことができるかもしれない。・・・・・・こういうふうに、自分の情報というのをちゃんと選ぶ出すことができるわけ。これは大事だと思うんです。・・・・・あなた方の一人一人がこの人が地球に生まれてこういうことをやったんだよと、地球に爪あとを残せるような仕事を残せるように、どうぞがんばってください。」これからの子どもたちには、ぜひ心に夢のタマゴを持てるような教育環境を作ってあげないといけないですね。そして、私自身も、いつまでも、心に夢のタマゴを持っていたいなと思いました。今年もどうぞよろしくお願いします。
2004年01月01日
いよいよ 2003年最後の日を迎えました。思えば、たくさんの“出逢い”があり、たくさんの“やさしさ”に支えられた一年でした。そして、思いがけない たくさんの“感動”をもらった一年でした。 ◆『たいせつなこと』 マーガレット・ワイズ・ブラウン 作/レナード・ワイスガード絵 うちだややこ 訳/フレーベル館 世界中で長く愛され続けている『おやすみなさいのほん』のマーガレット・ワイズ・ブラウンとカルデコット賞受賞画家のレナード・ワイスガードのコンビが贈る一冊です。毎日の生活の中で、当たり前に映るものたちを 新鮮な驚きをもって自由にとらえたこの本は、1949年に「The Important Book」として最初に出版されて以来、たくさんの人々に読み継がれてきています。うちだややこさんが 海外の本屋さんで 半世紀も前に創られた、つつましく輝く、この絵本に出逢いました。それから幾度か季節はめぐり、出逢った頃のしずかな喜びを“ひらがな”という美しい音色にのせて、2001年の9月に、彼女の手で翻訳されました。当たり前のことが どんなに大切なのか・・・とてもわかりやすいことばで、素直に心に響いてきます。私はレナード・ワイスガードの このやさしい絵が とても好きです。子どもたちだけでなく、おとなの心にも届けたい・・・。 あめは そらから おちてきて しとしと ざぱざぱ おとが していろんな ものを つやつやに かがやかせどんな あじにも にてなくてくうきと おんなじ いろを しているでも あめに とって たいせつなのはみずみずしく うるおす と いうことくさは おおきく のびて あまく あおい においでやさしく つつみこんでくれるでも くさに とって たいせつなのはかがやく みどりである ということかぜは めに みえないけれど ほおで かんじることが できてこずえをゆらし ぼうしを ふきとばしてふねを はこんでゆくでも かぜに とって たいせつなのはふく と いうことそらは いつも そこに あるまぎれもなく あおくて たかくて くうきに みちているそして ときおり くもが とおりすぎていくでも そらに とって たいせつなのはいつも そこに あるということ そして、マーガレット・ワイズ・ブラウンが一番最後に綴った“たいせつなこと”とは・・・いったい 何だったのでしょう。どうぞ 来年も、皆さんにとって、幸せな一年でありますように・・・。
2003年12月31日
「ジェットストリーム」ってご存知ですか?1967年7月から1993年12月まで、城達也さんのナレーションで平日の午前0時からFM東京で流れていたラジオ番組です。城さんが亡くなる前年の12月まで、26年もの間、多くの人に親しまれた長寿番組でした。「ジェットストリーム」という番組は、伊武雅刀さんのナレーションで今も続いているようですが、この方のナレーションは私は聴いたことがないんです。私が初めてこの番組を聴いたのは、中学3年生ぐらいの頃だったかなあ?城達也さんのオープニングとエンディングのナレーションがとてもステキで、流れる音楽も静かで落ちついていて、どこか大人で魅力的だったんですよね。ちょっぴり背伸びをしているような心持ちで、静かに耳をすませて聴いていたのを覚えています。実は今、城さんのナレーション入りのCDを聴いているのですが、やっぱりいいですね。(*^_^*)♪オープニング♪遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休めるときはるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています。満天の星をいただく、はてしない光の海をゆたかに流れゆく風に心を開けばきらめく星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂の、なんと饒舌なことでしょうか。