全1583件 (1583件中 1-50件目)
試合に敗れて、ふてくされないで。試合に敗れて、ふてくされることのできるキミたちは、幸せなんだよ。敗れて、ふてくされたり、大声をあげて泣ける舞台を与えられているのだから。(それは、その試合が予選の予選の、そのまた、予選の1回戦負けだとしても同じこと)年をとって、『あの時の試合は。。。』と、今や老いふけり、筋肉の落ちた腕でクラスを持ち、同じ顔をした往年のライバルと酒を酌み交わすことができるのだから。観客席で応援することになった補欠では、そうも、行かない。彼らは、大声で泣くことができない。舞台にあがることができなかったのだから。自分のチームの敗北と、最後まで舞台にあがることのできなかった自分と。ふたつの悲しみをこらえて尚、人前で大声を張り上げて泣く自己主張を与えられていないのだ。選ばれしスポーツ選手と呼ばれる世の若者たちよ。試合に敗れて、彼らの前で大声で泣くな。ましてや、ふてくされるな。泣きはらした真っ赤な目はあることだろう。キミたちは自ら戦い、敗れた。出場した者にしかわからない深い悲しみがあろう。それでも、舞台に立てなかった者に、照れ笑いをしながらでも、『負けちゃったナ』って、声をかけてくれよ。そしたら、『遊びに行こうか!』って、肩をたたいて誘うからさァ。舞台に立てなかった彼らは、この日、出場したメンバーと遊んだひとときを一生大切にするさ。もしかしたら、試合内容以上に忘れられないものかもしれない。出場者にとっては、その試合は青春の輝かしい一場面かもしれない。翻って彼らは、年老いても、その日の試合を自分の体験として話す口を持っていない。一緒に遊んだその思い出が、ずっと、いい思い出であるように。ふてくされたら、台無しだよ。彼らだって、共に戦い抜いたのだから。注ここでの『補欠』とは、もちろん、同じチームの。。。でもあり、世界の頂点を決める決勝戦を目指したが出場することの叶わなかった、すべてのプレイヤー・スタッフをも念頭にしています。
2019.11.08
コメント(0)
『ラブレター』ではないけれど。(*^_^*)カナダから友だちが来てくれた。東京滞在は、3泊4日。その内の丸々一日を僕と共に過ごす時間に、あててくれた。感謝の思いで、いっぱいだ。2011年1月22日たった一度だけ、大阪で会った日のことを、ずっと、ずっと、覚えていてくれた。人との信頼関係を何より大切にする僕にとって『ラブレター』以上のメッセージを贈っていただいた。そんな気持ちだ。2012年、たったひとりでカナダに向かった。彼女の成功を心から祈る。
2018.03.05
コメント(0)
このオリンピックの女子フィギュアにおいて。心から、残念だと思う論評に出会った。あえて、言わせていただく。日本人だけれど。あえて、言わせていただく。金、銀、どちらの贔屓でもないけれど。金の演技が点数を取るような構成になっていた。と、その評論は言う。たしかに、そう言うルールになっているが、美しくなかったと言う。論評のその部分には、合意する視点もあっていいだろう。俺には、よくわからないが。ただね。。。そう言うルールで戦っているのだから、文句があるのなら、ルールを決めた人に言えばいい。金を獲った人を美しくないなどという論評は不適切だ。覚えておいてほしい。金だ銀だと言うけれど、その採点のルールを創っている機構があるのだ。ましてや、100m競争ではなく、人の感性で評価する競技なのだ。100m競争だって、一番遅い人が金メダルだとしたら、僕だって、出場できそうだ。芸術性がなかったと、その人は言う。俺に、それは、わからない。でも、人の感性を含め、公正に評価するために『点数』のしくみがあるのだろうことは理解できる。そして、その点数の制度は、結局、皆が、合意して、それに基づいて、オリンピックに参加しているのでしょ?それでも、その制度に批判があってもいい。むしろ、それを健全だと思う。ただね。そのルールを戦略的に検証してプログラムを組み立てて勝った金に対して、『美しくない』という御言葉は不適切極まりない。金がルールを創ったわけではないのだから。文句があるのなら、ルールを決めた機構に言え。今のルールでは、私の目から見て、美しい人が勝てない。と。ルールに基づいて勝った者者が美しくないと言われて、負けなければならないのなら、スポーツなんて成立しない。泥臭くたって、ルールに基づいた点数が高いやつが勝ち。それが、フェアなスポーツというものだ。
2018.02.24
コメント(0)
変わらないこととは、きっと、誰もが、変えるべきではない、そう思っていることなのだろう。年齢、歴史の長さ、先輩後輩、などなどなど。努力の結果によって逆転できたりはしないもの。僕は、それらを比較の対象要件に入れない。もちろん、多様なる価値観の中だから、先輩に対して、失礼な態度は取らないように心がけている。と同時に、後輩に対して、『先輩ヅラ』っていうの?あれは、やりたくないから、やらない。先輩後輩の間柄そのものは、逆転不可能だからね。
2018.02.22
コメント(0)
僕の仕事のしかたを認めてくれる。そんな人が、出てきてくれたことに感謝。僕の仕事のしかた、というか、選び方。近未来を探る視点として大切にしていること。そんなことをお伝えする機会が発生した。『Harvard・Insead』のカリキュラムの中で使われるビデオ教材。教材のテーマは『日本におけるブルーオーシャン戦略』その中で、5分間程度だけれど、ビデオ出演?する。なぁ、世界どの。大丈夫か?俺で?
2018.02.13
コメント(0)
4年ぶり。 我が家にエアコンが戻ってきました。(*^_^*)次女が大学受験の最中に壊れました。彼女は、この3月、大学を卒業します。(笑)室内で、ニット帽、マフラー、手袋でした。よく、言っていました。 『ベランダの方が、あったかいね』って。(๑>◡<๑)4年前の見積書の半額以下でした。 見積もりって、なんなんだろう。(・・?)
2018.02.13
コメント(0)
自分の意向のみでモノをいう。その意向の結論から申し上げる。この日本という国が、バランス感覚を失わなくって、よかった。歴史における大津事件を思い起こす。あの日、出自、社会的地位の貴賎上下の差別区別なく、等しく法を適用したことで、この国は、友国を増やした。法治を『輸入した』国が、最低基準を満たしたことで、法治を『獲得した』国から、法治国家の端くれとして認められたのだ。『認められた』は、悔しい言い回しだが、力のない正義は半文の価値もないことを思えば、他の言葉は浮かばない。そんなフォロアーの時代を100有余年過ごし、今、サナギからオトナになった気概を感じる。法治国家と言えども、法が正義を守りきれるか否かの議論となれば、法治など投げ捨て、正義を優先する。正論だ。法は正義を守るためにあるのであって、社会的に重大な影響を及ぼす不正義な事件に対しては、法に不備あれば、法を『建て付けてでも』という気概を感じた。今回。地裁への当事者としての訪問などは日常茶飯事と感じる私としては、この変化は、涙が出るほど嬉しい。民衆が法治を『獲得』した国では、正義を貫くためになら、法を曲げる『法』がある。民衆が法治を『輸入』した日本では、『法』を絶対として、正義をはばむ。今回の『検察による法運用』は、間違いなく、法治を『獲得した』民衆が選択した法の番人たる検察の行動基準だ。私は、何回も、『輸入した法治』の壁にぶつかり、不正義が勝つ裁判をみてきた。検察にエールを送る。心配するな。戦前の『おいこら警察』など、復活しようのないほどに、『教育』は行き届いているから。警察には。
2017.11.01
コメント(0)
もし、『人を自由にする学問』をリベラルアーツとして大切にするならば、『現代版のリベラルアーツ』は『お金の流れ』を学ぶことが中心になることだろう。今は、生まれながらの身分差などは、この言葉ができた往時と比すれば、なきに等しい。身分差が激しければ、『腕』は、その差を埋めるために、役立つことだろう。しかし、腕を磨いて得られる自由は、『経済』である。そして、『時間的自由』を代償にしてしまうことが多い。自分の決定した意思通りに生きる自由は、さらに遠い。現代は、これら全てを同時に得られる状況こそ、『人が求めている自由』なのだ。教育の方向…重要だ。
2017.09.21
コメント(0)
