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学校が終わってからの時間、子供さんはどうやって過ごしていますか?いわゆる放課後というのは、宿題をやったり、友達と遊んだり、一人でのんびりとしたり、塾や習い事にいったりするのが、普通の健常な子供達。障害のある子はなかなかそれが出来ずに、ポカンと空いた時間は持て余してしまうだけになっている。かえでもそういう余暇の利用が出来ない子。14時半に迎えに行って、帰宅してからは、家でしっかりつきあってあげられるように、かえでが帰ってくる前に、夕食の下ごしらえや、その他の家事を済ませておかなくてはならなかった。私の性格上、何かを一度にこなせる器用なタイプではなく、ひとつひとつを完璧にやらないと気が済まないので、かえでが帰宅する前に、ボチボチやろうなんてことは、自分の中では許されなかった。養護学校へ来ている子のお母さん達の間で、子供が帰宅すると時間に追われて、慌しくて、兄弟のことや家事が、思うようにできないことが問題になっていた。幸い、かえでの通うA養護学校の分校は、同じ敷地内に障害者の更生施設があり、放課後を、その施設で過ごすことはできないだろうか?という話が出た。専門の職員もいるし、ショートステイ(一時預かり)の受け入れもしているので、ここで学童保育をやってくれたら、すごくいい。何人かのお母さんで、施設の園長先生にお願いに行ってみた。園長先生は、できればそういうことをやっていきたい、でも取っ掛かりがなくてできない。とおっしゃった。私が「じゃ、どうすれば、出来そうですか?」と聞いたら、「力のある人に、会うたびに『困ってます』と訴えてみればいいかもしれない」と冗談交じりに答えてくださった。そこで、娘の同級生のお家のおじいちゃんが、市会議員をやっているのを思い出した。その議員さんなら、顔が広くて、市長とも仲良し♪福祉関係にも強いらしい!みんなに相談して、なんとかアポを取って、ダメ元で行ってみようということになった。いざ、行くぞ~と言う日、一緒に行ってくれるはずのお母さん達が、みんな用事が入ってしまって(ホントかよ?)仕方なく、私一人で行く羽目になったドキドキしながら、議員さんのおうちへお邪魔した。健常児の学童保育も必要だが、障害児にとっても貴重な時間を過ごさせてあげたい。親が面倒見るだけでは、限界がある。放課後の時間を有意義に使えたら、親子ともにリフレッシュできる。議員さんにそういう話をして、またここでも泣いてしまった議員さんはとても納得してくださって、その場で市役所の福祉課へ電話を入れてくれた。更生施設は、近隣のあわせて1市7町から出来ている組合立なので、周りの町にも許可が必要で、次の週にあちこちの福祉課を集めての会合があるから、全部に来年度の予算を組むように言ってみようとおっしゃってくださった。まさか、こんなにトントン拍子で話が進むと思ってなかったので、びっくりしてしまったけど、みんなに報告して、大喜びした。3学期になってすぐに、地元の新聞社から、分校に取材が来た。『4月より、障害児のための学童保育開設』という記事が載るらしい。迎えにいったとき、昇降口で記者の人につかまり、私ともう一人のお母さんが取材を受けた。障害児が放課後の時間を持て余していることや、楽しい時間を過ごせるようになってほしいという願いを話し、少しでもこの子達のことを知ったもらえたら、と思いがいっぱいだった。翌日の新聞に、そのことが載った。かえでの写真はちょこっと載ってたけど、私の顔はちょうど入ってなかった娘が「顔はやっぱりカットされてるわ。年齢だけしっかり書いてあるよ」と言うそうして4月、かえでが2年生になったと同時に、障害児の学童保育が始まった。時間は、午後2時半から5時まで。これで、姉妹の参観会や懇談会にもゆっくり参加できる。夕食の支度も余裕で出来る。かえでも、学校でもない家庭でもない、第3の新しい場所で、放課後を充実して過ごすことができる。家族もかえでも、みんなが満足できる学童保育だった。その後、市や近隣の町でも、障害児のための学童保育をやってもらいたいという声があがり、かえでの利用している所とは別の場所でも、ぜひ保育所を!という活動が始まった。「心身障害児のための長期休暇と放課後を考える会」という長い名前の会が発足し、私も、みんなと一緒に署名運動をしたり、議会へ要望書や陳情書を出したり、ほかの議員さんへお願いに行ったり、議会を傍聴したり、何度も会合を持ったり、とにかく忙しく動いた時期があった。みんなが頑張ったお陰で、あちこちに障害児のための学童保育所が出来た。そこには、中学生や高校生のボランティアも来てくれる。上の娘も、中学時代は夏休みなどは自主的にお弁当を持って、ボランティアに行くようになった。かえでが利用する日は行きたくないそうで、いない日を見つけて行ってくれた。散歩。散歩に行っておやつを買う。みんなでゲームをする。宿題のある子は済ませる。別の保育所との交流。普通の小学校のグランドで遊ばせてもらって、さりげなく健常児と交流。などなど、いろんな企画が盛り沢山で、絶対、家にいては味わえないものばかりだった。学童保育は、いろんな人に潤いを与えてくれたように感じた。「大変だったけど頑張ってよかったね」と言って、当時の仲間のお母さんと笑う私は、今はそんなパワーがないけど、後に続く人たちの役に立ってよかったな~と思うのでした
2006年05月30日
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あちこちから、バトンが回ってきますね今回は、たかさん308から回ってきました。『持ち物バトン』ですぅ1・お財布はどんなものを使っていますか? カードポケットがたくさんついた使い勝手の良い茶色のお財布です。 ブランド品ではありませんが、使い込んだら馴染んで、気に入ってます。2・携帯電話はどんなものを使っていますか? DocomoのN902iです。これ↓ 替えてから丁度2ヶ月になるかな?やっと使いこなせるようになったところ 3・使っているケータイのストラップは? これです~↑ 『ジダンとダヤン』のキャラクターのストラップ 4・手帳は持ってますか はい。持ってます。 見開きの1ヵ月カレンダーになっているものを使っています。 毎年同じものを、カバーの色を変えて買っています。 とにかく使い勝手の良いものが好き。私も自閉傾向あり~? 5・バックはどんなものを使っていますか? Y’SACCSのショルダーバッグ。 斜め掛けも出来るし、小さいけどたくさん入って便利。6・バックの主な中身は? お財布、携帯電話、手帳、ハンカチ、ティッシュ、買い物用のエコバッグ、コスメポーチ、 ブラシ、免許証、いろんなお店のスタンプカード収納ケース、ガム、 それとの○○○・・・ウフフ7・持ち歩いてないとダメというものを3つあげましょう 携帯は持ってないと不安になる。依存症かも・・・8・タッチする人は? どうしよう・・・ またまた困ってしまった! では、杏里さん、shunさん、有間さん、お願いできますか~ 皆さん、お忙しいところ恐縮ですが、無理のない範囲でお願いしま~す
2006年05月28日
