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【1月31日・火曜日】 雪は今日も降り、あと2日続くという。一時止んでも2月9日にはシベリアの寒波が到来するので、また大雪になりそうだという天気予報が出ている。 一日中間断なく降るものの、あまり積らない水気の多い雪 窓も開けられない寒さだから、猫達は外の空気が吸えずにあきあきしている。ことに野良猫暮らしの長かったキウイとミディエは外に出たくてたまらない様子である。 オグリはいたずら三昧なのであまりストレスはたまらないらしいけど、アルスちゃんはちょっとたいへん。憤懣やるかたない様子。アルス「キウイお姉さま、ここ、私の席なんですけど・・・」キウイ「そんなこと誰が決めたのよ。だいたいあんたなんか生意気よ、あのデブオといちゃいちゃしていて、10年早いわよ!」アルス「ねえ、タマオ、キウイがあたしに意地悪するのよ、ねえ、聞いてるの?」タマオ「アルスちゃん、僕は今眠いんだから勘弁してよ~」アルス「マヤちゃん、ちょっと、私が来たからって逃げることないでしょ」マヤ 「ぶるるる・・・腰が抜けちゃって逃げられないもん、たしゅけて・・・」 早く雪がやむといいですねえ、猫ちゃん達。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月31日
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【1月30日・月曜日】 昨日、AYAさんと楽しく海苔巻でブランチをしたあと、私はマヤの右側の腰に、円形脱毛症みたいなものを見つけた。 それにオグリがくしゃみを立て続けにしているので、午後2時過ぎ、オズギュル先生のところに診て貰いにいくことにした。 タクシーでクリニックに到着した頃から、空はうっすら晴れているのに、風花が忙しく舞い始めた。先生は本日は3時に出勤するとのことで、前もって女医のギョクニルさんと同じく新卒の獣医メフメットさんが事前診査をした。 観念しているオグリ。3人に囲まれては逃げられない。 3時過ぎ、真打ちオズギュル先生登場、まずマヤを診た。「加瀬ハヌム、これはマンタル・ハスタルーウ(菌性のおでき)ですよ。環境の違いやほかの猫に対するストレスが原因でしょう。毎日4~5回、バチコン(ヨードチンキ)と、指定の傷薬のクリーム2種類を摺り込んでやってください」 おとなしく治療を受けるマヤ。とても素直ないい子。 次にオグリは風邪をひいたらしいので、トローチ風な薬を飲まされ、2本の注射を打たれた。こちらは飲み薬も何もなく、どちらも1週間後にまた診察に来るようにとのことである。 オグリのコードを噛み切るくせについては、来週風邪の治療が終わったら対策を練ることになり、それまではコード類のあるところに近づけないように、とのこと。でも難しい・・・ 留守中、オグリをほかの部屋に閉じ込めておくことも出来ないし、全部のコードをいちいち抜いて隠して行くのも不可能だし。 ところで本日は中2日おいてまたまた雪が降っている。朝10時には下の写真くらいにうっすら積もっており、カプジュのオスマンが買い物に行ってくれるからいいけど、まだ2~3日は降り続くとのことである。 30日朝10時の撮影。このあと雪は小止みなく続いた。 トルコ各地からも異常な積雪のニュースが伝わってくる。首都圏では内陸でもあり、アンカラはすっぽり雪と氷に閉ざされてしまっているらしい。 イスタンブールにしても交通マヒと事故の多発がニュースのトップである。私は足元がおぼつかないので出歩かないことにしている。 膝が痛くなければじゃんじゃん掃除をするんだけど。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月30日
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日本から有難い食材をいただくおかげでときにはこんな楽しみも。【1月29日・日曜日】 毎日正午(トルコ時間)になると、ロンドンのJSTVから、NHKの夜7時のニュースが送られてくる。 30分でニュースが終わるとそのあとは、日曜日を除き「きょうの料理」なのだが、冒頭の1~2分だけ見せて、あとはブチッと切れてしまう。 これはまあ、私が会員になって毎月視聴料を払えば24時間好きなだけ見られるのだが、それほどの暇もないし、日に何度かニュースを見せて貰えるだけでもありがたいので、長期に渡って非会員のままである。 敵もさる者、おっ、と目を引きつけられたところでブチッと切るので、ただ見の人でも何パーセントかは矢も盾もたまらず会員登録したことであろう。 さて、たまたま昨日、料理番組が始まったが、どうせ切れるので見てもいなかったら、男性アナの声で「それでは今日は○○先生に、かんぴょう巻きの美味しい作り方を・・・」というのが聞こえて、はっと目をテレビに移したとたん、切れてしまった。 かんぴょう巻き、干瓢巻き、カンピョウ巻き、その声が耳にエコーのように残ってしまい、街頭ルポの清書を終えて読みなおしをしている途中だというのに、ついつい席を立ってしまった。干瓢の入った海苔巻が食べたくてたまらなくなったからである。 パムッカレからAYAさんがトルコ語に磨きをかけるためにイスタンブールに来た時、3ヵ月も留守になるので家に置いておくより、加瀬さんに活用して貰おう、とお土産に持ってきてくれた袋いっぱいの和食材料の中にすしのこ、干瓢、スライス干し椎茸などがあったので、干瓢と椎茸を別々な器に水を張り、戻し始めた。 街頭ルポ関係の書類が完成したのでクライアントに送信し、関わってくれた人々に電話でお礼を言い、夕方まで別な作業に取り掛かった。 本当は掃除をしたいのだが、まだ右膝の周辺が痛んでおり、無理はしないことにした。 AYAさんは昼前から日本映画祭に出かけていて、4本全部を見てくる、と張り切っていたのでまだしばらく戻ってこないだろう。 夕方、内外の猫達の餌をやり終えて、2.5合の米を研いだ。太巻きにすると4本分くらいが出来るはず。 干瓢はだいぶ柔らかくなってきたので、椎茸、ニンジンなどとともに甘辛味で煮つけ、きゅうりをいたずりし、卵も焼いた。 煮ものを始めてから海苔巻を巻き終わって切るまで2時間くらいかかっているだろうか。何度かかけてみたが、AYAさんの電話はオープンになった気配がないので、諦めて自分だけ先に、海苔巻の端の切り落としで夕飯を済ませた。 そして今朝は日曜日でもあることだし、自分もかなりゆっくり起床し、風呂に入ってから10時過ぎにAYAさんに電話してみると、4本立ての映画の全部を見てきたとのこと。いや~、御苦労さん。「ブランチ、一緒にしませんか。もう準備は出来ているのですぐ来て貰っても大丈夫よ」「あら~、それは嬉しいわ。ではじきに伺います」 かくてAYAさんと一緒に食べた海苔巻の美味しかったこと。全部お膳立てを済ませた後、開かずの間から海苔巻を出してきて彼女の前に置くとAYAさんはびっくりした。 海苔巻の副菜には、肉団子、野沢菜の味噌汁、松前漬け、白菜の浅漬け、茹でたブロッコリーなど。飲み物はイチゴ味のスパークルワイン(朝から!)「うわ~、きれい。いつの間に拵えたんですか?」「夕べ作ったの。あなたに何度も電話したのよね。全然通じなくて、まあ、遅くなってしまったので今朝のブランチに回すことにしたんだけど」「あら~、それはすみませんでした~。何しろ後から後から4本見たので疲れ果ててしまいました~」 60年前の東映映画、3本立てとか4本立てもあったなあ。 彼女も子供の頃、海苔巻の作り方をお父さんに教わったのだそうだ。「なんでお父さん?」「いえ、普通の料理は母から教わったんですけどね、どういうわけか、海苔巻は父が私達姉妹に特訓して教えたんですよ。ですから姉妹全部が、ばっちり具が真ん中に収まるようになり、私達今でも海苔巻は得意なんです」 私も中華料理は父から教わった。私の父は若い頃北京で暮らしていたのである。終戦で引き揚げてきてから子連れの年上女と結婚して、その養女が私だ。 イスタンブールで出会った人々と、こうして自分の作った料理で交流を深めるというのも、なかなか風流な暮らし方である。 父にも、食材を送ってくれる友人達にも、お相伴を務めてくれる友人達にも感謝をこめていただく海苔巻。AYAさんも思いはおなじであったろう。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月29日
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【1月28日・土曜日】タマオ「アルスちゃん、ご機嫌斜めだね」アルス「そうでもないけど」オグリ「知ってるよ、あの子がいるからさ」 何だか、わが家の雰囲気がいつもと違います。キウイ 「じゃあ年功序列であたしが議長になってこれから会議を開きます。静粛に!」ミディエ「みんな、ちゃんと座りなさい! あたしは副議長なのよ」オグリ 「わかってるよ、賛成なら尻尾を挙げるんでしょ、こんな風にさ」アルス 「タンブル、あんた尻尾を上げちゃだめよ、絶対」タンブル「はいはい、お姉さま」シェビィ「弟を脅かしてるの? アルスったら」キウイ 「議題は、マヤを仲間に入れてやるかどうかです。賛成なら尻尾を挙げてください」マヤ「みんな、何をしているのかな」オグリ 「タマオ兄い、あんたも尻尾を挙げてやりなよ、マヤのためにさ」タマオ 「うむ、アルスちゃんの手前があるんだよ~」タンブル「僕は尻尾を上げなくても賛成だよ!」アルス 「なんだって、タンブル、あたしを裏切るのね! プンプン」シェビィ「もう、好きにしなよ」ミディエ「どっちなの~、みんな、はっきりしなさいよ」マヤ 「いいもん、あたし、自分で尻尾あげちゃうもんね、さんせ~い!」 なかなかしっかりしたマヤちゃんです。 キウイ姐さんの名議長ぶりで、なんとか会議はまとまったようで、マヤは正式にチュクルジュマ48番地の猫達の仲間入りを果たしたようですが・・・ madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月28日
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【1月27日・金曜日】 昨日、街頭ルポをしているうちにすっかり晴れたのは良かったが、夕方になると急に冷え込みが強くなって、出来あがったビデオテープのカセットを届けにタキシム広場に戻ってきた頃は、高い丘のてっぺんにある広場には、身を切るような寒風が吹き荒んでいた。 街頭ルポの間中あちこちと徒歩で移動しながら、立ちっきりで手伝ってくれた花江さんには、余り遅くならないうちに、ジハンギル・タクシーを呼び送り届けて貰った。 クライアントに送る34人分の各6項目の回答を、日本語で書きだしたものを清書しなくてはならないのだが、2日に渡って歩き回った私の右足は丸太のように太くなり、右膝の下のあたりが足を着くたびにずきずきと痛んで、ルポの最後の方はかなり辛い思いをしたので、仕事は明日やることにして、膏薬を2枚貼り付け、寝床に入った。 裏庭から見るタクタキ坂の雪景色 一夜明けてみると、お、お、お、雪がうっすらと積もっている。よかった~、仕事が昨日のうちで。でも、今日も外で働かなくてはならない大勢の人のことを考えたら、手放しで喜んでいてはいけないな。 風呂を立てて、いつもよりじっくりゆっくりと浸かった。右膝の下はむくんでいて痛むのでよく押圧マッサージもした。 携帯電話をどこかに置き忘れたので、固定電話で鳴らしてみよう、と受話器を取り上げたところ、うんともすんとも言わない。 しかたなく3つもある他の携帯電話で自分の電話を見つけ出した。家の電話にかけてみると、呼び出し音すらしないのだった。 ふと思いついて机の左下にある、いろいろなコードがとぐろを巻いているところを覗いてみると、電話線が何ヵ所も噛まれていて切断寸前になっていた。 しかも、その電話機とADSLのモデムを繋いでいるケーブルにも、ガブリと2つの噛み傷が・・・・ オグリや~~。 一刻も早く、昨日の仕事の回答を清書しなくてはいけないのに、こうやって次々障害が起きるのも猫がいっぱいいるせいだ。ち。コードを噛み切る癖のあるのはオグリのみ。対策を考えないといけないなあ。 今までにも、テレビのコード、CDプレイヤーのコード、衛星デコーダのコード、以前のパソコンのコード、電話のチャージのコード、洗濯バサミのループ、なんでもかんでも噛み切るので、私はマウスとデジカメのコードはいつも仕舞って出かけるのに、たまたまわすれてしまったわけである。 私はジハンギルの電気屋に電話してウスタに来て貰った。いい具合に古いモデムのスペアのコードがあったので、それで電話線も直して貰った。モデムのコードはガム・テープで補強した。 古い馴染みのウスタなので料金は20TLで、これは出張代だけしか取っていない。正直ないいウスタだ、と思った。でもそれだって、オグリが噛まなかったらシェビィとマヤの4日分の高級缶詰になったのに、も~う。 夕方までに終わらせるつもりだったのに、34人分の回答を清書するというのは、集中力の低下している私にとって簡単な仕事ではなかった。 マウスがご臨終を迎えてしまっては、ポインティング・デバイスを使うしかないのだが、このNECのパソコンのP.デバイスはどういうわけか反応が強すぎて、タイピングの最中に矢印があちこち飛び回る上、勝手に着地したところをクリックしてしまうので、画面をちゃんと見ていないととんでもないところに打ち込まれてしまったりするのである。 ネットを使っていると、一瞬にしてコマーシャル画面になってしまったり、タイピングしたものが瞬時に消えてしまったりで、たいそう苦労するのである。 そのうちに、マウスをひとつ購入しなくてはならない。 夕食は、昨日花江さんに振る舞ったのと同じ精進揚げメニューを用意した。AYAさんとおとといの水曜日はお茶飲みをしただけだったので、揚げものに招待したのである。 街頭ルポの回答はあと10人分くらい残っていたが、土曜日に続きをやれば間に合うので、ゆっくりと2日続きの野菜の揚げものを2人で味わった。 天つゆに、赤カブをすりおろしたのを入れると、大根おろしと同じ風味が出るので、AYAさんが早速応用しますわ、と喜んでくれた。 なす、キョイ・ビベル、マッシュルーム、にんじん、かき揚げ madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月27日