また、ひとり、信頼できる人に出遭えたことに感謝する。地方で会社勤めを始めた娘だが、毎日、夜遅くまで勤務している。夜道の自転車通いには、日本でも、さすがに危険。中古車を買うことになった。総額71万円で買った。所有権移転した当日に不具合をみつけた。結局、オートマを乗せ換えることになった。乗り出す前から、24万円かかった。(笑)それでも、ありがたい出会いだと思った。近所のディーラーのメカニックが、1週間かけて、原因究明してくれた。ハンドル、ブレーキ、サスペンション、プロペラシャフト、デフ、排気管。全部、分解して、組み立てなおして。。。結局、どこにも、不具合がなく、オートマの乗せ換え以外の選択肢が、なくなった。まるで、自分の車のように、よく、調べてくれた。感謝、感謝。そして、次に中古車を買うときには、ついてきてくれる。って。ありがたい言葉だ。ビジネスオーナーとして、いつも、感じる。信頼できる人間から、どれだけ信頼されるかが、すべてだ。自分の時間の使い方を振り返ると、常に、このふたつだ。お客様が求めていることを探し、それを既に、うまく回している人から話を聴く。もちろん、自分なりに、独学をする部分もあるが、独学は、スピードが遅いので、『自分なりに絞り込んだマーケット向けに事業構想を練る部分』だけだ。そして、信頼できる人を探し、彼らの腕を借りて、共に、お客様のいるビジネスを構築し、応分以上と思える対価を支払う。あっ。もちろん、だまされることも、たくさんあるよ。正直言って。だからこそ、新しいことに参入するときは、小さく、始める。商売だけれど、いつも、支払っている感じがする。そして、それでいいのだと思う。投資は、まず、支払ってから回収だからね。『稼ぐ』部分も、人に任せるから、やっぱり、僕の実務は、いつも、支払い。人に会っては。。。支払い(笑)僕は、何を売って暮らしているのだろう。。。信頼される自分であり続けようと思う。
2017.09.01
コメント(0)
事実はひとつ。来週、売却するクルマの窓が、閉まらなくなった。先日、静岡の中古車屋さんに査定してもらった。その際、不具合個所は、すべて、伝えた。査定価格が決まり、売却を決めた。今日、壊れた。近所で、世話になっている腕の確かな修理工場は、今日、休み。ディーラーも、今日、休み。さて、解釈だ。最初は、もちろん、『マジか?』(笑)そして、次々に浮かんでくる幸運を示す言葉。晴れの日で、よかった。人の手に渡る前で、よかった。壊れそうだったところを僕が壊したから、よかった。人に迷惑をかけることにならず、よかった。買い手の不安箇所を減して差し上げられて、よかった。雨風をしのげる駐車場を臨機に貸してくださる知り合いがいて、よかった。僕の信頼が、僕の知らないところで、失われることにならず、よかった。ありがたいな。ちゃんと直して送り出すよ。たくさんの事情の中で、僕の手を離れる日が来た。20歳の愛車よ。次の人にも、大事にしてもらえよ。ハンドリングと足回りは、新品同様。自信を持って、次のオーナーを乗せてくれ。
2017.07.10
コメント(0)
読売新聞の本日の夕刊。トラックの業務改善。夢のひとつが、叶い始めた。卸売流通として、配送問屋を経営してきた。52年間。仕入れ販売の小売業からの数々のびっくりするような発言に耐えてきた。その最たるものが『全国無料配送』この店は、このデパートは、このスーパーは、なんという不勉強なのだ、とがっかりした。単なる商品本体の値引きでしかない施策であることは、もちろん、誰にでも、わかることだが、失礼にもほどがある。物流を担う私たちの存在を無価値と定義するような文言に、消費者として対面した際に、何度も折衝した。運賃を払うから、本体価格を値引きしてくれ、と。受け入れてくれた小売業は、1件も、なかった。僕のチカラでは、変わらなかったけれど、世の中が、少し、理解し始めたことをとても、嬉しく感じる。流通業の皆さんの苦労が、正当に評価される日のくることは、僕の夢のひとつだ。
2017.06.03
コメント(0)
井の中の蛙、大海を知らず。されど、空の青さを知る。後半部分の解釈は、『広く浅く』の反対『シャープにした結果、ディープに』だ、そうだ。。。知らなかった。僕は、狭い世界で生きてきたからこそ、いつまでも、子どものように、清らかな目を持ち続けられた。だと、思っていた。
2017.05.26
コメント(0)
人が、お金に対して、どのように思っていても、現代の日本社会で、お金を無視して生きることは難しい。無料奉仕ならするけれど、お金をいただくのは、ちょっと。。。などと言って、お金を遠ざける人がいる。けっこう、いっぱい(笑)もちろん、ボランティアに敬意を持つ。僕も、そうする日が、あるから。そして、それでも、思う。ボランティアっていうけれど、そのボランティア自身は、どうやって生活しているの?ボランティア中だって、食事もするよね?生活しているよね?そのコストは、誰の負担?間違っても、『どこかから、持ってきちゃった。』なんていう、ひどい話のわけがない。もちろん、ご自身の負担であることもあるけれど、その負担だって、どこかで、自身で稼いできた金を今、ここに回しているのだ。どこかで、だれかが、お金を稼いだからこそ、金銭的自由、時間的自由を得て、自分の決済で、その使い道を『ボランティア』と決めただけなんだ。お金なしには、ボランティアを考えられない。非営利団体が解散する最大の理由は、金欠だ。ならば、お金を嫌わないほうが、いいと思う。お金だって、お金を嫌う人や、お金を粗末にする人のところは、居心地が悪いと思う。お金さん。●●のために、あなたを派遣するけれど、向こうで、存分に働いて、相手を幸せにしてきてね。そして、仲間を連れて、戻ってきてね。皆さんにとって、居心地のよい懐を用意して、待っているからね。愛しているよ。という人のところに、戻ってくるのだと思う。別に『黄色い財布を用意しろ』というわけではないですよ(笑)お金さん。ぼく、あれが欲しいんだ。あれの代わりに、あっちに行ってくれる。ごめんね。バイバイ。。。こんなお金の使い方をしていたら、お金だって、かえってきたくなくなるよ。お金から見れば、追い出されるようなものだもん。『お金は、要りません。受け取れません。』なんていう言葉も、きっと、お金にとっては侮辱だ。ぼくは、言わない。
2017.05.25
コメント(0)
先輩が後輩に言った。『先輩へのリスペクトが足りない』だってさ。人間、誰でも、そうだ。自分が、どこの誰であっても、相手を変えることはできない。僕は、そう思っている。変えられるとしたら、自分自身だけ。尊敬されたければ、尊敬される人物になるように、自分を変える努力をする。今以上に『尊敬される』手立ては、それしかないんだよ。自分の方が、経験が長いというけれど、互いが、この世にいる限り、年齢は、超えられないんだ。努力では、状況を変えられないことに焦点を当てて相手をせめることをもって、『差別』って言うんだよ。先輩。
2017.05.10
コメント(0)
過去の恨みを持ち続けていられるほど、私は、裕福ではない。御意。
2017.05.10
コメント(0)
遠い、遠い、あの日、気づいてしまったのだった。今55歳の私が、20代最後のころだ。バブルは、とっくに崩壊したのに、労働マーケットだけは、超売り手市場。25人前後の従業員さんを抱えながら、小さな会社の社長をしていた私は、困っていた。世の中が、バブルの終わりころ、私のいた業界にも、バブルが押し寄せた。年商数百億円の会社が、少額取引のお客様を切り捨て始めたのだ。その余波をかって、小さな私の会社に、お客様が流れ込んできた。ありがたい話だが、そのお客様に応ずるだけの人手がないのだ。募集広告に、いくら、散財しただろう。職安にも、足しげく通う中、気づいたのだ。比喩表現において、人をモノ扱いするような文言が出てくるが、当時、率先垂範型の社長で、社内の誰よりも、肉体労働をしていた私に免じて、笑いにしていただきたい。どれくらい働いていたかと言えば、この言葉で、理解できると思う。私の仕事を従業員さんに任せるために、結果として、新たに正社員3名を雇うことになった。ということだ。誰よりも、『マシン』のように働いていたと思う。さて、気づいたこと。それは、この国は、資本主義経済国家だということ。この主義を端的に示せば、リスクを取って資本を投下し、事業を起こす人主義。リスクを取って事業を始める際には、しばしば、補助制度を用意してくれる。事業にかかる経費は、無税償却。税金は、全経費を差し引いた後の数字にかけられる。そして、結果的に事業に失敗しても、赤字補填期間として、その後5年間(今は、なんと10年間だ)は、過去の赤字分に対する税金を免除してくれる。いわば、起業家サポート国家だね。その中において、『お勤めの方』は、いわゆる労働市場で売買される『商品』のように扱われている。労働市場という言葉があるとおり。そう。。。少なくとも、法的には。誤解を恐れずに言えば、機械などの『物』と(同等ではない人間だけれど)実質、同じ扱い。『者』という名の『物』…『(人)物』とみなされているのかな、と思うほど。これは、ダジャレのように聞こえるが、シャレではなく、マジだ。そう。。。だから、国民すべての親会社たる『日の丸親方』は、事業主にうるさく言う。一定以上の負荷をかければ壊れてしまう『人(物)』の扱いは、取り扱いマニュアルどおり行え、と。世の中には、負荷レベルを上げても壊れない『品質の良い機械』も存在する。そして、これを、人に置き換えて考察する。このような『高品質を提供するもの』は、安穏とした状況に身を置き続けて『よし』とはしない。相手の期待を越え、予想を超えて成果を出す努力をする中で、いつか、この国の主義に気づく。そして、この国の主義に従い、起業する(ことが多い)。女性上位主義のアマゾネス国家で男性役に回って有効な点は、ほとんどない。もっとも、これに、大多数が気づくと、起業家も、お勤めの方と同様にラットレースに巻き込まれる。今、起業家の競争が緩いのは、これまでの教育の賜(笑)今でも、『よい教育を受け、高い資格を得て、自分を労働マーケットに高く売り込め』だからね。