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かえでが、療育施設のこども発達センターへ通っていた頃、通園仲間のほとんどの子が、療育手帳や、特別児童扶養手当なるものをもらっていた。年齢が低いから、まだ申請したばかりという子が多かったけど、うちは、手続きするのが面倒臭かったことや、手帳を持つこと自体、障害を認めているような感じがして、どうも気が進まなかった。手帳を持って、いろんなこと免除してもらったり、毎月お金をもらったりするのって、『かわいそうな人』扱いされているようで、どうしても私のプライドが許さなかった。そこまで落ちぶれてないもん!そんなふうに思っていた。2つ年上の自閉症の男の子は、言葉も出るし、けっこう自立していて、こだわりが強いところだけが難点だったけど、療育手帳はA判定だった。(AとBがあって、Aの方が重度)どうしてこの子がA判定なんだろう?私の知らない隠れた重度な面があるのかな?不思議だったので、その子のお母さんに聞いてみた。A判定なら、・公共交通機関が親子で半額になる。・有料道路も半額になる。・遊園地や動物園、その他の施設(テーマパークなど)が障害者割引になる。・自動車税が免除・NHKの受信料が免除などなど・・・「そういうの使わない手はないでしょ? だから判定の面談の時に、 これも出来ません、あれも無理ですって判定員に言うの。」へぇ~~~・・・そうなんだ。でもうちはお金に困ってるわけではないし、安売りしてるようでイヤだなぁ・・・そう思った。特別児童扶養手当は、1級と2級があって、1級の方が重度。これは県から毎月何万円かもらえる。1級の方が2級より2倍近く多い金額その子は、こっちも1級を持っている。これは医師の診断書が必要で、病院で先生に「重くなるように書いてください!」と半分脅して書かせたようなことを言った。子供の障害を受け入れて、積極的になるとすごいんだなぁとびっくりした。園で、そういった手当てや手帳に関する勉強会があった時、持っていた方が便利だし、困ったときに「この子には障害があります」と証明できると、先生が言った。なるほど!良い意味で、うまく使えたらいろんな所に出て行きやすくなるかもしれない。私も申請してみようかな。そう思って、あちこち問い合わせて、手当てと療育手帳の交付を申請することにした。手帳の判定の面談をしたときは、たまたまボタン掛けやはさみが巧く使えて、たまたまクレヨンで判定員から言われたとおりに、丸が描けてしまって、何だか知らないけど、B判定になっていた。障害が軽いと判定されたことが嬉しいような、税金が免除にならない残念さや、いろんな思いがあって、複雑だった。手当の診断書を病院の先生に書いてもらう時は、先生の方から、「お母さん、今まで大変な思いをしてきたんだから、 もらえるものはもらっておきましょうね。 お金で気持ちは癒されないけど、 これは周りの人たちから、『頑張ってるね』っていう 応援だと思えばいいんですから。 1級になるように、重く書きますけど、 気にしないでくださいね。」と言われた。それを聞いて、障害に対する偏見は私自身の中にあったんだと気がついた。そうだ。もらえるものはもらっておこう。どうせ私は働きにも出られないし、お金はもちろんあった方がいい。開き直ったら、気持ちが楽になった。それから有料道路が半額になる手続きや、自動車税の免除の手続きなどをして、ちょっとラッキーって気分になっている有料道路は、通院通学の利用の場合となっているけど、今では、遊びに行く時や、全く関係ないところでも使っていて、「かえで、ごめんね~」ってな感じバスに乗っていても、周りの人から変な目で見られたら、手帳を印籠代わりに見せながら割引料金を払って、バスから降りる。確かに、障害があることを証明できるし、障害児が外に出て行くには、あったほうが便利だな~と思う今日この頃。もっといろんなことに上手に使って、周りの人たちの理解を求められたらいいなぁ
2006年05月26日
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かえでの就学を期に、私の気持ちは前向きになっていき、張り切ってかえでの療育や学校生活に力を注いでいたけど、一方で、上の娘は、私とは逆にかえでのことを嫌がるようになっていた。「かえでくんって、ちょっとヘンなんだよね~」仲良しの友達から、そう言われたと言って泣いて帰って来たことがあった。それを聞いて、まるで私の小学校時代を思い出すようで(→こちら^_^;)とても辛かった。娘は、友達が遊びに来る時は決まって、「かえでがいるとイヤだから、何処かへ連れ出して」と言った。大きな声を出したり、ワケのわからないことを言ったり、ヘンな儀式のような踊り?をしたり、突然泣き出したり・・・こんな弟がいたら、友達を呼べない。娘の気持ちは痛いほどわかる。はじめは、言われるままにかえでを車で連れ出し、公園に行ったり、散歩したりして時間を潰した。でもずっとそうしているわけにはいかない。バザーで、娘の同級生のお宅にも、寄付のお願いをして、お礼の手紙を渡したりしてきた。親御さんには理解してもらえたかもしれない。でも、子供にはなかなかわかってもらえない・・・どうしたらいいんだろう・・・ひと山越えると、また越えなくてはならない山が現れる。そんな時、こども発達センターのI先生と会う機会があり、その悩みを話した。すると「こんな本があるよ」と言って、一冊の絵本を紹介していただいた。それは 『たっちゃん ぼくがきらいなの』 という絵本だった。 たっちゃん ぼくがきらいなの てをつないでも たっちゃん いつも にげちゃうたっちゃん なんで いつも せんめんき まわしてるの たっちゃん どうして とつぜん おおきなこえ だすのどうして あたま たたくのたっちゃん ふしぎな ことば しゃべる たっちゃんの おかあさん たっちゃん かわいがって あげなかったのたっちゃん おかあさんからも にげちゃうよたっちゃんの おかあさん きみのおかあさんに まけないくらい やさしい おかあさん たっちゃんは じへいしょう(自閉症)きみは どうして おかあさんを おかあさんと おもうのだろう それは おかあさんの やさしいこころを かんじとることができるからかんじるアンテナが くるくる まわっているからたっちゃんのアンテナは ぎくしゃく まわるだから こころのでんぱが くっきり とどかないおかあさんの きもちが うまく つたわらないちいさいころ おかあさんが かわいがって あげなかったからアンテナが こわれたんだ と いうひとがいるでも それは ちがう アンテナは のう(脳)の ふかいところに あるそこが なにかのひょうしで ぎくしゃくして しまったんだまわりのひとの きもちが たっちゃんに つたわらないたっちゃん じぶんのきもちを まわりのひとに つたえられない こまったとき なきたくなったとき たっちゃん だれにも あまえられない だから たっちゃんのこころは いつも ふあんでいっぱいたっちゃんは ちょっと かわっているけど たっちゃんは きみと あそぼうと しないけどけっして きみを きらってるわけじゃない☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆こんな絵本だった。私は、最初見た時すごく泣けてしまって、こんなに自閉症のことをわかりやすく説明してくれるなんて、とてもありがたいと思った。さっそく娘に見せた。