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【1月26日・木曜日】 10月半ばに3日間コーディネーターとしてとある番組の撮影に関わったが、その後に必要が生じたらしく、補足として「街頭ルポルタージュ」を頼まれた。 このところ朝7時半ごろ起床していたため、6時に目覚ましをかけておいたら、5時半頃には目が覚めたので、そのまま起きてしまった。 まだ外が見えないほど暗いのだが雨音だけは聞こえてくる。かなりの降りである。これで街頭ルポだって? 風呂に入ってしっかりと温まり、その間にご飯も炊きあがり、猫達にもたっぷりキャットフードを盛ってやり、自分もしっかり食事をして、花江さんに電話をかけた。 アシスタントをやってほしいと頼んだら快く引き受けてくれたので、スルタンアフメットの馴染みの店で待ち合わせすることにし、タイツを2枚重ねてはき、厚手のソックスもはいて、セーターの上には薄い毛糸のボレロも着て重装備、これで防寒対策はバッチリだ。 両足の膝にサポーターをつけて、膝の痛み対策も怠りなく家を出た。タクシーで現場に向かう間にも、東京からルポに関して注文が入り、途中ピックアップして隣に乗っている派遣カメラマンにも伝える。 店に着くと店主のイスメットさんがすぐにチャイを振る舞ってくれた。そこに花江さんも到着し、私は街頭ルポの質問条項をトルコ語に直して濡れないように用意したビニール袋に入れ、花江さんに掲げ持って貰うことにした。カメラマンともおよその進行計画を打ち合わせた。 男性20人、女性10人の計30人、保険としてあと数人に6項目の質問をし、その答えを即、日本語に翻訳して紙に書いておく、というのが私の任務。でも翻訳したものをかきとめておく、というのは現場通訳の仕事の範疇を超える労働である。 難しいので試しに、イスメットさんにやって貰い、カメラを回して質問の仕方をテストし、何とかいけそうなので、いよいよ私達は仕事に取り掛かった。 ありがたいことに、外に出てみると雨が小降りとなり、さらに昼近くなると雲の切れ間から日差しが漏れ、午後はすっかり天気が回復した。 放送前だから内容に関しては書けないが、夕方5時までにいろいろな人々の協力を得て目標の30人、そしてガランティとして4人の映像を貰い、外での任務は無事終了した。 エミニョニュのエジプシャン・バザールで最後のルポを終え、あちらこちらでチャイをご馳走になり、休憩させて貰い、人集めを協力して貰ったことに感謝して、タキシム広場に向かった。 エミニョニュ波止場で撮影中のカメラマン 撮影終了後、疲れた私達にチャイをふるまってくれたお店で ビデオカセットを姫子さんに届け、花江さんとともに帰宅して、猫の餌を配った後に精進揚げや松前漬け、サラダなど作って手伝ってくれた労をねぎらい、夕食を共にした。 やっぱりインタビューアーだけでは無理、手伝って貰って助かりました。 食後、ちょっとメールをチェックしておこうと、パソコンを開いてマウスを動かそうとしたら、なんの反応も示さないことに気がついた。 私がいない間に、マウスのコードをばらばらに噛み切ったヤツがいたのだった。 はいっ、逃げも隠れもいたしません、ソイツは僕です、シュン。わが家の諸悪の根源みたいなオグリ。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月26日
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【1月25日・水曜日】 26日は朝から晩まで外出することになるので、本日は家で遅れているメールの返事書きをし、昼からは掃除をして家をさっぱりとさせておこう、と思っていたら、月曜日にグランド・バザールで知り会った旅行中の紳士、二木さんから、ジハンギルの街を探索中とのことで1時過ぎに電話がかかってきた。「この街はすごく雰囲気いいですねえ」ジハンギルの交差点わきのパスターネ(ケーキ屋)で待っていてくれた二木さんは開口一番そう言った。「こんなところに住みたいもんです」 チャイを飲みながら私がこの街に住むことになったいきさつなど話した。今度春先に来るときのために、家賃相場や家の広さなどを知りたい二木さんに少し街を案内してあげることになって、いくつかの通りを歩いた。 不動産屋にも、私が住み始めた当時からの知り合いにも情報を提供して貰いながら、あちこち歩いた。私がもと住んでいた家の前も通り、昔馴染みの付近のアパルトマンのカプジュさん達が立ち話をしているところでも聞いてみた。 突然頭の中が16~7年前にさかのぼってしまった。 まだ足元のしっかりした50代前半の私は、このジハンギルの坂道を上ったり下ったり、とっとと足を運んでおり、太い紅白の綱の先に繋いだ元気なころのビクターが、前になり後ろになりしながらついて歩いている。 当時からすれば、ジハンギルは大きく変わったが、まだまだ懐かしい人々が大勢いるのだった。会えばみんな口々に娘のV子のことを尋ね、電話で話すときがあったらよろしく伝えてくれよな~、と言ってくれる。 ジハンギルはまさに私のまる17年のイスタンブール生活の原点である。 それに今までに、イスタンブールでロングステイを目指す人々に、一体何人、何十人の家探しを手伝ってあげてきたことだろう。 今回は下見に来ただけだが、二木さんは私の応援を喜び、明日の帰国に備えて、グランド・バザールの知り合いにも挨拶に行くので、と空が暗くならないうちに戻って行った。 こちらも猫達にご飯だ、ご飯だといいながら階段の脇の小さなスーパーで野菜を少し買い、家に戻るとちょうど郵便局の人が小包を届けにわが家を訪ねてきたところだった。 午後一度来てくれたらしいが、いなかったので最後にもう一度回ってくれたのだそうだ。 その小包は、アンタルヤのmihriさんの大学時代の同窓生、香織さんからだった。昨年の9月、香織さんに会うためにアンタルヤから日帰りでやってきたmihriさんのお誘いで、スルタンアフメットのキベレ・ホテルで夕食をいただいたときに紹介されて知り合ったのだった。 私がなんだかんだと和食を作り続けられるのは、こうして友人達がこまごましたものを送ってくれたり、トルコ旅行の時にお土産として運んでくれたりしてくれるおかげである。 それに香織さんも私のブログを愛読してくれていて、「ややっ、また猫が増えるらしい」とこっそり支援のお金を同封してくれた。 さまざまな日本の味が楽しめそう。猫にはまたたびのスティックもあるよ。 香織さん、本当にありがとうございます。マヤが増えたことでもあり、私も精一杯仕事をして猫達を守ってやりたいと思います。ご厚志は大切に使わせていただきます。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月25日
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【1月24日・火曜日】 今朝は早めに起きて白髪を染めた。昨日グランド・バザールで出会った茨城の草ケ谷智幸さんと美子さん夫妻にもう一度会うために、2人が宿泊しているホテルに行く約束をしていたのである。 2人が参加したツアーはイスタンブールとアナドル(アナトリア)を8日間で回る、いわばトルコ入門ともいうべきハイライトの駆け足旅行、35人というかなり大勢のグループだったようで、ベルカンさんという経験の深い知識豊富なガイドさんに率いられて、たいそう充実した日々を過ごしたそうだ。 イスタンブールの北部、この20年ばかりで急速に開発されたマスラック地区で、一番古くからあるシェラトン・ホテル(かつてはマイケル・ジャクソンも泊まったムーベンピック・ホテル)で最後の朝を迎えた夫妻から、自由時間は9時半から11時半までと知らせる電話が来た。私はちょっと遠いがタクシーを奮発、10時少し過ぎにはホテルに着いた。 昨日のグランド・バザール・フリータイムは1時間だったので、ただただ慌ただしく走るようにしていくつかの地区を回っただけ。 今日はホテルから出ずに、尽きぬ思い出話で時を過ごした。 間に21年の年月が横たわるとは思えないほど若々しい2人は、結婚式に出会った頃そのままの面影を宿していた。 草ケ谷智幸さんと美子さん夫妻。大学を卒業した息子さんがいる。智幸さんのカメラで撮影していただいたもの 11時半、とうとう出発の時刻が来てグループは集合、夫妻とは日本での再会を約束して、バスで最後にアヤ・ソフィア博物館見学に出発するのを見送り、私は最寄りのメトロのアヤズ・アー駅からレベント駅まで行き、オズギュル先生のクリニックに立ち寄った。 猫も連れずに先生に会いに来られるなどということは滅多にないので、オズギュル先生も大いに喜び、お昼に賄い食をご馳走になり、たまたま来合せた日本女性と四方山話をしながら過ごした。 彼女が日本に愛犬の黒いチワワを連れていくに当たって、マイクロチップを埋めに来たとのことだった。 そのチワワが私になついて、膝の上に頭と両前足を載せ、プルプルと震えながらも私の掌を舐めたり甘えて鼻面を持ち上げて私の顎に押しつけたりするしぐさが可愛かった。 元の飼い主にほったらかしにされておどおどしていたのを、彼女が見かねて引き取ったのだそうだ。 私はおとといの日曜日にアルズさんが「いま3ヵ所から飼ってもいい、という返事が来ています。近日中にどこかの家に引き取って貰えると思いますのでもう少し預かっていてください」と電話で言っていたのを思い出し、アルズさんは苦しい言い訳をしているのではないか、と考えた。 もし、マヤを引き取ってくれた人が、途中で飼うのに飽きたり疲れたりして、面倒をよく見てくれなかったり、こっそり街角に置き去りにでもしたら・・・とにわかに不安になった。 早い話が2007年秋から丸2年、私が面倒を見たヒマラヤンのアントンだ。珍しい種類だし、縫いぐるみのような子猫のときに買われて、飼い主も元気で可愛いうちはそばに置いていたはずなのに、怪我をして右の後ろ足が前方に向かって伸びたまま歩けなくなったのを捨てたので、さまよい歩いた末、大工のブラック・ウスタのアトリエの倉庫の奥深く潜んでいたのだった。 私も当時やっぱり数匹いた猫の世話で大変だったのだが、友人の懇願でオズギュル先生に手術をお願いし、自分で手術代も払い、手元に引き取った。 アントンはわが家で、コマちゃんという美人猫と夫婦のように仲良く暮らし、2009年の夏の終わり頃、推定10歳の生涯をとじた。 チワワの「クパ」といい、マヤ猫といい、責任を持って飼う人のそばでなければ! 私はここ幾日か考えていたマヤの里親になることをついに決心した。オズギュル先生と雑談している時に、私はそれを告げた。「加瀬ハヌム、それはありがとうございます。私も出来るだけ協力しますので」と先生は私の手の甲に唇をつけてはるか目上の人に対する挨拶をした。 マヤはすっかりわが家の子になり、いじめる先輩もいなくなりました。 そのときだった。灰色の猫をキャリーに入れたアルズさんが入ってきた。会社の近くに住むメスの野良猫で、眼やにと鼻水で顔が汚れていた。明らかに病気で入院することになった。 私はアルズさんにマヤは私が飼う、と告げた。するとアルズさんの顔には得も言われぬ喜色が浮かんだ。「マヤはだれにも渡さず、私が引き取るわ。ほしい、と言っている3軒のお家には、オズギュル先生のところで里親を探している猫達をお勧めしてあげて、ね?」 アルズさんもきっと私への言い訳から解放されて楽になるだろう。私は私で、私のところにいる限り、マヤに不幸な思いはさせないという確信があるだけにずっと安心だった。 草ケ谷夫妻はそろそろ空港入りしたかな、という時刻に私はオズギュル先生のところをお暇してバスに乗ったが、心が晴れ晴れし、いいことがありそうな予感がした。 バスの中で竹山姫子さんから電話がかかってきた。タキシム広場で下りてからかけ直してみると、こんな話だった。「加瀬さん、急な話で申し訳ないけど、この前10月にコーディネートしていただいた番組の続きで、あさって街頭インタビューを頼まれたんですけど、やっていただける?」 おお、おお。マヤは餌代を持参金にしてきたようなものだ~、引き取ることに決めた途端、臨時収入になるお話が・・・もちろん私はやらせて貰うことにして、今日はいい一日だった、と思いながら家路を急いだ。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月24日