そして、ここからは、私流。これには、消費税3%が決まった時点から、気づき始めてはいたけれど、実行は、少しずつ。はっきりしたのは、あの日。そう。。。私は、従業員さんを雇わない。全部、外注。かつて、従業員さんを雇っていたころ、労働環境の問題には、本当に苦労した。そんな中、渋谷の労働基準監督署で言われたのだ。労働基準法の規定を無視してもいい人がいる。それは、経営者だ。と。当たり前といえば、当たり前だが、私にとっては、大事なことだったそれ以来、仕事を頼む相手を、従業員さんから、外部の会社や一人親方たちにシフトしていった。経営者と同じ思いで仕事に立ち向かってくれる従業員さんと共に生きられれば、最高に、ありがたいが、これは、きわめて、希なこと。現実は、マニュアルどおりに扱わず、否、マニュアルどおりに扱ったとしても、壊れた(会社や仕事や人間関係への不満を持った)際に、自分の所作は、大いに棚上げした上で、私を含めた他に責任を取らせようとすることもある一部の人との出遭いである。この付き合いに疑問を持った。『日の丸親方』も、親方の責任を追及されないように、まるで、社会主義国家のような労働者保護マニュアルを創った。当たり前だが、人はみな、ひとりひとり『手作り』で、ひとりひとり価値観が違うという意味で気難しい。機械に例えることを『よし』とはしないが、壊れるタイミングも、頑張る動機も、まちまちで、まるで、ワンオフの機械と同じように、取り扱いには熟練が必要だ。だから、その扱いは、外注という名の下、取引相手にやっていただくことにしている。経営者が、どんなに優れた経営理念を持ち、これを掲げても、従業員さんの隅々まで、これを浸透させることは、難しい。私のところのように小さな事業体では、この浸透にかけるコストだけで、競争力を失う。都度都度、少し余計にお金を払うだけで済む外注が、生き残りの鍵だ。スモールビジネスの特権だが。
2017.05.05
コメント(0)
気づかなかった。大学を出て、しばらくして、あつらえた夏物のスーツ。今日、着た。パンツの後ろのポケットにまで、タックが、ふたつ。そうだ。。。このころパンツの前が『だぶつく』タックが嫌いで、ノータックのパンツを依頼したんだった。当時、いわゆる『スポーツマン』で、B・W・Hが、『ボン・キュッ・バン』だった私。その体型に合わせて。。。ノータックの依頼に合わせて。。。パンツの後ろを絞ってくれたんだ。。。こんなスーツ、みたことない。。。恥ずかしながら、はっきりと、気づいたのは、今日。もちろん、ボーっとは、見ていたんだろうけれど。。。僕のサイズと要求に、ピタリと合わせてくれていたんだね。ありがとう。このテーラーに、あつらえていただいたスーツは、4着。このスーツではないけれど、2年前、あまりにも型が古くなった2着を『お直し』した。別のテーラーで。そういえば、そのテーラーのご主人に言われたっけ。。。『こんな手の込んだ、しっかりした作り込みをするテーラーは、もう、ないよ。』って。なんだか、1998年までのメルセデスみたいだな。モノづくりに、『心意気』を感じる。そうだった。。。あの頃は、腿が太くて、パンツの内腿が、擦り切れて。補修のあとが、懐かしい。その腿は、『あの頃』をとどめていないけれど、ウエストは、まだ、『現役』(笑)スーツの胸も、『現役』このスーツのためにも、いくつになっても、この体型を保とう。そんな気にさせてくれるモノづくりに、出逢えたことに感謝する。ありがとうございます。
2017.05.01
コメント(0)
『zero risk』という大きなリスクどちらも大事だけれど、安全と安心感は、まったく、別物。みんなの意見をよく聴いて、決断することと、みんなの意見の最大公約数を採用することは、まったく、別物。100%の安全が保証されなければ。。。と言い出せば、すべての意見を網羅した内容で。。。と言い出せば、結局、じっとしていることになる。どちらも、存在しないから。なぜ、リーダーがいるのか。なぜ、責任者がいるのか。そういうことのわかる人と、共に生きたい。じっとしていることは。。。変化に対応しないことということは。。。どこの世界でも、同じ。その先に待つものは。
2017.04.26
コメント(0)
『出し子』が、13歳だった。外見から、20代に見えた。『削除』した。(-。-*)o日本を大好きだ。そして、同時に思う。この国では、法の歩んできた道を知る人が、法の番人をしているわけではない。。。と。非遡及の原則は、いつ破られるべきなのか。もっと、勉強しろよ。法の歴史を。
2017.04.14
コメント(0)
遠い遠い昔、受験勉強をしていたころの僕は、一歩一歩、確実に、確実に、こなしていくことが、どんな道より近道だと思っていた。実際、教師から『teaching』を受けているレベルならば、その道が一番だと、今でも、思う。そして、事業を起こそうと動き始めてからは、その道の遅さに気づいた。リスクがzeroだと証明されるまで、動こうとしないから。遠いあの日の道は、既に、誰かが通った道のトレースだったから、最速の道だったのだ。正しい道のりの確立した、既に証明されて久しい道。だからこそ、間違いないルートだったのだ。大人になって、サラリーマンに閉塞感を感じて、会社を運営する側に立って、喪失感の中、やっと、気づいたこと。それは、『teacher』に学ぶのではなく、『coach』と共に、道を開くことを考える。ということ。今でも、『確実性』を大切にしているから、『可能性』や『期待値』は、徹底的に計算する。そして、誰かが今まで通ったか否かは、ほとんど、吟味しなくなった。気づいてからの僕の人生は、はじめて、僕のものになった。
2017.04.12
コメント(0)
私は、しないようにしています。なぜなら、その指摘は、なかなか、伝わらないから。『欠けたる』人ほど、その『欠け』に気づいていません。そして、その人は、『悪人』であるというわけでもないのです。『欠け』に気づいていない『善人』であることが、ほとんど。ただ、『気づく』には、きっかけが必要です。それは、失敗による絶望、希望の発見、などなど、いろいろなきっかけから学ぶ意欲が湧いてきたその時のその目耳でしか、人の言葉は、沁みません。自問自答しても、感じます。もし、自分が今よりよくなりたいと望み、学ぶ姿勢を取れた時、誰から学びたいだろう。うまくいっている人?うん、それも、あると思います。では、その『うまくいっている』人の中では、誰だろう。私は、日頃から、私のよいところをみつけては褒めてくださり、ずっと、私を大切にしてくれている人から学びたいです。つまり、もし、私が、私の伝えたいことを相手に伝えようとするのなら、相手にとっての『その人』に、私がなればいいのだろう。それだけの理由です。
2017.04.09
コメント(0)
娘よ。今日は、大学院の卒業式だね。学部生として、クラーク賞を獲って院に行ったくらいだから、勉強は、できたんだろうね。社会に出た人が言う。『学校の勉強など、役に立たなかった』と。学歴尊重の価値観のない僕ではあるけれど、勉強をせずに、『役に立たなかった』と言う人に言う。『勉強した人にしか任せてもらえない仕事に出会わせてもらえなかっただけだ』と。そして、学び続けた君には、あえて、言う。『役に立たないぞ』と。基礎研究を『銭の取れる仕事』に昇華させるためには、いくつもの壁が立ちはだかる。今度の仕事は、『学者さん』では、つとまらん。思考の先は、『最低限地球規模』その心棒は、持ち続け、表面は、しなやかに。さて、行こうか。
2017.03.23
コメント(0)
昨日、ご一緒させていただいた女性に、『値札は見ないで買う』と、言った私ですが、ちょっと、言い過ぎでございました。(笑)訂正させていただきたいと思います。ちまたで、言われているところの『買わない理由が値段なら買う』『買う理由が値段なら買わない』の意味でして。。。私の現実は、買う気でも『買えない』ものばかり(笑)あっ。。。買う気ないのだけれど、『買わされる』もの。。。あるなぁ~。。。
2017.03.19
コメント(0)
会員の人脈を活用させていただき、著名な方を招き、お話を伺えることは、 もちろん、この倶楽部のすばらしい価値です。 そして、また、勇気をもって一歩を踏み出し、羽ばたいている若鳥を、応援できる私たちでいられるなんて、それも、なんという幸せでしょうか。 ましてや、ここから巣立った若鳥が、ひと回り大きくなり、 仲間を引き連れて、帰巣するのです。 大歓迎以外の選択肢を、私は、知らない。 かつて、倶楽部のチームの一員として、フロアスタッフをしてくださっていた彼女が、 プロ歌手として、帰ってきます。 機材を準備し、ピアノ奏者や仲間まで連れてきてくださるにもかかわらず、 『倶楽部で歌えるなら、ノーギャラでもいい。』と。 さて、私たちは、そんな彼女のコンサートチケットを、いくらに、設定しましょうか。 まだ、駆け出しで、無名だから、『高いとダメ』なんですか? 飲食付きのディナーショーで、10,000円以下なんて、聞いたこともないですが、 日本一と名高いホテルの倶楽部ルームでの彼女のショーは、飲食付きで、いくらなら適正なのですか?(-。-*)o著名な人には、ノーギャラで請け負っていただき、駆け出しの若鳥には、惜しげもなく散財する。それくらいの『器量』の人たちと共に生きたいな。。。
