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【1月29日・月曜日】 今を去る19年前の1999年8月17日未明、イスタンブールも揺れに揺れたマルマラ大地震で、わが家のあるアパルトマンの北側の外壁に出来た、細い一筋の亀裂が次第に雨水の浸食であちこちに広がり、住民会議で何度も議題に出したにもかかわらず、住民の無関心で放置されていたため、北側のわが家8号室とその上の階10号室に、強い雨風が当たるたびサロンの天井から、ひどい雨漏りがするようになりました。 先週の木曜日の雨降りの午後、大きな爆発音とともに突然天井のビームランプの一つが火を噴いて、白煙が上がり、ものすごい焼け焦げたようなにおいが部屋中に立ち込めました。かつて1998年6月に新装開店のかせレストランが、半年後に冷蔵庫から漏れていたフロンガスの爆発で、木端微塵になってしまった経験のある私としては、もう一刻も猶予はなりません。 ヨネッティジのムラット氏に何度も電話して、やっと3回目くらいに出たので18日の顛末を話し、「一度私がいつも訴えている北側の壁の亀裂を見てください。このランプの破裂事故は私一人の問題ではなく、アパルトマン全体の問題です。私はトルコ語が分からないから黙っているわけじゃないですよ! 騒がないからと言って放っておかないでくださいっ!」と厳しい口調でムラット氏に迫りました。彼は来週早々にでもクレーン車で点検・修理をさせる、と約束しました。 その晩は電気屋のハリル・ウスタが来てとりあえずシゴルタ(安全器、ヒューズボックス)を点検、私のパソコン机の上だけはランプが点く状態にしてくれました。インターネットもテレビもない一夜を過ごしました。 20日の土曜日、まり子さんが午後から来たので、今度は彼女がヨネッティジに電話し、クレーン車で左官職人を乗せてゴンドラを吊り上げ、壁面を点検修理して貰うことに話がつきました。夕方遅く、電気屋のハリル・ウスタが再び見本のLEDランプを持ってきて取り付け、外壁の穴を塞いで雨が漏らなくなったら、サロン全体のランプをLEDに変える工事をすることになりました。そしてテレビと電話線のコードも稼働するように直してくれました。 2016年2月からしばしば雨漏りするようになったサロンのベランダ側の天井です。18日にランプの破裂した周囲は、外壁が直るまでいじれないため、こんな具合。 ヨネッティジのムラット氏も、まり子さんと私の2人に、「来週早々必ず、よく晴れた日に点検・修理を実施しますと約束し、今日は天気も良く、昼食の支度をしていると、ムラット氏の息子ブラックさんが左官屋さんと連れ立ってアパルトマンにやってきました。外壁のどのあたりに亀裂があるのか教えてほしいと言うので、まずは家の中の状況を見て貰い、それから外に出て詳しく説明しました。 クレーンが来る前に左官屋のアテッシュさんが、隣家の屋根に裏から上がらせて貰い、撮影した何枚かの写真を見ると、壁にぽっかり隙間が開いて、そこから生命力の強い木の芽が生えて、今ではたくましく伸びており、根が張るとあと1,2年のうちに壁を壊して大木になるに違いない、と言うのでした。 午後3時半過ぎ、表通りに大型車の入ってくる音がしたのでベランダから覗いてみるとクレーン車が到着し、ブラックさんとアテッシュ・ウスタが走り回っているのが見えました。私も4時過ぎに猫達に缶詰を開けてやり、自分は外にずっと立っている覚悟で寒くないよう身支度し、工事の様子を見に表通りに出て行きました。 家の前にクレーン車が停まってクレーンのアームを伸ばす作業を始めました。 築48年のビルの外壁には一度もメンテナンスをしていないため、そばで見ると無数に亀裂が走っているのだそうで、隣の家の不法増築でわが家の壁を自分の家の壁として、鉄骨なども埋め込んであり、そこにも穴が開いているのでセメントで埋めてくれました。 屋根の付近にもたくさんの亀裂、穴があり、このビルの壁の中にはどれほどの水がしみ込んでいるのか、しかも塩分の多い海砂をセメントに入れてあるとも。 地上7階、地下1階。堂々たるビルですが、怠け者のカプジュだと寿命も短かい上に、見た目にも汚くて昔の面影は全くないそうです。 さすがに餅屋は餅屋、ヨネッティジのムラットさんは建築請負業で、ブラックさんもお父さんの会社で修業中、きびきびと左官屋さんに地上から指示を出しながら、道路閉鎖許可の2時間以内に仕事をすべて終わらせるように頑張ってくれました。 