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【1月23日・月曜日】 昨日の日曜日、年末から日本の両親のもとに帰っていた真菜さんが私を訪問、埼玉県の哲子さんから預かってきたみりん煎餅と、猫達への支援を届けに来てくれたのである。 正月に大好評だったすき焼きで歓迎ランチということにしていたのだが、頼まれごとで何本も電話が交錯し、彼女が来る2時間前から掃除機の長い柄を床に倒したまま電話にかかりきりでいた。 拭き掃除に移れないまま、とりあえず掃除機を分解して水洗いし(毎回これをやらなければならないのでおっくうになる。台所に立って野菜を刻み始めたら間もなく彼女が登場した。 「わあ~っ、すき焼きですかあ。嬉しい、今回はお雑煮とか食べてきましたが、すき焼きは食べる機会がなかったんですよね~」 切り揃えた前髪の上に、大きなりぼんをつけた真菜さんは、こけし人形のように可愛らしかったので記念撮影し、1ヵ月ぶりの再会を祝った。 真菜さんとすき焼き 楽しいひと時でした。 哲子さんのプレゼントのえび・いかみりん煎餅 このところイスタンブールでは週末ごとに停電しているが、食後楽しく玄米茶を飲んでいるときに、またもや突然電気がすうっと消えてしまった。 真菜さんがそれを機に立ち上がり帰って行ったが、猫の餌を煮ているうちに空がどんどん暗くなってくるので、早めに配り終わって部屋に戻ってくると6時少し前に光が戻ってきた。 夜は書かなければならない書類がいくつかあり、それを済ませて送信したら、最後に哲子さんへのお礼状をゆっくり書こうと思っていたのに、真夜中の1時過ぎ、再び真っ暗になってしまい、寝るしかなくなった。 本日は20年振り以上前の友人、草ケ谷美子さんが夫君の智幸さんと初のトルコ旅行でハイライトの各地を回って、ゆうべアンカラ・エキスプレスに乗り、今朝イスタンブールに到着する。 トプカプ宮殿博物館とブルーモスクを見学して、昼食後グランド・バザールに移動するとのことで、2時少し前、会いに行った。 2人の結婚式にも招待されて出席したのだが、どちらも童顔なので当時から20年以上も経ったとは思えないほど若々しく見えた。 美子さんが「弾丸ツアー」だと言ったが、本当にグランド・バザールでの自由時間はたった1時間、そのうちの30分で2人を案内し、残りの30分で買い物に付き合った。 明日24日に日本に帰る一行は35名編成のグループだそうで、経験豊かな感じのいい女性添乗員さんと、私がかせレストランをやっていた頃に知り合ったベテラン・ガイドのベルカンさんが、たいそう親切なので、安心できる旅行だったそうだ。 24日に午前中1時間半の自由時間があるので、草ケ谷夫妻を訪ねてホテルに行く約束をし、あわただしいグランド・バザール見学が終わって再びグループはバスに帰って行った。 私はそのあと、知り合いの女性から紹介された旅の紳士と出会い、2時間ほどイスタンブールについて話をし、7時過ぎに帰宅した。 草ケ谷夫妻からのお土産を開くとこれまた大好物のお煎餅各種。 けずり鰹節、お煎餅各種、そしてコロコロのスペア(猫を飼う人必須アイテム) 皆さん、本当にありがとうございます。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月23日
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【1月22日・日曜日】 お母さん、 あたし、マヤがいても平気。 マヤのお尻の怪我のあと、見たわ。 かわいそうね。 お母さん、 マヤを誰にもあげないでね。 妹だと思って可愛がるから。 約束するわ、 指きりげんまん、 あ、それ、出来ないから、 約束のしるしに舌を出すわ。 これ、アカンベーじゃないのよ、 あたしのお約束! 猫って、お約束のしるしに舌を出すの? うそ~。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月22日
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【1月21日・土曜日】 今日、トルコのテレビ・ニュースはこの話題で持ちきりだった。 ウシャック県で1週間前に貨物列車に投身自殺を図って重傷を負い、収容された国立病院で脳死が確認されたAhmet Kayaさん(アフメット・カヤ・39歳)の遺族が、臓器寄贈を決意した。 アンタルヤ県のAkdeniz(アクデニズ=地中海)大学医学部では、かねてから子供時代の火災で顔面を大きく損傷した患者と、やはり子供時代に事故で両腕と右足を失った患者がドナーを待っており、連絡を受けた執刀医師と特別チームが駆け付け、アフメットさんの心臓停止を待って手術に入り、顔面と両腕、片足の提供を受け、Sa?l?k bakanl???(サールック・バカンルーウ=保健省)の特別機で大学に持ち帰り、即刻移植手術に取り掛かった。 移植手術は成功裏に終わり、アクデニズ大学病院の医師団は記者会見に臨み、執刀医のProf. Dr.?mer ?zkan(オメル・オズカン)氏が、顔面と手足の移植を受けた2人の患者は順調に快復を待つことになるだろうと、そしてこれは48時間の手術を休みなく続けた全員のチームワークのお陰だと、極度の疲労もいとわず、僚友を讃える謙虚な態度で経過を語った。 記者会見でのオメル・オズカン教授 なお、アフメットさんの両眼はさらに、別な病院で角膜移植を待つ患者に提供されたという。顔と両眼と手足を提供したアフメットさんの遺体には人工の顔面や義眼、手足がつけられ、同日午後、告別式の後埋葬された。 アフメットさんの姉のFadime ?il(ファディメ・チル)さんは、「5年前、交通事故で重傷を負った私達の妹が輸血を受けられなかったため死亡しました。この時から私もアフメットも献血や臓器寄贈の考えを持つようになりました。不運な辛い人生を辿ったアフメットは笑ったことがなかったので、せめて他の人の役に立って彼の顔がほほ笑むのを見たいものです」と語った。 またアフメットさんの長女Leylaさんと夫G?kay Kahveciさんは、「父の命がだれかほかの人の命を救えたなら、これ以上の喜びはありません。自分達も臓器寄贈を考えています」と語った。 (以上、ニュースソースと写真はHurriyet新聞から) かつて、手塚治虫氏の漫画「ブラック・ジャック」で、医師ブラック・ジャックは自分の顔に自分で皮膚移植を施すという場面があったが、自分で手術するところが漫画らしくて荒唐無稽だが、いまは現実に皮膚だけではなく顔面移植が出来るのだと言うことに本当に驚かされる。 アクデニズ大学病院の外科チームは昨年、子宮の移植にも成功した実績があるだけに、手足の移植と顔の移植を受けた患者さん達が、拒絶反応で不具合になることなく、二十年あまり耐え忍んだ不自由や屈辱から解放されるように心から願わずにはいられない。 それにまた、ドナーのアフメットさんの遺族が、非常に冷静に臓器の提供を申し出たことは、人生がことごとく浮かばれないことに前途を悲観して身を投げたアフメットさんが、思いがけず死して幾人もの人を救うという形で、あの世への去り際に素晴らしい花道を歩むことが出来たわけで、遺族の決断に感動を覚える。 実は私も、結婚して間もなく、夫とともにアイ・バンクに登録したのだが、その後44年も経ってしまい、ましてやトルコにいるので、いずれこちらで改めて臓器寄贈の登録をしてもいいかもしれない、と考えている。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月21日
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【1月20日・金曜日】 おととしの秋、高齢のコンテスのために、今は亡き白猫ママさんが編んでくれたピンクのセーターを、マヤに着せてみた。 マヤの左側の腰と内股の部分は、手術のために毛が剃られてしまったので、まだ地肌がそっくりむき出しで寒々としている。 マヤによく似合うピンクのセーター。跳んだりはねたり元気な子 まだ生後5~6ヵ月で幼顔のマヤに、ピンクのセーターはよく似合ったが、残念ながら1時間もしないうちに台所に脱ぎ捨てられてあった。 だんだんわが家に慣れてきて、昼間はほとんどソファーの内側に隠れているが、朝夕の食事時と、夜になると出てきて1人遊びをしたり、私の腕の中でゴロゴロ喉を鳴らして抱っこしている。 早く里親が見つかればいいが、という思いと、私からこの子をもぎ取らないでよ、という思いが葛藤し、アルズさんの話ではもう下話は付いていて、里親になってもいい、と言う人が引越しを完了すれば引き取ると言っているそうだ。 日ごとに可愛くなっていくマヤを手放すのは辛いだろうな・・・ madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月20日
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【1月19日・木曜日】 17日・火曜日は、北キプロス共和国の創設者・初代大統領の熱血漢ラウフ・デンクタシュ氏の国葬だった。トルコからもギュル大統領や、エルドアン首相ほか閣僚達、野党の党首達、たくさんの国会議員などが参列した。 トルコはアナ・ワタン(母国)、北キプロスはヤウル・ワタン(児国) 非常に気さく、常に島民とともに歩んだと言われるデンクタシュ氏の一面を知るのに良いエピソードがある、とリポーターが語った中に、犬猫、小鳥が大好き、写真を撮るのが大好きで、自分でカメラを構えて住民を写すと、必ず住所・氏名を聞いて郵送してやっていた、という話があった。 なかなか出来ることではないなあ、とかつて一度だけ同じ飛行機で、首都レフコシャのエルジャン空港からイスタンブールに戻る時、アンカラに行くために乗り合わせたデンクタシュ大統領が、機内でどんなふうだったかを思い出していた。14~5年前の話である。 離陸して水平飛行に入った頃から、乗客の大半が、外国人のツーリストらしい人々も含めて、最前列にいるデンクタシュ氏に入れ替わり立ち替わり挨拶に行くのを見た。 私の隣の席の殿方2人も挨拶をしてきたようで、嬉しそうに戻ってきた。私も行けばよかったな(全然用はないけど)、とちょっと思ったりしたものだ。 ちょうど1年前の今頃、臨時の仕事でキプロスに行き、空港からレフコシャの街を抜けて北海岸のギルネに移動したのだが、イスタンブールからすると、ずっと広々としてまっ平らで人影の少ないレフコシャがいま、街中を埋めつくした住民達の見守る中、大砲の車に載せられた英雄のなきがらを運ぶ葬列は、国中の人々の悲しみの中を粛々とジャーミイ(モスク)から墓地のジュムヒュリエット公園にと移動してゆくのだった。 巨星墜ちて粛々と葬列は長く長く続く Allah rahmet eylesin. Nur i?inde yats?n.(アッラーのお恵がありますように。栄光の中でお眠りください。)写真はHurriyet新聞より 明くる18日は久々に海泡石の親方、シナンさんから電話が来たので会いに出かけた。ちょうど日本から古い友人が来るので、彼女が気にしている海泡石のペンダントトップを求めに行ったのである。 シナンさんの工房でジャガイモのトマト煮込みと、香草入りのピラフをご馳走になり、そのあと彼は私に製作過程で小さな傷の入ってしまった小箱を3つプレゼントしてくれた。私がキズものコレクションをもしているからである。 2時過ぎにアトリエの上に住む大家さんがカラキョイまで行く用事があるので送ってあげると言って顔を出した。 