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Jun 28, 2007
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カテゴリ: 心境の吐露




今になって考えてみると、入りたての頃は仕事がちんぷんかんぷんだったのだが、それなりに数をこなしてみると段々仕事の意図がわかってくるものだから不思議だ。



高校生の頃、私は仕事をしている自分を想像することが出来なかった。それは漠然とした将来の自分を描けるほど自分の未来へのビジョンが固まっていなかったということも一理あるのだが、それ以上に社会の一端を担うということが大変なこと過ぎて自分一人の力ではどうしようもないことだと考えていたからだ。ある社会人の方がこう言っていたのを今でも覚えている。


「学生は勉強することが仕事なので、毎日学校に行くこともある意味仕事だ」と。


私はその言葉を聞いて不思議に思ったものだった。確かに学生である以上は勉学に勤しむのが生活の基盤になっているのだが、それにしてもそれで生計を立てることなど無理な話だ。勉強を生業にしている人も存在していることはしているのだが、それでもほんの一握りだ。それを思うと学生という立場が仕事をしているという観察は少しずれているように思えた。この頃の私はちょっと痛かったのかもしれない_| ̄|○

仕事をするということは勉強をすることとは違う。いくら勉強を頑張ってもそこに労働の対価として賃金が発生することはないし、そこには何の契約関係も存在しない。義務教育から抜けてそれでも勉強するということはある意味では学校側と契約関係を結んでいるのかもしれないが、それでも雇用側・非雇用側という関係ではない。学校に毎日行くということが労働なら、学生は世界で一番待遇のいい仕事なのかもしれない。




そんなことを考えていたからこそ、余計に自分に仕事は出来るのかと疑問に思うことが多くなってきた。目から入ってくる情報では仕事をしている人は確かに存在しているが、それは私にとっては「とてもできのいい人」という映り方しかしなかった。それほどまでに仕事が出来るということに尊敬の念を持っていたのだ。


その観点で今の私を見てみると…高校生の頃よりもそれなりに社会に順応してきているように思える。毎日私は出勤し、そして一般的労働時間をこなして家に帰ってくる。今にしてみれば当たり前且つ凄いことをしているという感覚はないのだが、冷静に子どもの頃の私の考えに則ってみるのなら…私は所謂「とてもできのいい人」になっているような気がする。結局物事というのは自分の手の届かない位置で動いているからこそ不安になったり憧れたりするもので、そこに手が届く位置にくるとなんということはないということなのかもしれない。


同じような例に子どもが大人に憧れるということがある。




冒頭の仕事の例と同じようなもので私個人が持っている考え方として、恋愛もそうだった。私は女の子と正式に付き合ったことがほぼない。そのまま22年間生活していると、必然的にこんな考えが浮かんでくるものだ。


「世の中の付き合っている人は凄い。みんな素晴らしい人ばっかりなんだなぁ」と。


私の人間的な魅力が足りないからそこに惹かれる人がいないのはよくわかる。しかし私以外の私の周りの人はいとも簡単に伴侶を見つけているので、私の中の常識が揺らぎ始めている。彼氏なり彼女を見つけるってそんなに簡単なのだろうか?私にとっては、自分の好きな人が自分を好きでいてくれるという状況が既に奇跡だ。そんなことは滅多に起こらないことだと思っているし、今のところ私が遭遇していない状況だと言える。しかし世の中の付き合っている人達は、一意の感情で付き合っているわけでは決してない。付き合っているという形をとっている以上は相思相愛であることは大前提だし、その形がとれないと付き合うという段階までいけないと思っている。
ということは…私の周りにいる人達はみんな上記に挙げた「自分の好きな人が自分を好きでいてくれる」という状況に遭遇しているということになる。私はそれが凄いことだと思えて仕方ない。



人には分相応不相応という言葉がある。私にとっての分相応はどのようなものなのかはきっと一生かけてもわからないかもしれない。しかし、仕事にしても付き合うことにしても…自分はこれが相応だなんて思いたくない。今日のテーマはそういうことで♪





ちなみに…
今日仕事帰りに高校生のカップルを見かけた。
男の子の方は制服なのだがズボンをダラリとずらしていて、シャツも襟元が開き過ぎだろうと思うくらいにオープンだった。片方にピアスを空けていて髪の毛もなんかカッコいい風だった。女の子の方も制服なのだがやはり茶髪でピアス、スカートは異常に短く、化粧をしているようだった。襟元もだらしない限りで、見ている方が情けなくなる格好だった。
そんな二人が手を繋いで道路の真ん中を歩いていた。どんな経緯があって付き合っているのか、そしてその二人の本質はどうなのか、それは誰にもわからない。ただ、その二人を外見だけで判断するのなら、こんな付き合いならしない方がマシだと心底思えるほどだったとはっきり言える。














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Last updated  Jul 4, 2007 12:59:05 PM
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