「かえで、身体は何ともないのに、 頭の中がギクシャクしちゃってるんだね」と言って、涙ぐんだ。そして、「もう、友達が何か言っても平気だよ。ちゃんと説明できる」そう言って笑った。我が家は、外出も外食も、旅行も、思うようにできない。毎日の生活だって、かえでの大きな声で、かなり迷惑してるし、テレビ(ビデオ)はかえでに占領されて、娘達は好きな番組も見れない。本やノートは破られたり、落書きされたりする。シールは全部剥がされる。それでも、娘達は怒りながらも、仕方ないと笑って許してくれる。こうやっていつも我慢ばかりさせてしまう。ごめんね。娘達・・・でも、人の心の痛みがわかる人間になってね。命を大切にしてね。一方、下の娘は開けっぴろげの性格で、かえでがいる時に友達が来ても、「あっ、これ私のお兄ちゃん、かえでって言うの。よろしくね~~」と、紹介するくらい。こちらは、かなり育てるのが楽なヤツ娘達には、かえでの分まで頑張ってほしいと思う反面、元気に普通に学校へ通って、健康に過ごせたら、それでいいとも思う。欲張らずに、ここにある幸せを大事にしていこうと、今日改めて感じた。
2006年05月23日
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いかぽんままさんから、バトンが回ってきました^_^;3日も日記をサボっていたので、ちょっと頭がボケてますが、頑張ってみたいと思います。まず、バトンのルール (1)回してくれた人の質問に答える。 (2)バトンを回してくれた人へのメッセージを書く。 (3)次の人への質問を三つ考える。 (4)次のバトンを回す人を三名指名する。だそうですので(ごめんね、コピーさせてもらった^_^;)、まずは、質問に答えなくてはね。(1)今までで一番うれしかったことは? 高校受験のとき、前の晩にヤマを賭けたところがバッチリ出て、 思わずガッツポーズ あの時は嬉しかった。いまだに忘れられない嬉しかったこと 人生において「忘れられない一言」とは? またそれを言った方について、一言お聞かせください。 上の娘が小学校3年のクリスマスの時。 サンタさんの存在を信じていると思っていたのに、 「サンタって、オヤジでしょ?」と言った一言が忘れられない。 だますつもりが、だまされてたような気がする。人生ってそんなことが多いのかも? 娘よ、あんたの方が、一枚上手だったわ 30年後の自分は何してると思う? う~~ん、30年後って言ったら、私は○○歳じゃん! 生きてるだろうか?生きていたいなぁ・・・ 孫に毎日お菓子を作ってあげて、可愛いおばあちゃんになっていたい。 でもって、○○に行って、△△したいなできたらいいなぁ(2)バトンを回してくれた人へのメッセージを書く。 いかぽんままさんは、毎日とっても美味しそうなパンやお菓子を作ってるので、 すごく尊敬しています。 お陰で、私も以前より頻繁にお菓子を作るようになりました。 手作りってステキですね。 これからも、元気なパン&お菓子作り、頑張ってくださいね~(^o^)丿(3)次の人への質問を三つ考える。 どうしよう・・・ では、1. あなたのHNの由来は? 2. 自分を芸能人に例えると、誰に似てる? または、誰かに似てると言われる? 3. これからやってみたいこと、夢や希望などがありましたら。(4)次のバトンを回す人を三名指名する。 困った! リンク先の皆さんは、やけに最近バトンが多くて、みんなやってるし・・・ では、たかさん308さん すずかぜママさん ♪♪さくら♪♪さん お願いできますでしょうか~??? 暇つぶしにやってみて下さいね今日は久々に1日フリーになったので、シュークリームを作っています。午前中に、シューを焼きました。こないだ作ったときは、膨らみが悪くて失敗してしまったけど、今日はこんがりいい感じに焼けて良かった 午後は、カスタードクリームを作って、子供のおやつに間に合わせます
2006年05月23日
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平成10年、かえでは小学校の一年生になった。小学校時代の4年生(10歳)くらいまでは、とても落ち着いていて、良い時代だった。自閉症は 『10歳まで黄金期』 と言われている(10歳の壁がある)。かえでも、ほんとにその波に乗って、いろんなことができるようになっていた。かえでが養護学校へ行っているということは、もう近所周りには隠せないことなので、この頃から私も、だいぶ前向きに考えるようになっていた。いつまでも隠しておいても仕方がない。かえでが住みよい世の中を作るには、私達親子が外へ出て行かなくてはダメなんだ。そんなふうに思うようになっていた。毎年12月に、養護学校のバザーがある。親がご近所を回って、寄付品を集めて、値段をつけて売る。私も、近所や親戚、娘の同級生の家などに回って、バザーに寄付してもらえるものを集めた。夫の実家へも行って、義母にバザーの件を話した。かえでが養護学校へ入ったことは当然知っているので、その時は快く、家にあった醤油やサラダ油、海苔、洗剤、バスタオルなど出してくれた。私が集めて回って家は、全部で100軒近くになった。養護学校の小学部の児童は、大きな松ぼっくりを使ってクリスマスツリーを作り、それを販売。とても可愛いツリーで、写真がないのが残念^_^;バザーも大盛況に終わって、寄付してくださった方にお礼状を渡すようになっている。このお礼状に、私からのお礼状もつけて、松ぼっくりのツリーを一緒に渡そうそうすれば、かえでのことを少しでも理解してもらえるかも?そう思いついて、お礼の手紙を書いた。生まれてからのかえでの様子。自閉症だとわかって、一緒に死んでしまおうと思ったこと。人に言えず、ずっと隠しておこうと思っていたけど、障害のある子を少しでも理解してもらいたいという思いから、皆さんにバザーの寄付のお願いに回ったこと。自閉症とは、こういう病気です。かえでは、言葉もあまり出ないし会話も出来ないし、ヘンな行動が多いけど、その辺であったら、どうか声を掛けてください。そんな内容のことを書いて、家で松ぼっくりのツリーを100個作り、一緒にそれを渡して回った。それまでの私と比べたら、すごい前向きな行動で、自分でもびっくりした。母は強し!ホントにそうだな、と自分で思った。かえでの話をすることは、返ってかえでを晒し者にしてるみたいで、辛い部分もあったけど、これを機会に、周りの目が変わってきた。「障害があるって聞いてたけど、どんな感じかわからなくて なんて声を掛けていいかわからなかったけど、 これからかえでくんを連れて遊びに来てね」と言ってくれた人もあった。お返事の温かい手紙をくれた人もあった。夫の実家へもツリーと手紙を持っていった。バザーが12月だったので、お正月に夫の実家へ行った時、義母の様子が違っていた。かえでを真っ先に抱き上げ、「重くなったねぇ」と頬ずりしていた。手紙を読んで、我が家の様子を少しでも理解してくれたようだった。「育て方が悪い」と言った義母。あの時の悔しい思いは、決して忘れることはないけど、汚名返上?できたことは良かったと思う。かえでは、相変わらず偏食もこだわりも強く、手こずることが多かったけど、ほとんど病気もせず、毎日元気に学校へ行ってくれて、私にもだんだんと余裕が出てきた頃だった。 乗っちゃいかんってば!