2017.03.05
コメント(0)
その凧が、天高く舞い上がり、自律的に天空を舞い続けたという話を私は、知らない。その凧に、天高く舞ってほしいと、願うモノの願い。凧は、その願いを礎に、その願いを味方に、天に、風に、高く舞うのだ。天高く舞い続けたければ、そのモノの願いを胸に秘めよ。その願いが、他を傷つけることなく、この世の一隅を照らすものならば。風の吹かぬ日にも糸を手繰り、凧に風を送り続けたモノへの恩を忘れ、糸を切り、我が物顔で舞う凧の行く末は、いつの世も、変わりはしない。凧よ。自由に舞え。風吹く空まで、送り出してくれたモノの思いを胸に。*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆。.:*:・'☆'・恩着せがましく、糸を『シガラミ』として使う輩も多い。その糸に、操られる必要は、ない。そして、同時に、忘れたくない。もし、ヒトが、ヒトカドの人間になっていたとしたら、その我ひとりの力量で、今を築いたわけではないこと。夢を持って先駆け、我の代わりに失敗を重ね、志を分け与えてくれたヒトを。感謝以外、何があるというのだろう。。。
2017.01.28
コメント(0)
人間の悩みごとの多くは、身体と経済の健康時間と意思決定の自由自己承認と人間関係これらに集約できそうに思う。人間関係が良ければ、周囲は、自分を認めてくれる可能性は高まる。そうなれば、自分の『意見』も通しやすくなり、仕事も、はかどる。仕事を任せた人にも、自分の考えが伝わり、上手に時間を使えるようになる。このあたりが、うまく回れば、仕事は、うまくいき、収益も発生する。人間関係が上々で、あれば、『経済』『時間』『意思決定』『自己承認』これらへの欲求におけるストレスも減り、身体への過剰なストレスも軽減し、なんだか、身体的健康まで、手に入れられそうだ。って、ことは、とどのつまり、よい人間関係の構築が、すべてに優先されるのかもしれない。
2017.01.12
コメント(0)
限りなく多様な価値観が共存する中で、たった一言や、断片的な背景考察だけで、人の心を予想してモノ言うことを傲慢と感じた。尋ね、伺い、答えを聴いて、答えていたサル年。尋ね、伺い、応えを看て、応えるトリ年とする。答えの後ろに見え隠れする応えを看きるまで、人の本音は、わからない。明確な答えを聴いて、明確に答えて、何度も、驚いた。自分の口で語ってくださる明確な答えの多くが、実現したい望みではなく、実は、単なる憧れなのだ。別に、望んではいないのだ。答えの後ろの応え方をみて、望む人に、伝えよう。人生は、想いより、行動に従う。最初は、ブツクサ言いながらでも、いい。理屈通りに、そして、数をたくさん、やったもの勝ち。どこかで、やんなきゃならないんだ。ということを。
2016.12.29
コメント(0)
観てきました。そう。。。数年前。年収が、数千万円ある人が、駅前で、毎日、チラシを配っては、『そで』にされている姿を見て、人生をやり直そうと思った。石切り場で、人夫に、『何をやっているのか』と尋ねれば、『見ればわかるだろ、石を切り出しているんだ』おおかたの人夫が、そう答えるのだろう。『ピラミッドというものをこさえているんだ』そう、答える人もいるだろう。さらには、『エジプト文化を創っているんだ』と笑顔で答える人もいるだろう。川の氾濫を抑える土木技術を目に見える形にする。太陽の動きを知る知恵を農作業に活かす。この文化が、周辺地域の人々をも支えるのだ。こんな気持ちの人夫。。。数は、少ないかもしれないけれど。。。いる。今、僕も、日々、チラシ配りをやっている。過去の僕は、挨拶をして、会釈をして、ごめんなさい、してきてしまった。街頭のチラシを、ほとんど、受け取ったことがなかったから、気持ちは、よ~~~く、わかる。『見下すような視線』『目の前で、走り出す』『手で振り払う』『暴言を吐く』一切、チラシを受け取らなかった僕でさえ、そんなことは、しなかったけれど。。。そんなことにも、よく出逢う。よ~~~く、わかるよ。困ったチラシも、たくさん、あるからね。そして、思う。なんでも『そで』にする人に限って、『なんか、いいことないかなぁ。。。』って、ため息をついている。あなたの目の前で、あなたの胸に飛び込んでくる人は、もしかしたら、もしかしたら、福の神。。。かもね。
2016.12.24
コメント(0)
いつの日にか、思うようには動かぬ身体を抱きしめながら呼吸をする日々は来る。もちろん、事故やサイレントキラーたる病気の発作なら、それは、一瞬かもしれない。そして、それは、本人と共に生きている人にとって、私の重力的な重さを支える負担はなくても、呼吸さえ失った私が背負っていた重荷を肩代わりすることに、なりかねない。あるいは、肩代わり先を探さなければならないのかもしれなない。ところで、誰が、その肩代わり先になってくれそう?国民皆保険により公的年金が存在する『世界的に見れば、まだマシな日本』でさえ、人口構成が落ち着きを見せる、この先の30年間くらいは、感覚的には、まさに、呼吸するだけの支援にまで、落ち込むことだろう。そんな近未来を想像する私は、疑問に思っている。なぜ、学校教育は、経済の教育をしないのだろう。無限責任会社たる『旦那衆』システムが危険だから、有限責任会社たる『株式会社』システムを創ったのだ。100万円しか投資していないのに、偶然大きくなった会社が、1億円の負債を残して倒産。『旦那衆』は、それを負担しなければならなかったが、『株主』は、株が紙切れに変わるだけだ。だから、みんな、安心して『株主』になれたのだ。そして、時は下り、従業員への雇用責任が重くなり、負担しきれなくなった『株式会社』が、『フランチャイズ』システムを創ったのだ。もともと、従業員を大切に扱ってきた日本では、このシステムを別の形にすり替えた。この国特有の高い地価の更なる上昇負担を回避するために、『昔の地価で決算書を作成できる地主』に『フランチャイジー』を請け負ってもらい、『昔の相場で地価を計上して、支払家賃を抑え』『既存店に対抗できる新店』を、やらせたのだ。もちろん、雇用のリスクも、フランチャイジー持ちだが、今の相場で家賃計上しなければならない既存店とは比べられないほどの『家賃アドバンテージ』が、その雇用のリスクを忘れさせた。もちろん、日本の労働市場のしくみが後押ししている。『学歴』を創りたい大学と『自分の色に染めたい』企業の合作市場だ。事業を『生業』と思い、売買の対象ではなく、ずっと、持ち続けるものという意識の日本だからこそ、長期視点に立ち、こんな労働市場ができたのだ。『儲かるなら、その事業を売ってしまう』という意識が少ないから、生まれた市場だ。低賃金の新卒を中途の経験者より優先雇用。新卒を長期にわたって教育して、『自社以外では役に立たない腕』を上げさせ、中途で転職しようとしても、労働者のマーケットプライスは低く、給与が下がるシステムを創った。自動的に会社に縛られるしくみだ。そして、それを『終身雇用』と呼び、安全で、すばらしいもののように見せた。確かに、定年までは。。。この労働市場は、従順だ。しかし、自分では責任を負わないことが大好きなのだ。『ちゃんと言われたとおりやったのだから、あとは、会社の責任』これが、大好き。これが、雇用リスクを軽減させた。このマーケットでは、低賃金から始めても、教育をし、少しずつ賃金を上げれば、従順に、ちゃんと、仕事をしてくれるのだ。『俺がやってきた今までのやり方』なんて、主張してこない。ただし、労使は、いつまでたっても、労使だ。フランチャイザーとフランチャイジーの間も。。。フランチャイジーたる地主が店長を育て、新規出店をしても、ロイヤリティは、すべて、フランチャイザーに持っていかれる。ノウハウ料、看板料として。もちろん、培ってきた多くのノウハウが土台だ。フランチャイザーは、ロイヤリティを受け取る権利はある。そして、同時に、その新店をオペレーションする店長の教育にかかる経費の多くは、『地主』たるフランチャイジーが負担してきたのだ。だから、その新店からのロイヤリティの一部を教育費を負担したフランチャイジーに与えるべきだ。そう考えて創られたのが、ネットワークビジネスだ。多段階的にロイヤリティが配分されるのだ。多くを育てた人に、多くのロイヤリティが支払われる。もちろん、多くの優秀な店長を輩出すれば、その『地主』は、自分の店の売り上げ以上に、店長たちの店を支えることが重要になってくるだろう。とは言え、自分の店をおろそかにして、優秀な店長をたくさん輩出できるはずもないのだ。育てた後、遊び放題では、誰も働かなくなる可能性がある。常に一定の割合では、自店の経営をさせなければ、組織は、根本から崩壊する。ネットワークビジネスを『権利収入』という人たちは、この構造の根底を理解していない可能性が高い。自分の店をおろそかにしても、『権利収入』がはいってくるしくみを採用すれば、合法だが、成長は、見込めない。『友達をなくすぞ!』などという『ご忠告』をする人は、残念ながら、もう少し、学びを深めることをお勧めする。違法な『ねずみ講』とのシステムの違いさえも、知らないはずだ。私のやっているビジネスのひとつ、不動産ビジネスも、有効なネットワークビジネスに似ている。賃貸住宅 53部屋賃貸工房 1部屋駐車場 40台バイク駐車場 31台 自動販売機 4台このうち、自分でやっているのは、賃貸住宅 5部屋賃貸工房 1部屋駐車場 2台バイク駐車場 31台 自動販売機 3台残りは、委任している。手数料は、取られるが、報酬に満足している。自分で全部やれば、自由が、なくなる。新しい情報も、入手が遅くなる。時代に追いつけず、結局、負ける。自分でやっているのは、新しいことへの挑戦。そして、委任先へのけん制だ。いい加減なことをできないように。実際に、身体が動かなくなったとしても、『すぐには』という言葉がつくけれど、私の報酬には、ほとんど変化はないはずだ。自分でやっている部分でさえ、自分でやるのではなく、『自分で、よいパートナーを探し、維持』しているだけだからだ。もっとも、それが、一番大事な部分だけれど。自分の得意技を探すために、たくさんの経験をさせてくれている『今の学校というシステム』には、心から感謝している。そして、時代が下り、自分の頭と腕だけを頼りに生きることの限界がみえるからこそ、学校では、よいパートナーをみつけ、それを維持できる能力こそ、教えてほしいな。
