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ハリウッド映画の定番はハッピーエンドだった。いまでもその流れがアメリカ映画にはある。それだけではなく、物事を楽天的に考えるというイデオロギーがなければベストセラーにはならないという風潮さえあるようだ。現在の社会を肯定する考えでなければならないという不文律がある。どんな宗教があろうと構わないがキリスト教が主役だという思想がある。彼らの祖先は、生命を賭して、そのためにアメリカ大陸に来たのだ。 ・開拓するためには奴隷が必要だった。アメリカ兵をこれ以上死なせないために原爆投下をしたのは正義だという。身勝手な考えだが彼らの論理であり、それが通用している社会でもある。それで超大国いもなった。それは世界がそれだけ非力でしかなかったからだ。「無知と貧困」から抜け出せないほど遅れていたし、現在も遅れている。少なくとも現実はハッピーエンドでない人生を強いられてもいる。アメリカだけが何故ハッピーエンドなのだろうか。それは偽善であり、虚構だったからだ。 。へ2・・・それをまだ続けているアメリカ社会がある。アメリカはバイデン次期大統領の登場で変わるだろうか。そうはいかないだろう。それほど甘くはない。既得権益を其れほど容易に手渡すほどお人好しの人たちでもない。イラク戦争さえ起こして、いまだに勝ちに拘ってもいる。アメリカ社会のハッピーエンドのイデオロギーが死んだわけではないだろう。まだ、勝ち続けたいと思っている人たちがいる。それが本当は誰のためだろうか?
2022.12.03
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・考えてみれば、私たちの暮らしも当り前でしかないが、戦前の人たちから見れば自由なのだろうし、ご気楽に見えることだろう。柵に縛られた人たちから見れば天国かも知れない。実はそうとも言えないが、外見的には言いたいことを言っている。それさえできない時代があっただろう。 ・へ2・・・近代法ができて基本的人権が宣言されたがそれさえできない国家が多いのは嘆かわしいが、世界の現実でもある。政府が胡坐をかいている。遅れている人権が黙過され、無駄な時間を浪費されている。学問の自由や、言論の自由、表現の自由、そして信教の自由さえない。政府を批判することさえできない。飯をたべて、黙って死ぬしかない。職業の自由もない。数え上げたら何もできなかった中世に戻ってしまうような生活を強いられて何がいいものか。 ・自分が恵まれているなどと考える必要もないが、自分よりもっと酷い生活を人々はしているのも事実だろう。それを思うことは大事だろう。 ・へ2・・・衒わずに生きることは自分の目を濁さないことだろう。率直であることは自分を汚さないことでもあるのではないか。平平凡凡こそよきかな。
2021.09.19
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フランクフルト市街のゲーテハウスに、やはりツアーの皆が集りました。オプションとフリータイムのグループが別れたのですが、結局に、それぞれが見学していました。私は、すぐに部屋に行かず、中庭を歩いてみました。手入れはされていましたが、季節外れでバラ園もさびしいものでしたが、ゲーテのいた18世紀ころから、200年近く経過しているのに、庭の中のベンチに座っていると、なにか艶めいた詩人の魂を感じました。板張りの部屋にはいり、中を見学しましたが、歩くと軋む音が響いて、踏み抜きはしまいかと心配になるほどでした。各階には、監視員がいて、見学者の行動を見張っていました。それどもどこか学生のアルバイトをしている感じでしたが。隣のゲーテ博物館も見学しましたが、やっと最後のところに、マリアンネの肖像を見つけました。詩人の部屋は、4階にありました。この部屋で、「若きウェルテルの悩み」「ファウスト」一部などの初期の作品が書かれたとのことです。窓から外を覗くと向かいの建物の屋根の上に空が見えました。ゲーテもみたのでしょうか。戸のそばには、ロッテの影絵がありました。
2006.12.04
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3泊目。MARTIM BAD MERGENTHEIM ローテンブルクから約40kmの距離にある所で宿泊した。「朝からアイス白ワインが飲めますよ」、とガイドが言っていたように、ちゃんと置かれていた。このチャンスを逃すつもりはない。コンチネンタル・スタイルの朝食と訊いていたが、生鮭・チーズ・パン・ワインを愉しむことが出来た。殊にチーズが、美味。今日は、バスで8時出発の予定。7時にはトランクをドアー外に出して、朝食を済ませたが、旅なれた人が多くて10分前に出発した。ロマンテック街道を走った。ローマ人への道だ。殆ど信号のない周辺は牧草と麦畑など林の中を、人家も殆どない田舎道だ。例えば青い屋根を造ろうとしても、法規制があるのだろう。