2006年05月19日
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昨日のことですが、これを作りました↓ ココアロールケーキ シフォン生地のように作ったのですが、すごくフワフワでしっとり自分で作って言うのもなんですが、うまかったです娘の友達にもお裾分けしたら、そこのおばあちゃんが、作り方を教えてほしいと言って来たので、びっくりしてしまいました!みんなで作って、美味しく頂きましょう♪あぁ~~・・・ちょっと疲れちゃったよ~~~
2006年05月17日
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かえでが2歳くらいの頃だったと思う。うつぶせに寝ていて、ふとしたことで、まだらっきょうのような小さなオチンチンが布団に擦れたのか、気持ち良くなってしまったようで、それ以来、うつぶせになっては、腰をヘコヘコ動かすようになったはじめは「なんだろう?」と思っていたけど、1歳半の時に発達相談を受けた時の保健婦さんが、家庭訪問に来た時に、かえでを見て言った。「あら、オナニーしてますね」私もそうだと思ってはいたけど、口に出して言うのが恥ずかしいやら悲しいやらで、自分の口からは言ったことがなかったんだけど、保健婦さんはストレートだった止めさせたいけど、言ってもわからないような子に、どうやって教えればいいんだろう。オナニーだけじゃなくて、どんなことに関しても認知できないわけだし・・・保健婦さんは「私達だって、おいしいお饅頭食べると、 『あ~美味しかった、もっと食べたいわ』って思うじゃない? それと一緒で、かえでくんも 『あ~気持ち良かった、もう一回』って思うんですよ」と笑って言った。そんな簡単に片付けていいんだろうか?「でも気になるようなら、ヘコヘコし始めたら それとなく他の遊びに誘って、気を紛らわせてあげて あまりオナニーのことをきつく言って、強調しすぎない方がいいわね」とアドバイスをもらった。それ以来、かえではうつぶせになったり、テーブルなどの角に擦りつけたりすることが続いている。男の子だから、私にはだんだんとわからない部分も出てくるし、参ったな・・・というのが正直なところ。オムツが取れて、パンツとズボンになってからは、擦りつけたあと、らっきょうのオチンチンもしっかり上を向いていて、俗に言う『テント張ってる』状態になっていた。上の娘が、それを見て「かえで、ここ尖ってるよ」と言った事もあった^_^;今は、中学生になってだんだんと下の毛も生えてきたし、スネ毛も濃くなったし、声変わりもしてきたし、こないだは、わき毛も乳毛?も生えてきていたあんな可愛かったかえでも、2歳でオナニーを覚えちゃってから、男街道まっしぐらだったんだよねオナニーっていったら、もう夢精だってあるのかもしれない。でもパンツは汚れてないなぁ・・・普通の中学生だったら、一人で部屋にこもってエッチな本を見て、萌え~~ってしてるんだろうなぁ・・・今だってけっこういい男だし、好きな女の子だって出来る年頃なんだろうなぁ・・・いつまでも可愛い子供だと思いがちだけど、しらんまに大人になっているんだね。そういえば、体つきもなんだかお父さんに似てきたしねぇ。かえでは、せっかくこんないい男に生まれてきても、女の人を知らずに歳をとっていくの?本当だったら、中学で部活やったり、友達と遊んだり、彼女を家に連れてきたり、デートしたり、大人になって社会人になったら、同僚とお酒を飲みに行ったり、タバコをすったり、車に乗ったり・・・そして結婚して、家庭を持って、子供が生まれて・・・かえでは、そんな当たり前のことも出来ずに、歳をとっていくの?神様って、やっぱり不公平だね。どうしてこんな試練を、かえでに与えたんだろうね。なんだか、神様に突っかかりたい気分だよ
2006年05月16日
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かえでがこども発達センターへ通園していた3年間の、真ん中の年(年中の時)、先日の日記に書いたような義母のことがあって(→こちら)、うちの父親も定年退職するし、それこそ夫が一人で働いていることになるので、私もパートでお勤めに出ることにした。園の時間が9:30~14:30だったので、その間だけのパート。かえでの送迎をしながら、会社に行く生活が始まった。私が送迎できない時は、家にいるようになった父が代わりにやってくれた。仕事をを始めると、仕事のことで頭がいっぱいになり、家事も育児もという両立は大変だなぁとしみじみ感じた。それでも、良い職場に恵まれて楽しく仕事ができたことは、嬉しいことだった。かえでが年長になる時、役員が回ってきた。それも保護者会の会長だった。もちろんやりたくないので、一旦は仕事を理由に断ったけど、園に子供がお世話になっていることは、みんな平等なので、何事も勉強だと思い、大役を引き受けた。子供が園にいる間に、役員の仕事を片付けないと困ることが多いので、残念だけど、仕事は辞めることにした。辞めたらまた義母に何か言われるかも?と思ったけど、悪いことしている訳ではないし、堂々としていよう!何か言われたら今度ははっきりと、かえでのことを話そう、そう思った。かえでは、給食に持っていくお箸をすぐに噛んでしまって、毎日のようにお箸をダメにして帰ってきた。他にも同じような子がいて、噛んでも折れないお箸がほしいね!と笑ったことがあった役員の用事も毎日のことではないけど、子供を送った後、みんなで話し合いをして、結局そのままランチに行って、14:30まで喋って、迎えに行く・・・というのが定番になって、なんだかんだ楽しい一年を過ごした。園にいる間は守られた空間にいるようで、世間の偏見的な目もなく、唯一安心して過ごせる場所だった。しかし、時間は容赦なく過ぎていき、卒園が近づいて就学の時期を迎えていた。地元の小学校には養護学級がなく、越境して他の小学校の養護学級に通わせるか、養護学校へ行くか・・・養護学校も、A養護学校と、Aの分校と2つの選択肢があった。いろいろ迷い、あちこち見学させてもらったり、悩んだりで、A養護学校の分校に決めた。分校は人数も少なく、大勢を嫌う自閉症のかえでには、落ち着いて過ごせる場所だろうということや、車で10分、知的障害者の更生施設と隣接されていて、通っていたこども発達センターと同じ組合立だったこともあり、施設があると何かと便利だったので。守られた園から、外に出て行くかえでは、3年間で本当にいろんなことができるようになった。卒園式では、その年から始まった花粉症と戦いながら、せっかく新調したスーツを鼻水でグシャグシャにして、泣きながら謝辞を読む私を、隣でポカンとした顔で見上げていた おやつを食べるかえで(*^^)v
2006年05月15日