2016.12.04
コメント(0)
困窮している人や企業を見るにつけ、何かが欠落しているということは、誰しも思うこと。『E』も、『S』も、やって、それぞれに、成功体験と学びの場を得て、今、『B』にいる私が、『E』や『S』の立場で、困窮していたとき、たりなかったもの。。。それに、気づくために、私は、長い時間が、かかってしまいました。気づいた結果、多くの縁と支援を受け、豊かさに近づいていく自分と、なりました。今、困窮している中小企業の多くに、『企業理念の不在』を感じます。自分の提供する『すばらしいサービス』を売ることに、躍起になり、『サービスレベル』の向上には奔走していますが、『理念の明確化』、そして、特に、『組織への理念の浸透』が、後回しにされているように思います。経営理念に共感した人が、提供される『そのサービス』を買い求め続けます。『経営理念のないサービス』は、繰り返し利用されることもなく、『共感』という付加価値を提供できないので、『価格競争』に、巻き込まれます。私は、『理念経営』を重視しています。経済的自由、時間的自由を同時に手に入れ、『勝ち負け』ではなく、『WIN-WIN』の関係を構築し、自分に、周りに、社会に、豊かさをもたらすことができるのは、『Bクワドラント』の特長です。社会に、多くの奉仕ができるのも、『Bクワドラント』の特権です。『E』『S』には、厳しい増税が待っています。『I』の特権にも、メスが入りましたね。そして、『B』には、『減税』が言い渡されています。これが、今の日本です。豊かになるためには、Bクワドラントに所属する必要があります。所属して数年間は、いばらの道の続く『B』現在の教育制度の中では、『B』の魅力を伝えないため、わずかな人が、『B』を選択する勇気を持ちます。ある意味、それで、いいのかもしれませんね。収入のために働かない。この言葉が腑に落ちる人は、少ないです。『貯金は、チャンスをつかみとるため。』『キャッシュフローと比べれば、あまり重要でない』このことに気づくことも、重要です。私も、自分の夢、追い続けます。あらん限りを尽くして、志高く頑張っている人の夢になり、公平で、公正な、温かい社会を担う。私は、そう、なります。この記事は、3年前に書いたもの。(*^_^*)
2016.12.03
コメント(0)
どこに、おきますか?自分が、何らかの理由で、働けなくなった時。家族が、どれだけの期間、今と同じような生活を続けられますか?お金で買えないものが、た~~~くさんあります。そして、お金がないと困ることも、た~~くさん、あります。誰もが、みんな、不死身では、あり得ません。この先の世の中が、どんなふうになるか。。。それは、脳の中での未来トラベル。誰にも、確かなことは言えません。だから、今、この瞬間、リタイアメントしたとき。何年、大丈夫?私は、それを豊かさの基準にしました。安心感、ボトムラインが、見えれば、やりたいように、やりやすい。生きたいように、生きやすい。1984年4月。22歳。額面月給14万円の会社員から始まった、私の社会人生活。そういえば、25歳くらいだったかな。苗場スキー場に行って、苗場ヴィラに『1億円』の正札がついたとき、この国の『お金持ち』や不動産業界が、『お客様を見ていない』と感じた。28歳くらいだったかな。母校の経済学部の女子学生から、アンケートを求められた。『バブルの余剰資金は、投資に向かうか否か』『マス』の会話において、マイホームへの修飾語として『夢の』がつく限り、『投資には向かわない』って、答えたな。。。34歳。僕の代わりに仕事をしてくれる人を、正社員として3人雇わなければならなかった。よく、働いたもんだな。。。だからこそ感じた危機感。こんな貯金は、具合が悪くなれば、10年で。。。と。だから、生き方を変える決意をした。もうすぐ、55歳。81歳まで、見えてきた。針の先ほどの光だけれど。今、何年、大丈夫?(*^_^*)
2016.12.02
コメント(0)
東京オリンピックに向けて、いろいろなモノが登場する、その年に、消える景色があることを心に刻む。建設中の八ッ場ダムを見に行った。2020年には、ダム湖となる。フッと、思い出した、亡き父の言葉。19歳のとき。妹は15歳。父から、『引っ越そうと思うが、どうだ?』と、ふたりは、訊かれた。事業拡大のために、『一駅下る』という話だった。土地スペースは、3倍以上に拡大するが、ほぼ感情だけで、この兄妹は、反対した。引っ越しに。私は、3歳から。妹は、生まれた時からの地所。子どもたちの意見を尊重して、諦めた父。たった『一駅下る』話にさえ、乗れなかった私。故郷を二度と見ることのできない7000人の中には、離れがたい気持ちを持つ人がいることは、当然だろう。そして、わが身を振り返ってみて、あの日の判断は、今の自分に、どう、振りかぶってきているか。結果論だから、わかる、プラスとマイナス。それでも、思う。たったひとつの『自分には変えられない』事象が、ほんの少し、神様の気まぐれで変わるだけで、私は、この『プラス・マイナス』に、違う解釈を与えるだろう。八ッ場を故郷とする方々の未来に、何が起きるかは、わからない。良い解釈のできる結果が待つことを祈るばかりだ。
2016.11.21
コメント(0)
7年ほど前、気に入って買ったカバン。年300日くらいは、一緒に過ごしている。かなり、高い価格設定のメーカーだが、ここの製品を3つ、続けて買った。僕は、この鞄製作所の大ファンだった。先日、取っ手の傷みが激しく、修理を依頼した。そして、僕は、ファンをやめた。僕が依頼した修理は、取っ手の交換。そして、内装に、Dリングを新たにつけること。取っ手の交換は、OK。Dリングは、NGだった。現在、僕のカバンと同じものをこの鞄製作所は、製作していない。僕のカバンの『後継機種』らしきものは、現在も販売されている。その『後継機種』には、Dリングが、ついている。7年間、2100日以上は、僕の傍らにいるカバン。僕にとって、使い勝手の良いこのカバンへの唯一の不満は、『鍵を探すとき』に感じている。だから、依頼したのだ。結論。技術的には、可能だが、会社の修理理念に反するからNG...だった。D管は、販売時には、付いていなかったものだから、NGだ。。。と。彼らに、その修理理念を尋ねた。『販売時に戻す』。。。だった。更に、質問した。会社のトップが語る『その理念』をあなたは、どう解釈しているのだ?と。私が、あなただったら、その理念を以下のように解釈する。と言った。自分たちが販売したものには、その寿命が尽きるまで、お客様に愛用していただきたい。だからこそ、技術的に修理できるのなら、どんな修理でも、承りなさい。たとえ、今は、使っていない材料でも、取り寄せて、販売時の仕様に戻しなさい。今は、使っていないミシンでの縫合が必要なら、手縫いしてでも、販売時の仕様に戻す気持ちで修理しなさい。可能な限り、可能な限り、販売時の輝きに近づけて差し上げなさい。お客様が、その費用を受け持つ限り。僕は、心の底から、そう思った。顧客満足が根底にない理念など、ないはずだ。ならば、『後継機種』についているDリングひとつのために、寿命半ばのカバンを『亡き者』にさせて、新しいものを買わせるような。。。そんな『顧客対応』を、トップが望んでいるはずもない。そんな主張をさせていただいた。反応は、残念なものだった。僕は、この鞄製作所のファンをやめた。カバンの取っ手は、修理してもらうことにした。いろいろな価値観があるだろうけれど、衝動買いはしない僕は、買ったものを大切に使う。服にしても、僕のワードローブの中には、44年前のジャンパー(母の形見)が現役だ。42年前のコートが現役だ。44年前のシャツ。僕はサイズの問題で着られなくなったが、妻のシャツとして、だけれど、現役だ。30年前なら、数えきれない。モノの命が尽きるまで、僕は付き合う。僕は、ものを買うとき、いつも、思う。ここのファンに、なれたら、いいな。。。と。
2016.11.19
コメント(0)