少なくとも自由な建物を建てることができないに相違ない。フレームワークの中で自由であることが自由だと信じている。ソフトは自由なのだろう。ソフトは自由だが、ハードではない。それが、西欧的な自由の意味なのだろう。昨日の何故遅れるかとガイドを叱り大声を上げていた運転手が、また運転していた。髪の毛を短く切った見るからにドイツ青年(中年か?)の感じの大柄な男だ。時間に厳しいドイツ人らしい。日本人が時間にルーズ過ぎるのだ。特別運転が荒いのではないが、ノタノタした運転ではない。もう落葉も終わり、すこし太陽の光が薄い感じが漂い暗い、くすんだような林と牧場の風景がバスの窓から流れた。それこそ、道路標識が、いくつかあるだけで、看板ひとつない。道の狭いローカル道路をすいすい走るのは、地理にあかるいのだろう。それにしても、これがドイツの田舎なのだろうと思いながら眺めていた。農家らしい切り妻の赤いレンガ屋根が点在している風景は、何度か本でみた気がした。昨夜、手に入れた白ワインを持参していたので、ローテンブルクの Tauber の橋の上で飲みたいと思ったが、近付くと、かなり急斜面だった。距離も遠いので、諦めて景色のいい場所で、飲むことにした。妻とふたりで昨日買ったグリューワインのカップで乾杯した。
2006.12.09
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科学者がそれこそ社会人としての常識があるかというと、あって当然だと思う反面、どうもマッド・サイエンティストたちが暴走した歴史がある。遺伝学やバイオテクノロジーが果してコントロールできるだろうか。極めて疑問でもある。狭い研究所の中で籠って研究していて公平な判断ができるのだろうか。オウム真理教にもサリン事件があったが、カルト集団に属した科学者が暴走しないとも限らない。あらゆる場面で、危険な狂気が出て来ないとはいえないだろう。 ・油断しないだけの健全な社会の構築が必要なのだろう。ナチズムを生んだのは根底にユダヤ人への人種差別や偏った狂信的イデオロギーがあっただろうし、ドイツ人の社会的ストレスがあったのだろう。それが、独裁者に走ったのだ。そこで破壊兵器の開発がある。科学者は目標にされやすい。もしドイツが核兵器を先に開発し原子爆弾を製造していたら、歴史はどうなっていただろうか。 ・へ2・・・必ずしも偶然が世界の平和のために振れるとは限らないということだ。だからシビリアン・コントロールが必要であり、軍人が力を持つことは危険でもある。戦前日本も軍人に優秀な頭脳が集まったが、彼らが果して良識があったといえるだろうか。優秀な頭脳が良識があり、見識が高いわけではない。IQの高さが必ずしも社会のためになるとは限らないのだ。
2022.12.04
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雨の中ノートなどを買ってきた。PCを旅行にもって行かないから、どこかで、本でも買って暇潰しをすることになるでしょう。何せ、ぼーっとしていることが苦手なものですから。福岡は、雨です。暖かいので、薄着です。冬仕様で行きますけど、寧ろ、あちらも予定外の暖かいといいけどね。三毛猫が、日中、誰もいなくなると困るのではないかと妻が心配しています。お隣に留守中のお願いをして行くことになりそうです。犬がいた時もそうでしたが、ペットも人間の都合で迷惑なことです。行きは、ソウルに一泊します。市内観光もあるようです。大学の友人が、韓国旅行をして、キムチを食べ過ぎて腹を壊して急遽帰国した話を思い出しました。彼は、大阪から、急行にも乗らず、福岡までのんびりするともりで行って、フェリーに乗ったそうですが、知り合いになった韓国の人にキムチ料理をご馳走になったそうです。白菜に挟むものが色々あって貧富の差がそこにもあるといっていましたね。彼は、失恋したばかりで、それを忘れる為に出かけたのですが、その傷も癒えないまま飛行機でかえる破目になったと話していました。そういえば、この友人は、面白いひとで、大阪から東京まで、昔の東海道を歩いたのですが、帰りは新幹線で帰ったと言っていました。まだ後日談があって、法学部を卒業したのに、その後音楽家になり地方の演奏者だと言っていました。話したとき、彼女がどうとか言っていたけど忘れてしまいました。そういえば、アメリカ大陸を自転車で横断した学友もいましたね。みんな苦しんでもいるでしょうが、愉しいときも過ごしているのではないでしょうか。そう思いたいですね。>リンドバークが日本に来た時の飛行機です。複製ですが。まあ韓国で腹を壊さないようにしたいと思っています。
2006.11.27