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今週は、私自身の心の病気で、ちょっと調子悪くて、お菓子を作っても、ことごとく失敗に終わるので、余計に落ち込んでしまって・・・何をやるにも鬱陶しく、シクシクと涙が出たり、溜息ばかり出たり、少しのことでイライラしたり・・・ということが続いています。今日は、中学に入学した下の娘が、部活(吹奏楽)に正式に入部して初めての土曜日の活動で、朝早くから雨の中を元気に出掛けていったので、何かおやつを作っておいてあげようと、憂鬱な気分に鞭打って、パウンドケーキを作ることにしました。クオカさんのレシピを知っている方は、ご存知かと思いますが、桜餡を生地に練りこんだ『桜パウンドケーキ』です柏餅の季節も終わろうというのに、まだ桜か~~??と思いましたが、冷凍してある桜餡を使い切りたいので、挑戦してみました。今日はうまく出来ました。少し鬱気分も軽減して、ホッとしています お味は・・・?うん!美味しいバターと卵の風味と、桜餡の春の香りと、上に飾った桜の花の塩漬けの塩味で、和洋折衷スィーツでした。あぁ~・・・いつまでも春の季節を振り返ってばかりで、ちっとも前向きになれないのだけど、『桜パウンドケーキ』を食べ終わったら、自分の中で春を終わらせて、次の季節に向かってまた元気に歩いていかなくては・・・と思います
2006年05月13日
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前回の日記の書いたように、夫や義母については、あんな感じでちょっと心の距離を置きながら、かえでと二人の娘の育児は、また毎日続いていった。こども発達センターに通うかえでは、年長になる頃、オシッコが一人でできるようになってきて、オシッコに関してはオムツを必要としなくなってきた。身体が平均より大きめだったので、このままオムツを使っていくと、サイズがなくなる当時『はかせるオムツ○ーニーマン』ってのがあった。(今もあるのかな?)それのビッグサイズを使っていたけど、オムツの金額もバカにならないし、オシッコができるようになったのは、本当に嬉しかった。それに、かえでより明らかに重度の発達障害の子が、かえでより先にオムツが取れたというのを聞いて、ちょっと焦っていたこともあったしねオシッコが出来たと喜んではいたけど、ウンチはなかなか出来なくて、いつもパンツの中にしてしまっていた結局、ウンチがトイレで出来るようになったのは、小学校4年生になる頃だったのだけど、諦めかけて、私は一生かえでのシモの世話をしていくのだ!なんて覚悟もしていたので、ある日突然出来るようになった時は、狐につままれたような気分だったあの迷子になった病院(こちらをクリック)へも毎月通って、心理リハビリの先生が、知育玩具で遊びながら、かえでの発達の様子を細かく診てくださった。オウム返しなら、発語があることから、何か欲しがった時に、オウム返しで言わせてからそれを渡すようにしてみましょうと言われた。たとえば麦茶が飲みたい時、かえではクレーンで私の手を引っ張って冷蔵庫に行き、麦茶を出させる。そこでこちらが「お茶」と言い、かえでも「オチャ」と言ったら、注いであげる。何でもそういう感じで物と言葉を一致させてから、要求を満たしてあげる。しばらくそうしていたら、すぐにオウム返しで言葉をどんどん真似していくようになった。なかなか自分から要求している言葉を発することは出来なかったけど、全く言葉らしいものがなかっただけに、オウム返しでも十分に嬉しかった私は歌が好きで、しょちゅう口ずさんでいる♪娘達にうるさいと言われるけど、そのお陰か?かえでも歌が好きで、私が歌ってあげると「もっともっと」という感じで続きをせがむ。その続きをせがむ時に、続きの歌詞を自分でちょっと言うようになった。歌詞といっても、ひと文字かふた文字分くらいだけど、それでも大きな進歩だったある晩、かえでと上の娘と私の三人でお風呂に入っていた時のこと。そろそろ上がろうかと思って、「かえで、そろそろ出ようか?」と声を掛けた。いつもならここで私が「かえでが出るよ~」と外で待っている夫やおばあちゃんに声を掛けて、かえでにも「出るよ」とオウム返しで言わせていた。でもその日、かえでは自分から初めて「でる」 と言ったのだったびっくりした。初めての自分から発した言葉だった。すごく嬉しかった上の娘も「すっご~~~い!! 今、言ったね! かえで、しゃべったね!」と言って、私を見てびっくりしてる。二人で顔を見合わせて、すごいねーーー!と喜び合った。こうして家族でかえでの発達を喜べるって、すごくありがたいことだと思って、上の娘の思いにも、とても感激した。でも、次に娘の言った言葉。「今さぁ、お母さんの方を見て、 『でぶ』って言ったよね!!」「・・・・・・」普通に生まれて、普通に育って、普通に言葉を話して、友達と遊んで、という全く当たり前のことが、かえではできない。言葉は唯一人間だけに与えられたコミュニケーションの手段。宇宙人かえでは、少しずつ「地球」の中の日本の言葉を覚えていってくれた。少し私達のそばに近づいてきてくれたような気がした。めでたい初語記念日だった
2006年05月11日
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今日は、ムカついたことの話。以前にも日記に書いたことがあるけど、うちの夫は婿養子。私の親と同居しているのだけど、夫も私の父も口下手で、仲良く喋ることはほとんどない。話があるときは、私が仲介する。「お父さんが○○って言ってるけど、どうする?」とか・・・直接話せばいいのに、いつの間にか、私が間に入らないといけなくなっていた。男同士ってそんなものなのか?って思っていたけど、その人の性格にも因るだろうと思う。かえでが、もうすぐ5歳という春先の頃だった。そんな男同士が、ある夜、大喧嘩した大喧嘩といっても、夫が一方的に、父に怒ったのだけど普段は話もしないくせに、ほんの些細なことで、急に夫が父に大声を出して怒鳴った。どう贔屓目に見ても、夫が悪かったのだけど、夫も一度怒鳴ってしまって引っ込みがつかなくなり、夕食もそこそこに出て行ってしまった。父は「なんだ~?」とびっくりしていたけど、一息ついたら怒りがこみ上げてきたようで、「俺がこんなふうに怒鳴られるたぁ、どういうことだ!」とこめかみがピクピクしている私は、嫁姑の苦労がない代わりに、婿舅の板ばさみでかなり神経をすり減らすことが多かった。周りの人からは「お婿さんだから、楽でしょう?」と言われる。知らないくせに言わないでほしいわ~(/_;)子供たちもびっくりしていた。何も子供の前で、あんなふうな態度をとらなくてもいいのに・・・と腹が立った特に訳のわからないかえでは、大声にびっくりして泣き出しちゃうし、その時ばかりは、間に入るより先に、かえでを落ち着かせるのが大変だった。夫も、私の親と同居で気苦労も多いことだろうと、察してはいるけど・・・その後しばらくして、子供たちを寝かせてから、夫が行ったと思われる実家へ行ってみることにした。お嫁さんなら「実家へ帰ります!」って感じだったんだろうと思う。こういう時は、私が迎えに行くのだ。当時は携帯電話がなかったので、連絡も取れず直接行くしかなかった。