好意に甘えてカバタシュまで乗せて貰い、その先はトラムワイでグランド・バザールに行った。 友人のアクセサリー店で海泡石のペンダントトップの中心に濃い色をした小さなトルコ石を埋め込んで貰い、合わせて革の紐をつけて貰ったら、更にきれいなプレゼントになった。 花江さんとカリグラフィーの店で待ち合わせたら、昼間はかなり晴れていたのに、急に風花がちらつき、ほどなく本格的に雪となってしまった。 彼女は私が愛飲しているリモナータ(レモネード)1リットル瓶を重いのに3本も土産に買って提げていた。 トラムワイでトプハーネ駅まで来て、緩やかなボアズケセン通りを上る。幸い雪は止んでいたが、道は滑りやすくなっていた。 前夜、おでんを煮込んでおいたので、マヤ猫ちゃんを見ながら一緒に夕飯を食べた。 おでんはやっぱり日本人の味のふるさと。美味しかった~。 このおでんは、12月に堀先生からお土産に貰ったレトルト製品で、前回はAYAさんと一緒にそのまま温めてご馳走になったが、今回はシイタケや昆布、ジャガイモや大根などの野菜も加え、増量したのだった。「M?hte?em y?zy?l (壮麗なる世紀)」の連ドラを見ているうちに遅くなった。帰りに危ない目に遭うといけないので泊まって貰うことにした。 タンブルと遊ぶマヤちゃん、ソファーを広げ、寝床を作ったらオグリとタンブルが相撲を。 チェキヤット(ソファーベッド)を広げ、猫の毛を払って夜具を広げたら、さあ、猫達が喜ぶまいことか。たちまちオグリがやってきて、タンブルと相撲を取り始めた。 夜中に覗いてみたら、マヤも混じって猫達が4~5匹、花江さんの足元の布団の上に寝ていた。 花江さんとの朝食はひもかわうどん。前の日の朝のうちに、マイダノス(イタリアン・パセリ)や、キョイ・ビベル、ナスなどを揚げておいたのでそれを載せたら、おでんといい、うどんといい、イスタンブールでこういうものをご馳走になれるなんて、と感動してくれたので、こちらももてなし甲斐があるというもの。 このごろスーパーで売っている香港製うどんを使う。 19日はまた、5年前に自分が主宰する新聞社の前で、未成年者に暗殺されたアルメニア系の有名新聞記者Hrant Dink(フラント・ディンク)殺害の容疑者が釈放されたことで、市民の抗議デモがあり、シシリーからタキシム広場まで人波で埋めつくされた。 夕方からチェティンさんが「カーリエ博物館」について勉強に来たので、おでんの半分を温め、まずは腹ごしらえをしてから勉強に取り掛かった。 幸い私が、アヤ・ソフィア博物館とカーリエ博物館の日本語版案内書を持っていたので、それを読みながらチェティンさんにわかりやすいように説明すると、彼はアリの行列のような、体に似合わぬ細かい字で紙切れに書きつけてゆくのだった。 インシャーラー、1年後くらいには、観光名所をスラスラとなめらかな日本語で案内するチェティンさんが出現しますように。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月19日
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【1月18日・水曜日】 お母さん、 マヤのこと、 あたしより好きになったりしないよね。 ね、ね。 必死な目つきで私を見上げる可愛い乙女アルスちゃん madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月18日
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【1月17日・火曜日】 夕べはチェティンさんがグループを案内したあと、早めに仕事が終わったので勉強の続きをしにやってきた。 長いこと韓国のツーリスト・グループの付き添いガイドとして働いてきたので、日本語を忘れてしまう恐れがあると、いつも気にしていたのである。 トルコ語で話をした方が私にとっては簡単なのだが、そういうわけで出来るだけ日本語を使い、わからないところはトルコ語で説明する。 あいにく雨がちな日で、午後はみぞれになり、非常に寒かった。 私はチェティンさんの到着に合わせてご飯を炊き、五目ずしのもとでまぶし、マッシュルームやキュウリ・トマトとツナ缶でサラダを、ヒレカツを揚げて、トマトとキョイ・ビベルと卵の炒め物を拵えた。 急ごしらえにしてはきれいな色どりに出来上がった16日の夕飯 すると、いつも遠慮しているのか和食に興味がないのか、あまり食べないチェティンさんが、たちまち私が半分も食べないうちに平らげてしまった。 実は彼、この前のすき焼きが非常に気に入ったのだそうで、今度材料を自分で買ってくるからまたすき焼きやりましょう、と言った。 9時半頃彼が帰った後、テレビは消し、まだおびえているマヤを安心させるために膝に抱き、他の猫達ともコミュニケーションしつつ、1時間余り遊んでから寝た。 マヤは自分でチェキヤット(ソファーベッド)の内側に絶好の隠れ場所を見つけたのでそのままソファーの上に残した。 私の姿が消えたとなると、何匹かの猫がマヤを取り囲んだらしい気配がしたが、そのうちに静かになった。 急速に気温が下がって雪は解けずに残っていた。 今朝、目覚めてすぐにカーテンをめくってみると、東の空は晴れている様子、それでも道路のあちらこちらには、残り雪が白く見えていた。 私はまず、日本のさる番組製作プロのディレクターに電話をするために、携帯電話ではなく、先ごろ買った固定電話の受話器を取り上げた。 わが家でしばらく故障のために使えなかった家庭用電話は、今年の初めエミニョニュにカブロスズ(コードなし)のを買いに行ってみたら、な~んと50リラ(2千円)くらいから売っているのだった。 SIEMENSの超簡単な回線電話 どうして早く買わなかったのかしら。 私がトルコに来たばかりの1995年に買った電話機はファックスつきのPanasonicで、当然ながらどっしりとした本体にコードのついた受話器がついていた。 値段は480ドルくらいだったような記憶がある。しかも当時の480ドルは5万円以上。 とにかくドイツのメーカーSEAMENSの手軽なのを60リラで買って説明書を読みながら取り付けてみると、一昔前の携帯電話程度の大きさなのでちょっと信用できない感じ。 おまけに、故障してから小1年放っておいたので、トルコ・テレコムから毎月の請求書を開けても見ずにその辺に放り出しておいたのを見てみると、 毎月の基本料金だけでも60リラとか70リラで、使いもしなかった電話に対し、総計6~700リラ払っていたことになる。 あ~~~、忙しさにかまけて、銀行の残高だけは切らさないようにしていたが、一体何にいくら払っているのか見てもいなかった自分の迂闊さに呆れた。 それと、私が管理している携帯電話は4つもあるので、「いいのをひとつ持っていたほうがいいんじゃないの?」と心配してくれる友人もいる。 電話をものすごく使うのに、一番安い普及用の機種しかない。もっとも齧りかけのりんごの絵がついた電話など持った日には、使いこなせないけどね・・・ 毎日やたらに入ってくる宣伝メールを削除するだけでも一仕事 これらはそれぞれに思い出のある番号なので、娘が来て使う日を待っているものや、その番号を使っていた友人を思い出したりする、という点ではどれも大事なものなのである。 思い出したくない人もいるが、私が貸してあげていた番号だから仕方ない。 さて、猫のマヤはとりあえず私の家に来たのではあるが、大けがをした猫でもあり、これからの健康管理に一定の経費がかかることから、オズギュル先生はこれ以上私に負担が増えてはならない、もう十分にアルズさんに対して経済的にも精神的にも援助したのだから、彼女が里親を見つけたら心を鬼にしてマヤを渡しなさい、という意見である。 自分はちょっとセンチメンタルになっているのかもしれない、やることが山ほどあるのに、よりによって大怪我の猫を自分が引き取れば時間的、経済的な負担が必ずや自分の足を縛るのは火を見るよりも明らかだ。 オズギュル先生の方がその辺はやっぱりシビアに考えられるので、マヤはお客様として大切にしてやるだけでよい、とはっきり言う。私も何とかそういう風に考えるようにしないと・・・ 私の膝の上と懐を独占していたつもりのアルスが、マヤに対してものすごい嫉妬心を燃やし、おとといからひねくれている。 猫だと言うのに、わかるんだ~。びっくり。アルスや~、あの子はお前と同じで死にかけていたんだから、やさしくしてあげようねえ~。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月17日
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【1月16日・月曜日】 わが家で一晩過ごしたマヤは、15日の真夜中にトイレの砂箱に入り、大小の用を足して私を「アーフェリン(お利口さん)」と言わせた。 ところが今朝、餌用の缶詰棚の下の段にキリムの座布団を敷いて作ってやった寝床に姿が見当たらず、ありとあらゆるところを探しまわった。寝室には入れるわけもないので、とうとうチェキヤット(ソファー・ベッド)を持ち上げてみたら、その下にうずくまっていたのだった。 マヤがわが家に来た事情など知らないうちの7人の侍は、虎視耽々とこのよそ者の素性を洗おうと狙っている。 ああ、可哀想なマヤ。私は出来るだけ腕の中に抱きとり、マヤに7匹全部が敵に回っても、私と言う保護者がいることを覚え込ませた。 オグリの時もそうだったけど、いじける前にタンブルという絶好の遊び相手が出来て、また持ち前の大いたずらで食いしん坊という無神経キャラクターで仲間に溶け込んだ。 今のところ誰が一番マヤにとって手ごわい相手なのかわからないが、うちの猫達も早く仲良してやってほしい。 タンブル:可愛い子じゃん、オグリが遊んでやれば? シェビィ:新入りなのに僕と同じ缶詰、食べるの? オグリ :俺みたいに真っ白ならなあ、上品なのに。 アルス :私が一番可愛いメスだったのにどうしよう。 タマオ :いまでも一番可愛いよ、アルスちゃん! マヤ :いや~ん、なんだかみんながにらんでるぅ。 ミディエ:いまに脱走の仕方、教えてあげるからね! キウイ :アタシのお母さんのミーコちゃんはもっと美人だったわ、フンッ! madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月16日
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【1月16日・月曜日】 ミディエは外暮らしをしているとき、近所の人から「マスケリ(仮面をつけた・・・)」と呼ばれていました。 ミディエは可愛いけど、となりのバルーンみたいな私の顔がまずい。 そうそう、ちょっとオペラ座の怪人みたいな顔ですものね。でもよく見ると、とても可愛いし、やっぱりいとしの猫です。 ミディエは小さなか細い声で鳴きます。キウイとともに、一番態度のデカい2匹の猫がこんな声の持ち主だなんて、わからないものです。まるで生まれたての赤ちゃん猫のようですよ。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月16日
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【1月15日・日曜日】 雪の日の次の朝は、往々にして抜けるような青空になることも多いが、今日がまさにそれ。 わが家にたった一つ無事に花を咲かせている鉢植えはシクラメンで、あとは猫達に全滅させられてしまった。 上:チュクルジュマの青い空。 下:濃い赤紫のシクラメンの花 アルズさんに発見されてオズギュル先生のクリニックに持ち込まれたマヤ猫は、せっかく腰骨の砕けたのを治して貰っても、誰も引き取る人がいない。 かといって、この大手術を受けた小さな猫が、また道端で暮らせるようになるとは思えない。アルズさんにも先生にも頼まれ、とりあえず私が家に連れ帰った。 かわいそうに。せっかく全快したのに誰にも引き取って貰えないなんて。頼みの綱だったアイシェギュルさんも留学計画が確実になったのでは当分猫は飼えそうもないし。 マヤ猫引き取り記念日なので、大相撲初場所もようやく軌道に乗り出したことだし、AYAさんにも声をかけ、一緒に豚味噌エキスをたっぷり入れたちゃんこ鍋を味わった。(ただし、肉は牛肉) 鍋の中味は、ジャガイモ、玉ねぎ、ニンジン、マッシュルーム、キョイ・ビベル、ほうれん草、白菜、芽キャベツ、青ネギ、なにしろ野菜のオンパレード。 これがまた、自画自賛になるけど美味しいのなんの。 食後は昨日取り分けておいたお汁粉と玄米茶。AYAさんのクラスの人間模様を聞いて、94年のトルコ語教室の日々を思い出した。 あの頃はボスニア・ヘルツェゴビナから避難してきた人々がたくさんいたが、いまは北アフリカ系とか、アフガニスタンやカザフスタンの人々が多いらしい。 マヤ猫はやっぱり急激な環境変化に不安いっぱいで、何も食べない。シェビィと同じ缶詰で彼女用に作った餌は、その後オグリの腹の中に消えた。仕方なく私の机の下に座布団を置き、砂、水、缶詰肉をほかの猫とは別に用意した。 つぶらな瞳、額のくっきりしたところがアトムの娘、今は亡きインジ(ミディエと同腹、母ヨスン)と似ている。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月15日