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神谷美恵子著「生きがいについて」(みすず書房)作者は、精神科医。温かさと知性と努力の人と紹介されている。「生きがい」とは、「世に生きているだけのねうち、生きるしあわせ、利益、効験。」と辞書にある。欧州では、生きがいにあたる言葉はない。「生きるに価する」「生きている価値または意味」がある。如何にも日本語の「曖昧さ」を示している。生きる喜びが最も体験されるのは、出産直後の歓喜は、女性の生きがい発見の瞬間だという。更に赤子の示す生の喜悦は動物のもつ本能の迸りでもある。官能の陶酔はどうだろうか。生命力の発現としても刹那でしかない。それは生きがいではないだろう。本当に生きているという感情は、生の流れはあまり滑らかであるよりか、寧ろ生きることに夢中で努力している時であり、生きるのが苦しく辛い時にこそより強く感じるものがあるのではないか。ある中年の婦人がやむにやまれぬ向学心で大学の籍を得た時に、「これでやっと望み通り好きな仏文学を一筋に学べるようになり、何か体の内からうれしさが湧き上がってくるようです。」といったと言う。苦しみの中に生きがいを覚えるという心の姿は、尊いだろう。それは宗教家だけのものではないはずだ。それは、その目標が達成されるかどうかは、真の問題ではないだろう。マルローの「ほんとうの人間」(authentic person)とは、人類の一員である面が多い人だという。強者という「不当利得」を得ているものは、弱者に対して、その利得を返還せねばならない義務がある。
2012.11.15
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12月1日金曜日。ニュルンベルクのクリスマスマーケット(クリマル)は、それこそ大人も迷子になりそうな混雑でしたが、街路の電飾や、一本道だったりして、意外と親切な配慮がされてあると感じました。フラウエン教会の前に、一際人だかりのしている場所があり、覗いてみたら有名な「クリッペ」でした。ひとびとは、殊にこどもたちは真剣なまなざしで見守るようにみていました。イエスの生誕が、謂わば彼らの宗教の原点なのでしょう。彼らキリスト信者にとってイエス・キリストは、いまも死んではいないのです。彼らとともに現在もなおともに生きている存在なのでしょう。だから、クリッペをつくり、確かめ合うのがクリスマスの日なのでしょう。彼らは、クリスマスの4週間前から4本のローソクを立てて毎週1本づつ火を灯してクリスマスを待つのです。それを、Advent というらしい。日頃怖い親たちもAdventがくると優しい心を取り戻すのです。しばらくフラウエン教会前の特設ステージの近くで、或る意味整然とした群集とマーケットを感動をもって見ていました。多くの日本人観光客らしいグループも、目の前を通り過ぎました。彼らもキリスト教徒なのだろうか、と思いました。ここはドイツで、本物のクリスマスを遣る国なのだと思いつづけていました。時報を知らせる教会の鐘の音を何度も聴いたいました。是非ニュルンベルグのカップとガイドブックが欲しくなりました。名物のニュルンべルガーソーセージも。それから、地元ガイドがいってワッフルの有名な屋台にも行きました。余りの人だかりで食べれませんでしたし、ワインを買いに行った妻とはぐれてウロウロしました。いつまでも、来ない妻を待っていたら、私が、皆さんから迷子になったと心配されていたようです。これくらいの人ごみで迷子になるはずはないのですが。混雑には慣れている日本人ですから。それでも、ホテルに帰るころには、街路のみつばちのかたちをした電飾も消えていました。午後10時には消灯するようです。それでも、ひとびとはマーケットを惜しむようにゆっくりと歩いているようでした。
2006.12.07
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折角フリータイムがあるのは、買物のためだけではない。企画者は、ツアーの拘束を離れて個人で愉しんでくださいという意味もあるに違いない。処が、それをガイドは言わないことが多い。だから、自分で用意しないと駄目だと何回かの経験で知っていたので、知りたいことを調べていたので時間を無駄にしたくなかったので、妻とさっさと、城壁を出て、Tauber 周辺を散策した。後で、地元に住んでいる日本人の画家の奥さんに訊いたら、「あそこは、昨日霧がかかって一日景色が何も見えなかったので、今日は、良かったですね」と言われた。数人の地元の人に出逢っただけで、妻とふたりでワインを開けていい時間を過ごせたと思う。まあ今回の旅行のハイライトでもあったと思う。どれだけモニュメントを観ても、それは単なるエピソード記憶でしかないだろう。一回だけの自分の人生が何を感じるかでもあるだろう。ここはこんなにいいですよ。ということが、商業ベースではなかなか伝わらない。ツアーの意味が理解できない人も多いようだ。それがツアーの現状なのだろう。私は、ゲーテとこのローテンブルクの Tauber を観たいと思ってこのツアーに参加した。そのひとつがこの地に立つことだったと実感した。是非、もし行かれる方は、寄り道してください。
2006.12.09
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