行くと案の定、夫は義母と話していた。たぶん、うちの両親の話だと思う。義母は笑って私を迎えてくれたけど、決して私の味方ではなく、あくまでもかわいい息子の味方。今日の事件の話になると、義母は、「今までにもいろいろあったそうじゃない?」と言う。夫は私には言わない(言えない)我が家の住み心地を、実家で義母に話していたようだ。それは仕方ないことだと思っているけど・・・「お小遣いもないから貸してくれって来た時は、びっくりしたわよ」なんて話まで出た。お小遣い???夫は給料の内の10万円を自分の口座に入れている。給料の口座を分割して振り込むように指定しているのだ。ごく普通のサラリーマンで、子供が三人もいて、それだけお小遣いがあったら充分でしょ?私は残りのお金で生活できるようにやりくりしてるっていうのに。それでお小遣いがなくて母親に貸してもらってる~???びっくりしたのは、こっちだよっその後もいろんな話が出てきて、こういう事もああいう事もあっただの、嫌味たっぷりだった。夫は何も言わず黙っていたけど、義母に責められる私を見て、「でも今回のことは、お前とケンカしたわけじゃないから。 オヤジに対してだから」と言った。すると義母は、「お宅のお父さん、子供の面倒も見なくて、全部息子に看させてるんだってね」だと!誰が面倒看てるって??父は定年間近で、その頃は仕事も忙しく、夫のように土日休みでもなくて、黙々と一生懸命働くだけの人だった。それでも、自分の息子を亡くしていることから、かえでの事も理解してくれて、疲れていても「子供は泣くのが仕事だから」と、無器用ながらも笑って抱っこしてくれたり、父なりによくやってくれていた。逆に、夫はパチンコ三昧の毎日。ろくに面倒なんて看たこともないじゃんそれに、父親が子供の面倒看るなんて当たり前のことじゃないの?一体どういうことよ???呆れてモノが言えなかった・・・そしたら、ついにかえでの話になった。夫の実家には、かえでの詳しい話はしていない。少し遅れがあるということはわかっているくらいだった。夫も自分からかえでの話はしたがらなかったので、私も言わずにいた。「あなたもお母さんも、二人で子供たちの面倒を看ているのに、 かえでがこうなったのは、どういうこと? 前に私がお宅に行った時、かえでは車の中に一人で乗っていて、 『車に乗せておくとおとなしいから』って言ってたでしょ? あんなふうに、一日中車に乗せといたら、喋れなくなるに決まってるでしょ」義母はそう言った。確かにかえでは車に乗っているのが好きなので、たまたま義母が来た時に乗っていたことがあった。でもほんの少しの時間で、一日中乗ってるわけがないでしょうが!!一部を見て、全てだと思わないでほしいあちこちの病院へ行ったり、一生懸命早期療育に励んだり、自閉症のいろんな本を読んで勉強したり、講演会などに行って情報を集めたり、様々なことを頑張っているのに、何も知らない素人の義母にそこまで言われるなんて・・・全くムカつく話だった!!最後にトドメ「うちの家系には、こういう子はいませんから」そして、もう一丁。「こっちの方では、女が二人して家にいるっていうお家はないけど、 お宅は、息子一人に働かせて・・・」こんな状況で、働けるわけがないでしょっ?!帰り際に、義母が夫に言った言葉。「あんたが我慢すればいいのよ。 とりあえずむこうのお父さんに謝っておきなさい」夫婦のことだけならまだしも、かえでのことまで、あんなふうに言われるなんて・・・私一人で、妊娠したわけじゃないのよっあんたの息子の精子があって妊娠したのよっ半分は、そちらの血が流れてるんですよっブチブチに切れまくった夜だったこれは、もう10年も前の話だけど、他人から言われた言葉ってずっと残っている。療育関係の先生方の嬉しい言葉もたくさん残っているけど、義母の言葉は、心に深く傷ついた言葉だった。それ以来、夫の実家とは、気持ちの上で一線を置くようになった。夫のことは、私にはどうすることも出来なかったので、放っておくしかなかった。夫には、親としての自覚を持ってもらうしかないから。同時に、もっと世の中に理解してもらわなくては、と思うようになった。今日は、イヤな話でごめんなさいね~~~ちょっぴり落ち込むことがあったので、暗い日記になってしまった・・・こんな日記の最後には勿体無いけど、当時の無邪気なかえでの懐かしい一枚これでご機嫌直しましょうか^_^;
2006年05月09日
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かえでが4歳になる頃、母子通園で行っていたこども発達センターに、定期通園をするようになった。この、定期通園をした就学までの3年間で、かえでは大きく成長した入園して1週間くらいが経った頃の、ケース担当のI先生の言葉が今でも忘れられない。「私、今、かえでくんと遊ぶのが一番楽しいの」それを聞いてびっくりした!これまで、宇宙人かえでと遊んで、誰が楽しいと言ってくれただろうか?家族でさえ、母親の私でさえ、手が付けられなくて困っていたというのに・・・今だから言っちゃうけど、私はかえでが自閉症だとわかって、一緒に死のうとも思ったし、どうして私のところに生まれちゃったの?と悲観していたし、お隣の家にも同い年の子がいるのに、どうして普通に喋ったり友達と遊んだり出来るの?とすごく羨ましく思って、ねたんだ事もあった。夫が育児に協力的でないこともイヤで、この人と結婚しなかったらかえでは生まれてこなかった・・・と結婚したことも後悔した。かえでの人権なんて、まるで無視した考えしかできなかったあの頃。私の心の中を、I先生はしっかり見抜いていたような気がした。赤の他人なのに、いくら仕事だとはいえ、かえでと遊ぶのが楽しいといってくれた人は初めてだった。私はダメな母親だったと、すごく反省した。かえでが楽しいと思うことを一緒に楽しんであげていれば、もっとかえでの気持ちがわかったかもしれない。もっとかえでと向き合ってあげなくてはいけなかったんだ。ごめんね、ごめんねと心の中でかえでに謝った。慣らし保育の間は、先生の接する様子をよく見て、私も家ではかえでの気持ちに沿ってかえでの目線で接するように努力した。努力しなくても、だんだんと自然にかえでの気持ちがわかるようになってきた。かえでは、一人で靴が履けるようになり、着替えも少しずつ出来るようになり、ひどい偏食も、ほんのちょっとだけなら食わず嫌いの物も口に出来るようになり、全くなかった発語も、オウム返しでなら言えるようになり、笑顔がたくさん出るようになった七田チャイルドアカデミーのF先生の言葉も、すごく心に残るものだった。「中国の長江(揚子江)は、むこうの川岸が見えないくらいに川幅が広いんですって。 だから、どっちに流れているかわからなくてね、 時には北へ、時には南へ、時には西へ流れているように見えるんだけど、 でもゆっくり穏やかだけど、確実に東に向かって流れているんですよね。 お母さん、かえでくんの成長もそれと一緒ですよ。 成長が見えなくて焦るかもしれないけど、確実にゆっくり成長してるんですよ。 どうか見守ってあげてくださいね」 まだまだ出来ないことの方が多かったけど、かえではゆっくりゆっくりと進歩していった。その頃のかえで^^ 絵本を見たり、人形で遊んだりこれは、園での様子を先生が撮ってくれたもの。こんな姿を見逃さない先生は、やっぱりプロだな!と思う。年長になる頃には、オシッコもトイレでできるようになった