光と影の境に消えていったはるかな地平線もまぶたに浮かんでまいります。日本航空があなたにお送りする音楽の定期便ジェットストリーム。 皆様の夜間飛行のお供をするパイロットは私、城達也ですそして、私たちを心地よい音楽の世界へと誘います。今聴いているのは、2枚組みの内の1枚で、『Ⅱ 風のエアメール』。やっぱり“オープニング”は「ミスターロンリー」そして“エンディング”は「夢幻飛行」です。 さて、今年は最後の最後まで大当たりというか、12月25日は図書館の最後のおはなし会の当番で、たった一人で、ウクライナ民話『てぶくろ』・『ピィピィなくのはさるだっけ?』・大型紙芝居『おおきく おおきく おおきくなあれ』を読みました。合間に手遊びも入れながら・・・。12月27日(土)は、来年1月1日に発行される市報の音訳の当番で、今年最後の収録。そして、12月28日(日)は、図書館の年内最後の開館日で、閉館時間までカウンターに入りました。年内最後の貸し出しは、私が担当した大学生の男の子で、大学のレポートのための『伊勢物語』でした。いよいよ今年もあと2日で終わりですね。 ◆『世界をみにいこう』マイケル・フォアマン 作・絵/長田 弘 訳/フレーベル館さあ、とびらをあけて、世界をみる旅にでかけよう!「あさがきたよ。さあ、でかけよう。いっしょに 世界をみにいこう。」「ことりたちが うたっているよ。あさがきたよ、あさがきたよって」「やあ、こねこくん、きみたちも いっしょに世界をみにいこう」「そこには きのぼりをする 木がある?」「あるよ。あるよ。いっぱいあるよ」くま、人間の男の子、ねこ、いぬ、かえる、あひる、にわとりが次々と誘い合って、世界を見に行くのです。そこには美しい池があり、木があり、花がたくさん咲き乱れる原っぱがあります。皆が一列になって眺めた美しいものは、なんだったのでしょう。最後の見開き4ページで動物たちは何を眺めているのでしょう。どのページも美しく、希望に満ち溢れています。これから迎えようとしている新しい年は、どうかこの絵本のように、美しく穏やかで平和な世界でありますように・・・。
2003年12月29日
今夜は、星がとてもきれいです。私がこの日記を書くのは、たいてい家族が寝静まった真夜中になってしまう。そう!皆さんがビックリするほど真夜中。明日も過密スケジュールなのだから、こんなことしていないで、寝たほうがいいのにね・・と思いつつ、日記を綴っています。昨日は年内最後の最後まで残っていたPTAの講演会や懇談会の報告書を印刷・配付して、PTA室の大掃除をしました。そういえば、4月の引き継ぎ以来、お掃除らしいお掃除をしていなかったのよね。私はここのところ超過密スケジュールで平均睡眠時間が4時間ぐらいでした。そんな私を気遣って、温かい言葉をかけてくれる信頼のおける役員の仲間たち。本当にありがとう!そういえば、先日の12月19日に役員のML(メーリングリスト)の開設1周年を迎えました。役員全員がネットでつながっていて、ネット会議が可能なのです。すごいでしょう?もちろん、お互いに顔を見ながら話をすることも大切なので、ネット上だけで済ませられるものではないんですけどね。それでも、書類や文書作成の時は添付メールでお互いに交換できるので、とても便利です。だけど、会長が夜中に内緒でこんなHP作っているなんてね。昨日は、私が毎週絵本の選書と原稿を書いている、地元のラジオ番組“○○○本棚”の年内最後の原稿を届けました。今回は、年末・年始が入るので、2回分の原稿をお渡しし、ほっとしているところです。 ◆『その夜ぼくは奇跡を祈った』 田口ランディ 著 /網中いづる イラスト/大和書房まもなくクリスマスイブですね。この本は「クリスマスの仕事」「一番星」「恋人はサンタクロース」の3篇からなるクリスマスストーリーを収録した短編集です。私は田口ランディさんの本にはまり、この方の本をずいぶん読みましたけど、この本は他の本と少しイメージがちがうような気がします。今風で強烈な印象の作品が多い中、温かく、ほのぼのした“おとなのクリスマスメルヘン”に仕上がっているんですよ。“クリスマスにはきっと素敵な奇跡がおこる”いつのまにかそんな気にさせられ、幸せな気持ちになりました。どうぞ皆さんにも、クリスマスの夜に素敵な奇跡がおこりますように・・・。(^_-)☆
2003年12月23日