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【1月14日・土曜日】 午後1時半過ぎ、ひゃ~っ、これから来客があると言うのにまたまた停電してしまった~。さすがイスタンブール!!! ところがこれが、いつもの地域的な停電ではなく、イスタンブールのヨーロッパ側、アジア側、ほぼ全域に渡る大停電で、メトロもトラムワイも全部停まってしまったのだそうだ。 お客は古い友達の小枝子さんだから、掃除が出来ないのはまあいいとして、うす暗いのでせっかくのお雑煮が引き立たないだろうなあ・・・ ぼやきながら下ごしらえをしていたら、携帯電話が鳴って小枝子さんが玄関に到着したと言う知らせである。 オートマ・ボタンで玄関を開けられないので、下まで迎えに行こうと廊下に出て懐中電灯で照らすと、「中から出る人がいたので入れたわ~」と言いながら彼女が階段を上ってくるところだった。 1年ぶりに出会うのだが挨拶はそこそこに、すぐに餅を焼き網に載せて焼き始めた。ひとみさんが来た時と同じ生のマッシュルームとツナ缶でサラダを作り、堀先生のお土産の昆布巻きがあったのを思い出したので、それも並べると小枝子さんは大感激である。「加瀬さ~ん、お雑煮なんか私、何年振りかしらぁ!」 上:小枝子さんは私より4ヵ月あとにイスタンブールに移住した。下:雑煮はカツオ出汁・昆布出汁の混合、昆布巻きがお正月らしく・・・ 用意しておいたビールで乾杯、昔話をしながら雑煮を食べていたら、大粒な牡丹雪が激しい勢いで降り出してきた。電気が消えたら雪が降ってきたなんて、踏んだり蹴ったり。カロリーフェルが稼働しないので、さしも温かかった部屋の中も次第に寒くなってきた。 牡丹雪が霏霏として降りつのるイスタンブール。 1時間半以上も経ってからやっと電気が戻ってきたが、今度はガスが出ないので、用意した汁粉が温められないのだった。 どんぶりや皿小鉢も冷たい水で洗わなくてはならなかった。それはいいとしても、チェティンさんが夕方来ることになっているのに、餅も焼けない、汁粉も冷たいままではひどいことになる。 カプジュのオスマンに電話して、何か情報はないかと聞いてみたら、もうじきガスも供給再開になるのでしばらく待つように、という。電気ポットでお湯を沸かし、フィルター・コーヒーを飲んで時間をつぶした。 やがてガスも戻ってきて、カロリーフェルが温まり出した。そうだ、そうだと思いだしてテレビをつけてみると、画面に映ったのは第2のタイタニック、とタイトルの付いた恐ろしい映像だった。 世界有数の巨大豪華客船、イタリアのコスタ・コンコルディア号がローマの近くで座礁し、大きく傾いている姿だった。 コスタの豪華客船はイスタンブールにも夏場にたくさんやってくるので、あるいは見たことのある船かもしれない、と思いつつ息をのんで刻々と傾いていく山のような船体の、録画映像をはらはらと眺めた。 座礁から24時間、完全に横倒しになってしまったコスタ・コンコルディア(H?rriyet紙) どうか、海に落ちて行方不明の人々も早く救助されますように。 そのうちにチェティンさんがケーキなどをお土産に現われて、数年ぶりに彼と再会した小枝子さんもこの対面に大喜び。 外猫の餌を配った後、お汁粉を温めてもう一度今度はレモネードで乾杯した。お汁粉大好きのトルコ人もいるが、チェティンさんはあまり好きでなかったようで、少し残してごめんなさい、と首をすくめた。 チェティンさんも加わってお汁粉タイム、そのあとティラミス。 お汁粉のあとは玄米茶でくつろいでいると、日本の哲子さんから電話がかかってきた。少し話をしてから11月に日本に行った際、哲子さんとも知り合ったチェティンさんに代わると、彼は目を輝かせて「わ~い、哲子さ~ん!」と子供のように嬉しそうな声を上げた。 積もることなく雪も止んで、2人が帰った後、私は台所を片付けてメールの返事書きをしたり、寝床に入ってからはイランの童話を読んだりして、電気を消したのはおそらく明け方4時頃だったろう。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月14日
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【1月12日・木曜日】 今日は午後早めに内外の猫に餌をやり、オズギュル先生のところに出かけた。5時過ぎだとイスタンブールの主要道路は車で溢れ、交通マヒで大変な中、タクシーでフンドゥクル駅まで行き、そこから先はバスでアク・メルケズ(ショッピング・センター)の前まで小一時間かかって到達した。 昼間、先生が勘違いして「マヤを早く連れて行ってください」と私に催促したので、私がいま引き取るわけにはいかないが、とりあえず見舞いに行ったのだった。 入院して1ヵ月半、狭い檻の中でマヤはいい加減ストレスが溜まっている様子で、待合室に連れだしたら、ここを先途とあちこち歩き回った。むっちりと太った可愛い顔のマヤちゃん、運命やいかに・・・ 先週アルズさんの持ち込んだ猫は幸い軽傷で、退院したらまた元の場所で暮らさせることが出来ると言うが、マヤは車輪に轢かれた様子で、骨盤がばらばらに折れてしまっていたのだそうだ。もう、とうてい野良猫暮らしは出来ないだろう。 大手術のために剃られた腰のあたりの毛がまだ生えていないので痛々しいが、頭と腰のまわりと尻尾が三毛猫だった。生後約半年くらいと思われる。 丸っこい体型の猫で、キウイの母、ミーコちゃん(2008・3・15没)によく似ていた。 帰りはカバタシュまでバスに乗り、その続きはタクシーに乗ったが、年若い運転手が話しかけてきて「何年トルコにいるの?」と聞いた。「3月の半ばが来ればまる17年よ」「えっ、17年もトルコにいるのに、トルコ語下手だねえ。本当だったら顔さえ見なけりゃトルコ人じゃないってことがわからないほどトルコ語がうまくて当たり前だろう。それでよく話が通じたなあ、いままで・・・」 おい、おい、お前さんは小学校から強制的にトルコ語習わせられたクチだからうまいだろうが、私は50過ぎてからトルコ語勉強したんだぞ。 そう言えば、去年とある人間が、「17年もトルコにいるのに全然お金も溜められないってどういうことや、おかしいのと違う?」と呆れ顔で私に言ったことがある。知らんがな。私はトルコに来て公務員で17年勤めていたわけじゃないんだから。 さて、リゼにいるアイシェギュルさんに電話してマヤを見てきた、と話したら、彼女はひどい風邪を引いて、日曜日には戻れず、あと1週間ぐらい帰るのを延ばすかもしれない、という。 それに家族とも会って、絵の勉強にフランスに留学する計画が本決まりになって、マヤはやっぱり2週間しか預かれない、と言うのだった。 オズギュル先生に電話してみると、「だったら加瀬ハヌム、一日も早くマヤを請出しに来てください。結局この猫はあなたにお願いするしかないかもしれません」という。 「えっ、先生。私まだ何とも言えません。アルズさんからはなんか、便りはないのですか」 「ありますとも。また連れてきましたよ、怪我猫を」 なんと、私が帰った後、アルズさんが駆け込み、今度は尻尾を怪我した猫を連れてきたのだそうだ。2週連続だよ~! この人は偉いと言うべきかどうか、私にはもうよくわからない。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月13日
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【1月12日・木曜日】 自分だけのときは、料理にお金はかけないが、手間だけはかけることもある。 最近の、食べ物いくつか。本当に何もなかった日。 キョイビベル、トマト、とろけるチーズ、あとは手作りの漬物。あ、わわわわ。オグリがガブリ! デジカメを構えて写した瞬間、油断も隙もありゃしない。 刻み葱の卵焼き、茹でた白菜とツナ、手作りの漬物。 白玉雑煮 雑煮が食べたいけど、来客のある土曜日まで我慢。いい具合に?賞味期限切れの白玉粉が見つかったので、これで代用する。 生家の雑煮は小松菜とサトイモ入りだった。サトイモが食べたいなあ。 野菜のごった煮・トマト味 鶏肉少々、残り野菜の全部を煮て、トマトで味付けこうなると和食とも言えないなあ・・・ こんな風に苦肉の策、みたいなときもあります。でも味は悪くないです、プロ。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月12日
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【1月11日・水曜日】 12月19日にコンヤから戻った日に私を訪問し、イランの有名な童話作家、Houshang Moradi Kermani(フーシャン・モラディ・ケルマーニ) 氏の作品の日本語訳をやってみませんか、と言った親友ひとみさんが、雨の中をまた訪ねてきてくれた。 なぜそういう話が持ち上がったかと言うと、ひとみさんの夫君がテヘラン出身のイラン人なので、ケルマーニ氏と知り合いなのである。 月曜日に、すき焼きパーティのために水フィルター掃除機でサロンの隅々までゴミを吸い取ったというのに、たった中1日でもう来客を迎える状態ではなくなってしまったので、彼女の到着寸前にまたまたうるさい掃除機を駆使してサロンをさっぱりさせた。 猫の砂箱を清掃しているところに約束の2時ちょうど、ひとみさんが到着した。本日のお昼は、おとといのすき焼きとは雲泥の差で一品料理の焼きうどん。 幸い、ビールが1本残っていたので、極小新年会ということにして乾杯した。 まる14年前からの気の置けない友達。この次はもうちょっと気合の入った食事を作るぞ! 食事のあと、ひとみさんの持参した2冊の本をいずれ読ませて貰うことにして預かった。私はトルコ語の本を落ち着いて読む習慣がなかったので、2003年にTVコーディネーター業を始めたとき、シシリー区役所のいろいろな施設の沿革を訳すのにちんぷんかんぷん、もう翻訳は生涯ごめんだ、と思ったものだ。 それがまた、どこをどうしたものか、メヴラーナについて書かれた本を訳すという、およそ器量不足な自分には荷の重い仕事を始めてしまって、いまさら引き返せないが、かといって目覚ましく進むこともなく、とろとろとやったりやらなかったりして、日にちばかりが過ぎていく。 夜、寝床に入ってからちょっと本を開いてみたら、文が平易なのですらすら読めて、20年以上前に見た、アッバス・キアロスタミ(イランの世界的に有名な映画監督)の映画を観ているような気になって、たちまち最初の短編を読んでしまった。 やらせて貰おう、と決めたのはいいが、何しろまだ残っているメヴラーナ本を何とかしなくては。そうするにはまず、生活を建て直さないと駄目なことに、やっと気がついた。今年は翻訳に専念するのだ、ともう少ししたら誓いをたてよう。 どうしてもう少ししたら、なのかというと、その前に頼まれていることがあまりに多すぎるのである。これらを何とかして解決してから誓いを立てる。(いつになるのか) ケルマーニ氏の作品はもちろんペルシャ語で書かれたものだが、私はそのトルコ語訳から日本語に直すことになる。ということは、メヴラーナの書いたものと同じだが、どんなふうになるのかは訳してからのお楽しみ、自分にもわからない。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月11日
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【1月10日・火曜日】 わが家の7匹の猫達はいろいろなところで寝ていますが、カロリーフェルの前にあるこのプフ(背もたれのない腰かけ)はどの猫も大好き。 その中で大型猫3匹についてリポートしました。 キウイ姐さん この特等席に一番似合うのはやっぱりこのアタシよ、キリッ。 ミディエ姐さん 誰が似合うか、なんて関係ないわ。気取るよりあったかいから好きなのよ、アタシ。 タマオ 一番あったまるコツ、知ってる? 足を全部中に入れちゃうんだよ。 姐御猫達のライバル意識など、どこ吹く風のタマオです。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月10日