2006年05月06日
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かえでは3歳代の時に、保健所の『たけのこ教室』と、こども発達センターの母子通園、それから、七田チャイルドアカデミーの3箇所を週一回ずつ通い、毎日が大変ながらも、私も夢中で過ごしていた。その頃、長女は幼稚園に元気に通っていたが、夏休みの頃、少し離れた物が見えないと言い出し、眼科へ行くと、なんと視力が両目とも0.05だった!本を読むのが好きで、絵本をはじめ、夫が買ってくる少年ジャンプ、マガジンなど、何でも手当たりしだい読んでいた。夫も視力が悪いので、たぶん遺伝だろうと言われた。夏休みが終わって早速メガネを掛けることになった(◎_◎)まだ5歳になったばかりの長女に合うフレームが、なかなか見つからなかった。こんな小さい頃から、メガネのお世話にならなくちゃいけないなんて、かわいそうだいじめられはしないだろうか?いろんな心配があって悲観していたのだけど、幼稚園の先生は、ほかの園児に上手に説明してくれて、こちらの心配もよそに、長女は返って今までよりよく見えるようになって、活発になっていった。翌年4歳になったかえで。懐かしいアルバムから、ちょいと拝借 この頃も、手作りケーキでお祝いしていたなぁなかなかかわいいでしょ?って親バカですね~~♪小指を立てちゃってるし~そして、これはオトウサンの洗車に付き合っていたら、びしょぬれになってしまって、 裸になって遊んでいて、このあと裸のまま脱走したので、慌てて追いかけた記憶が・・・懐かしい!ホントに懐かしい。いろんなことがあったので、思い出すと涙が出てきてしまう。辛い事のほうが印象に残っているけど、アルバムを見ると、すごくいい笑顔の写真が多かった。かえでは、自分なりに幸せを感じて生きてきたんだね。宇宙人かえでにとっては、ちょっと住みにくい地球だろうけど、頑張って地球環境に合わせてくれたね。今夜は何だか、妙にかえでが愛おしくて仕方がないよ・・・
2006年05月05日
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本日二度目の更新なのだ!初めて、花に関するテーマを選択してみたので、専門的な方が見たら大変恥ずかしいのですが・・・私は園芸関係のことは全くの無知で、恥ずかしながら庭の手入れもろくにしていないです。3年半前に、同居の母が亡くなりました。母はなんでも出来ちゃう人で、料理やお菓子を作ることも上手だったし、歌も上手いし、絵も描ける。園芸関係についても詳しくて、野菜作りやいろんな花も上手に育てていた。大輪の菊の花を咲かせて菊花展にも出したり、蘭もきれいに咲かせていた。しかし、母が亡くなってからは、庭は草ボーボーで、夏はジャングル冬は砂漠と化しています。これではいけない!と、3年経ってやっと手入れをする気になったのはいいけど、どうやっていいのかもわからず、とりあえず庭の片隅に放ってあったたくさんの植木鉢を使って、寄せ植えをしてみようと思いましたホームセンターで花の苗を買ってこようと、行ったはいいけど、どんなのがいいのかわからない。まあ、今の時期に売っている花なら何でもいいだろうと思い、適当に選んで買ってきましたで、植えたのがこちら↓ なんていう名前の花なのか、ポットにくっ付いていた花のラベルを見ないと解らなくて、娘に聞かれて、返事に困っている母でございます。一応、初めて寄せ植えをしたということで、勘弁してやってください
2006年05月04日
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世間はGW真っ只中・・・学校の休みの日は、なかなか時間を潰し果せなくて、けっこう大変です・・・一番かえでが楽しく過ごせるのは、お菓子作り。作って食べるという見通しがつくものだから、目的を持って取り組めることには、納得してくれる。そういうわけで、先月のオレンジページに載っていた、私の大好きな藤野真紀子さんのお菓子を、かえでと一緒に作りました バナナココナッツマフィン~~♪ ココナッツミルクやココナッツパウダー、バナナ、オレンジの皮のすりおろしなどが入っていて、とても美味しくできましたデスいろんな型で焼いたので、楽しかった。このハート型が可愛いでしょ これは私のお気に入りの型なのですかえでは、コアントローで溶いたアイシングの掛かっているマフィンがお気に入りで、あっという間にどんどん食べてしまうので、「写真撮るまで待ってて~!」と引き止めながら、急いで撮りました明日は『こどもの日』なので、かしわ餅に挑戦する予定。和菓子は、かえでの苦手なお菓子だったけど、先月作った『桜餅』や『桜あんぱん』は食べてくれたので、かしわ餅もイケルかな?こないだの苺ジャムは、やっぱりダメでしたバンホーテンココアクリームのカップが見えていたので、どうしてもそっちが良かったようで、苺ジャムのパンは、私のお腹に入ってしまったのでしたGWは、母は体重増加気味だわ・・・
2006年05月04日
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かえでは、3歳になって少しした頃から、近くの総合病院から、大きな病院の精神科を紹介されて、そちらへ通うようになった。行ったことのない病院だったので、初診の時はかえでを連れて、電車とバスで行ってみた。精神科・・・すごく抵抗があった。待合室には、明らかに見て解るような患者さんが数名待っていた。それでいて、私達の方をよく見ていたりするので、逃げ出したい気分だった。 肝心な診察は、とても良い感じの温かな先生で、その先生の問診と、心理リハビリの先生が毎回1時間ほど、遊びながら様子を見てくださることになった。かえでは本当に自閉症なのか?今日ははっきり解るはず。私が「この子は自閉症なんでしょうか? ほかでは、違うかもしれないと言われていたので、どうなのか不安だったんですけど」と言うと、「お母さんが心配するような、変な病気じゃないですよ。 間違いなく、正真正銘の自閉症です」と先生は言った。私の思いが通じなかったもどかしさと、やっぱり自閉症だったんだという妙な安心感とでなんだか複雑な気分だったけど、逆に開き直ることも出来たような気がする。先生は「医療機関とは縁を切らずに、長くお付き合いしていきましょう」と言ってくださった。病院とは縁が切れないのか・・・仕方がない。かえでの面倒を看ることを、私の仕事にすればいいんだ。かえでがいる限り、私が他の事を両立することはできないんだ。私は一生かえでの面倒を看ていくんだ。