ふと、美しい冬の星空が見たくなって・・外へとび出し、真夜中の夜空を見上げてみました。でも、今日はダメです。東京の空には雲がかかっていて、星はまったく見えません。今日も一日いろいろなことがありました。図書館では「クリスマスおはなし会」があり、おはなしコーナーに入りきれないくらいの子どもたちが集まりました。出し物は『へんてこ へんてこ』のペープサート、『ノンタン! サンタクロースだよ』の大型紙芝居、『クリスマスのうさぎぼうや』のパネルシアター。『ノンタン!サンタクロースだよ』で、私は、ねこサンタの子守唄の部分にオリジナルのメロディーをつけ、歌いました。サンタクロースも登場し、子どもたちといっしょに、楽しいひとときを過ごしました。そして、午後6時半には、市内の「子ども文化フェスティバル」の実行委員会に出席し、1月31日の打ち合わせ。そのまま午後8時過ぎには、ちょっと遅刻をして、娘の中学の次期役員の互選会へ・・・。ハードだけれど、充実した一日が終わりました。京都の小学校では、また衝撃的な事件が起きてしまいましたね。一番安全であってほしい場所でこんなことが、起きてしまうなんて・・・。学校は開きつつ、やはりしっかりと危機管理をしていく必要がありますね。 ◆ 『あなたのことがだーいすき』ヒド・ファン・ヘネヒテン 作・絵/ひしきあきらこ 訳/フレーベル館 白い雪の味や風の冷たさ・・・シロクマくんは小さいけれどいろいろなことを知っています。おいしい魚がどこにいて、どうやってつかまえたらいいか知っています。でも、シロクマくんにもわからないことがあります。「ゆきってどこからくるの?」「ゆきはどうして白いの?」そして、もしもわからないことがあったら、母さんに聞きます。でも、シロクマくん・・・大切なことは、聞かなくても、ちゃんとわかっていたんです。シロクマくんの最後のひとことに、思わず微笑んでしまう。大判で、絵が大きいので、遠目にもとてもわかりやすい絵本です。水色と白の爽やかな色彩で・・・なんと・・さわるとシロクマくんがふわふわしているんですよ~!なんて温かい、細やかな心配りのある絵本だろうと感激しました。一度手にとって、シロクマくんをさわってみてください!
2003年12月18日
私は、年も押し迫った12月13日に、ふと懐かしいこの街に帰ってきました。たくさんの偶然が重なって、ようやく私宛てに届いた一本の電話・・・。その一本の電話をきっかけに、私はこうして感慨深げに、子ども時代や青春の日々を過ごしたM市のこの街を歩いています。私が、何年ぶりかでこの街のこの駅を降り立った時には、既に日は沈み、街は夕闇に包まれていました。目指したのは、私が慣れ親しんだあの家ではなく、“109”の高層ビルの中にある“公民館”。“109”の建物の6階から8階までが公民館なんですよ~。信じられます~?この街に“109”があること自体、私には信じられないことですが、ましてや、その中に“公民館”があるなんてね。頭の中に無理やりに記憶させた地図と照らし合わせながら、私は“109”を目指して歩きます。駅を降り立ってから、懐かしい気持ちと新鮮な気持ちが、胸いっぱいにあふれ、なぜか私の心は浮き立っている。なんの迷いもなく、初めて踏み入れる“109”の建物のエレベーターのボタンを押して、私は6階に昇っていきました。確かにありましたよ。正真証明の公民館が、この繁華街のど真ん中にある、若者たちのビルの中に・・・。ちょっと違和感もあるけれど・・・なんだか魅力的!!そして、この建物を後にして、再び、ふらふらと我が青春の風色の街を歩くことにしました。青春の日々を過ごした懐かしい街なのに、私が暮らしていたあの家は、もう跡形もなく、そこには高層ビルがそびえ建っているのです。私の子ども時代の思い出や青春の日々は、その全てがここに集約されていたのに・・・。すでに10年以上前に、市の再開発のため、私の父と母は、母の実家がある、隣の県のE市に移り住みました。それでも、まだまだ懐かしい店が建ち並んでいる。そう!昔の面影を残したまま・・・。ああ!言葉にならないものがある。記憶のかけらが、私の目の前でキラキラと舞い上がっている。やっぱり来てよかった!この街には、私のルーツがある。私を育み、温かく見守ってくれた街・・・。私の基盤がここにある。ほんの一瞬でも、私をこの街に呼び戻してくれたステキな“偶然”に・・・いいえ“運命”に・・・大きな大きな投げキッス~!!(^_-)★さあ!また新たな一日を踏み出そう!!そうだ!明日、父に電話をしてみよう!
