まわりから、『ありがとう』と言われて、生きていきたい
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試合に敗れて、ふてくされないで。試合に敗れて、ふてくされることのできるキミたちは、幸せなんだよ。敗れて、ふてくされたり、大声をあげて泣ける舞台を与えられているのだから。(それは、その試合が予選の予選の、そのまた、予選の1回戦負けだとしても同じこと)年をとって、『あの時の試合は。。。』と、今や老いふけり、筋肉の落ちた腕でクラスを持ち、同じ顔をした往年のライバルと酒を酌み交わすことができるのだから。観客席で応援することになった補欠では、そうも、行かない。彼らは、大声で泣くことができない。舞台にあがることができなかったのだから。自分のチームの敗北と、最後まで舞台にあがることのできなかった自分と。ふたつの悲しみをこらえて尚、人前で大声を張り上げて泣く自己主張を与えられていないのだ。選ばれしスポーツ選手と呼ばれる世の若者たちよ。試合に敗れて、彼らの前で大声で泣くな。ましてや、ふてくされるな。泣きはらした真っ赤な目はあることだろう。キミたちは自ら戦い、敗れた。出場した者にしかわからない深い悲しみがあろう。それでも、舞台に立てなかった者に、照れ笑いをしながらでも、『負けちゃったナ』って、声をかけてくれよ。そしたら、『遊びに行こうか!』って、肩をたたいて誘うからさァ。舞台に立てなかった彼らは、この日、出場したメンバーと遊んだひとときを一生大切にするさ。もしかしたら、試合内容以上に忘れられないものかもしれない。出場者にとっては、その試合は青春の輝かしい一場面かもしれない。翻って彼らは、年老いても、その日の試合を自分の体験として話す口を持っていない。一緒に遊んだその思い出が、ずっと、いい思い出であるように。ふてくされたら、台無しだよ。彼らだって、共に戦い抜いたのだから。注ここでの『補欠』とは、もちろん、同じチームの。。。でもあり、世界の頂点を決める決勝戦を目指したが出場することの叶わなかった、すべてのプレイヤー・スタッフをも念頭にしています。
2019.11.08
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