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Jun 4, 2007
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カテゴリ: 思うこと





今日は早く起きて逆に良かった。初仕事の日だからだ。最初のイメージというものがその人のイメージを決定付けるものであることを人一倍理解しているので、遅刻なんて愚かなことはしないように入念に準備を整えて会社に向かった。
まぁ結論から言ってしまえば…私はまだ一応仕事に使える人間ではないということだ。それはやはりその会社の「コンセプト」を完全に把握していないことに起因している。これからは研修の生活に入るのだが、まだまだこれからだ。社会人として恥ずかしくないように、そして誇りを持って仕事をできるように邁進しようと思った初日だった。







概念的な「頑張る」ということ、それは即ち生きることと同義だ。頑張らないで生きることは出来ない。親の脛を齧ることで子どもは生きているのだが、自分と親が同じラインで生きているということは人類学上ありえないことだ。自分が生きているどこかで親は確実にいなくなる。自分を支えてくれている人がいなくなるということは一つの区切りであるとともに、そこからは誰にも頼れない、つまりは「頑張る」必要がある。

どんな分野においても「頑張れない」と嘆く人は必ずいる。その大きな要因はおおまかに以下の通りあるように思われる。
1つはその物事に対して興味が持てないということだ。興味のないことをだらだらとやっていても捗るはずもないし、そもそも頑張ろうとも思わないだろう。やりたいこと・好きなことに関しては頑張れるのに、自分の興味のないことが少しでもあると頑張れなくなるということは珍しいことではない。しかしそれを責めることは出来ない。何故ならその人の興味のある分野での力の発揮は目覚しいことが多いからだ。どこか欠落している分、好きなことには人一倍のめりこめるといったところだろうか。人の才能もまたゼロサムだということなのかもしれない。要はその人が向いている方向にナチュラルに方向転換してあげれば解決できることだ。尤も簡単ではないのだが…。こちらは善の動機だ。
一方悪しき動機というのもある。それは頑張らなくてもいい「理由」を探しているということだ。「これがあるから頑張らなくていい」「これがあるから楽ができる」そのような感情に根ざした考えというものはえてして卑しいものだ。頑張らなくて世の中で生きている人なんていない。誰もがその人の器量に見合っただけの努力をして今を生きている。しかし頑張らなくてもいい理由を探していて頑張っていない人というのは、目の前にある問題から「逃げる」ことしか考えていない。ある意味その目の前にある問題から逃げる為に頑張っているという捉え方が出来ないわけでもないが、それはあくまで負の動機であるので…決して褒められたものではない。

私が派遣のアルバイトをしていた頃、辛い仕事に従事していた頃があった。得意先の会社の一番偉い方が非常に怖い方で、しかも理不尽なことですぐに怒る人だった。私は何度も何度も怒鳴られたし、役立たずだと罵られたことも何度もあった。他の同僚も何度も怒られているようで、仕事場には常に怒声が響いていたほどだった。
そんな環境であるせいかどうかはわからないが、何人もの人が辞めていった。仕事の途中で逆ギレして帰っていった人もいたくらいだった。しかし私はそこで帰るようなことはしたくなかった。何故ならばお金を貰うということは頑張らないといけないことだからだ。甘やかされてお金が貰えるのなら誰も苦労しない、それは仕事にも全く同じことが言える。自分が悪くないのに…相手が間違っていることを言っているのに…それでも自分が謝らないといけないという状況、それに嫌気がさすことは日常茶飯事だろう。しかしそこであっさり辞めるか辞めないかで人間性が見えてくる。そこで辞めていく人は口を揃えてこう言う















何故その仕事が向いているかいないのか完全に理解できないうちから自分で幕を引いてしまうのだろうか。それは自分が辛い立場に立ちたくないからだ。確かにそのアルバイトで私は星の数ほど嫌な思いはした。しかしその会社の一番偉い方だって四六時中怒っているわけではない、私が間違いを犯して怒られたこともあった。
今になって考えるとあの仕事をしていたおかげで怒られるということに対して特別なことだという考えがなくなったのかもしれない。会社に入社して一度も怒られないで退社する人なんていないだろう、怒られるということが特別、つまり嫌なこと、ひいては自分を辛い立場に置きたくない、つまりは歯を食いしばる、頑張るということから逃げているということだ。
理由なんて無数だ。環境、年齢、そのようなものを自分の武器のように繰り出しているうちはその人はどこにいっても頑張れない。今現在楽しそうに働いている人でも若い頃は確実に苦渋の1つや2つはあったろう、それを歯を食いしばって頑張ったからこそ、自分を信じてきたからこそ今笑って楽しそうに仕事が出来ているのだ。「楽しくやる」ということを念頭に置くからその理想とのギャップを感じてしまう、それが楽を求める今の若者に蔓延している病気のような気がしてならない。


何事においてもそう、やってみなければわからない。物事の真理は総じて奥深く…そしてその物事の真理が自分を裏切ることはない。一生懸命にやってみた結果、やっぱり向いてなかったと思うことは少ないだろう。確かに仕事などにおいては結果論だが向いていなかったということはあるかもしれない。しかし仕事以外の部分、即ち同僚と夜遅くまで飲んだこと、馬鹿騒ぎをしたこと、その部分まで「自分には必要なかったこと」と切り捨ててしまうにはあまりにも寂しい。楽しい思い出は辛かった思い出と表裏一体だからこそ更に光り輝くというものだ、それを考えれば自分が一生懸命に尽くしてきた会社が100%向いていなかったなんて誰にも言えないはずだ。


頑張ること頑張らないといけないことは「頑張る」という観点で言えば同義だ。自分の今挑んでいることが好きで好きで仕方ないから頑張っているのと、家族や大切な人を支えていく為、生きていく為に支えていくことは感情的な部分で異なるかもしれない。しかしそれと頑張らないこととは必ず同義ではない。何かと理由をつけて逃げている以上、そのことをやらないでいい理由を振りかざしている以上、楽な方向へ楽な方向へと流されている以上、どんなに頑張っていると主張したところで…その言葉は砂塵の楼閣に過ぎない。















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Last updated  Jun 23, 2007 12:51:54 PM
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