2003年12月13日
街はもう、どこもかしこもクリスマス一色ですね。ゴージャスに、華やかに、クリスマスツリーが光輝いています。さあ、皆さんのところには、ステキなサンタクロースはやってくるのでしょうか。あっ!サンタクロースにならなければいけない方もいらっしゃいますね。さて、今日もクリスマスの絵本のご紹介。私はこの絵本にすっかりはまってしまいました。 ◆ 『ねずみくんのクリスマス』作 なかえよしを/絵 上野紀子/ポプラ社皆さんお馴染みの、子どもたちに大人気の『ねずみくんのチョッキ』。この「ねずみくんの絵本」シリーズの19冊目が2003年11月に出版されました。ねみちゃんに見せようと、クリスマスツリーを作ったねずみくん。あひるくんがそれを見て、「ガーガー ガッハッハー ちいさいちいさい」「どうだい おおきいだろう」と自分のツリーを自慢する。ところが次から次へと大きな動物が登場し、「ちいさい ちいさい」と言って自分のツリーを自慢します。でもね、ねみちゃんからみんなへの、“おおきい おおきい心”を感じた時みんなはとても心を痛めるんです。最後はとびっきりステキな仕掛けがあって、嬉しくなります。きっと子どもたちの心を捉え、最後は、幸せな気持ちになりますよ。
2003年12月12日
今日、12月8日は太平洋戦争が勃発した日。そして、ジョン・レノンの命日です。彼は、1998年12月8日、一人の熱狂的なファンに銃で撃たれ、この世を去りました。享年40歳でした。彼はこの世を去りましたが、彼の残した「愛と平和」の“歌”や“魂”は、今でも私たちの心の中で、輝きを増すばかりです。 最近の世界情勢を嘆いている高2の息子が、ジョンレノンの『Imagine』の英語の歌詞を自分なりに和訳したものを私にメールで送ってくれました。同じ家の中にいるのに?・・・と笑われるかもしれませんが・・・。面と向かって話すと、なんだか照れてしまうような話でも、メールだと、より深い話ができることもあるんですよね。あの「9.11」事件直後、アメリカでは流すことさえ禁止されていたと言われるこの歌ですが、今こそ、私たちの心に響いてくるような気がします。ジョンレノン、そして息子の願いのようなものが感じられました。残念ながら、息子の訳詞は、本人に許可を得ておらず、その上、著作権法に触れる可能性もあるので、ここからは、削除しました。 ◆ 『読み聞かせる戦争』日本ペンクラブ編/加賀美幸子選/光文社 さて、今日は一冊の本をご紹介したいと思います。この本は2002年7月25日に出版されました。選者の加賀美幸子(カガミサチコ)さんは、元NHKのアナウンサーで、1997年、女性で初めて理事待遇のエグゼクティブ・アナウンサーになった方です。2000年にNHKを退職しましたが、現在も「NHKアーカイブス」「ラジオ深夜便」などを担当しています。2002年7月より、千葉市女性センター館長を務めています。この本は『ヒロシマの空』『きけわだつみのこえより』『夏の花』など、今こそ必要な日本人の財産、27作品を収め、付録CDには、選者自らの声で、9作品収録されています。<選者まえがき>より「21世紀は人間が問われる世紀といわれています。20世紀に私たちがやってきたこと、くらしは楽になったけれど、その分、自然破壊による環境問題、公害問題、教育の問題、その他問題は山積み、そして大きな戦争のこと。人間の根幹にかかわるそれらの事々を、さらに総括しないと、21世紀の道筋は決して見えてこないでしょう。・・・・・・・・・・・・・・・戦争について多くの人々が残した、赤裸々な記述や昇華された文学。それらは必ず世紀を越えて残り、遠い将来も誰かが手にとって読むはずです。でも、そのためにも、私たちは、今、それらを大事にしていかなくてはなりません。・・・・・・・・・・・・・・・・重い気持ちでなく、柔らかな心で読んでこそ、伝わる・・・というのが長い間、放送という仕事道で、多くの人々や様々なテーマを通して教えられたことでした。読まなければならないものは山のようにありますが、何事も全て、出来る範囲で、と自らに言い聞かせつつ・・・。言い聞かせつつ・・・。」加賀美さんの、柔らかく、なおかつ力強く心に響く朗読は、1つ1つの真実をしっかりと伝えてくれます。この本は読み聞かせることを前提に作られているので、それぞれの作品の漢字には、全てふり仮名がふってあります。実際にCDに収録されているのは、27作品中、9作品ですので、ぜひお子さんには、生の声で語り継いであげてほしいと思います。最後の作品は、池澤夏樹の「難民」で、舞台はアフガニスタンです。この本は、まさに、戦争を実際に体験していない私たち親から子へ語り継ぐための、大切な一冊だと思います。
2003年12月08日