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【1月9日・月曜日】 パムッカレの自分のホテルで夫君と正月を過ごしたAYAさん、やっとツアーの切れ目が出来た日本語ガイドのチェティンさん、アフターファイブ(トルコは6時までだけど)の京子さん、本日休暇日の美容師シナン君が今年のお客様。 AYAさんはパムッカレ産のロゼ・ワイン、チェティンさんはケーキ、京子さん達は果物とポテトチップ、それぞれにお土産を持って集合、たちまち賑やかな雰囲気となった。 2012年の新年会はすき焼きパーティということでみなさん興奮気味。ちょっと遅くなったが、元旦からまだ9日しか経ってないから新年会と呼んでもいいだろう。 食卓の上せましと並んだのは、牛肉ボンフィレ・脂身ともに750g、春雨、高野豆腐、プラサ(太ねぎ)、白菜、ニンジン、マッシュルーム、ほうれん草・・・ 最初はビールで乾杯、アルコールと無縁のチェティンさんと京子さんは市販のイエシル・チャイ(グリーン・ティー)で。 いよいよ着席、乾杯の後、鍋にヘットを投入、担当はチェティンさん 昨年暮れ、日本に行ってお箸の持ち方も習得したチェティンさん 先輩方にお鍋の管理は譲って、謙虚に待っている2人 自動シャッターで全員の記念写真 嬉しそうな笑顔で 野菜もたっぷり煮えてきた。やっぱりお鍋係は迅速さが必要なので交代 チェティンさんがっかり、箸の使い方じゃあAYAさんにはかなわないなあ。 チェティンさんが撮影するとジミージップ(撮影用クレーン)で撮ったみたい 割り下をたっぷり作っておいたのが正解、あとあと肉と野菜を補給しながら、もぐもぐ食べてお喋りも弾み、まさに新年会にふさわしい景気のいいひとときとなった。 楽しい時間はたちまちすぎるもので、チェティンさんはウスキュダルに、京子さん達はアリベイキョイにと、それぞれ帰る先が遠いので9時半で散会、眼と鼻の先のAYAさんだけが残ってさらに11時過ぎまで話が弾み、今年の新年会は大成功だった。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月09日
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【1月8日・日曜日】 うちの7匹のうち最も年長のキウイ(2007・07・03生まれ4歳半)と、ミディエ(2008・02・22生まれ4歳)。 よくよく気が合わないのか、喧嘩ばかり。今日も日曜だと言うのに、朝からすさまじいい叫び声に思わず寝室から飛び出すと、やってる、やってる、猫パンチの繰り出し合い。 互いに敵愾心旺盛で、外暮らしも経験していることから家の中に閉じ込められていることに不満がいっぱいに違いない。寝ていればおとなしいのだが、たまにはこんな光景も見られる。 キウイ :や~い、悔しかったらここまでおいで!ミディエ:ムカ~ッ ミディエ:ふん、年は上でも頭が空っぽなんだから・・・キウイ :なに、なんだって、聞こえないよう! 嫌いあっているのにそばにいるから喧嘩になるのだろう。いい加減に敵対視するのはやめてね。一つ家に住んでいるのだから、ねえ。madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) <b>「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月08日
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【1月7日・土曜日】 昨日、オズギュル先生のクリニックからの帰り道は、バスでカバタシュまで来て、スルタンアフメットに帰る花江さんはトラムワイに、私は地下に下りてフィニキュレル(登攀電車)に乗り、タキシム広場に出た。 スラセルビレル通りを下りながら、途中のスーパーで少し買い物をし、ジハンギル交差点の角を右に曲がると、何軒かろうそくをともしている店があった。明かりのともっている店からは、ジェネレーターの音がやかましく聞こえている。 ジハンギルからチュクルジュマに下りる階段の上から見ると、な~んと、わが家の近所一帯が停電していて、真っ暗だった。途中でチュクルジュマ・ジャーミイのイマム(僧侶)と出会ったので聞くと、昼から停電していて、6時頃には復旧する予定とのこと。 アパルトマンの玄関のカギを開け、もちろんアサンソール(エレベータ)は動かないので、携帯電話の先端にあるランプを灯し、慎重に手すりにつかまりながら4階まで上った。 懐中電灯をともして台所でマカロニを茹で、外猫の餌を配り終わって再び真っ暗な家に戻り、蝋燭を灯そうか、と準備していたら6時35分、光が戻ってきた。ところが、台所で煮ものを仕掛けたのにガスの火が止まってしまっている。 昼間からの停電で家の中はそろそろ冷え出している。カロリーフェルが稼働しているわけもない。私はこのままだと風呂にも入れないし、夜中に寒くて眠れなくなるだろうし、故障がわが家のコンビ・マキネシ(天然ガス対応の瞬間湯沸かし器)だけなのか、心配になった。 カプジュのオスマンに電話して見に来て貰ったら、近所で電気の工事をした電力会社の工事人が、ガス栓のもとも止めてあったというのがわかった。 すぐにガス会社に電話すると、ほどなくチュクルジュマ地区のガスも復旧するとのことで事なきを得た。 1500万都市、とは言っても、停電の多いメガロポリスだねえ・・・ブツブツ) チュクルジュマ温泉も、停電やガスの供給停止などがあると、思うように入れなくなるのが不安材料であるが、今年に入ってからもありがたいことにほぼ毎朝、時には入浴剤のおかげで彩り豊かな温泉気分が味わえる。 どうぞ今後ともチュクルジュマ温泉が続けられますように。 ピンク色をした入浴剤とアルス猫 空色の入浴剤と、タンブル猫 ハーブティの使い残りと、タマオ猫 このほかの朝は、透明なお風呂に入っている。 イスタンブールはまだ本格的な雪の気配はないが、北や東の方からは大雪の便りも。 トルコは広いがわが家は狭い。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月07日
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【1月6日・金曜日】 前日の5日は溜まってしまっていたメールの返事書きや、なかなか更新できなかったブログを書いたりしているうちに、昼間だと言うのにひどく眠くなり、体調が悪いことが分かった。 寝床に横になって1時間半くらいうとうとしていたら、目覚めたとき布団がベッドの下にずり落ち、喉がガラガラになっていた。 本日、6日の朝メールを開いてみると、エイジャ編集長の小野さんからのメールで、「コーディネーター・フィーとお立て替えいただいた金額を振り込みました、年末年始のお忙しい中を本当にありがとうございました」と丁寧に書いてあった。 しかも3日の昼近くにPTTに委ねた郵便物は速達としてもう5日のうちに配達されたとのこと、小野さんもびっくりしたらしい。 無事に、しかも早々と着いてよかった~と一安心。シルケジ駅に用事があったので花江さんと出会い、駅前のガランティ銀行でドル口座から換金してトルコリラ口座に移して貰ったあと食事をし、午後はオズギュル先生のクリニックに向かった。花江さんも予定がないのでお付き合いします、とついてきてくれた。 マヤは全身が白く、耳と頭上にちょっとだけ帽子を被ったように三毛猫風な毛色のアクセントがあり、なかなかの器量よし。 開業以来もうじき丸2年、すっかり地域に定着したクリニックはまずまず繁盛しているのだが、やはり個人経営なので先生も際限なく野良猫の面倒は見られないのだった。 アルズさんの動物愛護精神にはオズギュル先生も感じ入っているが、さりとて彼女があとあと持ち込んでくる怪我猫の数の多さに辟易しているのも事実だった。 ちょうど患者が一区切りついたところで、先生は助手達にチャイを淹れさせ、花江さんと私に振る舞ってくれた。 やがて話がマヤに及ぶと先生は、「お宅では、元気な猫が走り回っているのでマヤをお願いできません。マヤはジャックと同じくらいの重症だったのです。完全に回復するまでは静かな環境で過ごさせたいのです」と言った。そして付け加えた。「というふうに、アルズさんに言いますよ。彼女はもう、加瀬ハヌムだけが頼りですから、ぜひにと頼むでしょうが、加瀬ハヌム、あなたもこれ以上猫で苦労してはいけません」 私はふと、しばらく連絡を取り合っていなかった友人の画家、アイシェギュルさんに電話をしてみた。「メルハバーッ、カセーッ、どうしてる?」 鼓膜が破れるかと思うような威勢のいい声が響き渡った。待合室にいた先生や助手達もその声にびっくり、笑い出したほど。 アイシェギュルさんの白猫マヤについて聞くと彼女は急に悲しげな声になった。「カセー、あの子はカユップ(行方不明)なの。きれいだから誰かに持って行かれてしまったのよ~」「本当? ゲチミッシュ・オルスン。アイシェギュルさん、実はねえ、ひとつ助けてやってほしい子がいるの」 私は耳と頭だけが三毛のマヤについて説明し、アルズさんが里親探しをする間、2週間ほど預かってやってほしい、と頼んでみた。 すると、「いいわよ、カセ。でも明日の晩からリゼ(お茶の葉で有名な黒海沿岸の町、彼女の両親がいる)に行くの。15日に帰るわ。そのあとで良ければ」とあっさりと承知してくれたのだった。 1週間分の入院費として私はいくら払えばいいのか先生に尋ねた。「加瀬ハヌム、入院費は引き続き私どもから、ということで払わなくて結構です。もし、少し出していただけるなら、アルズさんのボルチ(借金)を減らしてやっていただけませんか。彼女を少しでも楽にしてやりたいのです」 かくて、私は100リラをアルズさんのために払い、アイシェギュルさんがマヤ猫を預かってくれる時の餌代に50リラを先生に渡し、帰る準備を始めたらもう1杯、チャイを淹れてくれたのでまた腰を下ろした。 するとそのうち、先生の電話が鳴った。猫が怪我をしているから連れて行く、と相手は言っているらしい。「やあ、連れてくるのはいいですが、どんな怪我なんですか?」と先生。「ふうむ、手術が必要かどうか、診てみないと何とも言えませんよ。いいです、診てみましょう。いつ連れてくるんですか。会社の帰り、ああ、6時頃ですね。待っています」 電話を切った先生はちょっと額に縦じわを寄せてため息をついた。 電話の主はまたアルズさんだったのだ。 病気はすっかり治り、温かなカロリフェルの上で悠々昼寝するシェビィ madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月06日
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【1月5日・木曜日】 トルコは年始休みと言うのは元旦だけで、2日からどこでも営業する。私は昼前に「アナトリア文明博物館」の写真をメールで送信しようと、あの手この手を試してみたが、どうしてもエラーと出たり、送信出来たっ、と思っていると5秒もしないうちに戻されてきてしまう。 今年初めの来客は2日のお昼に訪問してくれた花江さんで、彼女と雑煮で新年を祝った。3時過ぎには町の写真屋まで、デジカメからCDに焼きつけて貰いに行った。 関東風な濃い汁で作った雑煮 いかめしは堀先生のお土産 次に文房具屋に行き、ケース入りCD2枚と領収書類を入れるA5判くらいのクッション付き封筒を買い、そのあと銀行に行き、東京から振り込まれたTV番組のコーディネーター・フィーと立て替え金を確認した。 3日の朝はよい天気だったので洗濯をしてから家を出た。DHLという国際カーゴにまず行って、封筒の送料と幾日で着くかを調べて貰った。 送料 200TL(約8,136円) 日数 7日の土曜日着 私は「すみません、PTTにも尋ねてみますから」と断りを言ってタキシム広場の中心部にあるトルコ郵便局PTTに行ってみた。 送料 55TL(約2,245円) 日数 土曜日か遅くとも月曜日 PTTが断然いいわ、と即決、封筒を郵便局の窓口に委ねた。(3日の昼少し前に出したこの郵便は、なんと5日のうちに、東京の編集部に届いたという。 やるなあ、トルコ郵便局!!!!) そのあと、私は郵便局の窓口が空いていたので、埼玉のかゆすさんこと冨岡伊久子さんに託されたワンのフィクレットさん一家への支援金を、為替で送るのにちょうどいいと思い、大急ぎで大通りを渡り、銀行からトルコリラを下ろしてまた郵便局まで戻った。 手続きを終わってフィクレットさんに電話すると、彼は地中海沿いのリゾート地、アンタルヤで仕事探しをしているとのことだった。 ワンの中心部で大きな靴の店を3つも構えて羽振りの良かったフィクレットさんは、いまさらその辺の工場や店に雇われて働くとは思えないので、前途は厳しいのだった。 