自分の未来をイメージする。学生時代の私が、それをすると、人に役に立ち、周囲から称賛されている自分がみえていた。いつのころからだろう。。。周りの人が、他の人が、社会が、幸せそうにしている姿を夢『みる』ようになったのは。もちろん、ただの一度も、自分がふんぞり返っている姿を『みた』ことはない。そういう人間が、大嫌いだから。豊かさは、誰の下に訪れるのか。なんだか、気づき始めたような気がする。今、イメージの近くをうろついているような感じがする。
2016.11.18
コメント(0)
フッと、思うことがあって、と言っても、『前向きな思い』ネ。杏里の『砂浜』を口ずさんでいる僕がいた。『みんな、見せかけの恋や形だけの愛ばかり もう一度、君に逢えたら、この海、みせたい』の歌詞に、文句をつけてきた人がいたなぁ。。。って、思い出していた。自分の好きな歌に対して、ズケズケと物言う奴に、腹立たしさを感じながらも、その『文句』にさえ一理あるからこそ、自分を笑顔にする解釈を手に入れられなかったな。あのころ。。。今、『もう一度、君に逢えたら』。。。その『文句』にも、笑顔の解釈ができる僕がいる。自分の成長を感じる。(笑)50歳になるころまでの僕は、まさに、『忙し過ぎる時間と、人と人の間で 落としもの、してきたような思い』だった。それを感じながらも、走り続けた。自分の望む生き方を歩んでいるとは思えなかった。苦しくて、苦しくて、僕は、父親が人生を歩み始めた。。。否、駆け出した、父にとっては、まさに、思い出の砂浜に立ち、『膝を抱えて、目を閉じて』。。。真夜中の誰もいない海岸で、声を枯らして歌った。45歳だったかな。。。漆黒の海。波音にかき消され、自分の心以外には、きっと、どこにも届かない大声。あれから、そろそろ10年だ。失くしていた『少年のころの思い』今、少しずつ実現してきた。
2016.11.12
コメント(0)
大学を卒業して、社会に出た。最初の職業は、『サラリーマン営業』卒業間近の春休み。めっちゃ不安だった。私の給料分まで含めて『買ってくださる』そんな殊勝なお客様がいるのだろうか?『買うけれど、お前の給料分は値引きしろ』と言われても、きっと、返す言葉がみつからない。無知な社会人一年生が、自分自身の価値を価格転嫁できる状況だとは思えなかった。そんな自分がいた。懐かしい、懐かしい、思い出だ。そして、今、思う。多くのいい大人の社会人が、なぜ、『稼ぐ』ことを『悪』のように扱うのか。誰もが『稼がず』には生きていけない。お客様にとって、支払う以上のモノを提供すれば、いい。なぜ、やましさを感じる必要があるのだ。私のところでは、冗談まじりではあるが、『お友だち価格』は、高いよ。と言う。『友達だから』と言って、友達から『割り引いてもらう』そんなことを考えている奴。そんな『友達がいのない』奴が、なんで友達って言えるんだ?友達だからこそ、ご祝儀相場で買ってやれよ。それとも、なにかい?お前さんは、自分自身の仕事では、友達から取らない分、友達ではない人から、余計に頂戴しているのか?ひどい商売だね。私は、受け取るものは受け取るけれど、それ以上のものを提供しているって思えるから、誰とでも、堂々と商売するよ。そうさ。支払った人が、支払った以上に喜んでもらえるって思えるからむしろ、大切な友達とこそ商売したいよ。『友達と商売するなよ』なんて言っている奴の頭の中は、友達付き合いを『利用』して、自分が得することばかりを考えている、言わば、『友達がいのない奴』だよ。いい大人なんだから、友達からは、高く買ってやれよ。そして、そんなふうに金を出せるように、友達を助けられるように、自分も、ちゃんと稼げよ。支払うお客さんが喜んでいる商売で、稼ぐことの、どこが悪なんだ?先日、家の修繕をした。同じ修繕の内容で依頼したが、200万、240万、390万、600万それぞれの見積額の差には、驚いたよ。そして、やってくれる仕事の内容を確認して最高入札額の業者に任せた。いい仕事をしてくれた。過去30年間を振り返って、修繕に関して、最高の仕事をしてくれた。気持ちよく支払いをした。修繕に関して、このレベルの顧客満足度を感じたことは、過去、一度もない。すごく、ありがたく思う。この業者は友達だったわけではないけれど、友達のように親身になってくれた。こんな仕事をする人とこそ、私は友達になりたい。建物の修繕で、いい仕事をしてくれる業者を探している人がいたら、本気で紹介できる業者だね。エリアは、関東地区に限られるだろうけれど
2016.11.11
コメント(0)
その場の環境に順応したものが生き残る。その場の環境に変化があれば、その変化に、いち早く順応したものが生き残る。全く、そのとおりだと思う。そして、突然の激変は、起きてしまう。マーフィの法則には逆らえない。一寸先の『抗うことのできない変化』その変化への順応は、強烈な苦しみを伴う。だから、私は、激変への対応を唱えない。なぜなら、誰よりも優れた順応力など、凡庸なる我が身に求めることに無理を感じるから。私は、事前に準備可能な道を選択している。収入源となるポケットの数と種類を増やしておくのだ。激変に見舞われ、崩壊するポケットを救出する能力を持ち合わせない私は、底の抜けたポケットの応急処置だけをして、ポケットの中身を速やかに別のポケットに移す。変化への順応など、私のような凡人には、無理だ。日ごろから、ポケットの数を増やしておくことだけが、私にできる唯一のリスクヘッジ。
2016.11.03
コメント(0)
さて、人と向き合うときに、やってはいけないこと。正確に言えば、やっても、うまくいかないこと。それは、相手の知らない言葉を使うこと。それは、相手の知らない価値観で語ること。そして、相手の心を慮っているようなつもりで、勝手に妄想すること。上記の中で、特に頻繁に、私がやってしまっていたこと。それは、相手の知らない価値観で語ること。相手が求めてもいないのに、語れば、何を語っても伝わらないのは当たり前。そして、相手が求めていたとしても、相手の知らない価値観を、『私が正しいと思っている』からと、いって、自分の価値観で語っても。。。伝わらない。たとえば。。。収入のためには、働かない。働くのは、学ぶため。収入をもたらしてくれる資産を形成できるように、学ぶのだ。誰でも、豊かになりたいよね。この御仁のように、なら。↓↓↓http://plaza.rakuten.co.jp/manitousanblogs/diary/201504180000/と、言ったって、やっぱり、伝わらない。不動産賃貸のサブリースは、フランチャイズビジネスを買ったということ。大家さんになったのではない。ビジネスオーナーになったということだ。契約金を払いフランチャイズの看板を買い、その看板の下、現場で働く社長さんは、報酬に見合わぬ過度な責任を負わされたemployeeだ。断じて、ビジネスオーナーではない。フランチャイズビジネスを買うことが、どういうことなのか。フランチャイザーは、そのエッセンスを、フランチャイジーに教えない。。。いっさい。教えたら、フランチャイザーにとっての、フランチャイズビジネス最大のメリットが消し飛ぶから。ロバート・キヨサキ氏の言うように、マクドナルドは、フランチャイザーとしては、不動産事業を展開している会社で、まさに『大家さん』だ。な~んてこと、言ったって、わかっちゃもらえない。私は、従業員をやり、従業員を雇う自営業の社長(実質的には従業員)をし、従業員を雇わない自営業の社長をやり、ビジネスオーナーとしての事業も展開し、不動産事業も展開し、また、新たなビジネスを起こしている。どの仕事でも、キャッシュフローの特徴をみる。そこから、見えるものがある。そして、やっと、気づいた。それは、私の肌身に染みているから、わかるだけなのだ。ということに。本を読んだだけの人にまで、『わかるだろ?』と言った私が『間抜け』なのだ。
2016.10.27
コメント(0)
もちろん、たくさんの価値観の存在は認めるし、他人が自分と違うことを認めてもいたけれど、自分自身の価値観、正しさを疑わない自分がいた。そんな以前の私は、わかっていなかった。『正しさよりも、人間関係を優先する』5年前、気づき、『頭では』わかった。その結果、起きる事象に対する解釈が変わり、不満が激減。自分の正しさで、世相を裁くことは減った。ただ、抜けきれなかったのは、自分の価値観で、目の前の人を裁いてしまうこと。『目の前』だと、どうしても、感情が強く伴ってしまう。自分の心の中で、相手をぶった切ってしまい、しばしば、自己嫌悪。もっとも、それまでだったら、『口に出して』ぶった切ることも、多かったことを考えれば、ずいぶんと変化はしたのだが。私自身の価値観は、多分に資本家的で、学校では、絶対に教えない。従って、ごく少数派。しかも、学校で教える『正しい社会での過ごし方』とは、必ずぶつかってしまう側面を持つ。学校で教える『正しい社会での過ごし方』を学んできた親。一般的には、その親に育てられたのだから、そのままの価値観で生きる子どもたち。そんな中、突然変異は、稀有も稀有。『教科書にさえ疑問を持つことが常識』の人が、『情報』を得て、変化するしかない。私の父親は、偶然にも、『資本家的な意識を持つ職人気質』ヘンテコで、ちょっと珍しいタイプだ。そして、周囲とは、たくさんの違いを感じて子ども時代を生きてきた。面前の人との価値観の違いを受け止めるのに時間がかかった。つまり、『正しさより人間関係を優先する』の実行は、伴わない日々が多かった。1年ほど前、やっと、納得。。。。つづく。