クリスマス絵本 12月に入り、あちこちでクリスマスソングが聞こえてくるようになりましたね。今日は、心の奥底に響いてくる“クリスマス絵本”のご紹介をしたいと思います。 ◆ 『ちいさなもみのき』 マーガレット・ワイズ・ブラウン 作/バーバラ・クーニー 絵/上條由美子 訳/福音館書店マーガレット・ワイズ・ブラウンは、1910年、ニューヨーク市に生まれました。いつも幼い子どもたちの気持ちを理解するということに心をかたむけて、たくさんの本を書きました。1952年に、42歳の若さでこの世を去るまで、この名前の他に3つのペンネームを使って、90冊を超える絵本を出版しました。「おやすみなさいのほん」「おやすみなさい おつきさま」「ぼくはあるいた まっすぐまっすぐ」など、多くの絵本は、今でも世界中の子どもたちの心を捉えつづけています。この絵本は、彼女らしい、温かくやさしい言葉で、自然の美しさや四季の移り変わりがとても繊細に表現されています。森のはずれの、大きな緑の木々から少しはなれたところに、小さなもみの木が一本立っていました。小さなもみの木が、まだ、一粒の種だったとき、ある日、風にふかれて、種は空をとび、森をこえ、野原の土のうえに落ちました。春が7回すぎたある日のこと、男の人が森の方から歩いてきました。「おまえは これから、すばらしいお祝いに 行くんだよ。みんなといっしょにお祝いをするんだ。そして、春がきたら、おまえを見つけたところへ連れて行って、また植えてやるからな。毎年、冬にはお祝いをしにやってきて、春にはもとの緑の野原へ 帰っていくんだよ。ここまでやって来られない、私の息子といっしょに大きくなっておくれ。あの子が 元気に なるように 力になっておくれ。」さて、ちいさなもみのきはどんなクリスマスを過ごすのでしょう。クリスマスキャロルの歌詞と楽譜もついた、私の大好きなクリスマス絵本です。 ◆『クリスマス人形のねがい』ルーマー・ゴッテン 文/バーバラ・クーニー 絵/掛川恭子 訳/岩波書店この絵本は、原題を「ホリーとアイビーの物語」といいます。このお話の主人公の人形と女の子の名前ですが、実はこの名前は、とても有名な賛美歌“ The Holly and the Ivy ”(ヒイラギとツタ)からとられたものです。作者のルーマー・ゴッテンが1958年に、子どもたちに書いたクリスマスの物語に、1985年に新たにバーバラ・クーニーの挿絵をそえて大判の絵本にしたのが、この本です。長い作品ですが、ゴッテンのストーリーテリングの不思議な魅力に引きこまれます。ゴッテン自身も、子どもが求めているのはストーリーであって、そのストーリーを簡潔な言葉で語り、しかも子どもがこれまで受け継いできたことばをより豊かにするために貢献するのが、作家の役目だといっています。挿絵を描いたバーバラ・クーニーは、1917年にニューヨークで生まれ、2度のコールデット賞受賞の名誉に輝くアメリカを代表する挿絵作家です。素朴で、見る人の心をあたたかく包み込む画風がゴッテンの物語をさらに深める役割を果たしています。内容的には、小学校中学年から高学年以上でないとむずかしいかもしれません。この絵本は日本では2001年の11月12日に出版されました。残念なことに、ゴッテンは1998年に、クーニーは2001年の春、亡くなってしまいました。ゴッテンは、イギリスで生まれましたが、子ども時代の大半を、父親の任地であるインドで過ごしました。この絵本の中で、“心から強く願えば奇跡は起こる、求めれば願いは通じる”という愛のメッセージを残してくれました。とても心温まる作品に仕上がっていて、この季節ならではの絵本です。
2003年12月04日
今日の午後、息子の高校のクラス懇談会に行ってきました。 2週間ぶりに訪れた、大学通りのいちょうの黄色と、もみじの赤の美しかったこと!!たった2週間の間に、こんなにも季節が移り変わっていたのですね。 ちょうど、クリスマス用のイルミネーションの準備をしているところでした。 今夜辺りは、大学通りの銀杏並木もクリスマス用のイルミネーションで、光り輝いているかもしれません。 2年5組担任のI先生を中心に、たくさんの母親が参加して、進路についてのお話も交えながら、とても和やかな時間を過ごしました。 そこで、学級代表さんが登場!! この高校は実は、3年間クラス換えがないのです。 「今日はこれから、来年度の委員の選出をしたいと思います。学級1名、文化1名、広報 1名です。」 なんだか急に皆さん静かになってしまって・・・。 沈黙の時が、流れました。私にとって、この時間がどんなに長く感じたことか・・・。それでもなんとか2人は決まりました。ところが、最後の一人が決まらない~~!時間はいたずらに流れるばかり・・・。