今年に入ってからも、マニサの両親の家に身を寄せている妻のデルヤには、2~3度電話をして元気づけているが、2008年に入居したマンションは完全に取り壊しの対象で、新しく建て直すために住民達に負担金が割り当てられたという。「それが払えるくらいなら苦労はないけど、住民のほとんどが前の月賦も残っているし」とデルヤは悲観的に言った。 郵便局から出たあと、カメラマンのメフメット・カラカヤさんとの約束があり、ウムット・オジャックバシュで一緒に昼を食べた。 その後ガラタサライのカフェでお茶をしてバルック・パザールの地下のヤシャル印刷所に一緒に行った。 すると、副社長のアリさんとカラカヤさんがすっかり意気投合して、これからはヤシャル印刷所を利用する、と言い出した。 彼の友人達にはもの書きなどが多いので、印刷の仕事が結構出るらしい。暗くなる前にカラカヤさんと別れ、家に戻った。 4日は竹山姫子さんを家に招いてお昼に雑煮をすることにしていたのだが、とあるプロジェクトを企画しているアフメット・オズカン氏の要請で、お昼にうどんやレストランで出会うことになり、私は餅と海苔は土産に持ってうどんやに向かった。「こういうお話で相談なさるのにふさわしい頼もしい方がいるので、後日その方にご紹介しましょうね」と私達2人がアフメット氏に言って、いざ食事が始まったところに、背広姿のビジネスマンが入ってきた。 うどんやさんで。左から私、姫子さん、アフメット氏、森脇氏 世の中にはびっくりするような偶然がままあるものである。 4日の夜、Facebookで森脇義則氏がその時の写真を掲載してくれたので、このブログでは二番煎じになるが、自分のデジカメで店員さんに撮って貰った写真をご紹介したい。 総領事館で用事を済ませた森脇氏は、近くの別な日本料理店に車を向けたが、なぜか気が変わって「うどんやへ」と運転手さんに告げ、東側にあるホテルの入り口からまっすぐに入ってきたら、私達がいた、というのである。「おばさん2人が念力で呼び寄せてしまったのかもね」と私が言うと、「おそらくそうでしょう」と森脇氏も調子を合わせた。 その日は顔合わせ、ということでまだ実質的な話題に入らなかったが、いずれ日本語教師として長い経験を持つ若葉先生にもアフメット氏をお引き合わせしたい、と言うことになって散会した。 そのあと私は姫子さんにお茶とケーキをご馳走になり、小一時間お喋りした後別れ、私はちと気の重い用事でイスティクラール通りにある携帯電話会社、Turkcell(トゥルクセル)の総代理店に足を向けた。 去年の夏場に、とある人間がインターネット接続機器「VINN」の最後の使用料が未払いのまま残して行き、機器の名義人の私に督促状が来てしまったのである。 自分が使ったならばともかく、そして普通の友達だったらともかく、さんざん私の世話になって置きながら、罵詈雑言を投げつけて帰国していった非常識な人間の借金をどうして私が払わなくてはいけないのか腹立たしい限りだが、まあ貸した自分が悪いのだから仕方ない。 督促状を最後まで読まずに、とにかくすでに弁護士が立てられているようで、これを払わずにいると本当に裁判所に呼び出されてしまうことになるかもしれない、と私はあたふたと総代理店に飛び込んだ。 Turkcellの総代理店で、督促状の172リラを払うつもりでいたら、9日の支払期限前に払いに来たので罰金は取られず、72リラだけ払えばよいと言われた。ああ、100リラ助かった~。 しかも、年末ジャンボにあたるユルバシュ・ミッリピヤンゴ(宝くじ)で、下3ケタ的中の100リラが当っていた。2分の1の券なので、50リラ払い戻してくれるはず。 Turkcellの帰りにピヤンゴの街頭販売所で50リラを貰ってみると、なんだか厄払いが出来たような気がしてほっとした。 少額でもピヤンゴが当った話を友達にしようと携帯を取り出してみると、気付かなかったが着信履歴に猫友達のアルズさんの名前があったので、家に帰ったあと、こちらからかけてみた。「加瀬ハヌム、お願いがあるんです。私がレオの前にオズギュル先生のところで手術して貰った猫、お宅でしばらく面倒を見て貰えないでしょうか。マヤと言う名前のメス猫なんですが・・・」「知ってますよ、マヤはもう退院できるんですか?」「ええ、とっくに退院してもいい状況になっているんですけど、里親が見つからないんであなたにお願いできないかと思って・・・」 私はいまの7匹でも手を焼いているというのに、これ以上は増やせないと思った。マヤは車に轢かれたらしく、腰骨や大腿骨、後足が複雑骨折でオズギュル先生がやっと手術で助けたのだそうだ。 愛しのジャックがそうだった。気持ちの上では面倒を見てやりたいのは山々だが、うちのオグリやタンブルなど威勢のいいのが、ふざけてからんで行ったりすれば、マヤにとって危険なことは火を見るよりも明らかだった。「実はまだ私がその猫の手術代も払い切れずにいるので、オズギュル先生も困っているんですよ。あとあと病気の猫が来るので、マヤが感染症になると困る、と口実を作って退院させたがっているんです。でも、もう野良猫の暮らしはさせられません。加瀬ハヌム、どうかお願いします。その間に私が里親を探しますから・・・」 アルズさんのあと、私はオズギュル先生に電話でマヤの様子を聞いてみた。「先生、アルズさんから頼まれたのですが、うちにマヤを引き取るのは無理です。この先しばらくの間、入院費を私が出しますから、もう少しおいてやっていただけませんか」「加瀬ハヌム、うちで預かりますが一度来てください。相談しましょう」 私は電話を切ってからマヤ猫の今後についてしみじみ考えてしまった。 接続機器の罰金が助かって100リラ、ピヤンゴが当って50リラ、これで10日分の入院費が賄える。その間にアルズさんが里親を探す。とりあえずそういう図式が思い浮かんだ。 しかし、入ればすぐに出ていく私の財布。ピヤンゴがせめて1,000リラくらいあたっていたらよかったのに。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月05日
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【1月4日・水曜日】 コンヤから家に戻ったのは30日の夜かれこれ11時になろうとする頃。シャトルバスでタキシム広場まで来て、その先はタクシーで家まで。 アパルトマンの玄関に降り立つと、坂の上の方のAYAさんの部屋の灯りが見えた。彼女は次の日早朝、パムッカレの夫君のもとに帰るので会えないが、電話で猫を見て貰った礼を述べ、新年の再会を約束して、ビルの中に入った。 猫達はドアの前に集まっていた。私を見ると欣喜雀躍と言う感じで飛び回る。1匹ずつ頭を撫でてやりながら名前を呼ぶと、鼻の頭を掌にこすりつけながらジャンプする子もいる。パソコンを開けて、撮ってきたアナトリア文明博物館の写真をいち早くデジカメから移した。 大晦日、さすがに疲れて早く起きられなかったので、9時過ぎにゆっくり寝床を出て、風呂に入ってから例のTV番組製作プロダクションのADさんに電話してみた。「あ、あれは29日の朝一番で振り込んでありますよ。すいません、うちの対応が後手後手になって加瀬さんにご迷惑をおかけしましたが、銀行が開いたら確認してください」「そうですか、ありがとうございます。それなら安心です、助かりました。それではあなたもいいお年をお迎えくださいね」「ええ、ありがとうございます。こちらこそまたよろしくお願いします」 ああ、何という気持のよい会話と挨拶が出来たのだろう。疑心暗鬼になって、踏み倒されたらどうしよう、とまで思い、書かなくてもいいことまでブログに書いて出発したアンカラ行きだったのに、相手を信じて待つことにした後は心に安寧が・・・ しかし、人間国宝の心のこもった帽子を被り、少しやさしい気持ちになったら、行く先々で良くして貰い仕事もうまく行ったし、コンヤにも移動して念願のメヴラーナ廟に参拝出来たし、乗り遅れるはずだった飛行機まで間に合って、あとはいいことばかり。 元旦には娘や息子と電話で新年のお祝いをし、父親とも電話で話をした。 今年5月末で88歳の米寿を迎える父は、去年の秋、腸や内臓に癌が見つかり、大手術をしたのだという。今はもう会長職にある会社にも顔を出さず自宅で静養しているのだそうだ。 私はかつてキュタヒヤ最大のタイル工房から買った石英80パーセント、30センチ角の大きなカロというタイルを、上等な額に嵌め込んで貰い、父へのお祝いに用意してあったので、今年はぜひとも日本に行きたいと思った。 オスマン朝時代のモチーフで、森の中に優雅な鹿のいる絵柄が、心に染み入るように美しいものだった。「タイルだって?」と父。「うん、お父さん、風呂屋のタイルを想像しちゃ駄目だよ、手描きの芸術品なの。宮殿とかモスクの壁に飾られているのと同じ品だからね」「ああ、そうかい? 悪いな、そんな金を使わなければいいのに。お前が元気でやっているだけでも十分だよ」 日本に行くにはキャンペーンの安いチケットが出ることもあるし、もともと安いエア・ラインもある。問題は猫の面倒を見てくれる人がいるかどうかだ。 その日(元旦)の夕方、京子さんと新年のあいさつをしていて、父親が今年米寿を迎えるので日本に行かれたらいいのだが、と話をすると、「加瀬さん、私が泊まり込みで猫ちゃん達を見てますよ。うちのミャーコちゃんも一緒に泊まらせて貰いますけど。ちゃんとバクム(ケア)もしているので心配いりません。ぜひ行ってあげてください、お父さんの所へ」「ええーっ、本当? だったら私、チケットを手に入れるわ、何としても!」 すごい、すごい。求めよ、さらば与えられん! 京子さんが頼まないうちから私の気持ちを察して、猫の面倒を見てくれることになったので、彼女に心から感謝し、私は3月の下旬を目指して5年ぶりに日本に行こうと決意を固めた。 ナニナニ、ってことは、またアタシを留守番隊長にして出かけるわけね。いいわ、任せておいて! と、頼もしいミディエ姐さん madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月04日
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【1月3日・火曜日】12月30日朝 メフタップさん宅で未明に目覚めた。東を向いた大きな窓から星がいくつか見えている。前の日にアナトリア文明博物館の、一段一段が25センチくらいある高い階段を上ったり下りたり何度も往復したので、さすがに膝とふくらはぎが痛い。 昨年4月末にトルコ旅行に来た女医の星世さんに貰った膏薬も入っていたので、左膝と左右のふくらはぎに貼り付けた。 それから最近あまりやったことのないエクササイズに励んだ。痛くなければやらない、という最も悪いリハビリ患者だ。8時30分 メフタップさん、ムスタファ氏、近所に住む次女のヤズグとその息子9歳のエルデニズ、そして私の5人で賑やかな朝食となった。 朝食後、ムスタファさんは夕べ泊まって今朝家に帰る娘と孫を送って家を出た。10時15分 タクシーでコンヤのいわば旧市街と言えるメヴラーナ大通りにあるカラヴァン・キリム問屋に向かう。 社長のアスムさんは私の帽子を一目見て「メフメット・ウスタの帽子かね?」と聞いた。やがてユジェル君も来たので、しばらく社長達と歓談し、もう1軒の知り合いの絨毯屋イペッキ・ヨルにも顔を出した。11時15分 メヴラーナ博物館は12月17日までの混雑が嘘のように空いていた。以前所狭しと並んでいた展示品ケースは、大部分が中庭を隔てた旧僧坊に移されたので、館内は広々と見えた。 12時になるとユジェル君が金曜ナマズ(礼拝)に行くのでしばらく1人で庭園の一隅にあるミュージアム・ショップで過ごした。 快晴、とまではいかないが、暖かだったコンヤの1日庭園側から見たメヴラーナ博物館の美しい緑のドーム かつて、歴史と自然と冒険雑誌「アトラス」に連載された「Mevlana yolu」が一冊のダイジェスト版になって売られていたので迷わず買った。午後1時 お祈りを終えて出てきたユジェル君のオフィスに寄って「メヴラーナ本」の日本語版を10冊ばかり貰い、そのあと少し歩いて、メヴラーナ大通りの真ん中あたりにある横道を曲がり、一軒のハン(商館)に入った。 2004年に知り合ったヌレッティン先生の遠縁の女性シェンギュルさんの洋装店がある。そこで恵さんと待ち合わせしたのだ。シェンギュルさんは幼少時から左右の足の長さが違うので、歩くときに体がいちいちひどく傾いて苦労していたのだが、堀先生の3回にわたる治療で、短かった足が伸びて、今はほとんど普通に歩いている。 引きつっていた筋肉を鍼と灸でじっくりとほぐし、腰骨の高さが揃ったことで、5センチ余りの差が減って、外科的な手術もなしに普通に歩けるようになったのであり、シェンギュルさんにとっては奇跡のような出来事だったのである。2時 チャルシュと呼ばれる商店街の一角に、コンヤ・エトゥリ・エクメッキが最高に美味しいババジャンという店を訪ねて行った。 