診察のあと、そんなふうに思いながら、自販機でかえでが飲めそうなお茶と、私のコーヒーを買う。 ふと目を離した隙に、かえでが行方不明になった!その頃は、すぐ何処かに行ってしまうけど、それでも私の見える範囲で遊んでいることが多かったので、油断していた。大病院のロビーは、ごった返している。小さなかえでは、どこにも見えない。おまけに、来たことのない迷路のような病院の中を探すのは、容易ではなかった。付け加えれば、私はひどい方向音痴あっちこっちしていたら、元の位置さえ分からなくなっていた 受付で館内放送をしてもらう。もちろん本人が聞いて戻ってくるわけではない。「恐竜の絵のついた白いTシャツに、グリーンの半ズボンの、 目の大きい短髪の3歳の『かえでくん』という男の子が、迷子になっています。 お心当たりの方は、○○までご連絡をお願いします」 私も必死で探した。涙が出てきた。どうしよう、見つからなかったら・・・いったいどこに行っちゃったんだよ!かえで~~おうちに帰れなくなっちゃうじゃ~ん!『となりのトトロ』で、迷子になった妹のメイを、姉のさつきが探すシーンを思い出す。「メイのバカ!すぐ迷子になるくせに」っていうの。ああ、こんな時になんでそんなシーンを思い浮かべてるんだ!私ってバカだ~~っ涙をこらえ、その辺にいる看護師さんにも聞いて回った。すると、メンテナンスのおばちゃんが、「もしかして、目がクリクリっとした、こーであーでこういう子?」「そう!その子です!どっかで見ました??」「人間ドックの予防健診センターの待合室の椅子の間をウロウロしてたけど、 『ボク、一人なの?』って聞いても知らん顔だったの」間違いない!その健診センターというのが、道を挟んだ反対側にあって、どうやって行ったんだよ!と腹立ちながら、慌てて駆け込んだ。 いた~~っ! 泣きながら抱きしめた当のかえでは、母親から離れても不安になるわけでもなく、まったく知らん顔のんきなヤツだな・・・でも、無事でよかったよ。ほんとに 同じ養護学校へ通っている自閉症の子で、迷子になって警察のお世話になった子が何人もいる。幸いにも、これまでかえでは一度も警察のお世話になったことはないけど、いつも紙一重のところにいる。危険を察知する力がついてくれたら、もう少し行動範囲が広がるのだけど、これに関しては、今も大きな課題になっている。
2006年05月03日
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かえでが3歳になって、近くに出来た『こども発達センターつくし(仮名)』の母子通園の募集があり、さっそく応募した。母子通園というのは、それまでも行っていた保健所の親子教室の、少し規模が大きくなったようなもの。4歳になれば定期通園が出来るらしい。いわゆる障害児向けの保育園での、入園前の一年間、母子で楽しんで慣れましょうという教室だった。保健所よりも本格的な療育をしてもらえるし、私の住んでいる市と周りの市町村での募集だったので、応募がかなり多かったらしい。こんなに療育を必要とする子が多いのか!とびっくりした。もっとびっくりしたのは、その説明会で従妹が来ていたこと。「なんで~?」と二人で顔を合わせて驚いた。従妹は「うちの健ちゃん、ダウンなの」「そっか・・・うちは自閉症なのよ」「そうだったんだ。お互い全然気がつかなかったね」みんな隠したいんだよね。親が我が子の障害を認めたくない時期は、前向きになれないんだもん。できれば隠してひっそりと暮らしたいと、ネガティブに考えてしまう。従妹の子(健ちゃん)と、うちのかえでは、揃って週1回の母子通園に参加することになった。健ちゃんは、かえでより2歳年下だけど、ダウン症だから社会性があるので、先生や他のお母さんにもニコニコ笑いかけ、たちまちみんなのアイドル?になった。かえではというと、みんなで輪になってお母さんの膝に入って手遊びをしていても、すぐにトランポリンや、三輪車などの遊具の方へすっ飛んで行ってしまい、何度も何度も連れ戻す。ほかにもそういう子は何人もいたけど、なんだか情けなくて、終わってから泣けてしまうこともあった。 比べちゃいけないけど、どうしても比べてしまう。先生との面談があり、私の思いを正直に言った。「毎日が辛くて、どうしていいかわからないです。 いろんな教育法は取り入れて、頑張っているつもりですが 今ひとつ手応えがなくて、焦っています」先生は、「今までの自閉症児に対する療育って言うのは、けっこうスパルタ式が多かったんです。 でもそういう療育をした結果、思春期以降にすごく荒れてしまう子がいて、 いろんな先生が研究した結果、今のような優しくその子の気持ちに沿いながら 少しずつ社会のルールを教えていく方法が取られるようになったの。 でも今は、まだ研究段階で、その方法が良いかどうかはわからない。 見ていてイライラするかもしれないけど、 ここは長い目で見て、じっくり関わってあげましょう。 かえでくん、はじめは手遊びも無関心だったけど、今日は楽しそうに見ていたね」そう言ってくださった。本当にそれで良いと言うのなら、この際、じっくり関わってみよう。ここでしっかり療育してもらおう。辛くなったら、ここで私たち親子を、まるごと包んでもらおう。もちろん、まだ焦る気持ちはあったけど、それまで背負い込んでいた両肩の荷物を、少しだけ軽く出来たような気がした。
2006年05月02日
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いつも暗い過去の話ばかりでは、さすがに私も滅入ってしまうので時々、手作りお菓子の話題も入れていこうと思います少し前に、苺のババロアケーキを作ったとき、残りの苺はジャムにしようと思って、約1,000gの苺に80%の砂糖とレモン汁少しをかけて、ひと晩置いておきました。(→こちら)次の日に、さっそく火にかけてジャム作り。最近見たレシピに、「フルーツの色と風味を最大限に引き出すには、強めの中火で短時間で煮あげましょう」と書いてありました。ジャムというのは、時間を掛けてコトコト煮るものだと思っていたのですが・・・「ほほぉ~、なるほど!」と思って作っていると、上の娘がやってきたので、レシピに書いてあったことを、話した。「ジャムはね、強めの中火で一気に煮るのが良いんだって♪」「強めの中火?なんか面白い言い方。 それってさ、地震でいうと 『震度5強』 みたいだねぇ」「・・・・・・」ちょうど良いキャニスターが空いてなかったので、アオハタジャムの空き瓶を煮沸消毒して、約4個分出来ました。アクをきちんと取ったので、透明感があり、味もよく、満足な出来上がりでした。我が家は、朝はほとんど和食なのですが、GWはパンでも焼いてジャムを楽しもうと思います。 かえでは苺がきらいで、ジャムは食べてくれないでも、苺のババロアも少し前まで食べられなかったけど、今回のはしっかり食べてくれたから、食わず嫌いかも??連休中に挑戦してみよっと
2006年05月01日
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