この高校には、息子も2年間お世話になり、来年はもう最終学年の3年生です。 私は思いました。 息子は、この高校で、宝物のような友だちをたくさん得ました。息子のお友達のお母さんたちと交流できるのも、もう、来年で最後だなあ~!!と・・・。 そして、ついに「他に いらっしゃれば、ぜひその方にお願いしたいのですが、どうしてもいらっしゃらなければ、やります!!」と・・・ついに・・・ついに・・言ってしまいました。 なんと、その瞬間、大きな拍手!!(^_^;) ああ~!なんということでしょう。結局、私は学級委員を引き受けてしまいました。その時、私は心の中で、つぶやいていました。「来年度の中学の会長はできないよ~!お願い!誰かよろしくね~!」中学の現役のPTA会長なのですが、実は来年度の候補者として、名を連ねているのです。ですから、そこから逃げてしまったようで、ちょっぴり罪悪感も感じてしまったのですが・・・。私は今、この恵まれた中学のメンバーと一緒に、残された今年度の任期をしっかりと、楽しく、進めていきたいと思います。そして、うまく来年に繋げられるように、○○中PTAをささやかながら、紡いでいるつもりです。うまくバトンが渡せれば、よいのだけれど・・・。
2003年12月03日
今日は中学のPTA主催の講演会でした。朝、目覚めた時には、“どうしよう!”と思うくらいの雨模様でしたが、講演が始まる頃には雨もあがり、なんとも身体に絡みつくような、妙に生あたたかい風が・・・。市内の数々の行事と重なってしまい、おまけに足元も悪く、案の定、出足が鈍りました。主催者側としては、大変つらいところです。どんなに有意義なお話でも、参加者が少ないことは非常に残念なことですものね。演題は『インターネットと楽しく有意義に付き合おう!』講師はS大学に勤務する“国際法”がご専門のK先生です。今回の講演会を行うにあたっては、副会長のKさんが窓口となり、本当にがんばってくれました。Kさん、ありがとう!お疲れ様でした。心から感謝しています。(ごめんね!まだこのHPについては、内緒にしているんだった!!会長の任期が終わる頃、突然告白しようかな?) ★安全はただではない!残念ながら・・・。やはりセキュリティー関係のソフトは必要である。★ネット上にはいろいろな人がいる。たとえば、駅前のキャッチセールスを思い出してみる。「うまい話はない」と考えるのが基本。★困った時は、基本的には自己責任だが・・・消費者センターを活用する。納得がいかないなら「NO!」とはっきり言うこと。★ネット上にもマナーあり。インターネットも1つの社会。★他人のプライバシーや名誉を尊重する。(自分のプライバシーには敏感に!)★インターネット上の情報を鵜呑みにしてはいけない。大学のゼミの宿題で、テーマに沿って論文を書かせることがあるが、どこの誰が書いたかも分からないインターネット上の情報をそのままプリントアウトしてくる学生がいる。同じネット上の情報でも、出所をしっかりと確認する必要がある。むやみやたらに信用してはならない。★著作権上の問題。etc・・・。 簡単に言ってしまえばざっとこんな内容でした。例えば、私たちや子どもたちが、インターネット上を走る“車の運転手”あるいはインターネット上を歩く“歩行者”だと考えれば、それは“交通ルール”や“交通安全”と同じくらい身近な問題であり、大切なことだと思いました。私自身も、今一度再確認しなければいけないことが山ほどあることに気付かされました。 やさしくなれる冬のお薦め絵本 さて、今日は“やさしくなれる冬のお薦め絵本”のご紹介。 ◆ 『ぼうや おくちを あけて』エイミー・ヘスト 文/アニタ・ジェラーム 絵/小川仁央 訳/評論社さむいさむい夜のこと。かあさんぐまは、ぼうやをねかしつけています。と、そのとき、ゴホン、ゴホン!ぼうやが、せきをしました。でも、ぼうやはせきどめのおくすりをのみません。ぼうやは ママの やわらかな おなかに よりかかって、ママのおはなしを ききました。ストーブの ひは あかあかと もえ、だいどころは ぽかぽかです。おや!外に見えるものは いったいなんでしょう!さむいさむい よるのこと。ベストセラー絵本『どんなに きみがすきだか あててごらん』でおなじみのアニタ・ジェラームのあたたかい絵が魅力的です。くまの母さんのやさしいこと!!声に出して読んでいるうちに、こちらまで、だんだんとやさしい気持ちになれるから不思議です。くまの母さんとぼうやの、ほのぼのと心にしみる愛のおはなし。★アニタ・ジェラームの絵本のご紹介「どんなに きみがすきだか あててごらん」「ママ、わすれてるじゃない」「ぼくは ぼくの ほんがすき」「あまのじゃくの てんこちゃん」「ちっちゃい かわいいちゃん」 その他