2016.10.21
コメント(0)
27歳。34歳。将来を悲観した。新しい道に進む動機があった。出逢った多くの人が、将来の生活に不安を感じ、少しでも多くを稼ぐために、時間を費やし切り、体調を崩して働けなくなったら、大変なことになる。そんな中で、勤勉に働いていた。そして、なお、不満と不安で、いっぱいの人生。。。そして、私も、そのひとりだった。怖かった。27歳は、結婚直前。34歳は、次女が生まれた。組織の中で、身を削って働いて、身体を壊したら、どうするの?休みも取れないほどの責任を、受けられるだけ受けて。。。大丈夫か。。。自分。。。『学校で100点を取っても』、そこで手にした能力では、将来の不安を消せないことだけは、わかった。親が資産家だという知人以外、現役世代の友人で『悠々自適』な人をみつけられなかった。だから、気づいた。自分ひとりに起きたことではなかったから、気づいた。どうやら、社会のしくみは、学校で、教わったとおりではない。どうやら、親も、周りも薦める方法は、世の本当の流れとは、違うのだろう。。。と。『人と向き合う際の禁忌事項』記事を読んで。今は、生活の糧を得るために、働くことは、なくなった。働く理由は、その仕事の社会での役割を知り、自分の資質で、どんな仕事や貢献ができるのか。だ。そちらに、向かえるようになった。もちろん、自分と家族は、倹約すれば、なんとかなる。という安心感があるからだ。。。。つづく。
2016.10.20
コメント(0)
その差、その違い、は、言い古されている。そして、その結果の差、違いも、論を待たない。『言い古された』という言葉を使ってしまう。。。それほどまでに、どこの。。。そして、誰の。。。『リーダーシップ論』も、同じことを説いている。そして、それが、今なお、話題にのぼる。それほどまでに、『リーダーシップ』とは得難いものなのだと思われる。今日も、学生スポーツの話題になった。学生日本一を狙うほどのチームの『OB会』となれば、常に、真っ二つに割れるテーマ。『勝つ』ことが優先なのか。『教育の場』なのか。このテーマに『王道の解答』は、見当たらない。僕は、『OBのひとり』として思う。それは、『現役に訊けば、いい』と。『本人の望み』に合わせて支援すること。OBにも、コーチ、監督にも、それしかできないのだから。望んだものが、手にはいったら、よし。手に入らなかったとしても、よし。どちらの結果も、教育になることは、確かだ。『精一杯やったヤツにとって』という限定つきだが。『精一杯』やらなければ、何を目標においても、なんにも、手に入れられはしない。『OBも期待しているんだから、頑張れ』(-。-*)o少なくとも、そんな言葉を吐くOBのために僕は、頑張る気なんてなかったね。現役のとき。技術を教えるスタッフも足りないのだろうけれど、『言葉の使い方』『心のありよう』をスタッフに教え、現役の心をつかむための『教育』が、真っ先に必要だろ。。。
2016.10.16
コメント(0)
22歳。こんな自分にお金をくれる人なんかいるのだろうか?そんな恐怖も持ち合わせながら、勤め人として社会に出た。世の中にとって価値あるものとして、売りたいものは、あった。自分の中の正しさに、生きた。金と保身のために、自分の言っていることと、自分のやっていることの違う人。周りにいる、その人たちとの間に吹くすきま風。27歳。父に三つ指をついて父の会社に入れていただく。リーダーとして、人の心を支えられる人になりたかった。現場の人の心に寄り添える人になるためにも、現場で、働きに、働いた。バブル崩壊後だったが、創業以来の最高益をたたき出し続けた。業績により、会社の中での地位は築いた。。。が、現場の誰よりも、現場業務に長けたプレイングマネージャーになってしまっていた。34歳。望む姿ではなかった。そして、リーダーとして、人を支える人になりたかったが、人を見下す人間に、なり果ててもいた。良かれと思って、かける言葉の選択が、ズレてきた。社内での人間関係に亀裂が走り、仕事が回らなくなってきた。自分の中の正しさは、相手の思う正しさとは一致しない。そのことを頭では理解できたが、言葉の選択を変えられなかった。もがいた。失敗と失敗と失敗と成功を繰り返した。正しさよりも人間関係を優先する。目指すリーダー像として、サラリーマン時代から公言していたが、実行していない自分に気づいた。44歳になっていた。気づかせてくれたのは、大きな夢。。。いや、絶望感。。。だった。49歳。52年続いた会社を閉じることになった。公言していたことを実践できるように、心の持ち様と、コミュニケーションスキルを学んだ。50歳。いたわり。公正。誇り。子どものころから、大切にしてきたことにも、耳を澄ませた。公言の実践に努めた。自然体で実践できるようになるまで。。。54歳。今も、もちろん、『お努め』中。人間だもの。(*^_^*)そして、自分の欲求の『ど真ん中』をみつけた。『やりたくないことは、やらない』。。。だった。今、この『ど真ん中の欲求』が満たされている。誰かの命令を受けることもない。誰かに命令することもない。金に縛られることもない。時間に縛られることもない。もちろん、やらなければならないことは、あるけれど、それは、自分の心が、『やる価値がある』と、言ってくることばかりだ。大切な人たちとの人間関係も良好だ。今、幸せ。
2016.10.02
コメント(0)
win hands down という言葉は『楽勝』を意味する。勝利への激しい喜びのリアクションで、『喜びの感情を抑えきれないほど強敵だった』とするのも、敗者への敬意の示し方。そう考える価値観も、私は、受け入れられる。勝って、シレっとされたら、敗者は、かえって、悔しいかも。勝者の感情を乱すこともできぬほどの『大差』を敗者に見せつけることになる、とも、捉えられる。もちろん、日本文化に根差す勝利表現への考え方も、いいと思う。そのうえで、日本人なら『日本文化』でなければ。。。とは、思わない。そして、『他者への思いやり』は、もちろん、世界中で大切にされている価値観。日本も、そうだね。というのなら、勝者が、喜びを爆発させるほうが、『僅差』を示し、相手の強敵ぶりを示す、敗者へのいたわりだ。そう考える相手かもしれない、と慮る。日本が、英語圏に、世界標準に、なんでも、合わせることはない。そして、同時に、何でも、日本文化のみを是として語るも疑問が残る。お相手は、異文化なのだ。私は日本人だけれど、勝負で負けた時、勝った相手に、シレっとされたら、かえって、悔しいよ。Hさん。
2016.08.17
コメント(0)
会社の当座勘定照合表を見ていて、ふっ、と。。。当たり前のことなのかもしれないが、入金項目と出金項目を比べた時、うまくいきやすい事業は、入金額平均 < 出金額平均入金口数 > 出金口数だと、気づいた。小口で受け取り、大口で支払う。これは、まさに、金融だ。入金口数の多さは、売り上げの安定を示す。もちろん、すべての事業に当てはまるわけでもないのだろうが。*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆。.:*:・'☆'・4年前、空き倉庫を一括で駐車場として借りたいという話が舞い込んだ。借り手の会社は、地元の有名企業だったが、社長の言葉遣いが残念なので、やめた。1年間、新規事業を模索した。8桁の新規投資をすることにはなったが、34に分けて貸すことにした。今、32が貸し出されている。小分けの単価は、一括の34分の1より大きい。金融、そして、売上の安定。『決算書の見かた』に追加。(*^_^*)エッ?当たり前?そっか。。。(*^_^*)
2016.07.17
コメント(0)
起きたことが自分にとって塩梅が良くなくても、自分にとって価値ある学びだと思えるようになって以来、ずいぶんと不満が減り、違いを認めるようにもなった。そんな感じの今…それでも、びっくりする『お役所仕事』に出会った。某県某市に、1棟もの(16部屋14駐車場)の賃貸物件を所有。その物件のある駅前の再開発を某市が主導して区画整理事業を行った。結果として、地番、住所ともに変更されたのだが、土地建物の所有者たる私に新住所の案内が来ないのだ。某市役所市民課に尋ねたところ、住民票のある方には、案内をした。法人所有の土地の場合には、法人に案内をした。とのこと。某市役所の市民課に再び尋ねた。個人所有のアパートだが、全部屋貸し出している。土地も建物も所有者は私。固定資産税も都市計画税も償却資産税も某県に収めているが、私はそこに住んでいないから住民登録はない。しかし、自分の所有する建物の住所は知る必要がある。貸し出しの募集をするにあたっても、絶対に必要だ。自分の所有建物の住所を案内されないなどという理不尽があるものか。と。市民課の回答は、『案内はできない』土地所有の法人ないしは、住民票のある方のみと決まっているから…私は、区画整理事業を行った都市整備課に電話した。某市では、地番=住所だから、私に案内した新地番が新住所だという…私は尋ねた。私の住む家は、4筆の土地に、ひとつの建物が建っている。よって、住所と地番は、全く異なる。某市の基準で新住所が決まることに異存はないが、私が某市に所有する当該建物も、1棟だが、もともと4筆の土地の上に建っていた。そして、今回の区画整理事業により、2筆に整理されたが、それでも、その2筆の土地に、1棟が建っているのだ。案内を受けた新地番は、当然のごとく2筆分ある。つまり、その1つの建物は、2つの新地番の上に建つのだ。『新地番=新住所』だとしても、私には、知るよしもないのだ。某市が、私の建物に、どのような『新住所』を割り振ったのかを。やっと、理解してくれた。私は、案内がなければ、所有建物の住所すら、わからないのだ。と。しかしながら、それでも、『案内』は送れない、とのこと。ルールだから…結局、私が、申請書を出すことになった。所有建物の新地番と新住所の関係を証明する証明書の発行申請を。個人で全室賃貸の物件を所有する人って、某市から無視されるほど少人数ではないと思う。某市役所が、『このルール』を決めた経緯を知りたいなぁ。私のような個人事業主に『教えない』ことで、どんなリスク回避ができると想定しているのだろう。不思議…(*^_^*)