2004年にヌ先生に連れられてきて以来病みつきになって、何度も何度も訪れた私は顔なじみだったが、1年以上御無沙汰していたので「どうしたのかと思った」と言われてしまった。3時 ユジェル君は夕方から幾人かの生徒に日本語を教えているので、準備のため帰宅し、恵さんとガランティ銀行に寄ったら大混雑、年末最後の営業日だから仕方ない。店を出て近くのアヌ・ホテルに向かった。 コンヤの勝新、ベキルさんは2人の訪問を喜び、機嫌良くカッパドキアで建築中の洞窟ホテルの写真を見せてくれたり、この次は自分の家に泊れ、としきりに新市街のど真ん中にある豪邸に招待しようとしてくれた。4時半 アヌ・ホテルを出て、途中で恵さんとも別れ、どういうわけか勝手知ったるメヴラーナ大通り付近の横道の曲がる方角を間違えて、また恵さんと別れた場所に出てしまった。「うそ」と口をついて日本語が出た。ついこの前も、自分の庭のように知っているグランド・バザールで、いつも行くトイレへの道を間違えたばかりだ。5時 やっとメヴラーナ大通りに出て、メフメット・ギルギチ・ウスタの奥さんラビアさんのいるフェルトの店に彼女の顔を見に行った。アルゼンチン出身の、典型的ラテン美人は私の帽子を見て、「あ~あ、メフメットはそれをプレゼントしたのね。じゃあ、私はこれよ、ギュレギュレ・クルラン!」と言いながら、シルクの地にフェルトのモチーフを貼り付けた細い襟巻を首にかけてくれた。 名残惜しいがあまり時間がないのでお茶も飲まずに貰うものだけは貰って店を出た。前回、猫を見てくれたAYAさんと、コンヤから飴を所望したカプジュのオスマンにすら土産が買えず、空港で3倍の値段でやっと買ったので、今回はしっかりと町の土産物屋でいくつかデーツ味、カカオ入りの飴を買った。すると、その店のお兄さん達2人が、私を覚えていて「メヴラーナの7つの教え」の日本語版の縫いとりのある壁掛けをプレゼントしてくれた。5時30分 通りを渡って再びカラヴァン・キリム問屋に行くと、ほどなくコンヤの紗希子さんも来て、1年2ヵ月ぶりの再会となった。 あまりゆっくり話をすることもできなかったが、いつも変らぬおっとりとした紗希子さんは、いまカラタイ大学で週に一度日本語の授業をしているという。 私も6時頃にはメフタップさんの家に戻らなくてはならないのでほどなく店の前で別れた。6時15分 メフタップさんの家にタクシーで戻り、あらかじめ電話を入れておいたのでスープもキョフテ(肉団子)も温かく出来あがっていた。 夜食を御馳走になってすぐに家を出なくてはならないのが心残りだが、7時20分、厚く礼を述べてタクシーに乗った。7時50分 チェックイン・カウンターに行ってパスポートとEチケットの刷り出したものを見せると、カウンターの青年が言った。「ずいぶん遅く来られましたね」「あら、冗談でしょう。私を恐怖に陥れるつもりね。そうはいきませんよ。ちゃんと1時間前に来たんですから」 私も冗談めかしてそう言った。「いいえ、ユミコ・ハヌム。ご覧ください、いまちょうど飛行機が離陸する時間です。19時50分、ほら、ここに書いてあります」 青年は私の差し出したEチケットの刷り物を指さした。発券した旅行代理店で、オレンジ色のマーカーで印までつけてくれたのに、全然見てもいなかった~~。「ええーっ、カメラ・シャカス(どっきりカメラ)じゃないでしょうね。私は8時55分の出発だとばかり思っていたけど、そうじゃないんですか!?」「マアレセフ(残念ながら)。でもあなたは運の強いお方です。本当ならもうとっくに乗り遅れていたはずですが・・」 青年はちょっと笑顔になって言葉を続けた。「飛行機の方もちょうど1時間遅れていて、まだ到着していないんですよ。あなたが最後の乗客なので、受け付けます。お乗りになれますよ。いやあ、ラッキーでしたね、あ、いまちょうど着陸したようです。イイ・ヨルジュルックラル(ハヴァ・ナイス・トリップ)、ギュレ・ギュレ」 いや~、チケットを買いに行く前に、ネットで調べた運航表はたしかに8時55分の出発と書いてあったような気が・・・ キツネにつままれたような思いで、しかしながら幸運にも1時間間違えて遅く家を出たのに、飛行機の方も1時間遅れたので乗ることが出来た。 霊験あらたか、メヴラーナ廟にお参りした効果は絶大だったのだ。 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」?
2012年01月03日
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【1月2日・月曜日】 私の去年最後の出張をタイム・テーブル風に時間を追って書くと、28日夜 9:15分 家中掃除機をかけへとへとになりながら、バタバタと家を出た。カラキョイ埠頭から連絡船でハイダルパシャ駅に行くために。10:30分 ハイダルパシャ駅で缶ビール500ml、カシューナッツ少々を買いこみ、アンカラ・エキスプレスで一路アンカラに向かう。(オヤジの旅ですな、まるで)11時15分 朝6時半に目覚ましをかけ、寝台に横になる。掃除したせいで体中が筋肉痛、眠れずに悶々としながら寝がえりを打っていたが、嘉納愛夏さんに貰った膏薬の最後の1枚を持っていたのを思い出し、腰に貼る。29日朝 6時30分 早く目覚めたので、用事はないけど膏薬を貰って助かったよ、と言いたくて日本の愛夏さんに電話をかける。今日は私もカメラマンを兼ねて取材に行くのだ。デジカメってのがしょぼいけど。 列車は30分ほど遅延して到着する様子なので、出迎えのフェイハンさんにも電話する。7時30分 フェイハンさん・ケマル氏夫妻がアンカラ駅まで迎えに来てくれて、アトリエに伴い朝食の支度を整えてくれた。何年か前からストゥク・ウスタの展示会のオープニングで顔見知りとなり、今年11月半ば、ウスタの1周忌では同じテーブルで晩餐をいただいてから親しくなったのだった。 フェイハン・ケマル夫妻と、用意してくれた美味しい朝食10時45分 朝食と歓談とで2時間余りはたちまちに過ぎ、イスタンブールでの再会をフェイハンさんと固く誓って、私はケマル氏に送られ、フェイハンさん宅に持ってきたのと同じお土産を2つ用意して、アナトリア文明博物館に向かった。11時15分 副館長のニハル女史と会う。朝日新聞のグラビア誌「世界の博物館」というシリーズで、トルコの第3冊目になる「アナトリア文明博物館」に掲載するための資料写真のコピーを貰いに来たのである。 すでに必要なものは用意してくれてある。あとは写真の使用料1,000リラを払うわけだが、私はニハルさんに駄目もとで頼んでみた。「実はこの仕事にも3月の“トゥスナミ(津波)”が影響して、予算を大幅に削られてしまったとのことで、クライアントは記者を派遣出来なくなったので、私を取材に寄こしたのです。どうか写真使用料をもう少しまけてやっていただけないでしょうか」「ちょっと待ってね、館長がもう来ているはずだから」とニハルさんは机の上の電話に手を伸ばした。11時30分 「おおー、加瀬ハヌム、あなたでしたか。いらっしゃい!」と館長のメリヒ氏がニハルさんの部屋に顔を出し、破顔一笑、そう言った。「館長、例のアーカイブの写真料金のことで、加瀬ハヌムが割引価格でお願いしたいと・・・何とか私からもお願いします、館長」 ニハルさんもしきりに後押ししてくれた。「いくらなら出せるのかね」「あの~、たとえば500とかになりませんか」いきなり半値に値切る私。「500リラ・・・う~む、まあ、あなたの頼みだ、いいでしょう!」「ひぃっ、ほんとですか」 ばんざ~い! ニハルさんはコンヤから単身赴任の考古学者、コンヤというところで意気投合して、仲良く記念撮影を12時「ニハルさん、そろそろお昼ですから私は一旦失礼して午後からまた・・・」「あら、まだいいじゃないの。一緒にお昼に行きましょう。食堂があるのよ、職員用の。私達はそこで食べるので、よろしかったらどうぞ」 かくてアナトリア文明博物館の、かつてはオスマン朝台頭期に築かれた隊商宿だったという、歴史的な建物の一角にある職員食堂で、私は館長と副館長らの役員席に一緒に座り、お昼を御馳走になったのだった。 食堂の光景と、本日のメニューはエゾゲリン・スープと鶏の胸肉と野菜のトマトソース和えを主菜に、その他エリシテ(マカロニ風平打ち麺)午後1時 例の「世界の博物館シリーズ」には、毎号「もっと知りたい○○博物館」というコーナーがあり、いわばこぼれ話とか、知られざるスペシャリティとか、エピソード的な話を載せる。 この取材が私に任されたので、ニハルさんからお勧めの話題があるかどうか聞いたのだが、これといった話題は出なかった。 私は展示室に下りて行った。2つ話題を拾わなくてはならないが、そのうちにいいことに気がついた。2つともなかなかいい話題ではないか。1時30分 日本の担当さんに電話をかけてみると、「いいですねえ、その2つの話題、取材してください、それで行きましょう」と即座に賛成してくれた。私は写真使用料もおまけして貰ったことを告げた。「ほんとですか、すごいですねえ。助かりますよ、ありがとうございました。」3時30分 何とも順調にことが進み、2つの話題もすんなりと取材できた(いつもなら、自慢そうに書いてしまうのだが、コーディネーターなので、雑誌が出るまで秘密に・・・)。 メリヒ館長は会議中だったので、私は協力してくれたニハルさんに厚く礼を言ってアナトリア文明博物館をあとにした。4時 一昨年(2010)の8月、エルジエスの撮影をしたときにお世話になった「トルコ登山家連盟」の本部に番組のDVDを届けた後、タクシーを飛ばしてファトゥシュ(ゲリン・ファトマ)の家に急いだ。 11月に亡くなった私のカンカ(親友)・ファトマさんの甥、イスメット氏の妻で、同じ名前なので一族の間では区別のために「嫁のファトマ」と呼ばれている人だ。昼を食べた後、電話してつい先週兄の1人が亡くなったと聞いたので、お悔やみに行ったのだった。5時 ファトゥシュの住む豪華マンションはアナトリア文明博物館からはかなり遠く離れたところだったが、仲の良かった義理の叔母ファトマさんに続いて、キュタヒヤに住む兄を失くしたファトゥシュはかなり落ち込んでいたので私の顔を見ると喜んだ。 あわただしい弔問だったが、やっぱり訪ねてよかったと思った。 5時半 タクシーでアンカラ駅に戻り待つこと1時間、コンヤから来たユジェル君と出会い、駅の食堂に移動してお茶を飲みながら話していると、7時少し前、アンカラの若い女性弁護士ディーデム・タリさんが私に会いに来てくれた。彼女とはコンヤで昨年(2010)の夏に知り合い、時々メールのやり取りや電話で話をしている。 アンカラの友人ドゥイグ・ディーデム・タリさん7時半 いよいよコンヤ行きの高速列車の出発である。頭上のディスプレイに瞬間最大速度が表示されるが、251.5キロというのが最速の瞬間だった。 まだ途中の線区で工事中の個所があるので徐行が多く、高速列車は2時間後にコンヤに到着、翌日ユジェル君と会う約束をして、メフタップさんの家の前で別れた。 新しいコンヤ駅に到着したYHT(Y?ksek h?z?r tren 高速列車)10時半 メフタップさんとムスタファ氏の大歓迎を受けて、たんまりとご馳走になり、夜中の1時半頃までよもやま話をした後、前回と同じ寝室でゆっくりと手足を伸ばして良く眠った。つづく madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」?
2012年01月02日
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【2012年元旦・日曜日】 謹 賀 新 年 今年は辰年。伝説の神獣・龍はトルコ語でEjderha(エジデルハー)です。もともとはペルシャ語で、トルコ語にはアラビア語とペルシャ語起源の単語がたくさんあるのです。 昨年は東日本大震災、福島第一原発の事故、大型台風の襲来、トルコでもワン地方の大地震など、多くの天災・人災事故で明け暮れましたが、今年はそうした悲しみを乗り越えたよい1年でありますように。 元旦に当たり、皆様のご健康をお祈りし、私自身も精一杯努力してゆきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。 加瀬由美子 madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」お知らせ◎※△ 海泡石(リュレタシュ)がネットで買えます! イスタンブール唯一の海泡石アトリエ、シナン・ウスタの作品がついにネットで購入出来るようになりました。追々品数も増やしていくとのことです。ぜひご覧ください。ネットショップ 「リュレタシュ」
2012年01月01日
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