2003年11月30日
心あたたまる冬の絵本 第2弾 ◆サナのあかいセーター (絵本の時間 18) なりたまさこ 作・絵 /ポプラ社/2002.11 成田雅子さんのデビュー作は、松谷みよ子さんのお薦めの絵本『いちょうやしきの三郎猫』です。1963年東京生まれ。多摩美術大学油画科卒業。講談社絵本新人賞佳作入選2回。『いちょうやしきの三郎猫』はとてもシックな色調で、なにか深く考えさせられる雰囲気を持っていて、私も大好きな作品なのですが、最近の成田さんの絵本は、また一味ちがった魅力があります。親しみがあって、季節感を感じることができて、子どもの心に寄り添っていて、いいなあと思います。この『サナのあかいセーター』はサナちゃんシリーズの第3作目で、他に『ふしぎなあおいバケツ』『ぼろぼろのすてきなかさ』今年の7月に出版された『はらぺこなしろくまくん』、そして11月に出版されたばかりの『サナのゆきのでんしゃ』があります。ある日、大好きなおばあちゃんから 赤いセーターがおくられてきて、サナはうれしくて さっそく 着てみましたが、なんだか 小さくて きちきちです。サナは、友だちのルルといっしょに ひっぱってみました。ぎゅーっ!!なかなか うまくいきません。プレゼントのセーターを どうしても着たいサナは いろいろかんがえました。そしてこちらも、とてもうれしい結末が待っています。おばあちゃんの温かさが胸にしみます。「けいとってやわらかいね、あったかいねぇ。」このふわふわのほかほかのシーンがとっても好きです。 サナちゃんが生き生きとして愛らしく、動物たちの表情もやさしい。ほんわかした雰囲気の楽しい絵本で、冬の日の読み聞かせにお薦めの一冊です。
2003年11月26日
今日の東京は冷たい雨!!早いもので、もうすぐ12月ですね。日ごとに冬の足音が近づき、日だまりが恋しい季節になりました。そこで今日は心あたたまる冬の絵本をご紹介しようと思います。 心あたたまるスープとシチューの絵本 ◆ 『かぼちゃスープ』 ヘレン・クーパー 作 /せなあいこ 訳/アスラン書房 この作品は、1999年にケイト・グリーナウェイ賞を受賞しています。ケイト・グリーナウェイ賞とは、イギリスで出版された絵本のなかから、その年もっとも優れた作品の画家にたいして年に一度贈られる賞です。1956年、英国図書館協会によって創設され、賞の名前は、今でも世界中で愛されている挿し絵画家のケイト・グリーナウェイ(1846~1901年)にちなんでいます。ヘレン・クーパーは1963年、ロンドンに生まれ、大人になるまで湖水地方として知られるカンブリア州に住んでいました。10年ほど音楽教師を勤めたのち絵本作家に転身。現在イラストレーターであり作家である夫、娘と共にロンドンに住んでいます。森の中のふるぼけた白い家に、ねことりすとあひるの三人が、いっしょに住んでいました。 三人が、毎日決まった手順で作るかぼちゃスープは、世界一おいしいスープですよ。ところがある朝、あひるが「ぼくがスープをかきまぜる!」と言ったから、三人は大げんかになります。ついに、あひるは家出をしてしまいますが、 三人の友情と、スープの味はもとに戻るでしょうか? 大胆でユニークな絵に心惹かれます。この季節にお薦めの一冊です。 ◆ 『かもさん どんぐりとシチューをおあがり』 ルース・オーバック 作・絵/くりやがわ けいこ 訳/偕成社 ルース・オーバックは、1941年、ニューヨークに生まれました。保育園の先生をしたり、中学校で美術を教えていました。その後、フリーのデザイナーとしてグリーティングカードやおもちゃのデザインを手がけます。レノーアという女の子がいました。ぱんくずをつめた大きな袋をかついで、レノーアのいくところは公園のお池。そこにはかもさんがいて、レノーアはえさをあげるのです。レノーアとかもさんはだんだん仲良くなりました。しかし、秋になるとかなしいことがおきました。秋がきて寒くなると、かもは、どこか暖かいところへとんでいかなくてはなりません。そこでレノーアは、かもとずっといっしょにいられるように、冬の支度をしてあげることにしました。そしてとうとうクリスマスもいっしょに迎えることができました。レノーアのやさしさとあたたかさがほのぼのと伝わってくる絵本です。こちらもこれからの季節にピッタリですね。 てぶくろとセーターの絵本◆ 『てぶくろ』 ウクライナ民話/エウゲーニー ・M・ラチョフ・絵/うちだりさこ 訳・福音館書店 世界傑作絵本シリーズ。おなじみのウクライナ民話です。「おじいさんが もりを あるいていきました。こいぬが あとから ついていきました。おじいさんは あるいているうちに、てぶくろを かたほう おとして、そのまま いってしまいました。」 