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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2025.09.13
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 志筑忠雄は、1760年に長崎の資産家だった中野家三代用助の子として生まれました。
 通称は忠次郎といい、名を盈長、忠雄といいました。
 晩年には、飛卿、季飛と字を名乗り、柳圃と号しました。
 ”志筑忠雄”(2025年1月 吉川弘文館刊 大島 明秀著)を読みました。
 江戸後期に並外れたオランダ語力と数学的思考力で、天文学書の和訳に専念した志筑忠雄の生涯を紹介しています。
 志筑は「しづき」と読まれてきましたが、現代の長崎では「しつき」と読む苗字もあるそうです。
 生家は旧県庁舎にほど近い、現在の長崎市万才町の一画です。
 中野家は、呉服商・三井越後屋の長崎での落札商人でした。
 三井家との関係は、代理で貿易品の取引をした有力な家でした。
 忠雄は幼時に長崎通詞の志筑家の養子となり、8代目を継いで1776年に稽古通詞となりました。
 稽古通事は、長崎勤務の唐通事・オランダ通詞の職階で、見習いの通訳官です。
 1777年に、18歳のとき病身のため辞職して中野家に出戻りました。
 その後、本木良永について天文学、オランダ語学の研究に専心しました。
 主著の『暦象新書』をはじめ、多くのオランダ書の訳述や著述に従いました。
 主著は、イギリス人ジョン・ケールの著書のオランダ語訳書を解訳したものです。
 このなかで地動説を述べ、地動説を肯定しながらも天動説を排除しない立場です。
 付録の混沌分判図説では、星雲に関して独創的見解が述べられています。
 ヨーロッパの自然科学説の紹介だけでなく、科学思想史的にも重要な意義をもちます。
 大島明秀さんは1975年大阪府生まれ、1999年に関西学院大学文学部日本語日本文学科を卒業しました。
 2003年に、九州大学大学院比較社会文化学府国際社会文化専攻修士課程を卒業しました。
 2008年に、同大学院比較社会文化学府国際社会文化専攻博士後期課程を修了しました。
 博士(比較社会文化)で、研究分野は蘭学・洋学史、日欧交流史、日本近世史です。
 志筑忠雄は、稽古通詞を遅くとも27歳までに辞め、その後は家にこもり蘭書の翻訳にふけったとされます。
 志筑には4人の兄がいて、一人は養子に出され薬種目利という貿易の仕事に就いていました。
 父用助は貿易関係情報入手のため、息子たちを能力に応じてそれぞれの職に就けたと思われます。
 通詞を辞めた志筑を養ったのは、オランダ語ができる人間を置いておく利点がありました。
 志筑は当時としては、飛び抜けたオランダ語の能力や国際的な感性を持っていたといいます。
 23歳のとき、通詞は休職中でしたが、ジョン・キール蘭書訳出の唱矢である『天文管閥』(1782年)を訳出しました。
 並行して、西洋のさまざまな事柄を記した雑記帳である、『万国管閥』を書き上げました。
 1792年には、第一回ロシア遣日使節ラクスマンが来日しました。
 1796年頃から、ロシア南下情報や西洋人の日本観などに関わる新分野の翻訳に取り組み始めました。
 イギリス人ジョン・キールのニュートン力学解説書の蘭訳書を、『暦象新書』(1798年)で抄訳しました。
 オランダ語で記された書籍を通して、日本で初めてニュートン物理学を紹介したのでした。
 これは公儀、社会に対する貢献を目的として、公務ではなく私事として行いました。
 また、ネイピアの法則を案内するなど、自然科学分野で稀代の才能を示しました。
 ネイピアの法則は、直角球面三角形の辺と角に関する法則です。
 その慧眼と能力は、国際関係分野においても発揮されました。
 特筆すべきは、『鎖国論』(1801年)で鎖国という日本語を創出したことです。
 また、ケンペル『日本誌』蘭語版の中から、日本の対外関係を論じた附録第六編(1802年)を訳出しました。
 当時、ロシア南下の情報に動揺する社会情勢があったため、ヨーロッパの日本観を呈示しました。
 絶筆となった『二国会盟録』(1806年)では、ネルチンスク条約締結の状況を訳出しました。
 条約は、清朝とピョートル1世との間で結ばれた、境界線などを定めた条約です。
 これは、約50年後の日露和親条約の交渉・締結の際に、勘定奉行と翻訳官が参考書としました。
 これらの学問を支えた忠雄のオランダ語力は、同時代の水準を超越していました。
 革命的な蘭文法書と蘭文和訳論は、西洋文法を踏まえてオランダ語を理解・説明していました。
 これらは、蘭学者をはじめ19世紀日本人のオランダ語読解力を飛躍的に向上させました。
 また、翻訳の際に使用した「引力」「重力」「弾力」「遠心力」「求心力」「真空」「分子」などは、後に自然科学分野の術語となりました。
 「鎖国」「植民」など、国際関係あるいは政治にまつわる新しい言葉を創出しました。
 このように、多岐にわたる仕事を成し遂げた、空前の才能と情熱の持ち主です。
 しかし病弱で、後半生は人との交わりを絶ち、実家に螢居して蘭書翻訳に専念しました。
 このように、著作は多数ありますが、意外に手紙や墓といった史料が残っていません。
 そのため、業績のわりに活動の実態が分かっていないといいます。
 忠雄の学問は、主に蘭書訳出を通してそれまでになかった新しい知識や視点、方法をもたらしました。
 第一に、訳業を通して自身の言葉でオランダ語理解と蘭文和訳の要諦をまとめました。
 第二に、『暦象新書』を代表として、天文学、弾道学、数学の新しい知識をもたらしました。
 第三に、『万国管闚』などによる、地理誌、物産でも新しい知識をもたらしました。
 第四に、『鎖国論』などによる、西洋に照準を合わせた国際情勢についての新しい所見をもたらしました。
 これらは、それぞれの分野において、没後の近世後期社会にも一定の影響をもたらしました。
 しかし、忠雄の社会的活動は短く、人生を跡付けられる一次史料がきわめて少ないです。
 そのため、第二章以下の主要な史料は、目下25点確認されている生前の著述とならざるをえません。
 近世後期の長崎を舞台に、謎と魅力に満ちた一学者の生涯を見ていくことになります。
 仕事を手掛かりに、それぞれの時期における関心や活動を検討して見ていくといいます。
はしがき/第一 生い立ちと通詞の辞職/第二 学問への熱情と献身/第三 学問の変容と再仕官の夢/第四 『暦象新書』の完成とその後/第五 オランダ語読解の革命/第六 晩年と没後の影響/中野家略系図/志筑家当主略系図/略年譜/生前(文化三年七月八日以前)の分野別著作・署名一覧/参考文献





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Last updated  2025.09.13 08:26:13
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