巨大な壁面には無数の亀裂が入っていたそうで、通りに並ぶ骨董店に約束した2時間でそれらをすべて、セメントと特殊な防水モルタルで塗り、5時半過ぎ見つけた穴は一通りすべて塞ぎ、撤収作業に入りました。これらの費用は、まり子さんがヨネッティジに交渉してくれたので、アパルトマンの家主達全員から徴収してくれることになりました。 でもまたひと悶着ありそうな気がします。なにしろ十何年か前に、最上階の2軒の人が雨漏りがして困る、と住民会議が招集され、全フラットが500リラずつ支出して緊急に修理しようということに決まった時、3階に住む問題なオヤジが「俺のうちは屋根など使っていないから金は出さない」と言い張ったため、その分をほかの階の家主達が分担させられた、というようないきさつもあります。 いよいよクレーンを折りたたんで撤収です。3時半から5時半までどうもご苦労様でした。これで雨漏りの心配が一つ消えました。 チュクルジュマ・ジャーミイの前あたりから、チュクルジュマ通りを眺めると、新市街のランドマーク、シシハーネのガラタ塔が見えます。 手前のチュクルジュマ通りを写すとまだはっきりと明るく写ります。さすが1月も最後の日々、冬至から1か月余り過ぎ日が延びました。 その上わが家のあるアパルトマンでは、2015年にカプジュ(住み込みの用務員)の悪だくみで裁判沙汰になり、辞めさせたカプジュ一家が居座ってエレベーターの電源を切ったり、廊下や階段の電源まで切ってしまったりと嫌がらせのやり放題で困っていますが、もとはと言えばその3階のオヤジほか2軒が、カプジュのアイダット(月給)を何年も支払わなかったことに端を発しているのです。そして、カプジュの大ウソで欠席裁判にかけられた正直な家主達11軒が、イシクルという労働基準監督署のような組織に1軒あたり5,000リラ(現在のレートで15万円強)近い罰金を課せられ、実際に支払っていなかった3軒はこの罰金も逃れようとカプジュの味方に回り、さらにカプジュをそそのかして、慰謝料を2倍にも吊り上げてきて、自分達が勝訴したら山分けする気でいるようです。 そうは問屋が卸さないぞと、家主側もこのアイダットを払わない3軒を訴訟に持ち込んでいるのです。トルコはよくよく訴訟沙汰の多い国です。そんなこんなの問題山積のわれらがアパルトマンですが、来たる2月の初旬にはわが家のサロンの室内も修理をして、天井の雨漏り部分の塗り直しと、18日の爆発で駄目になったところの修理代は、これもアパルトマンの住民から費用を集めることになりました。もちろん私も同額払います。(このルールを承諾しない人がいるかもしれません) とりあえず喫緊の課題であった、天井からの滝のような雨漏りはなくなる見込みです。今後は雨が降っても安眠出来るようになりそうで、やっと安心しました。
2018年01月29日
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【2018年1月1日・月曜日】 新年おめでとうございます! 今年のイスタンブールの元旦は爽やかな晴天で明けました。めでたい限りです。今年もどうぞ「madamkaseのトルコ行進曲」をよろしくお願い申し上げます。 前日、大晦日の年越し蕎麦を美保子さんと一緒に味わいました。スーパーに生のジャンボ車海老が売っていなかったため、冷凍のジャンボむきエビを買い、それはそれで玉ねぎ、にんじん、青ネギなどと一緒にむきエビもたっぷり入れて大きなかき揚げを幾つも揚げ、15年余り前からの長い友達と楽しいひと時を過ごすことが出来たので、今度の新年こそはいいことがたくさんあるだろう、という予感がしました。 今日は遅い昼食として、日本人の元旦の定番、お雑煮にすることにし、まり子さんがトルコでもさすがに1月1日は休日なので、相伴してくれることになっていました。私は大晦日、次の朝の2時頃床に就いたのにやっぱり日本の元旦、昼のNHKニュースを見るためにいつも通り6時半には起きていたのでした。 朝はむきエビ入りのチャーハンを作り、7時から日本の昼のニュースを見た後、1ヵ月以上も書き込めなかったブログが書きこめるかどうか試してみましたが、どうしてもMicrosoft wordの文書画面が読み取り専用となってしまい、編集して文章を少し変えた部分が保存出来ないために、アップデート出来ないので諦めました。 朝からチャーハンを食べました。むきエビ買いすぎで当分あちこちに顔を出します。 