さて、冬の寒々した森を背景に、おじいさんの落としていった“てぶくろ”から物語が始まります。ねずみ、かえる、うさぎ、きつね、おおかみ、きばもちいのしし、くまがつぎつぎとやってきて、てぶくろの中に入ります。おじいさんの片方のてぶくろの中に、こんなに入れるのかしら?と心配になってしまいますね。てぶくろの中でそれぞれの動物たちはどんな格好で寄り添っているのでしょう。お互いに体温を感じながら身体を温め合っている様を想像すると、こちらまで、心温まる思いがします。動物たちのそれぞれのキャラクターが愉快で、繰り返しの言葉がとても楽しい絵本です。 ◆ 『セーターになりたかった毛糸玉』 津田直美 作 /ジーシープレス 「夜になって、お父さんやお母さんに おやすみなさいを言ったあと、大きくなったら何になろうかしらとベッドのなかであれこれ考えたことが あなたにもあるでしょう。誰もいなくなった 暗いお店のなかでも 毛糸玉たちが 自分の将来について いろいろ夢を語り合っているのです。」この世に毛糸と生まれたからには、誰でも一度はなってみたいと あこがれるのがセーターなんですって・・。ある日、セーターになりたいとあこがれる10個の赤い毛糸玉たちが、おばあさんに買われていきました。おばあさんはおじいさんのために、赤いセーターを編み始めます。ところが、最後の一個を残してセーターは編み上がってしまうのです。 それでも、たった一つ残ってしまった毛糸玉は、いつかはセーターになりたいと願っていました。ところが、ある日、自分が手袋として編まれていることに気付いて、悲しみでいっぱいになります。けれども、最後はとっても幸せな結末を迎えるのです。 寒い冬の夜には、こんなお話がきっと心を温めてくれますよ。絵もとても可愛らしくて、やさしい仕上がりになっています。寒い冬にお薦めの心癒される絵本です。
2003年11月25日
今日は、高校2年生の長男の授業参観と学年懇談会でした。仕事を交代していただき、午後から息子の通う高校へと出かけていきました。都内でも、これほど住民が環境を大切に守ろうという意欲のある地域はないでしょうね。本当に頭が下がります。春には桜、そしてこの時期、銀杏並木がなんとも美しく心を癒してくれます。この並木を歩くたびに、私はしみじみと四季折々の自然の美しさを感じ、まるで時間が止まったような安らぎを覚えます。校門をくぐり、息子の教室へと向かっていく途中、同じクラスの女の子のお母さんにお会いして、いっしょに教室に入っていきました。う~ん!数学の授業でしたよ!先生の説明ははっきりしていて、とてもわかり易い!!しかしながら・・内容が難しすぎて(遥か昔にやったのでしょうが・・)頭が痛くなりそうです。(>_<)それにしても、かなり真剣に授業に臨んでる生徒たちの姿にはビックリです!!質問も飛び交って、活気もあるすばらしい授業。息子も質問していました。懇談会では、3年の選択科目を選択するために、理系か文系かを今年中に決定しまければいけないこと。またこの時期、否応もなく自分の将来に向かって一つの選択を迫られることなど・・・シビアなお話がありました。ぜひ本人の意思を尊重しながら、将来に向かう一つの選択をうまくサポートしてあげてほしい・・というようなお話もありました。この高校の文化祭では、毎年3年生はクラス対抗の演劇に臨むのですが、その意気込みたるや半端じゃない!!教室は芝居小屋と化し、どのクラスも妥協せずに、最高のものを作り上げるべく努力を惜しまない。息子は今から、来年の9月に行う演劇の脚本探しに奔走しているようです。夜、息子が私のところに来て、「理系か文系か・・・。オレは一体どっちなんだろう?数学も好きだし、文章を書くのも好きだよ!だけど、なんかさあ!この選択ってすごく無意味な気がするよ~!大学の学部の選択をするよりも何よりも、オレは自分の将来の夢を探すべきなんだよ。今のオレにはそれがはっきり見えていなくて、そんな状態で理系か文系か選択しなければいけないオレってなんなの?ホント!情けないよ~!できれば留学をしたいけど、それも中途半端な逃げみたいでイヤだしなぁ~!」と・・・自分の心の迷いをぶつけてきました。「そうだね!悩むところだよね。これは今の大学入試制度の枠内のどうしようもない選択だけど、お母さんも本来はやっぱりオレはこういうことがしたいんだ!ということを自分自身で探すことが先なんだろうと思うよ。」ぽつりぽつりと、こんな言葉でしか答えてあげられなかったのですが・・・。実は心の中では、―息子よ!おおいに悩みなさい!!―そんなことを考えていた母でした。
2003年11月19日
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