2016.07.15
コメント(2)
ラグビーをやっていて出逢った食事の大切さ。バイオテクノロジーに進みたくて、プロテインを広めたくて就職した。別事業に配属された。やりたい分野を望みながら仕事した5年間。『会社の理論』に、納得できずに飛び出した。行く当てもなく、父に、三つ指をついた。父の会社の従業員さんの幸せを願って働いた7年間。バブルの後遺症の中、年間休日3日で働いた。会社は、昭和34年創業以来の利益をたたき出した。従業員さんの給与も賞与も爆発的に上げていくことができた。でも、自分を含め、誰も幸せになっていないことに気づいた。経済的自由と時間的自由。その両方を同時に手にしなければ、『誰かのために』なんて、絵空事。『支える』なんていうスゴいことは、私ひとりでは、どうにもならないことも気がついた。誰かと共に、新規事業を模索した8年間。失敗続き。。。だまされもした。そして、今、考えれば。。。だけれど、自由の端っこをつかんのは、あの8年のあとの4年間。もちろん、その時は、そうとは、気づいていなかった。世の中の役に立ちたいという思いを忘れず、さらに学び続けた3年間。怖かったけれど、ついに、目を瞑って、新たな道に飛び込んだ。新規事業だ。過去を捨てて1年。さらに、もうひとつ新規事業を起こした。さらに1年。自分の道を自分で決められる自由を得た。今、経済的自由と時間的自由の両立を得て3年。不承不承で人の指図を受ける理由が、なくなった。『自立』という『心の解放』にまでは、行きついた。まだ、周りを支えるだけの力はないけれど、わずかな支援を続けられるようになった。娘たちの養育を考えると、あと4年は辛抱しながらになるけれど、この支援を続けよう。面白いな。。。今、代替食としてのプロテインで支援をしている自分が、ここに、いる。初志貫徹?そうかもなぁ。。。(笑)
2016.05.05
コメント(0)
我54歳。健康診断を受ける。母が天に召された歳を8年超えた。父の召された日まで、10年。。。血圧102-62昨年、本人契約の生命保険を見直した。今年は、会社契約の生命保険を見直そうかな。この1週間、相続税の試算のため、個人と会社の資産棚卸をしている。いつか『来る日』。やはり、親からしてもらったことぐらいは、妻と子どもたちに、してやりたい。常に税制を学びながら人生を運営している。試算をしていて、つくづく思う。税のしくみに対する知識を持つか否かで、とんでもない違いが出てしまう。学校では、ここにある致命的な差を積極的に教えないんだよね。。。(-。-*)o
2016.04.23
コメント(0)
男友達に『同報送信』で、『祝バレンタインデー』って。。。同じ文面のメールでもいいからさ、ひとりにひとりに送ろうよ。。。一通。一通。プレゼントなんて、なくていい。『心ばかり』で十分だけれど、私には、その『心』さえ、感じられないよ。『同報送信対象者に加えていただいて、ありがとう』なのかね。。。『効率的だね~!』って、ほめるのかな。。。*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆。.:*:・'☆'・この3年ほど、つくづく感じることがある。『正しさ』というヤツの扱いだ。自分の持つ正しさで相手を裁けば、相手を切り裂いてしまうことになる。それは、良い結果を産み出さない。そう、教えていただき、納得している。私は、自分の正しさで目の前のことを裁き続けてきてしまった。その時代が長い。個々の事象だけを見れば、その『判断の結果』は、悪くなかった。それでも、『教えていただいた』ことに『ハッ』としたのは、長い目で見ていくと、『味方の減る人生』になっていることに気づいていたからだ。『正しさ』を押し付ける私は『正しくない』ということに、うすうすであっても、気づいていた。そして、最後は、『絶望感』を伴って、やっと、明確に気づかさせていただいた。もちろん、不完全な人間だから、今でも、たびたび『正しさ』が、頭をもたげる。苛立ちを隠しきれないことも多い。相手を変えられないことを知りながら、変わってほしい一心で、口も滑る。相手に変わってほしければ、自分が変わるしかない。。。よね。わかっては、いるんだ。。。そして、本当に、私の感じている『正しさ』が『正しいのならば』、相手は、『痛い成果』を伴って(かもしれないが)、いつか、それに気づく日が来ることだろう。痛みを感じるその前に、気づいてほしくて、愛情を込めてフィードバックもするけれど、表現するその『言葉』が、難しい。あまりにも多くの『正しい』と言われる価値観の中で、言葉の見つからない毎日である。
2016.04.09
コメント(0)
昨日、この春、大学を卒業する母校の後輩と食事に行きました。『病室と教室をつなぐ』彼女のライフワークです。子どもたちの病気や怪我は、子を持つ全ての親が直面する可能性のあること。僕の家族にも、起きてしまうかもしれないこと。長女が高校生のとき、父との思い出について訊いたことがあります。小学生だった彼女が公園で高所から落ち、後頭部を遊具に打ち付けた時、僕は、彼女を自転車の後ろに乗せて救急病院まで。。。それが、長女の心に焼き付いている『父』だと聴きました。ふと、僕が小学生のとき、同級生が交通事故で片足を失い、入院している間、学校との連絡役をやった自分を思い出しました。中学生のとき、僕がスキーに誘った同級生が、複雑骨折をして、手術。入院中、授業のノートを病院に持って行っていたことも。。。各分野の専門家の知恵を、学校や病院、家庭が、利用しやすい形の情報として提供し、その子にとって、よりよい教育環境の選択を可能にする。それを、僕は、事業として成立するように支援したいと思い、詳細を伺うことを選択しました。まだまだ、青写真。それでも、お互いにとって、とても、よい時間となったと思います。自分の父親よりも年配の僕と、一日の時間を割いてくださり、彼女に感謝したいと思います。そして、エルルカンビスのオーナー・スタッフの皆さま。すてきな空間をわけていただきまして、ありがとうございます。http://www.herlequin.com/
2016.03.08
コメント(0)
娘が、小学校2年生のときに、訊いて来た、質問。そして、そのときの、私の回答。*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆「ねぇ、おとうさん、」「んん?」「サンタクロースって、ほんとうにいるの?」「いるよ。」「ほんとう?」「うん。でも、サンタさんは、ひとりじゃないんだ。」「その子にとってね。。。サンタさんというのは、その子のことをとっても大事に思っていて、その子も、とっても大切に思っている人のことなんだよ。」「今の玲子なら、おとうさんと、おかあさんかな。」「玲子のサンタさんは、玲子のことが大切だから、玲子が、いい子だと、うれしいんだよ。」「だから、やさしくて、人から大切にされる子が、とっても大切にしている人の数だけ、サンタクロースは、いるんだと思うよ。」「それに大切に思っているどうしだから、いつも一緒にいたいと思っていて、それが、かなうなら、いつもできるだけ近くにいるもんなんだよ。」「だから、空を飛ぶソリも、あたたかい赤い服もいらないサンタさんがいっぱいいるんだよ。」「でもね、いろいろなことがあって、大切な人の近くにいられない人も、いるんだよ。その人たちの、やさしくて、せつない気持ちが空を飛ぶサンタクロースになったんだと思うよ。」「おとうさんは『あっ、この人サンタさんだな!』っていう人をいっぱい見たことあるよ。」「でも、トナカイのひくソリで空を飛んでいるサンタクロースは目をつむらないと見えないんだよ。」*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆。.:*:・'☆'・その娘は、今、大学院。23歳になりました。
2015.12.24
コメント(0)
全1583件 (1583件中 1-50件目)