昼にはまり子さんと二人分の、お餅6切れを出し、チキンのももの肉を切り、さっと茹でて肉の部分を切り取り、茹で汁を濾して雑煮の出しにしました。花切りにんじん、戻し干し椎茸、筍水煮、木耳、ほうれん草、カニのすり身、青ネギなどなど準備しました。 まり子さんが家を出るとき電話をかけてきて、途中のスーパーで何か買うものがあれば言ってえ、と言うので、昨日のうちに買い物をしてきてあるので、レモネードが冷蔵庫に入っているから今日は何もいらないよ、とまり子さんを喜ばせました。でも彼女は飲んでしまった後のスペアに、とまたレモネードを買ってきてくれました。 かくて中華料理で人気のある、海老せんべいをまず揚げておき、ほぼ準備が整った頃まり子さんがチャイムを鳴らしたので、餅を網に載せました。そして別のオジャック(ガスレンジ)の口では茶碗蒸しがもう火を入れるばかりになっていました。どちらも10分か15分のうちに食べられるようになります。昨日と言い、今日と言い、友達と楽しい食事が出来るというときは、どんなにモチベーションが向上するのか、次から次へと頭も手も動くものです。 まり子さんがテーブルを拭き、まず海老せんべいや箸や飲み物を運び、雑煮を入れた大きいどんぶりを持って行ったあとは、猫に荒らされないように番人を務め、私はあとから茶碗蒸しをテーブルに運びました。写真を写して席に座ろう、とした途端、素晴らしいことを思いつきました。 それは一昨年10月末に日本に帰国した、オスマン・ガージイ大橋建設の日本企業の所長夫妻に、最後のお別れに伺った時、沢山の未使用の日本食材料のほかに頂いたとっておきのお餞別です。日本中で限定2000本販売と言う、ヴィンテージの高級梅酒「プレミアム天女の舞衣」の栓を開けようということでした。新年を寿ぐ今日こそは友達もいるし、頂くのにふさわしい日だと思い、まり子さんも行けるクチなので急いで奥の部屋から出しました。2人で乾杯し、とろ~り、まったりの舌触り、薫り高い銘酒を心行くまで(といっても、もったいないので150㎖だけでしたが)、それでジワ~ッとほろ酔い気分になり、やたらに明るい気持ちになって、今年こそいい1年になってほしいと互いに祈りました。 まり子さんと向かい合って座りました。高級梅酒で乾杯です。 中華の海老せんべい、雑煮、茶碗蒸し 雑煮には切り餅3個、その他いろいろ、半熟玉子入り。 まり子さん。とても楽しそうです。 私もいつも同じ猫対策用のおんぼろTシャツを脱ぎ、正月らしいセーターを着ました。 お節料理の彩り豊かな多種類のご馳走を並べるようなものは、たとえ材料があっても時間のない私には作れないのですが、たったこれだけでも日本を離れて30年以上も海外暮らしのまり子さんは、私の耳がくすぐったなるほどの褒めようで喜んでくれました。雑煮と茶碗蒸しを同時に頂くのは人生で初めてですよと言うので、作ってよかった、と思いました。 食事が終わるとまり子さんがいつものように超特急で洗いものをしてくれたので、私は昆布茶を淹れ、前日の美保子さんがまり子さんにも食べて貰って、とたくさん買ってきてくれたバクラヴァを小皿に並べ、デザートにしました。まり子さんの話では、娘のまり乃さんも1月8日から会社に出勤する運びになった、と言うので、私達はさらにいっそう目の前が明るくなったような気がしました。 夜8時過ぎ電話が入って、まり乃さんが出かけていたアジア側の友人宅から帰ってきたので、親子でタキシム広場あたりで待ち合わせし、イスティクラール通りで銀ブラでもするようです。「わあ、6時間以上もお邪魔してしまってごめんなさい、由美子さん。私そろそろお暇します。今日は書き物はやめて、ゆっくり過ごしてね!」とまり子さんは嬉しそうに、ごみの入った袋をついでに捨てて行きますよと言って、両手に下げて帰って行きました。助かります。 友達が帰ってしまうとちょっとの間は、やや寂しい気がします。 9時半頃、タクタキ坂の上に大きな満月が昇ってきました。 タクタキ坂の上に月が昇ってきたのに気が付きました。 大きなまん丸い月です。私のデジカメではこれが精いっぱいです。 丸い小さなどんぶりで作ったのは、お月様のようなまん丸い茶碗蒸しです。 材料が残っているので、お月様を思わせるジャンボな茶碗蒸しどんぶりを作って、一人でゆっくり食べながら幸せな元旦の締めくくりをしたのでした。幸先の良い新年のスタートを確信出来た元旦の夜でした。
2018年01月01日
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